白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2006年12月30日(土) お正月の準備とか色々…

昨日と今日はお正月の準備に終始していた。

若松をいけたり、玄関先に注連縄を飾ったり。明日の午後からは夫の実家で年越しをするので、おせち料理を作ったり。とりあえず予定をこなす事が出来てホッっとしている。……なんてサラリと書くと穏かに時間が過ぎていった印象を醸し出してしまうが、昨日は友人一家が帰省の途中に立ち寄ってくれたり、夫との間に、ちょっとした諍いがあったりして、楽しかったりスリリングだったりと起伏に富んだ2日間であった。

久しぶりに会う友人一家はとても幸せそうで、成長した子供を囲んで良い家庭を築いているのだなぁ……と嬉しくなってしまった。一方、夫との諍いは「夫婦喧嘩」と言うよりも、ある不満から夫が無言で不機嫌になり、その理由を聞いて私がムッっとした……というようなレベルで喧々囂々の夫婦喧嘩では無かった。ただ話し合いの途中で「だったら、これから先、ずっと一緒にいるのは無理ですね」と言う言葉が私の口からサラリと出たのは驚きだった。

ちゃんと話し合ってみると、夫は言葉が足りなかっただけで、私もそれなりに納得が出来たので万事解決したのだが、私は何か事が起こった時に「是が非でもこの人と一生一緒に暮らしたい」って気持ちを持っていないのかも知れない……などと恐ろしいことを思った。

私は夫を大切に思っているし、夫やそれに付随することについては手を抜いたことはない……と思っている。精一杯やっているという自負があるせいか「それで駄目なら無理して一緒に暮らすことは無い」と思ってしまうのだ。こんなことを書いていると自分でも、つくづく可愛くない嫌な女だと思うのだけど……。

しかし今回のことに関しては「よくある気持ちの行き違い」であって犬も喰わない何とやら……であった。私はそういう事を引き摺る性質ではないのだけれど、ちょっと自分自身の心の動きに驚かされてしまった小事件だった。

そんなこんなでトラブルもあったが年末の準備は大体終わった。私が台所に張り付いている間、夫が頑張ってくれたおかげで家はすっかり綺麗になったし。気持ちよく新しい年を迎えられそうだ。今年は大きなトラブルもなく平穏で良い1年だった。来年も平穏に過ごしたいなぁ……と願いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

【追記】 これを読んでくださっている方へ。
たぶん今年の日記はこれがラストになるかと思います。1年間ありがとうございました。良い年をお迎えださいませ。


2006年12月28日(木) 風邪引き→仕事納め

公私共に慌ただしいこの時期、不甲斐なくも風邪で寝込んでしまった。1日早退、1日欠勤。仕事納めに出勤出来たのがせめてもの救い…と言えなくもないが、傍迷惑も甚だしい限りだ。

今回も夫にはすっかり面倒をかけてしまった。2人家族の1人が寝込むと、家事の負荷がもう片方にのしかかってくる。夫が寝込む事だってあるのだから「お互い様」と言えばそうなのだけど、今のところ私がダウンする回数の方が断然多い。まったくもって申し訳ない。来年の目標は「寝込まない人になる」に決定。

職場の方は忙しさが尋常ではなく、忘年会をする余裕さえ無かった。仕事納めもグダグダで、掃除も挨拶もそっちのけで図面と向き合い、積み残し感たっぷりのまま業務を終えた。

そんなこんなで、どうにも不格好な年末になってしまったが、ここまで駄目だと、かえって気持ちがスッキリしてしまった。寝込むまでは「年末なのに大掃除もしていないし、お正月の用意も出来てないし」とて、いささか憂鬱だったが、ここまで来てしまったらジタバタしても仕方が無いので、大掃除は諦める事にした。おせち料理等のお正月準備も無理しない程度に手を抜く事にした。きっと頑張ったら出来るとは思うのだけど、無理して体調を崩すより、元気にお正月を迎える方が断然良いと思うので。

お正月の用意なんて何一つ出来ていないのに「どっからでも、かかって来い!」ってな心境。何がなくても年は明けるのだ。のんびり待つのも良いではないか。

は〜っ。しかし風邪が抜けて本当に良かった。熱が上がって、どっさり汗をかいた後の「あ…いま、山を越えたかも?」と感じた時の嬉しさと言ったらない。だからって、その嬉しさを味わうために風邪を引きたいとは思わないのだ。来年は無病息災でいきたいものだなぁ…って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月25日(月) 3度目の風邪

またしても風邪を引いてしまった。

今期に入って3度目の風邪。結婚してからは仕事もプライベートものんびりさせてもらっているのに、昨年以上のペースで風邪を引いてしまうだなんて、どういう了見なんだろう? 気合いが足りないのだろうか? 何だか軽く凹む。

今日はガッツリ残業しよう…とて勤労意欲に燃えていたのだが、病院の診療時間に間に合うギリギリまで働いて帰ってきてしまった。不甲斐なさに泣けてくる。年末の忙しい時期にダウンするだなんて、社会人としても家庭人としても駄目過ぎである。さっさと治したいところだが、何だか典型的な「風邪悪化ルート」を進んでいるようだ。ここは「あきらめが肝心」と腹をくくるべきなんだろうか。

