Rollin' Age

2004年04月30日(金)
 何も見えないままに

 気ぃ抜くとほんと愚痴の垂れ流しになっちまう。そんなこと書きたくてこの場を遺しているんじゃない。学生であろうが新聞記者であろうが兎に角俺は俺の日常の中でふと思ったことを俺らしく言葉に纏めたいだけなんだ。他の誰にもできないような俺らしい見方で世界を見ることができた一瞬を、この小さなスペースに遺したいだけなんだ。くだらない日記を続けるためじゃない。

 とまぁ粋がってみても、なーんも見えねぇんだよなぁ。これはオカシイとか、これはフシギだとか、これはオモシロイだとか、そういう「!」が見つからない。慣れない仕事に自分を合わせるのに精一杯で、イヤイヤまだ全然仕事についてくこともできないで、その日その日を暮らしてる、そんな感じ。周りを見渡すことができない。どうでもいいことについていろいろ考えてみる余裕もない。
 
 なんとなーくさ、コツみたいなの、アタマで分かってきつつあるんだけどなぁ。幸い仕事を辞めたいだとかは思わない。五月病なんかにかかりっこもない。ただただ望むのは、早く勝手を掴んで、今のフィールドを最大限生かして好きなことをしたい、それだけ。あぁ、いつまで「修行」の身分が続くんだろう。仕事がラクだともキツイとも思わない。ただただ「こういうもんなんだ」ってだけ思う。朝職場に行くのが嫌で嫌で、布団の中でギリギリまでまどろんだりするばっかだけど、どっかでこれがギャクテンすることを知っている。「仕事自体」への嫌悪ではなくて、「慣れないこと」への嫌悪なのだから、「慣れた」時点で全てが解消してしまう、はず。

 まぁ、その後で何が待っているのかは、ちょっとまだ想像できないけれど。

 ・・・これはやっぱ愚痴か。それとも強がりか。



2004年04月25日(日)
 週末の過ごし方

 幸か不幸か、事前の予想と反して、おおよそ週二日の休みを頂いております。いったい何をしているのかというと、大体寝てます。朝からすっきり起きて、部屋を片付けたり、どっか出かけるなどすると建設的なのにと思うけれども。

 今日はまぁ、昼ごろ起きて洗濯をし、近くのパスタ屋で「春野菜のぺペロンチーノ」食って、スーツをクリーニングに出し、美容院で散髪をし、おととい寝ぼけて踏んづけたメガネを修理に出し、コンタクトレンズを購入し、今、家から電車で15分ほどの、大阪梅田の漫画喫茶から日記を書いている。このあとヨドバシカメラで電話機を買う予定だったけれど、今いる漫画喫茶の隣に映画館があって「キャシャーン」が上映されているので、ついついチケットを買ってしまいました。「一人で」見ます。そしたらとっとと帰宅して、本を読むなり書類の整理するなりしよう。

 「キャシャーン」、なぁ。毎日だいたい帰宅する時間の24時ころ、テレビつけてボーっとしてると宣伝が流れてて、どうしても見に行きたくなって。でも、一緒に見に行く相手もおらず。あー。やっぱ、知り合いがいないってのがつらいっすね。考えてみると、週末ってヒトと話すこと、あまり無い。

 昨日、大学時代の先輩・友人と飲む機会があって、あー、知り合いと一緒に時間をすごすのは、これほどまでに癒されるものかと、びっくりしたもんです。職場の上司とかと飲む酒は、どうしても、ねぇ。何か新しく人の輪を広げたいと思えども、まだまだ仕事になれず、心理的には9割近い時間が仕事に占められている現況では、難しい。

 まぁ、ぼちぼち、やってきますかー。

 ネットには電車使って繁華街でて漫画喫茶など入るしか繋ぎようが無いので、今後もしばらくは週一回の更新かと。夏のボーナスでも出たら、パソコン勝ってネットに繋ぎたいす。ほどほどに。



2004年04月24日(土)
 何気ない数行の中に

 仕事柄、新聞をよく読むようになりました。というか読まねばならないのだけれど、朝ギリギリまで寝ているのでなかなか進まない。これもまた仕事柄、五紙購読しているので、あれよあれよという間に溜まってきます。

 やはり仕事柄、読み方が変わってきた。自分の担当する分野で、どういうことが起こっているのか、全体の流れはどのようなものなのか、それをまずカバーしなければならない。これまでは、いわゆる「どこそこでこんな事件があった」とか「どこそこでこんな技術開発があった」とか、そういう記事はおもしろくもなんとも感じておらず、連載特集などの「読み物」を好んで読んでいたんだけど、いまではまったく逆になりましたよ。

