TOM's Diary
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2004年08月30日(月) ガソリン1Lで4079キロ

新聞の見出しにこんなことが書かれていた。
「ガソリン1Lで4079キロ」

なんかの間違いじゃない?
1Lで9キロ行くか行かないかで一喜一憂している身としては
にわかに信じがたい数字だが、どうやらそうでもないらしい。

この台風が近づいていると言う中行われた、省エネカーの大会
「スーパーマイレッジカーチャレンジ広島」で出された記録らしい。
燃費フェチの私としては実に愉快な記事だ。

さっそくネットで検索してみる。
結構、個人で参加している人たちがいるようだ。

自分も参加できないだろうか?
ヒットしたサイトを仔細に眺めてみる。

とにかく、軽量化、そして、効率の良いエンジン、駆動系。
軽量化は、あらゆるところに及ぶが、まずはシャシーと
カウルの軽量化が必要だ。もちろん、シャシーはオリジナルと
なる。ヒットしたサイトではカーボンのフレームを自作している。
なかなか大変そうだ。
エンジンに関しても効率はもちろんのこと軽量化も必要だ。
駆動系は自転車の部品が流用されている。もと自転車乗りの
私にもこの辺はよく判る。
ざっと考えただけでも、機械設計屋さんから電機設計屋さんまで
いろんな人の協力が必要そうだ。だが、ちょっと声をかければ
人材は集まりそうな気がする。
そうそう、実際に出場するとなると、ドライバーやレースの
マネジメントの経験者も必要だ。知り合いにレース経験者が
何人かいるので、頼むとしよう。ドライバーは当然軽い方がよい。
やはり候補者が何人か思い浮かぶ。

ほほう、こうやって考えるとなんとかなりそうな気がする。

ところで、金はどうする?
やはり、金がないとどうにもならない。
ここは金の心配のない例の人物に・・・

と、言うわけで、またまた連載がスタートしそうな予感!


2004年08月26日(木) エルグランド

エルグランドがマイナーチェンジをした。
うわさの2.5リッター版は今回は見送られたようだ。

あらためて、エルグランドのHPを見てみると、
アルファードを買う際に、ここはエルグランドの方が
よいなぁ〜と思ったところは相変わらず良い。
マイナーチェンジで少しスタイルが悪くなった気はするが・・・
まぁ、実物を見ていないのでスタイルのことははっきり言えない。

今思えば、アルファードを買うときにエルグランドは
ほとんど眼中になかった。競合さえさせなかった。
いや、最初のディーラーめぐりのときには候補の一つだった。
しかし、買い換えを決心したときにはアルファードしか眼に
入っていなかった。クルマを買い換えようと思ったきっかけが
同僚の買ったエルグランドの助手席に乗ったがきっかけだった
にも関わらずだ。

もちろん値段が高かったということもある。
しかし、1番の理由はディーラーで試乗したエルグランドの
なんともやすっぽいこと・・・HPではエルグランドの方が
高級感があるなどと主張している人もいるが、私の感覚では
逆であった。

たしかにエルグランドはモダンな高級感はあるが、アルファード
の方は伝統的なつくりになっている分、落ち着ける感じがした。
高級感というのはそう言う感じが得られるもののことだと思う。

そうそう、エルグランドで1番がっかりしたのは、ディーラーが
高級車の証しとして見せてくれた、サードシートの脇にある、
蓋つきの小物入れ。

小物入れに蓋がついているのは確かに高級なのかもしれない。
ん?そうか?
私には蓋がついているから高級と言う理屈がよく判らないが。

臭いものには蓋をするではないが、散らかっていても綺麗に
見えるように蓋がついているようにしか見えない。
とっても庶民的な装備ではないか!

