子育て情報交換
sunclinicの日記

2005年08月31日(水) 「死ぬまでにしたい10のこと」

昨夜ナンシー・キンケイド原作「死ぬまでにしたい10のこと」(邦訳)のビデオを観ました。23歳の主人公アンが子宮がんになり、余命わずかと宣告されました。悲嘆の中にも最後まで生ききるために、自分を満足させる10のことを自分と約束し、それを実行することにいのちを燃やします。とても切ない思いの感動でした。ちなみに英語の原題は“my life without me ”という意味深なものでした。自分がいなくなる世界について思いをはせる時間をもらったことに感謝!
朝、早速原著を読みました。映画を観ていたので情景を思い浮かべながら15分ほどで読みました。私がこれまで出会ってきた子宮がんの方たちが脳裏をよぎりました。



2005年08月30日(火) 外来にて

“こどもが「おかあさん、あかちゃんがきたよ!」というものですから、どうして?って聞くと「おねえちゃん!って呼んだよ」と教えてくれました。それで妊娠したかと思ってきました。”
超音波で子宮を見てみますと、1cmにも満たない胎嚢(胎児が包まれている袋)がやっと見えるくらいの大きさです。妊娠反応を確認し、お母さんに妊娠であることを告げると、何か狐につままれたような感じでした。
子どもの感性はすごいものがありますね!
午後、新患の方が授乳中のおっぱいのしこりで受診されました。診察すると鶏卵2個分くらいのしこりです。お子さんが1才2ヶ月になり、授乳は続けているようです。根気よく乳頭のマッサージと乳管開通を繰り返していると、砂のようなつまりが少しずつ取れていって、突然シャンパンの栓を抜いたようにスポンと音を立てんばかりに勢いよく塊が飛び出して乳管が開きました。あとはシャワーのように乳汁が出て、あっという間にしこりがなくなりました。お母さんもびっくりでした。うまくつまりが取れたときは本当に気持ちがいいものです。



2005年08月29日(月) 歳の離れた妹

早朝、印象的な出産がありました。出産自体はとても安産でした。同伴分娩でしたが、見ると分娩室の前に祈るようにじっとしゃがみこんでいる少女に気がつきました。「おかあさん?」と聞くと、ニコッと笑ってうなずきました。お母さんとお父さんの同意をもらって、早速そのお嬢さんも同伴することにしました。
まもなくかわいい女の子が生まれました。生まれた瞬間みんな歓声を上げました。15歳になるお姉さんは感動でほほが紅潮し、赤ちゃんをいつまでもじっと見つめていました。まさに母から子へのいのちを伝える世代間伝達の瞬間です。
夕方、回診に訪室しました。お嬢さんにとって貴重な体験になったでしょうと話しかけますと、「もう早速小さいお母さんをしています。さっきも妹を連れてやってきて、“お母さん、寝ていいよ。オムツ取り替えるから。”といって、こまめに世話をしていきました」と楽しそうに話されました。
生まれた子どもも、感動体験していくお姉さんも未来は明るいですね。



2005年08月28日(日) 実行委員会打ち上げ

午後から第14回母乳育児シンポジウム実行委員会の打ち上げがありました。岡山市柳町にある中華料理店「桃源郷」で開かれました。このお店は私が岡山市で最も美味しい食事処のひとつとして、自信を持っておすすめできます。
約1年間にわたってシンポジウム成功を目指して、一緒に準備してきた仲間です。いろいろな難問を苦労して乗り越えてきたものですから、成功裏に終わった感動を共に味わうことができました。楽しい時間でした。



2005年08月27日(土) バベットの晩餐会

夕食後、妻が借りてきていたビデオ「バベットの晩餐会」を鑑賞しました。19世紀半ばのデンマークが舞台になっています。清貧の中にあるプロテスタントの村にある牧師一家に関わる人間模様と、戦火を追われ、牧師の家に住みついたフランスの名料理長、バベットの物語です。暗い色調で、淡々と流れるような日常を描いているのですが、なんとも魅力的な雰囲気です。牧師の2人娘の青春期から老年期まで、かなり長い年月を丁寧に描いており、その間のよき隣人としての村人の老化にともない、心の奥深くにうごめくさまざまな思いが次第に浮き彫りにされていきます。そんなある日、メモリアルな晩餐会が開かれました。
感動的なラストがとても印象的です。



