スペースシャトルディスカバリーで見事宇宙から帰還した時の人、宇宙飛行士野口聡一さんへのインタビューをテレビで見ました。宇宙から地球を見たときの感想を聞かれ、「地球は生きていると実感しました」と答えていました。宇宙に行かなければわからない、素晴らしい言葉ですね。 野口さんは小学校の頃の文集に「僕の夢」と題した一文を載せていますが、なんと、発射台からまさに飛び立つ寸前のスペースシャトルの絵が描かれた横に、僕の夢は宇宙飛行牛になること。その理由は宇宙のいろいろなことがわかるから、と書かれていました。 インタビューで彼は続けます。「夢を追い続ける人生こそ意味があり、輝きがあります。そしてそれを見ているこどもが“私の大人になった姿だ”と、大人は“私の友人、私の息子、私の孫が宇宙で活躍しているんだ”と思ってほしい」と楽しそうに語っていました。
夕方、高井崇志(たかし)という青年が訪ねてきました。北海道函館出身の道産子です。このたびの岡山市長選に立候補するということで、同じ道産子仲間である私を訪ねてくれたのです。函館ラサール高校を卒業後東大へ進み、卒業後は総務省に勤務していたようです。3年前から岡山県庁に出向していたようで、いわば石井岡山県知事と同じ流れでしょうか。 彼は35才、独身です。まっすぐな目で相手を見つめます。自分が何故岡山市長選に立候補したかを、人々が幸せに生きる町をつくりたいと、直裁的に語りました。私たちは少子高齢化について語りあいました。人生に夢を見ることが出来なくなったところから生きる楽しさを見失い、志がしぼみ、少子化がはじまった。政治は夢を具体的にデザインすることだ、という私の意見に彼は率直に反応し、彼の夢を語りました。 いいですね、彼のように志を高く持った若者たちが政治の世界で活躍することは。世界は新しいエネルギーを期待しています。そういえば彼の名前は崇志ム志を崇めるーとは、名は体を表すということでしょうか。
1年ぶりに婦人科検診で顔を見せたお母さん、中学と高校の男の子の成長ぶりを話してくれました。上の子が、小学校から続けている剣道をさらに続けるため剣道の盛んな高校に進んだこと、勉強との両立に苦労していること。下の子は兄のあとを目指してやはり剣道にまい進し、同じ高校へ進学しようとがんばっているというものでした。お兄ちゃんのために毎朝4時半には起きて弁当作りに励んでいるようです。 家族ぐるみで子どもの夢を応援するのは家族全員で同じ夢を見ていることですね。
小学校4年生と幼稚園の姉妹がお母さんの妊婦健診についてきました。超音波をとる時おなかをあらわにするのですが、少し恥毛が見えるところまで、はいているものを下げます。タオルでカバーしてグッと下げるとチラッと恥毛が見えました。小学校のお姉ちゃんがさっと手を伸ばして「見せちゃいけん!」とそっと引き上げました。お母さんは「赤ちゃんを診るんだから大丈夫よ」というと、「恥ずかしいもの」と応えました。 赤ちゃんを診終わってお話のとき、「思春期が始まりましたね」というと、お母さんは怪訝そうな顔をしました。「思春期の特徴のひとつが羞恥心なのです。性ホルモンが発動している証拠ですから」と説明し、納得されました。興味深い仕草です。
「先生、せっかく処方してくれたお薬なんですけど、できれば飲みたくないのですが、だめでしょうか?」電話の向こうで思いつめた声が聞こえます。流産を繰り返し、今回こそはと治療を始めた方です。薬についての説明が不十分だったのかもしれません。「インターネットで検索したらいろいろ不安なことが書いてあって、赤ちゃんに影響したらどうしようと気になるのです」と心配そうです。 インターネットの普及で、情報量は格段に増えました。医療も例外ではなく、自分で病院などを選べる時代が来たのです。しかし薬ひとつとっても、たくさんの情報の中から自分が知りたい情報を正確に、適切に取捨選択することはまだまだ十分ではありません。もちろんその背景には、データベースが不十分なことや、薬そのものの効果や副作用が研究されていない部分が多いということもあります。 いずれ誰でも利用できる、信頼に足るデータベースの構築が可能になる時代が来るでしょうが、それまではこの方のように主治医に遠慮なく尋ねる姿勢と、それを受け入れる医療施設の対応が必要です。ちなみにこの方には改めて説明し、いくつかの処方薬の中で一種類を服薬しないことが選択されました。
