Rollin' Age

2004年03月19日(金)
 親父の横顔

 来週始めが引越しで、だいたいの荷造りを終え、ようやく少し落ち着いた。これから業者のトラックが来る。後は大阪の新居で搬入に立ち会うだけだ。まとまった荷物を見ると、いわゆる生活必需品は別として、驚くほどに持ち出してゆくものが少ない。CDプレイヤーと、木刀と、本が数冊。なるほど、私は趣味なるものに縁遠いようだ。荷物を整理するとともに、実家の自室をいくらか片付けたものの、なにせ持って行く物が少ないのだから、見た目ほとんど変わらない。それでも、当分帰ってこないなぁという気持ちのせいなのか、部屋にはどこか寂しそうな雰囲気が漂っている。

 この六間の部屋には、治外法権が適用される。煙草についての治外法権。母と妹の意向で基本的に我が家は全面禁煙のはずだったのだが、いつのまにやら、私の部屋は、常に煙草の腐臭を漂わせる場所となっている。最初は、戸外の空き地で吸っていた。次に、窓から身を乗り出して吸うようになった。今では、机の上に蓋付きの吸殻入れが堂々と置かれている。もはやチェーン・スモーカーとなりつつある私には、いちいち外へ出て吸うということがあまりにも面倒になってしまった。

 部屋のドアを開け放しにしておくと、臭いが廊下をつたって家中に漏れるので、基本的にいつも閉め切っている。そうすると部屋の中で煙草の煙が満ち満ちてしまうので、窓を開けざるを得ない。夏はまだ良いが、冬は寒くて仕方ない。それでも窓を開け、煙草を吸う。壁はところどころ煤けていて、布団には煙草の臭いが染み付いてしまっている。それでも、吸い続けている。そんな部屋に、最近、父がやって来るようになった。煙草を吸いに。

 去年の終わりごろ、「俺は禁煙するぞ」と父は表明していたが、どうやら数日かそこらでダメだったらしい。夜中に私が自室で何事かしていると、玄関のドアが開く音がする。父が帰宅したようだ。暫くして階段をのぼってくる鈍い重たい音がする。いったん私の部屋の前で止まり、ドンドンとノックをして、入ってくる。「臭ぇなぁ、お前の部屋は」。たいてい最初にそう呟いて、「ちょっと、ちょっと一本な」と言って私に煙草をねだる。もちろん、彼は酔っ払っている。今年に入ってから、たいていこんな感じで、父は私の部屋に煙草を吸いに来る。

 私は仕方ねぇなぁという顔をして、煙草を差し出すと、父は床にどっかと座り込んで、実にうまそうに煙を味わいだす。「禁煙してるんじゃなかったけ?」。私が問い質すと、いつも笑って流すのだが、酒のはずみとでも言うのか、この前ぽろっと口にしたのは、「まぁ、お前とこうして煙草を呑めるのも、もうないんだから」。そういうことらしい。ともかく、毎夜毎夜、父は煙草を吸いにやってきて、取り留めの無い話をして、一本か二本煙草を吸い終わると部屋を出てゆく。ただ、先日は少し違っていた。入ってくるなり、何か手に持った物を私に差し出して、さっきこれを買ったんだよ、と。

 手渡されたのは、何かのCDだった。「さっきな、これを駅前で買ったんだよ」。安っぽいつくりのそれは、どうやら誰かの手による自作のCDだった。「いやさ、駅前で、なんだ、そう、ストリートミュージシャン、演奏しててさ、おっ、と思って。なんか綺麗な歌声でさ。歌詞もなかなか、素直でいいんじゃなかなぁって。最後まで聴いてたら、俺だけ残ってて、彼らの一人から、名刺渡されて、ありがとうございますってさ」。「で、おれ、カンパしようと思ったら、CD作ったんです、って。500円でさ。じゃぁ、それ買うよ、って。んで、買ってきたんだよ。これ、ちょっとさ、かけてみろ。」

 私はまず、そんなものを父が買ってくることに驚いていた。言われるままにCDプレイヤーで演奏を始めると、シンプルなギターの音色をバックに、高い音色の女性ボーカルが流れ出す。付属の歌詞カードを見る。残念だが、私の好みでは無い。どこにも毒の無い、ただただ綺麗なラブソングで。歌声が綺麗なことは印象に残ったが。歌詞を眺めながら歌を聴いていると、父は構わず話し続ける。「俺はさぁ、けっこうこういう、なんだ、ストリートミュージシャン、見てきてるんだよ。週に一回くらいか。んで、いいな、と思ったらカンパするんだ。地元の駅前でやってるのは初めてでさ、聴いてると、なかなあいいなぁと思ってさ」。

