午前の診療をあわただしく終え、神戸空港から札幌へ飛びました。
明日から日本母乳の会主催、「母乳育児シンポジウム」がロイトン札幌で二日間行われるためです。
今週は世界母乳週間です。
今年の赤ちゃんにやさしい病院(BFH)認定施設は7施設です。
例年と違うのはWHOのBFH担当官、ランダさんが来日参加されたことです。ですから認定証はランダさんとユニセフ日本事務所長、功刀(くぬき)純子氏から直接手わたされます。
会議が終わり、わずかな時間でしたが、北海道料理のお店で舌鼓を打ちました。
夜半、お産がありました。
カンガルーケアで赤ちゃんがお母さんの胸に安らいでいる時、別室で待っていたお父さんとお姉ちゃんのゆうちゃんが入ってきました。
ゆうちゃんの少し不安そうな顔が、赤ちゃんを見るなりぱっと明るくなり、満面の笑みを浮かべて「かわいい!」と走り寄って、まじまじと赤ちゃんを眺めました。
こころから感動した仕草で「かわいい」を連発し、そっと赤ちゃんの手を握り、それに続いてお母さんの額を静かに撫でました。
まるで赤ちゃんを産み終えた母をねぎらっているかのように、慈愛に満ちた表情でした。
ずっと昔、お産でつらがる妊婦さんがつぶやくように呼ぶのは、初産の人は母を、経産婦さんはこどもの名前でした。
呼ばれることの少ない夫の残念さを思っていましたが、このゆうちゃんの慈愛の表情を見ると、ゆうちゃんを通して働いている、大いなる力を感じました。
これなんだと、一人納得しました。
昼食の折、食堂でスタッフとの話題。
「おふくろの味」談義でした。
なぜ「おふくろの味」という言葉があるのか?という問に、“手料理の美味しさ”、“食べなれた味”、“身体にやさしい食材”、“幼いころの思い出”などお母さんという存在を感じさせる、いろいろな意見が出ました。
では「おふくろの味」の対はどんな言葉でしょう。
多分、最近流行の「料亭の味」ということになるでしょうか。
以前料亭の味の原点を教えてもらいました。それは最高水準を維持するために、味にムラがないこと、常に進化していることだというのです。
そういえば、伝統的な京料理は男の世界という話を聞いたことがあります。その理由はホルモン活動の活発な女性は、微妙に味が変わることのようでした。
私の知っている何人かの料理人の方々が口をそろえて言うのには、「おふくろの味が一番、妻が食べさせてくれる料理が一番」だそうです。
料亭の味は“変わらない”が特徴ですが、おふくろの味は“日々変化する”ので飽きないというわけです。なんとなく納得。
そこで私、「おふくろの味」も常に進化しないと飽きられるよ」
結婚間近さん、新婚さん、ベテランおふくろさん、「ええっ?!、ではリーダーは進化し続け?」
「そう。昨日なんか韓国のおふくろの味そのもののようなおいしい料理が出て、びっくりしたんだよ。そんなサプライズも嬉しいね。食卓は楽しくなくては意味が半減するね。」
最近、韓流にはまっている伴侶の副産物でした。
各地で大雨と竜巻、雷の被害があいつでいます。
親しい知人が病に倒れた悲報が飛び込んできました。
つい先日会ったばかりでしたので、仕事を楽しんでいる元気な姿しか浮かんできません。
「朝聞道 夕死可矣」(あしたにみちをきかば、ゆうべにしすともかなり)という論語の一節が思い出されます。
人によって様々ですが、時期が来ると、自然にその心境を大事にするようになります。その心境に達するというよりは、覚悟を決めるということでしょうか。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という「葉隠れ」の有名な一説がありますが、自分の果たすべき本分=道を求め続ける覚悟のことかもしれませんね。大和魂とつながるのでしょう。
日本の武士は小児期よりその教えをたたき込まれたのですから、現代人とは覚悟が違いすぎます。
ま、いい悪いは別として、その世界は少々窮屈な生き方ですがね。
せめて死に際だけはみっともないことの無いようにという願いかな?!
