TOHGA嬢の生活



卒業論文口述試験

2004年01月28日(水)

 たかだか10分の質疑応答だったのだが、なーんにも考えずに出席したので、色々テンパッた。

 ところで、テンパるの語源って何?

「論文では十回以上の体験レポートがありますが、それらを通してどう感じましたか?」

「今回の論文製作で、何を得ましたか?」

 こういう質問に答えるのは苦手だ。

 最後に、とか。まとめ、とか。

 本当に何をどう言えば良いのか、途方にくれてしまう。

「レベルが3っつくらい上がった気がしますが、上位ジョブにチェンジするには、まだまだ基礎能力値が足りない感じです」

 こんな事は、流石に言えない。

 あんなにチェックしたのに誤字脱字がまだいくつか厭らしく残っていて、規定時間内に原稿の差し替えをして、研究室に提出した。


 待ち時間中に、クラスメートから謝恩会の参加費を聞いた。

 2万…6千円!?

 なんなんだ、そのボッタクリな金額は。

 なんで赤坂のホテルなんて場所をわざわざ選んだのか、実行委員の正気が知れない

 しかも卒業式では袴禁止で華美で無いスーツで来いとか言ってるし。

 服装を質素にさせるなら、会費も質素にして欲しいものだ。


奇術愛好会新年会

2004年01月24日(土)


「えー、と。みなさん練習しましょう。私みたいになりますよ?」

「きみと彼じゃ釣り合わない」

「日記じゃ仲悪そうだけど、リアルじゃラブラブなんでしょ?」

「そろそろ結婚を視野に入れたお付き合いがしたいんだよね!」

「あー、俺達結婚するから」

「トランプはセブンブリッジする為にあるんじゃないっす!」

「じゃあチップは醤油で」

「これから研究所に泊まるから、寝袋買ってきた」

「会ってなかったら、もっとヒネくれた書き方してるよ」

「せんぱーい、私も今度、ドルフィー買います!!!」

「テーマは孫悟空で」

「この部屋は朝9時まで使えますので、皆さん安心してください」

「何処のスキー場にする?」

「今日は彼の為に、カンペ作ってきました」

「以下、アドリブ」

「じゃ、今から裁縫するから」

「これさー、ひとつじゃ意味無いんだよね」

「用途・・・眠気覚まし!? これ、安眠マスクじゃないよ!」

「イメチェンしました。TMレボリューション? 寧ろチャラ男?」

「あ、おでんだ。いーなー」

「携帯持ちました」

 有り得ないくらいの、拍手喝采

 ちなみに、TOHGAは酔っていたので、記憶は順不動


マリアの心臓

2004年01月23日(金)

 珍しいメンツで人形展を見に行った。

 恋月姫は前に見た事あるんだけど、天野可淡は間近で見るのは初めて。

 すげーよ、天野可淡!

 見に行けて良かったデス。

 美術館とか、作品展とか、見に行くの大好きなんだけど。

 あの、酸素の薄まったような静けさはちょっぴり苦手。

 呼吸の仕方を忘れてしまいそうになる。


 鑑賞後は、以前贔屓にしていた、ケーキ屋さんに行く。

 道を忘れて右往左往。

 ドリトル先生のヤギみたい。


 ケーキ屋さんは、○○不動産に占拠され、無残な金属音と地鳴りを響かせていた。

 改装? それとも別のお店になっちゃうの?

 結構気に入っていた建物だったので、最後にもう一度くらいあの場所を楽しみたかった。

 明治時代の美しさに、暫しの黙祷。

 仕方が無いので、向かいのクレープ屋さんに入る。

 美味しい。けど、甘い。

 胸焼けを覚えながらも完食して。

 乙女浪漫倶楽部のメンバーに加えてもらいました。わーい。


 食事中、異国の遺跡の写真やらカエルやらの写真を見せてもらい、心がときめく。

 児童文学もまだまだ勉強したいけど、今度また大学に入る機会があったら、建築関係の授業も受けてみたいなぁ。


やっちまった悲しみに パート2

2004年01月21日(水)

 知り合いの先輩は言う。

 失敗したら、挽回すれば良い。と

 でもさー、今まで気づいてきた信頼関係、ぶち壊しっすよ?