2005年08月26日(金) PTSD

台風一過。真夏の照り返しが肌に熱く、強烈な日差しが地面を焼いています。関東甲信越を襲った台風12号が三陸沖に抜けていきました。今回も各地に爪あとを残していきました。被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。
災害があると決まって問題になるのがPTSD(Posttraumatic Stress Disorder心的外傷後ストレス障害)です。この言葉が広まったのはアメリカでベトナム戦争の復員軍人にさまざまな心身の問題が多発し、社会問題になり、1989年に専門の研究、援護機関が復員軍人局にできた(National center of PTSD)頃からのようです。私たちはさまざまな体験の積み重ねで学習し、想像力を駆使して知恵を養い、日常生活に対処しています。いわば生きるための知恵です。人間は自然界の中では“裸のサル”と呼ばれるほどか弱い部類に入りますが、極端に発達した脳と手、そして集団行動で歴史を刻んできました。集団が機能を果たせなくなり、体験による想像力を超えた出来事や現象に遭うと、思考の制御回路が壊れてしまい、行動の制御すらできなくなってしまいます。
現代は自然の脅威だけではなく、人間が自ら作った化学物質や、テロなどのいわれなき、姿の見えない脅威へのストレスにも囲まれています。知恵をさらに養って生活を守っていくためには、失われつつある村(地域)社会機能を再構築していく必要があるのではないでしょうか。



2005年08月25日(木) 絆の崩れかた

46歳になりますが、結婚して25年、3人のこどもを育て、兼業農家である実家の手伝いをし、パートの勤務をこなしてきました。夫とはいつのまにか心が通わなくなり、家庭内別居状態ですが、それもあまり気にならなくなっています。2年ほど前、長男の大学進学を機に、何か生活の歯車が変わったようです。“何もやる気が起こらない、いつも眠い、家事が滞っても気にならない、自分が自分でない”などに気がついていましたが、こんなものかと放っていました。最近、更年期障害について書いてあるのを読み、もしかして自分もそうではないだろうかと思って診察に来ました。
ぽつりぽつりお話されるのを聞きながら、家族の絆の崩れ方が見えてきました。今回の直接の原因は、絆の結び目を握っていたお子さんが家を出たことにありますが、その前からのサインは個食です。食事は単にエネルギーを補充するだけではありません。同じものを食べることで、お互いを感じ合い、絆の確認を繰り返します。この絆こそ日常を生きるエネルギーになります。現代の希薄な人間関係を少しでもよく保っていくためには、毎日は無理でも、家族の食事の時間を大切にしたいものです。



2005年08月24日(水) シンクからフィールへ

妊婦健診についてきたおにいちゃん、超音波で赤ちゃんを診ていると、「ポッコン、ポッコン、しないの?」と真顔で聞きました。早速胎児心音を出すと、耳を傾けながらニッコリ。そして少し恥ずかしそうにうつむき加減にお母さんを見上げました。お兄ちゃんの嬉しい気持ちがよく現れた瞬間でした。
先日お会いした中野裕弓さんのお話を思い出しました。「今、シンクからフィールの時代が来ています。“ねばならない”刷り込みをはずすと本来の自分が見えてきます。自分のことを考えるというよりは感じることです。フィーリングを大事にすることです。基準は心から楽しいかどうかです。楽しくないと感じたら、楽しくなる工夫をすることです。工夫のしかたはいろいろあります。視点を変えるだけでも十分効果があります」というものでした。
フィールはまさに子どもの世界そのものです。このおにいちゃんが今胎児心音を聴いて感じている気分こそフィーリングの世界に他なりません。



