台風10号が四国沖に居座って3日目、ついに活動を開始しました。今日朝から高知は暴風域に入り、全ての交通機関が麻痺してしまいました。あっという間に範囲を広げ、午前10時には瀬戸大橋全面交通禁止となってしまいました。 今日来院予定の高知医大の医師から電話が入りました。全線不通のため残念ながら行けません、とのこと。こんな所にも小さな被害がありました。 一度、視界が10数mしかきかないような、激しい吹き降りのなか瀬戸大橋を車で通行したことがありました。途中まで行くと、パトカーが待っていて先導し、救急車が後から着いてくるという、一列の車列になり、時速30kmのノロノロ運転でした。あの大きな橋がゆらゆらと揺れる中の走行は、怖いとは思いませんでしたが、なかなかスリルのある体験でした。 それにしても、年を追う毎に異常気象が激しさを増しています。昔は自然の猛威という、人間の手が届かない世界でしたが、今は人間が、その原因を作っていることのほうが多いような気がしますね。気象というより人象とでも言いたくなります。
数日前、仙台からかまぼこの詰め合わせが届けられました。親しくしていただいている方からのお中元です。開けてびっくり、笹かまぼこを始め、沢山の種類の美味しそうな姿、形にみんなびっくり! 早速、昼食時にスタッフの食卓に大皿に大盛りにして、みんなで食べ比べをして楽しみました。スタッフは大喜びでした。笹かまぼこに代表されるかまぼこは、牛タンと並んで仙台名物ですが、味はピンからキリまであることを最近になって理解しました。やはり土地の人でなければ本当のおいしさは味わえないのでしょうね。でも普段そういうものだという概念を持っていて、想像を超える美味しさに出会うと、「目からうろこ」という表現がぴったりする感覚を味わいます。 嬉しい体験です。本当に感謝です。
中野裕弓さんからのメッセージを聴いていると“意識の化学反応”という言葉が耳に飛び込んできました。 彼女が3000人あまりの集会で講演をしたとき、聴衆の動きを見ていて、ふっと浮かんだ言葉だそうです。 意識が変わるのは出会いです。“出会いは神の恩寵の証”というマルチン・ブーバーの言葉があります。出会いには感動があります。感情が動きます。場合によっては怒りや悲しみが吹き出します。人生が変わったり、決まることさえあります。家族も出会いです。 私たちの心には受胎後培われた土壌があります。そこには人生を彩る様々な種があり、人生行路に添って少しずつセンサーの芽を出します。出会いはその芽を育てる光であり、水であり、肥料です。 出会いのなかでも、大きな集団になると、個々の意識がぶつかり合って、意識のうねりが、まさに化学反応を起こしたように大きな渦のようになって、会場をうねるのでしょうね。それを感じた中野裕弓さんの感性に脱帽です。 彼女は講演が終わった後もそれを感じ続け、「意識の化学反応の日」という感覚がやってきて、8月19日がその日だというのです。 いかがでしょうか。目に見える形か、意識の中だけかはわかりませんが、楽しみに待ってみませんか。
今日もたくさんの子どもたちが健診やお母さんについてきています。1才過ぎたばかりの女の子が、かわいいピンクの夏ドレスを着て、おもちゃのサングラスをかけて、よちよち歩いていました。 ふっと目が合いました。一瞬立ち止まって私を見上げ、ニコッとしました。“アッ、来た”という軽い衝撃を覚えました。時々こういうことが起こります。ゆっくりと私の顔の方に手を伸ばしてきました。こちらもゆっくり腰をかがめ、顔を近づけました。ふっとひげに触れ、にっこり笑って両手を差し出しました。そのまましっかり抱きしめて、それからふっと抱き上げました。とっても嬉しそうに喃語(なんご)でいろいろ話し始めました。 一部始終を見ていたお母さんとおばあちゃんは口をぽかんと開けて、何が起こっているのか理解できないようでした。 「この子はひとみしりしますか?」と尋ねますと、うなずかれました。そして「どうしたのでしょう、この子は!?」を連発されていました。 私たちにとっては嬉しい再会なのですが、不思議なのでしょうね。
この季節にしか味わえない、貴重な岩ガキが日頃お世話になっている鳥取の方から届けられました。昨日の夜お電話いただいたのですが、送り主のお宅ではまだ召し上がっていないとのことで、申し訳ない限りなのですが、私たちを大切にしてくださるそのお気持ちを、ありがたく受けさせていただきました。 午後届いたその岩ガキは、ミルクのたっぷりはいった、みのひきしまった見事なものでした。聞けばこれがとれたところは、人しれない無人の小島とのことで、年々急激に少なくなっていく貴重品を、友人の最高のもてなしの心と共に、白ワインでのどを潤しながら、心ゆくまで味わいました。感謝!
