道院長の書きたい放題

2002年06月22日(土) ◆清々/「可能性の種子たち」から

 茨城高萩道院長・作山吉永先生が、(財)日本武道館発行の「月刊武道」に、題名「可能性の種子たち」を2001年11月号より2年間に渡り執筆されています。間もなく7月号が発売されると思います。以下にその一部を紹介しますので、皆さん是非、本文も読んで下さい。

 尚、下記の内容は、私の「演武論」にも深く関わって来ると考えます。また、私達の目指す世界を非常に良く表現されています。全てを紹介できず残念です。

■『…中野先生と三崎先生の演武は、一つ一つの動作が一幅の禅画を見るようであった。技そのものの鮮やかさは言うに及ばず、技に入る前と後の、間が本当に見事であった。中野先生が半歩踏み込むと三崎先生は応じて半歩退く。三崎先生が鋭く入ると中野先生は体を開いて卍に構える。一転して激しく打ち、受け、相手の身体を宙に舞わせ、再びぴたりと構える。鋭い眼光のまま、あたかも両者は瞑想をしているかのようであった。二人の間にピンと張った緊張の糸が、一瞬もたわむことなく続いた。…中野、三崎両先生の演武は、これ以後行われていない。しかしこの演武は私の心の奥深いところに技芸の理想像として定着し、少林寺拳法のみならず、他の様々な芸術を見る目の物差しになった。』〜第4回2月号〜

(筆者注:以上は1972年11月、武道館で行われた第一回日本武道祭における両先生の演武に対するものです)。


■『…少林寺拳法の演武の素晴らしさは、実はその組成過程にある。

 少林寺拳法の演武は、自由組演武を主とする。例えれば、演武者は、作曲をして演奏をするシンガー・ソングライターのようなものである。まず、法形や基本技を実際に掛け合いながら組み合わせ、一つ一つのパートを作っていく。そして大体、五つないし七つほどのパートで全体を構成する。全体の流れにも注意を払い、単調にならずに、そうかと言って大向こう受けを狙うような、芝居じみたものにもしない。理想的には陰陽、剛柔相まって、それぞれの要素が互いに高め合うような構成でありたい。この過程を演武組成というが、机上で技を組み合わせても良いものになることは余りない。実際に技を行いながら構成する事が大事である。勿論あれこれ考えながら作るのではあるが、実際にやっているうちに身体が自然に動いていくことも多いのである。

 身体が自然に動くということは、日頃の稽古で身についた動きが出て来ることであるのと同時に、心の深いところで、自分はこのように動きたいのだと、要求しているようなところもある。つまり潜在意識が働きだしていると考えられる。そうだとすれば、個人の潜在意識の領域にどのような情報がインプットされているかが問題となる。センスの良し悪しはその辺に起因するようだが、今はそれに触れない。

 組成ができれば、次は修練である。パートを一つの単位として修練していくのだが、ここは苦しいところである。繰り返し修練して技を確実なものにしていく過程である。身体が覚えるまでやらねばならない。演武を行う者の頑張りどころだ。

 しかし何と言っても大事なのは、演武全体を通しての稽古にある。通し稽古を繰り返すことで、相手のリズムや間の取り方の微妙な感覚を感じ取ることができようになる。やがて相手の心まで感じ取れるようになる。攻撃の間合いを詰めながら相手の心の安定や揺らめきを読み取れる。攻撃を待ちながら、いつ仕掛けて来るのかが分かる。次第に互いの呼吸が一つになる。深い信頼が生まれ、不安感が消える。こういう状態になってくると、演武をすることが楽しくなって来る。これは偏に、繰り返しのなせる技である。繰り返しの稽古によって、身体運動は半ば無意識化され、意識と無意識が同時に働き出すことになる。すると、精神活動全体が活性化し、拡大するのである。このような稽古は錬磨稽古とでも言うべきであろうか。この錬磨稽古こそが演武の、いや、少林寺拳法の命と言っても良いだろう。開祖は言っている。「五体がめまぐるしく動くその中で、考えているようで考えていない、考えていないようで考えている。そのような状態こそが極致なのだ。組演武の中にこそ、般若心経の、あの境地があるのだ」。

