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2005年08月27日(土)
復元力
 人材紹介会社を利用して以降、転職活動は応募企業との面接に辿り着けず、むしろ書類選考の段階で落とされるようになってしまった。このままでは転職活動に決着がつかない。それと、現在の会社で新しい仕事に携われる事態も手伝って、転職活動を一旦停止することに決めた。決意が揺れて行動に一貫性が失われたのは、ここ数ヶ月の沈鬱さが青い鳥の幻覚を見せていたように思う。結局どこで働こうとも、どの時代を生きていようとも、如何に覇気を保ち高められるかという気力の問題に約められる。


 ユーザ企業の情報システム部門に勤めるには、システム利用部門(つまり、情シス以外)の人たちと如何に話しやすい関係を築き上げるかが重要になる。その点、僕は恵まれているように思う。ごく最近までは、中年男性社員を中心に向上心に欠けている点に倦厭を抱いていた。けれど、彼らを含めて優しい人が多いのはこの会社の財産だと思う。入社当初の初心を思い出せば、「パソコンってなんですか?」と言いかねない人にとっても分かりやすく使いやすいシステムを作って、関心を抱いてもらうことこそが僕の使命なのだ。この会社に僕の席が出来てから、昨日で4年目を迎えた。周りの誰かを非難するよりも、もう一度この会社に入り直したつもりになって己の本分を少しでも多く果たしたい。


 僕もその周りも、鬱気味な症状にしばしば陥ることがある。将来が不安になったり、そもそも何が怖いのかが分からなくて何にも手がつけられなくなる。そして時には、誰にも会いたくなくなる。そんな心境を迎えるのは仕方ないし、そんな時は何もしなくていいのだと思う。余程深刻な事態でなければ、時間の経過に伴って心境が好転する。肝心なのは、気持ちが回復した時に「なぜあの時気持ちが沈んで、どうしてここまで回復できたのか」を自分で見つめることだ。半ば躁な状態になると鬱だった時のことなど忘れてしまう。けれど、もちろん永遠に躁ではいられずにまた気分が沈むだろう。この時、なんらかの教訓がないと、回復に前回と同程度の時間を要してしまう。それでは前回の鬱の体験が生かされず、勿体ない。踏まれないように逃げるのではなく、踏まれても起き上がれる復元力を養いたい。


 ちなみに、「やまない雨はない」とか「明けない夜はない」という言葉は嫌いだ。雨はまた降るのだし、暮れない太陽もないのだからだ。雨の日や夜も認容できてこそ、本当に前進できるのだと思う。


 今日は、初めてソフ開の過去問題(午前問題)を1回分だけ模擬形式で解いてみた。結果は正答率7割ちょうどで、合格ライン上だろうか。もう1回か2回、基本書を読み返したほうがいい。 //


2005年08月20日(土)
選挙の行方
 昨夜、今勤めている会社の労働組合が催す中央大会に一組合員として出席した。年内の転職を企てている僕にとっては最後の中央大会だったけれど、特別な感慨はなかった。組合の幹部といえる中央執行委員と一般の組合員との間に、依然として大きな温度差を感じた。数ヶ月前に「中央執行委員をやってくれないか」と頼まれた。けれど、労働環境を良くするための方法は、組合を介さなくても幾つかある。その中から僕が選んだのは「転職」で、自分だけがいい環境に逃げられれば十分だと判断した。そんな自己中心的な僕に中央執行委員など到底やれるはずがない。


 衆議院選挙の最たる争点に郵政民営化が挙げられそうだけれど、郵政民営化は、経済活性化や公務員制度改革に関するそれぞれの一手法に過ぎない。閉塞した社会ではカリスマ性の強い革命家が歓迎されがちで、現在の小泉内閣が高い支持率を保っているのも、小泉首相のキャッチコピー的な言動によるところが大きいのだろう。けれど、こんなに問題が山積みな今の日本に必要なのは、郵政民営化というミクロな争点に絞る政治家ではなくて、大局的な見地を持って一つでも多くの問題を根治療法で解決できる政治家だ。ワイドショーにも映るようなパフォーマンスも結構だけれど、立法府の一員として自覚を持って地道に法律を作ってほしい。


