白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2007年01月31日(水) 睦月去る

気が付けば1月31日。今年も1ヶ月が経ったのだなぁ。

先週末から日記を書いていないけれど、それなりにやっています。いまいち、まとまった文章を書くだけの集中力が無いと言うか。読む方は快調過ぎるほど快調で「これは読書録に記録せねば」という本に出会いまくりな今日この頃……なのですが、読むばかりで書く方が追いついていきません。

まぁ、そんな訳ですが無事に1ヶ月を過ごし、明日から2月に突入。とりあえず目の前のことを少しずつ片付けていきたいなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月27日(土) 元気控えめ

目が覚めたら夜勤明けの夫が帰宅していた。夫は仕事帰りに散髪へ行ったらしく、やけにサッパリした頭になっていた。

毎週土曜日は家事に勤しむことにしているのだけど、今週は何かとくたびれる事が多かったせいか元気控えめ。窓を開け放してハタキをかけたり、拭き掃除をしたりする気になれず、図書館で本を借り、食料の買出しをしただけで、後はのんびり過ごすことに。

元気が滲み出ている時は「まめに掃除して綺麗に過ごしたいよね」と思うくせに、元気が控えめの時は「人は埃で死なないんだし、夫婦2人暮らしだからそんなに散らかってないよね…」とて、都合の良いことを思ってしまう。どちらも嘘ではないのだけれど、どちらも自分勝手な言い草だ。しかしながら駄目空気が漂う時は何をやっても駄目なのだ。そういう時は大人しくじっとしているに限る。せめて夕食は美味しいものを作ろうと思う。

元気がないので身体を動かすのは億劫なのだが、読んだり書いたりしたいなぁ……って気分だけはたかまっていて、不意に手紙か葉書を書こうと思い立つ。が、気の利いた文章が思いつかずに1通も書かず仕舞い。残念だけど、これも仕方なし。

明日は義母への贈り物(帽子&マフラー)を持って、夫の実家に遊びに出掛ける予定。編み物はまだまだ初心者なので、仕上がったものも「そこそこ」止まりではあるもの喜んでくれると良いのになぁ……なんてことを思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月25日(木) カバーも袋も

最近、巷ではスーパーのレジ袋を使わない方向に進んでいるようだが良いことだなぁ…と思う。

私はもっぱら袋持参派。スーパーへ行く時は籠にピッタリ収まるビニールバッグを愛用している。通勤鞄のポケットに100均で買ったビニールのバッグを忍ばせているので、会社帰りの買い物もレジ袋は貰わない。レジ袋はゴミ箱にかぶせたりして、それなりに利用方法はあるけれど、大量にいる訳ではないのだもの。捨てる物をわざわざ貰うのは勿体無いと思うのだ。

スーパーのレジ袋と同じくらい……むしろそれ以上に勿体無いと思うのは、書店で付けてくれる本のカバーと買った本を入れる袋だ。カバーについては「本を汚したくないのでカバーはかける派」という人もいるので、ひとくくりには言えないけれど「本のカバーは剥いちゃう派」の人間にとっては邪魔でしかないのだ。「カバーいりません」と言うと袋に入れてくれるし「袋いりません」と言うとカバーをかけてくれるので、最近は「カバーも袋もいりません」と言うようにしている。

しかし「カバーも袋もいりません」と言うのは、ちょっと勇気がいる。「ありがとうございます」とニッコリ返してくれる店員さんなら良いのだけれど、不思議な生き物でも見るかのような目で「……えっ。あっ…」とか言われると、悪いことをしたような気分になってしまうのだ。

私は取り立ててエコロジストでは無いのだけれど、通勤で読む本のカバーなど駅のホームで剥いて捨ててしまうのになぁ……と思うと、ついつい「カバーも袋もいりません」と言ってしまうのだ。そして、レジで少し恥ずかしい思いをする。

今日は手持ちの本を通勤の往時で読みきってしまったので、午後から社用で出掛ける際に近くの本屋に立ち寄って文庫本を1冊購入した。「カバーも袋もいりません」と言ったらサラリと「ありがとうございます」と返ってきたので、するっとレジを後にした。ちょっと良い気分だった。

ちょっと恥ずかしい思いをしても手持ちの鞄に本が納まる場合は、今後も「カバーも袋もいりません」と言おうと思う。ちなみに今日買った本は移動中に読んでしまったので、明日はまた新しい本を読むことになる。面白い作品だと良いのになぁ……と期待しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月24日(水) 美術展

大阪の国立国際美術館で開催している『夢の美術館:大阪コレクションズ』が観たくてウズウズしている。

思えば最後に絵を観に行ったのは秋に観た『プラド美術館展』が最後なのだ。どうやら綺麗な物に飢えているらしい。仕事へ出掛けて、ご飯を作って掃除をして……という単調な生活は、案外楽しいものではあるけれど、たまには心に遊びと言うか余白を作りたいなぁ……と思うのだ。

