メーコの芋ちゃん日記

2007年11月18日(日) フビンな子

まぁ最近は余り言われなくなってきましたが、芋助が生まれてから3歳くらいになるまでは、彼を見る人の10人が10人、「あなたのベイビーはいくつ?」と聞いた後、「○○ヶ月だよ」だの「○○歳ですよ」と答えるメーコに対し、「え?? 本当?? 彼はスゴク大きいわね〜」と口をそろえて言ったもんであります。
が、しかし。 ナマ芋助をご覧になったことのある方ならお分かりのとーり、彼は別に「巨大児」ということはまぁ〜ったくありまへん。 出生体重は3285gで、まぁ最近の日本人の平均・及びメーコの体型からしたら「ちょいと大きめ」くらいのベイビーだったかもしれませんが、それでも目を丸くするほどの大きさであるワケもなく、また、その後の成長過程を見てみても、身長・体重ともに常に「平均値」を保っておるのです。

ではナゼに、芋助を見る全ての人が、彼のことを「大きい、大きい」と言うのか??

…お察しの良い方々なら、うすうすお気づきでしょう。
そーなんです。 芋助は、他の子と比べるとドえらく大きいんですよ、「アタマ」が。 …っつーか「顔」が。

あぁ、悲しきかなこの事実。 たとえアメリカで生まれ暮らそうが、「ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ」のパスポートを持っていようが、芋助は、100%純粋の「ジャパニーズ」なのですよ。
出生後間もなくのアメリカ人の赤ちゃんが「4頭身」だとするならば、彼は、見事なまでに「2.5頭身」でありましたし、乳幼児の定期健診に行っても、お医者さんから「身長・体重ともに平均値よ〜。元気に育っているわねー」と言われた後に、「でも、“頭囲”だけは最大値なのよね〜…」と、笑いを必死にこらえながら言われたものでありました。
しかも、その頭の大きさに加え、何も口に入れてはいないのに「ベイビー、あなたは何を食べているの?」と聞かれてしまう、“こぶとり爺さん”顔負けの立派なほっぺたと(そう聞いた人たちが、「何も食べてまへんがな」というメーコの答えを聞いて、フォローできずに“石”になっていたことは言うまでもないが)、頭頂部に自信のなくなった中年男性たちから、「マミー、君はこのベイビーに、何か特別な薬でもつけているのかい?」と真顔で聞かれてしまう、真っ黒でフサフサの髪の毛がついている。

…と、きた日にゃーアナタ、誰もが口を揃えて「まぁ!何て大きな子なんでしょう!」と、「何て」と「大きな」の間に“頭が”という言葉を隠して驚くのも、無理はない、っつーモンですわな。


…あぁ、悲しきかなジャパニーズ。 悲しきかな、芋助の人生。

その、頭の大きさが故に、芋助は「寝返り」や「はいはい」といったモノが9ヶ月を過ぎるまでまぁ〜ったくできず、他所の子たちが「軽やかに」つかまり立ちを始める姿を、寝たままじぃー…っと眺めていたのでありました。
2歳になる少し前、5歳半のお兄ちゃんが「お下がりに」と持って来てくれた帽子がキツくてかぶれず、フォローの言葉を考えることすらできずに固まってしまったその母子が、その後プッツリと連絡をしなくなってしまったこともありました。
そして、4歳になった今、芋助は、着丈はブカブカなのにも関わらず、ただ単に「頭が入らないから」という理由だけで、「6歳用」のTシャツを着なくてはならないのです!!!

恐らく芋助は、周りの子たちが小学校に入り、「6頭身」の身体で遊び回る頃にようやく「4頭身」になり、彼らが「8頭身」の大人になって、既成のズボンをそのままはける身体になっても、彼だけはきっと「6頭身」以上にはなれず、常に「裾上げ」を必要とする運命を背負って生きていくのでありましょう。
誰かと一緒に写真を撮る時も、常に「遠近法」だの「立ち位置」だのを考えなくてはならず、「手をつないで横に並んで」などということは極力避けて生きていかなければならないのでしょう。

