Rollin' Age

2004年05月17日(月)
 だけどあーなんかすごくへこんできた

 同期の一人と一緒に帰ると、彼は仕事が楽しくて楽しくてたまらないと言う。兄貴肌で要領が良く、責任感と好奇心を持ち、人をくったような態度の中に誠実さや思慮深さを内包する君ならば、別に新聞記者であろうとなかろうと立派な社会人となって楽しく働くんだろう。もちろん、良い記者になることは間違いない。入社して一ヶ月やそこらで仕事が楽しいと言えてしまうのは、どうしようもない馬鹿か、どうしようもなく適性があるか、そのどちらかだろう。もちろん君は後者だと思う。

 さて、俺自身は、ぜんっぜん楽しくない。

 一般に「五月病」なるものが顕れてくるこの時期。俺はその病気がどういうものなのか分からないのだけれど、少し仕事に慣れてきて「思っていたのと違うんじゃないか」とか悩みだすような症状と考えてよいのだろうか。だとすると、やっぱり俺は五月病患者になるには程遠い。この一ヶ月の生活は、だいたい前から想定していた範囲を超えないし、そもそも入社してから今に至るまで、相変わらず仕事に慣れない。言うならば「四月病」か。最初からずっと、楽しくはない。

 週の始まりというものは、実に実に気が滅入るもので、昨日の朝なんてひどかった。心の底から会社行きたくねぇーと思い、ふらふらと布団を抜け出してよろよろと歩きながら職場へ向かう。あー、寝てたい。夕方まで寝てたい。やるべきことがイッパイの現実に直面したくない。俺はもうこの先数十年、平日の朝きちっと起きる生活を続けなければならないのか、イヤだイヤだ、ヘルプミー、みたいな。

 カミサマ俺に自由をください。ひねもす寝ててもパンと劇場に不自由しない生活をください。アダムとイブのばかやろー、働けねばならない暮らしから俺を解放してください、なんて。そこまで思って、ふと自由の意味を考える。

 幸運にも自分の希望通りの仕事に就けて、いくらでも望むままに活動できるこのフィールドにいて、何が「自由をくださいだ」、と。俺は自由じゃないか。いくばくかの責任を負って、まさに今、自由じゃないか、と。

 ん、だけど、特にこれといったこともなく徹夜してしまい、そしてあろうことか仕事に行く前に漫画喫茶でこんな文章書いている時点で、自由かそうでないかという議論以前に、やっぱダメだと思う。いやまぁ今日は仕事が十時からだから、別にそれに間に合うならどこで何をしてようといいんすけど。漫喫寄るくらいなら、家できちっと寝て起きて、朝飯作って、ニュースでも見ながら珈琲を味わい、「お、そろそろ時間か。行くか」みたいなさ。

 別にダメ人間を気取ってるわけじゃなく、間違いなくダメなんだけど、半人前の仕事もできない今の状態では、いくらか自重したほうが良いように思う。そして日々きちっとやれるのならば、そもそも苦労しないしこんなとこにいない。

 今週末にパソコンが届き、さらに1、2週間経てばネットに家から繋げる状態になる。そのとき待っているのは、ここでこうして恒常的に愚痴を垂れ流してすこしはすっきりする自分か、夜更かしが嵩じてますますダメになる自分か。いずれにせよ、あまり先行きは。

 あー、はやく慣れたいなぁ。

 



2004年05月16日(日)
 All of You are Enemies.

 「all of you」って単数扱いだっけ、複数扱いだっけ?そもそも「敵」という意味の英単語のスペルからしてうろ覚え。
 
 大阪梅田の地下を歩いているとー、もう、わさわさわさわさと、人が。そいでもって大阪人はもうあらゆる方向から勝手気ままに突き進むから、ぶつかりそうになるわ面倒くさいわ、あーかったりぃ。ここにいると東京人は渋谷とかでもワリカシ整然とした歩行をしてると思うようになる。

 仕事がたまってて。というのはつまり、書かねばならない原稿がぜんぜん進んでなくて。誰もいない職場で一人きり、しこしこ書こうとしてみたものの、あー、こりゃあ無理ですよ、書きたくとも材料がねえもん。テキトーなこと書くわけにはいかないし、だけど紙面は埋めなきゃならないし。明日締め切りだからいまさら取材にも行けねーし。また上司に迷惑かけんのか俺は。どうすんだよいったい。三時間くらいで、もーいいやーって切り上げて、帰り支度。そして今、漫画喫茶でネットに繋いでいる俺は、相も変わらず駄目人間なのか。