美術展へ行くのは大好きだけど絵に詳しい訳でもなければ、うんちくを語れるほどの知識もない。ただ「いいなぁ」と思う程度だ。詳細な風景画や肖像画の場合は、そこに広がっている物語を想像したりすることもあるが大抵は「これ、好きだなぁ」とか「スゴイけど家には飾りたくないよなぁ」なんて事を漫然と思うだけなのだ。

美術展で絵を観るなんて、おおよそ生活の役には立ちそうにもないし、たぶんこれから先の人生で絵を観なくたって生きてはいけると分かっているのに、ふと猛烈に観たくなってしまうのだ。わざわざ美術館へ出向いて絵を観る時間は日常から切り離されるような感覚があるように思う。もしかすると一種の逃避行動なのかも知れない。

この土曜日にでも1人で出掛けてみたいような気がするのだけど、片付けたい用事も山積みだしなぁ。すぐに行くのは無理でも会期中に是非足を運びたい……ってなことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月23日(火) 一軒一灯

昨年末から朝まで玄関灯を付けっ放しにしている。

回覧板に書いてあった「一軒一灯運動」の話を読んで、我が家も参加しようと思ったのだ。一軒一灯運動とは、防犯のために各家庭の玄関灯などを一晩中つけることだそうな。道が明るいだけでも防犯効果は高まるし「家に人がいる気配」をアピールすることが大切らしい。塾や仕事などで遅い帰宅をする時も道が明るいと恐さ半減……ってな感じだろうか。電灯をつけっぱなしにするだなんて、勿体無い精神に反することだが、その灯りは決して無駄ではないと思うのだ。

30代に入ってから「何某かの形で社会に貢献したい」という気持ちが強くなっている。自分や自分の家族が多くの人に助けてもらってきたから…という気持ちや、仕事で「中堅どころ」というポジションについたことで、上の人から引っ張り上げてもらうばかりではなく、後進の人が上ってくる手伝いをするようになって少しだけ視野が広がった……って部分もある。

子供の頃はポプラ社あたりから刊行されていた世界の伝記などを読んで「いつか私も人の訳に立つ人になりたいものだ」などと志高く思ったものだが、実際に大人になってみると人の役に立つどころか、自分の手の届く範囲で精一杯のていたらく。

「自分と、その周囲が満ち足りていれば良い」という感情が強いのも事実だし「何某かの形で社会に貢献したい」という気持ちも本当だ。社会貢献なんて、そうそう出来るものではないが、自分の手の届く範囲で何か出来たらなぁ……とは思う。誰か(何か)の役に立ちたいという気持ちは、尊いことでもなんでもなくて人間の根本的な欲求なんじゃないかなぁ…と思う。1人で立っていられる訳ぢゃないってことを本能は知っているのだろう。

そんな訳で今夜も玄関等はつけたままでベッドに入りましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月22日(月) 夢見

今日は夢見が悪かったせいか1日中ピリッっとしなかった。

子供の頃はファンタジー小説のような夢や、あるいはホラー映画のような恐い夢が多かった。連続ドラマのように「夢の続き」をシリーズとして見ることもあって、いまだに「あの夢をもう1度見たいなぁ」などと思うことがある。思えば現実離れした夢が多かった。恐い夢でさえ、どこか楽しんでいる節があるような……そんな感じ。

大人になってから……とくに25歳を越えたあたりからは非現実的な夢よりも、実生活に直結する夢を見ることが多い。仕事に追われている夢だったり、親しい人が登場する夢だったり。悪夢でさえ目が覚めてから「あぁ…そう言えば○○のことが気になってたから、こういう形で出たんだなぁ」などと自分なりに分析出来るくらいだ。

子供の頃は赤毛のアンよろしく空想好きだったので「もしかしたら今の世界が夢で、夢の世界が現実なのかも…」なんてことを考えたことがある。要はそんな妄想が頭をかすめるほどに面白い夢を見ていた…ってことなのだが。現実的な夢ばかり見るのは、脳の中で空想して遊ぶ余白の部分が少なくなっているからだろうか。だとしたら、少し哀しい。

そういえば「夢」を題材にした和歌って、やたらと多いような気がする。たいていは恋の歌だけど、あれは実際に見た夢を歌っている物よりも、むしろ「夢なんだもの。好き勝手に空想しても良いよね」的な部分があるんじゃないかなぁ。夢を自在に操れたら素敵だけれど、そう上手くはいかないのが現実世界の定め…ってものだ。

今夜はオヤスミ3秒で、いい夢を見たいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月21日(日) 休養日

自宅で過ごす日曜日。

夫がゲームをする横で編み物をしたり、お昼寝をしたり。あれこれと片付けたい用事もあったのだけど「頑張ろう」という気になれずダラダラと過ごしてしまった。先週は仕事がバタバタだったので、思いのほか草臥れていたみたい。「独身の頃はもっとガッツリ働いていたのに」と思うと不甲斐ないのだけど、それもアリかと諦めモード。

週明けに出勤すると職場では「週末は何してた?」みたいな話題が出たりするが、私は密かに「何もしない週末」を熱愛している。毎日家に引篭もっていたい…とは言わないまでも、たまにはグッタリと惚けて過ごすのも良いものだ。