秋晴れ、とても気持ちのいい朝です。せっかくなので、午前中美術館を訪ねましたが、目当ての絵画などの展示がなく、やむを得ずそのまま帰宅することにして新幹線に乗りました。またしてもあまりの気持ちよさに居眠りしていますと、つれあいが「ほら、ほら、彼岸花!」と起こしてくれました。窓の外を見ると畑のそばや山間の野にびっしりと彼岸花が群生しているのが見えました。まるで真っ赤なじゅうたんが浮かんでいるようにも見えました。さすがお彼岸です。ふと辺りを見ると稲刈りが済んでいる田んぼもありました。いよいよ秋たけなわになります。
年に2回くらいは家族旅行をするのですが、夫婦だけで旅行することはほとんどありません。祝い事があって、珍しく二人で新幹線に乗りました。来た列車に乗るというのんきなたびです。日ごろの喧騒のせいか二人とも、本や雑誌を読んだりうつうつ眠ったりの気持ちのいい時間をすごしました。 ふと雑誌を見ると、一人旅についての特集が載っていました。一人旅の効用や感想がいろいろ述べられていましたが、一人旅を肯定的にとらえているのは若い人たちに多く、年齢が行くほどさびしいとかわびしいとか感じるようでした。ちょっと人生航路に似た印象がありますね。 うとうとゆったり2時間の新幹線リラックスタイムを過しました。確かにいつもの出張とは違った豊かな時間を感じて、夫婦がお互いを連合い(つれあい)と呼ぶ意味合いをなんとなく感じた気がしました。
今日は秋分の日、でも台風が近づいているせいか朝から結構暑さを感じます。朝からお産が続きましたが午前中にはすっかり落ち着き、時間が取れたので理髪店に行きました。床屋さんはまさに憩いの場ですね。 私にはひげがあるので、いつもは必要なところだけ剃っていくのですが、朝から仕事続きだったので髭剃りをせずに出かけました。同じ理髪店なのでもう数年髭剃りは受けていません。何か新鮮な気持ちでした。ひげをそってもらうのは、肌に触れる手の優しさがなかなか気持ちのいいものです。まさに癒しです。 次男が以前心底好きなそぶりで、「床屋さんでしてもらう顔そりは最高!」といっていたのをふと思い出しました。
夜、非常勤講師をしている朝日医療専門学校で柔道整復師クラスの講義がありました。今日は志についての話題です。志というとなにか大げさに聞こえるかもしれませんが、要するに人生のデザイン、まあ、予定表とでもいうものです。 志についてよくなじんでいる言葉に「少年よ 大志を抱け!」“Boys be ambitious!”があります。ご存じのように北海道大学の前身、札幌農学校教師ウイリアム・S・クラーク博士が数ヶ月の任期を終えて帰国の際、名残を惜しんでどこまでも見送りについてくる学生たちに,お別れの言葉として残したものとされています。この言葉がこころの灯台となり、人生を歩んだ人も少なくないでしょう。 人生と日常の生活は少し意味が違いますが、時に混同することがあります。生活のつらさや単調さがいかにも人生を表しているかのように感じてしまいがちですが、人生そのものではありません。建物は設計図がありますが、実際に家が出来るのは大工さんを始め様々な人たちが建設作業をした結果出来上がります。しかし作業は設計図がないと出来ません。言うなれば家が人生で、つくる作業が生活です。そして設計図が志です。設計図を描く設計士が自分です。設計図を描くことを立志といいます。 設計図は何度も書き直しがききます。設計士が訓練によって次第に上達するように、むしろ時々見直して手直ししていくことで、より想いがこもった満足度が高いものが出来るでしょう。しかし、何気なく暮らしているだけでは私らしく生きるという実感を味わう度合いは少ないのではないでしょうか。
