子育て情報交換
sunclinicの日記

2005年06月30日(木) ねじ花

朝玄関を出るとピンクのねじ花が咲いていました。毎年この時期になると咲く雑草ですが、一本の芯にらせん状に巻きつくように咲く数ミリのかわいい花は虫たちの階段のようです。田のあぜや、原っぱに普通に咲いているのをよくみますが、庭の片隅に数本咲いている様子はまるで茶花ではないかと思えるくらい風情があります。
一日一度このように自然の営みに触れて、一瞬の感動に浸れることは幸いです。ある禅僧の逸話を思い出しました。悟りが得られず何年も修行していました。座禅をし、勤行し、導師について禅問答を行なっても悟りはやってきませんでした。ある日禅問答を終え、落胆の中に導師の部屋を辞し、お寺の縁側にたたずんだその時、一輪の草花が目に入りました。何気なくその花の姿に見入ったとき、突如自然界のすべてが一瞬にしてわかり、悟りの世界に入ったそうです。
悟りが何かさえも不分明ですが、時が止まるような一瞬を味わうことは気持ちのいいものです。



2005年06月29日(水) 瘀血(おけつ)

このところ下腹部痛、腰痛、不正出血など、骨盤内のうっ血による症状を訴えて来られる方が増えてきました。内科などでの診察や検査では原因がわからないため、一度婦人科の受診をすすめられた方もおられます。骨盤の血のめぐりがとどこおることを漢方では瘀血(おけつ)といいます。静脈瘤やうちみの状態をイメージされると理解が早いと思います。いわゆるうちみなどは腫れぼったい感じになりますが、そんな状態が慢性的に骨盤の表面にあるので、その部分の重い感じや痛みになるわけです。不正出血もそのうっ血症状のひとつと考えられます。この熱さですから職場や家庭で冷房をかけざるを得ないのですが、それによる冷えはかなり身体にこたえます。また、冷たいものを摂ることも多くなるでしょうし、果物もまたおなかのひえの原因になり、それらが血のめぐりがとどこおる瘀血の原因になります。対処法は血めぐりをよくすることですので、ぬるま湯に30.分ほどつかる半身浴、ストレッチのような柔軟体操、気功やヨガ、などが考えられますが、お忙しい方は縄跳びを100回ほど毎日するだけでも効果があります。食べ物ではおなかを暖める根菜類や葉野菜の煮浸しを日常的にとることでも予防できるでしょう。



2005年06月28日(火) 離乳食と乳製品

離乳食に乳製品を入れるのはいつからか、ヨーグルトを6ヶ月の乳児に食べさせていいかの質問がありました。大事なことは1歳を越えるまで母乳を消化する以外、唾液の中に炭水化物を分解する酵素があるだけということです。チーズなどの乳製品は消化しにくいばかりではなく、アレルギーの原因にもなります。ヨーグルトは確かに食べさせやすいのですが、赤ちゃん用に調整されているわけではありませんから、やわらかそうに見えても消化不良を起こす可能性があります。今は世界中のさまざまな食品が何でもありの状態で私たちの身体に入っています。意識をしっかり持たないと知らないうちに身体のバランスが崩れてしまいます。大人はまだいいとしても、子供の食べるものは体質を決めてしまいますので、基本は住んでいる地域のもので旬のものですが、せめて県のもの、もしくは日本のものとするべきでしょう。また内容は穀類5、野菜3、魚、肉2の比率を意識するといいでしょう。
知ってのとおり、離乳食はわざわざ用意する必要はありません。大人が食べているもので、穀類か野菜の消化のよさそうなものをあげることで十分です。やわらかさは耳たぶ、もしくは吸わせている乳頭を目安にするといいでしょう。



2005年06月27日(月) 人生イメージどおり

今日アイナリーホールで午後1時半から3時まで、自然食料理実践研究家、船越康弘氏の講演会がありました。自然食料理店(民宿)「わら」で世に知られている方で、その道のパイオニア的存在です。10数年前からぜひ1度と思いつつ、美味しいおせち料理をいただくというところで留まっていました。2年前突然ニュージーランドへ移住してしまい、お会いするチャンスを失ったかと思っていました。先日の中野裕弓さんの講演会に、たまたま日本に帰っていた船越さんが参加してくれました。そのご縁で今日の講演会を持つことが出来たのです。
今日のタイトルは「人生イメージどおり」です。ご自分のこれまでの半生を実例として、食べ方を変えること(食べるということは相手の生命をいただくこと、生命を生かす食べ方)、強いイメージを持つこと(イメージするというのは出来るからする)、どんなに自分にとって不利な条件であってもその条件を越えようとすること(生きるとは条件を越えること!)などの必然性を生き生きと語られました。