2005年08月23日(火) 旬のサンマ

夕食は北海道の旬のサンマでした。午後9時ごろ家から電話が入りました。電話の向こうで、「今日は何時ごろ帰れる?サンマを焼くから」という妻の声が弾んでいました。私の家はかなりサンマが好きです。しかしこの声はかなりうまそうです。時間を告げ、帰宅しますと、家の外まで香ばしい生のサンマが焼ける匂いが漂っていました。期待におなかを鳴らしながら中に入ると、おおぶりの油の乗ったサンマの尻尾と頭が大皿からはみ出しています。想像通り北海道産の生サンマです。イタダキマスもそこそこにかぶりつくと、豊穣な秋の香りが口いっぱいに広がり、味も抜群でした。
子どもの頃、この季節になるとよく港の岸壁にサンマ釣りに行きました。早朝、朝日を浴びながら朝の食卓へ持ち帰り、家族が嬉しそうだったのを思い出します。北海道はお盆が過ぎるともう秋です。朝夕は少し暖房がいる頃になります。



2005年08月22日(月) ダイヤモンドの恋

数日前友人からのメールですすめられていた午後9時から15分のテレビ番組「ダイヤモンドの恋」を観ました。主演が浅野温子で、更年期に入った、輝いていると自分が思っている、人気宝石デザイナーを好演しています。ストーリーは更年期に入った女性が、突然起こるさまざまな症状に悩まされながらも、それを乗り越えていく人間模様のようです。第1話は「めまい」でした。めまいがグラッとくるたびに「これさえなければすべて絶好調!」といいながら壁などに寄りかかるのが印象的でした。
更年期をはじめ、めまいには漢方がかなりよく効きます。もちろん耳鼻科の診察は必要ですが、原因不明のめまい発作には試す価値があります。



2005年08月21日(日) ユーズ ユア ボーンズ

明日「さつきの会」が開かれるので、中野裕弓さんが岡山入りされました。先生を囲んで家族でお話会をしました。いろんな話題が飛び交う中、印象的なお話を聞きました。
“アメリカでのお話。ある新聞の人生相談に「50歳になりました。第2の人生を生きようと思いますが、どうしたらいいか教えてください」という質問が載りました。その応えは「ユーズ ユア ボーンズ」とありました。ボーンはイギリスの高級白磁器ボーンチャイナのことで、どの家庭でもお客さま用として大切にしまっているものです。その最も大切な、貴重な食器を自分のために使いなさい、ということです。大切なものを他人ではなくて自分のために使うことは、自分を大切にする新しい世界に入るということです。”
いかがでしょうか?!



2005年08月20日(土) バースディパーティ

娘の誕生日を家族で祝いました。久しぶりに家族そろってのバースデーパーティです。私の家族は妻の方針で記念日をかなり大切に守ります。日常生活の優先順位は1番で、これは子どもが生まれてからずっと続いていますので、いつも間にかそれが当たり前になってしまいました。効果的なのは家族への思いやりが自然な形で培われてきたことです。そして、記念日の写真が、そのつど家のあちこちにさりげなく飾られますから、家の中ではいつも家族を意識するようになります。パーティの基本的スタンスは自分がこの世に生まれてきたことを、家族と共に喜ぶところにおいています。



2005年08月19日(金) ハタハタ

明日から速読教室が開かれるため、日本速読連盟理事長、佐々木豊文先生が東京から入られました。お産が終わって夜遅く食事に出ました。「なかた」というお魚の専門店です。ここの主人は私と同じ北海道出身で、道産子会の仲間なので話が合います。彼は新聞記者だったのですが、魚が好きなあまり料理を勉強し、ついにこの道に入ってしまった人です。佐々木先生は青森出身で、ほとんど同じ環境ですので、北でしか獲れない魚の話で大いに盛り上がりました。今日いただいたのは“こまい”の一夜干しの焼き物と“ハタハタ”の一夜干しの味噌汁、今北海道沿岸で獲れている“サンマ”のコブ締めでした。ハタハタやサンマはなじみがありますね。“こまい”は本州(北海道人は内地と呼びます)の“キス”のような、北の海で取れる日常の魚で20cm位、スケソウダラによく似た味がします。干物がよく食べられ、中でも燻製はとてもおいしいです。ハタハタは鍋物や味噌汁、焼き物などが一般的でしょうが、冬の風物詩、“ハタハタのいずし”は絶品です。米麹、ハタハタ、野菜を交互に重ねて漬け込むのですが、独特の風味がなんともいえません。
話は尽きず、午前様になってしまいました。