外来の合間にトイレを使っていると、野菊に似た可憐な菊が目につきました。目線の前の空間にはいつも、2cmあまりのミニチュアの花器5個に季節の草花が1〜2輪飾ってあり、日常の疲れを癒してくれるのですが、その中に薄紫のその可憐な花がありました。 こんなところにも秋が来ていると嬉しくなりました。季節のきざしを感じるのは、その人の生育暦の中の原風景と重なるところが多いように思いますが、私にとっての秋はこの野菊とススキ、そして赤トンボです。子どもの頃山葡萄やクコを求めて駆け巡った山道に、疲れを癒すようにひっそりと咲いていました。久しぶりの原風景でした。
連休明けで込み合っている外来に、産後8ヶ月なかなか体力が回復しない方がやってきました。赤ちゃんは元気に育っているのですが、お母さんはどうももうひとつ元気が出ないようです。1ヶ月間漢方治療をしたのですが、治ってきている気がしないといわれます。見た目も疲労感が漂っています。 そこでちゃんと食事が取れているかお聞きしました。「この子がいるので、ゆっくり食事なんて無理ですよ!すきをみては何かを口に入れるというくらいです」となかなか大変そうです。確かに子育てにかかりっきりになると、お母さんは自分のことなどかまってはいられなくなるのも無理はありません。しかし手軽なスナックや果物、菓子パンなどに頼っていますと先日書いた低血糖症を起こすばかりか、ビタミンなども不足し、いわゆる栄養不良の状態にさえなってしまいます。おそらくこのお母さんもそれに近い状態になっているようでした。おんぶをすること、おにぎりを常用すること、食材の工夫をすることなどをすすめました。効用はどうでしょうか?
朝散歩に出ますと、真っ赤な彼岸花(曼珠沙華まんじゅしゃげ)が近くの土手に小さな集落で顔を出していました。秋のお彼岸の頃になると、何もない地からわきあがるように炎のような鮮やかな紅が立ち上がります。強烈な秋の風物詩です。土地の方々には何の不思議もないのですが、はじめてみたときは花だけで葉のない不思議な花の群生には驚くと共に感動でした。北海道では見たことがない上、岡山に移り住んでもしばらくは知らずにいましたので、それが歌に歌われる曼珠沙華であることを知ったのもあってとても強烈でした。それにしても、曼珠沙華は天の華と呼ばれるのですね。これからしばらくは見ごろを迎えます。
朝ホテルの窓からまぶしいほどの日の光がいっぱいに差し込んできます。みなとみらいにある美しい形をした建物で、前から一度泊まりたいと思っていたホテルです。夜はよくわからなかったのですが、9階海側に窓があると信じていたのですが外を見てびっくり、何にも見えません。ホテルの裏の無味乾燥なコンクリートが見えるだけでした。部屋はまずまず過ごしやすい空間が保たれていましたので、それほど嫌な思いにはなりませんでしたが、なにか裏切られた気分でした。シャワーを浴び少し身体を動かした後、朝食に出かけました。ここでまた少し驚かされました。1階のオープンカフェが会場だったのですが、受付女性スタッフが門番のように立ちはだかり、満員なので2階のカフェを使うよう案内したのです。仕事をきっちりしようとする強い意志はよく伝わってきたのですが、そのつっけんどんさに一緒にいるスタッフが驚いたように振り向いたのが印象的でした。私になにか怪しいそぶりがあったのかといぶかりながら2階のカフェに移動しました。洋食のみのバイキングでシリアル酵母パン1枚にブルーベリージャムをそえ、スモークサーモンと野菜サラダ、焼きたてのオムレツ、イチジクとアプリコットのフレッシュフルーツ(これが絶品でした)にコーヒーをいただきました。