TOHGA嬢の生活



フルハウスというよりは4カード

2003年12月31日(水)

 妹2人も実家に帰ってきた。

 つきたてのお餅を母子4人で啄ばむ。


 これで一応、家族全員が揃った事になる。


 荷物を置き、食事を済ませると、妹達は地元の友人たちのもとへ飛んで行ってしまった。

 あぁ、次女はその前に店を手伝ったか。

 夜の9時から次女と交代で店に入り、深夜3時まで店を開いていた。

 宣伝の効果あってか、初詣の帰り客が結構入ってくれた。

 紅白とかK-1とかレコード大賞とか、全然興味無かったが、自称寂しい年明けを迎えたらしい友人が親切にも詳しい様子を書いたメールを送ってくれた。

 某氏が「今年最初のメール!」と言うメールを送ってくれたが、私の受信記録ではそのメールが届いたのは23時59分となっている。

 可哀想なので、その事については深く言及していない。



2003年12月30日(火)

 昼の3時か4時頃から読書を始めた。

 傍には猫が2匹もいる。

 最高の環境だ。

 借り物の推理小説1冊半と、実家に置いておいた懐かしの児童書2冊。

 途中、少しうたた寝もした。

 気がつくと、日付が変わっていた。

 母に言う。

「夕飯の時とか、呼んでくれなかったの?」

「だってお父さんが、部屋にアンタがいなかったって言ってたし。もしかして、ロフトの方にいた?」

「・・・いた」

「やっぱりねぇ、変だと思ったのよ。アンタ出かけるって言って無かったし。今まで何してたの?」

「時間を忘れて本を読んでた」

「そう、幸せだったでしょ」

「・・・!?」

 母のその一言で思い出す。

 自分が『1人で本を読んでいる時を1番の至福の時とする女の子』であった事を。

 最近、卒論やらバイトやら付き合いやらでめっきり本から遠ざかっていて忘れていたけれど。。。

 『それ』は今でもそうだろうか?

 しばし自分の奥底に潜って考えてみる。

 見つけた答えは、イエスだった。


同窓会に行く私達と、海に行った友人達

2003年12月27日(土)

 同窓会。

 参加者はクラスの約8割。

 変わった人もいれば、全く変わらない人もいる。

 私は他クラスに友人が多かったので、クラス単位の同窓会では、予想通り所在無い状況だった。

 同じクラスでは、鶴ちゃん、アキコ、ヨッシーと言う3人とよくツルんでいたのだが、その内2人が不参加だった。

「アキコちゃんにヨッシー、なんで来ないんだろうねぇ?」

 鶴ちゃんがおっとりとした口調で言う。

「どうせ『海』でしょ?」

 と、私。

 『海』とは有明の海の事だ。ここら辺でピンと来なければ、理解する必要はない。

「え、そうなの?」

「いや、本人から聞いたワケじゃないけど。可能性的に一番高いでしょ」

「うーん、そっかぁ」

 優しい鶴ちゃんは少し寂しそうだった。

 攻撃的な私は少し腹を立てていた。

 友情を蔑ろにされたようで、なんだか裏切られた気分だった。

 後日、本人のウェブ日記と友人達の目撃証言から、2人とも『海』にいた事が判明した。

 まぁしかし。クラスでは少数派のグループだった私達だから、この同窓会にに魅力を感じられなくても仕方が無い気もしてきた。

「そういや、トーガちゃんは『海』とかに行ってないの?」

「ああ、飽きた

 彼女は、面白いように納得してくれた。

 相互理解の嬉しさよ。



 女子は総じて、グループを作る。

 私達グループと比較的仲が良かったヒロミさん達のグループと、久し振りの会話を楽しんだ。二次会もそのメンツで行った。

 私が強気な発言やキツイ言い方をする度に、彼女らは苦笑いしてこう言う。

「変わってないね」

 それでもあの時よりは、丸くなったと思うんだけどね?


帰省

2003年12月26日(金)

 27日に、高校時代の同窓会が開かれる為、それに合わせて帰省した。

 初めての同窓会。

 学年ではなくクラスで行われる物なので規模は少し小さいが、大変楽しみだ。


愛を時間で計測る

2003年12月25日(木)

 当然、この日も某氏と会っている。

 ヤツは私の24時間全てが欲しいのか?