美味しくご飯を食べたり、ごろりと横になったり、ちょっと良いお茶とお菓子を食べたり……といった普通っぽい事が愛しくてならない。

明日から夫は夜勤週間。私の方は仕事がバタバタしそうだし2人ともガッツリ働かねばならない予感満載。養った英気をフル活用して張り切って参りましょうかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月20日(土) ガンダーラ

愚弟が出張とのことなので、今夜は乙女な母を自宅に招いて鉄板焼きをした。

乙女な母はご機嫌でアルコールも進んでいたせいか1人で情熱的に喋りまくっていた。「貴方達も結婚してもうすぐ1年ね」という話から、夫を前に「今だから言うけど白蓮が結婚前に話していた理想の人とは全然違っていて連れてきた時は吃驚した」と乙女な母。思わず苦笑してしまった。

独身時代、私は自分が結婚するだなんて本気で思っていなかった。

結婚とは西遊記におけるガンダーラのようなものだったから、乙女な母に語る結婚観は口からでまかせ的なものだったのだ。当時は乙女な母の面倒を見て一生を終える覚悟でいたので、心豊かな老嬢として、いかに生きていくか…ってことばかりを考えていた。図面描きの仕事はある程度の年齢までしか出来ないだろうから、その後は地元で小商いをしようとて密かな計画もあったりしたくらいだ。(結婚後、その計画を夫に話したら散々笑われてしまったけれど)

乙女な母は「お父さんとは正反対の人を選んだのも以外だった」とも言った。確かに私は父を愛していたけれど、それは「親」としての情に基づいた感情であって、父に振り回されるのは心底ウンザリしていたのに、乙女な母はそう思っていなかったのだなぁ……と思うとちょっと不思議だった。彼女は妻として父を見ていたから、やはり愛情が勝っていたのだろうか。

ひょんな事からガンダーラにたどりついてしまった訳だが、なかなか良いものだと思う。次に目指すは遥かなるローマ帝国。そこに何が待っているのか皆目分からないけれど。

自分の母親ながら乙女な母のお相手は、ちょっぴり草臥れた。彼女に精気を吸い取られたような気がする。明日はのんびりと過ごしたいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月18日(木) 大阪の事件で思ったこと

昨日、大阪で痛ましい事件があった。

この種の事件があるたびに、傷害罪や殺人罪の厳罰化を望む。と同時に、いかなる理由があろうと(正当防衛を除く)罪は罪として裁いて欲しいと切実に思う。子供だろうが精神状態が悪かろうが、人を傷つけたり、殺めたりした事実は変わらないのだから。

今回の事件で、障害者の支援施設や団体への風当たりが強くなるんじゃないかと心配だ。

今回の事件に限った事ではないけれど、1人の犯罪者の印象だけで、同じ場所に所属している人が、非難の目で見られたらたまった物ではない。「それせはそれ、これはこれ」だと思うのだけど。ただでさえ障害者の作業施設は経営が厳しいとこが多いので、こんな事が経営の足を引っ張らないと良いのだけれど。

世の中には「障害者は年金などがあって働かなくても生きて行けるのだから働く必要はない」と言う人もいるけれど、想像して欲しいのだ。学校を卒業したとたん、家以外に行き場が無くなってしまったら…そして、その後も長い年月を生きなければらないとしたら…って事を。

友人に重度の障害で自由に動けない女性がいる。彼女は養護学校を卒業後、短時間だけ支援施設に通っているのだが「もし、こういう場所が無かったらと思うと恐ろしい」と話をしていた。人として生まれてきたのだから人の中で生きたいと言うのは当然の欲求である。難なくそれが出来る状態だと、そんな事など考えもしないのだけど。

なかなか自分と違う人を理解するのはムツカシイ。ましてや知的障害等で意思の疎通が困難な場合はなおの事だ。だが、いま健康な人だってこの先ずっと健康でいられるとは限らないのだ。1人でも多くの人が、ちょっとだけ…ほんのちょっとだけ関心を持てたら良いのになぁ…と思う。関心を持てないまでも真っ向否定しないで欲しい。

などと熱く書いてみるものの、私自身は障害者が働く場所のために何か支援をしている…って訳じゃないので偉そうなことは言えなかったりする。せいぜい近くでバザーがあれば品物を提供する程度。せめて意識を向ける程度のことは心掛けていたいとは思う。あの事件の被害者の男の子が後遺症無く元気に回復することを祈りつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月17日(水) 涙の数だけ?【追記含】

「涙の数だけ強くなれるよ〜」なんて歌詞の歌があったけれど、一般的に苦労人や、傷ついた経験のある人は強くなれたり、人に優しく出来たりする…と言われる。私もずっと、そう信じて疑わなかったが、最近はそんなの関係無いんじゃないかと思いはじめている。

……とは言う物の、辛かったり、悲しかったりと言った経験を重ねる事で、それまでより強くなったり、他人の気持ちを推し量れるようになったりするって事は否定しない。だが、それはあくまでも「そういう事もある」ってだけに過ぎない。辛い経験をした事によって、いっそうダメになったり、冷酷になったりする事もあるように思うのだ。