……などと通勤電車に揺られつつ携帯電話でポチボチと悲観的な事を書いているわけだが、意外とアッサリ治るかも知れないのだし、まずは自分の成すべき事をこなしていきたいと思う。とっとと風邪を治して気持ち良く働きたものだなぁ…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月24日(日) 炬燵でクリスマス

クリスマスイブの夜である。

新婚1年目のクリスマスイブは、炬燵に足を突っ込んで「おでん」を食べた。私は滅法寒さに弱いし、クリスマスシーズンは、どこのお店も混んでいるので「自宅で」って方がゆっくり出来るかなぁ……と。いささか草臥れ気味&風邪気味だったので、頑張りたくなかった……ってのもある。一応ケーキは食べたし、戴き物の生ハムと夫が買ってきたワインのおかげで、辛うじてクリスマスらしい夜となった。すっきり味のスパークリングワインと、おでんはけっこう良い組み合わせだと思う。

夫へ渡す私からのクリスマスプレゼントは、すでに渡してしまったいたのだけれど、都合よくマフラーが編み上がったので「クリスマスプレゼント第二段」ってことで夫に渡した。夫からは琥珀細工のロマンティックなネックレスと紅茶を貰った。

静かだが、しかし満ち足りた夜だ。

明日からお正月休みまでの1週間は夫も私も仕事がかなり詰まっている。お正月までは家庭人よりも、むしろ社会人としての勤めに精進したい所存。バテることなく乗り切っていきたいなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。

【追記】
これを読んでくれているあなたの夜が優しいものでありますように。


2006年12月23日(土) 顔に滲むもの

昨日は友人と食事をしてきた。

「お久しぶり!」と挨拶を交わして心斎橋の小洒落た居酒屋さんへ。しかしながら、よくよく考えてみると彼女とは年に2〜3回会っているのだ。彼女は東京の人で私は大阪在住。なのに地元の友人よりも、よほど頻繁に会っているのはどうしたものか。お互いに自由がきく…ってことが大きく影響しているとは思うのだけど、たぶんお互いに「会いたい」って気持ちが強いからなのだと思う。

毎度ながら彼女と話をするのは楽しい。ヲタク的な趣味の話や、恋愛を含んだ人間関係の話。本の話や、お洒落の話。4時間も一緒にいたのに話の尽きることが無かった。むしろいつも別れてから「あぁ…あれも話したかったんだ……」と思う事の方が多い。

今回、彼女と会って改めて思ったのは「この人は苦労が顔に出ないなぁ」ってこと。色々と頑張ってきた(頑張っている)人なのに、見た目はすごくおっとりしていて「苦労知らずのお嬢さん」という雰囲気さえある。もちろん話をすれば、しっかり者だって事は分かるし、勝気な部分も見え隠れする。なのに彼女は「苦労したことなさそうな顔」なのだ。巷を見渡してみると「そんなに苦労してないのに苦労を一身に背負っているような顔」の人もいるのに、これは彼女の徳なのだと思う。

もっとも「苦労経験者」であることと「不幸が染み付いている」のは全く別問題なので、そのあたりが苦労してそうな顔か否かを左右するのかも知れない。顔ってつくづく恐ろしい。美醜云々ではなくて、滲み出るものがあるのだから。

それにしても楽しいひと時だった。居酒屋さんはネットで見つけた初めて行くお店だったのだけど、値段と味のつりあった良い店だったし、その後で入った珈琲店も良い雰囲気だった。ハンチング帽を被ったマスターが1人カウンターにいる珈琲店。私はお洒落なカフェよりも、地味ながらも落ち着いた雰囲気のお店が好きだ。趣味の会う友人を連れていってあげたいなぁ……と思わせる良いお店だった。

そんなこんなで、とても楽しい時間を過ごさせてもらった。共にこういう時間が過ごせる良い友人がいるって嬉しいことだなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月21日(木) 年齢差のある集い

年末年始は親戚だの友人知人だのと集まる機会が多い。

大人ばかりの集まりも好きだけど、それ以上に色々な年代が入り混じっている集まりが好きだ。お年寄りもいれば、小さな子供、生意気な年齢の子、そして働き盛りの人達。年代が違うと話の合わないことも多いけれど、子供は子供なりに、大人は大人なりに刺激を受ける部分が多いように思う。

今日は帰りの電車で「伯父さんと姪っ子」という2人連れを見かけた。姪っ子は幼稚園。伯父さんは30代の後半で、たぶん独身。既婚者だったとしても子供扱いの慣れてない感じからすると自分の子供はいないような雰囲気。2人はとても仲が良いらしくて、電車に乗ってから降りるまで、ずっとお喋りし通しだった。伯父さんが姪っ子を子供扱いしていなくて、まるで大人の女性に接しているような話をしていたのが印象的だった。姪っ子にはちょっと難しい話……たとえば「学校の先生は、ついぞ偉いと思ってしまいがちだが、一概にそういう訳でもない」というような話。全部理解できないまでも熱心に話を聞き入っている姪っ子の表情が、たまらなく可愛らしかった。

子供の頃、大人に「大人扱い」されるのが好きだった。たとえば宴席で酒のつまみを貰ったり、アルコールをちょっぴり舐めさせてもらったり。生意気なことを言って怒られたり。今にして思えば、あれは社会に出るための訓練になっていたように思う。

今は小さい子供と接すると新鮮で面白いし、年輩の人の話は「なるほどなぁ」と思う部分が多い。家や職場ではどうしても自分と似た年代の人ばかりと話をするので年末年始での人の集まりは、そういう刺激を受ける貴重な機会だ。

年末は夫の実家で集まるのだけど、今のところそれ以外に「年齢層の広い集い」の予定は無い。電車で見かけた「伯父さんと姪っ子」の2人連れを見てから「私も子供かお年寄りとお喋りしたい」と無性に思ってしまった。近いうちに子供のいる友人と会う機会でも作りたいなぁ……なんて事を思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月20日(水) 出来心…?

