■ゲンジツ日記■(試行錯誤中)
静花



 【私オリジナルの幸せの形】を模索すること。

今日は通院日なので、医者に行ってきました。

まずは、予約の時間通り「カウンセリング」

ここ最近、趣味のネトゲが”イベント”
開催していて、(それはイベントモンスターを倒して
手にいれた結晶体を規定数集めると、限定アイテム
変えてもらえるという内容ですが…。)

それを集めるのに、ずーーーっとハマっていた
のです・・・・_| ̄|○。はうー。

明日でそのイベント期間も終了するんだけど、

「ああ、なんて自分って堕落した生活送ってるんだろう!」

…って、すっごい自己嫌悪_| ̄|○!l|で…。
外に出ないから体力はすごく落ちたし、
太ったし…(泣)
(今まで買った洋服(スカート)が
履けなくなりました(号泣))

そーんなことを話してて、
「前回のカウンセリングから3週間たったのに
何も進歩がない自分に自己嫌悪してます。。。」


…って、カウンセラーに正直に話したら、

「結晶体を沢山集めるっていう、大作業をしてたじゃない(笑)」

ってナイスフォロー(?)してくれました(笑)。

確かに何かエネルギーを費やす趣味があるって、
反面、いいことかもしれないけどね。。。
(何もないよりは…。)

確かにその時は、熱中して楽しめたわけだし…。

カウンセリングではひたすら、

「自分は何をしたらいいか、と、とても焦っている、」
「でも、何をすべきか見えてこない。」


…というようなことをセツセツと話しました。

カウンセラーは、

女たるもの○○すべき、とか、
この年なら○○であるべき、とか、
そういう、【すべき】とか【こうあるべき】という
壁を取り除いて、【静花さんの生き方や
静花さんのオリジナルの幸せ】
を掴めるといいですよね。」

「病気でつらい症状がある時は反面、
そういうことを考えないでいられるけど、
健康(?)になると、そういうこと考えるから
焦りが出ちゃうのがネックだよね」


・・・みたいなこと、言ってくれました。

そうだよね。
世間とか社会とか一般論の「すべき」とか「してはいけない」とか、
そういうものに、がんじがらめになってるから、
こんなに生きるのが苦しい・・・。

これじゃ、
生きることさえ楽しくなくなってくる…。

「自分が幸せ」じゃなきゃ、
「自分がしたいこと」じゃなきゃ、
生きてる意味なんてないよね。


エネルギーが欲しい。
「○○したい」とか「○○してみたい」とか…。
私の中から湧き出るエネルギーが欲するものを
見つけて、楽しみたい。

そして、「世間の幸せ」ではなく、
私の周りにある、「小さな幸せ」に気づき、
そんな些細な幸せを敏感に感じ取るようになって、
生きることに”幸せ”を感じたい…。

【私オリジナルの幸せの形】
を探したい。。。

それにはまず、自分の長年世間のレールに沿って
生き、自分を押し殺して窒息しそうになりながら
生きてきたせいで、なくなってしまった
「自分の心から沸く、自然な欲求」を、
自らの中に見つけるコトかなぁ?って思ってます。

「私がしたいこと」
「私が望むこと」


それっていったいなんだろう??
私には、まだわからない・・・・。

今担当してもらってるカウンセラーは、
とても相性がいいみたい。

「あー、今回も特に変化ないし、
話すことないや、どうしよう・・・。」


…とか思ってても、
いざカウンセリングが始まると

ポンポン自分の気持ちや考えてることを
話してる自分に気づきます(笑)。

あれ?沢山話すことあるじゃん。
…みたいな(笑)

・・・話は変わって、

来月から、新しい家の鍵が手に入ります。
そして引越し業者からダンボールが渡されます。

そしたら、いよいよ「引越し作業」開始です!
さぁ、大変だぞぉ〜。( ´Д`;)

