道院長の書きたい放題

2005年06月24日(金) ◆(6)エピソード集・共に成長を歩む

【エピソード・12】合宿最終日は月曜日である。この日は休日で、コーネル合宿は土、日、月の連休を利用して行われている。しかし遠方の拳士達は、最後の午前中の練習を行わないで帰る。

シカゴ支部、カナダ拳士の面々は車で10時間以上のドライブであり、次の日、仕事を控えておれば当然であろう。参加拳士はおおよそ40名程であったが、少し寂しくなる。が、練習の熱気は収まらない。私も、課題はナンボでもある。

たまたまこのコーネルエピソード集を書いている最中、96年/平成八年のビデオが出てきた。87年から数えて九年ぶりの参加であり、しかも単独指導。見ると、大橋先生と私がコンビを組んで講習している。二人の息はピッタリである。宮田先生の姿も映っている。

この頃は日本における私達の中野先生の研修会も行われており、本HPに掲載している「私の主張/演武の手引き」を持参しているので(大橋先生が英訳)、私の考えの骨格は出来上がっているようである。「クランク」という、後年“卍の術理”に至る指導用語もすでに使っている。

私が何を言いたいかというと、私の拳法人生にコーネル合宿は多大な影響を与えた、と言いたいのである。しかも彼等は、私達の指導の足跡を記録しておいてくれている。本当に嬉しい、また自分にとって貴重な資料である。

竹の節の如く、私はコーネル合宿と共に成長して来たのだ。良き友人、法縁に感謝せずには居られない。今後もこの素晴らしい合宿が良き形で存続することを願って止まない。

今回、記念品と共に彼等が私に送ってくれた言葉を紹介しておく。

「To Atsumi Sensei 永遠の友情と信頼のきずなに感謝の意を込めて From コーネル合宿参加者一同」

【エピソード・13】――そんなこんなで合宿も無事終了し、帰途についた。宮田先生は一足早くキャンプバートンを出発したが、結局その差は交通渋滞により、かなり詰まったようである。

帰る時、ほとんどの拳士達は抱き合って別れる。日本人からすると男同士の“ハグ”は多少違和感があるが、広いアメリカに居ると別れは本当に別れ?のようで、そんな感じがしない。

【エピソード・14】私達は再びZimさんの車に乗り込む。運転手の隣の席はご主人のMさんを除き、私の定席である。

この頃のD君はもう英語に慣れたようで、車中は楽しいおしゃべりとなった。しかしやはり、経験の差による一コマがあった。

パーフェクトベジタリアンの彼女に対し「きっと牛の様な腸内細菌があって、野菜をタンパク質に変えているのかも知れないな。これトランスレイトして!」。後部座を振り返りながら頼むと、「エー!腸内細菌ですかー」と情けない返事が返ってくる。Zimさんは「What?」と興味を示している。

「なんだョ〜、細菌ってなんてんだ?」と教えてもらった“ウイルス”という単語を使ってブロークンで話すと、「Oh,Yes!ナントカカントカ」とZimさんが答えてくれた。「あっ、通じた」D君は驚いていたが、今調べれば、細菌はバクテリアではないかな…。

楽しい5時間のドライブであった。

最後に、私とZimさんとD君と岡先生の書き込みを紹介してコーネル合宿エピソード集を終わりにする。

そうそうひとつだけ、今回は入国出国時に指紋を取られた。テロに対して厳戒体制のアメリカであった(出国の際、上着と靴を脱がされたのは初めての経験でした…)。

人相が悪いはずは無いんだがなー。


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コーネルキャンプ  投稿者: 岡♂  投稿日: 5月31日(火)07時12分55秒

合掌

カナダ・ノースヨーク支部の岡と申します。

先日のコーネルキャンプでは渥美先生にご親切にご指導頂き、ありがとうございました。北米の東部では指導者の数が少なく、高段者の先生にご指導頂ける回数も限られており、今回は素晴らしい機会となりました。

卍の術理、守主攻従、そして技術と、短い時間に多くを学ばせて頂きました。今後もご指導頂ける機会もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します。

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Returning soon  投稿者: Atsumi and Doba  投稿日: 5月31日(火)13時49分48秒

Hello everyone! Today camp closed it's last session. We returned to New York City where we got to see the Statue of Liberty, Ground Zero and Time's Square. For dinner we went to a very nice french restaurant in Manhattan. Both of us had very nice Steaks while Zim had vegetarian food! We were able to meet Morgan Pulsifer Sensei, who is a new Sensei in New York City.

