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2002年03月31日(日) 花見三昧

 またまた大阪に帰って、家族そろってよい週末を過ごした。

 昨日は有馬温泉に日帰り風呂。今日は近場の大仙公園で花見だ。
 昨日の有馬グランドホテルは最高によかった。お風呂と昼食のセットなんだけど、お客さんもそんなに多くなく、広いお風呂に6人ほどしかいなかった。露天風呂は子供と僕とで貸し切り状態。いや〜極楽極楽。料理も最高においしくて、至福のひとときをすごせた。このホテルは送り迎えも愛想よく、本当に最高。ほとんど死にかけの4ヶ月のご褒美にと奮発してよかった。発案のかみさんに感謝感謝。
 昨日はぜいたくだったので、今日は近場の大仙公園にお弁当をもって花見。これがまた超満開。最高!上手い具合に桜の木の下に場所があいていて、そこで食べるお弁当のおいしいことおいしいこと。お弁当を食べた後、子供とごろんと昼寝がまた楽しい。目を開けると満開の桜。横を向くと楽しそうな我が子。ああなんたる幸せ。
 会社でのいやなことなんかどうでもよくなってくる。仕事より家庭をとってよかった。こんな週末を毎回過ごせたら幸せだろうなあ。残業さえ減ればこういう週末が過ごせるだろう。今度はどこの部署かわからないけど、スピーディーに仕事をこなして、早く帰るようにしたい。
 マイホームパパを笑うやつは笑え。


2002年03月21日(木) あやうくトラックに轢かれるとこだった。

 今日、トラックに轢かれかけた。自転車で歩道を走っていると、急にトラックがバックで飛び出してきたのだ。あと3秒ほど通過するのが遅かったら轢かれていただろう。トラックの若い運転手があやまっていたが、謝って済む問題じゃなかったかもしれないのだ。
 子供の時にもローラスケートで坂を下って遊んでいて、突然前を車が横切ったことがあった。なぜかそのときは、ふうっと誰かが持ち上げてくれたような気がした。完全にぶつかるタイミングだったのになぜかかすり傷ひとつしなかったのだ。今思い出しても不思議な体験だった。
 定命といって、仏教では人間には与えられた命があるというのを瀬戸内寂聴さんの本で読んだことがあるが、そういう意味では、どういうわけか私自身が生かされているという感覚がすごくする。まだ死んだらあかんよと仏さんか神さんがが手を差し伸べているように思える。

 子供が障害を持ったのも、何か縁があったのかもしれない。子供が障害を持たなければ、夫婦で障害について話をしたこともなかっただろうし、ましてや子育てが夫婦共同で行うものという認識に僕がいかなかっただろう。男は外で仕事をし、女が家庭を守ればいいという古い感覚のまま生きていたことだろう。ひょっとしたら離婚していたかもしれない。
 大学のころボランティアで障害者の世話をしていたのだが、それもどういうわけか自発的にやっていた。誰かに強制されたわけでもなく、友達がやっていたわけでもないのに、やりなさいと空の上から見えざる手が僕を誘導していたような気がする。手話の勉強もしようとしていた。その頃はかみさんと結婚することも、生まれた子が障害児になるということも決まっていなかったはずなのに、すべては予定されていたかのように、自分の経験の中にちゃんと障害児に対する基礎ができていたような気がする。
 子供が障害になったときに読んだ本に、神様はちゃんと見ていて、障害児を育てられる家庭にしか障害児をつれてこない、みたいなことが書かれてあった。
 いろんなことがすべては関係しているのかもしれない。運命論者ではないけれど、人生はあらかじめ予定されているのかもしれない。ただ、選択できる時もあって、そのときどういう選択をするかということで、その後の人生が変わっていくのかもしれない。でも自分が選択した道自体もひょっとしたら神様はお見通しなのかもしれない。

 今回、東京を拒否して大阪に戻ることが人生にどういう影響を与えるのかわからないけれど、これはなるべくしてなったとも思える。これから第3の人生をどう生きるか、真剣に考えたいと思うのだ。
 森毅さんの本に「人生20年説」というのがあって、人生20年ずつ4回あると書いてある。1回目が学生の20年間、2回目が仕事の20年間、3回目と4回目は忘れたけど、40ぐらいから60ぐらいまでの人生に何をするのかというのは大事だと思う。あと3年で40歳。第3の人生に向かって今から準備をしていこう。