 んでこの漫画喫茶来る途中、冒頭の地下街の人ゴミですよ。あー、みんなゴミ。俺もゴミ。なーんか楽しそうな親子連れはエネミー。のほほんとしてる冴えないあそこの男もエネミー。隣をすれ違った俯き加減で暗い顔してる中年のおっさんも同属嫌悪でエネミー。ゴスロリの格好してそこに座ってる女の子は可愛いから保留。隣にいるカップルはエネミー。倒すとボーナスポイント付き。

 そもそも休日なのに職場に行こうと考えた時点でアウトだろ。そういうの、「頑張ってる」とは言わない。「要領悪いなぁアイツ」、「馬鹿じゃねぇの」という評価が妥当だろう。「いついつまでにやります」って言った仕事の期日は当然守られるべきであって。「新人だから」とか「勝手が分からないから」だとか、何の言い訳にもならねぇ。規定の勤務時間内で終わらせろっての、なぁ。

 いずれにせよ、締め切りまでに出さねばならないというのは避けられないので、まぁどうにかする、もしくはどうにかなるんだろうけれど、そういうネガティブなポジティブな考え方をしている時点で、俺はプロフェッショナルとかには程遠い、社会人になれてない、やっぱこれまで通りの、授業とかサボってばかりだった学生時代と何も変わらない。未だ進歩せず。

 環境変わりゃ、この内面に化学反応起きるだろうと思ってたんだけど、そうそううまく行かないもんすね。じっくりいきましょ。じっくりと。



2004年05月15日(土)
 素敵な消費者になりなさい

 父の話ですが。早くに男親を亡くし、高卒で働き始めてた。背広買う金も無くて、夏のボーナス出るまで学生服で通したという。給料の大半は家賃に取られ、まぁ節約に節約を重ねて日々を暮らしてたんだろうと推測する。ちょうど今の俺の年の頃は、休みの日とか、近くの河原の土手を歩きながら、物思いに耽ったという。読書がたいへんに好きで、だけど金が無いから、古本屋の書棚とか見てるだけで幸せな気分になった、それで我慢したのだとか。まぁ、酔っ払った時にぽろぽろと話すことを俺が勝手に想像を加えつつまとめてる部分もあるだろうので、実態とは少し違うかもしれない。

 で、俺の話ですが。父が働き始めた年の頃、大学生として何をやってたかというと、自分で稼ぐわけでもなく、ひたすら親の脛かじって遊び呆けてた。ようやく社会人になったらしいが、いまいち責任感とかやる気に欠けている気がする。今日さっきスーツをポンと買ってきた。読みたい本がありゃそれも買う。一応自立した生活を送っているが、大学の学費は全部出してもらい、引越しの準備とか、新生活の枠組みはほとんど全てを整えてもらって、今の生活がある。かなり支援してもらったから、余った金で好きなものを買える。金銭面で、緊迫感とか切実さとか、無い。

 「やっべー洗濯物溜めてたら明日着るシャツ無くなっちゃったよ」となると、コンビニで996円のシャツを買えばいい。「あー、料理するのめんどう」ならば、近くのレストランとか行けばいい。休日はどう過ごすかというと、とりあえず「より良い生活」を求めて、もっと具体的に言うと、「近くにTUTAYA見つけたー」とか、「雰囲気の良い喫茶店見つけたー」とか、「おいしいパスタ屋がこんなとこにあったー」とか。そういうのに飽きてくると、「も少し”有意義な”生活送んなきゃなー」というわけで「自転車買って周囲を散策してみようかー」とか「何か趣味の集まりとか近くでないのかなー」とか「ちょっと足を伸ばして京都を旅してこようかー」とか、さ。

 こっち来るとき、住まいには必要最低限のモノがありさえすればいいと思ってた。背広とYシャツ。寝る場所と、寒暖をしのぐ術と、慎ましい食事。それと幾つかの本。それだけで足りるだろうと思ったけれど、今、家の中を見回すと、自転車やら体重計やら本棚やら電話やらアイロンやらデジカメやら当初は無かったものが転がっている。勿論、電話やデジカメは仕事に欠かせないと分かったから買い、アイロンや本棚も暮らしてゆく上で必要になりつつあったから今あるのだけれど。よくまぁポンポンとモノが増えてゆくものだなぁと少し感心する。もちろんカネには限りがあって、今月は使いすぎてカツカツだ。

 けっきょく、カネだ。それをどう「好みに応じて」振り分けるか。どっちかというと、「必要に応じて」じゃない。街を回って、自分の気に入った店を探す。売り場回って、自分の気に入った商品を探す。それはもう、ただただカネを消費するだけの存在で、惨めに思えてならない。なんだか良く分からないモノに振り回されているような感覚。いかに素敵な生活を送れるか、いかに楽しい毎日を過ごせるか、いかに上手にカネを使えるか。そして気がつけば人生終わってました、としたら、あまりにも滑稽。


 < 過去  INDEX  未来 >


なな

My追加