ちむたんのつぶやき
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姪2号は中学3年生、ただいま受験シーズンを迎えております。 父のお通夜の日がちょうど私立の入試日と重なってしまい、終わってから急いでやってきたので結果を心配しましたが、無事受かっていました。
そしていよいよ今日は本命の公立高校の入試だそうです。父親である長兄は、発表はいつだか知らないと申しておりました。おいおい。 9日に父の四十九日の法事をするのですが、その頃には結果が出てるんでしょうか。 (と思っていま調べたら、6日に発表のようです) 思い通り志望校に進めますように。お父さん、お母さん、孫娘を守ってあげて。
そう、四十九日。 お寺への依頼は長兄からしてもらった。 法事のあとの会食は予約したし、引き出物も手配した。 写真と位牌は長兄に車で運んでもらうし… 6日に兄たちと会うので、当日の段取りを確認しておく。 あとなんかあったっけー???と混乱中です。ごく身内でやるので、たった12名なんですけどねえ。
現在の心境を端的に述べるならば。
電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、ぜんぶ悲しい。
街に出てお店を眺めればどこの売り場もすっかり春模様ですし、寒い中にも春の気配はしっかり混ざりはじめていますが、父がいないのに春がくるなんてあんまりだ。
…というような感じでなかなかけっこうな痛さです。 とほほ。我ながらここまで堪えるとは。
去っていった人に対してどれだけ思いを巡らせてみたところで、決してその人からの答えがもらえることはない、それがつらい。 父は私という娘を持って幸せだっただろうか、と問えば、私の周りの人はみんな、もちろんそうに決まってるよ、と答えてくれるでしょう。 でも、本人からの答えは返ってこない。問いはもはや、自己満足のためのものでしかない。
母のときも全く同じことを思いました、そういえば。 今になって、母を失ったときの痛みまでもがごていねいに甦ってやってきているような感じです。
でもちゃんと食べて眠っていますし、仕事もいつも通りしています。 こんなふうに沈んでいるのにも、さすがにそのうち飽きるのだろうとは思うのですが、今のところはどうも身を縮めてこらえてゆくしかないようです。
チャーちゃんからのお知らせが届きました。 6月に品川と宝塚で開催されるヤンさん(安寿ミラさん)のダンスコンサート「FEMALE Vol.9」に出演されるのだそうです!
ヤンさんは、サヨナラ公演でも振付を担当してくださった、チャーちゃんにとって浅からぬご縁のかた。「あの時悲しませちゃったファンに、今度は喜んでもらおうね!」とおっしゃってくださっているのだそう。 それだけでもう、ありがたくて泣けてくるというもの………。
ファンクラブも再結成されるそうで、4月にはお茶会を予定していますとのこと。わーい。 7月には舞台出演がもうひとつ決まっているそうです。
チャーちゃんのゆく道が、護られてありますように。
「FEMALE」を観にいきたい、もしくはファンクラブに入りたい、とお考えのかたがいらっしゃいましたら、詳細ご案内できますのでお気軽にメールくださいませ。 と、たいへんささやかながら販促活動をば(笑)
母のときは、亡くなったのが2月で誕生日は8月。それなりに日数が経っていたこともあり、ここまでビビッドには心に響きませんでしたが、今回はまだ3週間も経っておりませんので、やはり痛い。いたたたた。
ちなみに今さら調べてみましたところ、阿久悠さんと同じお誕生日だったのですね。去年、追悼番組を見ながら「こんなにたくさんいい詞を書いてたんだなあ」と褒めていたので、その時気づけばよかったです。 なお、命日はオードリー・ヘップバーンと一緒でした。こちらはコメントのしようがイマイチありません。
次兄から「いま決裁書を見ていて気づいたけど、今日はお父さんの誕生日だね」というメールがきました。決裁書ってとこがなんかムカつくな(この間葬儀屋さんに渡していた名刺によると、次兄は統括部長という役職らしいです)。
いろいろお誕生日を祝ってきたはずなんですが。 80歳のときは銀座でお誕生会をしたりもしたのですが。 なんだかトホホなことしか思い出せません。 母を自宅で看ていた頃、余裕がなくて買ってきたお赤飯を出したら「上手に炊けたねえ」と言われて、買ってきたものだとはどうにも言えなくなったことが一番に頭から出てきました。それはどうなのか。
もう、歳はとらなくなっちゃったんだね。 百歳まで元気でいそうな気がしていましたよ。
| 2008年02月06日(水) |
われ泣きぬれて数字とたわむる |
わたくしのいる会社は新年度のスタートが8月なので、1月末でちょうど上半期が終わったところ。すごくヘンな感じなんですがそうなんです。 ちなみに決算がまあまあよかったそうで、社長と経理からおつかれさまでしたのお菓子をもらいました。って、焼き菓子の詰め合わせの中から好きなのを1個選ぶだけですけど。