雨が上がりました。今朝は公園での蝉時雨は例年のように盛大になりました。
昼食時には晴天が広がりました。ほんの一時の青空です。
産後の退院のお見送りに出ました。順調に育った赤ちゃんを抱いて、ご家族と記念写真を撮り、お母さんとふと目があったとき、「先生、わたし、先生に取り上げてもらったんですよ。」といたずらっぽく笑いました。
そばにおられたおばあちゃんが、うなずきながらにっこりほほえみました。
最近これまで出産に立ち会ったこどもたちが、そのお母さん方のすすめで私のもとで産むことが多くなってきました。ご夫妻がどちらも出生時に私が関わっているときなどは、まさに感無量です。
そんなお母さん方の1人が、女の子を産み、お産が終わったばかりなのに「先生、この子がお産の時もお願いします」と真顔で言ったのには驚きました。あと30年は現役か?と思いながら、苦笑いでした。
地域に根付くとはこういうことでしょうか。
雨上がりの駐車場公園にせき立てられるような蝉の鳴き声が満ちていました。
近所の方が、今年は蝉が少ないと言われたようですが、確かに例年よりは寂しげです。
二日ほど芝生の手入れに植木職人の方々が入ってくれたおかげで、美人の芝生になりました。いつ手入れをするかのタイミングはまさに職人技ですね。
雨にも恵まれ、芝生が喜んでいるのがよく分かります。
雨といえば、昨夜お世話になった両備の方が、岡山県内のダムやため池が満杯状態だと教えてくれました。ということは、これ以上降り続くと、いつ土石流のような災害が起きるか分からないということです。
昨夜大雨となった北九州で、土石流に乗用車が2台飲み込まれたということです。山沿いの道を走るのも命がけですね。
体調不良で時々受診される方からいいお話を聞きました。
夏椿が好きで、毎日のように散歩がてら眺めに来てくれたそうです。
散った花を数個拾い集めて、水盤に浮かべてその趣を楽しんだというのです。自分だけではもったいなくて、親しい友人にも届けてとても喜ばれたそうです。
この方は毎年のように、春の七草、秋の七草をクリニックに届けてくれます。感謝。
明け方、激しい雨音で目が覚めました。そのまま再び眠りに落ちて、いつもの時間に目覚めると、雨はきれいに上がっていました。
スコールのような雨が当たり前になりました。
午前の外来が終わり、診察室を出ると、診察がすんだ2か月過ぎの女の子がベビースリングにおさまって、会計が済んだばかりのお母さんに抱かれていました。
ふとその子と目があったので近寄り、「かわいいね!しっかり大きくなったね!げんきだね〜!」などと話しかけると、「あ〜あ〜!」と笑顔で相手をしてくれるではありませんか。
数分間、得意の喃語で楽しい、満ち足りた時間を共有することができました。お母さんにくるまれたその子にとって、全てに満足した機嫌のいいゴールデンタイムに私が出会ったのだろうと思います。
寛容にも、その間お母さんはニコニコ笑顔で待ってくれました。
最高のプレゼントをもらいました。
久しぶりの晴天です。
暑さもうなぎのぼりです。
3才のお嬢ちゃんを連れて受信された方が、入院することになりました。
「ママ、お泊りするからお留守番頼むね。」と話しかけると、首を傾げて困った顔をして返事がありません。
「少しだけだからアキちゃん、できる?」とママが問いかけると、いやいやをします。
とっさに「7つねんねしたらママ帰れるよ。おばあちゃんたちとお留守番できる?」と言い方を変えると「うん!」とうなずきました。
お母さんはほっとした様子です。
数えることができる数で納得してくれました。
今日は一日中どんよりの曇り空でした。梅雨明け宣言をして以来、ここ3日間ほど雷様のご機嫌が悪かったのか、もどり梅雨のように、大雨が日本中をおおいました。
各地でまたたくさんの被害がでました。 こころよりお見舞い申し上げます。 年々繰り返される災害の日常化には怖いものがあります。
妊婦検診に来られた方の足全体に、蚊に刺されたあとの発疹が密集していました。見るからに痒そうです。
