l BACK l INDEX l NEXT l

谷口 令のハッピーダイアリー  
私から。。。 2001年12月30日(日)

私から


今年も、たくさんの方が私のオフィスにいらして、
いろいろなお話をしていかれました。

親友がなくなったことから、
命の大切さを心から感じた方。。。

仕事をやめてはじめて、
ゆっくり考える時間をもてた方。。。

どんなことにも深遠な意味が隠されています。
それは今、気づくことがなくても、
必ずあとで何かを教えてくれるもの。

クレジットカードを無くしたり
お財布を落としたり
かわいがっていた猫が死んでしまったり
車をこすられたり。。。

日々、心を悩ますこんな小さなことがおきます。

こういうことって、実はみんな
私たちにたまった負のエネルギーを
外に流す作用。

ですから物は考えようで、
すべて起きることって、感謝なのです。

今年の7月27日、マウイ島でスタートした
ハッピーダイアリー。。

読んでくださる方にほんの少しでも
ハッピーな気分をお届けできれば幸いです。

       
良いお年を!  谷口令
谷口 令のハッピーダイアリー  
厄年の過ごし方 2 2001年12月28日(金)

若木の活動力


三碧木星の性格は
春の陽光の明るさと
勢いよく伸びる、若木の活動力。

何しろ、何事にも徹底しないと
気がすまない性格で
仕事も恋愛も、猪突猛進型。

目標に向かってがんばってしまうのです

三碧木星さん!

こういう年こそチャンスなのですよ!
階段でいう踊り場です。
駆け足で上って来た階段、
踊り場でほんの少し休んでください。

今までの走り続けてきた人生を
中身充実のためにもう一度
1年かかってゆっくり計画を練りましょう。

そして、仕事を離れて、
温泉に行ったり
旅行して充電したり、
今までやりたくてもできなかったこと、
興味があったことにトライしたり。。。

さあ、やってみてください!
谷口 令のハッピーダイアリー  
厄年の過ごし方 2001年12月26日(水)

厄年の過ごし方


今、発売中の『週刊実話』にも書いたのですが
気学では必ず9年に一度、めぐってくる厄年。

衰運とか、私流の言い方で『コタツみかん』の年。
日本人にしかわからない表現なのでしょうが。。

平成14年は、三碧木星、
昭和9年、18年、27年、36年、45年、54年
に生まれた方が、厄年。。

この年回りは、何があっても我慢。
運気が下がり目、持病の再発とあります。

聞いているだけで
心が重くなってきます。。。

でもこの時期は、まいた種が地中から
自分にとって必要な養分を吸収している、
まだ何も現れてこないけれど
とても大切な時期。

自分の知らないところでの
影のお助け人が働いてくれている時期なのです。

ですから、コツは過ごし方次第!
谷口 令のハッピーダイアリー  
プレゼント 2001年12月24日(月)

プレゼント


今ごろの季節になると
必ず思い出す方がいます。

Mさん。

彼女はその当時、1枚いくら…という
ワープロの原稿を打って生活していました。

彼女の毎日は、生活が決して
経済的に満たされているわけではないのに
色々な人に、色々なプレゼントをするのです。

ある時は、少しのお金だったり、
袋にいっぱいの食料品だったり、
お花だったり。。。

化粧気のないMさんに会うと
いつも笑っていました。

そのMさん、どういう縁なのでしょうか。。
ある大物に気に入られて、彼の恋人になり、
とても裕福になったのです。

それでも、前と全く同じ。
周りの人々に、プレゼントをし続けていました。

そして、大物の彼と別れることになったときも
Mさんは、笑っていました。

その後、Mさんは、
“理想の人”というプレゼントを受け取り、結婚。
今はアメリカにいて、最高に幸せ!

Mさんから教えてもらったこと。。。

プレゼントって
実は自分自身を幸せにするということなんですね。
谷口 令のハッピーダイアリー  
週刊実話 2001年12月22日(土)