 ますます驚いた。週に1回、って。そんなにどこで見てるのかと尋ねると、「池袋辺りにはいっぱいさ、いるんだ」と答える。「こういうさ、若者の、夢っていうかなぁ、いいなぁ、って思うんだよなぁ。俺に何か、手伝えないかなぁ、って。音楽のこと詳しければさ、ここをこうしろとか、アドバイスできるんだけど、俺は別になぁ、才能ないからさ。いや、何か力になってやりたいって思うんだよ。ほら、あれ、モンゴルなんとか・・・」。「モンパチね」。「そう、あれもさ、ストリートミュージシャン出身って言うだろう。俺はさ、全国レベルで、コンテストできないかな、って。全国大会だよ。若い才能を、なんとかして咲かせてやりたいんだよなぁ。」

 「もんだいはさ、判断基準をどこに置くかなんだよな。あいつ選んで、なんでおれが選ばれないんだ、とかさ、審査員を誰にするかとかな。だけどまぁ、やってみたいんだよなぁ」。「いや、それは、本気で考えてるの?」。「本気だとも。いつか、やってみたいんだよなあ」。ちなみに父は普通のサラリーマンである。ここまで来ると、完全に酔っ払いの話になってしまっているが、私は素直に感心していた。徐々に還暦が迫ってくる歳で、父が、こんな馬鹿馬鹿しい夢を語ることに。

 「ストリートミュージシャン」という言葉さえ、考えて思い出しながらでないと口から出てこない、そういう音楽とはさして関係も無い父が、機会があれば路上ライブを聴き、良いと思えばカンパをし、そして全国大会なんていう途方も無い夢を持っている。あまりに馬鹿馬鹿しいじゃないか。そこが良い。仕事が忙しく、日々疲れは取れないだろうに、そんな夢を、漠然とではありながらも、抱いていられる、ただただ私は驚きながら話を聞いていた。

 そのCDは5曲入りで、そのうちの2曲が終わった辺りで、父はいつものように、「いや、邪魔したな」と言って部屋を出て行った。別に邪魔でもなんでもない。面白かった。来月始めに私はこの家を出る。この先、この部屋で煙草を吸うことも無いだろう。部屋に染み付いた臭いも、いずれ消えるだろう。ただ、またいつか帰ってきたいなと、ふと思った。



2004年03月14日(日)
 新聞記者なるもの。

 前のサイトでのドタバタしてた就活の日記をご覧になってた方はご存知のように、4月から私は新聞記者になる。ということを知った人のうち何人かは、「あー、ジャーナリストになるんだね」とコメントする。いや、違う。新聞記者という仕事は、ジャーナリストと言うよりも、サラリーマンと言ったほうが、遥かに近いと思う。

 東に犯罪があれば夜討ち朝駆けで聞き込みをし、西に事故があれば警察署を尋ね、南に役所からの発表があればその記者クラブに行き、北で企業の新製品情報があれば担当者の話を聞きに行く。ジャーナリストなるものの条件が、自ら問題意識を持ち綿密に調査・取材を行うことだとすれば、新聞記者なんてのは、その条件を満たせない。上司から、あれ聞いて来い、どこそこへ行って来いという命令を忠実に、時には適当にこなしつつ駆けずり回る。現役の記者たちにその仕事っぷりを尋ねた結果、そういうもんなんだと認識している。まぁ実際まだ働いてみてもいないので分からないけれど。

 社会の木鐸だとか、真実の追究だとか、そうした理念は理念として、どうも彼らは忙しすぎるんじゃないかと、少し同情的に援護してみる。日本全国津々浦々、世界全体までを視野に入れると、情報源が多すぎる。国会・役所・警察署・企業などを中心として、全国に散らばるニュースの源をカバーするだけで、一苦労だろうと思う。

 紙面を見てみれば良い。「××によると・・・」、「××の発表によると・・・」などといった記事が大半のはずだ。それを、いわゆる「発表モノ」ばかりで、縦のものを横にするだけだという批判、新聞は政府や企業の広報誌にすぎないという批判も聞かれるが、ぶっちゃけある程度まではそれで良いのではないかと思う。「今日は、日本全国、そして世界では、こんなニュースがありました」というように、数多のニュースをひとまとめにし、整理して、三十数枚の紙面の中で提示することこそが、新聞の現実的で日常的な役割だと思う。

 だから新聞記者なんてのは、真実だとか正義だとかそんなものは建前として、現実は、とにかく日々与えられた仕事をこなしていくだけのサラリーマンなんだと思う。店の売り上げを上げるように要請されるマネージャー、顧客の新規開拓ノルマを課せられて頑張る営業マン、そういうのと何ら変わりない。ほぼ毎日発行される新聞の締め切りに間に合うように、情報を取ってきてそれを書いて上司に提出する、そんな毎日なんだろう、基本的には。

 そうした見方が妥当かどうかの是非は置いといて、新聞記者がサラリーマンだとしても、ちょっと違う、いや、だいぶ他とは一線を画する点があるのは否めない。

 先日、入社一年目の新聞記者を訪ねてきた。夜もだいぶ遅くなって、ようやく面会を果たすと、「とりあえず美味いものでも食べようか」と、店内に釣堀のある刺身の美味しい店へ連れて行ってもらう。その後、「じゃぁこの後どうしようか。夜の街にでも繰り出すか?」と。いやいやいや。ちょっと待って。別に風俗やりに来たんじゃないよ。色々と生々しい仕事の話を聞きに来たんだよ。その、生々しい話。一番きわどいのは、給料のことで。話を聞くと、正直、どうかしてる。バブル期のヤンエグかと思う。