1才検診に子どもを連れて来られたお母さん、“先生と会えてよかった!報告したいことがあったんです。この子、立ったんです。その瞬間を見てしまったんですよ。”と少し興奮された口調で話しかけてこられました。 そのお話を聞きながら、息子が立った瞬間を鮮明に思い出しました。はいはいが実に素早くなり、つかまり立ちも上手になったある日、あぐらに近い状態からゆっくり、まるで上からひもで引っ張られているように浮かび上がると、どしんとしりもちをつきました。あれ!っと思って眺めていると、また同じようにしてフアッと立ち上がったかと思うと、パッと両腕を開きました。丁度平均台のあの姿勢です。一人で立てた瞬間です。そして身体全部のうれしさが凝集したような笑みをふっと浮かべました。 まさに感動でした!拍手してしまいました。 ロビーで話してくれているお母さんと、感動を共有した、いい時間でした。
朝外に出ると、我が家の飼い犬(4匹います)、ハルとウシオがぐったりと横になっていました。さては熱中症かと声をかけると、ハル(母犬)はむっくり起きあがって大儀そうにしっぽを振ったのですが、角に穴を掘って横になり、ふちに頭を乗せたままチラッとこちらを見ただけで知らんぷりです。とくに異常はなさそうです。立たせると私の肩ほどにもなる大型犬であるが、生まれたときは仮死でした。 10年前、出勤しようとするとハルが犬小屋の中で出産の最中でした。次々と6匹産んだのですが、最後の6匹目が胎胞(胎児を包んでいる袋)に包まれたままほとんど動いていません。母犬も知らんぷりです。見てしまったいじょう放っておくわけにはいきません。急いで胎胞を破り、胎仔を取り出しました。呼吸はしておらず、心臓の拍動もわずかしかありません。救急蘇生はお手の物ですから、早速心臓マッサージとマウスーツウーマウスによる人工呼吸をしますと、なんと元気になってしまいました。その後他の子犬たちは養子先が決まりもらわれていきましたが、この子は、仮死の影響で後遺症が残っている可能性があり、養子先にご迷惑をかけてはいけないということで、家に残すことになり、今に至っています。 このウシオがまた頑丈です。餌さえもらえればなんでもするという食いしん坊です。心配していた後遺症も身体機能としては無いようです。しかし、飼い主を尊敬している様子は全くなく、だだっ子のようなのはやはり後遺症でしょうか?
昨日からSMC(シルバメソッド)が当院のアイナリーホールで開かれています。メキシコ系アメリカ人ホセ・シルバ氏によって開発された目標達成自己コントロール法で、40時間の聴講と少しの作業で、マスター可能なプログラムです。一度受講すると再受講は世界の国々のどこの教室で受けても無料です。私自身20年ほど前に受講し、日々の仕事や暮らしの一部になっています。 岡山はアイナリーホールで年1回教室が開かれ、今年は20人あまりの新受講生と10人あまりの再受講がありました。今日、講座を終了後、交歓会を行いました。岡山以外の遠方からの参加者がかなりおられ、講座の緊張をほぐしながら、楽しいひとときを持ちました。 混迷が続く地球規模の社会情勢に包まれている現代は、判断基準にエビデンス(証明、証拠)を必要とするほど不確かですが、もっとも確かなのは自分です。しかも心の深いところで“これだ!”という、感動を伴う満足感を伴う納得でしょう。それには心のセンサーを磨くことが必要です。SMCは日常の生活を楽しみながら、トレーニングできる心磨きの方法です。
| 2004年07月23日(金) |
手をつないでやってくる |