そして、もう2009年度(今年の8月〜来年の7月)の予算を出せー、とお上からお達しが。 予算策定そのものには携わっておりませんが、資料作りはすべてわたくしの仕事。あちこちから数字を拾って入力していきます。 正直なところ異なる文化圏の人がつくったExcelファイルは理解しづらく、苦難の連続です。しかも入力単位がUSドルなので、ケタが間違っててもとっさに気づきにくいという事態が(おい)。半年やってだいぶ慣れてはきましたけどね…。「めんどくさいー!!」とあたりかまわず叫びながらPCに向かってます。
こうやって忙しくしながら、新しい日常になじんでゆけるのでしょうかね。 明日は父の誕生日です。母にお祝いしてもらうといいのだわ。(なぜお嬢様口調)
| 2008年02月04日(月) |
「しか」なのか「も」なのか |
日記書かずにいて申し訳ありません。
父が亡くなってから二週間が過ぎました。 二週間「しか」なのか二週間「も」なのか、よくわからない気がします。 ただ、命日の1月20日から二週間さかのぼってみれば、私はそれなりに心配しつつも名古屋に行っていたんだと思うと、やはりこの展開のすさまじさに慄然としてしまいます。
悲しみは、間欠泉のようだなあ…と思います。 ふだんはそれなりに普通に振る舞えていますが、仕事の手がふっと空いたとき、なにか思い出したりしたとき、たかぶった感情が嵐のように押し寄せてきて、洗面所に駆け込んだりしていました。 亡くなった直後は、やるだけのことはやったから後悔はないと思っていましたが、日常に戻っていろいろ考えていると、あとからあとから父に申し訳ない思いが爆発するように湧き起こり、苦しくなります。
いま最大の後悔は、亡くなる前の晩、病院に泊まってあげなかったことです。 私がちょうど病院から引き上げようとしていた19時過ぎ、それまでいた6人部屋から4人部屋にこのあと移りますと看護師さんに言われたので父に話したところ「それなら広くなるから○○(私の本名)も泊まれるね」と安心したように言いました。 泊まりでの付き添いは母のときに経験し、体力的に実にきついものだと知っていた私は、これからまだ先があるのだし、よほどのときでなければ泊まりは避けたいと考えて「うん、でも今日は帰らせてね。私もバテちゃうからね、ごめんね」と言って帰ってしまったのでした。 …それが最後の夜になると知り得なかった、神ならぬ身のどうしようもない悲しさです。一生抱えていく切なさだと思います。
そんなことを言っておいて、いきなり俗っぽい話になってしまうのですが。 一家の主が亡くなるというのは大変なことですね。母のときには母名義の預金の解約と生命保険の請求程度で、それほど困った記憶はないのですが(父が元気だったのももちろんありますけど)。
相続はもちろん、年金や公共料金など、さまざまな手続きが気が遠くなるほどたくさんあります…というか、あるようです。 父は書類の整理などがあまりきちんとしていなかったので、何をすればいいのか洗い出すのも五里霧中といった感じです。お葬式の翌日、きょうだい三人で「お父さん、こんなの自分でやってよ!」とかいいながら探し物をしました。生命保険に入ってたのかもどうもわからないありさまです。 一体何から手をつければいいものやら。もちろんいくつか済ませたものはありますが、気ばかり焦って進みません。
元気だった頃に私がいろいろ聞いておけばよかったんでしょうが(実際、書類を入れてある引き出しなどを見るにつけ、このごたごたぶりでは何かあったとき大変そうだなあ、と思いもしていたのですが)やはりそれは聞けなかったですね…。
私がもう少しちゃんと把握してると思ってたのかなあ。ごめん。 でも、考えたくなかったんだよ、お父さんに何かあるなんて。
いえ、相続はこうする、という遺言状と、そのほか亡くなったらこのようにせよ(母の眠っているお墓に必ず葬れ、とか)という手紙はちゃんとあるのです。 どちらも指示はわりと大雑把ですけど…頭を働かせてがんばれという父の愛なのかも。 遺言状は自筆なので、実家のある街の家庭裁判所に相続人全員で出向いて、検認という手続きをしなくてはならなかったり…。 法律家でありながら、一体全体なんで公正証書遺言にしなかったのですか、おとうさま。 知り合いだからこそ、頼むのがめんどくさかったのか。
その遺言状には、家は私に遺すとあります。 これからどうするのがいいんだろう、と思います。住めないのだから処分するのか、それとも残すのか。 残すにしても空き家にしておくのか、貸すのか。 兄たちと一緒に相続の手続きを進める中で、だんだん方向は見えてくるのでしょうが。
何はともあれ、この週末は実家で父の部屋の片付けからはじめました。病院から持って帰ってきた荷物などで、だいぶ散らかっていたので。 着道楽の父は、それはそれはたくさんの洋服を持っています。どの服にも、まだ父のぬくもりが残っているような気がしました。
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