 連載記事の良さは良さとして、ニュースとしては、紙面の隅っこに載るような数十行程度の記事のほうが重要だったりする。どっかの会社が利益を伸ばしただの、新しい取り組みを始めただの、新製品を売り出すだの、そういうやつ。株価とか大きくは経済情勢とか社会を大きく左右するのは、社説でも天声人語でも読み物記事でもない、むしろそういう小さい扱いのニュースだったりする。と、最近思う。主観なんて入らなくて良い。何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、それがどれほどミクロなものだとしても、積もり積もって世の中は変わってゆく。社会の礎の、そのほんの一片を、どれだけ早くキャッチして、正確に伝えてゆくことがでいるか、それが報道なんだろうと、最近思う。

 いや、今はまだ、ようけ分からんですよ。何がニュースになるのか。何が焦点となるのか。取材とか言っても、ひたすらすべてをメモとるようにして、どこがポイントなのかの判断することは難しい。上司からは「君がおもしろいとおもったことがニュースなんだよ」と言われるけれど。一般に、新しいこと、独自のことがニュースだと言われます。まぁそりゃそうだ。

 記事を書くにあたって、外側からは想像しなかったほどに厳密さが求められます。名前や数字を間違うことができないのは当然として、曖昧な表現は一切避けられる。「〜のような」とか「〜らしい」とかは有り得ない。取材先で聞いたこと、確かな筋で得た情報を、正確に文章化します。読みやすさも重要。ここでこうしてテキトーに書いている文章なんかは当然没。まず第一段落で要点を書く。次に、もっとも重要なポイントについて詳しく説明する。その後で補足的な説明を続けてゆく。

 「売り上げを伸ばす計画だ」ではなく、「2003年度では100億円の売り上げを、今年度は1割伸ばす計画だ」というように、具体的な数字を入れるようにする。「製造工程を変えた」ではなく、「どこそこから機械を取り寄せて、どうたらの工程に応用し、なんとかかんとかの工夫を取り入れ、こうたらを実現できるようになった」みたいな。例えば「新製品を投入する」ということなら、何を狙って、誰を対象に、どのくらいの規模で、いつから、目標は、具体的な方法は、そしてそのニュースの背景と、今後に与える影響は・・・などなどと。そんな形態で記事を書くことを頭に入れて、取材では詳細に聞き出すようにする、と。

 いや、新聞記事の大半なんて、おもしろみもねえなぁと思うかもしれないけれど(実際俺はそう思ってた)、実に厳密に、丁寧に書かれているもんだなぁと内側から眺めて思います。限られた文字数の中で、最大限の情報を詰め込む。一種のドラマであり、芸術でもある、とすると言い過ぎか。とにかくすげぇなぁと思う。何か書くたびに、基本的なとこから直されまくりですよ。はやく書き方を習得したいものです。まだまだ当分は、修行の身です。



2004年04月23日(金)
 ペットボトルの球根

 初任給ですよ初任給!もらっちゃいました。半人前ならぬマイナス一人前の身分で、こんなお金を頂いていしまって良いのかと悩むわけだけども、ひとつの節目であります。

 今月一日から社会人で、しかも給料まで貰うようになって、それでもまだガクセイ気分が抜けません。スーツ着てネクタイ締めて外回りする日々の中でもなお、「俺って社会人なんだろうか」などど悩んでみたり。まだまだノリはサークル活動とかバイトとか、そんな感じ。だけど、まぎれもなくリーマン。社会人。ああ。

 街中で大学生らしき人々がこの世の春を謳歌しているのを見ると、殴りかかりたくなる衝動に駆られてみたり。居酒屋とかで「ガクセイらしい」学生どもがそばにいると、「てめぇら気楽でいいよなぁ。うるせえんだよ。どっかいけ邪魔だボケ」とか思ってみたり。つまりは、ほんの少し前の自分へのあてつけなんです。

 あ”〜ほんと、趣味は寝ること、インターネットすること、喫茶店でコーヒー一杯と何冊かの本で時間を潰すことだった性格からすっと、時間に追われ責任を負う身分になってストレスたまりまくりです。

 早くまぁ、慣れたい。

 保険証も持ったし、給料貰ったし、当然のように税金も引かれたし、一応、一応、親元からは独立し、ひとつの別な生活を築いていることになるんだろうけれど、まったくその実感が無い。どこに根を下ろしたら良いのか分からない、ペットボトルに生えた球根のような頼りなさ。どうせなら地面にしっかり根を生やしたいけれど、ここはマントルまで繋がる大地であるのか。どこに植わるべき場所があるのか。ちょっとした風が吹いただけで飛んでいってしまいそうな頼りなさ。