After dinner we went to a very nice and famous coffee shop called Lalo's. Atsumi was too full to try any nice desserts but Doba had no problems eating more CAKE! Then we went for a nice walk to see the way New Yorkers spend their evenings.

We are in Zim's home now and will be going to bed soon. Tomorrow we will begin our trip home. Look forward to seeing all of you in class soon!

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只今帰着!  投稿者: あつみ♂  投稿日: 6月 2日(木)14時06分55秒

◇昨日の夕方にコーネル合宿から無事帰りました。行く度に、拳士の心が一つになる素晴らしい合宿に感動します。

詳しいレポートは後程落ち着いてから書きたいと思います。…まだ時差ボケしてるので無理なのです。

今日はこの少し前に仕事場に来ました。年々、時差がきつくなって来るようです。ちょうど慣れる頃に帰ってくるからで、もう少し居たら違ってくるでしょうに、しかし仕事がありますからね…。

いつも皆さんに親切にして頂き、感激です。特にZさんには本当に親身にお世話をして頂き、返す言葉もありません。ありがとうございました。

今晩は練習があります。2回の一般部の練習、無事にできたかかな…。まあ大丈夫でしょう…。こちらもお世話になりました。

◆岡先生、合宿ではお会いできて=参加して頂いて、本当に嬉しかったです。皆さん熱心ですね。

今回はコーネル合宿が始まって以来最大の支部長が参加したそうで、今後も皆さん力を合わせ益々充実した独自の合宿に作り上げていって下さい。

岡先生のような若い力に期待しています。

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コーネル合宿  投稿者: DOBA  投稿日: 6月 3日(金)08時04分19秒

 横浜市大主将の道端です。私も渥美先生と共に無事帰国しました。他の拳士の皆さんとうまくコミュニケーションが取れるかが心配でしたが、皆さん親切でとても有意義な時間を過ごすことができました。
 
 合宿には、アメリカ・カナダ各地から約40人の拳士が参加しました。中には、18時間かけて車でいらした方もいて、合宿にかける強い意気込みを感じました。渥美先生の指導法は、海外の拳士の方にはとてもユニークなものであるようでした。原理から複数の技を練習していく統合的な練習法が新鮮に感じられていたようです。渥美先生に教えていただくことは貴重なことであると改めて実感しました。

 練習以外にもいろいろと勉強になりました。特に、他の拳士の皆さんの自分の意見を持ち、活発に議論しようとする姿勢には感心しました。自分もしっかりとした意見を持ち、それを明確に伝えられる拳士になりたいと思いました。

 たくさんの方々に助けていただき、本当に感謝しています。特に、細かい身の回りの御世話までしてくださったZimさんには感謝しきりです。

Thank you for your kindness! Let's practice together,again!

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2005年06月23日(木) ◆(5)エピソード集・コーネルの方向性

■【エピソード・10】とにかくコーネル合宿は真面目である。夕食後など何もすることがないので、ひたすら話し込む。暖炉に火をともし、車座になって色々な問題、話題を語り明かす。

初日は付き合っていたら、12時を過ぎてしまった。さすがに二日目は、横になって聞いているうち(英語を子守唄に)早々に寝入ってしまった。

今回、参加支部長達はコーネル合宿の将来について、真剣な討論を行っていた。その関心事は公式か非公式か、という方向性の問題である。(注:海外拳士は本部が認定した研修会の受講回数が昇段の条件になっている)。

まあ一長一短であろうが、例えば武専などでも、出席のカウントだけを目的に(無気力に)在籍している拳士が居るやに聞く。他方良いものなら、例えば本山の武専講習会など、カウント無しでも盛況の場合がある。

つまり、指導する側と出席する側の意識と意欲の合致がないと、所詮は上手く行かないのだ。コーネル合宿はカウントされないことは最初から分かっており、皆の価値観が「数量」にさえ行かなければ、やる気に関する問題は全く無い。

あとは、望む指導者を自由にリクエストするだけだ。たまたま大橋先生と縁がある作山先生と私がその対象となり、二人の、中野先生の技法を中核とする指導が受け入れられたのだ、と考えている。過去、新井先生(現会長)もコーネル合宿は参加=指導されている…。

今回も、指導技、指導法の限定が無い立場なので、自由な指導を行わせてもらった。まあ本年度審判講習資料などを持参したが、結局は使用しなかった。

【エピソード・11】そんな私であるが、新マークについては(どうにも力が入らなかった)初日の午後を除き、後の練習では全部に付けた。主張するところの「公式の場に準じる」と考えたからである。