2005年06月26日(日) カヌーピクニック

娘の提案で、午後から友人家族とともに旭川の大原橋河川敷にカヌーピクニックに出かけました。炎天下に長時間いることがほとんどない日常ですので、体力が持つかな?と少し危惧したのですが、ここ数年過ごしたことのない自然の中で楽しむことだけを目的にした貴重な時間をすごしました。私の分担の水物を用意して、懐かしい河原に出かけました。午後2時着きますとすでにバーベキュー用のドラムに火がおこされ、焼くばかりになっていました。まず腹ごしらえとばかりに乾杯し、野菜や肉などを焼きながら自家製おにぎりをほおばり、瀬を流れ落ちる川音に酔いながら、大自然の中に包まれている自分を確認しました。親しい人たちとのゆったりした時間を過ごし、久しぶりのカヌーに挑戦してみました。もともと遊びでしかしていませんから上手には出来ませんが、海辺に育った身体が覚えている記憶、昔とったきねづかとでも言いましょうか、何とかできる自信がありましたが、本格的に練習している息子が心配してついてきてくれたのは心強いものがありました。一休みしてから今度は釣りです。どんこやハエが結構つれて一緒に行った小さな子供たちも大満足でした。日が山々に隠れる頃まで大人も子供も自然の恵みを満喫しました。私にとって何年かぶりのアウトドアでした。



2005年06月25日(土) 教育論

岐阜県にある洞戸中学の教師をされている浦崎太郎さんと岡山の仲間たちで歓談のひと時を過ごしました。先生は早くから独自の教育論を元に高校教育の改善・進化を試み、大きな成果をあげました。その結果、高校では遅すぎると、中学校へ活動の場を移し、数年間地域と学校が一体となった教育環境づくりに取り組みました。現在は週の半分を現場に、残りは県の教育委員会に教育主事として働く、二束わらじを履いて活動しています。2年ぶりにお会いした先生は生涯をかけるに足る仕事に身を置いている人特有の、無我夢中で日々を送っている気を漂わせていました。先生の現在の持論は“教育が個人の能力だけに頼っていた時期はもはや終わって、個人の能力を最大限に引き出すシステムを生かすことが必要”というものです。これまで地道に積み重ねてきたシステム構築法を多くの教育現場で実践し、しっかりした自信に裏打ちされているそのお話は、聴く私たちに強い説得力を感じさせました。「陰きわまれば陽となる」の箴言通り教育にも新しい光が差し込んでいるのを感じました。



2005年06月24日(金) 自分につけたレッテルはがし

すべての不幸を一人でしょっていると思い込んでいるような人が外来にやってきました。40代前半のその方は眉間に縦しわを寄せ、思いつめた様子で座りました。家庭のこと、隣近所のこと、職場のことなどいろいろ話してくれました。彼女は「自分はこんなに一所懸命やっているのに、だれもわかってくれない、性格的に誤解されやすい、すぐ悲観的に考えてしまう」などたくさんの負のレッテルを自分にはっています。どうしようもない様子なので、本当に状況を変えたいと思うならという条件で、レッテルはがしの方法をいくつか情報提供しました。その中の2つを書いてみます。
1) マントラをおぼえ、繰り返し使う。とても簡単なのですぐ覚えられます。“私(彼)は(名詞、形容詞など)です。しかしそれは私(彼)そのものではない。”例えば「私は意気地なしです。しかしそれは私そのものではない」「彼女は高慢ちきです。しかしそれは彼女そのものではない」といった具合です。
2) 3D貯金。Dは、「だってぇ」、「でもぉ」、「どうせ」の3つのDです。どれもよく耳にする日常語ですが、やる気をそぐことはいうまでもありません。自分の言葉によく注意して、どのDでも口にしたら即10円を貯金箱に入れます。結構たまるかもしれません。たくさん貯まったら美味しいものでも食べましょう。
いずれもゲーム感覚でするほうが長続きします。ないとおもっている人でも、結構自分のレッテルで人生を暗くしている場合があります。ためしにやってみてはいかがでしょうか。