体力使うから少しは痩せるかな?(笑)
…でも前回の引越しの時、連日の重労働の引越し作業の
おかげで沢山筋肉がついて痩せたものの、
引越しが終わってくつろいだら、
一気に筋肉が贅肉に代わり、太ったもんなぁ……_| ̄|○!l|。

まぁ前回引っ越してから2年くらいしか経ってない
から、前回よりは大幅に楽だとは思うけど、
体力トレーニングもかねて、頑張って引越し作業
したいです^^





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2005年08月29日(月)



 私が「正義感」が人より強い理由(わけ)。

最近、ネトゲで
一時いなくなってた、「中華」
(ネットゲーム上でゲームのお金を稼いで、
それを日本人に売って現金を得るのが目的で、
日本のゲームサーバーでプレイしている中国人のこと。
(他国から接続することも、現金取引することも、
堅く規約で禁止されてるにも関わらず。)

彼らは人の獲物を横取りしたり、迷惑をかけたり、
やりたい放題に私欲をむさぼる。


日本人じゃ皆やらないことを平気でする。
信じられないくらい「図々しく」「浅ましく」「卑しい」。。。
(ホントに呆れるくらい…。国民性の違いかなぁ?)

…その「中華」が、また大量に発生しはじめた。

私はそいつらを許せない。

人に迷惑かけても、踏みにじっても、
平気な顔して自分の利益をむさぼる奴ら。

これは他のことでもいえる。

数日前、駐輪場に停めてあった
私の自転車が盗まれた。

鍵をかけてあったにも関わらず…だ。

その犯人は、人の”もの”に対する想いも、
人のそれを得るために使ったお金も、
持ち主の心も、平気で踏みにじる。

私はそういう奴は許せない。

多分犯人は、良心の呵責すら微塵も
感じてないで、自転車を盗み続けるのだろう。

できることなら、警察に突き出してやりたい。

・・・・。

私は人一倍、「正義感が強い」と思ってる。

人に平気で迷惑をかけたり、
人を故意に傷つけたり、
人権を踏みにじったり、
物を盗んだり、
暴力を振るったり…

そういう輩は、許せない。

反面、
人は、そういうことさえしなければ、
何をしても、どんな考え方をしても、
どんな生き方をしても自由だと思う。


…でも、人を傷つけたり、迷惑をかけたり、
巻き込むことは、絶対許されないことだと思う。

私は自分が故意に傷つけられたら、
絶対、やり返す。

一方的に頬をぶたれたら、絶対相手の頬も
ぶち返してやる。



・・・・・・・。



私がこんな風に強く思うようになったのは、
過去(中学時代)に受けた「いじめ」の
影響が大きいと思う。


あのときのいじめは陰湿極まりないものだった。
私は何もしてなかった。

…でも、
陰湿で人の人権を平気で踏みにじるような行為を、
仕打ちを、団体でされた。

団体vs1人。
卑怯極まりないよね。

でも、あの時の大人し過ぎた私は、
傷つけられても、バカにされても、
ただ黙ってやられるままにされていた。

それどころか、嫌がらせされても、
笑顔で相手に従った。


例えば定期テストの時、
席を指定されて他人の机に座らざる得ないケースで、
相手(虐めの加害者)は人のことを「ばい菌」扱いしてたから、
「(私に座られるのがイヤだから)机と椅子を変えて」
ってふてぶてしく言ってきた。

私は笑顔で、自分の椅子と机をもってきて、
彼女の机と椅子と交換した。

惨めでしょう?(笑)