アメリカ東部では早い段階から卍は用いられておらず、マークの変更はそれほど抵抗無いようである。全体の8割ほどが新マークを付けていた。

ただし、道着をわざわざ買わないでも、配布されたマークをネクタイ?のように、公式の場に付ければ良い、という考えがあるようだ。出席者ではないが、無マークの支部もあるようである。

彼等は「先生」の本音を聞きたがっている。

近年はインターネットにより、海外でも様々な発言が飛び交うようで、民主的な組織運営やら決定でないと、公式派遣指導者は発言に窮する場合が出てくるのではなかろうか。

例はあえて挙げない…。

(続く)



2005年06月22日(水) ◆(4)エピソード集・将来に期待する

■【エピソード・8】合宿二日目であったか、練習終了後、ロッジで休息を取っているとアレン先生が入って来た。

するとD君が「What time is it now?」と質問。実際は、

「掘った芋、弄るな/ホッタイモイジルナ」と言ったのである。

「???」

「何だそれ?」

「ジョン万次郎が英語の教習本に、時間を尋ねる時はそう言え、とか書いてあったので試しましたが、通じませんね」…。

言葉も無く呆れていると、傍で聞いていたマイケル先生が大笑いしている。前回も書いたがこの人は日本語が堪能で、読み書きに全く不自由がない。再改訂がなった新副読本の英語訳を担当した由。

「今回は私の名前が“翻訳者”で載っています」と嬉しそうだった。講習や討論のトランスレイトをしてもらうと、まるで速射砲!そんな彼から説明を受けて、アレン先生も大笑い。

しかし恥ずかしいなー。タモリの「Thank you very much!は昔“タンキベリマ!で通じたョ」とネタ的には同じじゃないか…

【エピソード・9】ところで、コーネル合宿指導は今年で九回目である。

その他に、81年に山崎先生、太田先生、私の3人で国際部・本部として初の欧米視察=指導に出張。この時が私にとってはじめてのアメリカであった。さらに87年の宮田先生主宰の中野先生講習会=NYセミナーにも参加しているので、都合十一回目のアメリカ訪問である。

81年は大橋先生と当地で再開。宮田先生と出会ったのもこのデラウエアーの研修会だ。大橋先生はすでにコーネル大学支部を発足しており、四年後の85年、コーネル合宿の指導依頼へとなるのである。もっともその間、先生が仕事で帰国した際は、会って話したり、滞在先のホテルで練習をしたりしていた。

ともかく、85年、作山先生と共に参加して現在に至り、今年で二十年目である。尚、宮田先生主宰、中野先生のNYセミナー誕生も、このコーネル合宿が機縁となり、さらにこれを機縁として、日本における私達の中野先生の講習会(全八回)も始まるのである…。

記録の為に記すと、(81)85,87,(88)96,98,99,00,01,03,05となる。パスポートで確認したので間違い無い。

【エピソード・10】驚いたことに、今回西海岸から参加されたMT.Diablo支部長、波片誠先生から、81年に私と会っている、とご挨拶を頂いた。そんな昔=24年前のご縁が再び花開くとは、人間の出会いは本当に不可思議である…。

あと日本人指導者の参加者はカナダ・ノースヨーク支部の岡亮一先生。支部長ではないが、車で18時間かけてやって来られた鈴木先生(歯科大学で教鞭をとられているそうです)と小林さん。マイケル先生の奥さんで、シカゴ副支部長の朱里/アカリさんも当然参加。

外人支部長を含め、支部長の参加者はこれまでのキャンプ中で最も多いそうで、皆さん大変に熱心。アメリカ東部地区の将来の発展を予感させてくれた。

(続く)



2005年06月11日(土) ◆(3)エピソード集・立派な業績

■【エピソード・6】夕食後、まだ寝るには時間があり、宮田先生とダイニングでお話しした。実は今回の合宿に、先生の主宰するHP「拳法資料館」に載せる、中野益臣先生の写真を持参したのだ。

これは私が写し貯めたもので、今となっては貴重なものだ。本来ならもっと写しておくべきだったが、私だって練習したいので、枚数はそれほどでもない。しかし先生の拳技の特徴を示すものが含まれている。取り合えずHP上に載せ、私がコメントさせて頂くことにした。