ホテルのスタイルの守るのはいいのですが、日本食を用意する心遣いがほしいものです。おもしろいことに用意されている新聞は英字新聞だけでした。ちなみに客の多くが日本人の方々でした。 学会の方は実りある内容でした。特にオーストラリアの母乳研究家Peter Hartmann氏の講演、「哺乳時の吸啜メカニズム」という超音波診断装置を利用したビジュアルな研究は私にとって大変印象的でした。新しい発見を目の当たりにするのはとても嬉しいことです。 もう一つの特別講演は三砂ちづる氏の「女性としての身体回復の意味」というものでした。先日の岡山で開催された母乳育児シンポジウムにお呼びしたかった方なので、興味を持って聴かせてもらいました。
今日明日と第20回日本母乳哺育学会が横浜市関内ホールで開催され、シンポシストを受け持ったので朝から出かけました。昼の横浜はとても暑く、汗だくになってしまいました。 今回のシンポジウムのタイトルは「母乳育児支援を考える=手をつなぎ合った母乳育児運動」というものです。この20年いろいろな方向から母乳育児推進・支援団体が成長し、活動するようになりました。しかしそれぞれが少しずつ違う支援方法で、イラクの暫定政府がなかなかまとまらないように、横の連絡はあまり有効にとれていません。一般のお母さん方から、もっとお互いに歩み寄って協力し合うことで、母乳育児が進むのではないか、という意見が出るのはもっともなことです。日本全体の母乳育児率が50%前後で頭打ちの現在、何とかきっかけだけでもつくろうというのが今回のシンポジウムの目的のようです。私の受け持ちは「母乳育児運動ム赤ちゃんにやさしい病院認定を通して」というものです。 5人のシンポジストの意見はなかなか合うものではありませんでしたが、これを機に議論が深まることを願います。
外来、お産、帝王切開、外来とスムーズに時間が流れていました。午後6時頃9か月の妊婦さんが1時間前から急におなかが痛くなってきたと実母さんに付き添われてやってきました。診察して身が縮みました。なんともう産まれる寸前です。推定体重が1500g前後ですから、出生後すぐ呼吸管理が必要です。間に合うことを祈りながら、すぐさま岡山医療センター(旧国立岡山病院)へ連絡を入れ、受け入れを承諾してもらい、救急車を手配し、車内で出産になってもいい準備をして師長とともに同乗し、何とか無事に送り届けました。 国体が始まったばかりの運動公園横の国道53号線は数珠つなぎの渋滞でしたが、救急車の訓練された運転技術はさすが見事なもので、蟻のはい出る隙間もないほどの車列を巧みにぬって、遅滞なく走り続けてくれました。感謝です。帰りはタクシーですので、かなり遅れて帰り着きますと、1時間も待っていただいた受診者の皆さんが、嫌な顔も見せず心配そうに迎えてくれました。無事着いたことをお知らせすると、ともに喜んでくれました。お詫びと感謝でした。 日本全体で、このような未熟児出産は年々増え続けています。その予後(無事に育つかどうか)は院内出生と院外出生とで歴然と違います。NICU(新生児集中治療室)のある施設内で産まれた子どもの方が、搬送を必要とする施設で産まれた子どもに比べ明らかに、無事に育つ確率が高いのです。ですからこのように少し無理をしてでも母胎搬送の意味があります。ただし、万が一救急車内で産まれても気管内挿管が出来る手はずを整えておくことが肝心です。 あとはこの子の無事を祈るばかりです。
急に朝夕がひんやりしてきました。今朝はこの夏初めてのクーラー無しで朝を迎えました。庭にいる犬たちも何となく気分が良さそうです。 外来の終わり頃、4才の女の子がお母さんに連れられてやってきました。昨日保育園で遊んでいておしりを打ち、出血して痛がっているということで、夜一度受診しているのですが、まだ出血が止まらないということでした。診察すると外陰部の打撲で見えにくい部分の擦過傷からの出血で痛みもほとんど無く、軟膏処置だけで大丈夫でした。 小学校くらいまでの女の子によくあるのですが、平行台やうんていなどで遊んでいて足を滑らせ、直接おしりを打って傷をつくります。出血や腫れがかなりひどくなることがあって、場所が場所だけに親御さんたちはびっくりします。まれに縫合が必要になりますが、ほとんどは軽傷で済みます。あぶないことをやめさせようとしますが、体験的に自己防衛法を身につけるも必要で、むしろ元気に飛び回った方がいいですね。