西の水 ドラゴン


カレンダーが残り少なくなると
来年のことが気になってきます。

この12月も、2002年についての
いくつかの原稿の依頼がありました。。。

今まではほとんど、社内報や女性雑誌。

11月の西への祐気取りのおかげでしょうか。。
30万人もの読者を全国に持つ
『週刊実話』の新年合併号に掲載されることに。

はじめて、来年の予測、
いわゆる『占い』的な企画に
「新宿の母」の栗原すみこさんと並んで
私がページを埋めることになったのです。

「新宿の母」は、日本中で
知らない人がいないほど有名な方。。。
実は、私も高校生の時
新宿伊勢丹のそばに、並んだ覚えがあります。

そんな素晴らしい方とご一緒できるとは
なんとも幸せなこと。。

『2002年は吉か凶か
 谷口令が占う 気学で福をつかめ』
原稿を書き終わりました。

12月26日発売です。
ぜひ、読んでみてください。
谷口 令のハッピーダイアリー  
なんぱ 2001年12月21日(金)

バラ


自由が丘のお寿司屋さんで
私と母と娘がお寿司を食べているときのこと。

お座敷の隣のテーブルに
初老の善男善女のグループ。。。
とても盛り上がっています。

フッと、向こうの男性と母の目が合ったのです。


 『とても楽しそうですこと。。。』 ニッコリと母

 『いやいや、先ほどからとても品のある方だと
  お見受けしていたのですが。。。
  そっくりですね、娘さんですか?』 少し恥ずかしそうな男性

 (うまい!) 心の中で私

 『娘と孫ですのよ。
  ところで、何のお集まり?』 嬉しそうな母

 『いや、近所の老人マージャンの会で
  終わった後こうして食事を。。。』 男性

 『まあ、私、マージャン大好き。
  今度誘ってくださいね』 母

 (なるほど、こう言うのね) 心の中で私

 『実は次回、ちょうどメンバーが一人足りなくて。。
  いらしてくださるとありがたいのですが』 男性

 (すると、こうなるわけね) 心の中の私

 『あら、嬉しい。。。』 母


こうして、76歳の母は『なんぱ』されたのでした!
谷口 令のハッピーダイアリー  
母 3 2001年12月20日(木)

ハワイの母


母は子供を2人亡くしている。
ひとりは1歳、ひとりは8ヶ月の時。。
二人とも男の子。
二人とも医者の処置が間に合わなかった。。。

こんなことが続いて起きたので
母は田舎の“占いのおばあちゃん”に
みてもらいに行ったのです。

今から50年以上前のこと。

そのおばあちゃんはこう言ったそうです。
「今度生まれてくる子供は女の子で、必ず育つよ」

そしてそれが私。。。
母は、私の亡くなった兄たちの
無念を晴らすため(?)
私がもの心ついた時から

『医者になって、人を助けてあげて。。。』

そんな母の期待を一身に受け
一心不乱に勉強、勉強。

そう、私の夢は医者になることでした。
もちろん、ある種のステイタスにも
少し憧れがあったけれど。。

貧しい人たちを救う赤ひげ先生のような医者が
私の理想でした。

いつも優しく、人々の話を聞いて
人々に希望を与え、人が自分自身に
素晴らしい価値を見い出す助けになって
薬ではなく、人が自分自身で治していく手伝いをする。。

医者にはなれなかった。。
でも、20歳の時、気学の先生に偶然出会って、
そして、今がある。
薬を使わない“心の医者”になれたのかもしれません。
谷口 令のハッピーダイアリー  
母 2 2001年12月19日(水)

花


このダイアリーを書いていて、
実際に小さい頃の母の励ましの言葉を
たくさん思い出してきました。

いろいろなことが人生に起こり
どんなことをやろうとしても
『いいじゃない、できるわよ!』
の一言は嬉しかった。。。

人って時々、心がすごく弱くなったり
自分を信じられないようなことがあるけれど、
そんな時に、自分を100パーセント
信頼してくれている人の言葉って
ものすごく勇気が出るもの。

私が何かに一歩を踏み出す時って
きっと無意識に母の
『あなたは大丈夫よ』
を聞いているのかも。。。

そういえば、私と同じ年のさだまさしさんの歌に
『勇気を出して』というのがあって
1番はお母さんを歌ったもの。

たしか、こんな詩でしたっけ。。。

  時折、自分だけ不幸に思えたり
  たった一人っきりで生きている気がしたり
  よくあることだね
  僕はそんな時、思い出す言葉がある
  ずうっと昔、僕を愛してくれた人の膝の上で聞いたことば
  鳥は高く空を飛べるけれど
  けっして海の深さを知らないように
  どこかで必ずあなたを愛している人がいるから
  さあ、勇気をだして さがしてごらん
  さあ、勇気をだして みつめてごらん
  幸せは心の中に住んでいるから。。。
谷口 令のハッピーダイアリー  
2001年12月18日(火)

