道院長の書きたい放題

2002年05月29日(水) ◇諸葛亮孔明の家訓

10年前、中国/浙江省の諸葛鎮という村で、孔明の子孫が発見されたとNHKで放映されました。彼が子孫の為に残した家訓を紹介します。

■「優れた人は静かに身を修め徳を養う。無欲でなければ志は立たず、穏やかでなければ道は遠い。

学問は静から、才能は学から生まれる。学ぶことで才能は開花する。志がなければ学問の完成はない。」(放送ママ)

■この言葉の字句を、彼の子孫達は毎年、書初めに抜書きします。

「貧しくとも学問によって身を立て、世の為、人の為に尽くす!」。ご先祖が残した“精神”に沿う生き方に誇りを持っていることに感動しました。



2002年05月25日(土) ◆「命もいらず…」の補足

西郷隆盛の言葉に関し補足しておきます。

■「生命も要らぬ名声も要らぬ、官位も金も要らぬという人間はどうにも始末に困るものだ。この、始末に困るような人間でなければ、艱難を共にして国家の大問題を解決してゆくことはできるものではない。だが、こういう人物は凡俗の眼にはなかなかわからないものである。」

西郷はある時、このように言います。それに対して、

「では『孟子』のなかに『天下を広い住居として、天下の真中に立って、天下の大道を歩む。目ざす地位を得れば、人民とともに道を実現し、目ざす地位が得られなければ、自分ひとりで道を実現する。富貴にも迷わされず、貧賎にもくじけず、威武をものともしない。こういうのがほんとうの大丈夫なのである』とありますのがいまいわれたような人物でしょうか」と質問され、

「その通りである。しっかりと道に立った人でなければこのような気象はうまれないものである」と答えます。

この問答は元々は敵対関係にあった荘内藩(現、山形県鶴岡)の人達が、明治三年、西郷に心酔して鹿児島を訪れ、百余日を彼の身辺にあって過ごした際、言動を記録したもの/『南洲翁遺訓』の中にあります。

■ 歴史小説作家の故海音寺潮五郎氏は「…戦前の右翼の人々や、豪傑ぶった人々は、“始末にこまる者”を“世のもてあまし者”の意に解釈し、大いに愛用し、従ってまた一般の人にも西郷を誤解させるよすがにしてしまった。“始末にこまる者”とは、“誘惑の手だてなき者”の意だ。死をもっておびやかしても、名利をもって誘惑しても、心をゆり動かすことのできない者という意味だ。」と憤慨し、訂正しています。

■『南洲翁遺訓/岩波文庫』から抜粋しておきます。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れ共、かようの人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるる…」

■ 参考書籍

『南洲翁遺訓/山田済斎』〜岩波文庫〜

『史談と史論/海音寺潮五郎』〜講談社文庫〜

『西郷隆盛語録/奈良本辰也・高野澄 編』〜角川文庫〜

『人類の知的遺産・孟子/貝塚茂樹』〜講談社〜



2002年05月23日(木) ◆開祖の「強」は?

開祖は「強い」とはどういうことと思っていたのでしょう。

■「富貴も淫する能わず。貧賎も移す能わず。威武も屈する能わず。此れを之れ大丈夫という」― 孟子

開祖は古今の名言を教範の中で紹介されています。開祖の感性に余程に響いた言葉だったからでしょう。この言葉はご法話でも引用し、「…名誉にもつられない。貧乏も恐れない。脅しも効かない。こういうことが“強い”(勇気だったかな?)ということなのだ」(要旨)と話されたと思います。

西郷隆盛も、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るなり。しかし、その始末に困る人でなければ天下国家の大事を成す事が出来ない」(要旨)とある時、話し、「それは孟子の言葉と同じ意味ですか?」と質問され、「そうです!」と答えています。