そこまで刺された理由を聞くと、「それが先生、お友達の誘いで、山の上にあるお宅の庭でバーベキューをしたのです。虫刺され予防クリームをぬってたのですが、気がついたらこの有様で、かゆいのでかきむしったらさらにひどくなりました。」と、ことの顛末を教えてくれました。
「蚊には大ご馳走でしたね!」、「まったく!」と二人で苦笑いです。
アウトドアシーズンです。お互い気をつけましょう。 特に招待する側は、虫対策を十分にする必要がありますね。
今日お母さんについてきた7歳の女の子。
お母さんが教えてくれました。「待っている間、退院のお見送りで赤ちゃんを見て、“かわいいな!わたしもあかちゃんをうみたいな!”って言ったんですよ。」
ほほえましい情景ですね。
7才は性の仕組みにもっとも敏感な時期です。このことお話をしたくなりました。
私たちの会話に興味いっぱいの、きらきら輝いている目を見ながら、「本当に赤ちゃんがほしいの?」とたずねると、「うん!」と声を出してうなずきました。
そこで、「それはすごい!。あと15年したらできるかな?」というと、「どうして?」と聞き返してくれました。
「赤ちゃんを育てるって、大変なんだよ。アミちゃんは明日って分る?」、「ウン」
「昨日って分かる?」、「ウン」
「後でね!、ってわかる?」、「ウン」
「アミちゃんが分かるのは時間を知ってるからなんだよ?昨日も、明日も、後でというのもみんな時間だよね。1時間たったらってわかるでしょ。」、「ウン」
「でもね、小さな子どもには時間というのがわからないの。」、「え〜!?」
赤ちゃんの時間は「今」しかないので、お母さんの時間はなくなって、赤ちゃんに時間を全部あげちゃうんだよ。アミちゃんは自分の時間がなくなっても大丈夫?」
「それはぜったいいや!」
「でしょう!、だから今アミちゃんが赤ちゃんをもらっても困るわけ。」
「ふ〜ん!?」とどうやら納得した様子でうなずいてくれました。
明方、天気予報通りすごい雨音に目が覚めました。
晴れ間をぬって散歩に出かけると、近所の方が犬を散歩させていました。
老衰が進み、耳は聞こえず、目も見えず、ゆっくり、よろよろとした足取りです。
この時期が飼い主にとって最もつらいですね。
私の家もいままで3匹の家族同様の飼い犬を次の世界に送りました。
妻の献身的世話と彼らの見事な死に方は、いつまでも脳裏に焼きついています。
散歩のご主人がつぶやくように言われました。
「かわいそうだけれど、いいこともあるんですよ。以前は雷がなるとパニックになって家中飛び跳ねて、大騒ぎでした。今朝の雷には何にも反応しなくて、おとなしいものです。」
哀しい音がしました。
朝から雲足は速いものの、夏空が広がっています。
外を歩くだけで汗が浮いてきます。
午後ガラスを吹きに行ってきました。予定が詰まっているため1時間ほどで終わりましたが、千度にもなる釜に吹き棒をを入れ、ガラスの球を取ってきて、溶けたガラスの形を整える作業はとてもスリリングで楽しいのですが、暑い!熱い!
このガラスと戯れる時間は、こどもが砂場で遊ぶくらい無心な状態になります。
溶けたガラスは水飴よりも柔らかいので、その球を回している手が一瞬止まっただけで中心がずれ、思うような形になりません。逆にもたついて冷めすぎると形にならなかったり、割れてしまいます。
作業中は暑さなど感じている暇はありません。夢中というのは感覚さえ超えてしまうのですね。
作業が終了して、ほっと我に返ると、暑さもぶり返し、それまでさほどでもなかった汗が噴き出します。
生きものの感覚制御機構の不思議さを思わされます。
夕方、若い友人の医師が訪ねてくれました。
先頃、大阪を代表する産婦人科病院の院長に就任したお祝いをしました。
彼が産婦人科医として出発したときからのおつきあいです。若いときから義の人で、その姿勢は今でもぶれていません。
楠目副院長と共に大いに親交を深めました。
友あり、遠方より来たる、また楽しからずや。
今日は終日雨でした。植物さんたちが喜ぶ一日でした。
クリニックのベランダに、終わりの花を咲かせているネムノキは雨に打たれてつらそうです。
今日も沢山いのちの会話がありました。
順調に育っていると信じて健診にこられたのに、胎児の心拍動が無くなっていました。
言葉がありません。