更年期に入る少し手前の方が受診されました。時々からだの不調を訴えて訪れるのですが、今日はおりものが気なるというのです。一通りの診察や検査を終えてお話も終わる頃、突然「先生、私がこんなにいろいろあるのは婦人病の家系だからでしょうか?」と半ば冗談めかして言われました。聞きますと、お母さんが子宮筋腫の手術をしているし、お姉さんは子宮内膜症の治療をしているし、おばさんは・・・と病気の名前を次々挙げ始めました。 婦人病とはなんとなく古い、やや暗い感じを受けませんか?それもそのはず、私のかって解釈によれば、江戸時代の呼び名で戦前までよく用いられていました。多分出所は、よく知られている漢方の古典書「傷寒論」の「金匱要略」の中にある婦人雑病論の冒頭に「すべての婦人病は冷えから来る云々・・・」とありますので、その辺からではなかろうかと思います。今でも使わないことはないのですが、個々の状態に分けているのが多いようです。 ところで婦人病の家系などはありません。むしろ食習慣が同じような病気や体質のもとになると思われます。
診察室に硬い表情をした25才くらいの方が入ってきました。お聞きすると生理がばらばらで不正出血もあるということです。お顔や手足に少し湿疹があります。皮膚は薄く生気に乏しいようです。仕事は忙しく、夜も帰宅が遅くなるようで、疲れがたまっているということです。これだけでも不正出血の原因となるストレスがあることが十分予想されますが、食生活が気になりました。 朝なかなか起きられない、仕事に集中できない、いらいらする、吹き出物が多い、とても疲れやすい、などの症状はありませんか?と尋ねると、全部あるといいます。食事はちゃんと摂れていますか?と聞くと、まあまあ採っているつもりと言われます。甘いものはどうか尋ねると、「大好きです。昼も十分取れないくらいなので、お菓子や飴などでしのいでいることが多いです。甘いものがないとやっていけません」と、当然でしょうという口調です。 忙しさに目がいきがちですが、実はみな低血糖症状です。確かに糖分は疲れを取りますし、脳の働きのエネルギー源で、神経を和らげ、満足感を与えます。しかし砂糖は危険です。砂糖は分解・吸収が早く、たくさん食べるとそれを消化するためにインシュリンが沢山出ます。これを繰り返すとインシュリンはすぐ糖分を分解してしまいますから、食べた分より沢山の糖分がなくなっていきます。その結果ジェットコースターのように高血糖と低血糖を繰り返すようになります。甘いものを食べたり飲んだりしていない時間のほうが長いので、低血糖状態が長く続くことになります。よく子どもたちがそんなに動いてもいないのに疲れやすいなどの訴えが多いのはこのためです。 お話しするとよくわかってくれたようです。おにぎりと火を通した野菜を食べるようにすすめてお別れしました。
明け方3時過ぎ、お産のため家を出ました。明らかに季節が変わっていました。まだ暗い空には煌々と満天の星が輝き、透明です。月の光に雲がたなびいています。空はいつの間にか秋です。 なぜか芭蕉の辞世の句「夏草や つわものどもの 夢のあと」を思い出しました。ああそうか、あの夏草は、晩夏の草ぼうぼうとした河原の荒地の風景だったのだなあ、と一瞬輝く星に見入りながら、なんとなく腑に落ちた気分で車に乗り込みました。 クリニックに着くと思いがけずハイリスクの出産になったため、数時間は戦場のような緊迫感の中に身をおきました。気がつくと星はどこかに消えてしまい、救急車の周りは朝ぼらけに包まれていました。 外来中気になっていた赤ちゃんの容態の、無事を伝えるNICU(新生児集中治療室)からの電話にほっと胸をなでおろしました。