2005年08月18日(木) アサガオ

朝夕が少し涼しくなってきました。同時に朝顔の季節になりました。朝顔は夏の風物詩のように思っていましたが、真夏の朝顔はかんかん照りの日差しにあてられ、雨が少ないせいもあって、見るも気の毒なくらいのしおれようでした。今日花咲おじさんのところを通りかかると、数種類の見事な大輪の朝顔が誇らしげに花を開いていました。中でも花全体がレンガ色をした、気品のただよっているものが印象的でした。
もう15〜6年前のことでしょうか、ヒマラヤに咲いている朝顔の種をもらって庭にまき、雪のような純白の花に感動してあちこちに種分けしました。いつの間にか近隣のかなり遠くにまで、よく見られるようになりました。土地になじんで普通のありふれた朝顔の顔をしています。



2005年08月17日(水) 登山家、田部井淳子

田部井淳子さんといえばエベレスト登頂に成功した女性登山家として知られていますが、朝のテレビに北アルプスハイキングの道案内人として出演していました。剣岳を望む裾野に立ちながら、「年齢が進んだ今、山への思いが随分変わりました。“頂上だけが山ではない”という心境です」と感慨深げに語っていました。「頂上だけが山ではない」とは実に意味深い言葉ですね。



2005年08月16日(火) ボクトチガウ!

仕事に出ようと門を出ると、セミとトンボが数匹私の身体にまとわりついてきました。セミは夏を惜しむように、トンボは秋を告げるように見えました。
お盆明けの一日、混み合っている中、妊婦健診のお母さんが赤ちゃんの性別を見てほしいと希望されました。基本的に性別を告げることはないのですが、希望されたときだけ見るようにしています。女の子の可能性が高いことを説明すると、「やっぱり!お兄ちゃんに聞いたら、ボクトチガウ!というんです。わかるんですね」とひとしきり感心していました。
いろんな表現方法があるのですね。



2005年08月15日(月) 終戦記念日

今日は終戦記念日。1943年生まれの私にとって、1945年に終戦を迎えた戦争はそう遠い昔のことではありません。両親や祖父母の日常的な話題でもありましたし、海水浴をしていた砂浜の沖には撃沈された護衛船らしき船体がさびた姿で座礁していました。遊びも戦争ごっこがまだ盛んでした。進駐軍の駐留も経験しました。ただ、終戦まで軍の一員だった父の口から、軍隊生活について語られた記憶はほとんどありません。
毎年この日を迎えると、この頃のことを思い出します。



2005年08月14日(日) 絆の確認

久しぶりに妻の実家に親族一同集まりました。普段はお義父さん一人暮らしなので、大人14人はかなりの人口密度です。大賑わいになりました。お義父さんはとても元気で、90歳の今もいろいろな野菜を作ったり、周りの山などの手入れをしたりして悠々自適の生活をしています。日常的には定期的に娘たちが訪ねては何かとお世話をしています。
盆と正月の2度、今日のように全員集合になり、お互いの安否を確かめ、旧交を温め、絆を深めます。清酒白牡丹、濁り酒わたぼうしを酌み交わしながら、焼肉やお刺身、手作りのお料理に舌鼓をうち、大いに楽しみました。大切な年中行事に参加できたことはありがたいことです。



2005年08月13日(土) 享年

東平島で小児科を開業されている木庭明子先生が8月11日に昇天され、今日告別式がありました。先生は国立岡山病院小児科で研修を受けた仲間です。享年53歳とまだ若く、小児科医が少なくなった昨今、働き盛りの先生を失ったのは地域医療のうえからも痛手です。ご葬儀には国道2号線が渋滞するほど、とても多くの方々が参列されご冥福をお祈りしておりました。小声でささやかれる参列者の会話に、年齢のことが話題になっていました。“52歳ということですから、まだまだこれからですのに!”“え?53歳ではありませんか?お知らせにはそう書かれていたようでしたが・・・”というのが聞こえました。この会話は満年齢と数え年齢の違いを表しています。満年齢は出生した日を0日とし、数え年齢である“享年”はいのちを受けた日、つまり受胎した日を0日とする仏教の数え方です。会話はどちらも正しいということになります。