2002年03月17日(日) 公園でお弁当

 今日はあんまりお天気が良いので、公園でお弁当を食べることにした。
 昨日は大阪に帰って、子供のカブスカウトの組集会にいったし、公園で野球をやったりと、子供と触れ合えて楽しかった。今日はさらにのんびりしようということで、車で20分くらいのちょっと大きめの公園に出かけた。わりと穴場のようで、駐車場もとめれたし、お昼を食べれるベンチも結構余っていた。
 これはなかなか穴場だなあとかいいながら、お弁当を食べていると、隣に精神薄弱というのかなあ、ときどき奇声を発したりする人4人ぐらいとその介助のボランティア4人の合計8人ぐらいのグループがお弁当を食べだしたのだが、周りの人たちがあからさまにとても怪訝な顔をしだした。いかにも「のんびりしているところにこの人たちは何?」って感じ。

 普段、障害者が周りにいないからそういう対応になるんだろうなあ、と思った。鎌田慧の本に、非常に有名なスポーツクラブでダウン症の子供を一目見るなり、入るのを断られたという話が書いてあったが、結局、普段の生活に障害者がいないから、そういうのは排除してかまわないという論理が働くのだろう。「変な奴は排除してしまえ。」という論理。
 結局いじめもそういう論理から始まるのだろう。ちょっと変わってる奴とか、おとなしすぎる奴をみつけて集団から排除するのだ。絶対多数の中に自分の身を置きたいから、いじめ集団に加わって多数の中に入ろうとする傍観者たち。とにかく波風のたたない居心地のいい集団の中に身を置いておこうという保守的な感覚がいじめを助長している。

 今日の障害者に対するまわりの人たちの反応を見ながら、つくづく日本は嫌な国に成り下がっているなあと思った。障害者をまわりでバックアップするのじゃなくて、そういうバックアップしている人を含めて排除しようという感覚。そういうのが普通になっている。
 ちょっと気分を害しながらお弁当をたべたのだけど、唯一救われたのが、障害者の世話をしているボランティアの人たちの屈託のない笑顔だ。こういう人たちが増えれば、世の中も変わっていくのかなあと。。。
 


2002年03月14日(木) 見覚えのあるビルが。。

 隅田川にかかる永代橋をのんびり歩いていると、向こう岸のIBMのビルの横になんか見覚えるあるビルが。。
 あっ、このビルって元山一証券では、と思い、目を凝らしているとビルの上の方にうっすらと山一證券の看板のあとが。。あっやっぱり。なんか会見で大泣きしてた社長のニュースを思い出すわあ。あれっていつだったけっかな。
 今では一階にコンビニと別の聞いたことのない証券会社が入ってました。それにしてもごっついビル。バブルだったんだなあとつくづく。
 
 それにしても、不況が長いなあ。お隣の韓国では銀行の不良債権処理が最終段階にはいって、景気が回復しているそうだ。日本って、ちっとも処理がすすまずに、どうなってんのかなとおもったら鈴木宗男だ。単なるチンピラみたいな人に国が揺さぶられてどうするんだろ。はよクビにして、追いだせばいいのに。なんかそういうところがウェットなんだな日本って国は。

 そういえば、うちの会社でもこの前のトラブルの張本人の部長やら代理がいまだに会社に居残ってるよ。日本はなんでもうやむやにして責任の所在がわからんようにするのが得意なんだろうなあ。やってられんわ。

 


2002年03月11日(月) 会社から徒歩で帰宅

 会社を8時前に出たので、いっちょ歩いて帰ろうと思い立ち、日本橋からてくてく木場まで歩いて帰った。
 途方もなく遠いと思っていたが、御堂筋の淀屋橋〜難波よりちょっと長い程度。途中バブルの遺産というべきなのか佃の大川端リバーシティーの夜景がライトアップされた永代橋から見えるし、門前仲町の商店街は下町情緒があっておもしろく、あっという間に木場についた。
 これからは毎日朝晩てくてく歩くことにしよう。朝昼晩しっかり食べるのでちょっと太ったかなと思ってた矢先でちょうどいい。3週間で5キロ痩せれるかなあ?