 これではなんだか、ミヒャエルエンデの「灰色の男」ではないか。

 私の時間を奪うだけなら、そいつは私にとって、敵でしかない。


 嫌悪感から、私はせせら笑いながら、こう思う

「会ったところで、いつもと同じ、だったらいま会わなければならない必要性なんて、何処にもないわ」


 そして私は、大学で懇意にしている友人達数人が開く、クリスマスパーティーに参加した。

 個人主義な友人達が、「卒業したらバラバラになっちゃうから」と、初めて企画した貴重な集まり。

 毎回かわり映えのしないデートと、今回が最初で最後のパーティー。

 私は、後者を優先した。 


ベリメリクリスマス

2003年12月24日(水)

 確かに夕方5時から夜10時まで、私はバイトをしていた。

 サンタのカッコして、石油ストーブ付きの寒空の下でケーキを売っていた。

 外人が来て、「普通のクリスマスケーキは無いのか」と日本語で聞いてきたので、「欧米ではドライフルーツの入ったクグロフ型のケーキがクリスマスケーキとされていますが、日本ではこのショートケーキがクリスマスケーキの主流なんです」と、トリビアな返答を日本語で返した。

 私に気があるらしい、30代のコンビニ常連客がやって来て、売れ残りのお菓子を勧めたらまんまと買っていった。

 バイト後、戦利品として、消費期限の過ぎたケーキを貰った。

 しかし、そのバイトの前と後にはちゃあんと某氏に会っているのである。

 その点を無視した文章がネット上に流されているようなので、ここではっきり記しておく。

 ところで、「郷に入っては郷に従え」という言葉がある。

 聞きようによっては「オレ様が正しい」と聞こえなくも無かったりそうでもなかったり。

 要は私が此処で言いたいのは

 そんなにドライフルーツケーキが食いたきゃ国へ帰れ。

 会ったんだからグダグダ言うな。

 この二つである。

 どーせイエスキリストはこの日に生まれてなんかいない。


あれってハッピーエンド?

2003年12月21日(日)

 某氏とマトリックス・レボリューションを見てきた。

 ラストで主人公が笑っていなければ、ハッピーエンドと認識出来ない。

 世界が救われようと、平和が訪れようと、そこに「自分」がいないとね。

 私、献身愛とかイマイチ理解出来ないし。

 さて、ところで。

 私がマトリックスで一番気に入ってたのは、預言者のボディガード、白いチャイナ服の人で、偉そうなフランス人や預言者に「セラフ」とか「翼のない天使」とか「放蕩息子」とかなんとか呼ばれてた人である。

 なんか知んないけど、好きだ。素敵だ。

 何かが私の琴線に触れたらしい。

 でも、もしあんな感じの人が実在したとして、知り合いになれたとしても、困ってしまうと思う。

 共通の話題を見つけて、コミュニケーションを取れる自信がない。

 これは、私にはよくある傾向だ。

 例えば、現在のバイト先の店長とか結構私好みの風貌なのだが、バイトの飲み会では、店長の奥さんの副店長や他のバイト仲間みたいに上手く会話が出来なかったりする。

 そんな感じで、「好みの人」には大抵「なんか付き合いにくい」という感覚を覚える事が多い。

 この「付き合いにくい」と感じる原因はどう考えても自分にある。

 多分、背伸びしたり、自分を飾ろうとして、勝手に自爆してしまうのだ。

 あと、相手を勝手に美化してしまっている点も無きにしもあらずって感じ。

 ちなみに、この「好みの人」のルーツを辿ると、最後には父親に辿りついてしまう事に最近気がつき、「結局、エレクトラ・コンプレックスかよ」と、大変憂鬱な気分を味わった。


シャンメリーで乾杯を

2003年12月19日(金)

 卒論提出、最終期限。

 前日から、体調が不調。

 原因は、不摂生と「あと一日」という気の緩み。

 前日、「これなら明日の期日に間に合う!」と思った途端、クシャミ・ハナミズ等の風邪の症状が現われた。

 体調崩して当然の生活をしていたのだから、昨日まででも、よくもった方なのだが、どうせなら今日までもって欲しかったと思う。結構辛い。

 朝起きて、朝食もそこそこに学校へ向かい、プリント、製本、資料用テープの録音。

 提出。

 どうやら私達のゼミが一番提出率が悪かったようだ。

 私は、締め切りのぎりぎり30分前に卒論の原本を教務課に提出し、副本を提出しに研究室へ行ったのだが、そこで受取人の助手さんに開口一番言われたのは、

「ねぇ、貴方と同じゼミの○○さんと、○○さんと、○○さんと、みあーんさんと、ナミさん、教務課に、いた?」

 である。

 私のゼミは、確か9人か10人だったはずだから、半数がまだ研究室に顔を出していないのである。

 助手さんが心配するのも当然だ。

「○○さんと、○○さんは、さっき教務課の前ですれ違ったので、間に合うと思います。○○さんは、去年も4年生だった人ですよね? あんま面識無いんで、分かりません。あ、みあーんはあそこで副本の表紙に名前書いてます。ナミちゃんは・・・」

 ナミちゃんは、結局、卒論を提出出来なかった。

 数日前から風邪か何かで倒れて、寝こんでしまっていたらしい。

 一緒に卒業できなくて、残念だ。

 とりあえず、卒論を無事に提出出来た事を祝い、みあーんとマナマナの三人で、生協でそれぞれお菓子と白葡萄の炭酸入りジュースを購入し、ども研の部室でしめやかに乾杯をした。



 さて、どうでも良い事だが、この日は学校に来てから卒論を提出するまで、携帯の電源を切っていた。

 そしたら、朝にメールをしていた某氏から、なんで急に連絡が取れなくなったんだ、どうせ自分の事なんか君にとってはどうでも良いのだ、といった内容の文章が、数通のメールの中のひとつに書かれていた。

 こいつは、私を留年させる気か?