そして、その蓋と言うのが、私が学生時代に使っていた、
安物のプラスチックの食パン入れの蓋にそっくりなのだ・・・
あれを見せながらディーラーのおっちゃんはエルグランドが
いかに高級化を力説していたのだが、まったく耳に入らなかった。

あれは決定的だった・・・
とにもかくにもこちらが「なんだ、この安っぽい蓋は」と絶句している時に
その蓋がいかに高級化を力説されている状況を考えて欲しい。
どんどんひいてしまって、はやくトヨペットに戻りたかった。

あの蓋が、たとえ、まったく同じ蓋でも、せめてボタンを押すと音もなく、
ゆっくりと開く蓋だったら私はエルグランドを買っていたかも知れない。

ほんとにちょっとしたことなのだが・・・


2004年08月25日(水) アテネ2

アテネで一番楽しみにしていたのは、水泳だ。
自分が水泳をやっていたからというのもあるし、
日本のお家芸だからというのもある。
そしてなにより、レースと言うものは単純に
楽しめると思うからだ。オリンピックではないが
F1なんかもとても楽しい。

そう言う意味では自転車も楽しみにしていた。
これもやはり自分が自転車に乗っていたこともあるし、
そして、ロードはともかくも、トラックは日本独自の
競技、ケイリンに繋がるところもある。
もっとも私はロードの方が好きなのだが。
ただ、自転車競技はあまりテレビではやってくれない。
やはりテレビでたくさん中継してくれる水泳が
1番の楽しみだった。

次に楽しみにしていたのは体操だった。
体操は自分でやっていたわけでもなんでもないが、
私の中でオリンピックと言えば体操だと言う
イメージがある。もちろん陸上もオリンピックの
花形競技の一つだとは思うが、いつの頃からか
ドーピングだのなんだのとネガティブなイメージが
強くなってしまった。

それにしても、いったい体操はいつやるんだろう・・・
なんてのんきに構えていたのだが、
チェックしていなかった私がばかだった。

明け方テレビ中継をしていたことを知ったのは、
ほとんどの競技が終わったあとだった。
せめてビデオに撮っておけばよかった。

ただ、昨夜ガラを見ることができた。
さすがにメダルを取った選手たちが、競技は関係なく
自由にワザを見せられる場であるだけに、見ていて
とても楽しかった。ライティングなどの演出があった
ので、余計に楽しかったのかもしれない。

オリンピックも終盤を迎えた。
日本のメダル獲得数も過去になろうとしているそうだが、
勝ち負けにこだわらず、ガンバレニッポン!


2004年08月24日(火) アテネ

寝不足になるから見るまいと思いつつ、ついつい見てしまうアテネ。
そうは言っても、このところの激務による過労もあって、
深夜12時を廻ると寝る態勢を整えるようにはしている。
(もっとも帰宅が12時を廻っていることも多々あるのだが)

さて、昨夜はレスリングの試合があった。
残念ながら浜口は負けてしまい、銅メダル、伊調姉は銀であった。
その後眠さに負けて試合を見ることは出来なかったが、伊調妹と
吉田が金を獲得したようだ。

それにしても浜口の試合は、試合よりも客先の方が気になって
しまった人が結構いるのではないか。
浜口京子の父、アニマル浜口の応援振りは否定はしないが、
どうかと思う。と、言うより、アニマル浜口自身はいいが、
周りに報道陣が取り囲んで、他の観客席とは違う空気に
なっていたのはどうなんだろう。すこし異様な光景に思えた。
まぁ、一つのトピックとしては面白くていいのだが。

それから、電光掲示板のデタラメな得点表示。
選手たちは試合の途中で現在の得点を見ながらそのあとの
試合の作戦を練っていくだろうに、その得点を信じられない
となったら、勝てる試合も逃しかねない(もっともその逆も
あるかもしれないが)。

野球の試合で考えれば、電光掲示板のアウトの数が一つなのを
確認して、送りバントをしたら3アウトでチェンジと言われる
ようなものだ。そんなことがあったら選手も監督も黙っちゃ
いないだろう。

もっとも銀や銅だった二人が金を取っていたらそんなことは
気にならなかったんだろうが・・・(笑)


2004年08月19日(木) S氏オリンピック出場

もちろんS氏はオリンピックに出場する夢を抱いていた。
夢の実現のために毎晩密かに練習に励んでいた。
雨の日も風の日も休みなく練習に励んでいた。
(室内競技には雨も風も関係ないが)

協会に加盟し、国際大会にも出場し、そしてついに協会の
選考委員会でS氏が選ばれた。オリンピックの正式種目では
ない上、とてもマイナーな種目であり、競技人口自体少な
かったが、人口を考えると、最終選考に残れるのはわずか
3名、そして出場枠はたったの1名と言うのは難関であった。
(競技人口は国内ではたったの100名、そして毎日練習する
ほど熱中していたのはS氏の他に1名しかいなかった)