超音波を見ながら、無言の時間が過ぎていきます。妊婦さんの表情に不審と不安が広がっていきます。
目があったそのとき、赤ちゃんに鼓動がないことを告げます。お母さんの希望が奪われた瞬間です。
その後の医学的説明は、お母さんになんの慰めにもなりません。お母さんの生きている時間そのものが止まってしまったのですから。
また、妊娠した喜びよりも、不安の方が大きい妊婦さんが訪れました。
前医の心なき言動、これまで服用していた安定剤や睡眠薬、たばこなどがおなかの赤ちゃんに害があるのではないかと自分を責めています。
この方の場合、周囲の野次馬的忠告や、ネットの無責任な書き込みを、医学的な根拠を持って一つ一つ安全性と危険性を説明し、対処法を提案することで、安心と希望が生まれました。
こどもについてこころ温まる話題がありました。
こどもをつれて治療にこられたお母さんが診察室に呼ばれました。
スタッフが子守役です。お母さんから離され、不安に駆られたこどもが激しく泣いてしまいました。絵本やぬいぐるみ、手遊び、散歩など、あの手この手を使うのですがなかなか泣きやみません。
それを見ていたリーダーがはっと気がつきました。
なんと、受診されているこどもづれのお母さん方が周りを囲むように、泣いているこどもに笑顔で手を振ったり、よしよしをしたり、みんなであやしているのです。
うちのお母さん方の優しさにふれた、と感動を話してくれました。
こういう情景を聞くと、ここを開いてよかったとご褒美をもらった気分になります。
空が白み始めると、山鳩が鳴き始めます。
“デデーボッポー”という鳴き声が“キョウモゲンキカ”とか“アレハヤッタカ”など様々な問いかけに聞こえます。
その声に耳を傾けながら、うつらうつらと朝寝を楽しむのは実に気持ちが良いものです。
今日の外来診療は半日ですが、午後は「共に育つ会」という全職員が参加する理念検討会がありました。
日本全体を覆う低気圧の影響でしょうか、台風並みの雲のかたまりが空を駆けめぐっています。
今にも降りそうですが、今日一日なんとか持ちそうな気配です。
朝、いつものように駐車場講演のケヤキたちを見上げると、こんもりと濃い緑におおわれている頭から、ところどころにほんのり赤く縁取りされた薄緑のはをまとった枝がすーっと伸びています。
大きく枝を張る準備なのでしょうか、成長を感じます。
少し早産気味の赤ちゃんが産まれました。元気に生まれたのですが、お母さんの胸でカンガルーケアをしているうちに、少しづつ呼吸がしにくくなりました。軽い呼吸障害が出てきたのです。
中山先生の治療を受け、数時間後には回復し、胸をなで下ろしました。
今日の山陽放送では子宮筋腫についてお話ししました。ここ20年ほどの間に治療法は驚くほど変わりました。
夜は開業産婦人科医の集まりに出席しました。出席された先生方の2/3のが70才を越えておられます。ほとんどの方が現役で、しかもとてもお元気です。
いかし老齢化の波はますます進んでいます。
通勤途中、近くの家の軒先に、大輪の朝顔が太陽の光を一杯に受けてたくさん花をつけていました。この時期涼しさをプレゼントしてくれる代表的な花ですね。
朝顔といえば、もう20年ほど前でしょうか、ヒマラヤの朝顔の種をいただいて育てたことがありました。
紺色の花はなかなか人気で、おすそ分けなどをしていますと、いつの間にか地域のあちこちに自生するようになりました。
肝心のわが家にはもういないのですが、思いがけないところに咲いています。もしかして、自然の生態系を変えたかも!
駐車場公園の芝生で、3歳前後の女の子がしゃがみ込んで、じっと地面を見ていました。その表情は生き生きとして、そばにいるお父さんに時々何かを話しかけていました。
ほほえましい光景に、思わずわが子たちの丸虫に夢中だった幼い頃の思い出を重ねてしまいました。
なにを見てるの?と声をかけると、とっても嬉しそうに、「アリ!」と答えてくれました。
今日も密度の高い一日でしたが、感動出産でしめることができました。
高位破水のため約1週間前から入院を続け、様々な試みにもなかなか分娩が進まず、つらい日々を送っていたお母さんが、ついに無事出産したのです!!