 さて、大会での演武である。

 大会での結果のことは、ほとんど考えなかった。もう他との比較はどうでも良かった。本部という肩書きも、さして気に掛からなかった。ただ自分たちの演武を稽古通りにやるだけだ、と思っていた。一ヶ月前の全日本学生大会の時に先生方から頂いた批評を基に、技を工夫して稽古したが、前回のときよりも大きな演武になったと思う。そして何より、心の平静を保つことができたことが、私にとって密かな喜びであった。

 競技を終え、私たち(筆者注:真鍋・作山組み)は最優秀賞を受賞した。表彰後に最優秀演武披露が行われた。満場が注視する中、開祖の眼前で、私たちは再び演武を行った。心、気、力が一致し、演武に没入する事ができた。技を終えて合掌し合った時、私たちは互いの充実を感じた。

 会場から溢れる拍手を背にしてアリーナを出たところで、父と母、そして兄弟たちに会った。母は目を赤くしていた。家族の嬉しそうな顔を見て、何よりも嬉しかった。』〜第8回6月号〜

(筆者注:以上は1974年12月1日、日本武道館で開催されることになった少林寺拳法初の国際大会である世界連合結成記念大会のものです)。



2002年06月20日(木) ◆頑張れ!武道人!

 NHK/地球に乾杯「精霊の森のレスラーたち」 を観て、武道の在り方を考えました。

■ アフリカ/コートジボワールの少数民族に伝わるこのレスリング試合。レスラー達は、ただただ個人と村の名誉の為にのみ闘うといいます。リングは乾いたアフリカの大地。素朴な力比べといったら、失礼ですか…。

この番組を観て印象深かったことを述べます。試合を開始する前、レフリーが競技者に、「殴るなよ!」と注意する場面です。この言葉に、何故か非常に平和的なものを感じました。なるほど、人間が暴力を「暴力!」と認識するのは、打撃/殴る、蹴ることなのだと再認識しました…。

古代のレスリング/パンクラチオンですか…は、打撃、投げ、締め、逆技有りという、殺伐とした殺し合いに近いものであったようです。さすがに、人間の善性が発動されたのでしょう。流血を避けるルールが考案、確立され、おおよそ現在のルールとなったのです。すなわち、投げたら勝ち、背中を着けたら勝ちなどというものです。

世界各地に相撲、レスリングに類する種目は多々有りますが、このルールは打撃技無しと共に共通の様です。ですから日本のプロ相撲(アマチュア相撲はこの限りではない)は、張り手、ケタ繰り、頭突き、カチ上げ有りと、かなり特殊な過激な様式と言えましょう。これを除けば、組技、投げ技系は非常に暴力性を排除した格闘様式と言えます。

この少数民族のレスリングルールによって対抗試合をしても、選手同士の怪我や流血はまず考えられません。かといって熱気が無いわけではありません。掲示板にも書きましたが、「憎しみなき熱狂!」というものがあります。

■ この平和的な格闘技はシステムも変わっていて、敗れた選手に再戦のチャンスがありません。このルールも非常に興味深かったです。つまり、勝者を三人?とすることが可能だからです。

どういうことかと言うと、仮にAがBに負ける。再戦をしてAが勝てば、際限がない戦いが続くことになります。しかし、新たにBを倒したCに勝てば、ジャンケンの「グー」「チョキ」「パー」となって敗者無し、三人の名誉が守れることになるのです。

面白いシステムですね。極めて平和的な志向の民族と考えられます。

■ 現在の地球の状況を眺めるまでもなく、世界の到る所で戦争や紛争が絶えません。個人間に置き換えても闘争/ケンカは絶えず、また、先祖返り?でもあるまいし、古代レスリングを再現したような流血の格闘技が存在し、それを多くの若者が観戦して楽しみます。