マイナーな種目だけにテレビ等でも紹介されることはなかったが
確かに夢の実現がすぐそこまでせまっていた。

そして、S氏は協会に貰った航空券を片手に成田に向かった。

空港に着いたS氏はさっそくチェックインカウンターに向かった。
向かったのだが、たどり着くことはできなかった。
なんと運の悪いことか!
火星旅行のときに一週間にわたって不当な取調べを続けた
係官と目が合ってしまったのだ。

S氏は航空券を取り上げられ、事務所に連れ込まれて念入りに
荷物検査と身体検査を受けた。なにもないと判ると係官はS氏を
レントゲン検査するように指示を出した。体内になにか隠し持って
いるに違いないと考えたのだった。もちろんS氏はなにも隠して
いない。

S氏は泣きそうだった。
火星に引き続き、オリンピック出場までこいつに阻止されるなんて!

そんなとき、突然係官の携帯が鳴った。
係官は突然不機嫌になり、航空券をS氏に返すとなにも言わずに
部屋を出て行った。
S氏は状況がさっぱり判らず、このまま部屋をでるとまたあの
係官に難癖をつけられるのではないかと不安に思った。
しかし、時計を見るとなんとか飛行機の出発には間に合いそう
だったため、慌てて部屋を飛び出した。
部屋を出たときに、廊下で係官が上司に激しく抗議をしている
ところに出くわした。係官はちらりとS氏の方を見て、下品な
言葉を投げかけたが、S氏の耳には届かなかった。とにかく
飛行機に乗ることが重要だった。

S氏はカーペットが敷かれた落ち着いた雰囲気の空港ロビーを
必死で駆け抜けなんとか飛行機に飛び乗ることが出来た。

オリンピック会場はとてもすばらしかった。
広々として優雅な選手村、すばらしいお天気、美味しい料理。
S氏はさっそく自分が出場する競技の会場を下見することにした。
なんとそれは選手村から歩いて5分という距離にあった。

もちろん、選手村がとても広大なので、S氏は選手村の入り口まで
バスに10分ほど乗らなければならなかったので、会場までは
実質20分近くかかったことになるのだが、こんなに近くだとは
思わなかった。

選手村の入り口から、協会から貰った地図を頼りに歩いていくと
前方に立派な体育館が見えてきた。
きっとあそこに違いない。
そう思って近づくと、地図と体育館の位置が微妙に違った。
地図では大きな交差点の手前が会場ということになっていたが、
体育館は交差点の向こうにある。S氏はもう一度地図を見た。
間違いない。交差点の手前になっている。
しかし、交差点の手前にはなにもない。

いや、小さなプレハブが一軒建っているだけである。
よく見るとオリンピックのマークが書かれている。
現地の言葉と英語でなにか書かれているようだ。
現地の言葉は良く判らないが英語ならなんとか判るに違いない。
間違いない、ここがS氏の出場する競技の会場のようだ。

S氏はがっかりした。
あの立派な体育館で競技ができると思ったのに・・・
しかし、中を覗いてみると一応しっかりした設備は
整っているようである。少ないとは言え観客席もちゃんと
用意されている。テレビ中継用と思われるブースまで
用意されているのには驚いた。
一番奥に用意された表彰台を見てS氏は思わず頬が緩んだ。
自分があの真中に立てるかもしれない。

S氏は選手村に戻り、明日の競技に向けてゆっくりと
することにした。

翌日S氏は競技会場に向かった。
まだ予選ということもあり、観客は数名しかいなかったが
S氏的には十分である。あまり観客が大勢いると緊張して
なにも出来なくなってしまうに違いない。

控え室でたまたま隣に座った選手はS氏と同じSと言う名前だった。
もちろん、正確には違う名前だが、耳で聞くと非常に似たような
名前に聞こえる。英語の「George」と日本の「譲二」のような
感じだ。そんなこともあって、二人は意気投合したのだった。

予選はあっという間に終わった。
S氏は総合で2位に付け予選を無事通過した。
もちろんS氏は全力は出し切っていなかった。
金メダルは確実にS氏のものであることを確信した。

Sによると、決勝では、出場の際して、ファン
ファーレは鳴るは、テレビは来るは、それはもうオリンピック
気分満点であると言う事だった。
S氏はスポットライトを浴びながらファンファーレと共に会場入り
する自分の姿を想像して、思わず頬が緩んだ。きっとインタビュー
も受けるに違いない。なんて答えようか?