今日、職場で「いくらなんでも、そんな言い方は酷い!」って言葉(仕事上の話ではなくプライベートで)を聞いた。それは私に向けられたものでは無かったし、本人のいないところでの発言だったけれど憤慨せずにはいられなかった。

私を憤慨させた言葉を吐いた人は若くもなく苦労知らずでもない。むしろ、他の人より沢山泣いたんぢゃないかな…って経歴の持ち主だ。苦労を乗り越える力のある人だけあって強い人ではあるけれど。

つい、何かあると「あの人は苦労人だけあって、人の痛みが分かるのだなあ…」的な発想をしがちだけれど、経歴なんて生かせなければ意味の無い話だ。結局のところ、そういう発想は、ある種の枠にはめて人を見ているのだと思う。少し厳しい言葉を用いるなら「偏見」ってヤツだ。

出来るだけ、人を枠にはめて見ないようにしたいと心がけているつもりだけれど、案外出来て無いものだなぁ…と思い知らされた次第。

苦労人や、逆境にあっても頑張ってる人には、つい目線が甘くなるのは私の悪い癖だ。眼が曇っちゃうのだと思う。『もののけ姫』のアシタカではないが、曇りない眼で物を見るようにしたいものだ。

長々と書いてしまったけれど、要約するとはある言葉を聞いて「酷い! この人は散々辛い経験してるのに、どうして他人の気持ちが計れないんだろう?」と一人勝手に必要異常に憤慨し「てか。そういう思い込みも、どうよ?」と反省した…って話。思い込みを払拭するのはムツカシイかも知れないが、今後は気をつけよう…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

【追記】
携帯から更新したときは問題ない…と思っていたのに帰宅してPCを見たらば文章が文字化けしていた。無念。修正を加えた。


2007年01月16日(火) まとまらず、あれこれ。

友人と飲みに行きたいなぁ……と唐突に思った。

夫に不満があるとか、ストレスが溜まってイライラしている…って訳ではないのだけれど、ここのところ友人とじっくり飲む機会に恵まれないので。週末は東京から遊びにに来た友人と会ったばかりだけど、お昼間のランチとお茶だったし。

食事やお酒を一緒にすると、その人と少し近くなったような気がする。食べ物の好みとか、お箸の使い方とか、グラスの持ち方とか……普段は見ることの出来ない面が見られるのが良いのだろうか。食べるって生きるってことと直結した行為だから、密接に感じてしまうのだろうか。

今日は芥川賞の発表があった。密かに押していた人は今年もまた駄目だった。受賞者は23歳とのこと。若い人だから駄目とは言わないけれど、芥川賞はいつから新人賞になっちゃったのかと首を傾げざるを得ない。まぁ、文学といっても商売の種なのだから本が売れなきゃ話にならない訳で、その辺のところも左右するのかなぁ……とは思う。霞を食って生きていける訳ではないのだ。それにしても世知辛いことだ。

今日は仕事がバタバタしていて、思いのほか草臥れてしまった。トラブル続きだったり気懸かりなこともあったり。仕事なんだから大変なことがあるのは当たり前……と呪文のように言い聞かせつつ、文章も考えもまとまらないまま今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月15日(月) 納豆が無い!

朝食用に納豆を買おうとスーパーに寄ったら納豆は見事に売り切れていた。34年生きてきて「納豆が売り切れた納豆売り場」を目撃したのは初めてのことだ。

私も夫も「納豆が無いと1日がはじまらない」ってほどではないけれど、ほどほどに納豆が好きである。朝はパンを食べることも多いので、そう毎日食べるものでは無いけれど週1くらいで朝の食卓に乗せたいなぁ……って感じなのだが、売っていないものは仕方が無い。

ちまたの噂で「ダイエットに納豆が流行っているらしい」ってのは知っていたけれど、これほどまでとは思わなかった。こういう物が流行るたびに毎度思うのだけど、ダイエットに近道なんて無いんじゃないかなぁ。かつてダイエットに効くと持てはやされた食べ物が、本当に効果的なら定番物として生き残っていると思うのだけど。まぁ、嘆いても仕方が無いので納豆ブームが去るまでは、めかぶワカメでも食べていようと思う。

自分の事ではないのだけれど職場では体調を崩す人が続出中。風邪とかではなく、ちょっと厄介な感じなので心配である。隣の席の派遣仲間のTさんも実は自分も体調が悪いと打ち明け話をしてくるので「会社を直ぐに休んで検査してもらった方がいいよ。仕事なんて、どうにでもなるんだから」と言ったのだけど、煮え切らない返事しか聞けなくて、軽くイラつく。

仕事が大事なのは分かる。だけど身体が駄目になってしまっては元もこもない。人によっては「どうしても自分が働かないと」ってな事もあるだろうけど、Tさんは派遣社員で、しかも扶養家族がいる訳でもないのだから仕事なんて休んじゃえばいいのに……などと、1人でヤキモキ思ってしまった。もっとも、これは私の独りよがりな意見だってことは分かってるのだけど。最近、どんどん思考が「お節介オバサン」的になっているような気がする。