 今度の選挙は、広島6区の結果が全体の縮図になりそうだ。ライブドア社長の堀江氏と郵政民営化に反対した亀井氏との対決が世間で大きくピックアップされる中、前衆院議員である民主党の佐藤氏がどうやって食い込むか。民主党は、以前から小沢一郎氏が危惧していた「地道な地域活動の欠落」をどれだけ解消できたかが問われる。 //


2005年08月17日(水)
指示を待つうちに歳月は過ぎてゆくこと
 W杯アジア最終予選では日本代表がイラン代表に2-1で勝って、予選リーグを1位で通過した。日本が珍しく試合開始から積極的に相手にプレスをかけていて、サイド攻撃がかなり効いていた。先取点の場面では、加地がよくゴール前に詰めていた。今日対戦したイランは、アジアの中で最も強豪だと思う。速く芸術的なドリブルを武器とする主力選手、アリ・カリミが今日は出場していなかったものの、身体能力の高い選手が揃っていて(2002年W杯で4位になった)韓国よりも強く感じる。そんなイランを相手に勝って予選を終えて、まさに有終の美だった。


 仕事中、部長と雑談しながら新しいシステムを導入したい旨を伝えたら、「やりたいことがあるのは分かるけど、今期にやることはこっちから指示するから」とあっさりいなされてしまった。「君はまだ若いから、先導権を持って仕事してもらうことはない。他の課員の指示を待って仕事してくれ」。そんなニュアンスがありありと伝わってきて、この会社では成長できないと改めて感じた。現在関わっているパソコンの仕事を一生続けていけるとは思っていないけれど、続ける間は技術や知識を深化させたい。そんな気概が萎える一日だった。9月に昇級できたらこの会社に残留しようかとも一時は考えたけれど、やはり今こそ動くタイミングだ。そんな決意がこれで完全に固まった。そういう意味では、部長に感謝したい。夕方、昨日連絡を再開した人材紹介会社の担当者からメールが来て、2つの案件を紹介してくれた。渡りに舟が来た。 //


2005年08月16日(火)
休み明け
 盆休みが明けて、今日から仕事だ。朝早くから資格試験の勉強をするつもりが、起きるのが億劫でいきなりさぼった。本質的にやる気に欠けている証拠だろう。職場に着いてメールを確認したら、会社の人からメールが届いていた。それは、僕がホームページで載せた文章についての感想だった。この文章で退社を示唆する部分があったので、それを気にしてくれたのだろう。さらに、文章に対する添削までつけてあった。自分だけでは文章がうまくなるにも限界があるだろうから、こういうことが嬉しかったりする。ただこういう素敵な人が同じ職場にいても、転職するだろうという意識に変わりはない。今日も、人材紹介会社との連絡を1ヶ月ぶりにメールで再開した。それと、盆休みに決めた次の転職活動先をインターネットで今一度調べ直してみた。トイレの落書きにも真実は宿っている。そんな信念を基にして、インターネットの情報が信用するか否かを僕は判断している。そして、調べた結果、この会社への応募を止める結論に達した。必要とされるだけでそこに飛び込んだら駄目だ。それでは、今の会社にいるのと変わらない。


 テクノも良いけれど、時々ジャズを聴くと無性に心地良い。 //


2005年08月15日(月)
例えが結局は何も例えていないこと
 夏休みの最終日である今日、ソフ開の勉強を再開してみる。しかし、ここしばらく仕事でも頭がまるで働いていなかったおかげで、「憶えられない」だとか「解けない」の連続だ。頭は使わないとどんどん錆び付くのだと自ら実証してしまう、哀しい一日だった。とはいえ、ここでセンチメントに陥ってもいけない。自分は無能だと考えもなく嘆くばかりでは、更に脳がつるつるしてしまうからだ。


 今日は終戦から丁度60年の日だ。戦死者について、国のために命を捧げたなどという表現が今でもしばしばなされるけれど、そうではない。国に殺されたのだ。勝てる見込みがなくなった戦いをやめる事ができず、特攻させるような国をどうやって正当化できるのか。けれど、心の何処かで明らかに間違っているとは気付きながらも、国を愛するが故に命を懸けるしかなかったのかもしれない。狂った恋のようだ。


