台風が通り過ぎた機能から今朝にかけて、全開の台風と同様、6人の子どもたちが風に乗ってやってきました。満潮・満月・台風と三拍子そろったからでしょうか。 午前2時空を見上げると、足早に駆け抜けていく雲間から、またあの星のすばらしい輝きが見えるではありませんか! つい先程まで、近年経験したことがなかったほどの強風に、街中息を潜めていたとはとても思われませんでした。まさに台風一過という言葉がピッタリでした。 これほどの嵐になると、なぜか勇気がわき上がってくるようなわくわく感が出てきます。海辺の雪国に育った性(さが)でしょうか、小さい頃から嵐と共存していたような記憶がありますので、まさに血がさわぐということでしょうね。
| 2004年09月29日(水) |
世界は一つの生命からはじまった |
同僚の中山先生がとても嬉しそうに一冊の絵本を見せてくれました。それが「世界は一つの生命からはじまった」という題でした。現代科学のハイライト、遺伝工学の専門家、村上和雄筑波大学教授が書いたもので、絵は透明感のあるファンタスティックなタッチで知られた葉祥明さんです。葉さんは「地雷でなく花をください」などたくさんの絵本を書いていますね。 現代科学の最先端からの生命についてのメッセージと、対極にあるファンタジーの世界からのメッセージが織りなす二重らせんのようなこの本は、不思議な説得力を持っています。 サムシンググレートという深い世界ものぞかせてくれます。20-30代の女性を対象に書いたようですが、年令は問わない内容です。小学校から大学までの教材に使ってほしい絵本です。
今日の台風21号はなかなか強力でしたね。強風のためか午後6時頃より2時間停電しました。開院以来初めての出来事でした。外来が終わっていなかったので、何人もの方にとてもご迷惑をかけました。まさに、自然の前には無力ですね。
以前も書きましたが、我が家に室外犬2頭、室内犬2頭います。この室内犬の飼い主は娘です。所用で昨日旅行に出ましたが、その夜から2匹とも下痢が続きました。心配しましたが、今朝はすっかり治ってご機嫌も良好でした。 以前もそうでしたが、やはり身内と見なしている飼い主がいなくなるのはかなりのストレスのようです。 このストレスを和らげるにはタッチケアが必要です。時間の許す限りこまめに抱き上げ、ほほずりし、ボールゲームなど身体を使う運動で十分に相手をするなどが、彼女等の気に入っているようです。 ひとしきり遊んだ後は飼い主である娘の匂いのするタオルなどを自室に引き込んで落ち着いている風で、人間の子どものお気に入りタオルとよく似ています。そう思うと、人の子も預かったりするときは同じですね。
植物はあらがわない。 どんな天変地異が起ころうとも植物はあらがわない。 植物は無防備だが、自然の中に、凛として根を張っている。 どんなに可憐な草花だろうと、凛としている。 すべてを受け入れ、凛としている。
動物はあらがう。 あらがうことで行動を起こし、 あらがうことでいのちをつなぐ。 なかでも人間は アダムとエバの物語のように、 神にあらがうことから 自立の歴史が始まった。
あらがいの歴史は恐れの歴史でもあった。 あらがいと恐れは表裏一体で、 神話と伝説と礼節を作ってきた。
神話も伝説も礼節も打ち壊された今、 武器と情報を盾にしなければ、 人間も、国も凛と出来なくなった。
植物は庭の草木でさえ凛としているのに。
(朝、庭の草木が語りかけてきたこと)
午前10時から岡山県長船町の母親学級に講師としてお話ししてきました。テーマは「親子の絆」です。 もう10年来の関係ですが、大体当直医がおり、安心して時間を過ごすのですが、今日に限り留守番がいません。おまけにお産進行中の方がお二人おられたので、祈るような気持ちで出かけました。 10人ほどの参加者でした。このクラスはご主人が熱心に聴かれるので、嬉しい時間です。 お母さんになる女性とは違い、夫の方は子どもが来る実感がなかなか起こってきませんから、父親になることへの気持ち的用意が出来にくいようです。子どもが目の前に現れても、すぐに受け入れることが出来ません。出来れば心の準備をしておくために、このようなクラスは必要です。 幸い途中呼ばれることもなく無事お話しを終えることが出来ました。この日午後3時と7時に大きな子どもたちがやってきました。感謝!
