4つの季節を重ねながら

2001年11月30日(金) 長い夜のはじまり

ながらく日記をお休みしていて、しかも HOME にあるリンクの "up!" サインを消していませんでした。毎日、来ていただいてたかたがたにはすみませんでした。m(_ _)m

さて、これを書いているのは、朝の8時20分、5時前に目が覚めてから、8時に無理やり部屋の電気を消して雨戸を開け、ようやっとようやっとなんとか外が明るくなってきたところです。

夏のあいだは6時すぎには明るくなりはじめ、夜9時半を過ぎてようやっと窓からの明かりで本を読むのが苦しくなるくらいなのに、いまは夕刻4時半には本を読むのがつらくなります。

しかも、この季節、青い空はほとんど見られない。毎日毎日、しとしと雨か、薄曇り。ホームステイをしていたころ、朝の真っ白な(曇りの)空を見て、「今日は天気がいい」とムッシューに言われたときには聞き違いかと思ってしまいました。寒い朝に窓を開けて、プランターに水をやらなくてもいいのは助かりますが、毎日続くとつらくなってきます。

日照時間が短く、しかも陽が肌に当たっている感覚がほとんどなく、寒いと、まず疲れやすくなるし、無気力になるし、最悪、鬱状態になっていきます。

こんなことを「昔は日曜日だって働くのが当然だったんだよ。いまの人たちは土曜日まで休みなのに疲れたなんて言うんだねぇ。ほんとにいい時代になったねぇ」なんて言っている、冷蔵庫も洗濯機も贅沢品だった時代にずうーっとがんばってきた祖母には、とても恥ずかしくて言えないのですけれどね(苦笑)。

でも贅沢な時代に生まれたわたしとしては、やっぱり自分の身体の変調に気づかずにはいられないのです。

留学1年目はロンドンにいた友人と「欧州の冬病」なんて名付けていました。

あのころ、イギリスもフランスも、学生身分の1年の滞在許可を更新するのすらとても厳しかったし、学生から働けるように身分変更するのはほぼ不可能でした。アルバイトすら制限があって、経済的にとても厳しくて、言葉もいつまでも上達しなくて(いま振り返ると、1年で語学が出来るようになるわけがないのだけれど)、寒くて電気代はかさむ。

精神的にどん底になりながら、1限目の授業をさぼると、そのままずるずるとまる1日さぼって、部屋で寝ていたりする。そんな日を数日重ねて、ある日突然、罪悪感にまみれて授業に出る。出ないと滞在許可が更新できないから、そこは縛られているわけです。

「こういう日々はいつかは終るんだよ」とメールが来て、「ああこのまま永遠にこれが続くのかと思っていた」とふっと楽になったりして。

でも1年目の冬が終わって、春が来て、6月の半ばに学校が終ると速攻で日本に帰って友人達の顔を見たとき、


   「ずっとパリにいたからいけなかったんだ」


と気づきました。それからは太陽が恋しくなると、日本に帰るか、スペイン、ポルトガルなどの暖かいところに行くか。こればっかりはどんなにお金がないときでも無理やりでも実行するようになりました。

イタリアはホテルが高いんですね。それに比べて、スペイン、ポルトガルはまだホテルも安く、物価もエアチケットも安い。長距離バスでぐるぐるまわっても楽しい。それにピカソやダリやなんといってガウディがある。気狂いアーティストたちの強烈なパワー。フランスよりも魚介類を使ったお料理がおいしいしねっ!(^-^)

それにポルトガルは空気が湿っているのです。ちょっとした山道を歩くと、まるで小学校のときの遠足のような自然が待っている。平地続きのパリ周辺には見られない「わたしにとって自然だと感じられる」景色。ポルトガル人がマカオ辺りに移り住めたのは、きっとヨーロッパのなかでももともと湿った空気のところに暮らしていたからではないかなと思いました。

(以前、夏に日本に来たロシア人の女性が「日本の皆さんはとても親切だったので申し訳ないんだけれど、わたしはもう2度と日本には来ません」と言っていました。ロシアも夏はすごく暑いのですが、高温多湿の気候には適応できなかったようでした)

リスボンから臨める海も、ユーラシア大陸最西端(きっと以前は「世界の最西端」と言っていたに違いない(笑))の崖の下に広がる海も、ここから遠くへ行きたいという気持ちを自然と湧き起こさせるのです。日本で海を見ても、バルセロナやアメリカのサンディエゴの海を見てもそんなことは1度も思ったことがないのに。大航海時代って、始まるべくして始まったんだなぁとポルトガルのその地を踏んではじめて、感じられました。


ずいぶんはなしはそれてしまいましたが、どうしても時間のとれないときは国内で1泊でも、日帰りでも、いいのです。とにかく場所を変え、空気を変え、気分を変えることが肝心。そして秋から冬にかけて、お友だちがちょっとへんな言動をし始めても「欧州の冬病かな〜?」と思って気にしないことが肝心です(笑)。あんまり人の行動が気にかかるようなら、自分も冬病でないか疑ってみる。

そして用はなくても、お正月を家族揃って過ごすことに特に意義は感じなくても、それでもとにかく帰る、と(笑)。ふところに余裕があれば、日本でなくとも、タイとかマレーシアとかバリとか、あるいはモーリシャス島なんて行くのもいいかもしれません。特に日本の南国出身のかたは欧州に長期滞在するときは気をつけてくださいね。早め早めの対応が大切です。

北海道あたりで見られるという「冬季(冬期?)鬱病」とおそらく同じものだと思います。

さてさて、日記をお休みしているあいだに、だいぶネタも溜まってきたので、明日から1つづつ展開していくことにしましょうか。




P.S. 動きたくないよー、でも一日中うだうだしていて自己嫌悪にも陥りたくないよーというときは、お香よりもローズマリーと柑橘系のエッセンシャル・オイルをポットでたくほうが(あたりまえですが)効果があります。以前はレモンとオレンジをブレンドして使っていましたが、最近はグレープフルーツを愛用中。ミントの香りが嫌いでない人は、ミントもいいかもしれません。

あと効き目があるのは辛いものを食べて、自分に刺激を与えること、かな。



2001年11月29日(木) 1人の友人の死

以下は、わたしがわたし自身を癒すために書いた長い回想録です。

わたしの行動が直接結果を招いたとは言えないし、がんばれば彼を救えたかもしれないと思えるほど、単純なことではなかったのはわかっています。それでもやはり、わたしはこう感じずにはいられないのです。

彼は高校時代の同級生でした。

わたしたちが通っていたのは本当の意味で自由な学校。遅刻もさぼりもしたい放題。掃除も強制されることがない。お隣りのクラスはいつまでたっても誰もごみを捨てに行かないので、ごみ箱の側の席の子が匂いに堪えかねて、ごみ箱を廊下に出したくらい(苦笑)、教室では土足で、床にタオルを落としたら最後、そのタオルは洗う気にもなれないくらい、文化祭で校長先生が「みなさ〜ん、掃除をしましょ〜う」と歌うくらい(笑)。長期休業中に宿題を課すのは「伝統により」禁止されていたくらい、だれにもなにも強制されないそんな学校でした。

そんななかで彼は1度も遅刻することなく、もちろん名前を呼ばれる瞬間に教室に駆け込むなんてこともなく、さぼることもなく、日々の宿題や予習もきちんとしていて、だれがどう見ても、どこからどう見てもいい人でした。

逆に、世の中には悪意のある人もいるのだということを知らなそうに見えて、少し不安を誘うくらい。頼まれれば、なんでもしてくれそうな雰囲気があったし、女の子と話すときにもへんに意識したりしないし、人を外見で判断するようなところはかけらも見られない人でした。

彼のお母さんが亡くなったのは、たしか高校2年のときでした。

しばらく学校に来なくなりましたが、だれもなにもいいませんでした。みんな心配はしていたのです。でも、母を亡くすという体験は、想像して思いやることはできても、そうそう共有できるものではありません。彼が持つ幾億もの思い出の1つとして知りはしないのです。母子関係は1人1人まったく違うもの。わからない痛みをわかったふりをする人は、あまりいないクラスでした。

しばらく出てこなかったからといって、内申書のような部分で問題になるような学校ではなかったし、それにいままでクラスでただ1人といっていいくらい真面目な学校生活を送ってきていたのです。これを機会に少しくらいお休みするのはいいことだろうと先生ですら思っていたようなところがありました。

ある日、ひさしぶりに出てきた彼は、以前とはまったく違う厳しい、蒼白な顔をしていました。まるで何日か屋外で寝泊まりしてきた人のような空気を身にまとっていました。

目が、なにかを怖がっているかのように定まらなくて。

しばらくしてクラス中の空気が変わりはじめました。彼は満足の行く答えを返してくれそうな人のところへ、つぎつぎに話しを持ちかけたので、当然割合しっかりした子たちが相手になり、そして彼らのほうが動揺しはじめたのです。

彼は学校に来なかったあいだに、新興宗教や生き方セミナー系の本にはまっていたのでした。わたしはその手の本は中学のときに一通り読んでしまってもう卒業してしまっていました。

一通り読んだというのはすべて読んだという意味ではなくて、読んでいると身体的に吐き気がしてくる本は読む必要のない本として避けるようになったり、複数の本を読むうちに、1冊の本に書いてあることでも、この部分は正しいけれども、こっちの部分は間違っているというように、自分の感覚に照らして読むようになったので、書いてあることを真に受けなくなったということです。そしてあるときから、結局、世界のすべてを知ることよりも、日々の生活をいやな気持ちを抱いたり抱かれたりしないでやっていくことのほうがずっと難しくて意義があると思うようになっていたのです。

彼とはなしをしたいという思いは持ちつつ、そのようなことをようやっと知りはじめたばかりで動揺している人と話すことには抵抗があり、またいたずらにへんな刺激を与えたら取り返しのつかないことになるという恐れもあって、自分から彼に近づくことはしませんでした。

ところがある日、ほかの子から、彼がわたしと話をしたがっていると聞かされました。その後、休み時間に「ソ連に行ったことがあるんでしょう?」とそれだけ彼本人から確認され、「話しが聞きたい」と言われました。