 首相の靖国神社参拝に関する是非がテレビで集団討論されていた。その中で「アジアに配慮する必要があるか」がテーマになる場面があった。討論の参加者は、「中国や韓国に配慮して参拝を止めるべきだ」と「アジアの他国が意見するのは内政干渉だ」という意見に分断されていた。


 『地域の住民たちを殺害して服役していた担任が同窓会に来ることになりました。けれど、その同窓会には卒業後30年会えなかった親友が出席すると聞きました。その学校の校長になっているあなたはその同窓会に参加しますか。』


 首相の靖国参拝問題を少しでも身近に考えようとしたら、こんな例えになるだろうか。けど、この例だったら「校長になってるんだから行かないといけないだろうし、親友もいるんだから会いにいけばいいじゃん」な発想になりそうだな。この例えはどう違ってるんだろう。


 脳に皺が欲しい。 //


2005年08月14日(日)
下地
 ソフトウェア開発技術者(以下「ソフ開」)試験の勉強をずっとさぼっている間に、試験まで2ヶ月しかなくなっていた。明らかに間に合わないけれど、我に帰ってやるだけだ。転職先として考えている企業や職種では、この資格を持つほどソフト開発の能力を必要とされているわけではない。それどころか開発業務に全くタッチしない可能性だってある。それを理由にして勉強をさぼっていた。しかし、当初の目的を思い出すと、この資格はあくまで下地なのだ。ソフ開に受かって資格手当が出るわけでもないし(といいつつも出たら嬉しいが)、資格を取ったからといって開発がうまくなるわけでもない。この勉強を通じて業務知識の吸収力が高まればいいなと期待している。それと、別の資格を目指すために勉強という行為に慣れる。そんな下地を身につけておきたい。だとすれば、これからが正念場だ。今の会社で少しでも速く仕事を進めて、無駄な残業を控えたい。そして、勉強を習慣にできるような時間を確保しておきたい。「2ヶ月では受からない」という現実的・悲観的な思いも頭をよぎるけれど、転職活動も進めるべきこの状況で受かったら、間違いなく自信になる。
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2005年08月13日(土)
聴く者がいなくとも弾くこと
 今月4日に受けた面接は不合格に終わった。面接直後の感触があまりにも悪かったので、当然の結果に落胆はない。但し、次で同じ失敗をしないために反省する必要がある。そこで、面接の中で繰り広げられた質疑応答をExcelでまとめてみる。すると僕の回答は総合的に玉虫色で、なんとでも解釈することができることが分かった。当たり前だが、これでは全く個性をアピールしたことにならなくて面接の意味がない。あとは、ヘルプデスクとしての業務経歴しか伝えられなかったのが勿体無い。などなど、多くの反省点は次の面接で生かそうと思う。


 昨日、昼過ぎの2時間を隅田川ほとりで過ごした。アコギを弾きながらイエモンの「バラ色の日々」やゆずの「雨と泪」などを歌っていたら、自転車に乗った小学生男子が「うまいよー」と言い捨てて、サラッと通り過ぎて行った。単なる冷やかしだろうけれど、外でギターを弾くようになってから初めて声をかけられたことに胸元が少しくすぐったくなった。 //


2005年08月07日(日)
浮揚
 昨日は松戸市で花火大会があった。松戸市内でジャズバーを開いている師匠のもとへ遊びに行った。気持ちがいまいち内向しているせいで、初対面の人全員とはうまく接点が持てなかった。けれど、何人かとは良い面識を持つことができて、浮揚する変曲点を予感した。ジャズに限らず、やはり音楽は生の演奏が一番だ。昨日のライブではトランペットとドラムに心を躍らされた。昨日ジャズバーに来た人たちにとって、NYCはジャズの街だろう。一方僕は、NYCと聞くと真っ先にPET SHOP BOYSの「NEWYORK CITY BOY」のメロディーが浮かぶ。そんなテクノかぶれの僕にとっても、昨日のジャズセッションは気持ちを開放させる魅力をたくさん放っていた。