| 2004年09月25日(土) |
久しぶりの吹きガラス |
2週間行けなかった吹きガラスに行くことができました。楢津にある「春ガラススタジオ」の土曜コースです。吹きガラス仕事場の夏は大変です。 2000度にもなるガラスの窯の前に立つと、全身の汗腺から体中の水分が滝のように吹き出します。でも、溶岩のように真っ赤に溶けた液状のガラスから、吹き棒の先にピンポン玉ほどのガラスを巻き取り、下玉を作り、上玉をとって作品づくりにはいると、その暑さはいつの間にか吹き飛んでしまい、集中の中に埋没します。 緊張で我を忘れる世界はなかなかいいものです。我を忘れると不思議なことに汗もあまりかきません。我を忘れて没頭する時間を持つことは、忙中閑有り、ストレス解消法として最適です。 で、何を作っているかですって?いつも首を傾げている飲む前から酔いそうなワイングラス、取ってと注ぎ口がほとんどあっていないいつも世界に一つしかないピッチャー、芸術とはほど遠い曲がった鉢などのがらくたです。 作品ではなく、過ごす時間に意味がある。(とは少し負け惜しみかも)
この2日間に5人の子どもたちが当院に未来から舞い降りました。そのうち3人はお母さん方が同時期に、長い間切迫早産で入院していた方です。まず2人が昨日の夜半に生まれました。朝、妻にそのことを話すと、赤ちゃんは友達だから、今日にでも、もう一人の方が産まれると予告しました。午前中、予告道理やってきました。さすが、子どもはみんなエスパーですね。 朝のNHK連続ドラマ「天花」の最終回がいよいよ近くなりましたが、今日のテーマは「いのちのつながり」でした。人間も米もみんないのちがつながっていて、お互いに支えあっているというものです。 私たちがそれを意識できるかどうかで、社会のやさしさが変わっていきます。いかがでしょうか。
夕方1時間ほど岡山プラザホテルで、県医師会をはじめとした医療関係団体主催の「石井岡山県知事を励ます会」がありました。大広間いっぱいにたくさんの方々集まりました。 私自身あまりこのような政治集会は苦手で、ほとんど遠慮させてもらっているのですが、石井知事の場合は他人事でない気がしているため出席したというわけです。実は知事ご夫妻は道産子会会員で、先日の夏祭りでもご一緒し、そのその政治家らしくない、謙虚で誠実な人柄に感動しました。以前より何度かお会いして、当院発行の“ファミリー通信”にも登場していただきました。 政治家に必要な資質の一つは「滅私奉公」が出来るかどうかです。公に尽くすには人生を送る自分の理念がよほどしっかりしていなくてはなりません。これまで使い放題の長野県政(夢を膨らませたバブル型行政)の尻拭いするような8年間の行政改革を続け、自からの報酬をカットしてまで襟を正した行政への努力が徐々に身を結んできたように見えます。この間業者との癒着や浮いた噂もなく、ご夫婦仲は絶妙のようです。地味ですが、彼を見ていると天命さえ感じます。理念の持続力は十分のように思われます。 10月にはいり知事選挙の公示があり、末には選挙になります。3期目になりますが頑張ってほしいものです。
私の持病にこむら返りがあります。持病とは言えないと思われませんか。 こむら返りは多分これを読まれている方にもほとんど経験がおありだろうと思います。私の足は体型に比べなぜか少年期より異常に太く、筋肉も発達しています。そのせいかかなり若い頃からよくこむら(腓)返りが起こっていました。大体は利き足の右に多く、寝入りばなや起きがけに、腓腹筋(ひふくきん)がつるように固くケイレン(痙攣)するもので、とても痛いですね。それでも親指を曲げたり伸ばしたりすることで結構治っていたのですが、一昨年念願のエアズ・ロックに登って感動体験した数ヶ月後のことでした。明け方、こむら返りが起こり、あまりの痛みで目が覚めて驚きました。ふくらはぎの筋肉が、うねるようにして痙攣するではありませんか!いつものおまじないなど全く効きません。あまりの痛みにうなりながら眺めていますと、音を立てながら血管が切れていき、見る間に皮下出血が広がっていきました。これは何かのたたりではないかと非科学的なことまで思いを馳せながら、10分たらずの血管の炸裂する情景を痛みに耐えながら眺めていました。落ち着いてからも痛くて歩けないので、弾力包帯をしっかり巻いて日常業務をこなし、治るのに2週間あまりかかったように記憶しています。 それと同じ痛みが今日の早朝起こり目が覚めました。血管が切れないことを祈りながら、筋肉のうねりをなだめるようにさすり、弾力包帯を巻いて事なきを得ました。恐るべしこむら返り!です。