同僚の話にイラっときたり、納豆が無くて「チェッ」っと思ったり、いまいちパッっとしない1日だった。どちらも自分の直下での出来事ではないのだし、気持ちを切替えて夕食の仕上げをしましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月14日(日) 大阪観光

土曜日は東京の友人と一緒に大阪の街を歩いた。

友人とは大阪駅で待ち合わせて地下街の串カツ屋さんで串カツなど。当然のように昼間っから生ビールを飲んだ。お好み焼きとか串カツを食べる時はビールを飲むのが礼儀である……ってのは大阪人の常識…ってのは嘘。私も友人も昼酒愛好会の会員というだけの話。

友人は何度も大阪に来ているのに道頓堀のカニとか、食い倒れ人形を見たことが無いというので、ちょろりと大阪観光など。御堂筋沿いを歩いて金龍ラーメン、松竹座を横目に見つつ道頓堀へ。蟹道楽のカニや食い倒れ人形を見物し、法善寺横町へ。友人はここで夫婦善哉をお土産に買っていた。千日前通りで吉本のNGKをちらりと外から見て、ここへ来れば誰でもすぐにお好み焼き屋の開店準備が出来る…と言われる道具屋筋を抜けて日本橋電気街へ。大阪のベタベタなスポットをザックリと案内した。

大阪には京都や奈良のように、これといった観光スポットもないのだけれど、それでも案内しようと思えばそれなりに観てもらう場所はあるものだなぁ……と再発見した。もっとベタな場所でも良ければ通天閣界隈の「串カツのソースは2度づけ禁止」なんてお店に連れて行く…って手もある。大阪は綺麗な街ではないけれど、それでも私はこの街が好きなんだなぁ……と友人と歩いていて、つくづく感じた。

もし友人が大阪に遊びに来てくれたら喜んで案内人を買って出るのになぁ。誇れるようなものは無い街だけど、必要以上に脂ぎった雰囲気とか、毎日がお祭り…という雰囲気は他の街には無いように思う。

誰か遊びに来てくれないかなぁ……なんて思ったりした。

友人とは年末にも会ったばかりなのに話が尽きずに別れ難かった。友人は大阪に来る用事が無くなっていて、私もそうそう東京へは行かないので今までのようにちょくちょくは会えないかも知れないけれど、また会いたいなぁ……と思う。

友人を案内しながら私自身も目一杯楽しんだ1日だった。週末はたっぷり遊んだことだし、また1週間元気に働かねばなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月12日(金) 読書的日常

最近、通勤時に本を読んでいて電車を乗り過ごしたり、出発ギリギリのところを危うく飛び出したりということが多い。

「ハッ」っとして顔を上げたら駅を乗り過ごしていた……という感じなのだ。本のアタリが良いということもあるとは思うけれど、何故だか異常に本への入り込み度が高まっているようだ。没頭するというのか、なんと言うか。トリップ感がたまらない今日この頃である。

乗り過ごしてしまった後で、本を閉じてあれこれ考え込む時間がとても好きだ。幸せな気分に浸ったり、時に暗くなったり。作り物の世界で遊んで後で、自分の内面を見つめる作業をしているのだろう。

そんなときは誰かに話をしたいと思うのだけど、そういうことを誰かに話すのってちょっと難しい。その本を読んでいる人なら手っ取り早いのだけど、そうでなければ本の説明からしなければいけないし、よしんば同じ本を読んでいたとしても、感じるポイントが激しくズレていたら、いまいち話が盛り上がらないだろうから。

つくづく読書は地味な趣味だと思う。だけど読まずにはいられない。だって好きだから。そして好きって感情には理由なんて無いのだ。これは私の読書に限ったことじゃなくて、きっと誰しもそういう「好き」があるのだろうなぁ。

今週末は、ほったらかしにしている読書録をまとめたいと思っている。明日もまた本を貪ってしまうのだろうなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月11日(木) 見えていなかった世界

ここのところ年輩の御婦人のファッションが気になってしょうがない。

いま、義母に贈る帽子を編んでいるのだけれど、義母とはまだお付き合いが浅いのでファッションの好みがイマイチ分からないのだ。夫は私より2歳年上なだけなのだが末っ子なので、義母は乙女な母よりも年代が少し上なのである。乙女な母の好む物なら大抵理解しているのだけど、年輩の御婦人の好む物はよく知らないのだ。

街ゆく年輩の御婦人を観察していると、若い人ファッションとは明らかに違う。だけど確実に流行というのがあるみたいだ。帽子の飾りにしても、マフラーにしても「今年っぽい」雰囲気があるものと、そうでないものがある。私の中で年輩の御婦人は「古いものをずっと大事にしていて定番の物が好き」というイメージがあったのだけど、よくよく考えてみれば、彼女達にも流行の最先端(当時は日本が貧しい時代だったとしても)を行くファッションに身を包んでいた時代があったのだ。いまだって、若い人とは別の流行を追っていたとしても何ら不思議ではないし、年代に応じたお洒落を楽しんでいるのも当然なのだ。