本来の闘争本能は個の存在維持の為に付与されたもので、その為に防衛本能、攻撃本能が備わっていると考えます。本能である以上、否定はできません。しかし、人間/武道人の理性はそれにどう関わるのでしょう。

現在の地球の状態はちょっと病的/暴力的な感じがします。ペタス選手の骨折事故の為に購入した『格闘技通信』に、気が重くなる編集後記が書いてありました。

■「オランダの格闘技雑誌をみていたら“読者が選ぶベストファイター”みたいな企画があった。…ホーストやシュルト、アーツらもベスト10には入っていたが、それより、あの“喧嘩屋”が上なのだ。つまりオランダのファンは、技術より、いかに激しい試合をみせるかに、価値を置いてるってこと…技術を語るのは大切だが、そういう価値観も持ち続けたい。(S)」

私が掲示板に書いた通り、「英国のフーリガンも悪名高いですが、オランダのフーリガンは相当危険らしい…! オランダは格闘王国と言われるくらい格闘技が盛んだそうですが、フーリガンの暴力性となにか関連があるのでしょうか…?」(投稿日: 6月11日(火)12時23分30秒)

なにか符号していますね…。また、オピニオンリーダーたるマスコミの編集者の姿勢がこうでは、推して知るべしです…。この先、ワールドカップがどこかの国で開催された時、武道本家の「日本人のフーリガンは危ない!」なんてことにならないよう、切に祈っています。

頑張れ! 武道人!



2002年06月17日(月) ◆(続)極真・ペタス選手の骨折事故

 引き続き、ペタス選手の骨折事故について述べたいと思います。

■ ヤフーの掲示板/格闘技に入り、タイトル・KIの中に「ニコラス!!脛!!」のトピが立ててあります。そこで今回の事故のスロー再生が見られます。どうも…凄まじいですね。

http://members.tripod.co.jp/fukifiki/archive/k-1-2_stereo_1200kbps_20020602.avi

気になりまして、さらに雑誌、「格闘技通信7・8」を購入し、私なりに検証してみます。尚、このトピには、もう1件の脛骨骨折事故の映像もあります。

2件共、右のローキック攻撃に対して、左膝を合わせた瞬間に折れています。しかし、構えと受けた部位は異なります。別件のものは左対構えの左膝受け。今回のはちょっと特殊のようで、攻者は左、守者は右の開き構えから、まるで膝蹴りをするかのような、受けというよりは攻撃でした。

2R1分ですから…かなり、狙っていたフシがあります。その点、対構えでの事故は、結果…タイミング良く折れたという感じです。

■ プロ野球を観戦していると外人選手が三振し、悔しがって、バットを膝でいとも簡単に「ボキッ!」と折る場面を目にします。全くあれと同じです。今回は…。つまり、グリップに近い細い部分を大腿骨頭の一番骨量がある部位にあてがって、瞬発力を加えたのとです。その際、バットを持つ手は広くして梃子を働かせます。

自分の膝ではイヤ?なので、バット二本で実験したら分かると思います。片方のバットの中ほどを手に持ち、もう片方の太い部分を逆にして持ち、グリップ部近くと太い部位をぶつけ合ったとしたら…分かるでしょう!?

写真で見ると、ペタス選手の右下段回し蹴りに対して、相手選手はちょっと左足を引いて力を貯め、さらに速く、膝頭を低く下腿骨頭部に当たらないようにしてぶつけています。単に膝を上げるだけだと腓骨頭や膝関節部をやられるのでしょう。

■ 相手/セルゲイ・グール選手のコメントです。

Q:避けようとしたのではなく、自分から膝を出したのですか?

A:はい。ビデオにも映っていると思いますけど、イグナショフ選手のトレーナーであるアンドレイ・グリジン(チヌックジム)に教わりました。(原文ママ)

私が疑問でならないのは、極真会館はあれほど試合経験を蓄積しているのに、なぜペタス選手がこうも簡単に、危険な合わせ技を決められてしまったのかという点です。過去に事例が無ければ別ですが…そうでもないようですし…盲点だったのでしょうか…?

