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2005年05月25日(水)
出張明け
 札幌での3日間は、それまでのダイエットや倹約を台無し以上にした。けれど、食べ物が本当に美味しかったので後悔はまるでない。また痩せればいいし、普段の生活を質素にすればいいだけだ。


 出身の大学卓球部が、関東学生リーグで不本意な戦績に終わった。卓球部との関係を疎遠にしていたけれど、これを機に少し練習に参加してみよう。 //


2005年05月22日(日)
札幌出張の半ば
 札幌出張の2日目。朝9時半からパソコンやプリンタをいじる。ケーブルをモールの中に取り込んだりもして肉体労働的だ。一昨日までの研修では頭ばかりを使っていたので、仕事で身体を動かすことが出来て良かった。作業は順調に進み、午後5時に終わった。ホテルで少し休んでから、札幌市内を一人散策する。本屋で「おいしい おいしい」を買い、楽器店でギターの弦を買った。東京でもできる買い物を札幌で済ませるのはどうなのだろう。夜は「魚作」でにしんの刺身などをつまみながら日本酒を飲んだ。


 作品に対する一番の酷評は黙殺だ。だとすれば、意見を創出させるような作品を作らないといけない。 //


2005年05月20日(金)
メモ
 柄にもなく筋トレをしたせいで腰痛がひどい。早足で歩こうとすると腰に響くので、どうしても歩幅が小さくなる。おかげで歩くのがかなり遅く、今朝は何十人に追い越されたことだろう。


 今日から、村上春樹「国境の南、太陽の西」を再読している。明日からは2泊の出張だ。 //


2005年05月19日(木)
Off-JT
 全4日間でデータベース関連の研修を受けていて、今日3日目が終わった。この研修で習っている内容は、システム担当者ならば誰もが知っているはずのものだ。しかし僕は、OJTで学べると想定していて勉強を怠っている内に今日まで来てしまった。足りない知識をようやく補うことができて良かった。あとはここからどう進化していくか。自分の能力不足を棚に上げて会社の不満をこぼす前に、成すことはある。誰かを非難する場合でもないし、誰かに嫉妬して気持ちを沈める必要もない。


 新調したスーツを着るために減量を試みているけれど、まるで痩せない。夕食を食べすぎなのだろう。 //


2005年05月13日(金)
メモ
 酔って携帯電話をいじると宜しくない。夜中に友人に電話をかけ、メールを誤送信している。


 黄金週間に散文を書いた時は闇の中にいる心境だった。その散文の続きを書くために、その闇を取り戻すべきなのだろうかと自問する。


 先月の脱線事故でJR西日本が責め立てられているが、責める権利は遺族にしか持てないと思う。 //


2005年05月10日(火)
理解は誤解かもしれないこと
 小説にもギターにも、ましてや参考書にも触れる気が無いとき、銀色夏生「庭を森のようにしたい つれづれノート(13)」を手に取っている。


 「誤解されることはとてもやるせないことだけど、そういえば、世の中は、誤解されないことのほうが少ないようなものかもしれない。他人に正当に認められないからと言って、がっかりするのはやめよう。他人に正当に認められようと望むことこそ、甘い夢だ。きっと人は人のことをほとんど誰もわからない。
 そして、ちゃんと自分を見てくれた人から、けなされすぎもせず、ほめられすぎもせず、ちょうどよく自分を認めてもらった時には、本当にうれしいものだ。」


 僕も、他人を誤解してないことの方が限りなく少ないのだろう。相手を少しでも分かったつもりになって得意になるのではなく、分からないという現実を認めて踏まえながら、それでも放たれる相手の個性を大切に掴みたい。


 ベランダの防護ネットを全て取り除いたら、容赦なく鳩が集って困っていた。けれど、手摺りのすぐ上にテグスを張ったら鳩は来なくなった。これで夏には隅田川の花火大会をベランダで存分に楽しむことができる。防護ネットで9階からの眺望を損ねている隣人に勧めたいくらいだ。


 消費したものをリストにして笑みを浮かべるのではなく、自ら生産するものを胸中で静かに誇りにしていく意志を持てたら、僕の文章はもう少し良くなるのかも知れない。 //


2005年05月08日(日)
黄金の時たちが過ぎること
 黄金週間は殆どを家で過ごした。友人から温泉に誘われていたが断った。気分を変えるには行楽が有効だったのかも知れない。けれど、改めるべき心境は割と根が深そうで、温泉に浸かってお酒を飲んでも表層しか洗われない気がした。連休の間は自転車で都内を走り、ギターを練習して、送別会に備えて「贈る言葉」をテクノバージョンで作ったり、小説を読んで時々文章を書いた。連休が明けても胸中は依然として泥濘に浸かっているけれど、なすべきことの位置付けが少し見出せた。今の僕には、それだけで連休の意義があったと認めたい。なすべきことを列挙して、それらに着手できていない原因を洗い出す。今まで逃れていた鏡と向き合うのは苦行でもあるけれど、温泉でも温まらない心の深層を取り戻すために必要な行為なのだと痛感した。


 お茶の水の書店でファン・シネの「スタイル」を立ち読みして、身体を動かすことの大切さを思った。 //


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