写真の掲載は中々難しく、シャッタースピード1/250秒あたりだと瞬きの瞬間を捉えてしまったり、技のベストのタイミングが微妙にずれてしまったりする。宮田先生とそこのところを充分話し合った。白黒の写真には、(若かりし?)作山先生が長髪で中野先生の相手をしているものもあり、中々面白い。乞うご期待!である。

それにしても、知的財産という観点からすれば、宮田先生のHP=仕事は非常にグレイトである。個人でここまで出来るとは驚き!である。少林寺拳法史に燦然と輝く業績であり、今は組織的な観点から評価されないであろうが、この仕事の価値は後世の拳士が決めるであろう…。

どうぞ、暖かく見守って下さい…。

■【エピソード・7】そんなようで、今回の合宿のテーマは中野先生の技法解剖?の試みである。

まあ、先生とは実力が違い過ぎるし、すべて同じようにも出来はしないし、おこがましいし…。しかし先生が何故あの動態の極めを示されたのか、例えば写真掲載されるであろう「寄り抜き単形」やら、「振り子単形」の意味を探求して行くと、部分的ではあるが先生と同じ形が出来るようになる。

「下振り子」「龍体」「開き対の理」「閂の実験法」「卍の術理」などなど、本“書きたい放題”で発表済みのものが殆んどだが、進化形?として「実験法」「修得法」が加わった。私の多少の工夫である。

練習は楽しくやらせてもらった。実際、私もアメリカ人拳士との技の交流が楽しい。彼等は体格が立派で、武道など習わなくても強そうである。そんな彼等が、合宿では少林寺拳法を単なる格闘技と勘違いしていないことに、いつもながら感心する。

このような影響を与えた、ケン・大橋の業績もまた立派である。

(続く)



2005年06月10日(金) ◆(2)エピソード集/オーダーだって経験の差

■【エピソード・3】二年前と同様、Zimさんには、またまた大変お世話になってしまった。

それなのに、ひとつ私が失敗を犯した。距離感やら予約の要領が分からず、到着する空港をニューワークにしてしまったのだ。NYにはJFKとラガーデアの空港があり、そのうちJFKなら彼女の家から15分ほどだったのだが、ニュージャージ州にある同空港は一時間以上かかり、大変な負担を掛けてしまった。

「I hate New Jersey!」を連発するのは、その交通渋滞の酷さを意味していた。「ニュージャージの男に昔失恋でもしたの?」とジョークを飛ばしたら、「ノーオゥー!」と怒ってやんの…。

誰のせいでこんな大変な思いしてんのョ、というところだなー。もし知人に迎えを頼むなら、空港の選定には充分気を付けることを学んだ…。

その晩は手作り料理でおもてなし頂き、感謝!感激!

■【エピソード・4】彼女は私にEnglish to Englishの通訳をしてくれる。往路三人でのドライブ中、農家の直営の販売店に立ち寄った時だ(日本にもありますね…)。

D君が珍しい花の種類の蜂蜜を買おうとしている間、広大な裏庭の小川で釣りをしている人を目ざとく発見。二人で歩み寄り、アメリカ人フィッシャーマンとの会話をトランスレイトしてもらったのだ。

「英語」と言っても千差万別で、彼の言葉は聞き取りにくかった(←そんなレベルでは到底無いが…)。しかしZimさんの言葉に変換されると、不思議と理解できる。彼女も私の短い会話や、時にブロークンでも分かるようで、本当に不思議だなー。

この日、午後5時30分頃に到着。すでに宮田先生も到着しており、ロッジで休息を取っていた。毎回のことだが泊り込みの世銀支部長のアレン先生とニールさん。そしてNY支部の拳士、スティーブさんとヴェニーさんがダイニング兼練習場の清掃を手伝っていた…。

■【エピソード・5】食事の時間を何時にするか尋ねられ、6時半を希望して一端、宿舎で荷物を整理。イサカの街で夕食を取ることになる。出発の際、宮田先生と久方ぶりの再会の握手。直接会うのは本当に何年ぶりだろう…。

お電話やら、掲示板やら、メールやら、心象的に近いのであまり離れていた気がしないが、最後にお会いしたのは、多分96年のキャンプではないだろうか…。

イサカではベジタリアンのZimさんの為に、ベジタリアンご用達のレストランに行く。結構有名らしい。私のオーダーはチーズを何かと包んだものをフライドライスに乗せてあるもので、当り! D君はサーモンの照り焼き風で、外れ! これも経験の差で、サーモンなんぞ頼もうものなら、結果は分かっているだろうに…。