花


今年はいつもの年より
ホテル暮らしが多い日々。。。

一人の時間、いろいろなことを考える。

そうすると、何が大切で
何が不要かがみえてくるもの。

そう、いつもは見えないものが
見えてくるのです。

娘、スバルの笑顔、
母のはげまし。。。

そういえば私が今のスバルくらいの時
母はいつも私にこう言っていたのを
思い出しました。

『思えばかなうわよ!』って。

この言葉は、今でも私に
勇気を与え続けています。。

そういえば、こんなこともあったっけ。

若い頃、私が仕事を変える時、
母に相談したら
『あなたなら大丈夫よ』

私が離婚をしたときも同じ。
『大丈夫よ、そのうち次が見つかるから!』

とにかく母はいつも物事を
良い方、良い方に考える。。。

この肯定的な考え方って
私の人生に大きく影響しています。。
谷口 令のハッピーダイアリー  
ハワイにて:ブライトスマイル 2001年12月16日(日)

ハワイの空


ハワイで会う人々は
歯が真っ白。。。

どこの歯ブラシ使っているの?
どうしたらそうなるの?

『ブライトスマイル』よ。
それなあに?

つまり歯のホワイトニング。
日本にはまだないし、お値段も格安。。。

私も試してみることにしました。

歯にジェルを塗って、
ジェルを活性化させるライトを当て、
テレビを見ながら待つこと1時間半。

もう驚くばかりの白い歯に!

ただ、欠点は24時間、歯に色のつくものは
飲めない、食べられないということ。。

なんといっても、
ビールが飲めないのがつらかった!
谷口 令のハッピーダイアリー  
ハワイにて:母の言葉 2001年12月14日(金)

ハワイの海


10月にハレクラニホテルで
お知り合いになったHさんと
また、同じホテルで再会しました。

今、60歳半ばのHさんは、高校生のころ
悪いことばかりしていたそうです。

町のみんなは、
「卒業したら必ずやくざになる!」
と賭けをしていたくらい。。。

体の大きなHさんは大学生になったときに、
ダンスホールの用心棒のアルバイトをしたり
裏の世界に足を突っ込みそうになりました。

そのとき、
『人に恥ずかしくない人生を歩け!』
そんなお母さんの言葉が聞こえてきて
踏みとどまったそうです。

そして今は、出版社をいくつも持つ
正義のミカタ。。。

今でも、93歳で健在のお母さんの言葉が
聞こえてくるそうです。
谷口 令のハッピーダイアリー  
ハワイにて:洋子さんから 2001年12月12日(水)

ハワイ


ハワイは台風の影響で
雨ばかりのお天気です。

お天気は心まで左右して
なんとなく心も晴れません。

そこへ、この12月に
ハワイに行った洋子さんからの
素敵なメールが飛び込んできました。

『ハワイで、素晴らしい出会いがありますように
 とお祈りしていましたが、
 想像を超えた出会いと出来事の数々でした。

 今回は、たくさんの方に助けてもらいました。
 たくさんの愛を受けとめきれなかったような気もしますが、
 今までになく、お世話になったなあという感じです。

 たくさんの共時性があって、
 ハワイの人や自然の素晴らしさなど、
 話は尽きませんが…。

 一番感じたのは、ハワイの人は、
 今の生活を楽しんでいることです。
 今を。。。
 こねくりまわした、頭ではなくて
 ただ単に今を楽しんでいる、というのを、
 見ていて感じました』

洋子さん、初めて一人で行ってみて
本当に良かった!!
谷口 令のハッピーダイアリー  
気学の先生 2001年12月10日(月)

気学の先生


仕事のイメージというものがあります。

今から10年ほど前のこと。
はじめてご相談にみえた方が、
私の目の前で一言。

「ところで、先生はどこにいらっしゃるのですか?」

丸顔、童顔の私が、先生本人だとは
思ってもらえなかったようで、
大いに落ち込んだことがあります。

職業あてクイズのようなものを、
不特定多数の方たちと
やったことがあるのですが、

何人かの方に
「『雑誌の記者』のイメージ」
と言われ、舞い上がりましたっけ。。。

私の知っている女性の気学の先生は、
 お年寄り
 厚化粧
 態度がでかい
 センスと口が悪い。。。

年齢はしょうがないとしても。。
あとの3点は、なるべくさけるようには
しているのですが。。。
谷口 令のハッピーダイアリー  
自信 2001年12月09日(日)