連休明けの共、例によって早朝のお産から始まって、外来は混み合い、なぜか出産も続き、夜には緊急帝王切開まであるという、めまぐるし1日になりました。 そんな中、生まれたばかりの赤ちゃんが、カンガルーケアでお母さんの胸に顔をこすりつけているところへ、待ちかねたおばあちゃんたちが入ってきました。 もはや涙ぐんでいます。おめでとう、がんばったねとお母さんと赤ちゃんに交互に、口々に祝福の言葉が降りそそがれました。ねぎらいのひとときが終わり、初めて見るカンガルーケアを不思議そうに見つめていました。なにしろおばあちゃんが子どもを産んだときは、チラッと赤ちゃんの顔を見せられただけで、お母さんの疲労回復と赤ちゃんの安全のために、さっと新生児室へ連れて行かれてしまい、ときには翌日まで会うことができなかったことさえ珍しくない時代です。家族が面会するガラス越しの赤ちゃんは青白く、何かを我慢しているかのようにむずかしい顔をして、手足は少し紫色で痛々しい限りでした。当時はそれが普通でした。 目の前にいる赤ちゃんはそんな印象とは全然違います。「なんていい色をしているんでしょう。唇がこんなに赤いのは大丈夫ですか?」、「あっ!、目を開けた。おとうさん、あんたを見ているよ。目はまだ見えないのに、わかるんかなー!?」「何か動き出したよ!落ちる落ちる!」などと言ってまさに不思議発見のさわぎです。そのつど、お母さんの体温に暖められて赤ちゃん色になっていること、胸に抱かれて安心して安らいでいること、目は見えること、言葉を認識していることなどを説明しました。 そうこうしているうちに、赤ちゃん口がおっぱいを探し当てました。口に含んだときは感動がピークに達しました。 お母さんはあらかじめ学習していましたから、比較的落ち着いて、赤ちゃんを味わっていたようです。孫からのビッグプレゼントを貰ったおばあちゃんたちはとても嬉しそうでした。
今日の午後、来年の母乳育児シンポジウムのための第一回実行委員会が行われました。 日本母乳の会主催のこのシンポジウムは第14回が岡山で平成17年8月6,7日(第1土、日)に国際ホテルで行われます。毎年8月第1日曜日はユニセフ/WHOにより世界母乳の日、その1週間は世界母乳週間とされております。 来年の担当は中四国ということで、各県から数名の医師、助産士、保健師、お母さん代表、などが実行委員として集まります。 これまで北海道から九州まで、いろいろな地区で開催され、その地域の母乳育児推進も視野に入れて、全国規模で様々なプログラムが行われました。特徴的なのものとして、講演やシンポジウムの他、一般のお母さん方と医療者の交流会が行われます。日常の母乳をめぐるお母さん方の様々な疑問や誤解に、納得できる理解と解決を得られることを目的にしたものです。 岡山は日本母乳の会の創設者である、故山内逸郎先生のおひざ元です。母乳育児運動の出発点とも言えるこの地で初めて開催される、記念すべき母乳育児シンポジウムとなります。力を尽くして先生の目指しておられた運動へと高めていきたいものと思います。