私と宮田先生、アレン先生、ニールさん、Zimさん、D君との六人での夕食は会話が弾み、楽しい一時となった。おまけに、ご馳走になってしまった…。

(続き)


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↓代筆?の私とD君の掲示板の書き込みを入れておきます。


Good morning  投稿者: Doba  投稿日: 5月27日(金)20時31分12秒

I am Douba of Yokohama City University.Yesterday I came to New York with Atsumi sensei,too.This time is the first visit to America for me.The flight from Tokyo to New Ark was very,very long.It's about 12 hours. So I got very tired.But Zim's homemade dishes healed me.She let us stay at her house kindly.I thanks for her taking care of me.Today,we're going to Cornell by car.I'd like to eat delicious foods,too!


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hello  投稿者: Atsumi  投稿日: 5月27日(金)10時23分45秒

Hello everyone

We arrived in New York City! Zim came and met us at the airport - but she was LATE! She made us a nice dinner; it was very good and everything was homemade for instance: homemade pasta, bread, tomato sauce and she made steak, and salad. Soon she will give us dessert! Chocolate ice cream and fresh strawberries.

I'm glad she is writing this letter for me because I can not type as fast as she does!

Atsumi

PS. I will write again tomorrow.



2005年06月09日(木) ◆(1)コーネルキャンプ・エピソード集

五月二十八日(土)から三十日(月)、NY州イサカで行われたコーネル合宿に行って参りました。前々日に入国し、終了翌日に出国という強行スケジュールです。

まっ、仕事やら練習に穴を空ける訳にも行かず、毎度のことです。しかし歳のせいでしょうか、年々時差ボケが辛くなり、帰国して一週間と一日経って、ようやく合宿のことを書く気持ちになりました。以下、エピソード集として軽い乗り?で綴ります。ご容赦下さい。


■【エピソード・1】今回、作山先生は都合が付かず、私一人の指導であったので、とても緊張した。

体調やら、語学の不便さやら、機内の退屈さやら…。まあ、一人旅も単独指導も経験済みだが、幸い市医大の道端君が「僕も行って良いですか?」ということで参加。

少なくとも語学に関しては心強いと思っていた。ところが離陸後ほど無く、機内サービスにお茶が振る舞われた時のことである。ここらあたり、私は語学なんぞ関係なくスチュワーデスの問いに、「Black Please」と余裕綽々。

しかしアメリカは初めてというD君、スチュワーデスとの実践会話にドギマギしたのか「セブン・アップ」と返答、が…通じない。焦って何度も「セブン・アップ」を繰り返すが全くダメ。で、彼のスチュワーデス嬢、私に向かって「彼はなんと言ってますか?」とEnglishで尋ねてきたではないか…。

「Oh, He want to say セヴン・ナップ」。と答えると、スプライトだったがちゃんと出て来て、経験の差による私の勝ち。二人でゲラゲラ笑って、一気に緊張がほぐれた。


■【エピソード・2】時系列に沿わないが、単語=イントネーションの(珍)話題をもうひとつ述べる。

合宿二日目であったか、D君もだいぶ慣れて来て、いよいよ語学=Englishのポテンシャルを発揮し始めた。元々受験勉強して来た人だけあって、語彙のキャパシティは豊富である。

ロッジへの帰り道、ギャリー先生と三人で歩いていると、技とか法形の話題から上のエピソードに移り、大いに笑い、さらに調子が出ているD君が「Do you know HOKKE ?」と尋ねた。

当然意味が分からないギャリー先生に、D君は「HOKKE is fish」なんぞなんぞと説明する。すると「Oh!」とばかりに、今度はギャリー先生の番となった。

まあ、アバウトで、「…以前、私の支部に剣道経験者の日本人拳士がおり、その人は医者でしたが、ある時、剣道の形と少林寺拳法の法形の話になり、色々と討論しました。しかし次の日にあうと、どうも彼の様子が変なのです」と言っているらしい。まだ私とD君はその意味するところが分からない。

しかし、先生が真顔で股間を指した途端、私が「ギャ!ハハ!」と笑った。D君は未だキョトンとしている。真面目なギャリー先生が妙〜なイントネーションで、「ホウケイ・イズ(なんとかかんとか)」でようやく了解。三人で涙が出るほど笑った。

「先生、反応が速い!」とD君は言ったが、馬鹿言うのではない「経験の差(?)」というものだ。

(続く)


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あつみ [MAIL]