自信


Aさんがスナックでアルバイトをしていた時に、
その大金持ちの彼と知り合いました。

神田のビルのオーナーである彼は
親子ほども年が違うAさんのことを気に入って
お付き合いがはじまりました。

若くて何も知らないAさんに、彼は
商売の基本を、優しく話して聞かせます。

彼のビルの1室が空いたので、
Aさんに何かをやってみるようにすすめました。

Aさんはサラリーマンを相手にした
マージャン屋さんをスタートしたのです。

夜中まで働いて、約1年、
やっとなんとか自分の給料が取れるようになりました。

彼は言います。
「どうしたら収益が上がるか、工夫してごらん。。。」

大金持ちの彼との、贅沢な日々を期待していたAさん。
それなのに毎日毎日、働いてクタクタの生活。。。

でも、自分でもちゃんとできるという
自信が湧いてきたのです。

その後、彼が重大な病気を持っていて
あまり長く生きられないことを知ります。
ショックで泣いたAさん。

「何のために彼と出会ったの?
 これから生きていく自信を、彼を通して
 学ぶためよ!」
谷口 令のハッピーダイアリー  
スッチーの独り言 2001年12月07日(金)

スッチーの独り言


Tさんはもう20年のキャリアがある
スチュワーデス。

最初で最後の、お客様に惚れた話。。。

その方は成田から、
ニューヨーク便のファーストクラスに
静かに乗ってこられました。

「お食事は何になさいますか?」
とTさん。

「ミネラルウォーターを下さい」

彼はミネラルウォーターだけを注文し、
ただ静かに眠って、
ニューヨークに降りたそうです。

20年空を飛んで、こんな方ははじめて。。。

空港には、シャンペンゴールドの
ベントレーが待っていて、
偶然Tさんは、乗り込むところを目撃。
あー、なんというかっこよさ。。。

10年前のこと。
一度しか会っていない方ですが、
時々その方の横顔がよみがえってくるとか。。。

そうか、、、ミネラルウォーターね。。
谷口 令のハッピーダイアリー  
休息 2001年12月06日(木)

休息


本日いらしたNさん。
三碧木星、59歳。
今まで25年間も、とんかつ屋さんを
お姉さんに頼まれて実質経営。。。。

それがこの10月、突然お姉さんから
『クビ。辞めてくれ!』

そのひどい仕打ちに、Nさんはショック状態。

「いったい、私はなんだったのかしら。
 家も、子供達もほおっておいて、
 とにかくお店のために尽くしたのに。。。

 すぐに仕事を見つけようとしたら、
 なんだか胸の下が痛い。。
 あまりの痛さに病院に行ったら
 骨折していると言われて。

 もう踏んだりけったり。。。
 毎日、眠れなくって。。。」

「ちょっと待ってNさん。。。
 これって、まさに休みなさいってことよ。

 元気ハツラツのNさんの性格だと、
 こんなことでもない限り、休まないでしょ。

 ちょうど来年の三碧木星は、
 エネルギーが極端に少なくなる、衰運の時期。
 これこそ、自然がくれた休息のプレゼント。

 家も子供達も、ちっとも犠牲になんて
 していないでしょ。
 Nさんの元気に働く姿をみていたからこそ
 優しいご主人、独立した子供達。。。」

そういえば。。。とすごく元気になられたNさん。
「実家に行っても、いつもは1泊しかできないのに
 11月には4日間もいることができて、
 母は大喜び。。。
 友達とも、ゆっくりお昼に会えたし。。。」

休息したら、次の仕事が必ず見つかるはず!
谷口 令のハッピーダイアリー  
好きになる瞬間 2001年12月05日(水)

好きになる瞬間


人を好きになる瞬間って
どんな時なのでしょう。。。

結婚のご相談にみえる方に、
よく聞いています。
「どんな瞬間、その人のことを好きになったの?」

これはKさんのお話。。。

Kさんが、彼女のマンションに
遊びに行ったときのこと。。。

「一緒にローラースケートをしようと思って
 彼女の部屋の中でスケートをはき、
 立ち上がったとたん、滑って、
 トイレのドアに足を突っ込んでしまい、
 ドアに穴があいてしまったのです。

 怒られるかと思っていたら、
 彼女は笑い転げて、
 『I love New York』
 というシールを持ってきて
 その穴にペタッとはったんです」

 もうそれだけで、
 これからの彼女との生活が
 どれだけ楽しいか、
 想像できた。。。。」

その瞬間、彼女を好きになったそうです。
谷口 令のハッピーダイアリー  
宝くじ 2001年12月04日(火)

宝くじ


宝くじって、どんな人に当たるのでしょうか?