 痛い。

 胃とか胸とか。


 恐る恐る児童館へ行く。

「あれー、トーガさん? おはなし会、昨日だったよね?」

「す、すいません。日にちを勘違いしてて・・・(まさか寝てたなんて言えないっす)」

「そっかー、なんかあったのかって心配してたんだけど。なんでも無くて良かったわ」

「ご心配おかけしました」

 おはなし会打ち切りとか、めっちゃ怒られるとか、心配していたようなシチュエーションは避けられたけど。

 それ故に申し訳無さは倍増。

 取り敢えず、昨日だったはずのおはなし会を今日やらせてもらった。

 3月は実家に帰ってしまうし4月からは仕事が始まってしまう為、2月で児童館でのおはなし会は最後になる。

 後悔の無いものにしたい。


やっちまった悲しみに

2004年01月20日(火)

 なんだか非常に眠い日だった。

 いつもだろ? ってツッコミは無しの方向で。

 10時頃に起きて、なんやかやをして。

 1時までは起きていたはず。

 気がついたらグースカ眠っていて。

 目覚めたのはバイトが始まる1時間前(午後4時)

 あれ、なんか変だぞ?

 なんかやんなきゃいけない事、なかったけ?

 綿の詰まったような頭の中で、ふと、何かがよぎる。

 ごそごそと手帳に手を伸ばし、ページを捲る。

 ・・・・・・!!!

 今日って、おはなし会の日じゃん!!!

 何やってんだよ、私!

 何、寝汚く眠ちゃってんの?

 うーわー! どうしよう、どうしよう!

 顔面蒼白で辺りをオロオロとうろついた後。

 深呼吸(てか溜息?)3回で、諦める。

 仕方ない。

 おはなし会の時間(午後3時)はとうに過ぎてしまったし。

 児童館から電話無かったし(それはそれで必要されてないみたいでかなり憂鬱なんだけど)。

 明日、謝りに行こう。

 って事で、ブルーな気分でバイトに行った。



 やだなー

 約束すっぽかすなんて

 人間として最低じゃね?


いつものサヨナラを

2004年01月14日(水)

 今週で授業は終了し、テスト期間に入る。

 4年生にもなると、テストといえば必修の宗教学と卒論の口述試験だけで気楽なものだ。


 今日は、最終日を迎えた20人以下の小さな授業で、夕食会が開かれた。

 先生は今年初めて授業を持った、本業は作家の女性で、ちょっと頼りない。

 なんとも不思議な雰囲気の授業だった。

 女子大だから女性ばかりで、40代の生徒なんかもいて、授業というよりはサロンや習い事に近かった。

 実はあの生温い人間関係にちょっぴり居心地悪さを感じてのだけど。

 まぁ、これはこれで良かったのかも、と。

 今になって思い始めてみたり。


 打ち上げを兼ねた夕食会に参加したのは、先生を含めて14人。

 4年生は私だけ。

 皆が来年度の話をする中、私の場所が無い事に、今更ながら気がついた。

 別の場所に移るからね。


 食事が終わり、解散の時。

 もう1度会えるか分からない人達に、いつものサヨナラをする。 


男の独占欲ってヤツ?

2004年01月09日(金)



時は夕飯時。場所は某児童館。そこの職員2人と私の会話。


女性職員 「ねぇ、トーガさん。トーガさんって彼氏はいるの?」

  私  「え、あぁ、一応・・・」

男性職員 「えぇー! マジでぇー? 超残念なんだけど!!」



 ・・・・・・。

 いやいやいや。

 貴方、既婚者でしょ。

 薬指に指輪つけておきながら、何故に私がフリーで無い事をそこまで残念がるのか。

 理解に苦しむ。

 好意を持ってくれるのは、有り難いけれど。

 そういうその人の誠実さを疑わせるような発言は、ちょっと不快に感じた。


自転車がパンクした

2004年01月08日(木)

 私は、自転車で図書館へ行く。

 自宅から一番近い図書館なら歩いて10分かからないのだが、どうにもあそこは品揃えが悪い。

 私のお気に入りは、自宅から約7、8キロ先に在る、某区立中央図書館。

 自動車免許も金も無い私は、40分かけて自転車でそのお気に入りの図書館へ向かう。

 ちなみに下り坂は、出来るだけノンブレーキで滑り降りるのが好きだ。

 今日は向かい風だったので、いつも以上に太ももが痛かった。

 最近、自分の運動能力の低下を切実に感じる。頑張れ、22歳。


 さて、明日は○ヶ丘児童館で絵本の読み聞かせをする「おはなし会」の日である。

 お目当ての絵本を図書館で入手した、岐路の途中。

ガッ チャン!!!