ほんの出来心で悪いと知りつつ道を誤ってしまった…なんて事、誰しも覚えがあると思う。

たとえばレジでお釣が多いと気付いていたのに黙っていた…とか。子供の頃に万引きして親に厳しく怒られた記憶がある…とか。悪い事なんて、しないに越した事は無いが、清廉潔白でいるのは難しい。何もかも法律で縛り上げる事は不可能だし、そうなっても困るし。が、どこまでが出来心として容認されてしかるべきなのだろう…なんて事を、ふと思った。

ふとした事から「平気で他人の傘を持って行っちゃう人」と話をする機会があった。その人は「安いビニール傘だし」とて、まったく悪いと思っていないようで「だけど、それは犯罪だよ」と言ったら「だって濡れるの嫌じゃないですか?」ときたもんだ。疑問形を繰り出されても「あなたの都合なんて知りませんよ」としか言いようがない。その人は私にとって友人でもなんでも無いけれど、身近にそんな感覚の人がいた…って事に驚いた。

しかしながら話に弾みが付くと言うのは恐ろしいもので、話の流れが「悪い事をした自慢大会」になってしまい、いくつかの「出来心」を聞いたのだけど出来心…とは言い難いような悪質な物もあり、話を聞いていて思いっきり引いてしまった。

「したことの重大さ」もさる事ながら「悪い思っていない」って事実が衝撃的だった。しかも彼らは言うのだ「その時な友人(恋人)が腐っていたから、そうなってしまった」と。正直、いい年をした大人の口から小学生の姑息な言い逃れのような言葉を聞くとは思いもよらなかった。「腐っていたのは友人ではなくて、あなたでしょう? あなたが腐っていたから、そんな友人が集まってくるんだと思うよ」ってな言葉が出そうになったが、辛うじて耐えた。職場で波風を立てたく無かったのだ。毎日、仕事で顔を会わせている可愛らしいお嬢さん達は中身まで可愛らしい訳では無かったのか…とガッカリしてしまった。

いままで公共の場所で座り込んだり、物を食べたり、あるいは号と問う目的でもないのにホームレスを襲撃したり……という事件を知るたびに「そういうことが出来る感覚が理解できない」と毎度憤っていたけれど、今回のことで「そういうことが起こるのも無理ないのかも」と思ってしまった。きっと「悪いこと」って意識が無いんだろうなぁ。私には理解出来ないけれど、そういう人もいるらしい。

話の終わりに、その中の1人が「意外とみんな真面目なんだねぇ。そう言うことしないんだ」と感想を漏らした。以前は、こういう場面と遭遇するたびに「真面目に生きるって、ちょっと馬鹿みたい…」と思っていたものだが、今回はそうは思わなかった。私は自分ななりの感覚で生きていくのだろう。変えようとも思わないし、馬鹿らしいとも思わない。


しかしながら、感覚が違うって恐い事だなぁ……と思う。自分の見ている物、信じていることが通用するとは限らない。惑わされないように、頑固になり過ぎないように、シャンとして生きなきゃいけないなぁ……と思ったところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月19日(火) クリスマスと年越しと

気がつけばクリスマス週間に突入していた。

月曜日に届くようにと週末にカードを発送した。「今ごろは、もう届いているのだろうなぁ」とて、ニヤニヤ帰宅した月曜日の夜。友人からのカードが届いていた。友人も同じ事を思ってカードを投函したのだろうか? こういう偶然って、かなり嬉しい。

夫のために用意したクリスマスの贈り物は、クリスマスでもなんでもない日に…しかも夫在宅中に宅配便で届いてしまった。配達日時を指定するつもりだったのだが「早急に欲しい」とお願いしていたせいか、誠実なカバン店は入金確認と同時に発送してくれたらしく、配送方法などを相談する間も無かったのだ。パジャマの上から綿入れ半纏を羽織った間抜けな姿で贈り物を渡した。段取り的にはサッパリだったが、カバンは素晴らしい物だったのでヨシとしたい。

クリスマスよりも、むしろお正月の事を考えねばならないのだが、そちらは年賀状を作成した以外は全く何も出来ていない。勤務は28日まで。31日の午後から夫の実家に行って大晦日を過ごす。義母と義兄一家とで蟹鍋をするのだ。夫の仕事たの都合で1晩中PC及びネット環境から離れるわけにはいかないらしく、泊まれないのが残念だけど、かなり楽しみである。実家では父が亡くなってから「大人数で年越し」ってのを、とんとご無沙汰していたのだ。もうちょっと編み物が上手で手が早かったら、姪っ子に小物など編んでお年玉と一緒に渡すのになぁ……なんて思ってみたりするが今の状態では無理そうだ。残念。

しかし楽しみだと受かれてばかりはいられない。2日半で買い出しと大そうじと、お節料理の準備が出来るのだろうか? ちなみに夫はうち1日出勤ときたもんだ。こうなると「どう動くか」より「何を切り捨てるか」を考えた方が賢明である。