わたしは13のときにはじめてバレエを習いに2週間ほど、ソ連に行って、その後はほとんど毎年のように行っていました。

1人、ちょっとおせっかいぎみの子が彼のことを心配してか、「わたしもついていく」と言いだし、はなしを聞いたほかの子も「俺も」と言いだし、結局放課後、6人でケーキ屋さんの2階でお茶をしました。

彼はわたしから、ノストラダムス本などで知ったソ連についての知識を確認したかったようです。彼の質問には答えたのだけれど、わたしは常に1歩退いていた記憶があります。彼がほんとうはなにを求めているのか、わたしが答えるのではなく、彼の話をもっと深く聞く必要があると、わかっているのに、それが恐くてできない。

当時のわたしはバレエのことだけで頭がいっぱいでした。プロになりたいと思ったし、がんばればなれるかもしれないとも思っていた。それが高校受験で半年休んだことで台なしになってまったく踊れなくなってしまった。ちょうど、体形が大きく変わるころに休んだのが悲劇でした。わたしの高校3年間は、どうにかして休むまえと同じように踊れるようになろうというあがきだけで終ってしまったようなものでした。

もっとあとになって、大学に行かないなら、バレエのお金は出さないと母に言われた時点で、また大学受験のために休むとなると、「踊り続けることは許されたけれど、自分の夢がかなうことは永遠になくなった」とわかったのですが。。。

わたしに話しがしたいと言ってくれた彼と、深い話しをできるのはクラスのなかでわたしだけかもしれないと、こころのどこかで思っていました。彼以上に「その手のこと」について読んで、もう卒業したのはどうやらわたしだけのようだったからです。

でも、彼とはなしをしはじめたら、かなり長い期間、長い時間、真剣に彼とつきあわなければならなくなるのはわかっていました。はじめたら最後、途中で投げ出すわけにはいかない。

とにかく毎日、一日中踊っていたかった、病気になって手や脚を失うことになって踊れなくなったら、死んだほうがましだと本当に真剣にそう思っていたわたしにとっては、高校3年間のうちにどうしても以前のバレエの腕に戻したかった。そんなときに精神的に非常に不安定になっている彼に関わっているのは恐かったのです。

何時間かほとんど彼とわたしだけが話しを続けました。けれどそれ以降、彼はもう2度とわたしに話をしたいとは言ってきませんでした。しばらく学校に出てきていたかと思うと、また休むような日々を繰り返して、そのあいだ、彼の目はますます不安定になっていくようでした。

1人のこころの温かい男の子が、彼が学校に出てきはじめてから、結局浪人することを決めて卒業したあとも、ずっとつきあってあげていました。彼自身はもちろん、在学中から精神科にも通い、なんらかの病名を伝えられていました。わたしの目には病気というよりもこころの壊れてしまった人と映っていました。

その後、大学時代もずっと人づてに彼の消息を聞き、友人達の誰かが彼とあったり、連絡をとったりすると、わたしに教えてくれていました。6人でのお茶に、彼よりもどちらかというとわたしのことを心配してついてきた友人が、1度、まだ彼のことを気にかけていたのか?と驚いていました。わたしのほうから積極的に彼のために動いたことは1度もなかったのですから、そう思われるのも無理はありません。

そしていつまで経っても「だいぶ落ち着いてきた」と言われるところを見ると、つまりよくなってはいないのだと感じられました。

おととい、その驚いていた友人からメールが来ました。同窓会名簿が届いたとのこと、そして逝去した人のなかに彼の名前が入っていたことを知らされました。

彼はきっとわたしのことを友人だとは思っていなかったでしょう。わたしがあのとき、もっと強くて、もっとうまく話しをできたらとずっと思い続けていたことを、知るよしもないでしょう。でも、わたしは自分の弱さを放っておくとどういうことが起こり得るのか、それをずっと教え続けてくれた人として、彼のことを友人として記憶に留めると思います。いつまでも。



P.S. いまのあなたの眠りは安らかでありますように。



2001年11月19日(月) ひとやすみ

ん〜、ごめんなさい。

書きたいことはたくさんあるのですが、実生活でちょっと用事が溜まっていて、日記の更新をさぼっています。

かわりに。。。(苦笑)

手作り石けんと買ってみて石けんの写真と使用感をちょっと up しました。

いっや〜、蛇油石けんはすっごいです!



2001年11月17日(土) 1つの木の椅子が持つ美しさ

しばらくまえに通販で買ったアボガドオイルとマカダミアナッツオイルがようやっと届いていました。

今日、ようやっと蓋を開けて、綿棒で油を吸い取って、肌に塗ってみました。

アボガドオイルのほうは、重いつけごこち。それにくらべるとマカダミアナッツオイルは軽く伸びて、そしてすぐに肌の奥へと浸透していきました。アボガドオイルのほうは、リッチな感覚。それでも肌の奥までは届かなくて、表面を強力にしっとりさせる感じ。パンプキンシードオイルで作った石けんの洗い上がりに似ていて、きっと乾燥肌の人にはとてもよいのでしょう。

アボガドオイルがもうちょっと早く届いていたら、クリスマス手作り石けん交換会に出すための冬用しっとり石けんを作ったのにな。

わたしが作る石けんはオイルを10%前後多めに配合するので、どちらのオイルを使っても、もともとのオイルの性質が生きた石けんになるでしょう。とっても楽しみです。


     *          *          *


茂吉さんのつれづれ日記の 15日 16日 で北海道のカントリースタイルマガジンなるものが紹介されています。

   なまえは「East Side」

雑誌のサイトへのリンクがはられていたので、早速見てみたら...


  まあ〜、わたしはいままでなんて空気の汚い場所に住んでいたんでしょう


と思いました。澄んでいて、身体が引き締まるようなちょっと恐いくらい透明な空気。

そして文具フェティッシュで、しかも母の家具フェティッシュの血まで受け継いだわたしはさっそく、茂吉さんが紹介している木工作家の勝水喜一さんの記事へ。


   美しいんだこれが、また


素材となった樹とそのまわりにあった生命たちとの関わりあいの豊かさ、椅子に仕立て上げた人のこころの豊かさがあふれて流れてくるような美しさ。

写真に見惚れながら、この椅子がうちに来たら、どんなにか素敵だろうと想像して、そしてとたんにふっと苦笑してしまいました。


  わたしはこの椅子が似合うくらい、こころの豊かな人間だろうか

  わたしの生活はこの椅子が似合うくらいのやさしさをもったものだろうか

  いまのこの部屋は。。。


ずいぶん久しぶりに、美しい人になりたいと思いました。将来、この椅子が似合う人になれるように。うちに来た樹が椅子になったことを喜ぶような豊かな部屋を用意してあげられるように。


  まずはいま、わたしの家にいる家具たちに感謝しなくては、だなぁ。



2001年11月16日(金) ほんとうの日本国憲法

うわ〜、ショックー。

本当は石けん洗濯レポート (part 2) を書くつもりでいたんですけどねぇ〜。

これはちょっとショック大きすぎ。

池田夏樹氏のコラムで、メールマガジンとして配信されたものをプリントアウトして読みました。一目見て、真剣に読む必要があるものだとわかったから。

以下、英語のほうだけ転載します。

池田氏の訳のほうは著作権の問題があると思うので、サイトのほうで読んでください。(転送は自由とは書いてあるけれど、転載も自由とは書いていないのです)

それにしても、これだけの憲法を持っていたなんて....日本人であることをかなり真剣に誇りに思いはじめました、わたし。


     *          *          *


「私訳・日本国憲法前文」──

 2 英語原典

We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.

We, the Japanese people, desire peace for all time and deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live in the peace, free from fear and want.

We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.

We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.

        (池澤夏樹 2001−11−16)



2001年11月15日(木) フランス流びんぼう生活


SABBY さんの Handmade Cosmetics の11月の特集で冬用の化粧水としてローズ・ウォーターがお勧めとなっていました。しっとりさせたいときにはアロエ・ベラ・ジェルを加えるのもよいとのこと。ほかにもお勧めになっていたものはあるのですが、そういえばたおさんのところの掲示板でも以前 KIYOMI さんがローズとアロエを勧めてくれていたっけと、さっそく作ってみました。

わたしが使っているのはローズのエッセンシャル・オイルを軟水のミネラルウォーター 100ml に1滴だけ垂らしてよく振ったもの。これがだいたい8分目まで減っていたところに小さじ2分のアロエ・ベラ・ジュースを加えました。

アロエ・ベラは 0.3%とはいえ保存料が入っていたので、はじめはあまり気乗りがしなかったのですが、使ってみたらこれがすごい!!肌がぐいぐいとコットンの水分を吸い込んでいく感じ。そしてつけた直後から肌がふわふわに柔らかくなっているのです。

まだ化粧水のなかにはグリセリンを入れていないし、クリームもつけていないので、そのままではちょっと肌は乾燥ぎみなんですが、わたしにはこれくらいでベスト。持ち主に似て怠け者の肌なので、潤いは足りないくらいにしておけば、明日の朝にはばっちり絶好調になっています。潤いをたっぷり与えてしまうと、自力で潤わなくなってしまうので、できるだけ厳しくする必要があるのです。(苦笑)

ただ、アロエ・ベラにも香りがあるので、ローズの香りはだいぶ薄くなってしまいました。この化粧水を作るのに使ったのは本当にほんとうにお気に入りのローズのオイル。いま手元にあるのは別メーカーのものでずっと安かったけれど、いまいちです。しばらくはこのままで、そのうちお気に入りのほうを買いに行ったら、もう1滴足そうかな。


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14日の日記を書いた時点で Amazon.fr に注文していたハーブの本は結局キャンセルしてしまいました。よく考えてみたら、この季節に野山散策はちょっと厳しい(苦笑)。 それならいま買う必要はないかな、と。

日本にいたころは、ほしいものがたくさんあったんですけどね〜。いや、いまでもたくさんあるんだけど(苦笑)。 日本にいたときは、ほしいものを買えるだけのお金を稼ごうと思っていたのです。でもこちらに来てから、いま買おうとしているものは本当に自分にとってどうしても必要なものなのか、なくても生きていけるんじゃないか? そう問いかけることが多くなりました。