| 2005年09月11日(日) |
今年のニコサンクラブ |
当院のイベントの中でも最も重要な「ニコニコサンクラブ」(3才児の母の会)が午後1時30分から4時30分過ぎまで、伊福町にある岡山市生涯学習センター2階を借り切って開催されました。今回は150人の申し込みがあり、当日キャンセルがいくつかあったものの託児のお子さんやスタッフを含め、300人あまりの集団になりました。 参加された皆さんとお会いするとこの会を続けて本当によかったと思います。この会に出席するために何人も遠方から来てくれました。ほとんどが大きくなった子どもたちを私たちに会わせるためにつれてきます。元気に育った子供たちと会うと、私たちの仕事の大切さを思わされます。 この会の目的は、3才からの子育ての理解と共感です。成長の基礎となる3才が過ぎようとしているとき、子どもは自立のための準備期間の入り口に立っています。どう育てていけばいいのか、さまざまな迷いが出てきます。自分ひとりではない、みんな同じところで悩んでいるということを井戸端会議的に納得すること、それを乗り切る情報を少しでも手に入れることが、生きた情報が少ない今の社会ではとても必要です。 嬉しいのはどの子もみんなお母さんから愛されている様子がよくわかります。名残惜しそうにお別れするお母さんと子どもの後姿に、明るい未来を夢見ます。
親しい心友を失って5ヶ月になります。数人の友人が集まって思い出を語りながら、小宴を催しました。心温まるお話をしながら、ふと以前知人から聞いたことのあるお墓のルーツを思い出しました。 奈良時代よりもっと昔、万葉の頃、辺境の地で多くの戦闘がありました。都から多くの防人と呼ばれていた兵士がそこに送られ、戦いに倒れました。何年か過ぎ、交代で帰る仲間の兵士の荷物の仲に丸い石があったそうです。亡くなった兵士の家族に届けられ、その石を囲んでその兵士の在りし日をしのんで語りあったそうです。 この丸い石がお墓のルーツというわけです。いかがでしょうか。
久しぶりに里帰りでお顔を見せてくれたお母さんが「先生の日記を見ています。今広島に住んでいるのですが、子育てやそのほかのことでいろいろ辛いことがありますが、日記にヒントをもらったり、私だけではないと癒されたりで助かってます」と嬉しいメッセージをくれました。日記は携帯メールと違って、一方通行です。それだけに気に入った方々が自分の意思で自由に見ることができます。 最近いろいろな方から日記を見ているという声を聞きます。現在1日約200人くらいの来訪者があるようです。私が特にありがたいと思うのは、このお母さんのように心のつながりを感じてもらうことです。この日記は今年の12月で2年が過ぎますので、いつの間にかたくさんの記事になりました。その気になって探してもらえると、心のどこかに触れるものがあるかもしれません。自分は一人ではないという絆感覚が、日常を少し楽にしてくれることでしょう。
兵庫県姫路市に安藤忠雄氏設計の「こどもの館」があります。偶然テレビでそこを案内する安藤忠雄氏の想いを聞くことができました。建築が完成したときには建物意外ほとんど何もなかったようです。今ではここにいくつものユニークな造形物があるのですが、それらはみな世界中から募集した子どもたちの絵を、その夢を膨らませながら忠実に再現しているといいます。彼は「子どもたちを自由に遊ばせると、その想像力(創造力?)が十分に開花する」と、楽しそうに語っていました。 いま、子どもたちは自由を奪われている!?大人はもっとこどもを信頼しなければと思いました。