夢に見たのは素敵な奥さん。しかし私がなろうとしているのは、すっとぼけた奥さん。夢と現実の間には深い川が流れている。もはやどこまでも流されて行きたい所存。海のほとりで何かを探すことにします。

まずは年末云々よりも仕事をちゃんとこなしていかねば。「基本的に残業しません」という契約をしているというものの、追いつかなくなってきている。まずは段取り良く働くところから始めよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月16日(土) 内へと向かう意識

編み物をしていると自分の意識が内へ向いているのを感じる。

編み棒を動かしている時は基本的にテレビはつけない(夫がテレビを観たりゲームをしている横で編んでいる時は例外)たいていはお気に入りの音楽をかけている。夜が更けてくと音楽も消してしまうので、静かな部屋で黙々と作業。ハッキリ言って、かなり暗い。

人と交わったりして意識を外に向けるのは大好きだけど、根本的な部分は意外と「内向き」に出来ているのだと思う。大人になって……特に仕事をするようになってからは「外へ。外へ」を意識していたせいか、遮二無二に前へ進むことだけを考えるばかりで、自分の内へ向かって行く時間が激減していたようだ。

編み物をする…といっても今は何も考えずに手を動かしていれば良い物しか作っていないので、頭の中は編み物とは別のことを考えている。1人で黙々と手を動かしながら、悶々と考え事をするだなんて陰気な事この上無いが、これがけっこう気に入っているのだ。

頭の中はいつも自由で自分本位だ。1人よがりな遊びと言えばそうなのだけど、じっくりと何かを考えるのってとても楽しい。

今日は夫は夜勤明けで昼間は寝ているので、基本的に1人で過ごす土曜日。掃除だの買い物だの主婦的業務。そして図書館。野菜だのの値段がジリジリと高騰しているのを感じた。年末は食べ物の値段が高騰するから参っちゃうなぁ……と思う。用事を済ませて編み物など。ホセ・カレーラスの歌を聴きながら黙々、悶々としていた。


今日は久しぶりに夫と2人で「普通の夕食」を食べることが出来る。今週は夫が胃腸炎でダウンしていたので、地味過ぎるほど地味な食卓だった。今夜は焼酎のお湯割りでも飲みながら、ゆっくり食事をしたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月15日(金) 浮気と本気

今日は既婚女性の同僚から、自分の夫に「私をあまり蔑ろにしていたら浮気してやるから!」と宣言した話を聞かされた。

その時は場の雰囲気に合わせて「そりゃぁ、強気に出たねぇ。でも、それくらいの方が良いかも」などと言ってみたけれど、内心では「なんて可愛らしい人なんだろう。夫のことが好きでたまらないんだなぁ」と思っていた。「かまってくれないと浮気をするぞ」だなんて「お菓子をくれないと悪戯するぞ」とアピールして歩くハロウィンの子供みたいだ。彼女の夫には、ぜひぜひ彼女の気持ちを汲み取ってみらいたいものだ。

ちなみに彼女の夫は売り言葉に買い言葉で「お前を相手にするヤツがいるかなぁ」と言ったらしいが、同僚も負けてはいずに「さぁねぇ。男職場にいてチャンスが無いなんて事あるかしらねぇ…」と返したそうだ。まぁ……現実問題として考えると彼女の言葉は正しくて、思わず苦笑してしまった。

「浮気」って、しようと思えば簡単に出来てしまう訳だが、私の場合は性格からして無理じゃないかなぁ……と思う。する時は浮気じゃなくて本気。そして、たとえのっぴきならない事情があって何某かの行動に出ることがあったとしても「浮気」ではなく「離婚」を選択するような気がする。浮気って、自分の伴侶に対しても、浮気相手に対しても失礼な行為だと思うから。

もし夫に「私がするとしたら浮気じゃなくて本気だよ」と言っても信じてはもらえないだろうなぁ……と思う。夫と出会ったのは生活が安定していた時期だったから、夫は私の強い一面を全く知らない。気が強くて、鼻っ柱の強い女だとは思っているだろうけど。

そりゃそうと同僚の「かまってくれないと浮気するぞ」な発想も理解出来なくはない。人間はそう強い生き物ではないから、想っているだけ、あるいは尽くすだけでは満たされない。相手から大切にされたいと願いのは当然のこと。もっとも「当然のこと」である「愛し・愛され」ってのが難しい訳なのだけど。

……なんて事を書いてはいるが、今のところ浮気も本気も考えていない。一生懸命、夫との生活を大切にしようと思っていて、そういう事とは無縁で生きおおせたら良いのだけれど……果たしてどうだろうなぁ。今日は同僚の言葉に、あれこれ考えさせられてしまった。愛とは不可解なものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月14日(木) サンタガールズ

職場の人達と「クリスマスはどう過ごす?」って話をしていて驚いたこと。

恋人と…あるいは家族と家で、あるいは外で食事をして過ごす人が多いのは、まぁ定番だなぁ……って感じだったが「どんな風にして自宅でのクリスマスを盛り上げるか」という話になった時に「サンタガールの衣装を着る」と言った人が仲間内に2人もいて、非常に驚いた。1人は結婚予定の恋人と同棲中。1人は恋人とは別々に暮らしているけれど自分の部屋に恋人を呼んでクリスマスパーティをするとのこと。

