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しもさんの「気になる一言」
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2017年11月02日(木)
図書館に、指定席のある閲覧室をつくる

書籍「読書からはじまる」(長田弘著・NHK出版刊・201頁)から。
「友人としての本」次は「読書のための椅子」だった。
「本を読むときに、自分で自分にいちばん最初にたずねることは、
その本をいつ、どこで読むか、本を読む場所と時間です。
それが、その本をどんな椅子で読むかということです」
こんな視点で、公立図書館にある提案をしている部分を見つけた。
「たとえば大きな図書館に、指定席のある閲覧室をつくる。
そして、その閲覧室の椅子を座席指定にして、
一年なら一年契約できるようなチケットをつくる。
利用したければ、閲覧室にその椅子の権利を買い求める。
そういう方法がもっと考えられるべきです」と。
さらに「大阪府立図書館」の取り組みを紹介している。
「いい椅子を一つ、自分の日常に置くことができれば、
何かが違ってきます。その何かが、じつは、
読書というものが、わたしたちにくれるものなのです」
この視点で図書館ができたら、私は間違いなく、
その自分専用の座席を確保するに違いない。
老化で小さい字が読めなくなってきたからこそ、
「その本をいつ、どこで読むか」は大切なことだと思うから。



2017年11月01日(水)
友人とは「ずっと続く関係」

書籍「読書からはじまる」(長田弘著・NHK出版刊・201頁)から。
「本」というものを、丁寧に説明していることに驚くとともに、
今更ながら気付いた、人間にとって欠かせない「本」という存在を
とてもわかりやすく表現されていて、メモが溢れた。
特に「友人としての本」という項目で紹介されている
「友人」という定義が、今回の「気になる一言」。
「友人というのは、その場かぎりではありません。
『ずっとつづく』関係です。親しい、よく知っているという以上に、
友人というあり方をなすのは『ずっとつづく』ということ。
『ずっとつづく』というのは、日常的にずっと連続するだけでなく、
日常的にたとえ連続していなくとも、続いているという感覚が
ずっと続いている、ということです」
年に一度しか会わなくても、いや数年に一度しか会わなくても、
会えば、その感覚が戻ってくる、そんな関係とも言える。
本も同じだ。本棚に並んでいる、何年も読み返していない本も、
一度手に取ると、初めて読んだ時の感覚が戻ってくる気がする。
だから「友人としての本」という例えがピッタリだった。
これからも「本」との関係は「ずっと続く」から、
友人のように大切にしたいな、と思っている。



2017年10月31日(火)
バーチャルな飲み会

実は、月に一度、決まった曜日、決まった時間に飲み会を開催している。
場所は、それぞれの「PC・スマホ・タブレット」の前。
時間も1時間限定。あとは自分の飲みたいアルコールとおつまみ持参だけ。
形式はチャットだが、リアルの飲み会と変わらない雰囲気がある。
「ここで始めますよ」と誰かが声を掛ければ、三々五々集まりはじめ、
お互いの近況報告から始まり、悩み事の相談だったり・・。
誰かの話題に、突っ込んだり、アドバイスしたり、話題は尽きない。
時々「今、何を飲んでます?」「もちろんビール」という人もいれば
「寒いから、お酒に切り替えました」という人もあり。
「ごめん・・ちょっとトイレ」と、PCの前から離れる人も。(笑)
この楽しい時間を、周りの人に説明するとしたら、どう紹介するのか、
気になっていたら、こう答えてくれた人がいた。
「職場の人にはバーチャルな飲み会と言って、なにそれ?と笑われました」
でも、この表現がピッタリで、思わずメモをした。
各々の文字入力が予想以上に速くなったからか、本当にリアル感がある。
しばらく入力が途切れると「しもさん、起きてますか?」と心配され(笑)、
「ごめん、明日早いので、お先にあがります」と書き込めば、
参加者から「おやすみなさい、また来月にね」の書き込みが続く。
割り勘の必要もないし、帰りのタクシーの手配もいらない。
そのまま、布団の中へ直行することさえできる「バーチャルな飲み会」、
飲みすぎると、気持ち悪くなるのは、リアルな飲み会と同じ。
興味がある方は、是非一度試してみてください、けっこう酔えますから。



