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2003年03月26日(水) 武士道

新渡戸稲造の武士道をもう一度読み直している。

先日、台湾の李登輝元総統が書かれた「武士道解題」という本を読んで、なるほど最近の日本が失っているものはこの武士道精神ではないかと再認識したのが、ことの発端である。

李登輝元総統は日本人以上に日本のことを心配されていて、「元気出せ日本!」と、いてもたってもいられずにこの本を出版されたのだろう。

われわれ日本男子はもう一度その気持ちを酌んで、「武士道」精神を再認識する必要があるのだろう。

確かに、今の日本では「お天道さまに顔向けできないようなことをするな」とか「人に迷惑をかけるな」とか「祖先を大切にしなさい」というような当たり前のことを子供のころから口うるさく言うということがなくなってきている。これがそもそも武士道精神が失われてきた根本原因だ。

その上、学校の先生達も愛国精神だとか、敬老の精神だとか、基本的な道徳を教えなくなってきている。というよりそういう土壌がそもそもない。

基本的な生き方(それを道徳のいうのかもしれないが)というのが、僕らの世代も含めてなんとなくアバウトになってきていて、確固たるバックボーンなしにただ毎日浮遊しているという感じだ。

「勇」「仁」「義」「礼」などもうとっくに忘れられているような感じだ。武士道の本ではその他「誠」「名誉」「忠義」「大和魂」と続く。

われわれはもう一度サムライの精神を学び、子供たちに誇り高き日本人として胸を張って生きていけるような国を作っていかねばならないのだろう。


2003年03月24日(月) 戦争中なんだろうか

とうとう戦争が始まってしまった。

湾岸戦争とは違って、攻め込む理由がさっぱりわからない。どう考えてもイラク国民の平和というよりは、油田の権利をフセインから奪いたいからだけだとしか思えない。

これで大量破壊兵器が見つからなければどういう言い訳をするのだろうか?

フセインの独裁政権が良い悪いは別にして、どう考えてもアメリカ側は道理が立たないのではないだろうか?

世界中で反戦運動が激しいが、もう世界の人々は戦争はこりごりなんだ。パワーの均衡として兵力を持つことは必要かもしれないけれど、もう今や実践してはいけないのだろう。

バグダッドへの空爆では、ペルシャ湾から巡航ミサイルの発射で的確に目的物を破壊しているが、もうゲームの世界のようなのだ。そこには血の通った侍の戦いというのはなくて、パソコンオタクがシミュレーションゲームをしているのに似通った世界を感じてしまう。非常に薄気味悪い気がする。

経済の世界では、短期収束を予定し、今日は株価も8400円台を回復。しかし、本当に短期で終わるのだろうか?

終わったとしても、国連決議なしに戦争が始められる前例を作ってしまったあとの国際社会はどういう体制になるのだろうか?

日本はそんな中で同盟国側になって、国連と対峙してしまうのだろうか?

どうして、自然を大切にし、道理をわきまえ、義理人情に厚い日本人がアングロサクソンと同盟を結んでいるのだろうか???

今の政治家に名誉という概念はないのだろうか?


2003年03月17日(月) イラクへの攻撃がやっぱりわからない

なぜ、今イラクを攻撃するのかさっぱりわからない。

アメリカはどうしてイラクを攻撃したいのだろう?さっぱりわからない。もともとアルカイダがはじめた無差別テロに対する報復から始まったはずだ。そのためアフガニスタンを攻撃していたが、暫定政権ができたとたんに今度はイラクだ。

アフガニスタンの時も、アルカイダというテロ集団に対抗しなければならないところをアフガニスタンという国を相手に攻撃したが、かなり論理的飛躍があるなあと感じたが、今回はもっとめちゃくちゃだ。そもそも無差別テロとイラクと何かつながりがあるのだろうか?

アメリカの主張からすれば、イラクは大量破壊兵器を持っているからテロに横流しするかもしれないという論理かもしれないが、ものすごくとっぴょうしもない論理の飛躍を感じる。

ううううん全然わからん。

国連決議なしでもアメリカは攻撃するというが、それは、非常にめちゃくちゃだ。今国際社会では、国連を中心に平和をめざそうとしているのに、その決議無しで宣戦布告するのは、無法者ということではないか?