2005年08月12日(金) 堪忍袋

明日からお盆休みの3連休なので、外来の混雑が予想されるため、朝から気を入れて出勤しました。午前の外来を何とか乗り越えたところで、2つの緊急手術が入りました。2人の赤ちゃんが危機を脱して無事生まれましたが、午後の外来が始まったのが5時でした。休みが続くため、妊婦健診にこられた方は帰るに帰れなかったのでしょう。辛抱強く待ってくれました。外来が終わったのはなんと午後10時でした。堪忍袋の緒を締めて待たれた皆様には、本当に申し訳ありませんでした。



2005年08月11日(木) 卒乳させなくて大丈夫ですか?

医師会の乳がん、子宮がん検診に出かけました。乳がん検診がそろそろ終りに近づいた頃、随分長い間授乳中のようなおっぱいの方がいました。私の表情に何かを読み取ったのでしょうか、少し恥ずかしそうに「もう3才半にもなるのに、まだ飲ませているんです。周りからはいろいろ言われるのですが、大丈夫でしょうか?」と話しかけてきました。私はすっかり嬉しくなりました。“飲んでいる”ではなく“飲ませている”という表現に気がついたからです。もちろん子どもの意思が在りますが、お母さんのほうもそれに応えて能動的におっぱいをあげているのです。早速、そのまま授乳を続けることをすすめ、卒乳のお話をしました。授乳は無理にやめさせないほうがよいこと、小学校に上がっても飲んでいる子がいること、十分におっぱいを飲んでいる子の方が自立しやすいこと、断乳は止めさせることで卒乳は自然に止めていくこと、などをお話しますと、ほっとした表情を見せて帰られました。



2005年08月10日(水) ツバメの巣立ち

出勤時駐車場にいつもより多いツバメたちが忙しそうに飛び回っていました。さては!と昨日まで子ツバメが餌をもらうために大きな口をあけていた巣を見上げると、やはり空っぽです。よく見ると1羽の親ツバメが子ツバメを誘導するように飛んでいます。もう一羽は近くの屋根にとまって飛んでいる家族をじっと見ています。子ツバメは時々巣に帰ろうとするのですがうまくとまれません。今年は6月に続き、これで2度目の巣立ちです。



2005年08月09日(火) 成長のステップ

夜中の出産、連日の緊急帝王切開とあわただしくしていると、退院が近い切迫早産の方の3才の男の子が廊下で遊んでいました。よくある光景なのですが、この子はいつもお母さんに付き添い、外来受診中もひっつき虫さんのようでした。しかし最近、次の子の出産を控えてなんとなく大人になってきたようです。ひっつき虫というよりはお母さんを守ろうという雰囲気に変わっているのです。そんな彼を見ているうちに私の小さい頃を思い出しました。幼稚園の頃、時々病気で寝込んでいた母はほとんど何も食べなくなることがありました。しかしどんなに弱っていても、子どもの私が作ったお粥だけはのどを通ったようで、今でも鮮明にその情景が浮かんできます。母親が子どもを頼りにするとき、子供が成長のステップを上がるのかもしれませんね。



2005年08月08日(月) シンポジウム余波

早朝から仕事のラッシュでした。早朝からのハイリスク出産、緊急帝王切開に続いて外来診療、と実に気合の入った幕開けでした。中山先生までも早朝から駆り出してしまう有様です。幸いに滞りなく進んでいきました。午前10時には、岩手と山形から昨日のシンポジウムに参加していた方々の施設見学がありました。とても楽しんでいただいたようでした。午後からはまた外来、出産と続き、一日中狭い院内を走り回っていました。