 ジャズバーの常連さんと話していて、これからの文芸的な創作活動に一筋の光も見えた。表現の基礎さえ身につけていれば、あとは特別なことを書こうと思わなくていい。ただ想起されることをつらつらと綴っていけば、それだけで価値のある作品を残せるはずだ。特定の誰かに読んでもらえないことに不貞腐れるのではなく、感性を自分だけが信じていれば十分と気付いた。誰かの目を気にして他人のために時間を捧げるのではなく、あくまで自分のためだけに費やした時間の成果が他人に影響をもたらせたらいい。


 大抵の分野において才能は先天的なものではなく、止まらずに進んだ結果として後天的に培われる。努力という言葉は苦手だしそう呼べる過程があったとも思わない。ただ、せっかく生きてるのだから、たとえ思い違いであっても一瞬でも信じることのできたことを続けてみようと思う。


 転職活動の続行に決断が出ていなくても、今の会社でやるべきことが若干残っている。先日の面接ではヘルプデスクとしての業務にしか面接官に着眼されなかった。それは無理もない。冷静に考えたら、ヘルプデスク以外での価値を僕自身が今の会社で生み出せていないのだ。その発見が出来ただけでも、先日の面接やこの週末には意義があった。昨日買ったMDウォークマンで今までよりも自転車通勤を楽しみながら、明日から前進的に仕事に臨みたい。 //


2005年08月06日(土)
曇りガラスの夏
 部屋には日焼けで剥がれた皮があちこちに散らばっている。蝉のように一気に脱皮してくれれば楽なのに、埃のようで汚い。気力が減っているので掃除をしようとも思えない。この精神状態では人に会うのも憚られる。友人と会う約束が立ち消えた時、残念さが湧くと同時に迷惑をかけずに済んで少し安心した。


 先日の面接は、結果こそまだ出ていないものの明らかに失敗だった。言いたいことの半分も言えず、言ってはいけないタブーを連発した。確固たる自信を持って発言できないのは、今の会社で誇りに思える実績を残せていないからだろう。まだたったの1社しか受けていないが、転職出来る程の市場価値が自分にはないのかも知れないと思わされた。これから先、何処に行けばいいのか迷いが強くなる。ただ、転職によって環境を変えても自分自身も何処かしら変わらないと、今後も同じようなきっかけで不要に転職を繰り返してしまう懸念がある。今の職場でどれだけ自分が変われるかを、もう一度だけ試した方がいいのかもしれない。先日の面接について結果が通知されたら、転職活動を続けるか否か決断し直そうと思う。


 去年の冬、宇都宮駅構内で少年がイエモンの「バラ色の日々」をギターで歌っていた。それを思い出した昨日の夜、同じ歌をその少年と同じキーでギターを弾きながら歌ったら、不思議な高揚感があった。部屋は楽器の持ち込みが禁止されているのに、隣人が管理人に告げたら大変だ。 //


2005年08月03日(水)
データ復元
 仕事は、Windows98が起動しなくなったパソコンからデータを抽出するのに難儀した。フロッピーディスクドライブが認識されず、CDからLinuxを起動させてもデータをうまくネットワーク経由でサーバに退避させることができない。仕方ないのでCドライブにWindowsを再インストールした後、データ復元ソフトを用いてCドライブ内のデータを無理矢理復元させた。このパソコンの利用者にとっては救いになったかもしれない。けれど、僕にとっては3時間の不毛な残業に過ぎない。そもそもパソコンをWindowsXPの機種に入れ替えていれば、この事態にはなっていなかったのだ。時間さえかければ仕事したような満足感が得られれば幸せだけれど、到底そんな姿勢では仕事ができない。パソコンの保守に終始する仕事は完全に飽きた。


 社内のとある営業マンの使うパソコンが壊れたとして、その人が10日かけて作ったExcelの資料を、僕が5日費やして復元させたとする。このような場合、僕は「この人のために5日も使うなんて馬鹿馬鹿しい」と思ってしまう。僕ならばその資料を2日で作成できるし、経験上、代わりに営業に出てもその営業マンよりも成果を上げる確信があるからだ。情報システム部門の一人としてライン部門をサポートするのなら、僕よりも有能な人若しくは別種な才能の持ち主に尽くしたい。自分に特別高い能力があるとは思わないけれど、明らかに無力や無気力な人のために汗をかいて、しかもその汗を笑われるような今の職場に居続ける意義は限りなく小さい。 //


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