台風の余波が残る朝です。真夜中に旭川ダム放流のサイレンがなり、慣れない子どもたちが飛び起きてきましたが、それ以外は昨日準備した災害グッズを利用することもなく、無事に朝を迎えました。 1ヶ月検診に来られたお母さんに、お子さんが4200gにも成長しているので、「おんぶ紐を使っておんぶしてもいいですよ」とお話しすると、「ほんとですか?首が据わるまでおんぶやたて抱きはだめとよく言われますけど?」とけげんな顔です。確かにおんぶ紐の説明書などには、3ヶ月を過ぎて首が据わってからと書いてあります。 子育て法は伝統的なものがあります。私が子どもの頃は文明の利器がほとんどなかったものですから大人たちは毎日がとても忙しく、特に嫁でもあるお母さんの労働量は半端ではなかったように思います。出産しても産後21日の床上げの日が来ると、もう子供を背負って家事労働に勤めていました。また子沢山が多かったので、当然兄弟たちが子守をするのが当たり前でした。私は長男なので、随分子守をさせられました。1ヶ月に満たない子を平気でおんぶしていたものです。首が据わるかどうかなど、誰も問題にしていませんでした。もちろんおぶったまま走り回るのですから、時に話題になる首振り症候群などが起こっても不思議はない状態です。それでも背中の赤ちゃんは平気で眠っていました。私が大丈夫というのはそんな原体験があるからです。
九州に上陸した台風14号は記録破りの大雨を降らせ、大きな被害を残しました。今日はいよいよ岡山直撃の様相なので、次第に強くなる風の音、木々のしなり具合や雨の音、テレビニュースに耳がそばだちます。お昼ごろにはかなりの強風で、近くの交通安全の旗が千切れ千切れにはためいています。朝方、2人のお子さんが台風を待っていたかのように生まれましたが、廊下ですれ違ったそのお母さんはにっこりしながら、「やっぱり台風の子でしたね。印象が強くてよかったです」といわれました。このお母さんにとっては超大型台風もなんのその、大切な子どもを運んできてくれた“お使い”くらいにしか思っていないかのようでした。夜を迎えるにつれ次第に暴風の様相を呈してきました。こんな悪天候の中、外来は通常とあまり変わらないほど受診されました。
日本への台風上陸と共に、この土、日で7人の未来からの使者がやってきました。ベッド数が少ない当院では、一気に入院スペースが賑やかになります。午後お見舞いの方々で賑わっている2階の廊下で、お母さんにお茶を運んでいるお父さんに嬉しそうにについて回っている5才の男の子がおりました。この子もうちで生まれているので、スタッフとは顔なじみです。おめでとう!妹が来てよかったね!と声をかけると、得意げにウンとうなづきました。かわいかった?と問いかけると「かわいかった〜」と顔がパーッと明るくなりました。妊婦健診についてきていたときとはうってかわって、もうすっかり赤ちゃんを迎えた家族の一員の顔になっていました。二人目出産後、上のお子さんにてこずることが多いのですが、4才をこえると赤ちゃん返りはあるものの、自分の役割の認識ができるようになります。そんな子たちに会うと、精一杯おしゃまをしている健気さがなんとも言えずかわいらしく感じます。
今日は午後から父親学級があるので、早めの昼食をとるためにオランダ通りの「一元」というラーメン屋さんに行きました。一年ほど前までは支店がシンフォニー横の電車通りにあって、店舗も大きく、とても美味しい和風ラーメンでしたので時々食べに行っていました。その後お店を閉めて本店だけの営業になったので、場所がわからず足が遠のいていました。息子たちが行ったことがあるというので、久しぶりに味わうことにしました。場所は表町商店街、シンフォニー近くのお肉屋さんの裏になります。カウンター席5つ、テーブル席3つのこじんまりしたお店でした。ほのかに煮干の味がスープの奥に残り、やや固めの麺に絡んで実にやさしく奥深い味わいです。チャーシュー自体もふっくらとした薄味で美味しいのですが、スープが表面に薄い層を作ったその旨さは見事な調和でした。中華ソバ600円、チャーシューメン800円ですが、それ以上の満足感がありました。 ひとつ問題がありました。カウンター席で食べたのですが、イスが高すぎて、カウンターテーブルにどんぶりを置くと、口に入るまでの位置には高すぎるのです。どんぶりに口を近づけようと身をかがめるにはストレッチの姿勢になり、とても苦しい。息子たちに聞いても同じ意見でした。まるでショットバーで、食べている感じでした。もし食べに行かれるときはぜひテーブル席に座るよう、おすすめします。