幸いこの間の赤ちゃんの心拍パターンは、モニターするたびに元気なメッセージを送り続けてくれました。
私たちを勇気づけたのは、入院後2〜3日はつらそうに耐えていたお母さんが、日を追う毎にたくましく変身していったことです。
朝の散歩から始まって、入浴、スクワット、その他の運動と積極的に赤ちゃんと一緒にお産に向きあっていきました。まさに妻から母への行のように見えました。
そしてついに今日無事出産したのです。 お母さんの達成感にあふれた涙は、とても意味深いものでした。
マンを持して生まれてきた赤ちゃんの表情もまた、どことなく達成感を感じさせる、しっかりした意志に満ちていました。
深緑の季節でしょうか、3階の食堂から見える竜口山が緑で盛り上がって見えます。この季節、山々がとても大きく感じます。
今日は出産がありませんでした。
出産は母親とこどもの、命をかけた生きるための戦いの場です。
自然の仕組みは、かならずいのちを産み出し、いのちを得るために、様々な安全装置を用意してあるとはいえ、厚い氷で被われた氷河に開いた深いクレパスのように、何の問題もないようにみえる出産のどの場面にでも、思いがけない危険が待ち受けています。
経験を積み重ねる毎に養われるのが察知能力です。経験というデータの集積が、いのちを脅かすセンサーを研ぎすますのでしょう。
しかし、そのセンサーをあざ笑うように、足下をすくわれ、クレパスに飲み込まれることがあります。そのとき、無力感と深い悲しみ、そして祈りしか残りません。
いのちの門に立つ役割の、責任と厳しさを思います。
今日はお見送りデーです。
5組のお母さんと赤ちゃんのカップルが退院されました。
16年前の開院からの慣例で、必ずスタッフがお見送りをしてきました。
院内にいれば院長はじめ医師たちも極力参加します。
新クリニックができてから、院内の一斉放送を合図に、仕事の手を離すことができない以外、食事を中断してでも集まりますから、多いときなどは20人近いスタッフで、おめでとうを連呼しながらお見送りします。
こちらに移ってからは屋根付きの広いアプローチがありますから、お見送りがずいぶん楽しくなりました。激しい雨の日や炎天下でも、お母さんと赤ちゃん、お迎えのお父さんやご家族の方々に気持ちよく車に乗ってもらえます。
記念写真を撮ったり、チャイルドシートに赤ちゃんを寝かせたりする時間も、急ぐことなく待つことができます。
今日のように退院が多いときや、先日のように土砂降りの雨の時は特にありがたみが分かります。
予想以上のアプローチ効果でした。
蒸し暑い朝です。
出勤しますと、なんと駐車場公園で、蝉の初鳴きが聞こえてきました。
にぎやかな夏が始まりました。
夏椿が花の季節を終えて、硬い実をつけています。
夜、道産子有志の集まりがありました。
道産子とは北海道出身者を指しますが、北海道特有のウマの総称でもあります。
私の生まれ育った北海道岩内町はかってはニシン漁と炭鉱で大賑わいでした。早春のニシン漁の季節になると、やん衆と呼ばれる渡りの猟師さんたちが街にあふれていました。
そして通りにはニシンを満載した。馬橇(ばそり)がずんぐりではありますが、がっしりした馬に惹かれて往来していました。それが道産子です。
今年の岡山道産子会の夏祭りは8月31日(日)で、場所は「ピュアまきび」です。
5の波、七夕、満月と天の理が重なっていることもあるのでしょうか、今月に入り20人以上のこどもたちがやってきました。
天の理ともいえる地球の運行、月との潮の満ち干、太陽系、銀河系、宇宙のすべては密接に関係し合いながら調和を保っています。
地球が誕生して以来、人間を含むすべての生きもののいのちの流れは、まさに天の理の中にあることを感じます。
生命誌という、いのちを俯瞰する科学分野を提唱する、中村桂子さんは「鏡に映る自分の顔をじっと見てご覧なさい。鏡に映る自分という生きものが、地球にいのちが現れてから、一度も途切れることなく流れてきた進化の中にあることに思いをはせると、目に触れる全ての生きものを“めずる”気持ちになります。」と語っています。
“めずる”とは大和ことば(縄文時代から現代に至るまで使われている音のことば)で、かぎりなくいとおしむという表現になるでしょうか?!