私は今まで何をみていたのだろう。私の中で年輩の御婦人は「おばあちゃん達」という1つの大きな括りでしかなかった。ちゃんと見ていれば、そうでないことは分かるはずなのに……である。

世の中にはまだまだ私の知らない世界、私には見えていない世界があるのだなぁ……と、ここ数日はそんな事を考えている。単純に見えていないだけなのか、それとも見ようとしていないのか。「そこにある」のに見えない、もしくは見ていないものがあるだなんて勿体無いことこの上ない。意識的に見ようとする範囲を広げなくては。

しっかり両目をあけて生きて行きたいなぁ……なんてことを思ってみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月10日(水) 十日戎

仕事帰りの電車の中で「戎っさん」の福笹を持った人を見かけた。

「戎っさん」は私にとっては馴染の深い行事だ。物心ついた頃から亡父は商売人だったので、家族で連れ立っ「戎っさん」へ出掛けるのが定番行事だった。他の土地の事は知らないけれど大阪では「戎っさん」ってのは、けっこう賑やかな行事だと思う。あまり美味しくないねじり飴を食べたり、福娘さんに笹飾りをつけてもらったりするのが、とても楽しかった。艶やかな福娘さんに遠慮するかのように、年季の入った芸者さんが笹を売っている光景なども鮮やかに記憶している。

亡父は心底から「戎っさん」を信仰していた訳ではないのだろう。大阪ではもっとも賑やかな今宮戎に参ることもあれば「やはり地元の神様にお願いせんとな…」などと、地元の小さな戎神社に行くこともあった。あるいは「戎っさんなんて、あてにならん。今年はやめとく」とて行かない年もあった。おおかた、その年の父の気分次第だったのだろう。

亡父が生きている頃、私は彼から迷惑のかけられ通しで、彼のことが大嫌いだった。愚弟もたぶんそうだったと思う。悪い男に騙されたくらいのお金を亡父につぎ込んでいて、いまだに「あの人は、本当に好き放題生きたなぁ…」と思うことしきりだ。が、気が付くと昔ほど亡父のことが嫌いではない自分がいる。

私も年を重ねて、亡父の抱えていたものの大きさや辛さを知るようになったし、小さい頃はたっぷり可愛がってもらっていたのでその想い出もある。そして、亡父はロクデナシだったが悪人ではなかった……ってところもある。

だけど「あの頃、もっとお父さんに優しくしてあげれば良かった」とまでは思わない。いま、私が亡父を懐かしく慕わしく思うのは亡父と離れて穏かに暮らしているからであって、もし亡父が生きていたら私は今も苛烈に生きていただろうから。過去の記憶は年を経て昇華されていくものだ。もちろんそれは素晴らしいことではあるけれど、真実をすり替えてはならない。過ぎてきた過去はえてして素敵に思えるものだが、浸りすぎてはいけないのだ。

今日は亡父を懐かしく思うと同時に、いまの生活の穏かさに感謝せずにはいられなかった。夫は会社員だけど、いつかまた2人で戎っさんへ参るのも良いかもなぁ……なんてことを考えてみたりして今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月09日(火) ふるえる寒さ

今年は暖冬だと思っていたのに、お正月が明けたとたん急に寒くなってしまった。なんだか騙まし討ちにあった気分だ。冬なのだから寒くて当たり前。これが普通なんだと自分に言い聞かせてみるものの、どうにも憤りが抑えきれない。私は寒さが苦手なので憤り云々なんてのは八つ当たりに過ぎないのだけど。

仕事帰りにスーパーへ寄った。生花コーナーにわんさかあったお正月花は綺麗に撤去されて、春っぽい洋花がビニールに包まれて並んでいた。特に目を引いたのはピンク色のチューリップ。寒さはこれからが本番だと言うのに、チューリップの花が恋しくなってしまった。買って帰りたい衝動に駆られたが、自宅にはお正月花がまだまだ元気なのでグッっと我慢。

気圧の変化が堪えているのか頭が痛くてしょうがない。頭痛なんて滅多にしないのだけど。急に寒くなれば、身体のどこかにガタが来るのも自然の成り行きだと諦めることにする。

今日は白菜と鳥挽肉で生姜を効かせたあんかけ風のスープを作った。何はともあれ身体をあたためる努力をしなくては。せっかく完全に風邪が治ったばかりなのだから、ぶりかえさないよう気をつけよう……なんてことを思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月08日(月) 脱・お正月

正月明け三連休。なんとなく文章を書くのが億劫になっていて日記も書かずに過ごしてしまった。何も書かない……ってのも、なんなので、ここ数日の覚書など。

土曜日と夫のいない休日。掃除に買い物、図書館へ本を借りに行ったり編み物をしたり。ありきたりな土曜日。昨日、日曜日は夫と連れ立ってスパワールド(健康ランド)へ。のんびりとお湯に浸かり、お昼間から生ビールを2杯飲み干し、湯疲れして帰宅。3時間ほどお昼寝をする……という怠惰な1日を過ごした。そして今日は、ゆっくり起きて編み物三昧。夫はゲーム三昧。昨日と今日は「駄目な大人」を満喫したなぁ……と言う印象。