今日は月に一度の手をつないでやってくる日でした。 朝3時から夜11時までに7人の赤ちゃんがやってきました。不思議なことに月に一度5のつく日を目がけて生まれてくる子どもたちです。月満ちて生まれるとは正常成熟新生児の代名詞ですが、自然の計らいなのか、5のつく満月の日に(月満ちて)このようなことがおこるのが当院の現象でした。しかし空を見上げると、今日は半月です。自然界にも例外があるのでしょうか? それにしても1時間毎に3人生まれたとき、申し訳ないのですが、狭い廊下にドキドキしながら待っておられるご家族の方々の“よかった!、よかった!あめでとう!”の笑顔のにぎわいは私たちへの何よりのご褒美でした。 ハラハラすることもありますが、充実感一杯の嬉しい一日です。
年々仕事量が多くなる最近ですが、食事の時、原稿が締め切りにやっと間に合ったのでやれやれだという話をしました。いつものことですが、すかさず妻が、「本当にあなたはぎりぎりにならないとしないよね。お尻に火がつかないとやる気にならないじゃない?綱渡り人生を楽しんでるように見えるわ」と、自業自得とばかりに笑いながら言いました。“ムムッ、言えてるかも。”と思った途端、息子が「チチのデッドラインはライフラインだね」と言うではありませんか。 ひょっとして名言かも。
今日も何人かのこども達がお母さんについて顔を見せてくれました。 お母さんに抱かれ、まずはじっとこちらを観察します。いきなり違う部屋へ連れて入られるのですから、緊張するのは当たり前です。ましていつも嫌いなことをする白衣の人間です。まさに警戒警報発令です。 けげんそうに眺めたり、眉を寄せて拒否反応を示したり、いろいろです。こちらからはまずごあいさつです。出来るだけ明るく「よく来たね、こんにちは!いい子だね。かわいいね!」などと話しかけます。でもほとんどは緊張が解けません。固い顔でじっと見つめます。それを横目で見ながら、さりげなくお母さんとお話しします。いかにもお母さんと親しいというのを印象づけながら、時々ニコッと子どもに笑いかけます。お母さんとのお話が終わって、こどもの方に向いて、親しげに話しかけながら少しづつ身体に触れていきます。この頃になりますと、子どもは次第に警戒心を解いて、笑顔が出てきます。こうなればしめたもので、「おいで!」と手を伸ばして、スッと抱くと、ピタッとフィットします。 一番驚くのがお母さんです。生後5〜6か月以降のお子さんは“人見知り”という、お母さんと他の人を区別する、識別能力が出来ますので、抱かれると泣いたりすることがよくあります。機嫌が悪いと、お父さんに抱かれてさえ泣くときがあります。ですから、機嫌良く抱かれているお子さんを見て「この子はどうしちゃったのかしら!?」と驚かれるのはもっともです。 じつはコツがあったのですよ!
朝クリニックが蝉時雨に包まれました。ああ、夏本番!というか感じがしました。前の駐車場公園で、ケヤキの木の下で上を見ながら何かを数えているようでした。近くまで行って、何をしているかを尋ねると、蝉の数を数えていると教えてくれました。 見ると沢山の蝉が幹にとまっていました。とすると、公園下の土の中に数年間過ごしたサナギが羽化したことになるのでは?と思い、この土地が蝉の生息場になったことに嬉しくなりました。 我が家の近くに祇園総社宮があります。この時期アブラゼミが杉木立の空気をふるわせ、耳をつんざくばかりです。10数年前、こども達につれられて、夜半、蝉の羽化を見に行ったことがありました。普段見る褐色の体とは似ても似つかない、透き通った緑色の、実に美しい姿です。杉の根本から少しずつ上に登っていくのを見ながら、いのちのからくりの巧みさに心を打たれました。