午後、県専門医会が終わった後、久しぶりに時間があき、ゆったりした時間を楽しみました。 読書を楽しんだ後、犬と散歩をし、いつもは深夜番組で観る大好きな相撲をリアルタイムで観戦できました。 黒海ー岩木山戦でした。見た目、両者鋭い立ち会いで五分五分と見えたのですが、ぶつかった瞬間、黒海が飛ばされ、押し出されてしまいました。アナウンサーは「いい立ち会いだと思ったのですがね?」と解説の親方に水を向けますと、「いや、飛んだんですよ。あれでは飛ばされます。」と当然とばかりに答えました。再現シーンでみると、なるほどわずかですが完全に足が離れて飛んでいます。力が同じだと弾みで飛んでしまうことがよく理解できました。相撲ですり足がとても大切なのはよく知っているつもりでしたが、それがよく出た一番でした。 足が地に着いていないとはこんなところから出ているのかもしれませんね。気をしっかり下に鎮めて過ごしたいものです。
| 2004年09月18日(土) |
こころとからだの講演会 |
今日は午後1:30からすこやか健康講座がありました。今日の演者は「はがき道」で有名な坂田道信先生です。講演の主題は“はがき道に生きる”ですが、大部分がこころとからだの健康についてでした。 講演の後、先生がしみじみおしゃっていた「現代は生き方から話す時代になった」と言われたのが印象的でした。数十年来、玄米菜食を貫かれており、全ての病気は動物を食べるところから始まると説かれます。 15年ほど前私に「あんたには絶対必要だよ」と、「半断食」という大森英桜先生の玄米菜食道場を紹介してくださいました。この時の4泊5日の体験とそれに続く数年のごま塩との付き合いが私の人生に大きな影響を与えています。 また、“神の思いと人間の思い”ということにお話は進み、神の想い=宇宙の想い=自然の摂理に従って生きようとしたら、生活は単純明快になり、楽しく、健やかに日々を生きられると、心から嬉しそうに話されました。
午後6:30から9:00まで月1回の文明法則史学研究会の例会がありました。林英臣先生の講義で、奈良・平安の仏教文明とその本筋を様々なエピソードをまじえて話されました。先生の語りの特徴は、はあたかもタイムスリップした、その時代に受講生がいるがごとくの臨場感です。当時の奈良の都が、シルクロードの文明が進化した花を開いた終着点と言える、様々な光景をパノラマのごとく私たちの前に開いてくれました。
今日は密度の高い1日でした。
夕飯の会話で、「ばちがあたる」ということが話題にのぼりました。 最近ではあまり聞かれなくなった言葉ですが、私が子どもだった4〜50年前には少しでも悪いことをするとよく「このばちあたり!」などといって叱られたものです。物心つく頃から、誰が見ていなくても悪いことをすれば、天の神さまが見ていて、ばち(罰)=天罰が下されるという「しつけ」が、どこででもされていたように思います。 機会があるごとにお寺や神社にお参りし、地獄極楽の絵図を見ては肝を冷やし、厳かなたたづまいの中で、目に見えない力を感じていました。迷信と片づけられたその精神世界は、実はとても大事なこころの世界を育ててくれたように思います。 良心とは自然の摂理のことだろうと最近よく思うようになりました。日常の中で、自然の摂理を意識して過ごすことは、そのような環境や、年令にならないとほとんどないように思います。「ばちがあたる」という一見とらわれとも思われる言葉は、もしかして自然への畏敬の念につながる先人の知恵の表れかもしれません。 このところ、「ばちあたり」の「人でなし」のニュースが随分目につきますね。
| 2004年09月16日(木) |
クレドは母と子の絆の架け橋 |
今日はサン・クリニック共に育つ会がありました。 メインテーマはクレドの進化です。クレドはラテン語で「信条・信念」という意味です。企業などでは組織や社員の行動規範となる信条として作られているようです。当院でもほぼ1年前から、経営理念を実現するためのクレドを、スタッフ全員の意識を統一することで、スタッフ自身によって作られました。 このたびユニセフ/WHO“赤ちゃんにやさしい病院”の認定を受けたことで、当院の活動をさらに進化させるため、組織的に、個人的に、日常の意識をどのように進化させていくかが今後の課題となります。そのためにはクレドの進化がどうしても必要になります。そこで、まづ組織としてのクレドを「母と子の絆の架け橋」と立案しました。それをもとにスタッフが早速それぞれの部門のクレドづくりにはいりました。 どんなに立派なクレドを作っても、生まれてくる子どもたちの評価によって善し悪しが決まりますね。