■ 薩摩の武士ほど死ぬことを恐れなかった武士達はいなかったそうで、「臆病者!」と罵られることを死ぬほど嫌ったからだと、何かの本で読みました。そういう教育を極端に施した結果でしょう。しかし、これはやはり極端で、だから“猪武者”“匹夫の勇”などと言う戒めの言葉が他方あるのです。

必ずしも、死ぬことが良い結果を生む(強さの証)とは思えません。しかし、これも難しいことです…。第二次大戦末期、神風特別攻撃隊は建前は志願制だったのですが、誰も進み出ない者は無かったと言われています…。薩摩隼人と同じ心境だったのでしょうか…。ちなみに私の死んだ父は回天特別攻撃隊員で、すんでのところ終戦に命を救われたそうです。

ですが…孟子の言葉を注意して見聞きすると、「命」に関して「捨てろ」とか「いらない」とは一言も言っていません。ここのところの解釈。聖人や英雄が勇気を発動するのに際し、心底には死の賛美より生への賛歌があるのです。私はそう確信します。

西郷にしても「敬天愛人」という彼の言葉/思想からすると、「命もいらず」と言ってはいますが、真意は「大事を成すには命を捨てる(無私の)気持ちで掛かれ」でしょう…。

■ 昔?何かの折に、ホテルに宿泊されていた開祖のお部屋にお邪魔させて頂いたことがあります。何人かいたと思いますが、太田達雄先生以外は覚えていません…。その時、開祖が「…私だって“恐い”と思う時はあるのだよ。でもそれは一瞬で、次には元に戻っておる…」と話されたことがありました。当時、「開祖でもそんな瞬間があるんだ!」と少々驚きました。しかし、今思えばそれは当然な事で、むしろ一瞬で元に戻る“強さ”に逆に驚かされます。

人間愛・生命の尊重に立脚した正義感、行動力、勇気、慈悲心を持った人。生を尊び、生きている限り負けたと思わない心。そういう人なり精神の存在を「真に強い」と開祖は思われていたのでしょう。

追伸:西郷の言葉について23日午後5時10分に訂正。



2002年05月22日(水) ◆強者は強者を知る!

前回、「強者は強者を知る」と書きましたが、このことをもう少し書きたいと思います。

■「黄金背」というコオロギがいるそうです。中国ではコオロギを闘わせることが古くから盛んで、現在でも庶民の娯楽となっており、代々の皇帝も興じたといいます。

黄金背は金色の羽根を持ち、足腰?と攻撃の武器である口/顎が強く、古来から幻の最強コオロギと珍重されているそうです。一匹で、彼の地のカラーテレビが買える値段というから驚きです。その貴重なコオロギを大金をはたいて手に入れた一人の道楽者?の男性が、喜び勇んで仲間と共に名人である老師に見せに行くのです。

すると老師は、「(このコオロギ/黄金背を誉めようとせず)もっと本質を見る目を養いなさい!」と弟子を諭すのです。案の定、トレーニング/スパーリング?の最中に、なんと片方の足が取れてしまいます。「アイヤー!」。あっけない結末に師匠の言葉を思い起こしたか、なんとも情けない顔が印象的でした。(NHKテレビ放映)。

やはり…判るんですね!

■ 『史記』刺客列伝、秦王の暗殺を図る「荊軻」の中にある話です。

万全を期す為に頼りになる相棒を待っていると、燕の太子に臆したかと疑われます。それを潔しとせず、太子の推薦する若くして人を殺した男(名前は失念)と出立するのですが、荊軻は「…そんな者は本当の勇者ではない。大事を決行する頼りになろうはずがない」と残念がります。

これも案の定…(燕の)地図の中に毒を塗った短刀を隠し、その男に持たせて秦王に拝謁する途中、男は顔を青ざめ、ガタガタと震え出します。周囲は怪しみますが、荊軻は悠然と「この者は田舎者で、大王を前にして恐れ入っているのございます」と言い放ったと言います。おそらく、全くの平常心から発声したのでしょう。凄く強い、肝がすわった男ですね! 真似出来ません。というのは危ないですか…。もし荊軻が頼りになる相棒と決行したら…歴史/世界史は変わっていたでしょう。

それはともかく、やはり…判るんですね!