はじめは単純にお金がなかったからでした。貯金の金額はたいしたものではなかったし、わたしがパリに来たころは1年目の留学生はアルバイト禁止。2年目以降も学生には週19時間以内という制限つき。でもそんな制限がなかったとしても学校の課題が多く、また語学力も充分ではなかったので、映像製作の学校に通っているのに、映画を見る時間すらないくらい(苦笑)。 とてもとてもアルバイトどころではありませんでした。

それに、フランス人の学生達のあいだではそれほどアルバイトをすることは一般的ではありませんでした。はじめてもすぐに止めたり、夏の間だけだったり。日本のように徹夜でがんがん働いてお金を儲けている学生はついぞ見かけませんでした。

そしてみんながいかにお金をかけずに暮らすか考えているので、自分が日本にいたころほどお金を持っていないことに特に抵抗を感じなかったのです。3年間学校に通って、みんなで夜にレストランに行ったのはたった1度きり(笑)。 あとはいつも誰かの家でパーティでした。

いまは滞在身分を学生から、フリーランスで仕事ができる身分に変えました。それでも周りを見回すと。。。。フランスの中流の人の所得、つまり経済的に非常に困窮している人を除いたうえでの収入の平均は月に 12,000 フラン程度と言われているそうです。いまは1フランが 16 円くらいですから、月に20万いくかどうか、くらい。2人で働いてようやっと 40 万。この金額が税金込みか、抜きか忘れてしまったのですが、どちらにしろ日本の平均よりはかなり低いですよね。

しかもフランスは年功序列ではないので、月に20万の人は 40歳になっても、50歳になってもやっぱり 20万なわけです。そしてボーナスの制度も一般的ではありません。企業の幹部は契約時に交渉すればもらえますが、一般の人は企業が良心的であれば 13th month と(英語に直訳するなら)いう制度で年末に1カ月分余計にもらえるだけ。これとてない企業も多々あるそうです。

これが中流のレベルです。パリの家賃レベルは、エレベータ・浴槽・安全があるところにこだわると東京と同じくらい。勢い、みんないかにお金を使わずに生活を愉しむか、を考えるわけです。

日本で大学生をしていたころ、春休みに1カ月ほど語学留学のためにホームスティをしました。とても大きなおうち(アパルトマンであって一戸建てではありません)で、毎朝銀のティーポットで紅茶を入れてもらえました。でもしばらくして気がついたのですが、優雅でやさしいマダムは3枚のシャツ、2枚のカーディガン、2枚のスカートだけを毎日着回していました。

ところがお嬢さんの結婚式の写真では大きな帽子と共布のオートクチュールのスーツ。ムッシューは高いシルクハットと縦じまのスラックス。親戚一同がそんな格好で、半円になって立っているそのはるか後ろには白亜の。。。。(笑)

建築家だったマダムのご先祖が建てたもので、親戚一同で使っているのだとか。「田舎の家」と言われたので、つたないフランス語で「これはお城というのではありませんか?」と言ったら、笑って部屋数を教えてくれました。忘れちゃった、34くらいあったのかな。白い馬が2頭いるそうですが、最後まで「お城」とは肯定されませんでした。(笑)

その広大な土地もお城のような建物も、お金を使って手に入れたものではないとはいえ、普段の生活の質素さと、結婚式での華やかさのコントラストはとても鮮やかでした。

うわ〜、かわいい、ま〜、きれいな色、わ〜、ほしいと思っても、本当に必要かどうか自分に訊く。なくても生きていけると思ったら、ものを増やさない。ただし、ここぞというときには惜しまず使う。はじめのうちは慣れなくてストレスをたくさん溜めてしまいましたが、いまはすっかりそんな暮らしかたに慣れてしまいました。


     *          *          *


でもね〜、日本に帰ると買いたくなるのよ。(苦笑)
みんなちゃんと流行の格好をしてるから、あまりにもそれからずれた格好をするのは気恥ずかしいし、みんながんがんレストランに行ったり、飲みに行ったりするしね。

というわけで、日本にいるときは「これはフランだといくら」、フランスにいるときは「これは円だといくら」とは考えないようにするわけです。(笑)



きゃ〜、ウッズよぉ〜。 まじめな顔してるわ〜。 優勝なんてしなくたって、わたしは愛してるわ〜。

ううっ。 試合は日本らしい。 帰りたい。。。   



2001年11月14日(水) 美しさを堪能させてくれた野ばらさんたちに感謝!

さぁ〜て、その後 Amazon.fr からもクリスマスギフト用に送料無料のお知らせ。

買っちまいましたよ。(笑)

リバッチ本と言われる、Marie Browning の "Natural Soapmaking"。
これでちょっと本格ソープメイカーの仲間入りかしらん?

ふつう石けんを作るには強アルカリの薬品を使うので、ラベンダーやら薔薇やら、たいていのお花の色は茶色く変色してしまうのです。

だけど、今年せっかくきれいに咲いてくれたうちのプランターの野ばらさんたちを色美しく石けんに入れ込んであげたい。バラは肌のキメを整えたり pH のバランスを整えたりするのに良いのだそうです。無農薬・無肥料で育てて4年目だから、もうそろそろうちに来るまえに浴びた農薬の影響もなくなっただろうし。

白またはごく薄い桜色のなかに、濃いピンクの花びらが散る石けん。きゃっ。かわいい。(笑) 似合わないとか言わないようにね! > 誰かさん

で、色を生かすためには、1度石けんを作って、それを細かくして水かお湯で溶かしたあと、花びらや香料やミルクなどの肌によいものを入れ込んで水分を飛ばすわけです。強アルカリは一度石けんになってしまえば、花の色を変えるほどの激しい化学変化は起こさない(らしい)。

ただ、作る過程で1度は必要以上に水分を加えることもあって、石けん生地はなめらかに美しく、というわけにはいかないようですけどね。


   みるくろーず石けん。 きゃっ。


1冊だけ頼むのもな〜ということで、野山散策のときにハーブや果物を見分けて、おいしく食べましょう、または楽しく使いましょうという本も注文。

フランス人は野山を歩いているときにその土地の所有権はだれだから、このハーブも。。。なんてことは考えません。断言しよう! 少なくとも、98%のフランス人は絶対考えない。(笑) 有名女優も万引きで捕まる国。

問題は。。。日本に帰るまえに読まなければいけない技術書(しかも英語!)がたんまり溜まっているというのに、いつ読むんだ〜、わたし。(;_;)

仕事からも寄付からも、逃げないようにしよう! Do my own best!



2001年11月13日(火) わたしにできること

TOP ページに日・パ旅行社が行う難民支援のための基金についてのリンクをはりました。

現地でのことは、在パキスタン18年の人がとりまとめるので、ほんとうに難民のためになること、逆にしてはならないことなどに目配りのきいた支援になるのではないかと思います。

ナーンが焼き上がるのを待つあいだ、識字教室を開催するというのもいいなぁと思いました。

400円あれば小麦粉一袋(20kg)が買え、80人分のナーンを焼くことができる、とのこと。

また、サイトの緊急レポートのほうに

> アフガン難民を単に可哀想と思うだけではなく、「出来る者が、自分
> の出来る範囲で、出来ることをする」というスタンスを大切にしたい
> と思う。それは翻って自分自身のためだと考える。
> 肉体労働、寄付、いずれのボランティアも自己満足のたまものに過ぎ
> ない。しかも、難民のためにするのではなく、僅かであれ、自分の心
> の安定のためにする、と割り切って参加して欲しいものだ。心の豊か
> さは出した金額やボランティアによるのではなく、誰かのために何か
> をしたという行為に対して、自分が得られるものではないだろうか…
> …。
> そして難民達は感謝を私達へではなく、この善意を届けてくれた全能
> の神、アッラーに感謝するだろう。

と、ありました。こういうのがイスラーム的精神なのかな。

以前、「「千夜一夜物語」を読んだよ〜」とイスラム教徒の友人に言ったら、「あれはイスラムの精神じゃない、フランス人が曲げて書いたものだ」って言われちゃいました。(苦笑)

フランスからパキスタンへの送金はいまのところ禁止なので、わたしは日本に帰ってから、ここと、ペシャワール会に寄付をして、それを自分へのクリスマスプレゼントとして自己満足しようと思います。

難民を「救う」ではなく、「支える」なのがいいな。



2001年11月12日(月) 穏やかな人たち

11月07日の日記でご紹介した Sympathy の南極探索船しらせの環境対策の記事、やっぱりなかなかおもしろかったです。

周辺の海域を汚すわけにはいかないから、国際協定によってゴミの投棄が禁止されていて、船内に微生物さんたちのの助けを借りてゴミや排泄物を分解する設備を持っているそうです。

日本で水や食料を積んだあと、南極にたどり着くまで1度しか港で補給作業をしないのだそうです。乗組員は240名ほど。そんな人数分、行き帰り2度だけの補給作業で151日分を賄うので、けちけち生活の日々だとか。

その人数で1年の半分近くの期間というとすごい量の食料&ゴミですよね。ミミズを使ったコンポストはうまくいかないことが多いようですが、微生物さんたちに分解してもらう方法、一般家庭でも応用できるようになるといいのに。


それから山形県天童市の滝の湯ホテルさんでは3年前から厨房で出る廃油を原料とした粉末石けんで食器洗浄や清掃をしているとのこと。大量のシーツ&タオル類もクリーニング業者と協力して合成洗剤ではないもの(複合洗剤かな?)に変えたのだとか。

お料理も化学調味料は使わず、砂糖さえできるだけ使わないようにしているのだそう。そしてお野菜は社長さんが10年前からはじめた無農薬・有機栽培の農園で採れたものが使われ、生ゴミはリサイクル業者に委託して有機肥料や飼料にされているとのこと。

たくさんの従業員さんがいるので、ゆっくりとわかってもらえるように説明しながら、そして従業員さんたちも1人1人が必要だと感じたら、自然とそれが振る舞いに出るように...