ロフトやハンズでサンタガールの衣装を売っているのは知っていたが、宴会での盛り上げグッズか、または最高潮に弾けちっゃてる若者が着るものだとばかり思っていた。ちなみに、サンタガールの衣装を着ると言った同僚は私より少し若いけれど30代の女性である。しかも、弾けちゃってる感じの人ではなくて比較的落ち着いた雰囲気のOLさんだ。

軽くカルチャーショックを覚えた。世の恋人達はクリスマスに、こんなにも弾けちゃっているのかと。私は34年間、1度たりともクリスマスにそこまで弾けちゃった経験が無い。これって、現代社会に生きる日本人としてどうなんだろう。なんだか自分が非常にツマラナイ人間のような気がしてしまった。

しかしながら、恋人が自分の前だけで弾けちゃってる姿を見る……ってのは、彼女達のお相手にとってはたまらないプレゼントだろうなぁ。「自分の前だけ」ってのがポイントが高い。普段は真面目な人のギャップって、ちょっとクラッっとしてしまうよなぁ……うむ。

そんなこんなでヨロリと打ちのめされてしまった訳だが、我が家で週明けから夫が胃腸炎でダウンしていたのでクリスマスの話題どこの騒ぎでは無かった。たぶん、当日はいい加減な過ごし方をしてしまうのだと思う。唯一の救いは「クリスマスには間に合わない」と連絡を貰っていた夫のプレゼントの鞄が間に合う事にになった……って事くらいだ。納期が伸びたのを聞いた時はガッカリしたが、間に合って良かった。

クリスマスよりも何よりも、とりあえずは週末の方がずっと楽しみ。今週は公私共によく頑張った。週末はのんびり過ごしたいものだ……ってな感じで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月13日(水) テレビと私。

なんだか世の中のTV番組やCMかにすっかの取り残されている。

実家にいた頃から、テレビはあまり観ない方だったけれど、結婚してから、テレビを観ない暮らしに拍車がかかったように思う。(実家では乙女な母がテレビっ子だった)

リアルタイムで定期的に観るのは朝夕のニュースと大河ドラマのみ。たまに『鉄腕ダッシュ』を少々。サッカーの試合がある時は観ているが、夫1人で観る事も。それ以外だと夫がハードディスクレコーダーに録っている番組が2つ、3つ。それが我が家のテレビ稼働時間の全てだ。

テレビを観なくても「流行に疎い」って以外は、さほど困る事はないのだけれど、最近の芸人さんの顔が、ちっとも分からないのは少し寂しい。お笑いは大好きだし、別にテレビが嫌い…って訳では無いのだ。単純に観る時間が無いのである。

世の人達はどうやってテレビを観る時間を作っているのか不思議で仕方がない。家事の要領が悪いのか、睡眠時間が長いのか、仕事して帰宅して1日のタスクを消化したら、たいてい就寝時間になっているのだ。日本の冬の過ごし方と言えば、コタツと蜜柑とテレビだと言うのに。

年末年始の休みにはテレビを観たいと思うのだけど、私が望むのは「普通の番組」であって「お正月特別番組」では無いのだ。せっかくテレビを堪能するチャンスだと言うのに残念極まりない。きっと無難に紅白を観たりしているのだと思う。

胃腸炎でダウンしていた夫が随分回復してきた。今夜から出勤。本当はもう1日くらい休めたら治りも違うと思うのだけど、昨日も会社からの電話があり、自宅で少しばかり家で仕事をしていたようだから、そうそう休んでいられないのだろう。私が残業を終えて帰宅したら、夫はすでに出掛けていた。ちょっと心配だが元気になってくれて嬉しい。それはそれとして、私も身体を休めてるために今夜はのんびりさせてもらおうと思っている。今週はあと2日働かなくちゃいけないしね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月12日(火) 彼の手袋

編み物をするようになってから、街行く人達のマフラーや帽子やセーターが気になって仕方がない。

編み物を始めたばかりの超初心者で、初挑戦のマフラーも、やっと半分弱ばかり編んだだけなのに、もう次に編む物を考えていて、どんなデザインで、どんな毛糸を使っているか研究中なのだ。

毎日「手編み」を求めて目をギラつかせているのだけれど、私の思いとは裏腹に、手編みの物を身に着けている人は案外少ないみたいだ。今の季節、書店へ足を向けるとはじめての手編み」をテーマにした雑誌や本が平積みになっていて、手芸店の編み物コーナーでは女達がひしめき合っているのになぁ。彼女達の作った物はどこで活躍しているのだろう? それとも、全国的に見ると彼女達は極少数派の人間なのだろうか。謎である。

そんなことを思いながら電車に乗っていたら、肩から黒い縦型のバッグをさげた50代くらいのサラリーマンが私の座っている席の前に立った。いかにも風采の上がらない感じだが、しかし真面目な勤め人さんなんだろうなぁ…と思わせる雰囲気。取り立てて面白味の無さそうな人だったが……しかし、バッグのポケットから覗いている手袋は明らかに手編みだった。手袋は使い込んでいるらしく、薄い毛玉が出来ていた。視線を上げると、彼の首元には手袋と同じ毛糸で編んだマフラーが!