テレビでこの耳慣れない言葉に触れました。 フリーター、引きこもり(ヒッキー)、ホームレスなどの言葉にやっと慣れたのに次は何?という感じでした。 この言葉はNot in Education Employment or Trainingという英語の頭文字をとったものです。「働くことにも学ぶことにも踏み出せない人」を指します。全国で40万人以上にもなると言われます。 私たちには貢献感という、社会生活には欠かせない、誰かの、何かの役に立ちたい感情があります。自分の存在感につながるもので、“私らしく”生きたいという誰しもが願っている“アイデンティティ(存在証明)”は他との関係の中にしか存在しません。 この貢献感は幼小児期に家庭や学校で「ありがとう!」と言われる喜びの中で培われることでしょう。岡山大学児童心理学教授、山口茂嘉氏は“お手伝いの効用”を提唱しています。まづは身近の人たちへのお役立ちの感覚が貢献感を養うことにつながるというわけです。いかがでしょうか。
今日思いがけず、沖縄から泡盛が届けられました。 老舗の原酒でした。帰宅後早速利き酒をしたところ、 ビロードのようなとろける舌触りで、泡盛特有の甘い香りが口中いっぱいに広がりました。至福の一瞬でした。 泡盛にはいくつもの思い出があります。最初の出会いからすばらしいものでした。 恩師、山内逸郎先生の同門会が開かれた、今から20年余り前、沖縄の先生が大きな瓶に入った古酒を会場に持ち込みました。ふたを取るやいなや、芳醇な薫りが広い会場いっぱいに広がりました。初体験の泡盛でしたが、世の中にこんなに芳しい酒があったのかと、驚きの感動でした。今でもその時の薫りと味は思い出します。 また、沖縄を訪問した2度目の時です。私の勝手な願いを聞いてくださった敬愛する方が知人のお宅にほとんど深夜に近く、案内してくださったとき、そこのご主人が私のために、秘蔵の泡盛を提供してくださいました。その美味しかったことは、迷惑限りない私の行動の恥ずかしさとともにいまだ忘れることはありません。ちなみにその方は拙著「いのち育む人たちへ」の表紙を飾ってくれた写真家です。 多くの思い出を与えてくれている泡盛は、歴史を感じるすばらしい酒です。
今日、毎日購読している角田識之氏によるメルマガ「社長のビタミン」におもしろいことばがありました。“ちょうのうりょく(聴能力)”というものです。超能力をもじったような感じですが、“なるほど、言えてる”と思わせる言葉です。「見ると聞くとは大違い」という言葉がありますが「聴くと見るとは大違い」とすると、聴く方が見るよりも大切になります。同じ「きく」でも「聞く」は耳の機能を使う、「聴く」は心の機能を使う表現といえるからです。 言葉は文字として書かれたものと声に出す発語があります。どちらも言霊といえる深みを持っています。文字を読む場合は自分の世界ですが、相手の発する言葉を聴く場合はその人のこころの動きが言葉に乗って伝わってきます。人と人が結び会うコミュニケーションは相手の言葉を傾聴するところから始まります。その意味で、聴く能力の高い人はコミュニケーション能力に優れた人と言えるでしょう。まさに聴能力をを養うことの大切さを感じます。 聖書のヨハネによる福音書の最初の記述に“初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものはこれによってできた。”とあります。これは創世記の天地創造のくだりで、形無く暗闇に覆われていたこの世界に、神が“光あれ”と言を発せられたところからあらゆるものが創造されていった記述を受けたものと思われます。 今、“私らしさ(アイデンティティー)”を最も大切にする時代になりました。この“私らしさ”は自分を認めさせることではなく、相手を認めることで、自分の存在を感じることです。相手を認めるためには傾聴力=聴能力が必要で、誰にでも備わった能力です。それを意識するかどうかではないでしょうか。