2005年06月23日(木) 抱かれるということば

1ヶ月過ぎの赤ちゃんがお母さんについてやってきました。お母さんに抱かれていても、少し風邪気味のこともあってご機嫌がいいとはいえないのですが、3人目のお子さんともあってお母さんは落ち着いたものです。お母さんとのお話が終わって、少しぐずり始めた赤ちゃんを抱っこしました。いきなり抱かれたものですから驚いたような表情の後、緊張してしかめっ面になりました。そっと胸に抱き寄せ背中をさすりながら、だいじょうぶ、だいじょうぶと声をかけるとふっと身体を預けるやわらかさを感じました。身体を離して顔と顔が合うように縦抱きにしてあやしますと、私の表情を真似しだし、そしてにっこり笑ったかとおもうと、おう、おうとなん語で話し始めました。いいですねぇ!このひと時は実に私を癒してくれます。
お母さんは「赤ちゃんはほんとによくわかっているみたいで、小学校のお姉ちゃんが抱っこするとすぐすやすや寝だします。5才の子が抱くと緊張に身を硬くしながら、我慢して抱かれています。でも、2才のお兄ちゃんが抱こうとすると泣き叫んでいます。」と楽しそうに教えてくれました。



2005年06月22日(水) 渇水?

もうしばらく雨が降っていません。ささやかな我が坪庭の苔類はもうからからです。時々水をもらうのですが、日中の照り返しで水分を失ってしまいます。クリニックのケヤキの小さな一本がてっぺんから少しずつ枯れ葉が目立ってきて「水くれ!水くれ!」といっているように見えます。
最近になく岡山市の水不足が心配されてきました。高梁川、旭川、吉井川と一級河川3本に恵まれているので、ありがたいことに水には本当に恵まれています。しかしこれほど雨が降らないとさすがの水の豊富なこれらの川も川底をさらしている状態です。もしかすると10数年前の断水騒ぎが復活するかもしれません。雨乞いが必要でしょうか?



2005年06月21日(火) 記念日に赤ちゃんがやってきた

夜半興味深いお産がありました。夕方入院した経産婦さんなので、日付が変わらず出産になるはずと待機していたのですがなかなか進まず、日付を越えた頃から陣痛が強くなり、無事安産されました。同伴分娩だったので、お母さんは胸に安らいでいる赤ちゃんをなでながらお父さんに、「赤ちゃんはちゃんとわかって産まれてくるのね!」と感動でいっぱいになりながら同意を求めていました。私たちスタッフに「今日は私たちの結婚記念日なんです。今日になればいいなとずうっと言っていたのを聞いてくれていたんですね!」と大感激でした。ご主人もうん、うんとうなずいていました。それを見ながら思い出しました。数日前健診に来院されたとき、出産がどのくらいになるか話し合った際、「結婚記念日に生まれてほしいのですが、そうはうまくいきませんよね」と笑いながら言われるので、安請け合いは出来ませんが「せめて赤ちゃんによく頼んでみたらどうでしょう」 といいました。時々このようなドラマチックな出産があります。
これだけではありませんでした。午前2時前の出産だったのですが、少し経ってお父さんが上のお子さんがいる実家に電話連絡をして戻ってきました。「お兄ちゃんが1時過ぎに突然起き上がって泣いているようだ。不安なのかな〜?」とお母さんに報告していました。お母さんも同意していましたが、もしかしたら兄弟が来るのを察知したのかもしれません。これに類したお話はよくあるのです。子供の感性は大人の想像をはるかに超えるものがあります。いずれにしてもイベントフルな出産でした。