心の深い部分を、真我とか、魂とか言ったりしますが、誰もが懐かしさを伴う原風景のような部分を心のどこかに持っています。めまぐるしい日常を送っていると、目の前に繰り広げられる様々な出来事に心を奪われてしまい、その原風景を忘れてしましまいます。 その原風景の中にこそ、今の自分を作ってきた元があります。心を鎮め、懐かしい感情に出会うためにするのが瞑想と言えるでしょう。 今日、2日間のセミナーを終え、兄弟のようにその感情を分かち合った参加者が、明日からの日常を送るために日本各地へ帰っていきました。非日常を日常の糧として、それぞれの役割を果たされることでしょう。 このセミナーが原風景の一つとなることを祈りながら、お別れしました。
| 2004年07月18日(日) |
サン・クリニックいのちシリーズリーダー研修 |
今日から2日間、宮里マチ子先生を迎えてリーダー研修が始まりました。母親学級で妊婦の皆様に受けていただく「サン・クリニックいのちシリーズ」はベルセミナーという日本で初めて開発された“私探しの旅”をする、物語療法を母胎としています。創設者はエニアグラム紹介で知られた鈴木秀子先生で、宮里先生はそのリーダー養成を担当されていました。 妻がまずその薫陶を受け、あまりに魅力的なプログラムだったので、私もファンになりました。そのテーマは私たちの誰もが一度は心に問いかける“私(人)はどこから来てどこへ行くのか?”という素朴で、しかも人生への根元的な問いかけです。そのセミナーでは、まず私たちがとらわれている日常的善悪の枷をはずして、どんな私でも、私にとっていとおしい存在であることを、知の世界ではなく情の世界で気づき、納得し、受け入れる所から始まります。 サン・クリニックの母親学級を組み立てるとき、もっとも大切にしたかったのは「母と子の絆」です。こどもは両親を選んでこの世界にやってくると言われます。そのこどもを受け入れるお母さんの深い愛がこどもを育てます。その深い部分をどうしたら気づいてもらえるかが、母親学級を開く価値になります。 その方法を模索する中で、宮里マチ子先生が作ってくれたのが“いのちに対するいとおしさへの気づき”のプログラム、“いのちシリーズ”です。このプログラムを日本中の多くの人と分かち合いたいという目的で始めたのがリーダー研修です。
当院の母親学級で皆様に提供している「サン・クリニックいのちシリーズ」セミナーの、明日から行われるリーダー研修に、数年ぶりにお会いする敬愛してやまない宮里マチ子先生はじめ、沖縄のリーダーの方々5人が来岡されました。 沖縄は私の大好きな土地です。土地の力を感じます。ミライカナイの言葉に土地の心を感じます。聖地御嶽(うたき)には不思議なエネルギーが満たされています。 その特別な土地で、特別なエネルギーを受けて育った方々のエネルギーを、久しぶりにいただけるのは嬉しいことです。特に宮里マチ子先生はサン・クリニックの精神的支柱のような方です。いつのまにかもう20年以上の指導を頂いている方です。明日からのリーダー訓練が楽しみです。
今朝一番の宅急便で、待ちかねた「やすらぎ出産リハーサル」の、出来上がったばかりのCDがクリニックに届きました。わくわくする気持ちを抑えながら、出来栄えはいかに?と真っ先に箱を開け、CDを取り出しました。 カバーのイラストは想像以上によく仕上がっていました。中のテキストにも納得しました。 私にとって、とても嬉しいことです。様々な出産に立ち会ってきた経験から、誰にでも出来て、感動の中に赤ちゃんを迎えることが出来る出産準備法を提供したいと願ってきました。これまで試行錯誤してきましたが、このCDの完成で、当院で産んでくださる全ての方に、同じ条件でお産に望んでもらうことが出来ます。 今日の妊婦健診に来られた妊娠32週以降の方々に早速プレゼントいたしました。 このCD作成に関わってくださった多くの皆様に心より感謝します。 なかでも、 天国の宮下富実夫様に感謝! ナレーションの森千鶴様に感謝! ファンタスティックなイラストを提供してくれた息子、拓公に感謝!