■ 話は異なりますが、物理的な「強」は武術の技を含めて、数量で逆転します。例えば徒手空拳の武術を何年修行していても、相手が刃物やバットを持った瞬間、条件はたちどころに対等か、それ以上に距離を詰められてしまいます。あるいは複数で掛かられても同様です。

開祖が見抜いた「強」。開祖が目指した「強」。本当の「強さ」を…武道/少林寺拳法の修行を通して理解したいですね。



2002年05月16日(木) ◆K1・中量級世界大会観戦

 4月27日に行われた同世界大会/TBS放映は面白かったです。なんですか「ムエタイのヒクソン(?)」と言われるくらいに強い、ガオラン・カウイチット選手(23)・タイ=が出るとのことで期待して見ました。

■ この大会で驚いたことがありました。それは試合前、ヒクソン選手が参加選手8人の戦いぶりのビデオで見て、誰が勝ち名乗りを上げるかを予想したのです。大方の声は、ガオラン選手が優勝するという中、Aブロックは優勝したアルバート・クラウス選手(21)・オランダと、Bブロックからはガオラン選手を差し置いて“手から稲妻を出す男”と恐れられる張選手の名前を上げたのです。その理由として、「この試合は3R制という短期決戦なので、パンチ力が強い選手が有利と思う。特に、(中国散打チャンピオン)張選手は大変危険な選手だ」(要旨)と言い、予言したのでした。

まあ、張選手は一回戦、ガオラン選手に判定で敗れてしまいしたが、そのガオラン選手をクラウス選手は予想通りIR、パンチの連打であっけなくKO。これには驚きました…。解説していた元WBAライト級世界チャンピオンの畑山隆則氏も、「ガオラン選手はアゴがあまり強そうでないので、クラウス選手、行けそうな感じがするんですけれども…」とコメントした直後のあっという間のKO劇でした。

強者は強者を知る…。たいした洞察力と観察力です。敵の得意技とか弱点を見抜けるんですね。だから「百戦(四百戦?)して危うからず!」なのでしょうね…。

■ 後、気が付いたことを述べます。小比類巻選手は一回戦、アンディ・フグの直弟子と言われる選手と対戦し、IR、ボディーへのカウンター左膝蹴りでKOしましたが…崩れ落ちる選手にとどめを刺す如くに突進し、手を着いている選手に蹴りを放ちました。真にフェアーではない不快な行為でした。彼は過去のビデオでも同じシーンがあります。本人曰く「格闘技はスポーツではない!」とのことですが、それとルールの順守ということは別次元の話でしょう。さらに驚いたのは石井和義氏/KIプロモーター・正道会館館長のコメントで、

「とどめを刺す。この気持ちがイイんですよ。本当はダメなんですけれど、やはり相手を殺すつもりで、というのは言葉悪いですけど、本当に行ってますから…」(放送ママ)と肯定する発言があったことです。

少林寺拳法とは明らかに感性が違いますね…。倒された選手にしたって石井氏にしてみれば、同じKI傘下の選手でしょう。駄目押しの、しかも反則の攻撃が無抵抗の選手に入って怪我をしても、心配ではないんですかね。それと、他の選手が真似をしたらどうするのでしょう…。

■ 印象的な場面。2回戦準決勝、クラウス選手VS魔裟斗選手のダウンシーン。肘が浮いた横拳の魔裟斗選手の左ストレートと、肘をしっかり締めたクラウス選手の縦拳の左ストレートとの相打ちでした。肘が浮いた分、相手の入り身を許し、クラウス選手の体がスルリと拳と共に向かいます。魔裟斗選手の拳は虚しく空を切り、対して体重の乗った拳が魔裟斗選手のアゴに炸裂したのでした。

クラウス選手は決勝戦の対戦でも曲と直の突きを巧みに使い分け、ガオラン選手を粉砕しました。後日の談話でガオラン選手、今度はムエタイルールでの再戦を希望していました。

ルールが違えば、その時は勝つでしょうね…。



2002年05月10日(金) ◆示唆に富んだ番組の紹介!