2005年06月20日(月) さつきの会

中野裕弓さんによる待望の「さつきの会」が開かれました。彼女は「地球がもし100人の村であったら」という今や誰しも知っている童話風データポエムをはじめて日本に紹介したことでも知られていますが、「幸せ人生カウンセラー(これは私が勝手に名づけたネーミングです)」と思える一面を持っておられます。だれでも“しあわせになる”ための多くの著書があります。
さつきの会は裕弓さんの唯一ご自身が主宰する会といえますが、東京と大阪しか開かれていませんでした。今回初めて岡山で今日開かれました。130人定員の会場はキャンセル待ちがあるほどで満杯です。午後1時半から4時まで、講演とケーススタディがおこなわれ、笑いと気づきの連続でした。今回の主題は夢を実現するために、プログラムコースからマスターコースへ意識を転換しようというものです。プログラムコースは自己規制によるストレス、マスターコースは高次の知性へのおまかせです。これらをさまざまな角度から実際の質問に答えながら話してくれました。
今年はもう一回開かれます。
来月はまたすごい人が来て講演会があります。7月21日(木)夜、奇跡のレストランといわれている東京青山のリゾートレストラン“カシータ”のオーナー、高橋 滋 氏による感動創造・感動経営のお話です。当院に隣接するアイナリーホール(電話086-275-9501)で予約受付をしています。



2005年06月19日(日) 忙中閑あり

久しぶりに夕方まで予定のない日曜日です。朝、お産の連絡がありクリニックへ出かけても、なんとなく余裕のある気分です。予想に反してなかなか進まないお産を待つ間、たまりきっているメールの整理や期限切れのソフトの再契約、数本書かなければならない原稿や学会の準備について考えたりと午前中を過ごしました。無事出産が終わり、元気な赤ちゃんがやってきました。安心を見届け、午後息子とドッグフードを調達しがてら昼食を摂ることにしました。目当てのえびめし屋さんに行きますと、残念ながら第三日曜日が定休日でした。ム、ム、ム。
夜、中野裕弓さんを迎えての夕食会がありました。自然食料理「わら」を主宰している船越さん(現在ニュージーランド在住)はじめ裕弓さんの親しい方たちが10数人集まり、歓談しました。明日、「さつきの会」という裕弓さん自身が主宰している講演・交流会をアイナリーホールで開催するための来岡でした。



2005年06月18日(土) 同郷のよしみ

釜風呂のようなガラス工房での2時間半の後、キタキツネ会に出席しました。どんどんでき来る汗で身体が絞られていますから、最初のビールは全身にしみわたる美味しさでした。岡山には道産子の集まりが2つあります。一つは岡山道産子会という大きな組織で、200人あまりの会員がおり、年2回のイベント、新年会と夏祭りと赤坂町にある赤坂ワイナリーで開かれるジンギスカン祭り、秋の観風会などで同郷の懐かしさと連帯感を味わう催し物を行います。もう一つがこのキタキツネ会です。こちらは主に小さな経済同友会のようなもので、お互いを心の絆で支えようというのが趣旨です。今回は15人ほどが集まり、情報交換や最近の話題などを遅くまで語り合いました。
時間がたつにつれて、北海道弁が飛び交い、懐かしい限りでした。同郷のよしみという良くも悪くも使われる言葉がありますが、故郷を離れて生活していると、同郷の人にはなつかしさのあまり、ついつい心を許してしまうということでしょうか。



2005年06月17日(金) トンネルを抜けた!

半年あまり、一ヶ月ごとに通院している、不安神経症の若い女性が顔を見せました。最初はかなり暗かったのですが、今年の春にな頃から次第に明るくなりました。表情とは妙なもので、そうなると話す仕草はとてもチャーミングです。話も一段落し、なにか出そうだったその口から、「そろそろ勤めに出ようかと思うのですが、どう思います?」という嬉しい言葉が飛び出しました。一年前まで勤務していた会社の責任者から、そろそろ勤めを再開してみないかと声がかかったそうです。まだ返事はしていないのですが、気持ちが動いているというのです。以前いろいろのんでいた薬はもうほとんど必要なく、漢方薬と時々の眠剤くらいで通常の生活が送れています。
今ひとつ踏み出せないという彼女に、「少なくとも五分五分で迷っているときは、五分のエネルギーとチャンスと運にかけて、前に進むことがいいと思う。やってみるさ!という可能性に満ちた言葉もあるよ」と言うと、ファイトをのぞかせた笑顔を残して帰っていきました。治療者への嬉しいプレゼントでした。
そういえばギリシャのことわざに“運命の女神は後ろ髪を引かせない”というのがありましたね。



