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2018年01月19日(金) ■ |
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愚かさに、ハッと気付いてあげましょう。 |
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書籍「しない生活」(煩悩を静める108のお稽古・ 小池龍之介著・玄冬舎刊・241頁)から。 最近、心がざわついていたからか、背表紙のタイトルを目にして、 何気なく手に取り読み始めたら、夢中になってしまった。(汗) 特に、仕事柄「クレーマー」と称される方々とも、 接しなくてはならず、その対応に声を荒げることも、しばしば。 相手を興奮させることに長けている、クレーマーの誘いに乗らず、 こう考えたらいかが?というアドバイスともとれる。 「相手を屈服させて自分の価値を実感するという愚かしさ」 学校や企業へのクレームは、される側は失うものが多いため、 ほんのちょっとした過ちでも『すみません、不手際でした』と 屈服せざるを得ないですからね。 必ず勝てるのがきまった、つまらない戦いなのです。 そんなひきょうな戦いを挑みたくなるほど心が惨めになる前に、 自分の価値をつりあげたくてしょうがない愚かさに、 ハッと気付いてあげましょう」という表現を見つけて、 なるほどなぁ、とメモをした。 クレーマーと同じ土俵で戦うのではなく、こちらが逆らわない、 という前提でクレームをつけてくる相手に対して、 その愚かさに気付いてあげるやさしさで接したいものである。
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2018年01月18日(木) ■ |
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やりたいことをやりたいやつが提案し、言い出しっぺが実行する |
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書籍「稼ぐまちが地方を変える。誰も言わなかった10の鉄則」 (木下斉著・NHK出版新書・201頁)から。 縮小時代にまちづくりを推進する私たちにとって、 「バイブル」と言っても過言ではない内容に、メモは増えた。 まずは著者が「今でも私の基本となっている考え方です」と、 1番最初に紹介しているフレーズが、 「小さく始めて大きく育てる」であった。 著者が、学生の頃から、試行錯誤して得られた、 まちづくりのノウハウは、示唆に富んだ指摘が多い。 イベントにしても、組織にしても、行政の補助金を当てにして 大々的に打ち上げ花火をあげて失敗してきた例を、 何ども目にしているからだろうか、最初から同感であった。 つまり「やりたいことをやりたいやつが提案し、 言い出しっぺが実行する」程度の規模感で始める。 そうすれば、仮にうまく機能しなかったり、失敗しても、 やりたいと思った、言い出しっぺが責任をとれる範囲だろうし、 損害も最小限に留められる。 逆にうまくいったら、少しずつ拡大していく楽しさがある。 右肩上がりの時代と同じ感覚で、風呂敷を拡げ過ぎ、 にっちもさっちもいかなくなることは避けたい。 それは消極的考え方ではなく、時代の潮流を読んだ考え方として、 私も「基本のき」として、心に留めておきたいと思う。
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2018年01月17日(水) ■ |
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それって、チロリン村に失礼だよ |
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夕食に鍋を囲みながら、私の仕事の話をしている時だったかな。 「どうして、こんなことが出来ないの?」とか、 「えっ、それって他のまちではやってるよ」とか言われ、 ムッとしながらも、うまく言い返せなくて、ついつい 「どうせ、チロリン村だから」と口にしたら、またまた突っ込まれた。 「それって、チロリン村に失礼だよ」 そう言えば、私たち地方の行政職員って、仕事がうまく進まなかったり、 問題解決に広い視点で考えられなかった時など、自分のまちを卑下して 「どうせ、チロリン村だから」と言うことがある。 (この例えも、私だけだったら、すみません(汗)) よく考えると、その「チロリン村」について、私たちは何も知らない。 調べてみると「チロリン村」は、1956年から1964年まで、 NHKで放送されていた「チロリン村とくるみの木」の人形劇だった。 お馴染みの「ひよっこりひょうたん島」や「プリンプリン物語」の原型、 そう評価してもいいほどの名作は、黒柳徹子さんら多くのキャストで構成され、 どうして「チロリン村」という単語だけが一人歩きしているのか、 正直、私にも分からない。 「ピーナッツのピー子」「タマネギのトン平」「クルミのクル子」などの 果物や野菜を擬人化したキャラクターと「もぐらのモグモグ」 「ねずみのタコチュー」などの小動物が暮らしているチロリン村、 そこで起こる珍騒動の数々が「チロリン村」のイメージを膨らませて 大きな都市では起こりえない騒動が起きることの例えとして 「チロリン村」と呼んでいるのかもしれない。 そう考えたら確かに「チロリン村に失礼」だよなぁ。
P.S. まさか・・サイコロ賭博の「チンチロリン」から派生して 「チロリン村」じゃないよね。(汗)
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2018年01月16日(火) ■ |