| 2005年09月03日(土) |
ハリケーン・カトリーナ |
8月末にアメリカを襲ったハリケーン「カトリーナ」の猛威にジャズのメッカ、ルイジアナ州ニューオリンズが壊滅してしまったニュースは全世界をショックに陥れました。昨年暮れの東シナ海大津波も大変なショックでしたが、今回は自然の脅威という範疇を越えています。少なくともアメリカ合衆国の歴史始まって以来のこと、しかも繁栄を誇る最高の文明国の心のふるさとともいうべき都市が壊滅したのですから、アメリカ国民に与える打撃は大変なものがあるでしょう。被害の全容は数日が過ぎた今日もその全容はほとんどつかめていないようです。 9.11には敵がいました。そしてその敵とみなした国々に戦線を布告し、今も戦いの中にいます。ただ、今は誰が敵なのかわかりにくくはなっていますが。しかし、今度は敵がいません。すべてを投入して救済あるのみです。まさに大統領は自分との戦いです。
| 2005年09月02日(金) |
コミュニケーションスキル |
わが家の夕食はたいていにぎやかですが、時に議論が活発になることがあります。今晩の議論の終盤はコミュニケーションスキルでした。お互いの意見を述べ合っている中で、私が、例の「もし世界が100人の村だったら」という世界を駆け巡ったメール(ベストセラーになった本もあります)の最後の方に載っている3つの大切な教え、(中野裕弓解説)と、そのためのコミュニケーションスキルが必要なことを話しました。 Acceptance::相手の状況をありのまま受けいれる。受容。 Understanding:バックグラウンドを含め相手がおかれている状況をよく理解するため、お互いに歩み寄る。 Education:世界は多様性に満ちていることをよくわかってもらう。教育。 話し終わると、息子が一言「わかっていないのはチチではないだろうか」といいました。「だって人の話を聞こうとしないから」という彼の言葉に、一瞬ふっと我に返ると、いつの間にか人に説明することが習慣化している日常が身についてしまっていることに気づかされました。指摘してくれた彼に感謝すると共に、またしばらく自己観察をする必要を感じました。
今日とっても嬉しいことがありました。太極拳の練習をしていますと、あるご家族が尋ねてきてくれました。2003年12月25日のこの日記に登場した「お父さんとの約束を守って生まれたお嬢ちゃん」とそのご家族、お兄ちゃんとご両親です。当時お父さんはシンガポールに単身赴任していましたが、出産になるかもしれないということで帰国されていました。休暇の期限が迫ってきましたがなかなか生まれません。どうしようかと迷ったのですが、ご家族で相談され、とりあえずクリスマスまで期間を延ばしました。そして12月25日、見事に出産となったのです。みんな大感激でした。 今ご家族はシンガポール在住です。あの時2才ちかくで、第1反抗期の反抗期の真っ只中にあったお兄ちゃんはもう自分で「ぼく、もう3才になった」と得意げに話すほどになりました。妹はもうすぐ2才です。とってもかわいい表情と仕草でわたしたちを喜ばせてくれました。 お父さんの夏休みで帰国されているので、もうすぐシンガポールへ帰られるとのことです。お顔を見せてくれて感謝でした。一年中夏の土地柄でしょうが、どうぞお元気で!
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