今回は本当にどちらが悪なのかよくわからない。イラクは確かにフセイン独裁政権の言論統制下のもとミサイルを配備していることも確かだが、国民は北朝鮮ほど疲弊しているわけでもなく、そもそも侵略しようという意志があるわけでも、アルカイダに兵器を横流ししているという証拠もない。普通の国のように見える。

核兵器保有国が核兵器査察をしていること自体はらだたしいことだが、何も無抵抗な国を攻撃するというのは横暴ではないのだろうか?

それなのに我が国はそんな乱暴者の肩を持つ。肩を持たなければやっていけないというのなら何ともナサケナイことだ。

学生時代に自衛隊は憲法違反だと思って本気で兵力を縮小すべきだと思っていた自分がいまさらながら恥ずかしい。やはり自立した国は自分の国を守るだけの防衛力は必要条件なのだ。自衛隊はもっとちゃんとした体系を持って自立した軍としてしっかりしたものを作らねばならないのだ。

自分で自分の国を守れないからこんな無法者の国のサイドに立つという恥ずかしい思いをしなければならないのだ。国連の日本大使のアメリカの犬のようなスピーチには正直腹が立った。日本は本当に自立した大人の国家とはいえないのだろう。。。。。


2003年03月14日(金) 株価8000円?!

日本沈没も間近なのか株価は8000円前後になっている。

せめて2万円前後を推移してもらいたいものだが、とてつもなく低い。

なぜインフレターゲットを設けないのか不思議で仕方ない。日銀総裁が決まって経済がV字回復すると思っていたのに、次期日銀総裁もなんだかたよりない。インフレタ−ゲッターをどうして総裁にしなかったのか不思議だ。

今の日本に欠けているのは、将来成長していくという気持ちだけだ。マスコミはあいかわらず、「低成長時代」とか「賃下げ」とか「リストラ」とか「時代が変わった」とか「能力主義」とかとにかく人の不安を煽ることしかしないため、なんとなく世間がどよよ〜んと暗くなっていく。

日本は技術もあったし、そもそもアメリカなんかと違って人にやさしい、美しい製品やしくみを作ってきた。そりゃそうだ先祖が海賊なのと、農民なのとはえらい違いなのだ。

なのに、今はアメリカに右に習えで弱肉強食をみんながすすめる世の中になってしまった。

昨日、TVで高速エレベータを作る技術者の番組を見てると、もともとは欧米からの輸入なのだが、アメリカのエレベータは急発進急停車なので日本人は気分が悪くなる人が多かったのだが(アメリカ人は無頓着だから酔わないのか?)そこを改良して、とにかくスムーズに動く仕組みを作ったようだ。おかげで横浜のランドマークタワーのエレベータは10円玉を立てたまま60階以上を高速走行しても不動なのらしい。

日本はそういう人に優しい技術を作ってきた。こんなことは他国は追随できないだろう。とにかく考え抜いた技術さえあれば、世界など恐れるに足らないはず、中国がいくら力をつけても追いつけないものというのはあるはずだ。日本はもっとそういうソフト面に自信をもってやっていくべきなのだ。

そんなところに小泉竹中コンビのようなアングロサクソン崇拝者は不要だ。もっと日本的に発展していくべきだ。

とにかく、日本はもう少しインフレになって、景気を回復させれば、猛烈にV字回復するだろう。所得も今の1.5倍ぐらいになってもいいのではないか?外国との差は円安に誘導すればいいのではないか?そうすれば、農産物も価格競争力が出て国内自給率が増加するのではないか?

インフレターゲットと円安誘導、食料自給率の向上のための農業再興とブランド製品の創成、人にやさしい技術、これらをやっていけば日本は世界に誇れる国になるのではないだろうか?