しかしながら、少しずつお正月気分は抜けてきた。おせち料理の残りも無くなったし、七草粥を食べ、食卓にもやっと「いつもの献立」が並ぶようになった。ダラダラしたお正月は楽しかったけれど、変わり映えの無い日常というのも、悪くないなぁ……なんてことを思った3連休だった。

明日から通常モードがスタート。今週は1日、働く日が少ないのだからシャッキッと頑張りたいものだ。年末から放置している読書録も、どうにかしたい。読んだり、編んだり、働いたり。張り切って参りましょうぞ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月05日(金) 手作りの魅力

めでたくも年が明けて初出勤。久しぶりに会った同僚達の表情が、いつもより少し柔らかい気がした。お正月っていいものだなぁ……と思う。仕事をしない……とか、親や親戚と会う……とか。そういう、ちょっとした幸せが元気を運んでくるのだと思う。かく言う私も、このお正月で肩凝りと腰痛が随分と楽になった。のんびり過ごさせてもらったのが良かったみだいだ。

お正月三が日は炬燵に足を入れて編み物三昧。夫の帽子を仕上げた。昨日からは友人の帽子を編んでいて、それが済んだら義母へ贈る小物を編むべく毛糸も既に購入済みだ。苦手なものを克服しようとてはじめた手遊びだけど、何かを手作りするって良いものだなぁ……と思う。

まぁ、しかしながら手作りが素晴らしい……とは言い切れないのが辛いところ。手作りってのは材料費や道具代を考えると既製品よりも高くつく。しかも仕上がりは既製品の方が断然綺麗だ。手作りならではの味わいもあるだろうけど、出来上がった物を純粋に批評するなら手作りの物より既製品の方が良いとさえ思う。

しかしながら作る楽しみと、ちょっとした思い込みが手作りにプレミア感を与えるように思う。私の場合だと手芸が苦手だからかも知れないが、たとえば「毛糸代出すから何か編んでよ」と言われたとしても、好きな人の物でなければ編もうとは思わない。「あなたの為に労力を払うなら他に編んであげたい人がいるももの」と思ってしまう。何某かの思い入れがないと、人に贈る物は作れそうない。

自分勝手な思い込みがあっての手作りなのかも知れない。

この冬は義母への贈り物の他に、上手く行けば乙女な母に小さい物でも編んであげられるかなぁ……という感じ。愚弟とか他にも編んであげたい人はいるけど、私の手では追いつかないだろう。ちょっと自分の物も編んでみたいのだけど、いつになる事やら。今夜もこれを書き終えたら編み物をしようと思う。

この冬は編み物のおかげで楽しく時間が過ごせそうだ。明日は寒くなるそうなので、さっさと用事を片付けて炬燵でのんびり過ごしたいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月03日(水) 初詣

お正月3日目。お昼過ぎ、夫と連れ立って近くの神社へ初詣へ。有名どころでもなんでもなくて、神社の裏に児童公園があるような、小じんまりとした小さな神社だ。お社に堤燈が灯されている以外は、これといったお飾りもなく、私がお参りしたときは他に参拝者もいなかった。

目を閉じて手を合わせ、ささやかなお願いごとをした。

今年のお正月は地味ながらも良いお正月だったと思う。大仰なことは何一つしなかったけれど、静かにのんびり過ごすことが出来た。双方の母親へ親孝行めいたことも出来たし、私達も日がな炬燵に足を突っ込んでノンビリ過ごすことが出来て何よりである。

夫はゲームとスポーツ観戦。私は夫のプレイを観たり、編み物をしたり。元日から編み始めた夫の帽子を仕上げることが出来て満足である。明日からは友人へプレゼントする帽子を編みはじめる予定。「この冬は苦手なことに挑戦しよう」とてはじめた編み物だけど、思いの他楽しませてもらっている。編み物は失敗ても、やり直しが出来るのが良いと思う。うっかり者の私には向いている手芸かも知れない。

このお正月は生まれてはじめて「おせち料理をちゃんと食べる」という経験をしたのだけれど存外良いものだなぁ……と思った。今日あたりは少し飽きを感じたけれど「食事の支度をしなくてもご馳走がある」って気楽さと「お正月の間はダラダラしていいんだぁ」という幸せな感じは他に変えられないものがある。ただお客様の多いご家庭だと、おせち料理を作っていても、他にあれこれ料理が必要になるだろうからおせち料理も一概に「主婦が楽できるアイテム」とは言えないのだろう。

そんなこんなで今年のお正月は平穏に過ぎていった。初詣でのお願い事が叶うと良いなぁ。お願い事は自分で叶えるものだと思うけれど「強く願う」とか「祈る」って気持ちは大切じゃないかなぁ……なんてことを思う。

私は明日から出勤。夫の出勤は明後日から。たまの休みだから良いってことは分かっているけど、休み足りない感は否めない。もう少しのんびりしたいなぁ……なんて思いつつ、シャッキリと気持ちを切替えなくちゃなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月02日(火) お正月の街