連休中の4月28日、NHKテレビ、『Ride the Waves of Gods/神の波に乗れ 〜ハワイ・伝説の大波に挑む〜』を見ました。とても感動しました。今、この「書きたい放題」で「演武論」を始めましたが、示唆に富んでいると思われたので(掲示板にも書きましたが、記録の意味もあり)、こちらにも紹介しておきます。

■ 20mを超える高さの波というのは想像を絶します。城ヶ島に釣りに行くと、早朝、荒れた海に出くわす事があります。もちろん海が収まるまで釣りなんか出来ませんので、恐々先端に見に行きます。すると、ドドーンという物凄い音と共に砕けた波のシブキが顔に飛んで来ます。まだ薄暗い磯に私一人、なんだかとても恐ろしい。ですが…大自然の脅威の一端を垣間見るようで、感動の気持ちも、湧き上がってきます。

その波など到底及ばない地球最大の(神の)波。7階建てのビルを一気に呑込むといわれ、襲われた者は命を失うことから「ジョーズ!」の異名を持っています。番組は大波に魅せられたビッグ・ウエイバー/大波乗りの男達を紹介して行きます。

■ 並のプロでは乗る事が出来ない大波ジョーズは、世界大会の優勝経験者達が挑みます。しかし彼等トップ・プロにとってもたやすいことではありません。

私が感動した場面を抜書きします。そのジョーズがやって来るハワイ・マウイ島の一月に、ブラジルの企業が大会のスポンサーとなって破格の一千万円の賞金を、一番大きな波に乗った者に与える大会の場面です。

午前6時、波の高さは20mを越え、大会が始まる昼頃には25m!?にも達します。画面からでも鳥肌が立つような大波です。次々に挑む男達。それを丘の上から見守る一団がいます。サーフィンを始めて3年でプロ世界大会を制し、初めてジョーズに乗った男、カリフォルニア出身のデーブ・カラマ・36歳とそのグループです。

【ナレーション】
「…誰が一番大きな波に乗るかで賞金獲得を競う大会には、(デーブ達は)参加したくないという」

【デーブ】
「…みんな、誰が勝ったのかを決めたがるんだろうね…。勝者に賞金を与えたがる人がいれば、誰が負けたかを決める、なんらかのルールを考える事になる。どの波が一番大きかったかを決めるのは意味がないよ…。僕は、ただジョーズに乗りたいだけで、波の大きさを競おうなんて思わない。どんな波でもイイ、その時、来た波に乗るよ!」

【ナレーション】
「…デーブにとって、ジョーズは他人と競争する場所ではない。胸を借りるのは圧倒的な力で立ちはだかる大自然だ!」(カッコ内は要約無し)

■ 一千万円という賞金に魂を動かされない姿勢もカッコイイ! 極めて驚いた彼/デーブの発言でした。同じ様な感性の存在が嬉しかったです…。普通はあの大会をドキュメント風に取材するのでしょうが…さすがNHK!? 目の付け所が違いました。

もし、座禅の大会なんかあったら…やはりナンセンスですよね。座禅の姿が美しいとか、どれだけ長い間、座禅したとかを競うとしたら…問題点が良く判ります。

まあ、少林寺拳法には体育・運動の面がありますから…。しかし競技、特に採点種目は、オリンピックでさえ不正が発生します。少林寺拳法でそれがあるとは言いませんが、演武の採点は本音を言えば、極めて難しいです。