出産後2年になるお母さんが受診されました。妊娠の確認に来られたのですが、以前お会いしたときより随分やせておられます。 妊娠の確認をした後、「だいぶやせましたね」と言いましたら「ええ、母乳ダイエットです。よく飲んでくれますから!」と言って朗らかに笑われました。 確かにそうなのです。妊娠がすすむにつれ、お母さんの身体はホルモンの作用で水分量が増えて丸くなり、ややむくみ加減になります。お尻はふっくらと肉(脂肪)が付きます。むくみ加減になるのは子宮への血流量を増やすのと、血液をやや薄くサラサラにするために、お尻に肉が付くのは出産後のおっぱいのもとを作っているのです。出産しますと、生理的に水のめぐりは乳汁産生の方にまわります。原料としての脂肪はお尻から供給されるのです。このためおっぱいを飲ませ続けることで、母体は次第にスリムになっていくという仕組みです。いわば母乳ダイエットというわけです。
お帰りになるとき「2才の子にまだ飲ませているのですが、このまま続けていいでしょうか?」と聞かれたので、「いいですよ」とお答えすると、にっこり笑って席を立たれました。
深夜テレビ、チャンネルBS9で相撲を楽しんだ後、そのまま何気なくつけていたら、フィギアスケートの女王、村主章枝(すぐりふみえ)を密着取材していました。あの有名なコーエンやクァンとともにアメリカ各地を過密なスケジュールでまわるアイススケートチャンピオンツアー公演に参加している彼女は、ネイティブのように英語を話していました。その表情は輝き、とても楽しそうで、魅力的です。当然ですが、演技をしている彼女は妖精のように輝き、自分で選んだという「浜辺の歌」に合わせて滑る姿は可憐さと華麗さを併せ持っているかのようでした。 いろいろなエピソードの合間にインタビューが入るのですがそれを聞いていて「おやっ?」と思いました。表情があまり無く、言葉も英語ほどなめらかではないのです。考え、考え話す彼女の表情からは先程の愛らしさはすっかり影を潜めていました。 何回かそのようなくり返しがあって、ハッと気がつきました。言語のちがいだと感じました。どんなにネイティブのように英語が話せても、母国語のように語彙が多くはありません。ボディランゲージで補うしかないのです。逆に母国語で話すときは英語の思考も働きますから、多すぎる語彙の中からどれを選んでいいか迷うのでしょう。それが影のある顔につながるというわけです。 言語というのはすごい力を持っているのですね。「はじめに言葉があった。言葉は神であった。」という聖書の書き出しは、書かざるを得なかったところなのでしょう。
早朝、緊急手術が終わりました。 赤ちゃんが無事産まれ、お母さんも元気、ということでほっとした一時を麻酔科の先生やちょうど食事時のお母さん方と歓談しました。おそらく開業以来、こういう時間を持ったのは初めてと思います。 お母さん方の貴重なお産体験や子育てなど、いろいろな話題で盛り上がりました。その後だんだんとクリニック周辺の自然の豊富さや、私の住居がある付近の祇園用水にいる、おおうなぎやはえ、鮒、大ナマズ、コイ、鮎、エビ、アユもどき、川蟹などの住人たちのエピソードのなかで、ホタルにお話しが及びました。今年もホタルが随分飛びました。近年、6月の終わりともなると、たくさんの見物客が土手にやってきて、時に交通の邪魔になるくらいです。 実は私がクリニックの近くの祇園に住みついたのは、このホタルととても関係があります。今から20年ほど前、祇園の横、賞田に親しい友人、山口茂嘉教授の新築祝いにお宅を訪問したときのことです。時はまさにホタルの季節、帰路についたそのとき、祇園用水に、あたりが明るくなるくらいに源氏蛍が乱舞しているではありませんか!感動でした。 その時衝動的に決心しました。ここに引っ越そう!それから4〜5年探し続け、今のところにイメージ通りの家を見つけることが出来ました。 ホタルの宿ならぬ、ホタルのお導きでしょうか。
早朝、朝靄の中お産に出勤しました。さすがこの時間帯はまだ涼しく、車のエアコンが冷たく感じました。 今日の産婦さんは4人。4人のこどもたちが生まれてくれるはずです。外来の合間に、手術があり、お産がありといつものようにあわただしい一日でした。当院のハイライトであるお産の場面には多くのドラマも生まれます。
今日お産された方のお一人もとてもユニークな方でした。半端じゃないと言いながらも明るく、見事に産んでくれました。産んだ途端、「ふ〜ん、これがスイカを鼻から出すことか!?」と嬉しそうな、変に納得したような声をあげました。 昔は“障子の桟(さん)が見えなくなるくらい・・・”といった表現で陣痛を喩えたのですが、最近では“青リンゴ”と“スイカ”で、いつのまにか“鼻から出すくらい”と、出来そうもないつらさを表現するようになったようです。ブラックユーモア的ですが、若い方たちにはわかりやすいのでしょうね。 しかし、今も、昔もお産が恐くなるような表現が多いですね。つらいかもしれないけど大丈夫。あなたは産めるというメッセージが多ければいいですね。 ちなみに今日生まれた子どもは3人でした。
数カ月ぶりの休日、(いつ休みがとれたかな?)午前中所用を終え、午後のひとときを娘と談笑してると、空が明るいまま突然大粒のスコールのような雨が降り出しました。山間の緑に映えて一粒、一粒が輝きながら降っていました。あまりの見事さに大きく窓を開けて、二人で眺めいってしまいました。うっかりして洗濯物を取り込むタイミングが遅れてしまったのですが、いい雨でした。2回目の雨が来たとき、ちょっと心配になりました。夕方から知人宅で野外パーティーを計画していたからです。 なんとか雨が上がり予定通り開くことが出来、久しぶりに旧交を温めました。聞けばあの雨の時、ご主人が炉に傘をさしかけて、火を守っていたそうです。感謝! 少年時代、夕立のような、お天気雨を“キツネの嫁入り”と言っていました。人間の目を雨でごまかしている中に、キツネの嫁入りの行列が通ったというわけです。ファンタスティックではありませんか!