って、なんだか格好よすぎるな〜(笑)。でも、写真に写っている社長さんのお顔が穏やかで、なんだか納得してしまいます。


そういえば、以前友人が来て、クレイだのハーブだのの買い物につきあったとき、彼女が、


    「みんな穏やかな顔してて、肌がきれい〜」


と言っていました。世界で一番肌のキメが細かいのが中国人女性で次が日本人女性だとか。白人の女性達は若いころは肌がきれいでも年配になってもきれいな人は少ないのです。

ところが、自然食品店や、ハーブ屋さんで働いている女性達はほとんど素肌なのに肌に透明感があってキメも細かい。フランス人の一般の女性が割合ヒステリックなのに対して、とても穏やかでもありました。

わたしのほうは...

お店のなかがいい匂いなのは、掃除に塩素系の洗剤を使っていないからか、それともお野菜たちが元気だからか?と自問していて、そんなところには目がゆきませんでした。 ははっ。(笑)


     *          *          *


「真珠の耳飾りの少女」という本があります。17世紀のオランダの画家フェルメールの家で働いた女の子が主人公なんですが、女主人のいいつけで、しょっちゅう Apothecary にお使いに出されます。

わたしの辞書では薬種商という訳が与えられているのですが、要はハーブ屋さんでした。子供たちの体調が悪いとハーブを買いに、耳にピアスの穴を開けるため、皮膚をマヒさせるものと相談に行けばクローブの精油を出される。

彼女はそれをピアスのためと説明しなかったので、あとで粘膜に刺激のあるクローブ精油のせいで炎症を起こします。そして、Apothecary では画材も売っていて、ラピスラズリを乳鉢で粉末にして青い色を出したりしていました。17世紀にはきっとハーブ屋さん=薬屋さん=画材屋さんだったのでしょう。

掲示板で炭は画材にもなると知って、画家からきれいな色を出す方法を教わっていた女の子のお話を思い出しました。

わたしはたまたま英語で読んだあと、友人の知人が訳をしたということで日本語の本と英語の本を交換したのですが、ラピスラズリもクローブも、そのほかのハーブもわたしには日本語のほうがピンと来ないのでした。(苦笑)

でも、クローブのオイルは当時、遠いところから運ばれてきたので高価だったこと、そして当時から生活のなかで使われてきたことを知って、ちょっと嬉しくなりました。

画家の生涯、技法についてもかなり詳しくリサーチしたうえで書かれていて、興味深い1冊。そういえば、描かれているフェルメールもその絵と同様、穏やかな人でした。



2001年11月11日(日) 石けん洗濯レポート (part 1)

さてさて、はじめての石けん洗濯 with 硬水の検証レポートです。

洗い上がったシーツで寝てみました。シーツというより本来はマットの上にかける汚れ防止シートとシーツの間に敷く薄いタオル地です。肌触りがいいので、わたしはシーツ代わりに使っています。


前提条件。。。

石けんカスの量が少しでも減るようにいつもより高温の 60℃で洗いました。
普段、複合石けんで洗うときは 40℃なので、以下で石けんで洗濯した場合と比較する基準にしていますが、条件は違っています。複合石けんの成分は


  5%以下の Phosphonates。いきなりの ????
  Phosphore が燐なので、たぶんそれっぽいものなのでしょう
  (いままでこの単語を知らなかったから気にしてなかったけど、
    りんって環境や身体に悪いんじゃなかったっけ?)


  5〜15%の tensio-actif anionique と non-ionique
  界面活性剤の陰イオン系のものと、非イオン系のもの

  15〜30%の savon 石けん

  同様に enzymes 酵素


ぜんぜん100%にならないけれど、残りは水かな?

石けんのほうは以前書きましたが、オリーブ油4、ココナツ油1、パーム油1の配合で、鹸化率 90%のものを使いました。

そして、洗い終ったらすぐに干しました。そうしないと匂いがつくことが多いそうです。いままでは洗濯時間が長く、温水のため、電気代がかかるので、いつも洗濯は電気代が安くなる 23時以降にして、朝干していました。洗濯機のあるバスルームが非常階段の横なので、お隣さんの迷惑になることはないからです。

引っ越してきたばかりのころ、上下階から苦情が来るまで続けよう(苦笑)と思ったのですが、結局来なかった。部屋にいるときは、上下階が静かだと思っていても、バスルームに入ると水音と歌声が聞こえたりする(笑)ので、たぶん、わたしの洗濯の音もそれほど迷惑にはなっていないのでしょう。


肌触りは。。。

石けん洗濯での洗い上がりは、複合石けんを適(当な)量入れて洗ったときとあまり変わらない柔らかさ。Tシャツ類は複合石けんよりちょっと固いかな。複合石けんは入れ過ぎるとすぐに洗濯物が固くなるので、いつもごく少量を使っていました。

シーツもTシャツも、粉っぽいとか白くなるとか、石けんの溶け残りがあったようにも、石けんカスがついているようにも見えませんでした。

この点は、とりあえず初めてにしては合格かなっ?(基本的に自分に甘い)


香りは。。。

ただ、残念だったのは、香りが全く残らなかったこと。香りなしの手作り石けんの香りがしました。つまりほのかな油の香り(苦笑)。不快な香りではないし、鼻を押しつけてかなりしつこく嗅がないかぎり匂わないんですけどね。それでも Lavender & Rosemary の爽やかな香りの洗い上がりを期待して Lavender Shampoo 大量に 使ったので、ちょっとしょんぼり。(;_;)

いつも部分洗いに使うときは香りが残るんですよ。だから考えられる理由は2つ。


 *石けんの量が少なかった。
(部分洗いのときは石けんをこすりつけて洗って、軽くすすいだだけで洗濯機に入れていました。)

 *温度が高すぎて香りが揮発した。


エッセンシャル・オイルが高温では揮発しやすいことを考えると、理由はこれかも。


香りを残すには。。。

ということで、香りが残ることを期待するとき、考えられる方法は2つ。


 *洗濯の終りに香りをつけた酸性のすすぎをすること。
 でも、これって染めてある布は傷まないのかしら? ちょっと心配。

 *温度設定を 40℃にすること。
 これを実行するには温度を上げる以外で石けんカスを減らす方法を見つけなきゃ。


よりよい洗い上がりを求めて。。。

それから洗い上がりの件、はじめての石けん洗濯としては合格だけれど、タオルがふわふわ〜っていうのとはちょっと違う(笑)。これならOK出してもいいよっていう妥協できる線でしかありません。

そこで、もうちょっと調べてみると...


(後日へ続く...)



2001年11月10日(土) 手作り石けんとパンとお蕎麦

一昨日くらいからまたぐぐっと寒くなりました。そこで風邪をひかないように、毎日エキナセアのティンクチャーをティスプーンに1杯程度飲んでから寝ています。たいていはお茶に混ぜて。

エキナセアについてはもう以前書いたかもしれない。もともとアメリカの原住民が使っていたハーブで免疫機能を高めるので、この時期には毎日1杯飲んだり、風邪のひきはじめに1日3回くらい飲むのがお勧め。ティンクチャーというのはハーブをアルコールに浸け込んだもので、ハーブティよりも成分がよく抽出されるのだそうです。

それから寒くなって手が乾燥してきたので、手を洗うために使っていた石けんを変えました。第3作目のオリーブ油100%のもの。泡立ちは悪いのですが、肌にはやさしいもの。しかも、肌の表面だけでなく、奥のほうを潤わせてくれます。


     *          *          *


今日は友人から電話があって、国際電話だというのに長電話してしまいました。インターネットフォンだから、それほどの額にはなっていないはずだけれど。音はとてもいいです。ふつうの国際電話とまったく変わらない。

わたしの作った石けんをお褒めにあずかりました。嬉しい。ほほっ(笑)。

でもねえ、それは世の中にはもっといい石けんがあるってことを知らないからだよ〜。わたしの作る石けんはたいてい洗い上がりは好評です。7難隠すラッピングをしているので、受け取った人たちはたいてい使うまえから「売れるよ!」と言ってくれるのですが、実際に売られている手作り石けんはそんなレベルじゃないんですね〜。もう見た目からして違う。たおさんのといい、BOROBUDUR といい。

パリではまだまだ手作り石けんを売っている人は少ないので、ビジネスとしてみれば有望かもしれないけど、世の中で売ってる手作り石けんのレベルにはぜんぜん達していないから、作った石けんを売るなんてまだできませ〜ん。売るなら、本当にほんとうにいいものが作れる自信ができてからにしたいし、まだクリスマス手作り石けん交換会に参加するのも躊躇われるほどの腕前。

そんなわけで、今日はまた、たおさんの石けんを買ってしまいました(笑)。

最近、手作り石けんのことをあまり知らないかたたちにも来ていただいてるので、ちょっと解説しましょう。


 ここから -------------- 手作り石けん経験者はとばしてくださいね〜

石けんは油脂とアルカリを反応させて作ります。手作り石けんの場合は1対1で反応する量より油脂を5〜15%多く入れていることが多いのです。だから洗った後、皮脂が取られすぎることがない。それから油とアルカリが反応するときにグリセリンができるのですが、市販の石けんはこれを取り除くか、一度除いたあとで、ほんの1%くらい加えて、グリセリンソープとしたりします。それは溶け崩れの原因になるから、なんですが、手作り石けんでは残しておきます。空気中から水分を引き寄せる働きをするので、肌を潤わせるからです。

油脂のほうは基本的には

  オリーブ油:
   グリセリン、スクワランを多く含み、溶け崩れやすく、あまり
   泡立たないけれども肌にはとてもやさしい石けんになります

  ココナツ油:
   泡立ちを良くしますが、入れ過ぎると肌を乾燥させます

  パーム油:
   石けんを固くして、泡をきめ細かく、泡持ちをよくします

洗浄力は泡立ちとはあまり関係なく、高温ではパーム油が、低温や硬水ではオリーブ油が洗浄力の点では有利です。こういった特徴はそれぞれの油に含まれている脂肪酸の組成によって決まります。

あと、作って型に入れてから使えるようになるまで熟成期間がほぼ1カ月かかるのですが、さらに2、3カ月熟成させるとより肌あたりよく、溶け崩れも少なく使いやすくなります。

 ここまで -------------- 手作り石けん経験者はとばしてくださいね〜


で、わたしの作る石けんはオリーブ油を多めに配合しているので、洗い上がりはよいわけです。あと、使いやすくするにはココナツ油とパーム油の配合比率を工夫したり、はちみつや、ココナツミルクや卵など、肌や髪によいとされるものを配合すればいい。