2017年10月30日(月)
車は要らない、尊敬だけで十分だ

映画「ワイルド・スピード ICE BREAK」
(F・ゲイリー・グレイ監督)から。
この作品が「大ヒット人気カーアクション」というだけで、
今回が「シリーズ8作目」だとは知らなかった。
時々、以前の作品を知らないとわかりにくい場面もあったが、
基本的には、一作完結型で、楽しむことができた。
冒頭、派手なカーアクションで市街地のレースシーンがあり、
「車の速い遅いは、誰が運転するかで決まる」の言葉に触発され、
「負けたら、車をやる」と言いだし、結果、負けてしまう。
そのレーズ後「約束は約束、車をやる。尊敬に値する男だ」と
車のキーを差し出すのもカッコよかったが、
「車は要らない、尊敬だけで十分だ」と言い返し、
車のキーを返すシーンに、グッときてしまった。
派手なカーアクションが見せ場の導入部であるが、
「プライド・矜持」に表現されるものは、モノ・お金ではない。
「尊敬される」という、最高のご褒美が主人公に、こう言わせた。
人間にとって「尊敬される人物」になることは、誰でも嬉しい。
「尊敬されている」から、裏切りと思える行為をしても、
仲間(チーム)は、信じつづけ、見捨てないでついてくる。
ラストシーン「俺を見捨てないでくれて感謝する」の台詞が
とても輝いていたなぁ。



2017年10月29日(日)
観光地は予約ができても、天気は予約できませんから

これだけ秋雨・台風が続くと、イベントの順延、中止が相次ぎ、
観光地にとっても、大打撃となっているに違いない。
(もちろん、農家がいちばん困っているだろうけれど・・)
しかし、お天気だけは誰にも不満をぶつけるところがなく、
天気だけは仕方ないね、と割り切るしかないのだが、
それでも・・せっかく何ヶ月も前から予約したのに、と
口にしたくなる気持ちもわからなくはない。
だからこそ、観光バスのガイドさんがマイク片手に呟いた、
このフレーズが蘇ってきた。
「観光地は予約ができても、天気は予約できませんから」。
特に、週間天気予報で「晴れ」のはずだったのに、
雨雲の動きやその他の条件で変わった、直前の「雨」予報は、
屋外のイベント主催者の心を強く悩ませるとともに、
その「可否」の判断をする立場の人間には、
予想以上のプレッシャーと責任がのしかかってくる。
天気も予約ができればなぁ、とボヤきたくなるのもわかる。
苦渋の決断をした主催者のプレッシャーと心の動揺、
そして、雨中で濡れながら撤収作業するスタッフの無念さにも、
心を留めて欲しい。
いつか、自分がその立場になることもあるのだから。



2017年10月28日(土)
イワシが沢山いるから、鮎が減っている

秋本番を迎え、もうしばらくすると、
アユが産卵のために、柿田川に遡上してくる。
それを楽しみに「今年はどうですかね」と訊ねたら、
「イワシが沢山いるから、鮎が減っている」と言われた。
その意味を理解するのに、ちょっと時間がかかったが、
要は、こういうことではないか、と理解した。
駿河湾は、良質なシラスが多く、量も豊富。
一説には「駿河湾6000トン、愛知、神奈川600トン」と言われ、
その豊富なシラスを狙って、イワシが集まってくる。
その時、シラスと一緒に飲み込んでしまうのが、アユの稚魚。
だから、イワシに飲み込まれる量が多ければ多いほど、
今年、柿田川に遡上してくるアユは少ない、という理屈だ。
また、上ってきたアユをめがけて、サギややカワウなどが、
入れ喰い、食べ放題の状態で待ち受けている自然環境を、
アユが察知すれば、子孫繁栄を前提に、危険回避策として、
上ってこないことも予想される。
いろいろな条件が重なって、柿田川の最上流部が、
アユのオスが真っ黒に埋め尽くされる遡上から始まり、
運が良ければ、柿田川公園(舟付き場)で目にすることができる、
アユの産卵シーンまで、これから楽しみが増えてくる。
まずは、公園エントランス付近の樹木の紅葉からだな。
(公園駐車場、シンボルツリーとなっているイチョウも・・)
毎日、職場への通勤路として公園内を歩いている私のお知らせ、
どこよりも早く、柿田川ファンにお伝えできれば、と思っている。
お楽しみに。



2017年10月27日(金)
何一つ不自由のない、ここの暮らし。吐き気がする。

映画「LION ライオン 25年目のただいま」(ガース・デイビス監督)から。
予告編が語りすぎていて、なんとなくストーリーが想像できてしまう、
それってどうなんだろう?と思いながらも、逆に安心して鑑賞できた。
優しい養父・養母に育てられ、素敵な彼女もいながらも、
小さい頃育ったのインドでの記憶がフラッシュバックして、
主人公の口からこんな台詞が飛び出した。
「何一つ不自由のない、ここの暮らし。吐き気がする」
今の私たちの生活は、インドのスラム街での生活に比べたら、
比較できないほど豊かであることは認めるが、
「吐き気がする」ほどのことではないだろう、とメモをした。
貧しい生活をしている人たちは、不自由ない生活に憧れ、
何一つ不自由のない暮らしをしている人たちは、
もっと貧しい人たちのことを知るべきだ、ということなのだろうか。
Google Earthで故郷を探し出せたことは、豊かな生活の成果、
そんなことを感じながらも、最後の再開シーンは涙腺が緩んだ。
実話に基づく作品とはいえ、エンドロールでの「実写」挿入は、
一気に、ドキュメンタリー映画にしてしまうので参ったな。
放題タイトルも原題どおり「Lion ライオン」でいいのに
「25年目のただいま」が加わることで、面白みを失ったなぁ。
映画「3月のライオン」(大友啓史監督)と公開時期が重なったことは
ちょっとハンデだったけれど・・。