SはS氏の2位と言う成績に感動し、しきりに握手を求めてきた。
Sは正直S氏がそんな実力の持ち主だとは思わず馬鹿にしていたことを
自ら認め、S氏に謝ってきたが、S氏は快く許した。
そんなS氏は逆にSのことをとても強敵だと思っていたことを打ち明け
二人はますます意気投合した。


Sは午後の決勝までの間、かなり時間があるので、
是非、なじみの店の美味しい食事をご馳走したいと言ってきた。
地元の選手で美味い店も知っているとの事。
S氏はSにご馳走してもらうことにして、会場を離れた。

S氏とSはまるで旧知の知り合いのように打ち解けあって
話しに夢中であった。店の外は急激なスコールで土砂降りの
雨が降っていることも気がつかないほどだった。
店長が気をきかして「そろそろ戻らないと決勝に出られないぞ」と
言わなければ、夜中までそうしていたかもしれなかった。

S氏とSは店を出て、初めて台風のような暴風雨が吹き荒れていた
ことを知った。もちろん、あっという間スコールだったので、
二人が店を出たときにはすでにもとのお天気に戻っていたのだが
遠くからかすかに聞こえる雷鳴と、びっしょりと濡れた路面に、
路面に転がる看板や折れた枝などがその痕跡を示していた。

SはS氏に年になんどかこんなことがあるんだと言って会場に向かった。
しかし・・・会場はなかった。

強風で会場は吹き飛ばされていたのだった。
もちろん正式競技でない種目であるため、代替の会場などなかった。
競技は中止である。もちろんメダルも貰えるはずはない。
S氏はその場にヘナヘナと座り込んでしまった。

Sは自分のせいでもないのにS氏にしきりに謝罪した。

S氏はやっとの思いで立ち上がると、次回オリンピックでの
再会を約束しSと別れた。

しかし、「オリーブの種飛ばし(日本で言う所の「サクランボの
種飛ばし」)」がオリンピックに正式に採用されることなどある
はずもなく、それどころか決勝戦が行われなかったためにエキシ
ビジョンが行われたことさえ記録に残らなかった。


2004年08月11日(水) 平和に向けて(2)

その昔、まだ高校生だったころ、私はボランティアをやって
いたことがある。主に国際交流を目的としたボランティアだ。

そのボランティア団体にある二人の女子高生がやってきた。
4月になったばかりのころだったと思う。何人かやってきた
新しいメンバーの中の二人だった。
一緒にボランティアをしていく中で私と彼女らは友人として
親しくなってきた。
一人はどちらかと言うと美人タイプ、もう一人はかわいらしい
と言う感じの容姿で、二人とも笑顔が素敵だった。
積極的な女性メンバーが多い中で、どちらかというとおくゆかしい
感じのする二人はこちらから話しかけないと、いつも二人だけで
おとなしくしている感じであったが、彼女らの方から話かけて
くれるくらいには親しくなっていた。

あるとき、ボランティアのメンバー数名で出かけようと外にでた。
最初に出たのは私と彼女らの3人だった。
他のメンバーがなかなか外に出てこないので、中の様子を
見て戻ってくると彼女らは二人だけで話をしていた。

そのときの彼女らの言葉はとても早口でなにか暗号のような
言葉に聞こえた。不思議な感じのする言葉だった。
「みんなもう少しかかるようだよ」
そう声をかけると、彼女らは普通に「じゃ、ここで待っていよう」
と答え、我々はしばらく会話を続けた。

その後もなんどか彼女ら二人だけで例の暗号言葉で話している
現場を目撃した。そんなときは決まって私以外にそばにだれも
いないときだった。

あるとき私は彼女らに尋ねた。
「今、なんか暗号みたいなしゃべり方していなかった?」
「そう?普通にしゃべってたけど」
「ふ〜ん」
その後いつものように他愛もない会話が続いた。

それ以降、彼女らと会う機会が極端に少なくなってしまった。
ボランティア自体には参加してもミーティングなどには来なく
なってしまったのだ。
会っても以前ほどゆっくり話しをすることはあまりなかった。
最初の頃のような笑顔もあまり見られなかった。
そして、彼女らはまったくボランティアに参加しなくなってしまった。