…あぁ!何てフビンな子! 何て可哀想なキミの人生!
でも、大丈夫だよ。 ママがずっと、キミのことを守ってあげるから。


…なぁ〜んてコトを、メーコが思うハズはありまへんがな。

「おめーはよー、ジャッパニーズなんだから諦めなー」だの、「ター助おじちゃんなんか、おめーより更に一回りでっかいアタマしてたけど、今は真っ当な社会人として生きてるんだから心配すんなー」だのと言い放ち、更には「…それにしても本当に大きいねぇ、キミのアタマは。 かかかかか。」などと言って、我が息子の頭を突付きながらバカ笑いする、メーコのような女が母親であることの方が、芋助にとってはよぉ〜っぽど不憫で、よぉ〜っぽど不幸なことなのではないか…。

と、最近「何となく」気づき始めたメーコなのでありました、まる。



2007年11月10日(土) 親はなくても・・・

今回は、芋助こと我がトラ蔵の、保育園生活についてお話ししようと思っておりましたが、生後6週間からいきなり保育園に話が飛んでしまうのもナニかと思い、芋助が今日までどのようにして育ってきたかを少しばかりご紹介することにいたしやす。

メーコを知る方であるならば、「う〜ん、まぁそりゃそーだろうねー」と、一も二もなく納得されることとは思いますが、まー何っつーんですか、メーコには「母の自覚」っつーモンがまぁ〜ったく無いんですわ。
仮に、メーコを知らない方であったとしても、「生後3ヶ月の赤ん坊を17時間も飛行機に乗せて激寒の日本に連れて帰った」だの、「その息子を実家の両親に預け、本人は10日間もヨーロッパに仕事に行った」だの、「その一ヶ月後にフロリダに帰るやいなや、今度はメジャーリーグのキャンプ地に連れ回り、灼熱の太陽の下連日野球観戦をしていた」だのという事実を知れば、「正にそのとーり!」とご納得いただけるかと思いまする。(…っつーか、ヘタしたら「乳児虐待」で訴えられてしまうかもしれまへんわな)

数年前に、日本では「世界の中心で愛を叫ぶ」なる映画が大ヒットをし、「セカチュー」なる造語が一世を風靡した、という話を耳にしたことがありますが、メーコは正に、その「セカチュー」ならぬ「ジコチュー」の塊のような人間であり、そんなメーコに「子供ができた!」という事実が発覚した時、親姉弟・親戚一同は無論のこと、メーコを知る全ての人が「本来ならばとてもめでたいことだけれど、これは素直に喜んでいいことなのであろうか…。 何はともあれ、とにかく不幸な子にだけはならないように…」と、大きな不安を抱いていたであろうことは、誰一人として公に語ろうとはしませんでしたが、メーコはよぉ〜っく知っているのでごじゃりますよ。
…っつーかですね、誰よりもこのメーコ自身が、「やばいんじゃないの〜?」と、それはそれは大きな不安を抱えていたんでごじゃりますよ。

ところが、です。
昔から、「親はなくとも子は育つ」と言われているように、本当〜に我が息子、芋助は、母親のメーコの無責任さなど全くモノともせず、周囲の心配も「ヘ」でもないかのように、それはそれはい〜子に育ってくれたんですよ、これが。

夜中におっぱいを欲しがって泣き出しても、メーコが「ママは眠いんだから欲しかったら勝手に吸え〜」と言えば、本当に勝手に吸い付いてそのまま寝入ってくれたし、「お前の分までジィジが金出してくれたんだから日本に行けるんだぞー。有難く思えー。」といい含めて日本に連れて帰れば、機内では一泣きもせず大人しくしてる。
2歳半になって、トイレトレーニングを始めた時も、「人間シッコとウンコはトイレでするもんって決まってんだかんな。しっかりやれぃ!」と一喝しただけで、その後2週間でトレーニングは終了。(未だに、夜だけはオムツをしておりますが)
その上、メーコが時折ブチ切れて、大人気もなく芋助に怒鳴り散らした時ですら、彼は泣き出すどころかそそくさと冷蔵庫に向かい、中から冷えた缶ビールを取ってメーコの元に持って来、「ママ〜、びやーどーじょ。」などと言って慰めまでしてくれる。 
いや〜、本当にですね、親バカではありませんが、「良くできた子」なんですよ、芋助は。