 どうやら五年近く大阪で暮らすことになりそうで。そしたらホント、三十路前ですよ。こんな生活の延長線上に家庭とか老後とかがあるんだろうか。隣に住んでる独身っぽいネエチャンがとても可愛いんですけれど。いやまぁそういうことじゃない。



2004年04月17日(土)
 First 7 Days(私)

 一人暮らしが始まって七日経つ。これまでの実家住まいと比べると、衣食住、それぞれ大きく様変わりですよ。

 とりあえず食事は不規則だ。朝はそれほど早いわけでもないが、疲れきっていてギリギリまで寝ていることが多いので、飯は食わないままで仕事に行くことが多い。昼飯はまぁ、どこかで食うなりコンビニですますなりと貧相な感じ。夜は諸先輩方にうまいもの食わせてもらったりするが、一人の時は食べ忘れることも多い。冷蔵庫の中には牛乳と納豆だけが入っている。この前一度だけご飯を炊いたが、全部は食べきれず、茶色に変色したまま残ってる。

 おかげさまで、明らかに痩せた。これが良いのか悪いのかは知らないが。

 洗濯物も溜りがちだ。ワイシャツは多めに持ってきたものの、その下に着るシャツが5枚しかなかった。気がつくと明日着る物が無かったりする。仕方がないので夜に選択をし一晩だけ干してみる。そうすっと翌朝乾ききらず、湿ったままのシャツを着込んで仕事に行く。風邪をひきかけてみたり。スーツには慣れた。あれだ、中学や高校の制服のようなもんで、だんだん着ているのが当たり前のようになってくる。気温が上がってきているので、早く夏用のスーツがほしい。

 家は駅の側のマンションの一階。ニ間あるし、一人で住むには申し分ない。キッチンは狭いがどうせ使わないんだし、問題ない。ただ、問題は日の光があまり入ってこないことだろうか。日中でも電灯を着けないと困ってしまう。こういうの、気がつかなかったなぁ。部屋は基本的に汚い。片付けているのが面倒。ゴミがどんどん溜まっていく。布団で寝たのは二日くらい。まだ出ているコタツで熟睡してしまったりもする。そんな感じ。

 
 あー、しかしまぁ、どうなるんすかね、俺は。前からの想像の通り、寝るためだけに帰る家で。まだ一週間にしかならないけれど、こうして着実に時間は過ぎてゆくのだね。ほんの少し前は学生で、今、社会人?、客観的には社会人らしいけれど、そんな気分でもなく。ああ、だけどこの延長に中年、老年があるかと思うと、あまりにも切ない。とりあえず五年。そうやな、五年後は29。三十路前まで、やるだけやってみたいもんですが。 



2004年04月16日(金)
 First 7 Days(公)

 仕事が始まって七日経つ。なんつうか、やっぱ学生の頃とはぜんぜん違う。

 思っていたほどにはきつくない。社会部のように事件に追われるところなら、時間も無規則で常時ピリピリした雰囲気なんだろうが、こちらは経済部。企業の広報担当者や役員、時には社長さんなんぞに会いに行って、色々話を聞くのがメイン。何かニュースはありませんか、と。

 むちゃくちゃだと思う。

 会社の名刺の効果はものすごいものがある。どこの会社だろうと、快く会ってもらえる。逆にそれが心苦しい。右も左も分からない大学出たての若造が、経営方針とか新製品情報とかについて、その道のプロから聞き出そうとするんだから。今まで見たことも無かった決算報告書を片手に、次期見通しの売り上げ高はなぜ低めに設定してあるのかとか、株の配当はどうなってるのかとか、引き出そうとするのだから。正直、途方に暮れている。

 入ってみてなおさら、実感したのは、営業の仕事と同じように、新聞記者にもノルマがあるということだ。当然そのノルマは、どれだけ記事を書くかという、その質と量にある。とみに思う。この仕事では、情報が商品なんだと。新しいこと、独自のことがニュースになるんだと、直接の上司が良く言う。読者が「おもしろい」と思えるようなことを、取材してきて、記事にするんだ、と。

 残念ながら、未だニュースに恵まれていない。いくつか記事は書いたが、没になってしまっている。同期は既に何本か載せていたりする。早く何かを書かねばならないと、だんだんあせってきた。例えどれほど良い取材をしたところで、記事を書かねば話にならない。逆に言えば、良い記事をたくさん書けるのならば、どこで何をしていようと問題ない。フレックスタイムどこじゃない。どこへ行って何をするのかは、各自に任せられている。それだけに、結果が問われる。俺はまだ結果を出していないわけで。来週いくらか記事を書けるけれども、いかんせんまだ、半人前どころじゃない。何をするにも上司に支えてもらわなければならない、役立たず以外の何者でもない。どうにも心苦しい。