でもねぇ、たおさんの石けんは肌に優しくて、泡立ちが良くて、固いだけじゃないんですね〜。泡が立ったときに、なんだかふわっと癒されるような不思議な感覚があります。レシピを工夫しただけではないなにか。もしかしたらほかの市販の石けんもそうなのかもしれませんが、わたしは(まだ BOROBUDUR も使っていないので)いまのところたおさんの石けんでしか、そういう思いを味わったことがありません。

はじめてたおさんの石けんを買ってから、いままで自分が作ってきた石けんについて、多いに考えさせられました。6月に石けん作りを始めてから、ばたばたとたくさんの石けんを作ってきたのですが、今後は作る回数を減らして、そのかわり1つ1つを丁寧に作っていきたいなと思うようになりました。


   癒されるような優しい泡。


ロシア人はおいしいパンを作るにはよく捏ねることが大事だといいます。でもフランス人はおいしいパンを作るには質の良い小麦粉と新鮮な素材が必要だと言うんですね。わたしはフランスのパンのほうが好きなので、よい石けんを作るにもやっぱり材料を厳選してみよう。

そしていいものを食べて、適度に体操もして体調を調えて、精神的にも調子のいいときに作りたいなと、そう思うようになりました。油も少し高くついたとしても、ていねいに作られた油。原料の植物にあまり無理をさせずにに作られたもの。ミルクにしろ、卵にしろ、はちみつにしろ、作った人の思いのこもったやさしいもの。

ずっと昔、風邪で熱を出して週末のロンドン旅行を諦めようかと思ったときがありました。泊めてくれる友人に電話したところ「さっさといらっしゃい」

おいおい、同じベッドで寝るんだぞと思いながらも、言葉に甘えて行ってみると、野菜たっぷりウズラの生卵が乗ったお蕎麦が出てきました。こちらでは日本食って高くつくんですよね。日本製の食材は日本でのお値段の約3倍。しかも卵まで日本産の卵の味。うわ〜高いのに〜と思いながら食べはじめたら、なんだかとっても暖かかった。わたしに早く良くなってほしいと思っている人が作った味がしました。涙が出そうなくらいおいしくて、ゆっくり味わいました。彼女は食べなくて、わたしだけのために作ってくれたのです。

そんな経験があるので、やっぱり作る人が込める思いって、なにかものを作るときに大事なんじゃないかと思うのです。食べる人のことを大事に考えて作られた原料を使って、使う人のことを大事に考えた石けんを作ったら、本当に身体にいいものが出来そうな気がする。プレゼントするからには喜ばれたいっていう、私欲もないわけではないですが。(苦笑)

廃油ではなく、新しい食用の油を使っているので、はじめからある意味贅沢なもったいない石けんを作っているわけです。それならせめて、ほかの生物への負担の少ないものを使いたい。特に欧州では、本来、草食動物である牛に無理をさせて違うものを食べさせていたら病気になってしまった。だから植物油にも経済性を優先して植物に無理をさせて作った油と、植物自身のこと、それを口にする人のことを考えて作った油がきっとあるはず。ほかの食材にしても同じ。そんなふうに思いはじめたのはつい最近のこと。泡立て器とボールでしゃかしゃかやって、できたものが石けんになってくれただけで大喜びというビギナー期はもうそろそろ卒業(を目指そう)。

そしてまた質の高い石けんの記憶を新たにするために、たおさんのを買って、お勉強、と。(趣味にしてはかなりリキ入ってます、ほんと(苦笑))


     *          *          *


数日前から一時帰国の下準備のはじまりはじまり。

日本に帰ったら、新しく出た手作り石けん&化粧品の本を check するんだ〜。MASACO 石けんも買ってみるんだ〜。(フランスまでは送ってくれないから。その後、アジア・オセアニア地域以外への配送を試験的に受付ていると茂吉さんに教えていただきました。2001年10月30日から12月末まで、追加の送料なし)日本のほかの手作り石けんも試してみようかな〜、ハンズでダフネが見つかったら買ってみようか〜、とプランはいろいろ。そうだ、ウミウシさんにつきあってもらって粗食の本も買わなくちゃ。それからハーブの先生(笑)SABBY さんの手作り化粧品教室にも行きたいっ。SABBY さんの本を持っていってサインを頼んだら、喜ばれるより困惑されそうだけど(笑)。

きっと最大のジレンマはたおさんの「和のレシピ」だな〜。本はとってもとっても素敵そうだ〜。きっと見てるだけで幸せな気分になれる〜。でも、買ってしまったら最後、日本から友達が来るたびに、レシピに必要な和食材をおみあげに頼んでしまいそうだぁ!(笑)

ふむ、どうしませう。。。

プレゼントしてくれそうな人を探すかっ?!(笑)



2001年11月08日(木) そろそろユーロ

(今日はスペシャル長いのでお気をつけを...)

昨日は、先月頼んだ BOROBUDUR 石けんが届きました。

か〜わいいんだな〜。
Asia を感じさせる包装、香り(レモングラス系)。

見ているとほっとします。

日本にいたころはヨーロッパ的なものが好きだったのに、いざヨーロッパに住むとアジア的なものがほしくなる。わたしがアートに求めていたものは結局、自分の日常にはないなにか、とか、ちょっと違う風、とかそんな程度のことだったのかも。

日本にいたころはヨーロッパ映画ばかり観ていたのに、パリに来てからはアメリカ映画とアジア(日本)映画ばかり観ているし。まあ、映画の料金が違うので、精神的にはなんの糧にもならないけれどすかっとする映画を観ても、損したとは思わないっていう部分もあるかもしれません(苦笑)。アメリカ映画でもいいものもたくさんあるし。


     *          *          *


夏ごろから値段表示でフランよりもユーロのほうが大きく書かれていることが多くなってきました。

新しい小切手帳が届いているとの通知を郵便局から受けたので「お〜! はじめてのユーロ小切手帳」とわくわくしながら取りに行きました。

ヨーロッパでは小切手のフォーマットが2種類あります。わたしは、わたしの世代には一般的な「お財布形」をと、口座を作ったときから、頼んでいました。

窓口で通知証と身分証明書代わりのパスポートを見せると、係の人はすぐに封筒に入った小切手を持ってきて、「サインを」と言います。

わたしは「それはお財布形?」と確認して、そうだと言われたのでサインしました。ところが受け取ってみるとべつの形。封筒を開けなくてもわかりました。

はぁ〜あ。2,3分の押し問答のあと、つっかえしましたよ。相手は自分の仕事を増やしたくないので、わたしがサインした以上受け取らなくてはならないというのだけれど、わたしはサインした上に線を引いて、受け取り拒否と書くようにと言い張りました。

「あなたはこれを持って帰れというけれど、わたしは持って帰ってもごみ箱に捨てるだけよ」

これはあんまり安全なことではないので、防犯のためにもその小切手は本部に送り返され、処理されることに。

いまの住所に住み始めて、もう3年も経って、その間、毎回、お財布形の小切手を、地区の一番大きな郵便局ではなく、最寄りの小さな郵便局で受け取りたいと書いているのに、その希望が叶ったことは一度もないんですね〜(苦笑)。

いつもフォーマットが違っているか、受け取り郵便局が違っている。

そもそも引越しに伴って口座を移したときの契約書ですら、わたしがお財布形といっている側から担当者は別の形のところにマークしている(苦笑)。翌日電話して伝えると、「じゃあ、修正しておきます」と言われる。そして新しく送られてきた小切手はもちろん、べつの形(笑)。

今年の6月には次に受け取る小切手はフラン表示ではなくユーロ表示がいいとリクエストを出しました。電話で口頭でなにか伝えてもフランス人がまともに仕事ができるわけがないと、わざわざ本部に文書で通知。そしたらそのとき使っていた小切手を使い切ったわけでもないのに、新しいものが送られてきました。普段なら、1つ使い切ると新しいものが送られてくるのです。そして、お財布形か確認したうえで、受け取ってみたら、別の形(笑)。

窓口にいる人は、渡すべきものをわたしに渡すことはできるけれど、わたしの口座の情報に関することにはタッチする職権を持っていない。その点については、わざわざ口座担当のファイナンシャル・カウンセラーとアポイントを取るか、電話しなければなりません。そんなことならと、直接本部へ形が違っていると連絡。(口座担当者になにか言っても、彼も自分の仕事を減らしたいので、本部へ連絡をと言われるのが常)すると、お財布形のユーロ小切手は7月以降にならないと手に入らないとのこと。


   だれも、いま送れとは言ってないってば!


これが、女性ファッション誌が書かない現実のヨーロッパ生活です(笑)。もう、これくらいのことは日常茶飯事で、同じ書類を3回も「足りていない」と書いてよこした公的機関もあれば(1度でいいから「なくしました。すみません」って言ってみろー!!!)、

偉い人がサインをしてから、1カ月も契約書をポストに投函しなかった保険会社もあり(笑)。 もーすごいんだ。 そもそもこんな状態なのに郵便局に口座を持ち続けているのは、銀行はもっとひどいから(笑)。 勝手に毎月一定額を引き落とされていたなんて話しも聞いたことがあります。(ここまでいくともう犯罪なんですけど、口もとだけ笑って「何かおかしくな〜い?」というほうがことを荒立てるよりはいい結果になることも多いもの)

海外通販やインターネット通販は通販だから恐いのではありませ〜ん。欧州の商慣行がそもそも恐いのです(苦笑)。

電化製品は作りが荒くてよく壊れるくせに高いし。

昔むかし、パリに来たばかりのころ、ちょうど同じ時期にイギリスに留学したお嬢なのに口の悪い友人と電話で口をこぼしあいました。

「やつらは developed country っていうけどさー、ここから上は developed 、ここから下は developing っていうときのラインをもう 50 年は変えてないんだよ、きっと。こんなにどこに行ってもエレベータやエスカレータが壊れていて、しかもそれが何週間も修理されずに放置されてるような国をわたしは developed country とは認めない。やっぱり時代はアジアだよ!」