所詮は学生のボランティアだ。
受験やクラブ活動が忙しくなり来れなくなるメンバーも大勢いる。
そうしたメンバーも夏休みになったり、受験が終わったりすると
またひょっこり顔をだしたりする。そのため、残ったメンバーも
去っていったメンバーのことをあまり深くは詮索しない。
まして、彼女らのように2、3ヶ月しか参加しなかったメンバーで
あればなおさらである。

私自身も彼女らのことが気にはなっていたが、やはり彼女らのことを
詮索することはなかった。

***************************

あるとき私は彼女らにばったりと出くわした。
夏も終わりかけのころだったと思う。
「あ!」
「あ〜!」
「久しぶりだね」
「元気してた?」

はじめて会った頃と同じ笑顔だった。
ボランティアに参加しなくなったことには一切触れなかったが、
何気なく、「またみんなで遊びに行ったりしようよ」と持ちかけた。

「みんな」とはボランティアのメンバーたちのことである。
ボランティアのメンバーたちとは普段からボランティア以外でも遊びに
行ったりすることがあったのだ。もちろん彼女らも参加したことがある。
私が最初に彼女らに話しかけたのもそんなときだったと記憶している。

「でも・・・」

彼女らは在日朝鮮人だった。
暗号言葉は韓国語だったようだ。
彼女らはそのことについて多くは語らなかったが、そう言う立場で
あることを言い出せないまま、国際交流を目的としたボランティアに
参加していたことが重荷になり、参加しなくなっていったようだった。

非常に複雑な気持ちだった。
その後、判ったことだが、彼女らが暗号言葉で話しをしていたのは
私の前でだけだった。きっと、それとなく彼女らが在日であることを
私に気付かせ、そして、私を通してそれとなく他のメンバーに知らせて
欲しかったのではないか?いや、仮に気付いても他人にそのようなことを
言わないと思われる私を選んだのかもしれない。

実際、私がこの話しを語るのは、数年前に当時の仲間にそんなことが
あったと打ち明けたことを除くと、あれから20年近くたった今日が
はじめてである。

きっと相当のジレンマがあったのではないか?
隠している重荷と、ばれたときのみんなの反応の狭間で・・・
おそらくは、彼女らがそれまで受けた差別の経験が原因なのではないか?

差別を身近に感じたのはこれがはじめてではないが、在日の問題に
触れたのはこれがはじめてだった。

今、彼女らがどうしているか判らない。
日本を嫌いになっていないことを期待したい。


2004年08月10日(火) 平和に向けて

 なにも日本の国旗を燃やさなくてもいいじゃないか。
 中国に対して、特に悪感情という物はいままで持っていなかったが
 あそこまでされるとどうかと思う。
 
 国旗を燃やしたくなる反日感情も判らなくはない。
 (この辺のことについても、今日のDiaryではあえて深く追求しない)
 しかしながら、国旗を燃やすと言うことがどう言うことを意味するのか
 よく考えてもらいたい。
 相手の気持ちを逆撫でするような行為はお互い良い結果はなにも
 もたらさない。双方がそうしたことを認識した上で行動するべき
 であろう。
 
 このところ日中国境付近ではきな臭い話しが持ち上がっている。
 
 おりしも今週末は日本にとって終戦(敗戦)記念日である。
 じっくりと平和について考えてみるいいチャンスである。
 できることなら、中国人民の方々にも平和についてじっくり
 考えてみてもらいたい。
 