 遥か昔に聞き覚えのある、いやーな音がした。

 ガチャッ ガタタタッ ガチャンガチャンガチャン!

 引き続き鳴り続ける、いやーな音。

 さすがに今回は一発でピンときた。

 あんまり認めたくないんだけど・・・。

自転車パンクしました(T_T)

 まだ半分しか道のり進んでないのに。

 半年前に、パンク直したばかりなのに。

 気分は一気にブルー。

 別に、3キロや4キロくらいなら歩いても良いんだけど。

 バイトの時間が迫っていて、とても自転車を引き摺って帰ってなどいられない。

 なんでこんな時に! と苛立ちつつ、仕方が無いので、撤去されなさそうな片隅にパンク自転車を放置して、電車で帰った。

 明日か明後日か明々後日、回収しに行かなきゃ。

 めんどいなぁ。


 どうでも良いけど、私の自転車には名前がついてる。

 彼の名前はモスダック。

 モスグリーンの車体で、アヒルの形をしたラッパがついてた事があったから。

 安易。

 男乗りの自転車なので、彼。

 安易。

 結構気に入っているんだけど、今日ばかりは新しい、軽くて丈夫な自転車が欲しくなった。


昔、好きだった人

2004年01月05日(月)

 一応、自分の初恋は、小五の時の、M君だと思っている。

 その前にも「ちょっと気に入ってた子」は何人かいたが、それは初恋と言うにはあまりにも適当で、「恋をする為に無理やり気に入った」感が無くはない。

 故に、私の初恋の相手はM君である。

 その前のその他大勢は、自分のメモリから、いつの間にかデリートされていた。

 さて、そんな時。店の仕事を手伝っていて、母がこんな事を言った。

「ねぇ、あんた○○ちゃんの従兄弟で、△△ちゃんとミノル君って言う姉弟の事、覚えている?」

「うんにゃ、ぜんぜん」

「あらそうぉ? 皆で一緒に、キャンプに行った事もあったのよ?」

「あー、そういや○○ちゃんと何人かで、キャンプに行った憶えはある」

「そういえばアンタ、あの時ミノル君の事好きだったみたいよ? ミノル君に抱きついてる写真だってあるんだから」

 その瞬間、今まで綺麗さっぱりデリートされていた記憶のバックアップが出現した。

 そうそう、初恋以前の「好きだった男の子リスト」に、ミノルって名前があったわ!

 思い出した途端、私の頬は紅くなった。

 母はそれを見て可笑しそうな笑みを浮かべたが、彼女は、多分勘違いしている。

 私は昔、好きだった彼に赤面したのではない。

 まるで人形遊びのように相手を適当に決めて、恋に恋していた、自分に赤面したのだ。

 あぁ、恥ずかしい。

 ませたガキって、無知で、浅はかで、傲慢で、大嫌いだ。


そういえば

2004年01月04日(日)

 そういや、今年、初夢見たっけ? 憶えてないなぁ。

 最近、行事に無頓着になっている。

 僅かに送った年賀メールにも「年明けにめでたさを感じない」とか、ヒネクレタ事書いてたし。。。

 そういや、「去年の一文字」は『虎』だったようだ。

 ヒツジ年だったのに。

 異国では戦争とか始まったのに。

 たかが野球団の活躍如きで一年を表すのはいかがなものだろう?

 たかがサッカー選手が様付けで奥さんとCMに出まくっているのも、何となく気に食わない。

 あんな奴のどこが良いんだ? ブラッドピットの方が顔立ちは良いじゃないか。

 そういや、カフェリーナに次女の同級生が客としてやってきた。

 真っ赤な高級車でやってきた。

 母が「今何してるの?」と聞くと、彼は「エスパルスの選手」と答えた。

 ミーハーな母は、彼にサインを書いてもらった。

 店に飾るらしい。

 現在、ドンドコドンの山口と、ラッシャー板前って人の色紙が飾られている。

 私はあんまりそういうのは好きじゃない。

 もともとサッカーに興味無いし、クールな態度をとっていた。

 しかし、最後の最後で三女に哀願されて、彼の写メールを撮るハメになってしまった。

 次女は外出中でいなかったが、三女は家にいた。

 三女は「エスパルスの選手が来ている」と聞いて色めきたったが、彼が食事を終えて会計を済ませるまでに、身支度を終える事が出来なかったのだ。

 母がデジカメで2ショット写真を撮っていたが、

「写メじゃないと、友達に自慢出来ない。お姉ちゃん撮っといて!」

 との事。

 私は、渋々自分の携帯で撮影した。

 こんな事なら、「帰っちゃうから早くおいで」などと、三女に余計な電話するんじゃなかった。

「無理だよ! 化粧はしたけど、髪がアイロンかけてないからボサボサなんだもん! 服だって決まってない!」

 彼女は決して、シンデレラにはなれないな、と思った。

 変身が終わる前に、12時の鐘が鳴ってしまうから。


通じない人

2004年01月03日(土)