次回からはいわれる前から、
テストの時は、自分の椅子と机を彼女のと交換しておいた。

それくらい、
大人しく、人に対して人畜無害すぎるような
性格だったんだよ、私って。

だから、虐めの加害者はエスカレートして、
まさに踏みにじられるがままだった。


あの頃の私に会えるなら、言いたい。

グッと体を抱きしめてあげて、
「あなたは”ばい菌”なんかじゃないんだよ」
「お母さんとお父さんに大切に想われて生まれてきた、
大切な一人の命なんだよ。」

・・・って、
心を込めて言ってあげて、
それで、「相手に思いっきり、やられたことを
やり返してやりなさい」
って言うだろう。

…っていうか、今の私がじかに
そいつらをぶったたいてくるだろう。


多分、あの時虐めた当事者たちは、
私を虐めたことさえ忘れてるだろう。

当人達にとっては、ストレスのはけ口とか
「おふざけ」程度にしか思ってないと思う。

事実、虐めの加害者は、
今振り返っても、どこか歪んでいた。

本当に頭のいい人は
いじめなんかに参加しなかったし、
同調もしなかったし、私に対しても
普通に接してきた。

もちろん、助けてくれる人だっていた。

そういう人たちは、愛されて、
また自分をも他人をも愛し、思いやれる
人種の人たちだと思う。

…でも残念ながら、
世の中には、どこか屈折してしまっていて、
他人を思いやることのできない人がいる。

そういう人達(虐めの加害者たち)も、
多分本当は自分を愛せてないんだと思う。
いい環境で育ててもらってないんだと思う。
「何か」があるんだと私は思う。

そうじゃなきゃ、
他人や自分より弱い立場のものを
卑下して差別して虐げて、
それで優越感や快感を得ようなんて、
「普通の感覚」なら、思わないはずだよ。

・・・でもね、
もうどんな犯罪の被害に遭おうとも、
絶対泣き寝入りだけはしない。

何もしてないのに、
傷つけられる”いわれ”はないもの。

それに、第二、第三の被害者(ワタシ)を
作りたくない。

皆、傷つけられることなく、
虐げられることもなく、
生きる権利をもってると思うから。


私があの頃の虐めで受けた傷や影響は
計り知れないほど深く、大きい。


人生においても、
人格形成においても、

私は大きな悪影響を受けた。


私は人の何倍も傷つきやすい、
ナイーブな性格をしてる。

だからこそ、人を傷つける人は
許せない。


痛みがわかるからこそ、
それを許してはいけないと思う。

今、この瞬間も、
誰かが
何者かに不当に傷つけられたり、
何かを奪われたり、
事件に巻き込まれたりしてる。

そんな人が一人でも減って欲しい。
私は本当にそう願ってる。



私が人より「潔癖」で「正義感が強い」のは
そういう理由。









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2005年08月26日(金)



 はぁーあ…

何を思うのか知らないけど、
リアル事情(妊娠とか、就職活動とか)
の理由がある人も多いけど、

どんどんクラン員がクランを抜けてく。

常連の人まで・・・。

そのたびに
むなしくて、悲しくて
胸が痛む。

暗い気持ち・・・。

もう、
クランなんて

解散しちゃいえばいいのに…。

なのに連れは多分、
解散しないだろうなー。

いくら私が
「解散したほうがいいんじゃない?」
…っていっても。

クラン員なんて、
どうせ薄情。

どんなにクランに愛着を
もってるように見える人でも

ある日、
ポイッと前触れもなく抜けちゃう。

所詮、そんなもの。

頑張るだめ無駄。
もったいない。

そんな実情がイヤで
私自身が抜けたくても、

私は抜けさせてもらえない・・・。





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2005年08月25日(木)



 「世界の中心で、愛をさけぶ」を初めて見て、恋愛について振り返った。

昨日、

「世界の中心で、愛をさけぶ」(ドラマ)
の再放送の1回目を偶然見た。

丁寧で純粋なストーリーに
感動した。

名前だけは知ってたけど…、
本当にこれこそまさに「純愛」だなって
思う世界だった。

役者さんが上手なのもあるけど、
主人公が健気で魅力的でした。

…でも、
とても大事なものを
愛せるものを得ても、

結局それを失うならば、
果たしてそれが、
「幸運」とよべるかな
、と思った。

例えば、17年間も苦しみ続けないと
いけないほどの痛手ならば・・・。

得たものが大きければ大きいほど、
それを失った時、「諸刃の剣」となって
自分の心を切りつける。

・・・・・。

あと、いいなぁって思ったのは、
やっぱり、いまどきではありえないくらいの
「純愛」
かな?