 嫌々やって、何とか手に入れた内定を、棒に振らせたいのか?

 ぎりぎりの行動を取った私にも非があるのは分かっているが、

「このクソ忙しい時に、お前の相手なんかしていられるか!」

 一瞬、携帯を地面に叩きつけたい衝動に駆られた。


鎮魂歌

2003年12月09日(火)

 友人の猫が死んだ。

 交通事故らしい。

 悲しんだ友人が、数日間の沈黙の後、一遍の物語を書いた。

 死んだ猫が主人公の、綺麗な綺麗な物語。

 追悼の物語。

 彼女の文を追ううちに、自然と涙が溢れてきた。

 彼女が死んだ猫をどれだけ愛していたか、

 どれだけその死を悲しんでいるか、

 まるで大地に雨が降るように、

 しんしんと私の心に沁みて、伝わった。


 私は少し、羨ましく思った。


 彼女に愛された猫が、

 猫を愛した彼女が。


 私は今の猫を亡くしても、きっと泣かないだろう。

 家族を亡くしても、泣かないかもしれない。

 以前祖母達を亡くして、泣けなかったように。


 たった一度だけ、物心ついた時から一緒にいた猫の癌を知らされた時は泣いたけれど。

 その癌猫が死んだ、その時は泣けなかった。


 死や別れに対して仕方がない事と諦観してるのか、

 実は大事だなんて思ってなかったのか、

 自分でも判断出来ないのだけれど。

 私は、死を悲しめない。

 だからだろうか、自分に欠けているであろう何かを補おうかとするかのように、

 死を悲しむ人の心に強く感動する自分がここにいる。


身も心も

2003年12月01日(月)

 とうとう十二月になってしまいました!

 今年も残すところ1ヶ月?

 いやいやそんな事より卒論だよ、お姉さん!

 やるしかないんだけど、ね。

 どうも横道に反れてしてしまいがち。

 最近は明け方まで書いて、授業無い日は昼間まで寝て、起きてボーっとして、学校行ったり、バイト行ったりして、日付が変わってからまた書き始めるとゆー、なんとも不毛で滅茶苦茶な生活を送っています。

 お陰で肌とかボロボロだよ。。。

 最近はなりをひそめていてくれたニキビ君とかニキビちゃんとかニキビさんとかがポツポツ出てきちゃってくれちゃうし。

 2、3日前から慌ててビタミンCを積極的に摂っています(←行動が遅い)


 まあ、そんな後の祭的な話は置いといて。

 今日のゼミでは久し振りに、同期のKさんと会いました。

 絶句。。。

「あの、や、痩せた?」

 多分、最後に彼女に会ったのは9月の初めだと思うんですけど。

 その時には小太・・・。いや、ふっくらしていた彼女。

 一瞬別人かと疑ってしまうほど、げっそりと痩せてしまっていた。

 10キロは落ちたんじゃないだろか。

「だ、大丈夫?」

 思わず心配してしまう。

「最近食欲無いんだよね―」

 とKさん。

 彼女と私は、あまり仲が良くない。

 私は彼女の神経質な性格が、どうも苦手なのだ。

 どのくらい彼女が神経質かと言うと、彼女の書く文字はまるで誘拐犯とかが筆跡を隠す為に定規を使って書いたモノように、不自然なまでにガチガチしている。

 対する彼女も、フワフワと落ち着きの無い私から距離を置いている感があった。

「やっぱ、卒論のストレスで食欲なくなっちゃったの?」

「うーん、そうなのかなぁ」

 いや、それ以外にないでしょ。仲は悪くとも4年間、君の体型見てるもの。

 3ヶ月で10キロなんて、本気でダイエットしたか、病気で倒れでもしない限り無理だから!

 絶対、ただの食欲不振じゃないハズ。

 Kさんはウチのゼミの中で、一番正統派でかつ学術的に興味深い題材を使って論文を書いている。

 内心私は、今年の卒論賞は彼女が取るんじゃないかとまで思っていた。

 そんな彼女だったから、この様変わりが、非常にショッキングだった。

 神経質な人って大変だなー

 私なんて夜更かしが原因の肌荒れだけだもんね。

 頑張って書き上げなきゃ、ね。

 Kさんもせめて書きあがるまでは体が持つよう、切に願います。あと、卒論提出後にリバウンドしてしまわない事も。

 ・・・余計なお世話?

 < あの時、ああしていれば…  …見る?  この時は知る術もなかった… >


TOHGA [はい、もしもし?] ここで逢ったが
人目!!