 私の家には、色んな人が出入りする。

 脳梗塞で倒れて何某かの権利を持ったらしい父の為にやってくる、「ほぼ家政婦」のホームヘルパーさん、元々の家業である卸問屋を手伝う、タイだかマレーシアだか出身の奥さん、カフェリーナのバイトをしている、日本人2人と、中国人2人。

 出入りしているわけではないが、隣りのアパートのお姉さんは大層な猫好きで、よく家のイチゴやノラを撫でに来る。

 流石に縄張りを荒らされた動物の様に毛嫌いし、威嚇こそはしないが、あんまりにこやかにも出来ず、ぎこちなく俯きがちに彼ら会話をする。

 ところで、私は「外人」が嫌いだ。

 「外人」だから嫌いなのではなく、言葉が通じないから嫌いだ。

 私の内に出入りする「外人」達は日本語を片言以上の話す。

 だがそれでも好きになれなかった。

 中国人達は、母の事を「てんじょ」と呼ぶ。

 最初私は「天井がどうしたんだ?」と非常に困惑した。

 だがしばらくして、彼らの「てんじょ」は「店長」だと知って、何故だか酷くイラついた。

 彼らは他にもこんな事を仕事中に言った。

「ほどこひ、ほどこひ、ひとつ」

 なんだそれは?

 彼の持つ、たった今客からとってきた注文表を覗く。そこにはこう書いてあった。

『ほどコーヒー』

 どんなコーヒーだよ。ホットコーヒーって、予測はつくけど、さ。

 母にこのエピソードを話したら彼女は朗らかに笑ったが、私はこれを不機嫌に失笑した。

 マレーシア婦人も、理解に苦しい言葉で話しかけてくる事がよくある。

 たまたま私が日本人のバイトの子と、自転車でよく行動する事。たまに2、3時間自転車で辺りを徘徊する事もある事を話していると、婦人が、

「TOHGA、自転車、2、3時間? 自転車? 2、3時間?」

 と、話に割り込んできた。

「? そうだよ。自転車で2、3時間くらい、そこらを走りまわるの」

「自転車 2、3時間」

「? だから、何?」

「自転車 2、3時間」

「・・・・・・。」

 いったい何を言いたいのか、まったく分からない。他にも、ある時。

「TOHGA、問屋のほう、やりかけの仕事ある。教えるからやって」

「は? 私、問屋のほうの仕事わかんないんだけど?」

「教える、来て。私もう帰る。教えるから来て」

「は、待ってよ。仕事中途半端にしたまま帰る気なの? なんでそれを私に押しつけんの? 私はこっちの仕事を手伝わなきゃいけないのよ?」

 やんなきゃいけない仕事なら、終わらせなければならない仕事なら、責任持って自分でやるべきだ。時間内に出来なかったのは、自分の責任だ。私の知った事じゃない。

 私にはマレーシア婦人の言動が時間が過ぎたからと言って、仕事を放り出そうとしているように聞こえた。

「店長いない、教えるから来て」

 ラチが明かないので、渋々、問屋の方の仕事場に行く。

 単に彼女が私にしてもらいたかったのは、自分の仕事の過程を見せて、残りは専務に引き継いでもらう事を、店長である母に伝える事だったらしい。

 こんな内容だったら、店で「○○が何個まで出来たから、残りの何個は専務にやってもらうと店長に伝えて欲しい」と口で伝えれば充分だったはずだ。

 こんな感じで、些細であるかもしれないが、彼らとの意思疎通はやたらとストレスが多く、短気な私はイライラと非常に気分が悪い。

 心狭い、かなぁ? 狭いよなぁ。

 でもやっぱり、私は「言葉の通じない」彼らの事が嫌いだ。


 最近、愚痴とか悪口とか泣き事とか、多いなぁ。


淋しいなんて、死んでも言わない

2004年01月02日(金)

 去年私が出した年賀状は0枚。

 今年私に出された年賀状は1枚。送り主は、大学のクラスメイト。

 後にも先にも、今年の私宛の年賀状はこれ1枚きりだった。

 まじで? これだけ?