Sさんは、人の良いお寿司屋さん。
お客さんに頼まれ、家と店を担保に入れて
保証人になったのです。

ところが、そのお客さんの商売は
どんどん下降線。。。

とうとう、倒産してしまい
あげくの果てにその人は
姿を消してしまったのです。

それからというもの、
Sさんのお店に借金取りが押しかけ、
どうしようもなく家を売り、
もう、お店も手放すしかない。。。

そんな時、Sさんは、宝くじを買ったのです。
当時、1等は1億円。
当たれば、店を手放さなくてもすむ。。
でも、まさか、いくらなんでもそんなこと。。。

当選発表の日、
新聞を見て腰を抜かしました。
1等、1億円が当たってしまったのです!

Sさんは、すべての借金を清算。。。
300万円残ったそうです。

ここからが、Sさんのえらいところ。
宝くじのおかげで、この難題が解決したので
このお金を、お礼を込めて
お返ししようと思った…というのです。

そう、つまり300万円、
宝くじに寄付(購入)したのです。

ところが、本当にまさかと思うでしょうが
そのまさかになったのです!

その中の宝くじが、またしても1等1億円!
Sさんは、失くした家を、家族のために新築。

結局は元に戻っただけ。。。
宝くじって、一番必要な人に当たるのですね!
谷口 令のハッピーダイアリー  
引っ越しの効果 2001年12月03日(月)

引っ越しの効果


六白金星のNさんは、両親の小さなお店を
ずっと手伝っていました。

ここ何年かは、コンビ二の進出で
売上がどんどん落ち込んでいました。

問屋さんへの支払いの滞納、親類からも借金。。。

一人になる時間もままならず、
少々ノイローゼ気味。

そんなNさんに、私は一人住まいを勧めました。
南西に七赤が回っています。
独身の彼女に、パートナーと金策が
うまくいきますように。。。

経営コンサルタントには、
1円でも無駄に使えないときに気でも狂ったのか、
と思われたそうです。

2年間だけ。。。Nさんは決めました。
その小さなマンションの一室で、
彼女はボロボロの体と心を休めました。

商工会議所の集まりで、
彼女を気づかってくれる人ができたのは
それからしばらくしてからのこと。
そう、心の支えができたのです!

しかし、お店は結局しめることになり、
残ったのは3000万円という借金。。。
この借金を家族で返していかなければなりません。
そう決心した頃。。。

区の道路の拡張で、保証金が出ることに。
その金額が、なんと3350万円!
これって、借金を全部返して、
ちょうど今のマンションの2年分の家賃!!!
谷口 令のハッピーダイアリー  
奇跡の話 2001年12月01日(土)

奇跡の話


「うじうじ悩んでなんかいないで
 とにかく北京に行ってごらんなさい!
 きっと何か見つかるわよ」

Kさんは48歳をすぎて離婚。
その当時は専業主婦。
どうしても、昔から興味がある北京で
中国語と茶道を勉強したいと
3年前ご相談にみえたのです。

Kさんはちょうど良い時期に、北京に行きました。
いつもぎりぎりの生活、
日本へ帰る飛行機代も、なかなかたまりません。
どこへ行くのも満員のバス。
でも充実している生活。。。

そんなKさんに、この9月にお会いして
私の周りで起きている
すてきな奇跡のお話をしたばかり。。。

とても難しいという就労ビザも
この10月にやっと取れ、通訳として、
日本の美術商の方と仕事をしたときのこと。
美術商の彼が持っている中国の美術品をめぐって
大変なトラブルになってしまいました。

Kさんは、中国の友達と協力して
美術商を助けたのです。

美術商はものすごく感激して
Kさんにこう言ったそうです。

「今回のこと、本当に感謝しています。
 あなたのような人に
 私の仕事を手伝ってもらえないでしょうか。
 日本の社員と同じ給料と、
 毎月日本に来れるように交通費とホテル代を
 すべて出させてください。

 そうだ、いつもバスで動くのでは大変でしょうから、
 車を中国へ送りますよ!」

l BACK l INDEX l NEXT l
この日記をお友達に教える
メールはこちららで。】 【ホームページはこちらからどうぞ。


--->