2005年06月16日(木) 気づきとレッテルはり

若貴の確執報道の中で、あるコメンテーターが“レッテルはり”という言葉を使いました。
レッテルはりとは、人や事物への最初の評価です。私たちは誰でも日常的に「あの人はいい人!」だとか、「いじわるそう」などとレッテルをはって、自分なりの評価を下しています。いちどはったレッテルは思い込みが強いものですから、なかなかはがすことは出来ません。報道でも同じです。取材する記者やデスクのはるレッテルで情報を受ける大衆もまたその影響を受けてしまいます。レッテルはその人のパーソナリティの一部に過ぎません。トータルとして人間理解をしたいものですが、その時々の感情で、自分にさえレッテルをはってしまい、それに気づこうとしないのが普通ですので、なかなか難しいようです。それにしても人の不幸を喜ぶような、のぞき趣味丸出しの番組の作り方が、最近はなんて多いのでしょう。



2005年06月15日(水) 階段のぼり

階段で1才半くらいの男の子に会いました。せっせとのぼっているのですが、私がそばにいくと、はっと気がついてとまり、驚いたように目を見開いてこちらを見ます。緊張しているのです。まだ降りることは苦手ですから、後ろに笑って経っているお母さんのほうをチラッと見て、また大きな目で私を見ます。私が笑いながらその子と同じところに手をついて、同じ格好で登るしぐさをしますと、遊び相手を見つけたように嬉しそうに笑い、またのぼり始めました。サル族の記憶が残っているのでしょうか?生まれたての赤ちゃんでも握る力は強く、ける脚力はかなりのものです。3ヶ月ともなると抱っこされても上に、上にのぼろうとします。はいはいが活発になると階段のぼりが大好きになります。おもしろいですね。



2005年06月14日(火) 善意の押し売り

2人目が生まれたときの上の子の行動に、戸惑ってしまうお母さんが多いのは前にも書きました。上の子に多動性が出て自閉症ではと疑われたお母さん、どもりが出て悩んでしまったお母さんと続けてお話を聴きました。一番つらいのはお母さんその人です。そのつらさに拍車をかけてしまうのが、身近な人たちの善意から出た忠告や、提案です。例えば、「母親の愛情不足では?」とか「あんたがしっかりしないから」とか「しつけ方が間違っている」とか、日常的にお母さんが自分を責めている言葉を、ナイフのようにグサッと刺します。それぞれが善意の気持ちから出ているのと、上の子の実際的行動があるので反論も出来ません。夫はほとんど子育てに真剣に向き合うことをしませんから、相談しても、のれんに腕押し、ぬかに釘の状態です。ますますお母さんは自分の中で孤立してしまいます。お母さんの両親ですら、自分たちが育てた子供であることをいつの間にか忘れて、善意の押し売りをしてしまいます。まずそのつらさを聴くこと、そして共感すること、そのうえで方法を一緒に考えるという順序が必要です。それが出来なければ静かに見守ることでしょう。もちろん最悪は無視です。



2005年06月13日(月) 感謝

早朝6時、風はほとんどなく、うす曇。窓から見える緑の風景はピタッと静止し、まるで風景画を見ているようでした。時折静寂を破るように聞こえる鳥たちのさえずりで時の流れに気づかされます。まるで嵐の前の静けさのようでした。
出勤してからの今日1日は日付が変わるまで密度の濃い1日でした。込み合った外来、緊急帝王切開2件、夜にずれ込んだ外来、お産と続きました。待っていただいたり、日を変えていただいたりと受診された方々に大変ご迷惑をかけてしまいました。こころやさしい、忍耐強い皆様に頭が下がります。



2005年06月12日(日) 子育て交流会

午後から今年の母乳育児シンポジウムの実行委員会が開かれました。中四国から集まった関係者の皆さんがいよいよ大詰めを迎えた準備に入りました。シンポジウムは8月6日(土)、7日(日)国際ホテルで開かれますが、なんと前日花火大会、当日2日間はうらじゃ祭りだというのです。最近急に決まったようで、ちょっと困りました。全国から1000人を越える人たちが来られるので、交通に不便をかけてしまいます。
7日は一般参加大歓迎です。特別講演は午後1時から、堀内勁 聖マリアンナ医大教授による「赤ちゃんとお母さんの別れと出会い」です。その後2時頃から「子育て交流会」が約2時間開かれます。参加費は1000円です。託児もありますが、予約が要ります。めったにないチャンスなので、ぜひたくさんの方に参加していただきたいと思います。