 うーわー、あの人にもあの人にもあの人にも見限られたか?

 いや、1枚も出してない癖に何を言うんだって感じですが。

 ら、来年こそ、ちゃんと年賀状ださなきゃ!!!

 って去年もこんな事言ってた気がする。。。

 あぁ、自分で自分の首絞めてるよ、絶対。そろそろ窒息死するかも。


 今日はユリカ嬢と会った。お店をうろちょろ冷やかして、実家でもんじゃ焼食べて話して、駅前通りのサンマルクカフェに入ってお茶してまた話して。

 すっごく楽しかった。

 彼女との友情を、大切にしたい。

 本当は、イケタニ氏とか27ちゃんとかヨッシーとかアキコさんとか鶴ちゃんとかナシヤマコユキとかまおさんとかイケさんとかヒロミさんグループの面々とか。

 高校時代の友人連だけでも、沢山の大好きな人達がいて、本当に大切に思っているのに。

 どうしてこう、行動が伴わないかなぁ?

 たまに大声を出したくなるけど。

 こう言うところでチマチマ溜まったものを小出しにしてしまう所為で、現状維持の緩やかな悪循環が、何かを酷く蝕んでゆく。

 それでも誰かに面と向かって、「淋しい」といえる勇気はなく、変な意地だけが喉に詰まっている、今日この頃。

 てか、そんな泣き事言う暇あるなら、年賀状書けば良いんですよね。


一区切りと開き直り

2004年01月01日(木)

 あけましておめでとうございます。

 この日記を御覧の方々、やる気のない文章ばかりではありますが、本年もご愛読下されば幸いです。



 新年早々、明け方三時まで仕事をして、昼まで寝て、何とは無しに時を過ごしました。

 外に出るつもりだったけど、結局行かずじまい。

 実家に帰って外出したのは、同窓会と、後日鶴ちゃんとお茶を飲んだ時、ただ2回のみ。

 うーん、なんでこんなにインドア派なんでしょう? てゆうかヒッキ―予備軍?

 夜10時を過ぎた頃、初めて家族五人が顔を突き合わせ、共に食事をしました。

 とりあえず、渋谷の高校に転校した三女と、社会人になる私がそれぞれ、近況を報告する。

 辺り障りのない会話を交わし、食事が終わると妹達は遊びに行ってしまった。

 夜8時には殆どの店がしまってしまうというのに、彼女達は、いったい何処で遊んでいるのだろう?

 全部の店がしまったワケではないのだから、何処かしらにいるのだろうけど。

 まるで彼女達だけ、私には見る事もかなわないネバーランドへの道を歩いているようで、なんとなく彼女等に羨望を覚える。

 ネバーランドには海賊もワニもいる。大人になれない悲しみがある。そこは決して楽園ではない事は既に知っているけれど。

 それでも、爪の先くらいの羨望がある。



 さて、今年の抱負らしきモノ

「脱・善良市民」

 もともと善良市民なんかじゃなかったけどさ。

 開き直りたい気分なの。

 裏切る自分、踏みにじる自分、虚偽する自分、開かない自分、守らない自分、奪う自分、置き捨てる自分。

 受け入れてるのか、それとも目を反らしているのか、誤魔化しているのか。

 自分でもちゃんと見極められていないのだけど。

 とりあえず私は、自分を小悪党だと認めよう。

 裁かれて当然、報いを受けて当然。

 そうなっていないのは、単に私の運が良いだけ。

 私の小悪党振りはありふれ過ぎていて、埋没していて、責難の的として目に止まっていないだけ。

 死んだら私は地獄に行くんじゃないだろか。

 私は死後の世界なんて信じてないけど、まぁ、もしあるんだったら素直にあてがわれた場所におさまろう。

 もしあんまり酷い場所だったら、逃げ出そうとか思いそうだけど。(何せ自称小悪党だし)

 でも信じてもいない場所や天罰を恐れて、無理に善人を目指すのは馬鹿馬鹿しい。

 カンダタみたいに蜘蛛を助ける事だってしなくはないけど、やっぱり私は小悪党より良くはなれない。悪くなる気も今の所ない。

 そんな感じで、小生意気で小悪党の小娘は、これからも細々と小話をしていく予定である。

 < あの時、ああしていれば…  …見る?  この時は知る術もなかった… >


TOHGA [はい、もしもし?] ここで逢ったが
人目!!