2015年06月10日(水) |
インターネット時代の知性 猪子寿之 |
抽象化というのは、複雑な現象から相似を見つけるということです。相似を見つけるにはいい頃合いのレベルまで抽象化しなくちゃいけない。たとえば、IQテストで動物とか鳥の絵があって仲間分けしなさいという問題がある。あれはどのレベルまで抽象化すると仲間分けできるかを直感的に考えさせる問題なんです。
なぜ頭がいいのに空気が読めないかというと、空気を読むには身体が伴うからです。言葉だけじゃなくて顔色とか身振りとかも把握しないといけないわけです。
身体を伴う知性と身体を伴わない知性というのがあって、それは独立して存在しているような気がするということです。
いま時、コンピュータは将棋のプロに勝ったりするんですよ。大脳レベルの、身体を伴わない知性ではコンピュータは急激に進化してきたにもかかわらず、なぜかあまり知性的でないとされる行為はまだできないのか。
たとえば、IQと収入との相関関係とか、空気を読める人かどうかとか、人間は転んでもなぜケガしにくいかとか。ここには20世紀まではアンタッチャブルというか、まったくフォーカスが当たっていなかったんです。それに対してフォーカスを当てることが、これからものすごく重要なのではないかと思っているんです。
http://diamond.jp/articles/-/72814
2015年06月07日(日) |
本当の優しさ、本当の強さ |
平成24年度(第32回)全国中学生人権作文コンテスト広島県大会 優秀賞
広島市立矢野中学校 匿名
本当の優しさ、本当の強さとは何か。きっと、本当の優しさは困った人に手を差しのべる温かさと、時には突き放す勇気のことで、本当の強さは、心の底から相手のことを思いやる気持ちだと私は思う。暴力をふるったり暴言を吐いて強くなったと思う人は、決して強くなんかない、弱い人間だと思う。では、本当の優しさと強さを持った人とはどのような人なのだろうか。
私の周りにはいろいろな人がいる。その中で、私はこの人は本当の強さを持っているのではないか、と思う人がいる。部活動が一緒で、クラスは違うけれども仲の良い友達だ。その人は、この人、こうゆう所が嫌だから直してほしいと思うと、陰でこそこそ悪口を言うのではなく、本人に面と向かって直してほしい所をズバッと言える。それもケンカごしで言うのではなく、相手のことを思って言うのだ。そんな友達をすごいと思う反面、たまに陰口ばかり言って、本人に面と向かって言う勇気がない自分が情けなく思う。この友達に言ってもらった人はうれしかったと思うし、この友達の行動は人権を大切にすることだと思った。なぜなら、相手の気持ちをちゃんと考えていたからである。
それでは、本当の優しさとは具体的にどのようなものなのだろうか。例えば、たのまれたら宿題でもなんでもやってあげることは、本当の優しさではない。自分でやらないと、と断ることが、時には突き放す勇気を出すことが本当の優しさだと私は考えた。困った人に手を差しのべる温かさとは、教科書を忘れた人にそっと自分の教科書を見せてあげる、重い荷物を一人で持っている人を手伝う、落ちこんでいる人をはげます、そんなささいな事だと思う。こんな小さな勇気で、大きく助けられるのだ。小さな優しさで、人を笑顔にすることができる。私はそう信じている。
世界中の人みんなが、本当の優しさと強さを持っていたら、争いやいじめ、差別などはなくなるだろう。けれど、みんな顔も違えば性格も考え方も違う。そんな中で人はぶつかり合って、傷ついて傷つけて、苦しい中をもがきながら生きている。このような世界で、真の優しさと強さのある人が救い手となる。私は、そんな存在になりたい。なぜなら、困っている人、傷ついて苦しんでいる人を助けたいからだ。でも、なかなか理想の自分になれない。失敗や後悔をする度、自分の小ささを感じていた。そんな時、前期の反省で班の人からメッセージを書いてもらった。同じ班の女子が、「君は君のままが一番」と書いてくれた。とてもうれしかった。ありのままの自分を認めてもらえた様だった。たったこの一言で勇気が出たし、救われた。やはり、言葉の力はすごい。