番組の紹介ですから、ここまでにします。



2002年05月06日(月) ◆演武論

 私の演武論を展開したいと思います。

■ 演武の「演」という字が長いこと気になっていました。近年、ある大女優(誰でしたか…思い出せません。岩下志麻さんだったかな…?)が“役”を演じる過程で起きる“憑依”という現象を述べている記事を見て、“演じる”という言葉の深い意味が理解出来ました。得悟したのです。

興味深い話で、例えば、お姫様役の舞台が長く続くと、そのお姫様の人格が自分に乗り移ってしまい、家に帰ってからも威張ったり、わがままな態度になってしまうので困るということでした。ですから舞台が終わって、しばらくは心のリハビリ?をするのだそうです。そう言えば、恋愛をテーマとした映画や舞台で、主役を演じるカップルが結婚したりします。これも、役柄の恋愛感情が実生活の本人達に乗り移る憑依現象のひとつなのでしょう。

このように、演技することが自身の心=意識、無意識に大きな影響を与えることは間違いないようで、したがって、演技、演劇を医療、例えばカウンセリングなどの精神領域に活用しようとする発想は容易に辿りつけたのでしょう。世阿弥になると演劇、芸道論ですか…。

■ 今、手元に1972年に行われた日本武道祭のパンフレットがありますが、各武道団体の全てが、相対形、単独形の「演武」を公開しています。演武は少林寺拳法に限ったものではない事が分かります。ただし、少林寺に関しては単独形は一切行われませんでした。また、試合形を行ったのは…確か剣道だけだったと記憶しています。

演武は総じて神事、儀式、祭典に関わりがあります。我が国の国技である相撲も豊穣の神事に関わりがあり、横綱の土俵入りはその名残と言われています。雲龍型、不知火型と、(単独形)演武と言えましょう。少林寺拳法では正しく入門式、鏡開き式などの儀式、大会などの祭典に“奉納演武”が行われます。

以前、千代の富士が地方巡業で土俵入りすることに関する記事を読みました。「…しめ縄を付けると彼/横綱は神になる。途端に顔付きが厳しくなり、それ以前、観客は気安く触れたが、今度は、酔客が触ろうものなら『触るな!』と怒声が飛んで来る…」(要旨)と言う記事でした。で、土俵入りするのですが、その時、横綱は誰を意識しているのでしょう。正面を見据える目は誰を見ているのでしょう。観客?違うでしょうね…。

■ 演武は様式上、人が集まる場所で行われます。ここのところが演武を判り難くします。演武者は武を演技をしている訳ではないのです。いや…表現が難しい! 

役者が「迫真の演技!」と批評/賞賛されることがあります。上述した通り、役になりきるなどという生易しいものではなく、役が憑依するのでしょう。役者の技量が大前提なのは言うまでもありません。

最近、中国の京劇に関するテレビ番組を見ました。「女形」の名優/男優?の紹介と、後継者の育成に苦労している内容でした。その中で、「女性は女性であるが故に女性らしい演技/研究を怠っている」(要旨)という発言を興味深く聞きました。確かに、女形一族には男が女を演じる様々な技が受け継がれていました。

つまり私が述べたいことは、演技とは技を演じる/行うことで、真剣な技を行うからこそ、その過程で男に女が乗り移り、時空を超えて虞美人が目の前の観客に現れるということなのです。もちろん役者個人の努力、例えば歴史書を読んで当時の時代背景を理解するなどの見えない努力も必要です。

役者と武道修行者では技の意味が異なりますが、迫真の技を演じることでなんらかの精神作用が起こる事に、大きな共通点を発見したのでした。(続く)

注:気になりましたので…、「試合形を行ったのは…確か剣道だけだったと記憶しています」をきちんと調べました。プログラムによれば、相撲、合気道、柔剣道、空手道、なぎなた、剣道が「試合」「試合形」(原文ママ)を行っていました。以上、訂正します。02.5.8.


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あつみ [MAIL]