| 2004年07月10日(土) |
牛乳には危険がいっぱい? |
当院で月一回“速読教室”開いている、日本速読連盟理事長 佐々木豊文先生と歓談した際、「選択」という雑誌のコピーをいただきました。そこには牛乳の害についての報告が載っていました。端的に言うと牛乳は危険食品だと言うのです。実は以前、やはり先生から1冊の本をいただきました。題名は「Don't Drink Your Milk!(邦訳 牛乳は危険がいっぱい)フランク・オスキー著」というものです。牛乳は貧血、各種アレルギー体質、心筋梗塞、脳卒中、発ガン、にきび、カルシウム吸収阻害、慢性疲労、消化器症状など様々な病的状態の原因になるというものです。 佐々木先生は以前から、“速読に必要な集中力が出来ないのは砂糖と牛乳が原因だ”とよく言われていました。初回講義には必ず食べ物のお話しがあり、その二つの害について熱心に語られます。実際受講生の中で、素直にそれを実行した人たちの、集中力の伸びは驚くほどです。 今日の歓談でもその害とそれを無くすることの難しさを話し合いました。確かに牛乳は貴重な、そして手軽なカルシウム源と思いこんでいるふしがあります。それはあの骨太の、大きな牛さんのイメージからくるものでしょうが、その牛さんそのものは牧草しか食べていませんね。先日もスーパーで、カルシウム添加、ビタミン添加調整乳などという表示を見ました。おかしいですね。
どうしても上の子を愛せないと言うお母さんがやってきました。2才になったお兄ちゃんは、1才の妹と競争するようにしっかり母乳を飲んでいます。 ちょうどお兄ちゃんは反抗期、なんにでも“いやっ! だめっ!”とダダコネ虫まっ最中ですから、可愛いはずはありません。妹は可愛い盛りですし、お兄ちゃんはお母さんの気を引こうとして、わざと嫌がることをします。ますます嫌いになります。おっぱいもあげたくなくなります。まさに悪循環です。 「あんなに可愛がっていたはずのお兄ちゃんを嫌いになるなんて、私は母親として失格でしょうか?」と、とてもつらそうです。 子育てにはいろいろなつらさがあります。私の母がよく言っていました。“おっぱいの間の谷間は涙の谷というのよ。”母の大変さをつぶさに見ていた私には忘れられない言葉です。その谷の向こうには、育ててよかった実りがあります。 母親失格ということはありません。下の子を育てなければならない家庭におこっている出来事の一つです。ゆずらない、おこらないが基本ですが、逆に言えば、愛した分だけ怒っていいとも言えます。怒るときは最初に「お母さんは・・・」、「ママは・・・」とぜひ入れてみてください。おかあさんは怒っているのですが、子どもにとっては自分が否定されていることではないからです。試してみてはいかがでしょう。
| 2004年07月08日(木) |
赤ちゃんに会える喜び |
月一度のエンジョイ育児サークルがありました。生後5か月になった子どもとお母さんが30人前後集まってくれました。 お母さん方にお会いできるのは、久しぶりに再会する家族のように、とても嬉しいことですが、赤ちゃんに会えるのがもっと嬉しいのです。 本当に不思議なことに、赤ちゃんもまた懐かしそうに笑みを浮かべ、うれしい、うれしいと抱っこされてくれます。はじめからニコニコと手を出す子、じっと難しい顔で見つめ、少しして満面の笑みを浮かべ、口を開け、よだれが出てきて“やあやあ!”と体を動かす子、ころりと寝返りを打って、じっと話に聞き入ったりと、いろいろ楽しませてくれました。 