2005年06月11日(土) 夏のブローグラス

久しぶりにブローグラスを楽しみました。季節はいつの間にか夏バージョンです。2000度もあるガラスの溶けた釜の近くでする作業はまさにサウナ状態です。冬は暖かく快適なのですが、夏はそうはいきません。でも、嫌な暑さではなく終わった後の爽快感はサウナ以上で、しかも達成感があります。ガラスと遊んでいるときはまさに「心頭滅却すれば、火もまた涼し」という心境です。(作品のできばえはまた別です。)
教室の講座生による作品展(展示即売)が教室のすぐ近くにある「スペースほずみ」で開催されます。期間は7月1日(金)から3日(日)で、場所は岡山市万成東町6-36です。180号線、万成病院の向かい側です。



2005年06月10日(金) 時の記念日

今日は「時の記念日」です。6月10日から時間を連想するものは何も浮かんできませんし、なんで「時」の記念日なんだろう?と無知を少し恥じながらネット検索をしてみますと、はじめて(小学生の頃習ったのでしょうが完全に忘れていました)わけを知りました。源は日本書紀にまでさかのぼり、西暦671年天智天皇が「漏刻(水時計)」を設置し、日本で初めて人々に時刻を知らせた日が当時の暦(陰暦)で4月25日、今の暦に直すと6月10日になるということです。1920年(大正9年)東京天文台と、生活改善同盟会とによって、欧米のように時間をきちんと意識する生活をし、生活の合理化をはかろう」と6月10日を「時に記念日」と定めたとありました。
ちなみに、時計の語源は「土圭」、土にうつる影、つまり日時計を意味している言葉です。
身近な時計も意外と意味深いものですね。



2005年06月09日(木) パーソナリティ考

今日は柔整師の学生さんたちへの講義がありました。人間ってなに?を考えてみようというのが主題です。パーソナリティをどうとらえるかの復習のため、欲求の4つのパターン(受容、安全、賞賛、達成)自分を分類し、それぞれのグループに分かれます。こちらからいくつかの質問を出します。それぞれのグループのイエスとノーの割合を比較して、グループ間の違いをみていきます。タイプによって考え方や感じ方が随分違うことを実感するともに、自分はどのタイプがぴったり来るかを感覚的に反復する作業によって自分理解につなげようというものです。けっこう楽しく、ゲーム感覚で作業できるので、わいわい、がやがやお互いに自分がどのグループに属するか聞き合いながら仲間をつくりました。じつは前回の授業でも終わり頃この作業をしたのですが、その時とはかなりグループが違うようです。これがねらいの一つで、この2週間の間にパーソナリティについて少しは考えた結果と思います。
後半の授業では自分ってなに?に入りました。日常に味わう様々な感情を分類して、感情ごとの自分をニックネームつきの絵で表現してみます。これも皆さん初体験なので、とまどいながらいろんな自分と出会っていきます。なかなか楽しい作業です。がんばりやさん、笑いんぼう、仕切りたがり、泣き虫っこ、夢みる青年、怒りんぼう、正義の使者、裁判官、いいこぶりっこ、暇つぶし、丼勘定、人見知り、だだっ子、清潔漢、面倒くさがり、せっかちさん、整理屋せっちゃん、などなど、誰でも沢山の自分がいることに気づいていきます。全部自分ですが、自分そのものではないサブパーソナリティ探しです。意外に楽しいものです。いくつの自分を持っているかちょっとやってみませんか?