これが、まだホームステイ中で国際電話ができなかったために、夜中に電話ボックスで彼女と話したときに2人で出した結論でした。まだアジア経済のバブルがはじけるまえ、イギリスもフランスも経済的にはどん底だったときのおはなし。

冬の夜、寒さに震えながら出した結論なので、かなり過激になってますけど(笑)、いまでもやっぱり実感はあまり変わらない。

反対にフランス人が日本に行くと、たいていとても好印象を抱いて帰ってきます。

   街の人たちがとても親切だった。
   人たちが穏やかだった。
   いろんなものがきれいで便利だった。
   街の若者たちがおしゃれだった。

宮崎駿も、北野武もフランスでは熱狂的な信者がいるほど。

フランス人は哲学的な裏付けがないとアートだとは認めない、なんて、おフランスLOVE な日本の知識人は言ったりしますが、フランス人は「紅の豚」を哲学的だというんですよ〜。「えっ?! あれよりもっと哲学的な作品も作ってるの?」な〜んて「もののけ姫」が入ってくる前は言われました。うちで「ナウシカ」のビデオをわたしのかなり怪しい同時通訳&解説つきで見たときは、ユパさまがナウシカとクシャナの兵の間に入って、自らの腕で双方の剣を止めたときも

    「哲学だ!! だってこれは解決じゃない!」

もう、(-o-;) な顔になっちゃいましたよ、わたし(苦笑)。もちろんわざと「これは時代劇の定番で」なんて言わずにそっとしておきました。

日本の40代以上の人たちはいまだに欧米に憧れる向きは多いでしょう。その年代で移り住んだ人たちはインターネットもなく、ほとんど日本の親戚・友人とのつきあいを断つような形で暮らしてきたでしょう。そして現地での生活については意地でも「素晴らしい」と話したのかもしれません。そんな人たちが伝える欧米についての情報はだから、若い日本の人たちを憧れさせるに充分だったでしょう。

さて、日本の政治家さんたちが国際貢献というとき、南アメリカや東南アジアやアフリカが視点に入っていることは滅多にありません。外務省の人たちも総理府の人たちも欧米の人たちに認められたいらしい。欧米の政治家さんたちは訓練されているから姿勢もいいし、へんなことでも理屈が通っているかのように主張するのもうまい。かっこよく見えるでしょう。

でも、欧州の人たちって、こんなレベルなんですよ〜。日本に入っている映画や小説はたしかに素晴らしいかもしれないけれど、その国の文化のピラミッドのなかの一番上の点の部分でしかない。ピラミッドのまんなかあたりは何十万もの学費の支払い記録を消したり、なくしたりして謝りもしない人たちが占めているわけです(苦笑)。

認められてもむなしい気がするな〜。
自分で自分を評価できる国や人になるほうがずっと充実感がありそうな気がわたしはします。

も〜、フランス人に対してはいままで何度嘘をついたかわからない。たとえ締め切りは来週末でも、「明後日なんだ!大至急!」

それでも、フランス人は、イタリア人は単純だけれど、自分たちは哲学的で知的だと思っている(笑)。らぶり〜。



     *          *          *



現在の20〜30代のフランス人にとって日本は憧れの国です。

なんといっても世界一の技術力を持っている。伝統建築、庭園は素晴らしい。村上龍、春樹、吉本ばななが(一部はイタリアで大ブームになったので)ようやっと入ってきた。たくさんの素晴らしい映画監督がいる、エヴァンゲリオンもぴかちゅうも夢中になれるゲームも日本製。若者がお金を持っていて、おしゃれで、みんなが穏やかで優しい国だと思っています。

50年前、日本人は欧米人にとって猿でしかありませんでした。日本人がアジアの諸国でしたことは暴挙でしかないけれど、そもそも日本は1つの国としてのプライドをずたずたに傷つけられたから戦争することにした。50年経って、たくさんの日本人が海外に出て、たくさんの海外のメディアが日本に来て、お互いにコミュニケーションできるようなったら、少しづつ少しづつ、日本人も人間だと認められるようになった。フランスで日本人を「変わってる」とか「へんだ」という人はたくさんいますが(笑)、日本人を猿だと思っている人はもうほとんどいない。

お互いにコミュニケーションできる人たち、知りあい、友達が増えると、人間同士でも差別はいけないと思うようになる。あと、500年か1000年か経って、人間が動物や植物の想いを感じることができるようになったら、人間はもっともっとやさしい生き方ができるようになるかもしれない。たった50年で日本人が(すべての、ではないにしても)多くの欧米人に人間と認められたなら、あと500年経ってもそれは不可能だとだれが言いきれるでしょう?

論理で相手を説得する文化の人たちより、言わなくても察する文化を持った日本人はきっとそんな文化により早く到達して、ほかの人たちにいい影響を与えることができるのではないかと、外国に住んでちょっとナショナリストちっくになったわたしは思うのです。



2001年11月07日(水) Sympathy

財団法人 未来産業研究振興財団 というところが発行している Sympathy というパンフレットの第4号が届きました。

    Sympathy ~ A letter to the future ~
    思いやり 〜 未来への手紙 〜

となっています。

もともと、第3号に生活をちょっとづつエコな方向に変え始めているとレポートを書いたのがきっかけで、隔月号を毎号送ってもらえることになりました。

今回は難局後悔じゃなくて(笑)、南極航海時の環境対策についてと、人と自然にやさしい宿を目指したホテル経営のはなし、日本食について、多摩川水系支流の水質形成機構について。まだ読んでいないけれど、なかなか楽しそうです。

そもそもわたしが現在パキスタンで活躍する中村医師のことを知ったのも、このパンフレットの第2号の記事からでした。

わたしの書いた文章や、もしかしたら第5号に載るかもしれないフォロー記事は、この日記やエコ生活のページで読めることの縮小版なのでべつに読んでいただいてもおもしろいことはないと思うのですが、過去の特集でも無農薬・無肥料で農業に取り組む人のはなしなど、読んでいてとても興味深かったです。

日本ではどこで読めるかわからないので、興味のある人は問い合わせてみてくださいね〜。連絡先は

     105-0001
     東京都港区虎ノ門1丁目19番地9号
     虎ノ門TBLビルディング7階。



     *          *          *


日・パ旅行社が難民にナンを配ることを考えていると「緊急レポート」で読んだので、これなら寄付できるかもと思ったのですが、郵便局で聞いたところ、現在パキスタンへの送金は受け付け不可とのこと。

フランス−日本−パキスタンと2回の国際送金手数料分をあきらめて、日本のペシャワール会に送金するか、冬に日本に帰ってから、寄付するか、ん〜、ちょっと考えませう。



2001年11月06日(火) 初めての石けん洗濯 with 硬水

今日は、洗ってみましたよ。

硬水で、しかも石けん洗濯に向かないドラム式の洗濯機で。

香りの気に入っている手作り石けん(オリーブ油たっぷり、ココナツ油ちょっと、パーム油ちょっとのもの)をジェル状にして。

とりあえず、ダメになっても後悔しないシーツと部屋着から。

石けんカスが残らないように、いつもより高温の 60 ℃で。

熱湯(硬水)で瓶のなかで溶かして、ステンレスのスプーンでかちゃかちゃと軽く泡立て、簡単に溶けた分だけ流し入れて、スタート。

洗い上がりは仄か〜に香りが残っていました。洗濯物の手触りは良いようです。

我が家の洗濯機は日本で一般に見られるドラム式と違って、正面から見たときの回転軸が奥から手前に向いていません。横を向いています。洗濯物は正面からではなく、上の蓋を開け、その下にあるドラムのステンレスの蓋を開けて入れます。

なので、石けんの泡が洗濯の終りまで残っていたかどうか、目で確認するのは難しいのですが...洗濯終りにドラムを一回転させても、石けんカスらしきものは見かけませんでした。合成の洗剤のときは液体でも解け残ったべたべたがドラムの外側についているときが多かった(規定量より少なめに入れているにもかかわらず、です)ので、初めての石けん洗濯としては「合格印」だったんじゃないかなぁ。

もう眠くて眠くてしかたないので、洗濯物が乾いてから、もっと詳しくレポートします。

次回はタオルを洗ってみたいな。



2001年11月04日(日) 冬模様

今日ははじめて、ウィンブレの下にフリースを着て外出。
スーパーにはフォアグラとソーテルヌのコーナーができていました。

もうすぐ年の瀬だな〜と思いました。

フォアグラは、清水の舞台から飛び降りて最高級品を買うか、1つも買わないか、どちらか。

安物は油っこくて、身体に悪い味がします。

高級品は

   料理って、アートになり得るんだ〜

としか、わたしの貧困なボキャブラリーでは言い表しようがない味がします。しつこさのかけらもない味。わたしは個人的には甘いソーテルヌより渋味の利いた赤ワインで、というほうが好き。それはたぶん、本当にいいソーテルヌを味わったことがないからなのでしょうけれど。

クリスマスから年末にかけて、高級食料品店のフォアグラ売り場はとても賑わいます。大きなスーパーではフォアグラだけはレジまで行かず、その場で支払わせられることも。スーパーの中でしかも地下なのに市場のような活気。味見をして、大きな固まりから切り分けてもらって。一番の高級品を選んでみても、フランス中のフォアグラを試食して仕入れているだろう高級レストランのフォアグラの味にはかなうべくもないのですが、やっぱりこれがないと年末のパーティ気分は出ないのだから、しかたがない。



     *          *          *


先週、ちょっと素敵なものを見つけて、それからずっと毎日更新されているか見に行っているものがあります。

     ここと、対になっているここ

読んでいると暖かい気分になってきて、なんだか冬のパーティみたいです。

いい気分になってきたので、今日は難しい話はなしで、おしまい。

さぁ〜て、いい夢をみよ〜っと。



2001年11月03日(土) 硬水洗濯のための石けん



   きゃぁぁああ〜〜!


   ウッズよぉぉおおお!!


   初日13位スタートだわぁぁああ!!!