なんだか訳もなく嬉しくなってしまった。

彼の手袋とマフラーを編んだ女性はどんな人なのだろう? 妻か母親か、もしくは娘か。本人という説もアリだが、なんとなく贈り物のように感じた。手編みのマフラーと手袋は彼の雰囲気によく合っていた。きっと肉親が作ったんだろうなぁ……と知らない男性の手袋とマフラーを見て、ささやかな幸せに浸ってしまった。

これから寝るまでの時間は編み物をして過ごす予定。夫の風邪は回復傾向。今日は、やっと「食べ物が美味しい」と感じるようなったらしい。ご飯が美味しくなったら治っていくペースも早くなるだろう。さてさて。そろそろPCを落として編み棒を握りますかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月11日(月) おかゆさん

夫が風邪で臥せっているので、おかゆを炊いた。

お米から、おかゆを作るだなんて久しぶり。自分の為におかゆを作る時は、冷やご飯だの、炊飯器のご飯だので作るのだけど、そうやって炊いたおかゆより、お米から炊いた方が断然美味しい。少し味見をしてみて、その美味しさに驚いた。私の周囲では「おかゆ」のことを「おかゆさん」と呼ぶのだけれど、とても呼び捨てには出来ないような…そんな感じ。もっとも、夫はおかゆの味どころでは無いだろうけれど。

なんて事を書くと「甲斐甲斐しく夫の看病をする妻」って感じだが、今日は仕事が立込んでいて定時で上がる事が出来なかった。明日は確実に遅くなるので、途中で切り上げて来たのだけれど……しかしながら、気がとがめつつ仕事が出来るのも夫が大人で、動けないほどの重病ではないからだ。小さい子供だったら、こうはいかないだろう。病気の子供を見てくれる保育施設は皆無に近い。よしんば、そういう制度が整っていたとしても「病気の子供よりも大切なもの」なんてあるのかなぁ…と考えると首を傾げざるを得ない。

公務員でもない限り夫婦共に働いていていて子供がいて…となると「仕事と家庭を両立させる」なんて不可能だと思う。夫婦のどちらか1人が自分の中のウェイトを「家事>仕事」と定めていれば別だろうけれど。なかなか難しい問題である。

そんなこんなを考えながらコトコト弱火で野菜スープを煮込んでいる。自分で作っておいて言うのも何だが、美味しそうでたまらない。そろそろ仕上げをして夫に飲ませてみようかな……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月10日(日) 夫、発熱。

夫が風邪をひいてしまった。どうやら胃腸炎をともなういまどきの風邪みたいだ。下痢と嘔吐と発熱の3点セットである。先週はずっと「風邪っぽくて不調」だったのだが、欠勤することなく週末には回復したと言うのに、週末にちょこっと出掛けたのが悪かったのか、まったく別の風邪を貰ってしまったようだ。

明日は1日仕事を休んで夫の看病をしたいのは山々なのだが、明日からの1週間は「未曾有の大ピンチ」で、ガッツリ残業をしないと宣言しているものの、明日と明後日ばかりはそうも言っていられないのだ。本来なら夫は明日から夜勤週間なので「夫は夜勤だからガッツリ残業しても良いか…」などと暢気に構えていたのだが、困った事になったものだ。

夕食後、夫の発熱を確認してから大慌てで「風邪対策」乗り出した。夫にはたっぷり水分を取ってもらって、私は洗濯機をセットして近くのスーパーへ食料の買出し。スポーツドリンクだの「気分が悪くても食べられそうなもの」だのをどっさり買い込んできた。帰宅後、洗濯物を干して夫にスポーツドリンクと、すりリンゴを提供。食料リストを作ってテーブルの上にセットした。

夫には申し訳ないけれど、1人で頑張ってもらわなければいけない。私も出来る範囲で夫のサポートをしつつ、共倒れにならないよう気を付けねば。早めに休んで明日からの日々に備えよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月09日(土) 灰谷氏と父の思い出

先日、作家の灰谷健次郎が亡くなった。亡き父はほんの少しだけ彼と親交があったので、あれこ書きたかったのだけど「今、書いちゃうと検索に引っ掛かりやすいかも…」と思い直して現在に至る。もっとも、WEBに書いて問題のある事を書く訳ではないので構わないのだけど(問題アリの話なら書かないし)懐かしさに浸るためには静かな方が良い……ってことで。

父は自営で印刷機械関係の仕事をしていた。印刷機械……と言っても、私が好きな出版物を印刷するものではなく、あくまでも商業用の物(カタログとかお菓子の箱とか他にも色々)を印刷する機械。しかしながら「業界」というものは、蜘蛛の巣のように絡み合っているらしく、父の友人(出版関係の人)が灰谷氏と深い係わりのある人で、父も灰谷氏と直接接することがあったのか、自宅の本棚には何冊か灰谷氏から戴いた自費出版本や流通に乗っている本が並んでいた。

我が家に戴き物の自費出版本が何冊もあったが、それらはたいてい、どうしようもなくツマラナイ本ばかりで、子供心に「戴き物の本は面白くない」という認識があったのだけど、その中で例外だったのは灰谷氏の本。子供が読む本ではなく、どちらかというと大人が読む本だったのだろうが「こういう本を書く学校の先生っていいなぁ」と思ったものだった。