 就活でたくさんの新聞記者に会ったけれど、彼らの多くは特有のオーラを持っている。傲慢、エリート意識・・・というと語弊があるか。何か漠然とした自信のようなものと言ってよいだろうか。それは、高級トリで、ジャーナリストもどきで、息をつく暇も無いような忙しさ、そういう環境が醸し出す雰囲気なのかもしれない。そうしたオーラを持つ、金に困ることの無い人々が、倒産した中小企業の経営者の気持ちだとか、金に困って犯罪を犯してしまう人の気持ちだとか、そういうのは分かりっこないんじゃないだろうかと、少し疑惑を感じる。

 一年後、私はどうなっているだろうか。貰えるものは貰うし、使えるものは使うけれど、それが当たり前だと思うようになったら、多分今の自分とは違う自分が、そこにいるだろう。



2004年03月13日(土)
 卒業旅行とは名ばかりの。

 三月と言えば卒業シーズンなわけで、そしてこの春卒業を迎える者どもは、卒業旅行に出かけちゃったりするに違いない。私の周りでは、流氷を見に北海道へ行くだとか、東南アジアでバガボンドになるだとか、北欧でオーロラを見るだとか、それはそれはもうロマンチックなわけで、いきおいこちらも負けじと、どっか行って思い出作りでもしなければと考え出す。

 海外は別に行きたいわけでもないし、てーか面倒くさいし、国内でどっか行こうかーと思案してみると、大阪と福岡に友人が数人居ることを思い出す。久しく会っていない。んじゃぁ、西日本一人旅でもするかー、各地で懐かしい友人らに会って積もる話でもしつつ、色々行ったことの無い場所など訪れてみよう、大阪と福岡は決まりとして、鳥取砂丘や出雲大社とか日本海側を回って帰ってこよう。青春18切符で、ちんたら五日間くらいかけてさぁ・・・などと計画を立てていたのが一ヶ月前のこと。

 計画なんてものは、破られるためにある。まず、大阪行きは取りやめになった。というのは、四月からそこで働くことが決まったから。これから住む場所なのに、旅行も糞も無い。次に、スケジュールが都合つかなくなった。三月上旬から中旬にかけて五日間は日取りを空けていたはずなのに、色々な予定が詰まってゆき、けっきょく二日間しか身動き取れなくなってしまった。

 学生は学生なりに忙しいと思う。何の拍子だったか「最近忙しくて」と言ってみたところ、社会人の友人からかなり怒られた。「学生の言う”忙しい”なんて、たかが知れてるだろ」、と。そう、仕事に多くの時間を拘束される社会人からすれば、学生は暇そのものだと言えるに違いない。それは分かっちゃいるけれど、働いてなんていやしないけれど、それでも忙しいもんは忙しいんである。

 新宿で飲んで吉祥寺で飲んで新宿で飲んで新宿で飲んで新宿で飲んで・・・、今月これまでに何回終電で帰ったことだろう。あとは部活の合宿だとか、卒業式だとか、引越しだとか、色々あって首が回らない。まぁ、それでも社会人の方が忙しいに決まっているのだけど、かつて学生でもあった貴方達は、「忙しい」などと言う私のような学生を、笑って見てればいいのだと思う。「今に分かるよ」と。少なくとも私は、まだ社会人の生活というものを経験していない。だから、比べようも無いさ。

 何の話だったか。そう、スケジュールが詰まってしまい、二日間だけしか予定が空かなかったのだった。それでも、福岡にいる友人たちに「今度遊びに行くよー」などと伝えておいていたため、行ってきた、福岡。一泊二日で。東京⇔福岡を片道五時間かけて。のぞみ自由席複学割で。39000円した。「同じ値段で海外とか行けるんじゃないの?」とか言うな。
 
 現地では、懐かしい友人たちと積もる話をしつつ、素敵な居酒屋を紹介してもらったり、刺身をご馳走になったり、豚骨ラーメンを食べたり、寿司を味わったりした。あいらぶ博多。まいうー福岡。「食ってばかりかよ」とか言うな。一泊二日という時間の中で、およそ12時間を移動時間に取られているのだ。物を食う以外には、福岡城跡とか、福岡タワーとか、博物館とか行ってみたり、親富幸通りを歩いてみたりしたけれど、そんなもんだ。

 行きの新幹線の中では、隣に居たサラリーマンがノートパソコンを開きながら会議の資料を作っていた。帰りの新幹線の中では、隣に居たサラリーマンが、「OJT成功の方法」などといったビジネスマニュアル本を読んでいた。これはもう、卒業旅行などではなく、出張みたいなもんだと思いながら、私は疲れて眠っていた。


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