女の子はそうじゃない人も多いかもしれないけど、
男の子(人)って(特に若い時は)
「恋愛=すぐに性関係」を求めてくる…。

たとえ女の方が、
「プラトニックの心の絆」
恋愛に対して望んで、求めていようが。。。

・・・そして、

好きだから、
相手を失いたくないから、
相手との関係を壊したくないから、
自分の気持ちを多少曲げても、相手にあわせる…。

少なくとも私はそうだった。


・・・それは、とても悲しいことだと思う。


私はあの頃、「恋愛」するほど、
まだ精神的に、「性」に対しても「恋愛」に対しても、
目覚めてなかった。


心は完全に「子供」だったのだ。


それにも関わらず、

私は無理に「子供」から「大人」になった。

それゆえ、
とても苦しんだ。

心が病んだ原因もこれが大きい。

男の人も、強い性欲は「本能」だから
つい急いでしまう、仕方ない面もあると思うけれど、

ましてや今は「性」に関して流されやすい時代だから
自分の気持ちを貫くのは、難しいかもしれないけれども、

男の子は少し立ち止まって、
「相手の気持ち」をも大事にしてあげて欲しい。


・・・と、思う。

もっとも
付き合いはじめ1年から3年くらいまでは、
お互いが手探り状態だし、
相手への理想化が激しい時でもあるし、
感情自体も、とても激しく、不安定だから、
とても難しいコトだけどね。

・・・・・。

私は昔、
「自分の”性”(ジェンダー、女であること)」を
否定して、酷く嫌悪していた時期があった。


だからこそ、
「性の感覚」が発動源にある「恋愛」についても
理解ができなかった。

「男(オス)」であるとか
「女(メス)」であることを
強く否定した価値観だったからだ。

つまり、男性をみても、
「”人間”としてみて、”男”と意識しない。」
状態を維持していた。

「恋愛」(オスとメスの性感情の付き合い)よりも、
「人間としての絆」をとても大事にしていた。


だから、
仲良くしていた男友達に「恋愛感情」をもたれると、
とても嫌な気持ちになったし、憤りさえ感じた。

自分の「友情」を裏切られた気持ちになった。

今までの絆が、「恋愛感情」というものの前に、
もろくも崩れることに、
そしてお互いが性の違いですれ違い、
お互い傷つき苦しむことに、
人生や生き物の仕組みそのものを酷く憎んだ。

大人になると、
異性を「恋愛対象」として見るのが当然で、
「友情」を優先することが「酷いとか可愛そう」とされる、
「恋愛感情優先主義」な風潮
を酷くうらんだ。

…今でも当時の自分を思い出すと
涙が出そうになるほど、苦しん苦しんで、
自らも自らを責めた・・・。


私はただ単に、「強い拘りや信念(ポリシー)」を
守っていたかっ
のと、
まだ性的に”未成熟”なだけだったのだけれど…。

話が少し脱線したけれど、

あの時私が異性に求めていたのは

「限りなく「友情」に近い「恋愛」」だと思う。
(友達以上恋人未満な関係)

今思うには、
やっぱり異性の間の友情は、
友情でも「同性との場合と違った友情」だと思う。
またバランスのとりかたが、とても難しい…。

「同性同士の友情」と「異性間の友情」は
種類が違うと私は思う。


決して、「異性間の「友情」は成立しない」
なんて、言いたいわけじゃない。
私は異性間でも「友情」は成立すると思う。

…ただ、同性同士より惹かれ易いし、
好きになりやすいし、楽しいから、

深くなれば「恋愛感情」になってしまう
ケースが多いということだ。


私は、過去に何度か痛い目にあってるので、
男性と女性には接し方を違うようにしている。

男友達には、同性の友達に対してよりも、
距離をおいて冷たく接するように”努力”しないと、
同性の友人と全く同じように接していたら、
うまくいかなくなったり誤解をよぶ…と、経験から気づいたからだ。