大阪に来た本来の目的は母乳育児支援の会で講演を依頼されたからです。いつもは母乳育児をめぐるお話しがほとんどですが、珍しく、お産についてのお話しを頼まれました。 ちょうど7月末に「やすらぎ出産リハーサル」CDを出版したばかりなので、“やすらぎ出産へのチャレンジ”という演題でお話ししました。内容は、私が産婦人科医として出発した1971年以来の出産に関する歴史的移り変わりと、出産法の工夫の変化、出産とストレス、偶然ではない出会いの中から生まれたやすらぎ出産法などについてお話しし、実際にやすらぎ出産リハーサルのCDを聴いてもらいました。 聴衆はほとんど助産師さんで、若い熱気にあふれていました。
外来終了後夫婦で大阪にやってきました。大川を見下ろすホテルで、共通の友人と歓談しました。大阪に住んでいる彼女は妻の心友とも言える人で、私たちの人生の節目にいつも支えてくれました。 人生を送る中で、心友を持てることは倖せです。心友とは、ほとんど会うこがなく、遠く離れていても折々に触れ思い出し、心の支えになる人です。その人たちとの思い出が人生を彩り、心を豊かにしてくれます。たまに会えば、つい昨日まで一緒にいたように心の距離が無く、その時間を豊かに過ごし、楽しむことが出来ます。 4時間ほどの楽しい時間を過ごし、再会を約束してお別れしましたが、分かれた後も何かすがすがしく、満ち足りたものがありました。
明日から始まる今月の速読訓練のために来岡された、佐々木豊文先生と歓談の時を持ちました。 今回のトピックの一つは塩です。楽しい話題がいよいよ佳境に入った頃、先生が、大切そうに側に置いていた紙袋から、「これ!」と言ってビニールのパッケージをテーブルの上に置きました。見ると“チュラマース”と書かれています。 「塩!」の一言で、何か特別なものかな?と次の言葉を待っていると、「開けてみて!」というので、開いてみてあっと驚きました。「パウダーだ」と叫ぶと「そうなんです!」と満足気です。手にとって指で摺り合わせると、なかなかいい感じに出来ています。 以前この日記で紹介したごま塩の作り方(バックナンバーにあります)の最も基本は、このパウダー状に摺る塩をいかに微粒子にまで持っていけるかにあるのです。この塩パウダーで軽く煎ったごまをくるんだのが元祖ゴマ塩です。 なめてみると、甘く、海の香りがしました。思わず「これこれ!」と口をついて出ました。ここまでいくと、食品としてだけではなく肌に刷り込んだり、ぬったりして医薬品としても使えます。恐るべし、沖縄のチュラマース!と感心していますと、なかなか手に入らないといいます。(いいものはいつも手には入り難いですね。) でも、塩パウダーがあったことがわかっただけでも嬉しいことでした。
夜、お手伝いしている、朝日医療専門学校の柔道整復師科人文科学の初授業がありました。約2カ月ぶりで会う学生たちの表情は様々でした。 今日のテーマの一つは、目標立志マンダラです。人生の目標をしっかりしたものにするため、3年先までの生活目標を立てます。 まず3年間(あるいはこの1年間)の人生目標を一言集約します。そのうえで、正方形を九つに分割した枠の中に目標を入れていきます。中央が柱となる目標で、それを達成するための様々な工程での目標を思い浮かぶままに入れます。時間は約20分。長いとひらめきが無くなります。 はじめとまどっていた学生たちも発表の頃はとても堂々と顔を輝かして夢を述べていました。いい時間になりました。
台風が通り過ぎた午前3時過ぎ、出産のため玄関を出て空を見上げると、滅多に見ることのない星の輝きがありました。東の高い空に真珠色に光った三日月が煌々とあたりの静寂を照らしていました。ほとんど真上にプラネタリウムを連想させるようにカシオペア座がくっきりと浮かんでいます。 そして月のさらに東側に、ダイヤモンドのように輝いた金星が見えるではありませんか。あまりの輝きに、本当に星だろうかと何度も見上げ、ついには望遠鏡で確認してしまいました。 台風で全ての塵が吹き払われてしまったのですね。今夜はどうでしょう?