2004年08月09日(月) 宇宙開発

1.水星
 水星探査衛星打ち上げられたそうだ。
 なんでも37年ぶりの水星探査なのだそうだ。
 比較的近い星なのだが、太陽に非常に近いということで
 技術的に難しく、他の惑星よりも調査が遅れているのだ
 そうだ。
2.火星
 火星探査中の探査機が火星に砂丘を見つけたそうである。
 写真を見るとまさに砂丘風である。
 大きさを比較するものが写っていないので判らないが
 風紋のようなものも写っている。つまりは風が吹いている
 と言うことか?
 砂があると言うことは川が流れている(流れていた)と
 言うことか?
 探査機は今後この砂丘の調査に入るそうである。
 砂に埋もれたり、砂粒が機械に挟まって動かなくなるなど
 ということがないように願いたい。
3.土星
 土星を調査中の探査衛星が、土星の輪を天然色写真で
 撮影したらしい。
 なかなか綺麗な写真だが、これを見て一つ疑問が。
 土星の輪は小さな岩や氷の塊で出来ていると聞いている。
 遠くから見たら平らな輪に見えるが近くで見たらぶつぶつ
 なんだと思うが、この写真でみてもぶつぶつは見えない。
 それどころか、同心円状に線が引かれているように見える。
 なんとなく不思議な感じだ。
 いったい、露出時間はどのくらいなのだろう?
4.宇宙望遠鏡
 ハップル宇宙望遠鏡は1990年に打ち上げられてから
 すでに14年も稼動している。
 14年前のクルマなら、立派なポンコツ車になっていても
 おかしくはない。そう考えると壊れても不思議はない。
 NASAはハップル宇宙望遠鏡の修理を今後行わないとの
 声明を出している。実際にどうなるかは不明だが、そうだと
 したら残念である。
 しかし、そう思って調べてみるとちゃんと後継機の予定も
 あるようだ。
 ハップル宇宙望遠鏡よりも解像度が高く、場所も月の裏側
 (ラグランジュポイント)とすることで、地球のチリの影響
 も少なくなる予定だそうだ。
5.シャトル
 スペースシャトルの改造設計が完了したそうだ。
 より安全性の高い宇宙船になるそうだが、81年の初飛行以来
 23年も経っている。
 今年23歳になる新入社員はまだまだ若々しいが、
 クルマなら、博物館に飾ってあってもおかしくない。
 上記のハップル宇宙望遠鏡などよりはるかに過酷な条件で
 使用されているだろうに、まだまだ後継機の計画さえ
 おぼつかない。
 後継機も良いが、民間人が普通に宇宙旅行ができるような
 宇宙船が待ち遠しい。


2004年08月08日(日) ポラロイド

ポラロイドのインスタントカメラを購入した。



時代はデジカメである。
あえて、インスタントカメラを購入するのはなかなか気分がよい。




写真が趣味と言いながら、インスタントカメラの代名詞とも言えるポラロイドカメラを手にしたのははじめてだ。



情けない。




さっそく開封する。




手にした感触は・・・お店で触ったときと変わらない。




当たり前である。




おまけで付いて来たフィルムを入れてみる。





と、突然、ジーッ!と音がして黒い板が排出される。




腰を抜かしそうになるほど驚いた。





スイッチも入れていなければ、バッテリーさえ入れていない。





説明書をよく読むと、フィルムパックにバッテリーも内臓されているのだそうだ。




納得。




しかし、バッテリー内蔵の使用済みフィルムパックはどのように処分したらよいのだろう?




ゴミの処理に関してとてもうるさい我町のこと、とても気になる。




便利なようだがとても困る。




悩んでもしょうがない。使い切ったところで考えることにする。




気を取り直して、ファインダーを覗く。




姪っ子、甥っ子たちを被写体にしてさっそく一枚。




しばらくすると映像があらわれる。




チビスケたちも大喜びだが、自分も大喜びだ。




暗室で現像液に浸した印画紙に像が浮かび上がってくるときのあの感動に似ている。




面白がって、パシャパシャ撮影する。




が!



1枚、200円のコストがかかっていることを思い出す。





あっという間に1000円札一枚分の写真がカメラから排出されたことになる。




急にケチケチになる。




ケチケチになるが写真は撮る。




あっという間に10枚撮影を終える。




さて、フィルムパックの処分はどうしたものか。




先延ばしにしたものの、10分も経たないうちに同じ悩みが復活する。




時代はデジカメである。
ゴミ処理が厳しい地域のみなさんはデジカメを購入することをお勧めする。


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2004年08月05日(木) 床冷房その後

当たり前のこと、と言うか、なんで気がつかなかったのか?







先日床暖房を床冷房として使えないか?とここに書いた。








これを昨夜試してみた(お馬鹿すぎ)。








適度に暑い深夜の書斎。








うるさいことを言うかみさんもいない。








パソコンの前に座っているだけでも汗が吹き出す。







お試しするには最高の条件だ。
成功すれば、超ラッキー!








設定温度を最低にして、スイッチオン!








運転ランプは点くものの、うんともすんとも云わず・・・








床暖房は部屋を暖めるためのものです。
当然、設定温度より、気温が高ければ動作しません。










その後めまいがしたのは、暑さのせいか、自分の馬鹿さ加減に気がついたためかいまだに判りませぬ。


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