2017年10月26日(木)
どうして自治体同士が競ってるんだろう?

久しぶりに、最近、特に感じることを残しておこうと思った。
それが「どうして自治体同士が競ってるんだろう?」
私が奉職した頃(昭和56年)を思い出しながら振り返ると、
今のように、著しく他の自治体と比較したり、
競ったりするようなことはなかった気がする。
それは、行政職員だけでなく、そこに住む住民もしかり。
しかし、昨今の自治体間競争は、ふるさと納税だけでなく、
産業・観光を始め、イベント、子育て、移住定住促進政策など、
あらゆる分野で、競っている気がする。
それが住民の活動にも反映され、Twitter、Facebookなど、
自分の住むまちが一番好き、という投稿が繰り返されている。
そんな投稿を目にするたびに、個人的な人間関係と同じように、
ギスギスしたものを感じるのは私だけだろうか。
利益を追求せず、公平・公正を基本としていたはずの自治体が、
マスコミに取り上げられることを目標にしてしまったようだ。
同じ地域で行政運営を進め、歩調を合わせてきたはずなのに、
どうしてこんな関係になってしまったのだろう。
国全体、地球全体から考えれば、本当にちっぽけな地域だし、
もっともっと、助け合いながら・・とはいかないものなのかな。



2017年10月25日(水)
「口を大きく」ではなく「口の中を大きく」

中学校の同級生だけで結成した混声合唱団「風の会」を、
同じ同級生というよしみで指導してくれている彼女が、
素人の私たちにアドバイスした台詞。
「口の中を大きく開ける感じで」
今までも「口を大きく開けて」とアドバイスされたと思い、
小さな口を、大きく開ける事に意識を注いできたけれど、
どうやら違っていたようだ。(今頃?と言わないで。(汗))
彼女が求めているのは、大きな声を出すのではなく、
口の中で音を反響させるというか、そんな感じらしい。
その発声の仕方が、音を響かせるコツのようだ。
実際にやってみると、口の中を大きく開けることで、
自然と口も大きく開けることになってしまう。
えっ、合唱の声の出し方って、こんなことだったの?と
思うくらいの気付きだった。
「息の流れに音が入っていく感じで」というアドバイスも、
そのうち、こういうことだったのか・・と気付く時がくる。
そう信じて、これからも続けていきたいと思う。



2017年10月24日(火)
その前に輝いて、その光は今も宇宙を旅してる

映画「インポッシブル」(J・A・バヨナ監督)から。
「impossible」の意味は「不可能な・無理な」
「とてもありえない・信じがたい」など。
2004年のスマトラ島沖地震で発生した津波にのまれ、
離れ離れになりながらも、最後には再会した家族の実話、
その事実が「信じがたい」のだろうか。
東日本大震災のあとに公開されたからか、津波の再現映像は、
見るに堪えなかった。(「映画」とは割り切れないものがある)
私たちは、津波が人々に襲いかかるシーンを見ることもなく、
ヘリコプターなど上空から撮影された映像をテレビで見て、
「すごい、すごい」と驚きの声を挙げていたにすぎなかったな、と
妙に、自己嫌悪に陥ってしまった。
もし「気になる一言」を選ぶとしたら、
家族が災害によって死んだことを子どもに納得させるシーンで
夜空に浮かぶ星を眺めながら話した会話。
「この中にはね、ずっと前に燃え尽きてる星も・・知ってた?」
「死んだってこと?」「そうよ」
「でも、その前に輝いて、その光は今も宇宙を旅してる。
だから、見てるの」「死んだか、生きてるか、見分けられる?」
「それは無理ね。素敵な謎じゃない?」「うん・・」
こんな会話のできる人って、なかなかいないよなぁ、とメモをした。
既に燃え尽きているのに、まだ私たちの目には光が届いている。
それが、偉人たちの伝記かもしれないなぁ。

P.S.
それでも敢えて言うなら、津波で家族を失った人は観ない方がいい。
「impossible」には、耐えられない、我慢できない、どうしようもない、
手に負えない、などの意味もあるのだから。