あ〜、ごめんなさい。思わず興奮してしまいました。(反省)だいぶミーハー根性は直ったつもりなんですが、タイガー・ウッズだけはだめなんですぅ。



   だって、身体の線がきれー。
   (あと数センチ脚が長かったら完璧だった)


   だって、インタヴューでの受け答えが知的ぃ〜。



もともと紳士のスポーツであるゴルフ、アメリカのゴルフ界は黒人の彼にはちっとも優しくないらしいけれど、ことを荒立てて抗議したりしないのがいい。そして、ちくりと「連盟の会長が僕とコンタクトをとってくるのは、頼みごとがあるときだけなんだ」なんて漏らしてみたりする。がんばってね〜。わたしは応援しているよ!


   *          *          *


さて、まじめな話題にいこー。

昨日の●いい石けんをつかおう●でのレポートを読んでから、どうしたら硬水で石けんを使って洗濯できるか考えています。

こちらの洗濯機は基本的に温水で洗うように作られています。
温度設定は 90℃、60℃、40℃、30℃、冷水。

でも、凝った造りになっているわけではなくて、ただ単にダイヤル式で、温度が高いと洗濯時間も長い。つまりそれだけ長い時間加熱し続けるだけ。(苦笑) ダイヤルは


   ぶぁきばきばき!!


とすごい音がして回ります。買うときに電気屋さんで、わたしが安物を買おうとしているからいけないのかと、各メーカの最高級品にも触ってみたのですが、10万円もするような洗濯機でも

   ぶぁきばきばき!!

だったのであきらめて安物を買いました。ちなみに高級品でも水量半分ボタンがあるだけで、洗濯物の量によって自動的に水の量をコントロールするような機能はありませんでした。説明書を読むまでもないシンプルさは気に入っています。というか、気に入るように努力しないと欧州生活はストレスだらけ。(笑)

ドラムが垂直に回る形なので、回っているあいだは蓋を開けられない設計になっています。

そして、硬水。

この条件で、どうしたら石鹸を使って洗濯ができるか?

まず日本にいるひとたちがどうしているか、調べたのですが、基本的にお水かお湯を溜めてから、泡立てた石けん水を投入するという方法は洗濯機の構造からちょっと難しい、というか手間がかかりすぎる。一度洗濯機が回りはじめてしまったら、無理やり止めても、蓋が開けられるようになるまで3分かかるのです。感電防止のため。

なので、石けんを熱湯で溶かして少し泡立てて入れたら、速攻蓋を閉めて、洗濯開始、ということにしよう、と(仮)決定。

次に脂肪酸構成と、石けんの特徴を調べ直してみると、冷水〜40℃くらいなら、菜種油や大豆油がよく、40℃以上で洗うなら、パーム油がいいのこと。

ふ〜みゅ。
うちはいつも40℃で洗っていたのですよ。電気会社からいたずらに高い温度で洗濯する必要はない、というパンフレットをもらっていたので。洗濯時間は日本より電圧が高いにもかかわらず、約2時間なので、洗っているあいだだけとはいえ、がんがん熱してかなりの電気消費に繋がってしまうわけです。高温で洗うと衣類の痛みが激しい気もしたし。

それに、硬水で洗濯するなら、やっぱりオレイン酸たっぷりのオリーブ油原料のほうがウールも洗えていいな〜。冷水でも洗浄力を発揮できるというし。

ココナツ油だけではやはり泡は立っても洗浄力はいまいちなよう。

ということで、

1.普段使いであんまり汚れていないもの用にはオリーブ油たっぷり、ココナツ油ちょっと、パーム油もちょっとの石けん(40℃用)と、

2.衣替え直前&汚れ物用にパーム油たっぷりココナツ油とオリーブ油ちょっとの石けん(60℃&90℃用)

を作っておけばいいかなぁ。鹸化率はわたしのいいかげんさで100%は危険かな? 97%くらいにするか?

そういえば、エコ系洗剤のパンフレットにも商品ごとのお薦め温度設定が書いてありました。

こちらでは人目につくところに下着を干すと警察が来るので、洗濯物を太陽に晒せるのは、最上階に住んでいる人の特権だったりします。だから、温水で殺菌という意味もあるのかもしれません。


さ〜て、おっそろしいのは、洗濯機のメインテナンス。
天使のお洗濯さんによると、石けんカスの除去には酸性またはアルカリでの洗濯槽の洗浄は有効だそう。ということは、1週間に1度くらい洗濯機の空回しでもすればいいのかしら? お酢かなにかで。

炭酸塩というものを多くのサイトで見かけたのだけれど、フランスではどこで買えるかな〜? 泡立ちが良くないときに加えるといいのだとか。 アルカリにすることに意味があるなら、重曹でも代用できるかしら?

そしてやっぱり

> 軟水器の必要性が健康、環境、省エネなどを考慮した場合は設置が
> 理想と思います。

とのアドバイスをいただきました。う〜ん、自分が軟水機を導入するのは決して難しいことではないのだけれど、そうすると欧州に住んでる他の人がちょっとづつ生活をエコにしていく応援をするというのは、ちょっと難しくなりますね〜。まだ踏み切れていない人にいきなり、「軟水機、買わなきゃね」とは言えない。(苦笑)

いまわたしが使っているのは”ちょっと”エコな洗剤。たったの15-30%だけ石けんです。これは安売りスーパーその名も "Leader Price" のプライヴェート・ブランドもの。

(フランス人は成り金を "New Rich" と呼びます。嫌なものは英語かい?と思ったら、イギリス人は "Nouveau Riche" とフランス語で呼ぶのだとか。どっちもどっちだ(笑))

一般のブランドもの洗剤よりずっと安いのが魅力でした。そのかわり汚れ落ちはちょっと悪くなるかな。

本格エコな洗剤はもっとずっと高くなります。しかも、biologique で、bio-dynamique ときた! Biologique は有機栽培原料を使っているという意味なので、良いのですが、bioーdynamique とは、なんぞや?(笑)

もうちょっとこのあたりを調べて、考えることにします。


   *          *          *


asahi.com で

> 「洗剤が必要だという自信は揺らいでいない。付加価値の高い製
> 品は着実に売れる」。(中略)ライオンの高橋達直社長(65)
> は自信を見せる。(中略)研究開発に力を注ぐ一方、「衣類と一
> 緒にバケツの中につけておけば、あれよあれよという間にきれい
> になる。そんな洗濯機のいらない夢の洗剤があってもいい」と洗
> 濯機メーカーもけん制する。

と読みました。その夢の洗剤が川に流れたら、魚も微生物も一瞬のうちに全滅しそうだと思うのは、わたしだけ?

早さや効率が大切だというのは時代遅れの発想だぞ〜(お年寄りだわね〜)、と高橋さんに言ったら、一体どんな顔をなさるんでしょう?(笑) 65歳で社長、ということはいま35歳の人が社長になるまで、こういう発想法は変わらないとしたら、あと30年は洗剤を作る会社は環境を無視した方向に走り続ける、のでしょうか?



2001年11月02日(金) 石けんと排水

石けん作りをはじめて、そのあと日本では手作り石けんや純石けんをエコロジー運動の一環として捉えている人たちが多いことを知って、友人たちに作った石けんをプレゼントしながら説明するうち、

   「具体的に石けんを使うと、どんないいことがあるの?」

なんて質問されるようになり....

でも、結局いつもよくわからなかったんですよね。

とりあえず身体には合成洗剤(合成界面活性剤が入っているという意味で、シャンプーなどを含む)より純石けん(固体、液体にかかわらず、合成の界面活性剤を含まないもの)のほうが良さそうだということは、自分の経験でも、ネット上で読める他の人の経験でも明らかなのだけれど、環境にとってはどうなのか?

よく言われることは製品分類が「石けん」となっているもののほうが、排水として流れたときに微生物による分解がはやい。およそ24時間以内としているサイトもあります。でも、合成洗剤も最近はだいぶ分解がはやいものになってきたとのこと。困ってしまうのは、石けん派は「石けんが善」といい、合成洗剤派は「合成洗剤のほうが善」というちょっとヒステリックな情報が多いことです。

そんななかで、排水がほんとうはどうやって処理されているのか、きちんと調べてレポートを載せてくれたサイトを見つけました。●いい石けんをつかおう●です。

水道局に電話で質問をして、そこで教わった下水道科学館に行き、そこで知ったことをもとに、処理場の人からさらに話を聞いて、と、とても丁寧にわかりやすくまとめられています。

そのなかで蛍光増白剤が分解されているのかどうかは、水道局の人も、処理場の人もどうやら意識していなかったこと、シャンプーや毛染め剤に含まれる指定成分のように有害なもの、毒性のあるものでも分解されているのかどうか質問すると「市の決めた水準に沿って処理」しているという答えにならない答えしか返ってきてないことがわかります。いかにもお役所らしい答えですよね。こちらは素人とはいえ、何パーセントが処理されて、何パーセント残ってしまうかが知りたいのに。

排水処理場では基本的には、沈砂池でろ過して、微生物の入った泥を加え、微生物に分解してもらって、またろ過、というプロセスで、泥はコンポスト(肥料)へまわされるそうです。

でも、

微生物が自分を殺してしまうほど強力な合成洗剤を分解するだろうか?

肥料としてリサイクルされる泥のなかには、本当に有害物質は残っていないのだろうか?

という疑問も書かれていました。石けんカスは微生物が喜んで食べるのだそうです。下水処理場は基本的に受け身の施設なので、川に排出される水をきれいにしたかったら、各家庭、企業(工場)で気をつけるしかないとのこと。それなら、微生物が喜んで食べてくれるものを使ったほうが環境には優しい気がします。

わたしはひとみさんのレポートを読んで、パーマや染毛を頻繁にするはずの美容院では、なにか廃水処理をしてから流しているのだろうか?と疑問に思ってしまいました。そうでなかったら、いま髪を染めているのも相当環境に悪いことになります。

川のなかに、水鳥や魚が幸せに泳いでいる姿を見たかったら、もっともっと排水に気をつけなければならないんですよね。

欧州で合成洗剤から石けんに切り替えていくのは、石けんカスのことを考えるとあまり容易ではないので、身体とお皿洗いまでは石けんを使っていても、洗濯だけはいままで石けんに踏み切れなかったのです。"Clean House, Clean Planet" の Karen ですら、洗濯だけはどうにもならないと書いていましたし。こちらの電化製品は作りが荒くてとても壊れやすいので心配だということもありました。

それでも、今回ひとみさんのレポートを読んで、洗濯もできるだけ石けんに切り替えてみようかな〜と思いました。どうしたら、洗濯機を傷めないで石けんを使えるかな?