2005年06月08日(水) 花咲おじさん

ご近所に花作りの名人がいます。退職された後自宅で畑などを作って悠々自適に生活されている方で、趣味として花作りをされているようです。今年も丹精こめた花ショウブが優雅に開花しました。ご自宅の塀を囲むようにぐるっと花しょうぶが植えられたプランタが並べられています。他にも色とりどりの珍しい花が咲いているのですが、この花ショウブは別格です。美しい花そのものも特別ですが、この季節の開花のために1年間さまざまな手入れが必要です。花が終わり次第、また1年後の育てた喜びを味わうために、まさに丹精こめたお世話を続けるのです。
今日もひと仕事を終えられた朝8時頃、満足げにタバコをくゆらせ、花ショウブをいとおしげに眺めている花咲おじさんの姿もまた絵になるようでした。



2005年06月07日(火) しろくまさんのホットケーキ

おかあさんについてきたこどもが“しろくまさんのホットケーキ”の絵本を抱えて入ってきました。「今日はこの子、この本を離さないんですよ」とお母さん。こどもは黙って私に本を見せてくれました。
この“しろくまさんのホットケーキ”は今は大人になっている私の娘の愛読書でした。幼稚園の頃限りなく一緒に読みました。妻などは全編完全暗記の状態で、娘が本を開くやいなやそれに合わせてすらすらと抑揚をつけた節回しで空読みしていました。娘はそのたびに感動して、母と一緒に擬音効果を楽しんでいました。
ほんの読み聞かせはコツがあります。読み手(たとえばお父さん)が感動しなければ聞き手(こども)も感動しないという原則を知ることです。そのためには本気で楽しもう、こどもと一緒に楽しもうという気が大事だろうと思います。



2005年06月06日(月) アニメの世界

お母さんの健診についてきたこどもがアニメキャラクターを持って診察室へやってきました。こどもとまずあいさつがわりのごっこ遊びをするのが習慣になっていますので、キャラクターの名前を聞き、すごい!と感心し、変身を見せてもらい、拍手して、お母さんの健診に移ります。こどもはお母さんにくっつきながらも自分の想像の世界にはまっています。こどもの目を見ると、意識は違う世界に遊んでいます。まさに夢中の状態でしょう。
こどもを夢中にさせるキャラクターとストーリーを作ったのは、こどもに近い視点を持った大人です。自らがその世界に遊んでいなければこどもが夢中になれるキャラクターやストーリーを生み出すことは出来ないでしょうね。
でも、こどもたちがキャラクターになりきっているときはもう、製作者の世界ではなく、キャラクターを借りて、自分なりのストーリーを演じているようです。そんな世界に仲間入りして遊ぶのは本当に楽しいですね。



2005年06月05日(日) シーボルトとオオサンショウウオ

夜半、お産があり、その後何気なくテレビをつけると、シーボルトの愛した日本という内容を放映していました。シーボルトが日本各地を回った際、さまざまな日本の形に感動したようですが、中でもオオサンショウウオとの出会いは彼をとても驚かせ、興奮させたようです。オオサンショウウオは世界各地に分布していたようですが、ほとんど絶滅し、ヨーロッパでは化石しか残っていなかったのです。江戸への道中三河の山中で始めてオオサンショウウオに出会った彼は、ちょうど少し前世界中がシーラカンス捕獲のニュースに目を丸くしたように興奮し、この生きた化石をぜひ本国に持ち帰りたいと強く希望し、オランダまで運んだそうです。世界中のオオサンショウウオが絶滅したにもかかわらず、なぜ日本にだけ生息しているのかはいまだによくわかっていないようです。番組では水の恵みという表現をしていましたがそれだけでしょうか?
私がオオサンショウウオと最初に出会ったのは岡山県湯原温泉でした。25年ほど前、家族旅行で湯原温泉に出かけたとき、オオサンショウウオが道端の小川に1mものオオトカゲのような身体を横たえていたのを見て本当にびっくりしました。死んでるのかな?と思うくらいじっとしていたのですが、ズリッと動いたのを見て思わず後ずさりしました。半分に裂いても死なない“はんざき”とも呼ばれていることをはじめて知ったのもこのときでした。その姿はまさに生きた化石と呼ぶにぴったりでした。シーボルトの驚きはおそらく純粋に科学的発見の興奮だったのでしょうが、私の驚きは単純に感覚的興奮でした。



