Mon journal
最近はあまり頻繁に書き込みできていませんが、思ったことや日々の出来事を少しずつ書きとめています。

2003年12月29日(月) 三重に帰省っす。

の前に、やらなくてはならないことが。

そう、大掃除。

レンジ周りとトイレをなんとかきれいにして、

家賃と新聞代を払いに行って、でもって新聞を東京に帰ってくるまで
とめてもらって、いざ出発。

29日に自由席って大丈夫かなと思ったけど、
運良く3人座りの真ん中が空いてて、座ることができました。
名古屋で乗り換えて、近鉄線で途中まで行く。
私の実家のあたりには、電車は通っていないのだ(笑)
以前友達に「本当にすごいところにすんでるね!!」って驚かれたことがあるくらい、へんぴ?なところ。
でも実はわりと栄えている・・・はず。

コンビニだって町内に2件あるし。
コインランドリーだってあります。
ケーブルテレビも通ってます。
でも残念ながら、さすがにマ○ドやら○スドやらは
車で30分は走らないといけないんだけどね。

太平洋がすぐそこの、とってもいいところでございます。



2003年12月28日(日) とりあえず今日で。

今年のバイトは終了です。
3日連続なんて初めてで、最初はすごく疲れたけど、
でもなれると楽しかった。
いろんな生徒に会えたし、自分の経験もそれだけ増えたってことだから。
来年は5日からまた再開だ〜。

今日は家に帰ってきてから借りてたCDをTSUTAYAに返しにいって、
それでもうお休み。

明日はいよいよ三重に帰省するのだ。



2003年12月27日(土) 終わった・・・!!

レポート終了!!とにかく終わったんだから
内容のできはもうどうでもいいっちゃいいです。

そして今日も今日とてバイトでございます。
今日は1コマ増えました。中1の英語、アドバンストクラス。

それにしても今時の生徒は熱心というか、塾が儲かるわけだって感じです。
私は曲がりなりにも今は講師なので、こういうことを言うのも変だけど、
自分で勉強すればお金もかからないのにな〜とか思う気持ちもあります。

でもああいうかわいい子ども達を見ていると、
親が子どもにお金をかけたいと思うのもうなずけるなぁって思ったり。

子どもには本当に無限の可能性を感じます。
そういう子どもの人生の一部に私もかかわっているんだなと思うと、
やっぱり責任は重大だし、嬉しくも思う。
たとえ子どもたちが私のことを覚えてなくても、忘れてしまっても。

やっぱり、私の方が子どもに元気をもらっている気がします。
そういうことを改めて感じた日でした。




2003年12月26日(金) 自分で自分の首を絞めるとは。

スケジューリングミスで、集中講義の最終日にバイトを入れてしまった・・・。

というのも、バイトはてっきり夕方の7時からだと思っていたので、
集中講義がその日も9時から18時まであるけど大丈夫だと思っていたのです。
でも、世間ではもう冬休み。
もちろん、朝から塾があるに決まっていたのでした。
(私は今時の生徒達を尊敬するよ…。)

それに気付かずうっかりしていた私は、
バイト4日前になってやっと気付き、

もちろん
真っ青になりました。

う〜んう〜んと頭から煙が出るくらい考えて、

結局、

先生に本当のことを言いました…。

だって、嘘言うのって苦手だし。
絶対ばれそうだもんなぁ…。

先生は「評価は厳しくなるけど、レポート課題でテストの代わりにします」
とおっしゃってくださいました・・・。

神よ…!!!!!!
でも締め切りは27日消印有効だけど。

ということで、今日は塾で朝11時からバイトです。
持つクラスは、
小3算数。
中3英語。
小4国語。
小4英語。
中2英語。
中1歴史。
終了は夜7時40分。

やってみて思ったのは、
小学生のかわいいことかわいいこと!!!!
も、もお食べてしまいたいくらいかわいい…!!!!
本当にヤバイ。
みんなかわいい。
小テストのまだぎこちない字で書かれた名前とか、
最高。