2003年03月12日(水) タマちゃん騒動

タマちゃんを捕獲しようとしたグループがいるとかなんとかでニュースになっていた。

ニュースをよく見たわけではないが、なんでも、「タマちゃんのことを想う会」とかいうグループがアメリカの環境保護団体と協力して、タマちゃんを捕獲し、海に還そうとしたらしい。なんでも川が汚くて健康を害していると思われるからだそうだ。

それを見ていた「タマちゃんを見守る会」とかが「刺激するな!」とか「何をしているのか!」と抗議しているということらしい。

ニュースの論調はどちらかといえば「見守る会」の味方で、許可なく捕獲しようとしていたことを指摘していたようだ。

だが、わたしから言わせればどっちもどっちだ。年間3万人も自殺する日本で、川に迷いこんだアザラシがどうなろうとどうでもいいことなのだ。同じ川沿いにはホームレスの人がブルーシートの中で暮らしているかもしれない。そういう状況を何とかすることが先決だろう。癒しブームだかなんだかしらないが、馬鹿みたいに汚い川に迷いこんだあざらしを大切にする風潮が理解できない。

アザラシを想ったり、見守ったりするよりも、壊れていきそうな日本という国をもっと想ってほしいものだ。


2003年03月11日(火) 体重が減らない

なかなか増えた体重が戻らない。

1年前東京に単身赴任して以来5キロ増えた体重が元に戻らない。仕事が楽ということもあるが、間食をしまくってるわけでもなく、最近は毎週のように山登りをしているにもかかわらず全く変化がない。

このままではとてもじゃないが長生きできそうにない。

あと10キロ減らして下さいと医者には言われているが、そうそう簡単に減量できるものではない。ただ会社員になって以来いまの体重の5キロ減で(それでも太ってるけど)ずっと14年維持していたのに、ここ1年で全くそのレベルにすら戻らない。なんでだろう?

太っていると、前にかがみにくく、勉強が長時間できない。もちろん仕事もやりにくい。

ビールをやめれば効果があるような気もするが、こればかりは何故か実験できないようだ。。。


2003年03月10日(月) たまには恋愛について

曽野綾子の「夢に殉ず」という小説を読んだ。
上下巻の長篇だが、なかなか読みごたえがあった

主人公「天馬翔」はここ20年ぐらい無職。古いアパートの賃貸料だけで生計をたてているが、とにかく自由奔放で奥さん以外に3人の恋人の間を行き来しては、その先々でおこるエピソードがおもしろい。

こういう小説を読むと、夫婦って一体何なん?と、あらためて考えてしまう。

夫婦の間に子供ができるととたんに家族になってしまう。昔の恋人は「おかあちゃん」になってしまう。それはとにかく劇的に変化してしまう。

まあ、家族としてアウトドアでバーベキューしたり、旅行にいったりなどなど家族という体系はこれはこれで面白いのだが、やはり夫婦間にセックスを伴わなくなってしまうのが劇的な変化だろう。

日本の住宅事情かもしれないが、親子で川の字になっている状況にセックスというのはどうも介在しない。友達に聞いてもみんな口を合わせて、「どうもそういう気になれんわな」ということだ。

そうしてみると、この主人公「天馬翔」がものすごくうらやましくなってしまう。

男はどうも永遠の恋人を探しているようで、かみさんや子供がいてもやはり心のどこかで一緒にベッドを共にする女の人を探しているような気がするのだ。。。その永遠の恋人がかみさんなら良いのだけれど、どうもそうはならない。

どうしてなのかなあ?


2003年03月08日(土) 日本産のピーナッツは?

ビールのおつまみにはピーナッツがあう。

殻付きのもいいが、大好きなのは黒糖をまぶしたピーナッツ。
沖縄では良く見かけるのだが、大阪ではあんまりない。

かわりにコーヒーをまぶしたのがあるので、これを買ってきたが、ピーナッツは中国産だ。

ちなみに、今日スーパーでピーナッツ関係を全部裏向けて、生産地を見たが全部中国だった。近所のスーパーには日本産のピーナッツがないのだ。

帰りにコンビニでも確かめたが全部中国産だった。いったい日本産のピーナッツはどこに売っているのだろうか?