最近でも、前回のK1でホースト選手、アーツ選手共に中足骨を骨折しています。ようするに誰でも、骨量の多い部位/特に肘、膝に骨量が少ない部位を当てれば折れるということですね。

■ 他山の石としましょう。少林寺拳法では(剛法の)受けの失敗で腕を骨折した事例/有段者を2件知っています。

以前、武専の指導に行っていた時、ある拳士が右手にギブスをしていました。「どうしたのですか?」と尋ねたら、法形“払い受け段突き”の際、受けがまずくて折りましたという件。

もう1件は法形“下段返し飛びニ連蹴り”を受けた際、上段の蹴りで右受け手を折った件。どちらも尺骨の手首寄りだと思います。蹴りに対しての受けは、特に尺骨、及び手指を骨折しやすいので充分に注意が必要です。

受けられて折る場合、打撃系徒手格闘技/少林寺拳法では足指、甲の骨が多いでしょう。かくいう私も、左足の二指を骨折したことがあります。その頃は若かった?ので、割り箸にセロテープをはって固定していたら治ってしまいました…。

昔、拳士同士でボクシングをしていてボディフックを肘受けされ、「グチュ!」と音がして、親指を複雑骨折した件も聞いています。

最近、恐いと思うのは“蹴り天一”で、逆突き、逆回し蹴りを受ける際、あまりに危険な受けをしている場合があるのでヒヤヒヤしています。上腕骨を骨折しなければ良いがと心配です。あの法形は二段科目から外すべきと考えます…。



2002年06月13日(木) ◆極真・ペタス選手の骨折事故

この事故が起きたK1の試合は、道院長研修会へ出張の為、見逃してしまいした。ところが、「ヤフー」の格闘技トピに画像があったので見ることが出来ました。いやー、悲惨な事故でしたね…。

■ アンディ・フグ選手が極真空手の世界大会で、外国人選手として初めて決勝に駒を進め、2位に輝いた大会はもうずいぶん前の事です。「強くて、上手い選手だなー!」と感心して見ていました。準決勝でしたか、相手日本人選手の執拗な下段蹴りを、彼は、狙われた足を上げながら柳に風の如く、見事に受け流しました。

しかし、今回ペタス選手の相手の受けは、足を鋭角的にきっちりと曲げ、蹴りを迎え撃つかのような動きを見せました。アンディ選手の受けを“柔”と表現するなら、今回はまさしく“剛”の受けで、受け潰したのでした。ペタス選手、一日も早く回復すると良いですね…。

今後はこのビデオテープを参考に各選手、各流派、研究すると思います。かなり危険になりますね、ローキックは…。もっとも過去にも、この様な事故例はあったのだそうです。

■ 何回か前のコーネル合宿に行った際、Wさん/アメリカ人という拳士がいました。非常にがっしりとした体躯の持ち主で、しかし気持ちは優しい人でした。

「Wは、我々が一人でやっと持ち上げる荷物を、2個両手にヒョイと持って、トントントンと二階に駆け上がってしまうんです!」…。

日本人拳士達が笑い(呆れ?)ながら、さらに驚くべきことを話しました。Wさんと内受け突きの練習をしていたら、受けられた人が腕を折ってしまったのだそうです。イヤハヤ…世の中には恐ろしい人がいます…。

■ そう言えば…中野先生の金的膝受け波返しも、膝頭で相手の足を打つ如くに受けられます。非常に厳しい受けです。まあ、相手を骨折させてしまうのはなんですが…殴り、蹴り掛かるなどという凶暴なことを仕掛けられた場合、その瞬間、「痛ッテー!」とばかりに戦意を挫いてしまうのは、結果、相手を傷つけないことになります…。

天地拳第1の鈎突きを払い受けして蹴りにしても、本来の払い受けは、肘を張り出さないで真横に拳を狙います。そうすると相手は親指を挫かれます。もっとも練習では絶対不可で、相手をいたわりながら肘を張り出して、不自然?に手首あたりを受けます。

少林寺拳法の受けは剛的なものと柔的なものがありますが…剛柔一体、及び活人拳の奥は深そうですね!