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「日本に住んでいる外国人50人」と「外国に住んでいる外国人50人」 |
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昨日紹介した「外国人の外国人による外国人のためのイベント」、 あれからず〜っと考えているが、分からないことだらけ。 特に「99.9パーセント外国人の中で、たった一人で座っていても、 ドキドキするような、不安を一切感じなかった」こと。 これが「異国の地でのイベントで、たった一人だったら、 不安を通り越して、落ち着いて座って居られなかった」に違いない。 このあたりに、国際交流の楽しみ方のヒントが隠されている、 そんな気になって仕方がなかった。 それが「ホーム」と「アウェイ」の違いなのか、 一度も「日本語」を耳にしなかったにもかかわらず、 自分でも信じられないくらい、異文化を楽しむことが出来た。 正直、今でもなにが違うのか、はっきりした答えは見つからないけれど、 「日本に住んでいる外国人50人」と「外国に住んでいる外国人50人」、 そんな彼らが醸しだす、独特の雰囲気みたいなものなのかも知れない。 日本に住んでいる外国人50人に囲まれても、不安はないけれど、 異国の地に住んでいる外国人50人に囲まれたら、 きっと、不安だらけで落ち着かないんだろうなぁ。
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2018年01月15日(月) ■ |
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外国人の外国人による外国人のためのイベント |
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昨年予定していた、国際交流イベントが、 台風の接近で中止になったのは、たしか衆議院選挙の日。 それでも、どうしてもやりたいと言いだしたのは、外国人の人達。 今までは、日本人の私たち(行政と国際交流協会)が企画運営し、 在住の外国人の人たちに参加してもらう形の「国際交流フェスタ」、 それをまるっきり視点を変えて、企画運営も近隣市町の在住外国人、 ターゲットも近隣市町の在住外国人で、文字どおりの 「外国人の外国人による外国人のためのイベント」を開催したら、 私の予想よりはるかに多くの外国人が集まり、まさに異国ムード。 それも、私の耳に入って来る言葉は「英語」ではなく、 「スペイン語」だったり「タガルグ語」が溢れかえった。 屋外では「多国籍の料理ブース」が所狭しと並び、 屋内のステージでは、これまた「多国籍のミュージック」が流れ、 さらに「多国籍のダンス」が披露された。 私以外、すべてが外国人の時間帯もあったけれど、 時には、輪になって一緒に踊り、楽しい時間を過ごすことが出来た。 何にも分からない言葉だと、理解しようとか、聴き取ろうなんて、 そんな気も起きず、ただただ、その場の雰囲気を味わったにすぎない。 だけど、今までとは違う何かを感じて、帰路についた。 その理由は分からないけれど、とにかく楽しかったなぁ。
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2018年01月14日(日) ■ |
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なんとかやっていける時です |
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やっと初詣に三島大社に足を運び「後厄」の厄除祈願をした後、 いつものように、一年を占う、年頭のお御籤は「吉」。 そこに書かれていたことで、思わず吹き出してしまった。 「総評」では「難しい問題や困難に立ち向かう時は、 心理的に不安な状態が続くものだが」と始まり、 とりあえず「目的は達成される」と書いてある。 また「仕事・交渉・取引」の運勢は、 「心配するような事があるかも知れないが」と前置きして、 「なんとかやっていける時です。何事にも積極的な姿勢が必要」 その「なんとかやっていける時です」という神のお告げに、 ダメならダメ、イイならイイ、とはっきりして欲しかったのに、 「なんとか」という曖昧な言葉をどう解釈したらいいのか、 定年までの一年、かえって不安になった、と記しておこう。(汗) 笑えたのは「愛情・縁談・恋愛」の運勢は、 「道ならぬ恋に発展する場合もありそう。 話は内密に進める方が有利。派手な行動はつつしめ」かな。 妻の目を盗んで、そんなことをメモする59歳ってどうなんだ。(笑) さて、今年もいろいろありそうだけど、 なんとかやっていけそうだ、神が教えてくれたから信じようっと。
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2018年01月13日(土) ■ |
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インフルエンザ感染の「自分事化」 |