・・・。

あの頃、昔…、

私は「男」と「女」が違うことを
認めたくなかった。


自分を「女」と認めたくなかった。

強い拘り(理性)が、本能の自然な発生をシャットアウトした。

だから「恋愛感情」も理解できなかった。
…というより、私には、「わからなかった」。

今はもう、内面も性的にも成熟して、
そうではないけれど、

・・それでも、

「純愛」に対する憧れは
今もまだ変わらない。



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2005年08月22日(月)



 子供の頃の思い出。

久々に、母の実家の田舎にいった。
川で泳ぐために。

子供の頃、いっぱい遊んだ。
私にとってその場所は
心の故郷だった。

…でも実際行ったら、
なぜかすごく悲しくなった。

「こんな場所だったっけ?」

…って思った。

盆踊りで屋台が沢山出てて、
輪になって一緒に踊った、
駅前のスペース。

「…こんなに狭く、小さかったっけ?」

久しぶりにいった川は、
昔のように泳ぐ人はいないのか
真夏にも関わらず、人影は一人もいなく、

川底には、
昔はなかった「藻」がいっぱい
生えていて、ツルツル滑った。

泳ぐ人がいない証拠だ。。。

昔は地元の小学生、中学生らが
こぞって泳ぎにきてた場所なのに…。

泳いでも、昔みたいに楽しくない。

以前は2時間くらいゆうに楽しんでたのに、
30分くらいであがろうと思った。

「場所」はそのままなのに、
「私の感覚」が変わってしまったらしい。


何もかもが
規模が小さく、廃れてみえる。

子供の頃の思い出を
理想化しすぎてたのかな…。

子供の頃は何もかもが
輝いていた。

何もかもが大きかった。

単なる岩垣を登るのさえ、
楽しみだった。

意思を向けなくても、
些細なことに興味をもてた。

子供の頃は、見るもの全てが新鮮で、
大きな大きなエネルギーをもってたのだと
とても思い知った。

・・・・・・。


でも
なぜあんなにも
悲しくなったのだろう…。


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2005年08月20日(土)



 息が苦しい…。(再び神経症状再発)

息が苦しい…。

胸が苦しい…。

動悸がする…。



自分でもなんでかわからない。
でも苦しいのよ…。

こうなったキッカケは本当に些細なコト。

私が自分の部屋でぐーすかぴーすか寝てた時、
実家から帰ってきた母親が、帰ってくるなり、

「おーい!静花さん、帰ってきたよ〜!!」

…と、いきなり部屋のドアを開けて
大きな声で私を起こしたのだ
…。

ただそれだけなんだけど、
私の神経がよっぽどビックリしたのか、

それから、胸がドキンドキンなって、
息が苦しくて、胸が詰まって…。

手も震えて、しんどくてしょうがないので、
急いで頓服(ソラナックス2錠)を
口に放りこんだ。


母はその様子を見て、
「ごめんね」と後悔して謝ってた。

でも、どうもそれ以来、調子がおかしい。。

その時から、数日間、
毎日のように必ず辛くなるときがあって、
溜まらず頓服を一日に一回は飲む。

別に理由なんてない、
ただ”ちょっと緊張した”とかそういう事態だけで
発作?が起きる。

実は今も、しんどい……。

息が苦しいよぉ…。
口で息して「ハァハァ」いってる。

頓服もう一回飲もうかな…。

本当、なんでかわかんない。
ここ数ヶ月こういうことなかったのに、

あんな些細なキッカケで
また元に戻っちゃうわけ????

。。。なんか悲しい。。。

一度壊れてしまった自律神経?は
もう元には戻らないのだろうか……。


そういえば話は変わって、

引越し日が決まりました。

9月の16日に今住んでるマンションを
退去するらしいです。


だからその日か、前日か、
もっと前…かな???