 失敗もしたり。慣れなかったり。ますは職場の仕組みが未だ分からない。電話の繫ぎかた、データの送信の仕方、そのほかこまごました決まりごと。加えて、基本的な知識が分からない。財務諸表の読み方。相場の基本用語。記事の書き方、etc。まぁまだきちっと働き出して五日しか経ってないのだから、と思えばそれまでだけれど、少しでも早く慣れて、それから、今のフィールドを生かして動き回りたい・・・。

 ちょっと、書きすぎたかなぁ。正直、こんな、ネットカフェ行ってる場合じゃないすよね。そんな暇があるんなら、もっと勉強しなきゃならないし、いろんなとこへ出かけて、自分のアンテナを広げ鋭くしなけりゃならないし。ネットと本と喫茶店が好きなヒッキー属性な奴は、記者なんぞになったはいけないと、この頃思います。



2004年04月11日(日)
 ガチガチです。

 大阪に来て数日経ちました。「最初の一年は人間として扱わない」だとか「一生に一度くらい死ぬ気で働くのもいいんじゃないかなぁ」とか「まぁ、新人は週*0時間働く」とか、色々事前に言われていたので、かなり身構えて行ったものの、拍子抜けするくらいに暇です。

 金曜日にこっちに来て軽く研修を受けた後、職場へ案内され今後の予定を簡単に説明してもらったけれど、本格的に働くのは月曜から。意外にも土日はまるまる休み。調べ物のため土曜は少しだけ出勤したものの、特にこれといってなにもありません。ボーっとしてる。例の事件のため、部署によっては早速駆り出され、トイレへ行くことも許されないということも伝え聞いているものの、机を蹴られたとか無茶苦茶怒られたとかいうケースがあるのも聞いているものの、当方、そもそも仕事をしていない、職場にいないのだから、何事もなく・・・。

 しかしまぁ、勝手がさっぱり分からないために、あれをしておかなければならないんじゃないか、これをしておかなければならないんじゃないか、この先どうなるんだろう、これでいいのだろうか、などとガチガチになりながら、無駄に疲れていくという感じで。

 とりあえず、正直、ネットに関わっている余裕はない、です。社内規定でもご丁寧にサイト運営は禁止されており、実際まぁ、仕事のことなんぞこの場で書けるわけもなし、それ以外で何か書くこともなし、この先ここがどうなるのかというと、月に一回くらい、まぁ生きてますよというレベルで更新されれば良いのではないか、と思います。というわけで皆々様も、月に一回くらいお越し頂ければ宜しいのではないでしょうか。便りの無いのは良い便りとも言うし、まぁ、がんばります。それでは。
 



2004年04月01日(木)
 23の初陣。

 自分の名前が入った社員証と健康保険証。なるほど確かに俺はこのカイシャの社員になったらしいけれども、どこにもその実感なんてない。今日はたしかエイプリルフールだったっけ、などと考えてみる。「全部嘘でした」などと、いっそのこと言われてみたい。そんな社会人一日目。

 友人が言う。「仕事にばかり時間を取られるのは間違っている。家族とか、遊ぶ時間とか、趣味の時間とか、そういうのこそ大事だろ。そりゃ、ある程度は金を稼がなきゃならないけれどさ」。まったくもってその通りだと思う。
 
 先輩が言う。「1日24時間のうち、睡眠とか食事とか入浴とか、そういうのに、まぁ8時間を使うとする。そして仕事にもまぁ8時間取られるだろう。残りの8時間を、どう有意義に使うかで、その人の生き方は変わるんじゃないかな」。まったくもってその通りだと思う。

 占星術で色々見てもらった。「君にとって、職業とはすなわち社会的なコミュニケーションを通じた自己実現・自己表現のようです」。まったくもってその通りだと思う。俺は職業というものを、そのように捉えて、今日、今の会社の社員になっちまった。24時間のうち、16時間を仕事に拘束され続けるであろう日々が、この先何十年かに渡って待ちかまえている。

 知り合いの社会人が言う。「社会でうまくやるコツは3つある。要領が良い、口が良い、顔が良いの3つ。そして君には、それらのうち何一つとして無い。だけど、いや、だから、底が無い。最初の十年はバカにされ続けるだろうし、出世もしないだろうけれど、頑張ってごらんよ。頑張っていれば、その後で、きっと良くなるだろうから。」

 昨日、カイシャを辞めた先輩が言う。「会社人間にはならないでください」。

 友人が言う。「あんたも、変わってしまうのかなぁ。」

 まぁ、先行きは誰にも分からないし。やれるとこまでやって、また考えりゃいいや、などと思うのです。とりあえず、働いてみないことには。まだ暫く、研修なるものが続きます。9日から大阪行きます。


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