2005年08月07日(日) 魂がこもった仕事

今日は母乳育児シンポジウムの2日目です。
午前中はシンポジウム2を行い、午後からいよいよ最も力を入れた「子育て交流会」が開かれました。一般参加160人と医療者1000人余りに、堀内勁、聖マリアンナ大学教授の特別講演「赤ちゃんとお母さんの別れと出会い」があり、大きな感動をいただきました。その後20分で半分のイスをホテルの好意で取り払い、滞りなく6人グループをつくって、グループディスカッションを中心とした交流会に入りました。母乳育児体験談、母乳育児への想い、母乳育児を広めるために、など終始和やかな進行は準備した者たちにとって感動的な光景でした。
参加人数や会場、時間の配分、その他いろいろな見地からグループ分けは不可能という意見が実行委員会の大勢を占めましたが、担当グループが、交流会を実りあるものにするにはこれしかない、という固い決意のもとに背水の陣で実行委員会が結束し、何回も何回もイメージを膨らませては案を練りました。照明や映像を巧みに使うことも計画し、成功しました。合言葉は「伝説の交流会」でした。
実行委員会の皆様、本当にご苦労様でした。皆様と一緒に仕事ができたことを感謝します。今回のシンポジウムの参加者は、北は北海道から南は沖縄まで、全国から1300人を超えました。
集団でひとつの目的に魂をこめて準備をする感動を味わいました。



2005年08月06日(土) 母乳育児シンポジウム1日目

実行委員会を結成し、一年かけて準備を重ねてきた第14回母乳育児シンポジウムの第1日目が岡山国際ホテルイベントホールで幕を開けました。朝8時、会場ロビーに集まった50人あまりの実行委員および支援者の顔は、戦いにおもむく武者のように凛としていました。午前9時、受付が始まると、ぞくぞくと参加者がやってきました。10時の開会の時点で、なんと800人くらいの方が会場を埋めてくれました。これで当初の予定の1200人の出足が確保されてほっとしました。
一般演題が終わり、「赤ちゃんにやさしい病院(BFH)」認定式がありました。今年は6施設が認定され、日本でのBFH施設は40施設になりました。これらの施設については以下の日本母乳の会のホームページのURLをご覧ください。
http://www.bonyuweb.com/
その後、基調講演、シンポジウムと進み、熱心な討論が行なわれました。この会はいわゆる学術集会(学会)とは違い運動集会の性格が強いためでしょうか、参加される皆さんの熱意はなみなみならぬものがあります。途中退席はほとんどありません。どの発表にも制限するほどの質問や意見が出ます。みんな母乳育児をすすめるために現場でさまざまな問題を抱えていますから、議論はとても真剣です。
懇親会は、交流はとても盛り上がったのですが、残念ながら参加者に十分な満足を味わってもらうにはお料理が少なすぎました。飲み物も不十分でした。心優しい皆さんからは直接的なお小言をいただかなかったのですが、私たちの取り返しのつかない失態でした。それまで滞りなく会が盛り上がっただけにとても残念でした。



2005年08月05日(金) シンポジウム前夜

夕方、外来診察を当直医と交代してシンポジウムの会場となる国際ホテルへ急ぎました。会場がどうなっているか、とても気になります。また、午後から実行委員が集まっての1500人分の袋づめ作業も無事終わり、「赤ちゃんにやさしい病院」認定施設の説明会も済んでいました。会場はすでに二つに分けられ、500人ずつあまりのイスが整然と並べられていました。会場を眺めていると、さまざまな問題を抱えてここまで来たことの重みを感じ、その結果がいよいよ明日花開くことへの開放感が身を包みました。
その後遅くまで運営委員会、打ち合わせと、遅くまで準備が続きました。
明日からのシンポジウムが、未来からの使者である子供たちに少しでも役にたちますように、祈るばかりです。