2002年06月10日(月) ◇マイク・タイソン考

マイク・タイソンを語ることは、人生における“師の存在の大切さ”を知ることになると思います。

■ 本日の新聞でマイク・タイソンが世界タイトルマッチに失敗したことを知りました。タイソンは今年で35歳、まもなく36歳になるといいます。報知新聞の記事が印象深いですので紹介します。

『時代の移り変わり、厳しい現実をタイソンも迎える時が来た。…反則を封印、クリーンファイトで王者に立ち向かった。ゴングと同時に攻撃をしかけ初回は上々の立ち上がり。しかし、2回に早くもスタミナ切れの兆候が見え始めた。その後は王者のパンチを浴び続ける展開に完敗を認めた。「ルイスは本当に強かった。誰も私に(王座挑戦の)チャンスを与えようとしなかった。チャンスを与えてくれたルイスに本当に感謝したい」罵(ば)声を飛ばし、乱闘まで引き起こしたライバルとリング上で抱き合った。そして相手の実力を認め、主役の座を譲り渡した。…「あんたは素晴らしいボクサーだ。チャンスを与えてくれてありがとう」。試合後のタイソンは潔く敗戦を認め、1月の会見でルイスの足にかみついた非礼をわび、敬意を表した。勝利者インタビューを受けるルイスを穏やかな表情で見つめる姿は、衰えさえ感じさせた。』

■ アメリカでとてつもなく強いヘビー級のボクサーがいる!という情報は確か16〜7年前頃…写真誌「フォーカス」で目にしたのが始まりです。その後、映像でも見かける様になり、これは凄い!と驚いたものです。

「俺のボクシング人生で、あの若造が鼻っ柱に見舞ったパンチほど強烈なやつはない」というような事をある対戦者が言っていました。パンチをフォーメーション化しているとか、ウォーターサンドバッグを打っているとか、数々の話が漏れ伝わって来ました。

タイソンは彼の恩師であるカス・ダマトに見出されてボクシングの才能を開花させました。

ダマト氏の実力は今朝の読売新聞によれば、「2人(タイソンとルイス)の初めての出会いは1983年。アマチュアの少年ボクサーは3日間スパーリングを繰り返した。別れ際に当時タイソンのトレーナーだった名伯楽、故カス・ダマト氏は『いつの日か2人はタイトルをかけて戦うだろう』と言い残した。」という逸話があるくらい凄いそうです。

タイソンは彼を深く敬愛していたのでしょう。当時の彼のグローブの親指の辺りは破れていたと言いますが、「お前は(180cmでも)小さいので、ディフェンスをしっかり覚えなければやって行けないよ」というアドバイスをしっかり守り、グローブをチンから放さないように噛んでいた為だといわれています。

■ タイソンの人生が狂って行くのは彼/ダマト氏を失って以後で、元々のタイソンはハト好きな少年であったという一面の持ち主でもありました。

90年、日本武道館でのジェームス・ダグラス戦に10R・KO負けをきしてタイトル失い、転落の軌跡が始まります。それでもまだ、復帰戦では開始ゴングと共に十字架を切るタイソンの姿があったのです…。

一試合のファイトマネーが、今回でも20億円を越えるお金が手に入る世界。ボクシングしか知らない二十才そこそこの若者に、金の亡者共が群がりました。彼の転落を全く彼自身のせいにするのは、ちょっと酷なような気もします。

ダマト氏が逝った時、タイソンはどんなに悲しみ、絶望したことでしょう。もし、伝記映画が出来るとすれば…あの復帰戦で十字架を切るシーンに、「オヤジさん!俺に力をくれ!」と言わせます。私が監督なら…! 

もう一度観たいですね、タイソンの試合は…。



2002年06月04日(火) ◆道院長研修会での質問!