私の住んでいる岡山にも台風が迫り、午前中から強風が吹き付けていました。そんな中外来はいつもと変わらず子どもの声でにぎわっていました。 1か月検診に来られたお母さん、今何か気になることはありませんか?との質問に、「この子は順調と思うのですが、お姉ちゃんがちょっと大変かもしれません。押したり、上から乗っかかったりで、目が離せません」。下の子どもさんが生まれてから卒乳しているようなので、再会してはと問いかけると「飲んでみる?といって少し口にくわえたのですが、すぐ、“いらない!”と言って、それ以来欲しそうにはしないのです。この子に興味があるようなのですが、どうしていいかわからないのかもしれません」。 そこで、お姉ちゃんを抱っこして、そのうえから一緒に抱くように下の子を抱くと、安全で、お姉ちゃんも自分が抱っこしている気分になれていいことを伝えました。するとハッと気がついた様子で、「あ、なるほど。それはいいかもしれません。やってみます」と、嬉しそうに帰られました。 ちょっとしたことで場面は随分変わるものです。
以下は午後、台風の暴風域にはいって大荒れとなった、戸外を眺めながらのスタッフの会話です。上の子がまだ小学校のお母さん、「子どもが一人家にいるとして、もし今、停電になったらどうします?」 中学生のこのお母さん、「そーねー、クーラーが切れてかわいそう。暑いだろうな」かな!? 大きいお子さんを筆頭に3人の子のお母さん、「まあ、何とかするでしょう」 私、「別に心配することはない」 問いかけたお母さん、「なんてみんな薄情なんでしょう。どんなに不安かと思うと心配になりませんか?」 みんな「・・・・」 皆様はいかがですか?
月の傘をご存じですか?小さい頃夕方遅くまで遊んでいて、ふと気がつくと月が上がり、その周りに白い霧のような、雲のような輪が出来ているのを、不思議な気持ちで眺めていた光景が目に浮かびます。 そう、湿度の高い、翌日雨などの夜によく見られる現象ですね。台風18号の足音がついそこまで来ているような今宵でした。夜半、お産があり、外に出ると、こうこうと輝く月の周りに特大の傘が出来ていました。月がまるで台風の目のようでした。さすが台風が大きいと傘まで大きいのでしょうか。 しばし、ぼーっと見ていると傘の外で、暗い天空に突然飛行機の尾灯のような大きさに、一瞬きらりと星?が光って消えました。 自然界はいつもわくわくを提供してくれます。
日本は今、いのちに対する畏敬の念があまりにも薄れています。 ほとんどの人たちが直接自分たちの食べる食物を栽培、採取していないので、自分の命を支える、食物の命の尊さを感じる機会から離れてしまっていることが原因の一つと思います。ジャンクフードをはじめ、加工品が食べ物の中心となっている若い世代ではその食材が見えません。食べるもので自分のいのちが支えられている意識を持つことがさらに難しくなっているようです。 「いただきます」という食事時の挨拶があります。これは「食材のいのちを私たちのいのちを支えるために、感謝して食べさせていただきます」という意味ですね。まさに、ダイコンさん、サンマさん、ありがとうというわけです。我が家では子どもが小さい頃から「かみさま、いただきます」と言って食事を始めます。宗教心というよりは「いのちさん、ありがとう」という意味です。
| 2004年09月04日(土) |
ロシアの怒りと悲しみ |
世界を揺るがしたロシア学校占拠事件が制圧されました。こんなにまで人間が残虐になれるかと思うと、心の中に巣くう闇の深さに深い無力感を感じます。チェチェン、アフガン、イラクどの紛争でもその根底はつきることのない憎しみの連鎖です。宗教戦争、民族戦争の形をとっていますが、その中にうごめいているのは個人の恨みとそれを利用したヒロイズム、まさに悪魔のささやきと言えるでしょう。 アフガンとイラクの紛争の背後には大国の独善が見え隠れしますが、民族紛争はおそらく太古の世界から連綿と続いてきた恨みの連鎖と言えるでしょう。 それにしても、学校占拠の犯人グループの中の女性たちはいたいけない子どもたちが殺されていく光景を、どんな気持ちで見つめていたのでしょう。のんきな顔で遠い対岸の日本からニュースを見ている私には意見を言う資格はもちろん無いのですが、できることは唯一、人の命を奪ってはならないことを強く思い続けることです。この念の渦で世界を覆うしかありません。 合掌!