今日のお話しは、お父さんの育児参加です。お母さんと子どもの密着度が強いほど、お父さんはなかなか仲間に入れません。お母さんの関心を少しお父さんに向け、存在感を認め、子どもとの時間をとってくれるようにしむけることが必要です。子どもの運動神経や反射神経が十分に発達するためには、お父さんのダイナミック遊びがとても役に立つからです。時々お父さんに笑顔のプレゼントをしてみませんか! 参考図書:絵本「おとうさんはウルトラマン」シリーズ
七夕の今朝のNHKニュースで嬉しいことがありました。 三洋電機か社内の育児手当金の制度を見直して、大幅アップで従来の50%増しで労使が合意したというものです。松下電器に続いて国内2社目のようです。行政の施策にはもちろん期待するのですが、今のところ安心して子供を産める環境とは言えない社会状況です。 大企業が率先して子育てに取り組んでいく姿勢は日本の将来にとって頼もしい感があります。以前ボランティアという言葉が普及し始めた頃、岡山にある林原というバイオ企業が会社を挙げてお役立ち部門を立ち上げ、ボランティア企業の先駆者になり、国の後押しも受けて、急速にボランティアの概念が全国に拡大した経緯があります。 労使双方の合意というのもいいですね。戦うのでなく、ともに未来に向かって協力し合う。21世紀にふさわしい方向ですね。 当院の待合いロビーに、外来にやってきたお母さん方の願いを書いた短冊が笹のえだに揺れています。
産後1か月検診のお母さんに3才のお姉ちゃんがついてきました。 姉ちゃんに聞きました。「おっぱい飲んでるの?」、「ウン!」、「おいしい?」、「ウン」。お母さん、「この子、吸うまねだけなんですよ。おっぱい、おっぱいと寄ってきて、服の上から胸に口をつけて、チュッとして向こうに行くんです」。
別の3才の子が来ました。お母さんは妊娠8か月です。見ると赤ちゃん人形を連れています。「かわいいお人形だね!」と私、「あかちゃん!」とその子、「かなちゃんの赤ちゃんなんだよね」とお母さん。 するとその子は胸のあたりをつまんで、赤ちゃん人形におっぱいを飲ませる仕草をします。どこで習ったんでしょうね。私は嬉しい気分になりました。
3才になると、自己主張とは別に少しずつごっこ遊びができるようになります。赤ちゃんごっこが多くの場合最初のごっこ遊びになります。性役割の最初ですね。とても大事なことです。
朝、外へ出ると、チチチチ・・・、ピピピピ・・・、となにやら騒がしい鳴き声に思わず上を見上げると、電線に一列になったツバメさんたちが盛んに情報交換をしていました。ツバメさんは大体がカップルでいるところを見ることが多いのですが、時々はこうした会議を開くのでしょうね。 さえずりをよく聴いていると、それぞれが微妙に違います。リズム、高低、ピッチ、拡がり、などかなり複雑ですね。こちらの感情を入れて聴いてみると、まるでクラシック音楽を聴いているようなハーモニーに感動してしまいました。 スズメが少し離れたところにとまると、一瞬声のトーンが変わります。新しいツバメが加わると情報交換のピッチが早くなります。するどい、警戒するようなさえずりに変わったかと思うとネコが近くの屋根に登っていました。 オーケストラの最後の高まりのように、一斉に鳴きたてたかと思う間もなく、パーッと空へ舞い上がり、一瞬のうちに散っていきました。 もしかして、へんな人間に注意しよう!!と言っていたりして?!