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今年は、インフルエンザが大流行しているらしい。 特に、私の住む静岡県は、感染が急激に広がったようだ。 全国では「A型」のインフルエンザが流行しているが、 なぜか県内では「B型」の患者が過半数を占めていて、 複数のウイルスが感染を拡大させている理由らしい。 感染を広げない対応は、徹底した「危機管理」しかない。 実は、私のまわりでも身近な人が感染したけれど、 自分は熱も出ていないし咳もない、ネットで調べたら、 潜伏期間は短いというし、(たぶん)大丈夫だろう、という、 その「たぶん」が一番危ない、ことも実は知っている。 知っていて対応しなかったら、それは知らなかった、と同じ。 実は、今年も2018年が始まり10日ほど過ぎたので、 新年会を始め、多くの楽しそうな宴席のお誘いを受けている。 以前の私なら「たぶん大丈夫」とばかり参加していたが、 私の身勝手な(美味しいお酒が呑みたいという)判断で、 多くの他人に、それも料理人などに感染させたら、 それこそ取り返しがつかなくことも、頭に浮かんだ。 まさしく年頭に決意した「自分事化」として、 泣く泣く(汗)、キャンセルの電話を入れることに・・。 受験生を抱える家庭も同じかもしれない。 わが子(孫)のため、ほんの少しの我慢が出来るか出来ないか、 これが試されている、インフルエンザに対する危機管理である。 「インフルエンザ感染の『自分事化』」として、 記録に残しておこうっと。
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2018年01月12日(金) ■ |
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世界が知らない日本の地方が旅の目的地になる |
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数年前から、機会ある毎に撮影している「柿田川」の四季。 自分自身が「柿田川」の魅力に惹かれ、 その一部を一人でも多くの人に知ってもらいたくて始めた、 Facebookでの写真・映像投稿であるが、 最近、素材提供の依頼を受けることが増えてきた。 その中でも一番嬉しかったのは、 Facebookページ(約139万いいね!)を誇る 「ZEKKEI Japan」からのメッセージだった。 その組織のキャッチフレーズというか、テーマというか、 私の伝えたいこととピッタリだったので、紹介したい。 「世界が知らない日本の地方が旅の目的地になる」 写真家でもなく、ましてやスマホや格安の防水カメラで撮影した 素人の私の写真・動画を見て「ここに行ってみたい」と 思ったいただけたら、これ以上の幸せはない。 基本的には同じ場所から撮影する「人間定点カメラ」であったり、 今しか撮れない風景を撮影する「人間ライブカメラ」として、 これからも続けていきたい、と思う。 こういった有名サイトで紹介されるという、ご褒美。 私にとっては、還暦を迎える新年の「お年玉」だよなぁ。(嬉)
P.S. ▼1/7投稿 https://www.facebook.com/zekkeijapan.jp/posts/1114568935344906
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2018年01月11日(木) ■ |
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この町に来たんなら、遺跡は見ていった方がいいぜ |
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映画「劇場版ポケットモンスター アルセウス 超克(ちょうこく)の時空へ」(湯山邦彦監督)から。 主人公のサトシは、相棒のピカチュウらとともに、 大昔の神殿の遺跡が残る美しい町・ミチーナにたどり着く、という設定。 着いた途端、その町の住人「カンタ」が、声を掛けた。 「この町に来たんなら、遺跡は見ていった方がいいぜ」 「眺めも最高だぜ」「ん〜いいエネルギーが流れてる感じがする」 「たしかに・・気持ちいい」・・・ ストーリーとは関係ないけれど、この会話がとても気になった。 全国で「ふるさと創生、地域創生、まちづくり」の掛け声とともに、 我が町自慢が、これでもか、と繰り広げてられているが、 住んでいる子供たちが、見知らぬ来訪者に対して、 「せっかく、遠方からこの町に来たのなら、 ○○は見ていった方がいいですよ」と自慢できること。 これこそが、まちづくりの基本中の基本。 それさえ見つかれば、あとはそれに磨きを掛けるだけ。 磨き方を知らないってのも、あるけれど・・。(汗) ポケモンも、けっこう勉強になるなぁ。
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2018年01月10日(水) ■ |
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主人? そんなんじゃないよ。俺とピカチュウは友達さ |
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映画「劇場版 ポケットモンスター ミュウと波導の勇者 ルカリオ」 (湯山邦彦監督)から。 時代設定は「はるか昔・・まだモンスターボールがなかった時代」、 ポケモンは、その主人に仕えていた。(ようだ) ピカチュウが行方不明になり、必死に探しまわっている、 主人公、サトシに、何百年もの間、主人アーロンに封印された、 と思いこんでいるアーロンの従者・ルカリオが、こんなことを訊ねる。 「おまえは、そのピカチュウの主人なのか?」 それに対して、サトシがサラッと答えて、会話が続く。 「主人? そんなんじゃないよ。俺とピカチュウは友達さ」 「友達?」「 友達がいなくなったら探しに行くだろ、お前だって」 この関係は「ポケモンGO」で遊んでいる私にも理解出来る。 まぁ「友達」というより「相棒」なのである。 「相棒」とは「2人組で何かをする時の相手のこと」 そこには「主従関係」は全くなく「対等」。 だから「友達」と表現したのかも知れない。 「ピカチュウ、10万ボルト」と攻撃を指示しているようだが、 実は、お互いの役割を果たしているに過ぎない。 サトシと私の違うところは「相棒」のポケモンが、 コロコロ変わるところかな。(笑)
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