今日は朝から夫と連れ立ってモーニング割引で映画を観に行ってきた。

地元のシネコンで『エラゴン 遺志を継ぐ者』など。今年はどうしたものだか「観たくてたまらない」と思えるほどのお正月映画が無かったので、やむなく選んだ一作。『硫黄島からの手紙』も気になったのだが、たぶん良い映画と思うのだけどお正月から重いものを引っ張りたくは無かったのだ。『エラゴン 遺志を継ぐ者』は無難な感じの仕上がりで可も無く不可も無く。お正月に見るには良いかなぁ……程度の印象だった。

映画を観た後はシネコンの階下にあるショッピングモールで、おやつを買おう……と思っていたのだけれど、チラシで「これ、気になるねぇ」と話していたプリンドラ焼きは売り切れだった。仕方がないので定番のお店の洋菓子を買おうと思ったのだけど、これも売り切れだった。負け犬のように頭を垂れつつショッピングモールを脱出。軽く昼食をとった後で、別の洋菓子店へ足を伸ばしが、ここも人だかりが出来ていて、店頭にはロクな商品が無かった。

恐るべし初売り。私は全く興味が無いので見向きもしなかったけれどショッピングモールでは福袋が飛ぶように売れていた。お菓子はお年始の挨拶に行く時の手土産用に買うのだろうか?

「日本のお正月」に負けた私達は、地元のケーキ屋さんでお気に入りのロールケーキと焼き菓子を買って帰宅した。

夜は実家から乙女な母と愚弟を招いてスキヤキなど。友人に贈ってもらったお肉は毎年のことだが素晴らしく美味だった。ロールケーキは食後に切った。私達夫婦の年末年始の話や、愚弟の東京コミケ旅行の話などで盛り上がりつつ楽しい時間を過ごす。

年末は夫の親と。今日は私の親と。こんな風にして互いの親を尊重出来るのは嬉しいことだなぁ……と思う。それもこれも夫のおかげ。乙女な母を大切にしてくれるという事に関しては夫に頭が上がらない。独身時代は、乙女な母のことがいつも心に引っ掛かっていただけに、ありがたさも一塩である。

明日はお正月休み最終日。(夫はまだ休みだけれど)。楽しかったお正月休みに別れを告げて平日モードに戻らねばならない。体調を整えていかなくちゃなぁ……と、いささか憂鬱なことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2007年01月01日(月) 2007年元旦

月並みではありますが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

大晦日から元旦までの日記など。昨日は午前中におせち料理の重箱詰を終え、午後から街へ出かけ大晦日用の食料の買出しの後、義兄一家と合流して夫の実家へ出掛けた。年越し義兄一家の用意してくれた蟹で蟹鍋パーティなど。大人4人と子供1人で5キロのズワイ蟹を平らげた。流石にそれだけあると誰もが遠慮せずに蟹を堪能出来るのだなぁ……と、ある種の感動を覚える。

蟹鍋の後は『ガキの使い』だの『紅白』だの『K1』だのをザッピングしつつ、義姉、姪っ子、夫と私でトランプに興じる。義母と義兄はトランプには加わらず。義兄はマイペースに本を読んでいて、義母は台所に立ったりお茶を飲んだり。息子夫婦と孫がトランプで盛り上がっている姿に喜んだ義母が義兄に「絵になるから写真に撮っておいてちょうだい」とい言っていたのが妙に印象的だった。義母は自分がゲームに参加しないまでも、そうやって賑やかに大晦日を過ごしている……というのが嬉しかったらしい。いつもより、ほんの少しだけ余分にはしゃいでいる義母を見て、私も嬉しくなってしまった。

年明けの少し前にお蕎麦を戴き、床の間で新年のご挨拶。お雑煮とおせち料理に少しだけ箸をつけて夫の実家を後にした。義兄は新年2日から当直このこと。夫も大晦日に、ちょろっと仕事関係の作業をしていた。お正月なんて関係ない仕事の人もいる訳で、お正月気分を満喫しつつも、そういう仕事の人のことを少し思った。

元旦は関西風の白味噌・丸餅のお雑煮と、私が作ったおせち料理、それに祝い酒を少しとで、夫と2人で新年のお祝いなど。1日中、今の炬燵で時間を過ごした。夫はTVにゲーム。私は編み物など。おせち料理って作るのは大変だったけど、外食をしないのに食べる物の心配をしない日がある……ってのは、素敵だなぁとて昔の人の知恵に感心した。

特別なことは、これと言って無いが、しかし幸せな元旦だ。新しい年のはじまりが幸せで良かったなぁ……と思う。今年も良い年にしたい。

結婚して初めての大晦日と元旦。どうなる事かと思っていたが楽しい時間を過ごすことが出来た。つくづくありがたい。明日は地元のシネコンで映画を観て、夜は乙女な母&愚弟を招いてスキヤキなどをする予定。本当は娘夫婦が挨拶に行くものなのだろうけど、乙女な母が私の家に来る方が「楽で良い」と言うので。明日も楽しいお正月になると良いなぁ……って事で、今日の日記をこれにてオシマイ。


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