2005年06月04日(土) ダイエット不健康食品

先日医師会のほうからダイエット健康食品についての注意が医療機関に呼びかけられました。ここ数日来インターネット医療情報配信で、ダイエット健康食品被害が毎日のように報告されています。それも5〜6人単位の健康被害で、ひとりの心不全による死亡例も出ています。以前からマスコミをにぎわしているように、「天天素」などといった中国製のものと思われる(上海製などと書かれているようです)製品を中心に、向精神薬を使ったものを含めネット販売を中心にたくさん出回っているようです。薬を使って消化不良にしたり、食欲をなくしたりするわけですから、身体の自然の仕組みを壊し、身体にいいはずはありません。やせたい願望の強い方たちを食い物にして、毒性など少しも考えず、儲けさえすればいいという身勝手なやからには厳重な取締りが必要です。
心身の調整をして、その結果ほどよくやせるということを目的にした治療法はあります。しかし、手軽に飲むだけでやせる薬は何か問題があります。



2005年06月03日(金) 少子化が止まらない

昨年の出生率がさらに低下し、1.29(2003年度 1.32)となったことが報道されました。人口が維持されるには2.08必要とされますので、随分少なくなりました。出生率とは合計特殊出生率のことで、15才から45才の女性が一生の間に産む子どもの数をいいます。1989年1.57ショックというのがありました。この年集計された出生率が1966年ひのえうま(丙午)の出生率1.58を下回ったことを受けてマスコミが騒ぎ立てたものです。それからわずか15年で随分下がったものですね。分娩手当金の増額や乳幼児検診の無料化、「すこやか親子21」の取り組みなど、当然国や都道府県でそれなりの対策をとってはきているのですが、なかなか数字に表れるような、あるいは日常生活の中で実感できるような効果を上げているようには思われません。
対極にある死因ですが、死因のトップは男20才〜44才、女15才〜25才で自殺となっています。生きることに価値を見いだせない、死ぬ以外に自分を感じられない人がこんなにもいるのです。
少子高齢化対策はもちろん大切ですが、“生きたい”という本能的衝動が消えていく恐ろしさに目を向ける必要がありそうです。子どもにとって大人になることがあこがれである時代は随分前だったように感じます。少子化の本当の原因がそのあたりにあるように思うのですが、いかがでしょうか。



2005年06月02日(木) おしっこちゃんとできるよ!

トイレから出ようとすると、お父さんに促されたこどもが入ってきました。お父さんは「ちゃんとするんだよ」といってドアを閉めてしまいました。「いくつ?」ときくと「3才!」と元気よく応えながら、おしっこをし始めました。「ぼく、ちゃんとできるんだよ!水も流せるし、こぼさないよ」などと話しながら、し終わると、水を流すボタンに手を伸ばしました。背が届くぎりぎりのところにボタンがあるので、やっと届いたと思ったら力が不足で十分に押すことが出来ません。「できる?」と声をかけると「できる!」といいながら一所懸命ボタンを押しているうちにスイッチが入りました。水が流れているのをその子はとても満足そうに見つめていました。手を洗うところは距離があるためさすがに届きません。「水を出そうか?」とたずねると「うん」というのでそのようにすると、きちんと手を洗って、スリッパをそろえてトイレを出ました。その顔は得意げでした。
こどももお父さんも立派でした。



2005年06月01日(水) 往年の名大関、貴乃花逝く

5月30日亡くなった往年の名大関 貴乃花(現二子山親方)の葬儀が報じられました。近年の相撲界に大きな足跡を残した方の見事な最後でした。
私は物心がつく頃から相撲が好きで、小学校、中学校とよく相撲をとりました。その頃私の通っていた小学校には4本柱の土俵がしつらえられていたくらい、国民的娯楽として相撲人気は絶大なものでした。また夏には巡業相撲が小さな町なのに毎年ありました。
貴乃花は私の大学時代から活躍していました。剛の世界の相撲をそれまでの何倍も面白くしてくれました。しなやかな細い身体で、何倍もある相手をしっかり受け止め、絶体絶命の態勢を逆転する粘り強さには感動しました。日本人の判官びいきとでもいいましょうか、小柄な横綱若乃花の剛、大関貴乃花の柔、横綱千代の富士の剛、小結舞の海の柔、といずれも絶大な人気を得ていました。
引退してからも、若貴兄弟を横綱にまで育て上げながらもさまざまなトラブルの渦中を生きた彼は、逃げない、あきらめない、言い訳しないという、日本人の男像を最後まで崩すことなく生ききったと思います。合掌。


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