 あと、お昼に丸善で音読筆写ダイアリーというのを買ってきた。毎日重要表現を音読筆写して覚えるというものだが、今日からチャレンジ。英語も3週間でどれくらいマスタできるか楽しみだ。

 大阪に帰ったら今度は法律をやり始めよう。


2002年03月04日(月) 独身寮はイヤ!

 久しぶりの独身寮生活だけど、とてつもなく乾燥する。新聞を部屋に置いておくと、小一時間で自然に丸まってくる。水をこぼしてもすぐに乾くのは便利だけどね。6畳一間の小さな部屋にエアコンをつけるのがよくないのだろうけど、切ってしまうと猛烈に寒い。加湿器を買うのももったいないし、ポットを買うのももったいない。
 しかも長い間部屋を使っていなかったのか、昨日はエアコンをつけると黒いものが吹き出して、大変だった。こわくてまだフィルターを見ていないが、長年のほこりが積もってることだろう。信じられない住環境の悪さ。なんで、こんなとこに押し込められて、ろくでもない仕事をさせられるのだろう。
 もう40近くになるというのに、なぜいまさらこんな生活を強いられるの?だいたい、男だけの寮って気持ち悪くて死にたくなる。はやく大阪に帰りたい。


2002年03月03日(日) 毎晩おそくまで仕事をする人たち

 会社の人たちは、トラブルが落ち着いても、相変わらず毎晩11時、12時になっても帰らない。
 この人たちは一体どういう家庭を築いているのだろうと不思議に思う。毎晩帰ってこない父親のいる家庭。これが日本の現状だろうか。この間に母親は子供に父親のことをなんといってるのだろう。
 「毎晩遅いわね」と話題を出すぐらいならまだましで、「あんたも勉強しないとパパみたいになるわよ」などとけなされているかもしれない。また、まったく話題にならずに母子家庭が普通になってたりなんかして、時々こどもに会うと「あのおじさん誰?」みたいなことになったりしているのではないだろうか?笑い話じゃない実話である。
 私のように単身赴任の人が大勢いる。これで本当にいいのだろうか?希薄になっている父親の存在のままで日本の将来はどうなっていくのだろうか?
 
 仕事など効率をあげれば18時に終われるはずだ。それ以上かかるのであれば、それは能力がないのか必要以上のことをやっているかのどちらかだ。おそらく後者だろうが、そうやって毎晩毎晩必要以上に労働者を働かせる会社など早晩つぶれるだろう。われわれは、そんなところにいつまでもしがみついていないで、さっさと辞めるべきだ。ここ2日間ほど仕事にいかないだけで、本が何冊もよめるし、英語の勉強も法律の勉強もはかどる。本当の能力を無駄にして、会社に大切な時間を売る必要があるのだろうか?
 実力に見合った仕事を与えられてフルに発揮している人などほとんどいない。大半は実力の何分の1かの仕事しかあたえられず、毎日何時間も無為に消費しているだけだろう。それでも、やってること以上の給料がもらえるからなんとなく働いているというのが事実だ。ここで辞めてしまえば、そんなに多くの給料をもらう保証がない。そういう感覚が転職を思い止まらせ、仕方なく今日もまたくだらない仕事のために働くのだ。そんな人間を多く抱えた企業が正しいはずがない。たとえ一流と冠されていても家庭軽視の三流企業にほかならない。
 
 今日、曽野綾子の「自分の顔、相手の顔」というエッセイ集を読んで、ますますそういう気持ちが支配的になった。ここ何ヶ月かのトラブル対応で何もかも受動的になっていたが、当初の予定通り、自分の人生を自分で切り開いていこうと思う。


2002年03月02日(土) 単身赴任者寮

 単身赴任者寮に引っ越し。
 とはいっても、もともとの独身寮を単身寮にしただけで、和室6畳には本棚以外なにもない。押し入れにクロゼットがあるけど、電気スタンドもごみ箱も机もなーんもない。
 しかたないので、イトーヨーカ堂で一式をそろえる。ついでに自転車も買っちゃった。(家の自転車が古くなったからまあいいのだ。)それにしても電気スタンド代はもったいない。3000円とはいえ、豪華な昼飯が食えたのに。。机は寮生が置き忘れていったこたつを拝借したものの座イスがほしいなあ、ま、ふとんのマットレスでがまんしとこ。
 一番大事なテレビがないよ。テレビないのはつらいなあ。とはいえ買うのはもったいないしなあ。どうしよう。このパソコン、テレビにならんのかな。


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