ひさしぶりに飼い犬の散歩散歩当番でした。 この週は珍しく、金曜日から妻が研修で東京へ、娘は土曜日から試験で群馬へ、今日は息子が朝一番の新幹線で横浜に出たので、家には犬さん達4匹と私だけという状況でした。数週間ぶりにゆっくり睡眠を楽しみ、8時半に起き出して犬の散歩に出かけ、少しの買い物をし、弟から預かった大型のグッピーと亀の住みかづくりに取りかかっているうちに父親学級の時間が来てしましまいました。 最近当院でもカップルの国際化が進み、父親学級にも毎回のようにいろいろな国のお父さんがやってきます。その方達の多くが日本語の理解が十分ではないのですが、奥さんが通訳をして何とか理解していただいているようです。共通しているのが、何とかこの時間を楽しもうとしている姿勢です。同伴分娩の条件ということもあるのですが、参加する勇気には感動します。国際化というのはこういうことなんだなと私自身教えられます。 夕方、犬さんの散歩のおり、近所の土手の下の栗の木まで行きました。そこに不思議な光景が開かれていました。100年くらいの樹齢があろうかと思える古木なのですが、毎年沢山の栗がなります。畑の横に大きく枝を広げたその下にフキが群生し、絶滅危機種のトンボが何匹も羽を休めているのが見られました。一瞬、デジャヴェーの感覚にとらわれました。しばらくたたずんで、その感覚を楽しみました。 ありがとう栗の木さん!こんな小さな自然の中でもつなぎ止められている生命、ありがとう!こんな世界さえ守れないでいる私たちは悲しい。
普段ゆっくり本を読むことのない私ですが、日常的にわずかな時間で本を読む習慣があります。誰でも集中して文章に向かうと、10分もあればかなりの量の内容を読むことができます。 そんな毎日の中で、トイレの時間の読書はまた格別です。多分これは少年時代の生活習慣の一つが癖のようになったのでしょう。私の子どもの頃、トイレットペーパーなどはなく、落とし紙といえば、新聞や雑誌の類が普通でした。することもないまま、用が済む間自然に書いてある事柄に目を通していました。最近は少なくなりましたが、公衆トイレの落書きもまたおもしろい読み物でした。(あまり綺麗なお話でなくてごめんなさい) そんな5分間愛読書の一つ、ジェームズ・アレンの“「原因」と「結果」の法則”から、前書きを紹介します。 “心は、創造の達人です。そして、私たちは心であり、思いという道具をもちいて自分の人生を形づくり、そのなかで、様々な喜びを、また悲しみを、みずから生み出しています。私たちは心の中で考えたとおりの人間になります。私たちを取りまく環境は、真の私たち自身を映し出す鏡にほかなりません。 ージェームズ・アレンー” いかがでしょうか。
子どもが大きくなってくると、難しいのが“ゆずらないこと”と“待つこと”です。 健診に来られたお母さんが、おなかがよく張って、時々いたくなると言われました。おなかの痛くなる原因をいろいろ説明する中で、“子宮の収縮が自律神経の調節を受けているので、イライラして子どもを怒ったりすることも、おなかの張る原因の一つですよ”とお話しすると、“十分に思い当たります。上の子がなかなか言うことを聞いてくれなくて、ついカッとなって怒ってしまいます。そのあと必ず張ってきますものね。”と納得されました。 “でも、上の子がだだをこねるのには参ってしまいます。どうしたらいいでしょうか?買い物に行っても欲しい物をつかんで離さないし・・・。” 確かにスーパーなどでお母さんを困らせている子をよく見かけますね。お家を出るときには多分、余分な物は買わないと約束するのでしょうが、なかなかそうはいきませんね。 子育ては、子どもが育つのを助けることです。人として育つには自分で学ぶしかありません。家庭で子どもが自分で学ぶには、親や大人達は“その子が学ぶまで待つ”ことが必要です。待つことはゆずらないことです。怒るのは度が過ぎると子どもに恐怖感を植え付けたり、場合によっては虐待になりかねません。怒らないに越したことはありません。 “待つこと”、“ゆずらないこと”を原則にしていきますと、“耐容力”が育成されます。人生を確かなものにしていくには耐えるという、こころの力が基本になります。その容量が大きいほど困難を克服する力が大きくなります。 “待つこと”は親の耐容力も大きくしてくれるかもしれませんね。
現在はやりのNPOの草分けとも言える「明日の地域を考える会」が結成されたのが20年前でした。一業種一人の参加で、30人ほどの会員がおりました。10年ほど様々な活動をした後、しばらく休眠状態で、2〜3年ごとにチャンスを作っては旧交を温めておりました。 今日3年ぶりくらいに集まりを持ちました。確かに皆年令を重ねてはいますが、人生をしっかり生きている顔は見応えがありました。2次会に残った数人で夜半まで談笑し、心地よい時間を送りましたが、その中でおもしろい話題がありました。アーノルド・トインビー(歴史学者)が「神話を語り継がれなくなった民族は滅びる」と言ったのを聞いた高齢の婦人が、一念発起して昔話の語り部として全国行脚をしているというのです。“一隅を照らす人”がここにもいたとありがたい思いに浸りました。 確かにいまの日本では、神話の領域に思いを馳せ、国の成り立ちを想像し、そこに現代の自分の有り様を重ねるといった、50年前なら当たり前の意識の世界が、ほとんど失われているといっても過言ではありません。いわば、日本民族としての意識の根が無くなっているのかもしれませんね。
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