午後の外来をはじめて少したった頃、10か月に入ったばかりの妊婦さんから電話がありました。 “息ができない感じで苦しいんです。このまま様子を見ていていいのでしょうか?”せっぱ詰まった問いかけですが、声はしっかりしています。 “胸や背中が痛いことはありませんか?”“痛くありません。動悸がします。” “胃のあたりの痛みはないですか”“ないです。” “おなかが張ったりしますか”“少しあります。” “酸素が足らない感じですか”“そうです。” みなさんはもうお気づきと思います。「過呼吸症候群」と呼ばれるものです。これに似た症状は誰でも一度ならず経験します。公の場などで急に話さなければならなくなったりすると、思わずあがってしまい、ドキドキしたり、頭が真っ白になったりして、話しているうちに息切れがしてきます。あるいはカーッとして怒りがこみ上げてきたりしても、同じような症状が起こります。少し神経質な方にはとりわけおこりやすい“気の上昇”です。 妊娠中によく起こりやすいのは、子宮が大きくなって横隔膜を圧迫し、呼吸が浅くなります。気がつかないうちに軽い多呼吸になって、気が上がってしまいます。そこに気に障るような、あるいは不安になるようなきっかけがあると呼吸中枢のバランスが乱れて息ができにくくなります。時には失神することも珍しくありません。 治療は簡単です。紙袋などで口をおおい、吸うことを考えずにゆっくり、深く息を吐くのです。吹き付けるという感じがいいです。そうすると炭酸ガス濃度が上がって息が元に戻ります。呼吸中枢は炭酸ガス濃度で調節されているからです。何もなければ両手を器のようにして口をおおってしても効果があります。 説明をしているうちにだんだん落ち着いたようで、電話を切りました。
久しぶりに魚屋さんをのぞいてみました。そこには意外な光景が見られました。なんと地物の鮮魚がいないのです。 ご主人説明曰く、「申し訳ないけど魚がおらんのです。ワシもびっくりしたんだが、宝伝や牛窓、日生、軒並み水に浸かって、床上、床下浸水です。高松ばかり放送されていたんでわからんかったんですが、昨日休みで釣りに行ってびっくりです。海に行く道に畳が干してあるので何かあったかなと知人の家に行くと、なんとみんな水に浸かったというじゃないですか。釣りどころじゃないと、かたずけ作業のボランティアに変身ですよ。漁協も水に浸かって大型冷蔵庫などの電気関係が全部やられてしまって市場が開けない状態です。当分魚がはいってこないかもしれん。今までこんなことはなかった。初めてだそうです。」 横からおかみさんが「なにしろ大型台風に、年に一度の大潮、そして満潮がピッタリ重なったもんだから、こんなことになったみたい」という。 奥さんの実家が床上、ご主人の実家が床下浸水とのことでした。 そんなひどいことになっているとは全く認識していなかったので、新聞・テレビに注意を向けると、なんと瀬戸内の海岸沿いは軒並み高潮被害に遭っているではありませんか。知らぬこととはいえ、意識を向けることがなかったことに恥じ入りました。
今日から9月、秋風に気がつくようになりました。にはの朝顔の白さが少し寂しげに感じます。 今日は3日がかり、2日がかりの出産が無事終わりました。後から入院されたお母さん方が次々と産んでいく中で、精神的にも肉体的にも随分つらい思いをされたことでしょう。お産が長引くのは様々な理由があります。中でも特に大事なのはお母さんの力が先行しても、赤ちゃんが回旋する間もなく急いで来ようとしてもスムーズな出産にならないことです。 心身一如という禅の人間存在を表す言葉があります。身体は心が思うように、心は体が感じるように行動するというのです。いろいろな病的状態も身体だけに気を取られて治療をしても根本的には治らない、全人的な(ホリスティック)健康を考える必要があるというわけです。 お産はまさに心身一如と言えます。しかも母子一体ですから、全ての調和がとれて初めてスムーズな出産を迎えることが出来ます。当院が目指すやすらぎ出産は、産むお母さんと生まれてくる子どもに、この心身一如の調和をとっていただくための支援といえます。
|