私の中で作家という職業は今でも憧れちゃう仕事なのだが、父に言わせると「文学なんてやるヤツはロクデナシばかり」だった。詳しく話しを聞くと「作品は凄くても人として、どうかと思う傍迷惑な人」って事だ。今さら父を責めるつもりはないが、家族にしてみれば父もたいがいに「傍迷惑な人」だったので、私には納得のいかない話だった。が、とにかく文学をする人ってのは、父のように……あるいは父をもっとパワフルにしたような傍迷惑な人だというイメージが私の頭に刷り込まれてしまった。

私が檀一雄の作品と私生活に惚れ込んでしまったのは、こういう刷り込みがあったからかも知れない。現在活躍している作家さんに、父の言うタイプの「ロクでもない文学者」がいるのかどうかは知らないけれど、もしかすると父は「ロクデナシばかり」と言いながら、そういうことをする人達が好きだったのかも知れない。子供の頃、本ばかり読んでいた私を、母は苦々しく思っていたようだが、父はむしろ喜んでいたように思う。

当時、灰谷氏から貰った本は度重なる引越しで処分されてしまったけれど、1冊くらい残しておいても良かったかなぁ……とは思う。灰谷氏の作品は、それなりに惹かれる部分があったものの、私にとって「愛さずにはいられない作家」では無かった。だが、私にとって本を読む下地を作った作家さんの1人には違いないのだ。もちろん、それは父の思い出と抱き合わせでの話だが。

灰谷氏から貰った子供の詩集の書名を検索してみたら、当時の出版社とは違う出版社から出ているものが流通していた。少し寂しかったが、読み継がれているという事実は嬉しかった。なんとなく昔語りなどしてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月07日(木) 憧れの女性

今日はご無沙汰していた友人と電話で少し話をした。

彼女は私にとって憧れの女性だ。ベタな表現だが非常に女性らしく物腰の柔らかい人で、一緒にいるだけで「安らぐなぁ」と思えてしまう。今日はほんの少しの時間しか話が出来なかったのだけど、やはり「安らぐなぁ」と思ってしまった。

私は決して友人の数は多くないけれど、友人の呼べる人達は素敵な人ばかりだ。しかしながら友人でも「自分と同じ匂いを感じるから好き」な友人と「自分には無いものを持っているから好き」な友人がいる。前者の筆頭は東京のF。後者の筆頭が電話の彼女だ。残念ながら私は根本的に女性らしさとか、人としての柔らかさに欠ける。たとえ、どんなに可愛らしい服装に身を包んだとしても本質的なものを変えることは出来ないのだ。だからこそ私は、自分には無い魅力を持つ彼女に惹かれてしまうのだろう。

WEBで知り合った友人の日記に「編み物は幼稚園の頃からしていたからキャリアは30年」ということが書いてあったのを読んで「あぁ……素敵過ぎる」と溜息をついたのは、つい昨日のことだ。彼女の書くものを読んでいると「可愛い女性って、こういう人のことなんだなぁ」と毎度、思わずにはいられない。

可愛らしい女性。印象が柔らかい女性。品の良い女性。言葉の綺麗な女性に滅法弱い。逆を返して言うなれば、それは私の足りない部分だ。もっとも私には私の長所があるので、嘆く必要はない…って事は充分承知しているのだけど「憧れちゃうなぁ」って気持ちは押さえ切れないのだ。

そりゃそうと久しぶりに友人の声を聞けて嬉しかった。手紙やメールも良いけれど「声」の持つ独特の「伝える力」も捨てたもんじゃないと思う。たまには、声を聞きたいなぁ……ってな人を思い描きつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月06日(水) 暮らしの手帖

年末だというのに、ちっとも士気が上がらないので「これではマズイ」とて、仕事帰りに本屋に寄って『暮らしの手帖』のお正月準備用別冊本を買ってきた。

いつもは電車の中で本を読んで過ごすのだけど、今日は暮らしの手帖をパラパラと眺めて帰宅。世の中には「主婦雑誌」が数多く発行されているけれど『暮らしの手帖』がいっとう好きだ。シンプルで広告が無いのが気に入っている。家庭画報だと豪華すぎて、一般人の生活から離れ過ぎている気がするし、オレンジページだと、少し軽い感じがする。暮らしの手帖は私にとって、ちょうど良い頃合なのだ。写真も綺麗で眺めていて楽しいし、実践出来る情報も多い。あえて弱点を上げるとするなら、雑誌にしてはお値段が高い…って事の1点である。

おせち料理の写真を見ていると、さっそく黒豆が炊きたくなってしまった。「お正月前に練習で炊いてみるのもアリかしら?」などと思ってみたりもする。年末年始の準備って「用事」だと思えば億劫だけど、楽しもうと意識すれば、いくらでも楽しめるのだから、そういう風に気持ちを持っていきたいなぁ……と思う。

……なんてことを書いていたらば夫から「帰るメール」が。今日は早いのだなぁ……と吃驚する。まだまだ書きたいことがあったのだけど夕食の仕上げに取り掛からなくては…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月05日(火) 師走なのに…

12月に突入したとたん「年末の準備をしなくちゃ!」という気持ちが、いっきに低下してしまった。

理由は色々ある。クリスマスカードは用意してしまったし、玄関先にクリスマスリースも飾った。年賀状も印刷した(手書きのメッセージは入れていないけど)。中途半端に達成感を感じてしまったのが悪かったらしい。さらに暖冬とは言うものの、少しずつ寒くなってきたので、半冬眠状態ではないけれど「頑張ってあれこれしよう」って気が薄れているのも事実だ。