本当〜にフシギだ。人間の成長というモノは正に神秘だ。 と、メーコは一人で感動していたのでありますが、周りの人々は別に不思議とも神秘とも思っていなかったようで、弟のター助いわく、「反面教師、っつーんですかねー。“この母親には頼っちゃいけない”ってコトを、芋ちゃんはお腹の中にいる時から分かっていたんですよー、きっと。」だそーだし、友人一同いわく、「何てったって旦那さんがしっかりしてそうだからねー」だそーであって、ジジツ、そー言われて振り返ってみれば、メーコがこの4年間芋助のことを殆ど放ったらかしにしていたのに対し、ダーリンは、ご飯の世話からオムツ換え、入浴に加えて生活のしつけなど、何から何までぜぇ〜んぶやってくれていたのでありますよ。

う〜む。そうであったか。
「親はなくとも子は育つ」のではなく、「いかに母親が“パッパラパ〜”であっても、父親さえしっかりしていれば、子は真っ当に育つ」のであったのだ。
…と、メーコがようやくに気づいた時にはもう既に遅かった。

週末、朝寝坊をしているメーコに向かい、「ママ〜、早くねんねしないで朝、ちゃ〜んと起きられない人は悪い人ですよー」と言い、浴室に落ちている髪の毛を見つけては、「ママ〜、けっけはちゃんとはおかたづけしてくださーい」と言い、挙句の果てに、「ママはねー、びやーばっかり飲んでるから大きくなれないんですよー」などと言う芋助の姿は、正にもう、「ダーリン2号」以外の何者でもなかったのであーる…。

そして。
メーコが忘れたくても忘れられないこの一言、「もー、かんべんしてよー。」という言葉を息子の口から聞いた時、芋助が生まれて以来、手のひらを返したかのように冷たくなったダーリンのその態度の理由を、メーコはようやくにして理解したのであった…。

メーコは今、ダーリン本家+2号の固い結束と冷ややかな視線を目の当たりにしながら、我が身の愚かさを、真摯に受け止めて暮らしているのでありまする…。 くっすん。



2007年11月04日(日) 光陰矢のごとし!

いや〜、ビックリしました。
昨日、本当〜に久しぶりにゆっくりとパソコンに向かう時間が取れ、これまた本当〜に久しぶりにねーさんのホームページを覗いてみたら、ナント!まだメーコのコーナーが存在しているではないですか!!
そしてさらに!!! 「New」と輝かしく記されているにもかかわらず、日付は「2005年3月」!!!
いや〜、ビックリしましたよ。
「生後6週間で映画デビュー」?? はっはっはっ、一体イツの話じゃい??
ウチの息子は先週、満4歳の誕生日を迎えちまったよ〜。
…というワケで、2年半もの間「New」の文字を消さずにそのままコーナーを残してくれておいた姉に敬意を払うと同時に、「よもやメーちゃんは人様に言えない生活を送っているのではないか??」などと、聞くに聞けない疑惑を長年抱いていらっしゃったかもしれない皆々様のために、2年半ぶりに、「地球の果て」よりメーコがメッセージをお送りしま〜す!!

さて、先ほども申し上げました通り、我が息子トラビスは、先週満4歳の誕生日を迎えました。
メーコのように、30過ぎのバァさんにとっての4年間などというものは、別段なぁ〜んてことなく過ぎてしまいますが、生後間もなくからの4年間というものは、いやはや驚きの連続でごじゃいまするねー。
まず、ただその辺に転がっていただけの「物体X」が、あれよあれよという間に自分で動くようになり、3時間おきにオムツ換えをしていたのがいつしか一人でトイレで用を足すようになり、さらには「んまんま」だの「ばぁ〜」だのといった識別不能な言語しか発せなかったハズなのに、「ママ見て〜!今日もいいウンチが出たあるよ〜」などとまで言えるようになってしまうのですよ。

そして、今までは文句も言わず(というか「言えず」が正しいんだろうけど)メーコの言いなりになっていたものが、やれ「トラちゃんはつかれているからお片づけできないよ〜」だの、「ママはビヤー(ビール)ばっかり飲んでいるから大きくなれないんだよ〜」だのと、メーコの神経を逆撫でるようなことばかり言うようになってしまうんですねー。

いや〜、正に「光陰矢の如し」。
日一日とダンナそっくりになっていく我が息子を見つめ、2年半前の「物体X」時代が懐かしい… と嘆きながら、メーコの日々は過ぎて行くのでありました… まる。

次回は、「朱に交われば…」のトラの保育園生活をご報告しま〜す!


 < 過去  INDEX  未来 >


メーコ