6月1〜2日の(最終)道院長研修会に出席して来ました。今回、出発前から、「中野益臣先生の件を質問をする!」と腹に決めていました。そして前夜、質問内容を盟友である作山吉永先生と充分に検討しました。

■ 当道院は紹介欄にある通り、毎年5月、湘南誠志、板橋菩提樹、茨城高萩道院と共に合同で中野先生の有段者講習会を開催して来ました。発案者は私。ですから横浜からスタートして、多くの拳士が楽しみにしていた行事です。

この合宿は89年、宮田先生主催のニューヨーク合宿が行われた際、中野先生ご夫妻にお供する形で、岩田、鈴木、作山、渥美と共に、門下生四名を含む八名で参加したのが始まりの元です。東海岸と西海岸の両方に行きましたが…非常に楽しく、思い出に残る合宿でした。

帰国後、「海外拳士がこの様な合宿を行っているのに、国内にいる我々が出来ないのは恥ずかしい!」とばかりに先生のご理解を得て、翌々年91年から始まりました。その後、持ち回りで98年まで途切れることなく続きましたが、ご子息の急逝に伴い、またこの頃から名称問題がこじれ始め、残念ながらその後は休止して現在に到っています。

■ したがって私達としましては、一刻も早く講習会の再開が出来る様、謹慎処分の解除を待ち望んでいたのです。しかし今回、期待を打ち砕く如きの処分が出ましたので、万止む終えず、以下の質問を決行しました。

「今回の先生の出来事は、先生の教えを受けた者の一人として大変残念に思っています。今回の措置の一項に『(中野先生と)接触してはならない』とありますが、これは“先生の技法を継承したいという気持ち”を妨げるものではありませんね」。

本山からの解答の詳細に立ち入ってしまうのは、はばかられますので…かいつまんで述べます。副代表・牧野先生は「立場上なんとも言えません。心情的には理解できます」(要旨)。代表・鈴木先生は「(質問を誤解されたようで、講義終了直後の話し合いで)中野先生への気持ちをどうこうするとは言えません。本件は(先生の指導再開の)余地は残しています」(要旨)との解答がありました。

■ 二日目、講義の合間?に書いた私の感想文を載せます。

「…私の中野先生の質問の件を補足しておきます。先生への措置は残念ですが、一項に『接触(?)してはならない』とあります。しかし、先生の足跡をかんがみるとやはり、これ(先生の技法)は、少林寺拳法の財産であると言わざるを得ません。今回、森道基先生が他武道の雑誌に武道理論を発表されていますが、これも拳士にとってうれしいことであり、益することになります。しかし、上述の措置がいつまでも続くと、もし先生に何かあったりするとその損失は計り知れないものとなりましょう。

法縁あって、中野先生に御指導を賜った者の一人として、出来るだけ長く先生から技法を受け継いで行かなければならないと、ただでさえジュクジたる思いでいたのに…です。ですから私は、出来る範囲で先生の技の研究をし、HPで発表して行きたいと思っています。そんな気持ちからの発言でした。

(差し障りがありますので、一部削除)。…中野先生の技法の価値については、先生の技法は少林寺拳法は“宗門の行”であり、したがって不殺不害を特徴としていますが、まさしくそれを具現している所にあると考えます。そして、先生は一つの技について、何が基本であるのかを上述の事と整合性を持たせた素晴らしい“指導法”をお持ちです。私はその指導法がすでに、上手く言えませんが“技術”であり、指導法研究の材料となると考えます。以上 乱筆乱文失礼します」(原文ママ)。

取ったコピーを眺めますと、本当に…乱筆乱文ですね。事前に書いておけば良かったです…。

少林寺部内に隠れキリシタン?を発生させない為にも、是非ともこのような立場を尊重して頂きたいものです。

■ とにかく、今回の件は少林寺史に残る重大な出来事でしょう。開祖のご令嬢が“破門”になったのですから…。処分される方も地獄なら、処分する方も地獄ですか…。

辛い浮世の努めを終えて…あの世とやらに行ったなら…また開祖にお会いして(また叱られる?かもしれないけれども…)、皆で楽しく少林寺拳法をやりたいな―。

涙が出て来た…。と打ち込んだら…涙が止まらなくなった…。


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