引越したら、しばらくネットできないかもなー…。
(ネット環境整えるの大変だし…。)

なんにしても、
またあんな大変な思いしないといけないと思うと、
億劫ですごい面倒くさいです…。
(しかも9月ってまだ暑いじゃない…(~_~))

求人チラシと求人雑誌(フリーペーパーだけど)、
毎週欠かさず見てるけど、いい仕事見つからない…。

週4日(通院日に休めて)で、足使わなくて
接客じゃない仕事って、本当にナイ……

困ったナァ…。





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2005年08月16日(火)



 やっぱり仲直り。

うー…、暑い…_| ̄|○!l|
今日は、ものすっごい暑さでした…。
まさに、殺人並みでした・・。

なんか胃の調子、
おかしくなったみたいで
胃薬飲みました_| ̄|○!l|
(多分クーラーの風が直にかかる
場所で寝ちゃったからだと思うけど…)

結局、(ていうか昨晩?)やっぱり
連れとは仲直りしました。
(…というか、私が許したというか^^;)

原因は「ネトゲのサークル運営」の方針で
お互い主張することがすれ違った
から…。

ハタからみたら
「たかがゲームで何揉めてるの?」
…って思われるかもしれないけど、

私自身、そのサークルを作った当事者だから
すごく愛着があるし、大事だし、
連れも(昔は私がリーダーだったけど
今は連れがリーダー)サークルを
「アットホーム」な場所にしたいが為、

お互い、それぞれがサークルのことを考えたゆえの
意見のすれ違いだったんだけど…。

たかがゲーム、されどゲームで、
連れと揉める原因の7割はゲームのことで
揉めます^^;
(本当アホだけど)

お互い熱中してるから、余計なんだろうけど…。

(ちなみに私達のサークルは二十数名の人が
加入してます。)

仲直りするとやっぱり、仲良しで…。
(というか揉めても大抵数日で元通りになる…)

やっぱり・・・
一緒にいると楽しくて、幸せです・・・。

向こうが一方的に怒ることは、まず
無いんですけどね…。

大抵私のほうが拗ねたり、カチーンとなったりして、
「もういい!」ってなる…。

本当にお子様です・・・・。

でも私は、そんな私でも見捨てないで
幸せにしようと一生懸命になってくれる、
そんな連れの大人な性格を
(というか、ただのんびりおっとりしてる
だけなのかもしれないけど)尊敬してます。

…でも、

もし「じゃぁ、もういい!別れる!」っていう
切り札がなくなったら、
私どうなっちゃうんだろうって思う。

「Silent Song」にも書いたけど…、
私は結局、頭に血が上ると、ゼロにしようという
”負”や”自滅”のエネルギーに突き動かされます。


「もう、どうなってもいい!」
…となり、自分自身についても
どんなに傷ついても、ボロボロになっても
構わない、でも自分の意思は絶対貫く!!


…って”頑な”になっちゃうんですよね…。

すっごい頭でっかちで頑固だと、
自分でも思うけど…。

しかも、一度その流れにのっちゃうと、
引き返せない…。

…私は私の人生の中で「負」や「自傷」の中で
生きることのほうが多く、
そういう状態のが「慣れてる」部分があるんだと思う。

いつも悲しく寂しい冷めた瞳で、
サングラスをかけて、”モノトーン”の景色を
眺めて「死」を見つめるような、虚しい、孤独な時間を
生きてきた…。


だから、そういう状態に慣れてる分、
そういう状態には、すごく「耐性」
できてるんだよね。

だから思いつめると
思いっきりその方向へ戻ろうと
突っ走っちゃう。

「私はそんな風でも生きていけるのよ」
って変な自負があるから・・。

だから
「一人になっても平気。」
と強がってる部分がある。

自分自身をどれだけ窮地に追い詰めようとも、
どれだけ苦しくても、傷ついても、ボロボロでも…
「意思」のが勝っちゃう。

プライドがものすごく高いんだろうね、きっと…。

…なんてちょっと今日は
自分自身について自己分析してみました。
(なんか取り留めもない日記…)


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2005年08月02日(火)
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