これを見事に表現しているのが金子みすずの詩です。
はちと神さま
はちはお花の中に、 お花はお庭の中に、 お庭は土べいのなかに、 土べいは町のなかに、 町は日本のなかに、 日本は世界のなかに、 世界は神さまの中に。
そうして、そうして、神さまは、 小ちゃなはちのなかに
いかがでしょうか。すごい感性ですね。
午前5時、お産のため家を出ると、しっとりと涼しい朝の空気が心地よい日です。
昨日の身体の水袋はどうやら消えたようです。
今日は七夕です。小児科の待合室の笹の飾りつけは、なかなか賑やかで、楽しい雰囲気をかもし出していますが、正面玄関の飾りつけは少しさびしげです。そんな質素な飾りつけにもこどもたちは喜んでくれます。
七夕の今日は3人のこどもたちが生まれてきました。メモリアルな記念日に出産したこどもたちは、「七夕」という二文字が事ある毎に人生を飾ってくれることでしょう。
人生は一冊のアルバムのようですね。 人生を終えるとき、一瞬に記憶の扉が開き、走馬燈のように(今様でいえば、フォトアルバムのスライドショーでしょうか)それまでの出来事が目の前に現れるというのを聞いたことがあります。
そんなとき、人生を飾る言葉に恵まれた人は、懐かしい風景が沢山見えるのかもしれませんね。
昨夜は最近になく睡眠時間が長かったせいでしょうか、朝起きるといやに体が重く、水袋を身体にまとったっようでした。
お産や外来、手術と日常の仕事をこなしましたが、水袋はなぜかそのままでした。
最近のように湿度の高い熱帯夜が続くと、エアコンを使う時間が長くなります。本来なら汗腺が開いて体温や水の調節をする皮膚の機構、皮膚呼吸が夏バージョンになっているのですが、冷房で汗腺を閉じてしまうと、身体に熱を溜め込んでしまい、むくみの原因になるのでしょうね。
「心頭滅却すれば、火もまた涼し」とはなかなかいかないものです。
今日こそ梅雨の晴れ間です。久しぶりの太陽が顔を出しました。 地に蓄えられた雨が蒸散し、むしむしした暑さです。
今日午後から町田宗鳳先生による「風の集い」がアイナリーホールで開かれました。
ミニ講和に続き、観音禅に入りました。参加者が多かったので、2重の円になり、中央に私を座らせてくれました。
坐禅は半跏趺坐の作法(あぐらを組み、左の足を右の太ももに載せる)で、しずかに腹式呼吸をし、各々のペースで「ン・・・・」とうなるように、繰り返し声を出します。
50人あまりの人たちがこころを合わせて発声する音の集合体が、六角形のドームの形をしている建物の隅々に吸い込まれ、反響していきます。
時間がたつ毎に人間と建物が一体となり、地鳴りのような音のうねりが身体に伝わってきました。何回か経験した、大きな梵鐘の真下に入ったときの音に似ていました。
音のうねりに身を任せながら唱える「ん・・・・・」に集中していると、肉体を忘れ、音そのものになった感覚を味わっていました。
今日は梅雨の中休みかなと思わせる曇り空でしたが、夕方からスコールかというような激しい雨が降りました。
朝からお産が続き、予定帝王切開に続き、緊急帝王切開があり、もちろんいつもの外来と、密度の高い半日でした。
塩の満ち引きとはよくいいますが、月の初め、5日へ向かってのお産の密度はまず例外なく高くなります。
それまで十分余裕があるベッドも、あれれ!という間に満床になってしまうことも珍しくありません。
いのちの不思議とでもいいましょうか、子どもたちが手を携えて生まれてくるのを感じます。
2日間降り続いた雨が上がり、晴れ間が見えています。
今日の山陽ラジオでは乳がん健診についてお話しました。
日本での乳がん患者さんはここ30年でうなぎのぼりに増えています。
患者数で見ると、30年前の1980年に15000人くらいだったのが、2005年には40000人をこえています。
いまではおそらく、知人友人を思い浮かべると、何人かは乳がんの方がおられるのではないでしょうか。
乳がんの原因はまだよくわかっていませんが、早期発見が唯一の完治法です。
そのためには健診が欠かせません。
現在30〜50代の方には少なくとも2年に1回のマンモグラフィー併用の健診が勧められています。 ただしレントゲン線量が高いので、妊娠中はすすめられません。
そして自己検診が必須です。 いろいろな方法がありますので、広報誌や、ネット、女性雑誌、検診時の保健指導などで情報を集め、自分にやりやすい方法で、月1回は触ることが大切です。
気をつけたいのは、気になるしこりを見つけても、もしガンだったらどうしようと、恐怖感にとらわれて、受診が延び延びになり、大きくなってしまうことです。
おかしいと思ったら、早急に専門医を受診することが大事です。
研修時代最初の患者さんが乳がんでした。その悲惨さはけっして忘れることができません。
いつのまにか盛夏と呼べる季節に入りました。
今日は一日中、激しい雨が降り続きました。
がん検診の方たちが少しづつ増えてきました。七夕様のように年一回の出会いの大切な方たちです。
患者様というよりは、「友、遠方より来る。また楽しからずや。」と論語にあるような気分です。
挨拶は「しばらくぶりですね。お元気でしたか。(お元気そうですね。)」、「先生こそお変わりなく、お元気ですね。」といったものです。
まさに一期一会、来年はまた会えるかどうかわかりません。
お別れする時は心から「ごきげんよう。お元気で!」と言い合います。
七夕祭りのささやかなイベント、短冊の飾り付けがそろそろ始まります。
今年もおかあさんやこども達の、色とりどりの短冊に、たくさんの願いが笹の葉の間に賑わうことでしょう。
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