中国産だとどうしても農薬を食べてるような気がして落ち着かない。薬のいらないほうれんそうにすら大量に農薬をかける中国。スーパーでは中国産とアメリカ産はなるべく手にしないようにしているのだが、こんなふうに中国産しかないと、どうしようもない。

今も、ビールを飲みながらバターピーナッツを食べているのだが、なんだか胃の中に農薬が入ってるようで気持ち悪い。でも食べたい。ああどうしたらいいのだろう?日本産のピーナッツ売ってるとこさがさなきゃ。。。


2003年03月06日(木) ふざけられない先生

東京のとある中学校で、期末試験の選択問題の回答が逆から読んだら○○ホソイとか△△チコクとなるような(○○は女子生徒の名前、△△は男子生徒の名前)出題をしたということで、保護者に抗議を受け、新聞沙汰になっている。校長は取り返しのつかないことをしたといい、その先生と一緒に学年集会で生徒に謝罪したということだ。

こういう記事を読むと、どうしてこれくらいのことで新聞沙汰にするのだろうと不思議に思うし、そもそも中学校2年生にもなって、どうして保護者が抗議するのだろうと首をかしげざるを得ない。

だいたい先生のそういうおふざけに目くじらを立てて、生徒の前で謝罪させる校長も校長だ。その先生に同情したくなる。ちょっとしたおふざけでなんで生徒の前で謝罪せねばならないのだろう?生徒たちはそれで気がすんだのだろうか?

もし、そうさせることを生徒達が当然と感じ、その先生をつるしあげることを正義と感じるのなら、日本の将来はなんだか末恐ろしい気がする。しかも自分達が抗議したのではなくて、親がかわりに抗議したのにもかかわらずだ。大人になるにはジョークはジョークとしてさらりと流すだけの懐の広さが必要なのではないか?教育はそういうものだろう?不真面目はダメかもしれないけれど、ただそれを勧善懲悪の紋切り型で断罪するのは酷だろう。なんとも不自由な学校だという気がする。

きっとその先生は、今後冗談など言わなくなってしまうだろう。ふざけるとすぐに親からつるしあげられて生徒の前で、(いみじくも聖職者が、)教え子に頭をさげねばならないのだ。こんな馬鹿な話はないだろう。

「不真面目な先生やなあ!」と笑ってゆるせば、みんな幸せになれただろうに。


2003年03月05日(水) 春が来るのはサラ金だけか。。

ア○ムの宣伝だが、若い男の子が、かわいいア○ムのお姉さんを訪ねてくるシーン。そのときのお姉さんの笑顔の裏にどうしても「しめしめ、かもが来よったわ」と言ってるように思うのは気のせいでしょうか。。。

それにしても消費者金融のコマーシャルが多い今日この頃。

物価は下がりまくり、わがマンションも下がりまくる。

誰かはやくこのデフレを止めてくれないかと思った矢先、今日は首相が「誰が首相になってもデフレを止められない」などと、わけのわからん発言をしたようだ。やる気がないのならさっさと辞めてほしい。

庶民はきょうもあっけらかんと借金を背負うではないか。。。


2003年03月04日(火) 記憶力をのばす

「記憶力を強くする」という本を読んだ。

東京大学の助手で池谷裕二という人の書いたもので、おもに脳の側頭葉の内側にある「海馬」のことを中心に記憶というものを最新情報を含めわかりやすく解説した本だ。

なかでも、年をとっても記憶力が減るというのは間違いで、頭を使えば使う程記憶力が良くなるという点が意外に感じた。

「年をとって、どうも物覚えが悪くて。。。へへ」なんていう言い訳をすることがあるが、こういうのは間違いで、ハナから覚えようとしていなかったということらしい。そういえば、小学校の頃は、ずいぶん簡単なことを何回もくりかえしくりかえししてやっと覚えたような気がする。