一般家庭ではなんとかなるとしても、工場などではどうしても合成の洗剤が必要になってくることってあるかもしれないと思うのです。だから、合成洗剤を悪とはしたくない。それはビン・ラディン氏=悪というの同じで、そう定義しても、なにも変わらない、変えられない。だから合成洗剤にはより自然にやさしいものになってくれるよう祈っています。洗剤を作っている会社は「洗剤イヤ子」という名前のぞうきんや洗剤ゼロ洗濯機に抗議している時間があったら、誠実に自社の製品が環境にも人の身体にも優しいことを証明してもらいたいし、よりよい洗剤を開発してもらいたいと思います。

レポートを読むうちに、新しいほんとうに良い合成洗剤が出てくるまでは、自分の家ではできるだけ石けんを使おうと、以前よりも強く思うようになりました。合成界面活性剤って、マンガのほうの「ナウシカ」の粘菌のようなものかな?って思うんです。人間のために人間によって作られたのに、人間に恨まれて。きっと彼らも大きな自然と仲良くなりたいんじゃないかな。

ずっと以前、本格的なエコ生活の実験のためにわざわざ田舎に住んでいる人の掲示板を覗いたことがありました。URL は忘れてしまったのですが、その人は、排水はすべて家の周りの菜園に撒いて、その菜園でとれる野菜を家族で食べているとのこと。そうしたら石けんさえも使うのが恐くなったと書いてありました。

現実の生活で、わたしがこれを真似ることはできませんが、排水を流すときにはこういう意識を持っている必要があるなと改めて思いました。だって、まわりまわって、川や海に行き、雨となって降るのですから。結局流して捨てるものをまた口にするのですよね。微生物さんたちの助けを借りて。



     *          *          *



以下、asahi.com から天声人語の転載です。
(朝日新聞社には断っていないのですが、出典は明記しているし、個人の日記だから、大丈夫かなと踏んでいます)


> ■《天声人語》 10月27日
>
> アメリカの中学校の先生が、こんな内容のメールを自分が教えた
> 生徒たちに流した。まずはその内容をざっと紹介する。
>
> 世界を100人の村に縮小するとどうなるか。その村には「57
> 人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ
> 人、8人のアフリカ人がいます。70人が有色人種で、30人が
> 白人。70人がキリスト教以外の人で、30人がキリスト教」に
> 始まってこう続く。
>
> 「89人が異性愛者で、11人が同性愛者。6人が全世界の富の
> 59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。80人は標準以
> 下の居住環境に住み、50人は栄養失調に苦しみ、1人が瀕死
> (ひんし)の状態にあり、1人はいま、生まれようとしていま
> す」
>
> さらに「1人(そうたった1人)は大学の教育を受け、そして
> たった1人だけがコンピューターを所有しています」と続く。そ
> のうえで「自分と違う人を理解すること、そのための教育がいか
> に必要か」を説く。
>
> この縮図の数字の根拠ははっきりしない。少々変な数字も交じっ
> ているようだ。しかし、こうやって考えてみることの重要さはよ
> くわかる。世界一豊かな国で教えることの意義も大きいと思う。
> 先生はまた「もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に
> 屋根があり、寝る場所があるのなら、あなたは世界の75%の人
> たちより恵まれています」といった解説を加えていく。
>
> このメールはJTBサンフランシスコ支店経由で日本のJTBに
> 送られてきたものを紹介していただいた。
>
> その村にいる2人の日本人としても他の98人のことに無関心で
> はいられない。



2001年11月01日(木) Bob Greene

おとといカブール・ノートについて書いたのですが、サイトの内容の多くは出版されることになって、もうHPでは見られないんですね。トップページの下のほうにあるイスラム・コラムやクエッタ・ニュースだけでもかなりおもしろいのですが、とても良質の情報だっただけにサイトから消えたのはちょっと残念です。この日記を見て、サイト内を探したかたには、時間を潰させてしまって、ほんとうにすみませんでした。



     *          *          *



今日のパリは今年はじめて、ぐっと冷え込みました。もうそろそろクリーニング店に預けっぱなしのコートを取りに行かなくてはなりません。ちょっと自慢なんですよ(笑)。焦げ茶のムートンのロングコート。5000円でした(苦笑)。教会のチャリティー・バザーにて。

以前、飛行機を降りるときに、隣の席にいたおじさんから「あんたのペットかい?」と言われました。席に座っていたときはお互い和やかに話していたのに、ムートンを見たとたんに強烈な皮肉。アイルランド人だったかテキサス人だったか?赤ら顔だけれど、確固たる信念を持っている人の顔でした。

わたしはにっこり無邪気に笑って、

"Yes! I love him very much. He is my partner and he protects me very well"

と嬉しそうに答えておきました。(笑) おじさんが皮肉を言ったときの周りの人たちの表情もさまざまだったので、なかなかおもしろかったです。

わたしがはじめて巴里(こう書くとちょっと格好良さそうかな(笑))に来た年は、マイナス18度までいっていたのです。長くて重くて分厚いコートは着ていてとても疲れたけれど、同時に本当によくわたしのことを守ってくれました。買ったときは、あまりに寒かったので仕方なく、といった気持ちだったのですが、いまではとても感謝しているし、大切に使っているつもりです。



     *          *          *



ここ数日、ずうっと以前に読んだ本がまた読みたくてしかたなくなっています。Bob Greene の "Be true to your school" 日本語では「17歳」というタイトルで文春文庫から出ています。わたしが初めて最後まで読み通せた英語の本。アメリカの有名なコラムニストが17歳のときに、「ジャーナリストになりたければ、まずは毎日日記を書くことだ。ジャーナリズムとは日記をベースに発展させたものなんだよ」とクラブの先生に言われて1年間つけていた日記です。

やたらと難しい前書きで早くも挫折しそうになって、本文に入るといきなり、1月1日、パーティで女の子とキスしている瞬間から始まります(笑)。軽やかで、やさしくて、暖かくて。受験で毎日のように「主語・述語」と習い、難しい単語を覚えて、カチカチの英語に接していたわたしにとっては、英語でも書く人によってはこんなに素敵な文章になるんだ!という大きな発見でした。1度だけ彼がアメリカの新聞に書いたコラムを読む機会がありましたが、そのときもこんなコラムが載った新聞なら毎日読みたいと思ったものです。

どうして今 それを読み返したいのか、というと、その本はわたしにとって、アメリカの良きものの象徴だったからかな、と思います。いままでそんなことを意識したことはなかったんですけどね。

そして、自分がこれからどちらへ進んだらいいかわからないときに、自分の人生がこれからどうなっていくかわからない、世界がどうなっているかなんてまったく見えていない 17歳の男の子が書いた日記は、もちろんコラムニストが後から多少の訂正を加えているとはいえ、いろいろ共感しながら読んでいかれそうな気がするのです。

はじめのうち、なにが書いてあるんだかよくわからないな〜と思いながら無理やり読み進めていったら、中盤を過ぎてから、いきなり数字が出てくるのは試験の点数の話だったんだとか、成績表の評定の話だったんだ、とか、わけのわからない単語はラジオの局名や曲名だったんだ、とわかったんですけどね(苦笑)。今度は2回目だから以前ほどは戸惑わないと思うんです。



     *          *          *



昨日は「13 デイズ」という映画を観てきました。パリで1番大きなシネコンのなかのおそらく1番小さなホールでした。

キューバにソ連が核兵器を配置したとわかってから13日間のJFKとアメリカ軍部との確執を描いています。核兵器は当然、ワシントンがぎりぎり射程距離に入るところに配備されています。JFK 45歳、弟ロバート・F・ケネディ司法長官(フランス語字幕では外相だった気が..) 36歳、そして大統領特別補佐官ケネス・オドネル 38歳。3人で彼らよりずっと年上のその他の政府高官や軍指導部の猛反対とマスコミからのプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、なんとか戦争をしないで済むように、絶望に負けないように励ましあっていく姿が描かれていて、観ていて、もう少しで泣いてしまいそうな気分になりました。平日の昼間だというのにほぼ満席。

フランスの映画産業は映画制作の点では完全にアメリカに負けています。たとえアイディアがあったとしても、実現できる予算を集められることは少ないし、少数精鋭の国立の映画学校を出た監督達はたいていインテリ過ぎて、頭で考えるにはおもしろいけれど、こころにはなにも響かない映画を作っています。しかもその学校を出ていないと監督になるのはとても難しい。撮影技術に関しても、技術者のプロ意識は多くの場合アメリカに劣ります。フランス人は契約中でも気にくわなければ仕事を投げ捨てて帰りますから。(笑)

ただ映画界のなかでも、映画館の経営者たちのセンスは世界一なのではないかと思います。今の時期に、シネコンで「13 デイズ」を扱うセンス。9月11日のテロの後、1,2週間で急にポスターが貼られだしたのです。2000年の年末には年明けに「2001年 宇宙の旅」の70mm 版(通常のフィルムより画質がいいもので、もともとこれがオリジナルだった)公開の予告があったり、アルパチーノの映画が公開されると、「ゴッド・ファーザー」の3部作をすべて再上映する映画館があったり。日曜日に1,2,3の全てを観ると、チケット売り場で頼んだら、なぜか「じゃあ、1回分はタダ」と言われたこともあります。


日記で何度も触れた池澤 夏樹さんのコラムで、池澤さんが日本国憲法のもとになった英文から現代の日本語に訳し直すという作業をなさったことを知りました。おそらく最近の号の「中央公論」に出ているはずで、友人にコピーを送ってもらえないかどうか頼みました(忙しいのに、ごめんね)。 もし興味があったら、図書館かどこかで見てみてください。

現在の憲法ですら

第九条に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

とはっきり出ているのです。「戦争はいや」ではありません。あれが戦争であろうと、紛争であろうと、日本は参加「できない」のです。できるとしたらペシャワール会のような良心的なNGOの活動を国のお金を割いて支援することくらいでしょう。


できないし、してはいけないのだと、もっと声を大にして言っていいのです。



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