そして編み物という新しい玩具を手に入れたのも、ある意味において失敗だった。夫のマフラーは下手くそながらも順調に進んでいて、昨日は2つめの毛糸玉に突入した。12月に入ったら、図書館でおせち料理の本を借りてきて勉強しよう……と思っていたのに、毎日編み物の本を眺めてニヤニヤしている。駄目過ぎる……毎日お祭り気分で勤勉さに欠けているのだ。

夫が「クリスマスはどう過ごそう? 行きたいところとかある?」と聞いてくれているのに、調べようという気も起こらずに、このままでは惰性でクリスマスイブを迎えてしまいそうだ。特別なことをしなくても、家でちょこっと凝った食事を作って、ケーキを食べれば良いか……とも思うのだが、一応新婚1年目のクリスマスである。子供がいるならまだしも、もう少し何か考えても良さそうなものだ。

クリスマスだとかお正月だとか、行事は迫っていると言うのにエンジンがかからないだなんて、困ったものだ。切羽詰ってきたら気持ちも盛り上がってくるだろう……など、暢気にかまえつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月04日(月) 色気不足

姿見に映った自分の姿を見て「色気が無いなぁ…」と溜息をついてしまった。独身時代から「色気に欠けている」と言う意識はあったけれども、結婚してから「色気の無さ」に磨きがかかったような気がする。

女の色気は、既婚・未婚、あるいは老若に関係ないように思う。人妻とて色気が匂い立つような人だっている訳だし。立原正秋とか渡辺淳一とか、あるいは中山可穂がむしゃぶりつきたくなるような、お色気ムンムンの人妻になりたい……とまでは言わないけれど、もうちょっと、どうにかしたいように思ったりする。これって容姿だけの問題では無いように思う。中身から滲み出る「何か」が関係するような。

自分を卑下するつもりはないが、第三者の目に私は、せいぜい「感じの良い奥さん」程度にしか映っていないだろう。そう言えば親しい友人から「白蓮はきっと、子供が出来たら『ママ』じゃなくて、いきなり「オカン」になるんだろうね」と言われた事があるけれど、たぶんそれは当たっている。白いエプロンの眩しい人妻にはなれなくても、割烹着の似合うオカンにはなれるだろう。まぁ、そう言うのも捨てたものでは無いのだが、もう少しなぁ……てな訳で。

だが、しかし。理想は高いが現実は厳しい。自分の努力次第で改善出来ると分かっていても、ついつい自分を甘やかしてしまうのだなぁ。もう少し色気のある女性になるべく邁進したいものだ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月03日(日) やめられない。とまらない。

自分でも吃驚するくらい編み物にハマっている。しばらく日記をサボりがちになるかも知れませぬ。たぶん、それは…体調が悪いとか落ち込んでるとかではなく、毛糸玉と遊んでいるのだと。

決して手つきは良くないし、やっぱり手芸は苦手…って事は間違い無いのだけど、編み物には中毒性があるのだろうか。「やめられない。とまらない」かっぱえびせん状態。コタツの定位置に陣取って、編んでは解き、解いては編み。夫から何か言われても「ごめん。セーブポイント(一段の端っこのこと)まで編ませて」と、編み物から顔を上げられない始末。寝るのが勿体ないくらいだ。

久しぶりの感覚にアドレナリンが放出気味。

「新しいゲームを買った時」とか「はじめてCADの勉強をはじめた時」とか「HP作りに格闘していた時」とかに似ている。どうやら私は「はじめての挑戦」に興奮してしまう性質らしい。ひとたび夢中になると、どこまでも走っていってしまう。なかば呆れたように笑っている夫の横で、せっせと編み棒を動かしている今日この頃。

そんなこんなで、編み物のおかげで楽しい時間を過ごしている。この情熱がどこまで続くのかは謎だけど、しばし愉悦にひたりませう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年12月01日(金) 作る喜び

編み物を始めて、もうすぐ1週間。安い毛糸で習していたが、明日から本番用の毛糸を使おうと思っている。

1日、2日は四苦八苦するばかりで「苦手な事に挑戦しているぞ」と言う充実感はあったものの、正直なところ面白くもなんとも無かった。ここ数日、不器用ながらも、なんとか自分のリズムで編めるようになり、ようやく編み物が楽しくなってきた。

人間の活動を「生産・創造」のグループと「消費・破壊」のグループに分けるとする。なんだかんだ言って「消費・破壊」活動は楽ちんで愉快だ。「生産・創造」活動は面倒が多くて、しんどい事この上無い。だけど、人間は「消費・破壊」へ向かって行くのと同じくらいの情熱で「生産・創造」を求めるのかも知れないなぁ…なんて事を思う。

自分の手で何か作る…って作業は単純に楽しい。料理でも手芸でも。植物を育てたり、絵を描いたり、家を建てたり…作る対象が小さくても大きくても。一瞬で消えてしまうものでも。何も無いところから何かが出来上がって行く過程には言い知れぬワクワク感があるように思う。

子供の頃「リリアン編み」と言う、組み紐を編むような遊びが流行った事がある。紐を編んで何か素敵な小物を作るでもなく、ひたすらに紐を編み続けた訳だが、あれは手を動かして物を作る喜びを謳歌していたのだろうなぁ。

そんなこんなで、日々毛糸玉と楽しく向き合っている。明日はガッツリ取組むぞ…と張り切ってみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


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