言葉の力を、人を傷つける武器として使うのではなく、人を元気づけるものとして使うのが良いと思う。人を助ける言葉を上手に使える人こそが、本当の優しさ、強さを持った人なのではないだろうか。きっと、こういう人がいれば、少しでも人権は守られていくと私は考えた。
私は、こうやって本当の優しさ、本当の強さについて考えてみて、改めて自分は本当の優しさ、強さを持った人になりたいと思った。上辺だけ優しいふりをして人を傷つけてしまう人がいる。平気で暴力をふるって身も心も傷つける人もいる。そんな人達に本当の優しさ、強さを分かってほしいと思う。そして、人の痛みも考えられる人になりたい。そのためには、今を一生懸命生きて、いろんな人と関わっていくことが大切だ。クラス・部活動・委員会、人と関わることはたくさんある。その中で、自分がどう人と接するか、どこまで人を思いやれるか、そういうところで人の良さは見えてくるのだ。私は、本当の優しさ、強さを持って人権を大切にしていきたい。
2015年06月06日(土) |
やった人にしかわからないことがある 森信三 |
・やらない人にわからせることはできない
・やらないうちn「わかった」というのは、わかり方が浅い
・「良いということがわかったらやる」という人は一生できない
一 惻隠の情(思いやる心)
二 羞悪(恥を知る心)
三 辞譲(譲る気持ち)
四 是非(善悪の判断)
一と三は人の喜ぶことをするにつながる。 相手の心を思いやって、自分が先に立つのではなく、相手に譲る。 そのことが結果として自分の心を穏やかにする。
二は最近の事件を例にとっていくらでも説明ができます。やってしまったことは仕方がありません。しかし、それが社会の大問題問題になったとき、いさぎよく職を辞して反省しなければなりません。ところが世論に反して任期を全うしてしまった。人間の姿はしていても、心が人間ではない。
2015年06月04日(木) |
言志語録 六十四条 佐藤一斎 |
晦(かい)に拠る者は能く顕を見、 顕(けん)に拠る者は晦を見ず。
晦とは月のない三十日(みそか)のこと。暗いところ。 明るいところに居る人は暗いところが見えない。
2015年06月03日(水) |
超非凡=平凡×徹底×継続 鍵山秀三郎 |
超非凡=平凡×徹底×継続
人生を正しく生きるための方程式
2015年05月26日(火) |
毎日 少しずつ できるだけ 私が 鍵山秀三郎 |
毎日 少しずつ できるだけ 私が
-------------------- やらない人の共通点は 「そのうちまとめて」
2015年05月25日(月) |
観念と実際には大きな差がある 鍵山秀三郎 |
知識は大事 決して否定するわけではないが いいことに使わなければ何にもならない
もっている知識をいかに日頃社会のために使うか。 自分の持っているものはフルに使う。
頭の中で考えるだけならジェット機の操縦もできる。 実際、できるのか。観念と実際には大きな差がある。 観念の世界で生きているとなんでもできる気がする。 実際には雑巾も絞れない。
2015年05月24日(日) |
毫釐の差は千里の謬り |
毫釐の差は千里の謬り (ごうりのさはせんりのあやまり)
少しの違いがついには大きな違いを生じるということ。 わずかな違いが大きな誤りをもたらすこと。
--------------------------------------- 髪の毛一本の差が、やがて千里の差になる。 わたしはそれまで見える気がする
鍵山秀三郎
--------------------------------------- 普勧坐禅儀 道元禅師 然しかれども毫釐ごうりも差あれば、天地懸はるかに隔へだたり、 違順纔いじゅんわずかに起れば、紛然ふんねんとして心しんを失す。
しかしながら、分別の心が起きて本来の仏心からわずかの差を生じると、 天地の開きほどに大きく本来の仏心から遠ざかります。 また好きだとか嫌いだとか分け隔てる心が少しでも起こると、 迷いに迷って本来の仏心を失ってしまいます。 ---------------------------------------
2015年05月13日(水) |
ぶつくさ言う前に 齋藤孝 |
ぶつくさ言う前に、 量をこなせ。
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