2005年08月04日(木) 一粒の麦もししなずば

母乳育児シンポジウムの最後の詰めをしています。山内逸郎先生に思いをはせるとき、私はいつも聖書の一節を思い浮かべます。ヨハネによる福音書第12章24節「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛するものはそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」という、イエスが十字架にかけられるご自分を予言して聴衆に語った言葉です。
山内先生はなくなる少し前遺言を書いておられ、お孫さんに預けられました。ご自分がなくなったら親しい者たちに配るように配慮されたのです。そこには精一杯楽しんだ人生への感謝、その人生に関わったすべての人たちへの感謝がちりばめられていました。それをいただき、読んだときにふっと浮かんだのがこの一節でした。
この聖書の言葉はまさしくそのとおりになりました。先生がなくなる直前に、遺産として残してくれた「母乳をすすめるための産科医と小児科医との会」は「日本母乳の会」となり、シンポジウムの参加者は、80人から始まったものが最大1500人を数えるまでになりました。今日本では母乳育児を否定する声はほとんど聞かれず、産むお母さん方の9割以上が「できれば母乳で育てたい」と希望するようになりました。行政も遅ればせながら少しづつ母乳育児に取り組むようになりました。
先生が亡くなって13年後の今、先生の眠るお墓のすぐ横でシンポジウムが開かれようとしています。感無量です。



2005年08月03日(水) いとこがやってきた

いとこがやってきた
午後、退院のお見送りをしていますと、大きなワゴンが駐車場に止まり、にぎやかな声と共にたくさんの子供たちが降りてきました。ふと見ていると、見覚えのあるお母さんが2人、子供に声をかけながら降りてきました。子供たちが大きくなったので、最近あまりお会いすることがなかった姉妹のお母さん方が降りてくるではありませんか。お二人とも見違えるようにしっかりお母さんになっていました。そうだ、一番下の妹さんが出産したので、面会に来たんだということに気がつきました。小学生から幼稚園まで5人のいとこたちが新しい仲間に会いました。みんなとっても嬉しそうでした。一緒についてきたお父さんもにこにこ、おばあちゃんは「孫がこんなに大きくなりました。そしてまた増えました」と大喜びでした。



2005年08月02日(火) 母乳育児シンポジウム事始

1991年ユニセフ・WHO制定の「赤ちゃんにやさしい病院」に先進国で初めて国立岡山病院が認定されましたが、1992年、世界母乳連合会提唱、ユニセフ・WHO後援で毎年8月1日を「世界母乳の日」とすることがきまりました。日本でもそれを記念して当時国立岡山病院名誉院長、故山内逸郎先生のお声がかりで、同年8月1〜2日大阪ターミナルホテルで、「母乳をすすめるための産科医と小児科医との集い」が開かれました。山内先生と親交の深い日本各地の母乳育児に関心を持つ医療関係者、母乳支援グループ代表者、ユニセフ日本代表、ジャーナリストなど60人あまりが参加した母乳育児を語るシンポジウムでした。そのときの記録集を懐かしく手にとって読みました。一人ひとりの参加者の一言一言が克明に記録されています。
京都の「おっぱいサークル」、世界母乳育児支援団体「ラ・レーチェ・リーグ・インターナショナル」、各地の母乳育児を広める会など、当時すでにいくつかの団体が母乳育児を広める、あるいは支えるために活動していました。そのほかにもこんなにもたくさんの産科医や小児科医が母乳育児を進めているのかと感動したことを思い出しました。山内先生の後半生をかけた母乳推進の努力の成果でした。しかしまだまだ草の根運動の感が強い時期でした。日本の母乳育児運動に運動としての渦の核がこのときにできたことを、山内先生ご自身も考えておられなかったようでした。



2005年08月01日(月) 人事を尽くして天命を待つ

いよいよ今週週末から母乳育児シンポジウムが岡山国際ホテルで開かれます。日本全国から1200人の母乳育児の関心のある医療者やお母さん方が一堂に集まります。8月6日(土)午前10時から始まりますが、当日はウラジャ祭りがあるため市内のメインストリートが交通止めになってしまい、その影響が心配です。ともあれ、日本の母乳育児運動の先駆者である故山内逸郎先生のお膝元での始めてのシンポジウムなので、世話人の一人としてとても緊張しております。参加者が感動とやる気を旨に全国へ帰っていくことができるかどうかが問われています。山内先生の天からの援護が私たちをファシリテートしてくれることを信じて準備に最後の人事を尽くしています。


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