著者も記憶はなんども失敗しながらくり返していくことで記憶が定着すると言っている。なんのことはない、簡単に覚えれるわけではないのだ。くり返しが必要なのだ。

タクシー運転手が複雑な道路を記憶できるのは、何度も何度もその道を通るという体験をしているからだそうだ。おどろいたことにタクシー運転手の海馬は普通の人より発達しているらしい。脳細胞は増殖することはないのだが、唯一例外的にこの「海馬」の歯状回という部分の顆粒細胞だけは刺激によって増殖するのだそうだ。

大人になってくると、こういう根気のいる記憶をとろうとせず、表面をさらっと経験しただけで、記憶した気持ちになっているから、本当に記憶できないのだそうだ。もっと興味を持って何度も何度もくり返す必要があるらしい。

また、記憶方法も細かいことをちまちま覚えるのではなく、まず大掴みで掴んでそれから詳細を記憶する必要があるということだ。

ふむふむ、なかなか難しい。

あと、新しい体験(旅行とか)をするとか、楽しいなあと思うことが海馬を刺激し、記憶を向上させるらしい。楽しいことといえば、、すぐ変なことを想像するが、記憶力向上のためにいろいろ経験するのも良いようですな。


2003年03月03日(月) システムがおかしい。。

最近システムトラブルが多い。
おととい航空管制のシステムトラブルで100本以上の国内線が運休になったが、最近日本のコンピュータシステムがどうもおかしい。

企業にコンピュータシステムが導入されだした昭和40年代当時のシステム部門は、とにかく少ないメモリとハードディスクをいかに有効活用するのかが重要だった。日々頭を悩ましながらプログラムやJCLを組み換えては最適なシステム運用とは?ということを考えながらシステムを作っていた。

当時はシステム部門に配属されると、とにかく一からプログラミングを学び、細心の注意を払ってシステムを組み立てる訓練をしていた。(というよりは、秩序立ててシステムを組まないとすぐにダウンしてしまうような能力の弱いコンピュータを相手に格闘していたという感じだ。)

ところが、コンピュータが一般の人にも使われ出したここ数年のコンピュータの進歩は著しく、プログラミングの基礎などわからなくても、プログラムが作れるようになってきた。メモリの有効利用やそもそものコンピュータの特性など知らなくても、プログラムが要領良く動いてしまうようになってしまったのだ。

これが、最近のしょーもないミスの連発につながっているのではないだろうか?

経営はとにかくスピードを求め、システム部門も簡単になったプログラミング技術でその要求に答えようとして、昔のように細心の注意を払って隅々まで検証するということをしないようになってきた。それよりも早く作って、一発勝負で成果を早くだそうとしている。

昔のようにゆったりとシステムを構築していると、経営に非難されるので、プロトタイプを作っては、じゃんじゃん変更して、とにかくスピードをあげて成果を急いでいるという感じになってきた。

ここ数年の大企業が引き起こしたシステムトラブルはみんなそうだ。システム部門の慢心が引き起こしたものだ。

15年以上前のシステム部門は縁の下の力持ちだった。経営の中枢には全く縁がなく、深夜まで労働しているのにその見返りもないが、「おれたちがこの会社の屋台骨を背負っているのだ」という自負があった。そして、いつか経営陣を唸らせる存在になりたいと思って、みんなが一生懸命力を合わせて頑張っていた。

ところが、最近は経営陣もシステムの価値がわかってきて、IT部門が一躍経営の表舞台にのし上がってきた。これがそもそもの間違いだ。システムが縁の下の力持ちで、みんな一所懸命やっていた時代と異なり、浅い知識で十分システムが作れる時代になったことが、災いしたのだ。それでいてシステム部門は自分たちを偉いものと錯覚しはじめた。経営の中心がシステムと思うようになった。とにかく慢心のはじまりである。

一昔前なら、絶対にテストしていたようなことを簡単に忘れてしまうようになった。新聞などをみても「なんでこんなテストしてないんだろう?」と思うような事象ばかりだ。

基本がとにかくなっていない。わけのわからない専門用語を並べては偉そうにしているシステム部門になど未来はないのだ。


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