英語と国語の授業はもう本当に大変です。やばいです。

英語では私が言った文を皆で言ってくれるし、
国語はかわいい声で文章を朗読してくれるし。

「せんせー」って呼ばれるのも大変だけど嬉しい。
もうかわいくてかわいくてしかたないよ。
明日も頑張ろう。でも今日はレポートを完成させなくては…(汗)



2003年12月19日(金) 塾ばいと。

今日は4・5限が休講だったので、いつもは5限後チャリダッシュで
バイト先に向かうところを、一旦家に帰ってスーツに着替えて優雅に出勤できた。

楽だ、やっぱ。
なにしろ準備もわりかしできるし、
出るまでに家事もやれるし。

洗濯物を干して、買ったままで組み立ててなかったラックを組み立てた。
これでちょっとはカオスを解消できるかな…。


で、六時過ぎに家を出て、バイト先に向かう。30分くらいで着くが、
一応神奈川県に突入してるのだ。

今日もいつものようにバイトを終わらせたけど、
生徒の一人が
「先生、教えるのうまくなったね」
だって。
ははは・・・(照)

めっちゃ新人ってばれてますね。
でも嬉しいなぁ。

生徒ってやっぱり先生を冷静に見てるなあと痛感したのでした。
そういえば私も中・高生のときそうだったもんなぁ。

なんだかんだ言って私は生徒に恵まれているのかな。

で、私は冬期講習のバイトもやることになった。でも、
ある人に言わせると「殺人的」なカリキュラム。先生にとって。

生き残れるかな〜〜〜。

そしてちょっと厄介そうなクラスも担当するらしい…どきどき。



2003年12月17日(水) ♪黄色い看板の〜♪

今日は黄色い看板でおなじみのPミスが開催した、
自己分析セミナーに参加した。

実を言うとPミスには全く興味がないのだが、
あえてこれに参加してみた。

興味が全くない会社のほうが、素の自分でセミナーも受けられるかなと
思ったので。

で、実際そうだった。ものすごくリラックスして話ができた。

といっても、企業の方と話したのではなく、ずっと特定の学生4人と一緒だった。
何をしたかおおまかにいうと、

・5人グループに分かれて、自己紹介(2分間)←これが結構長い。
・自分のこだわる項目探し
・「何のために就職するのか?」についてディスカッション
・他のメンバーに自分の第一印象・強み・アドバイスを書いてもらう
・2ヵ月後、就活中の自分に手紙を書く

以上。
自己紹介ではじゃんけんに見事に綺麗に負け、トップバッターをつとめさせていただいた。
ディスカッションでは進行役。そういうの苦手だと思っていたけど、
いつまでたっても決まらないよりはいいし、チャレンジするのもいいかなと思って。

で、他のメンバーから第一印象なんかを書いてもらったのだけど、
第一印象ではけっこうおとなしい印象を与えているらしかった。
たぶんそうだろうなと思う。

でも、ディスカッションは、他の人の就職観が聞けてとてもよかった。

自分への手紙は、そのときが来たらPミスが自宅に郵送してくれるのだ。
なかなかユニークでおもしろい。

めちゃくちゃ二ヶ月後の自分をはげましてやった。



そのあと17:30から、語劇のビデオ鑑賞会に行った。
自分の歌を聞くのは恥ずかしい。歌うよりもおそらく恥ずかしい。
でもダビングする関係上早送りもできず、生殺しだった…。

でも親がめちゃくちゃ見たいと言っていたので、ダビングしてもらえたのは
とても嬉しい。

余談ですが、
Mさんが甜甜のことを褒めていました。
「性格いいな〜」って。

代表の時、いろいろ言われても話を聞いて、いろいろ手配してくれたことに
対してそう思ったんだって。

それにしてもやはりMさんって謎な人だ。




2003年12月16日(火) 結果。

朝日が見えた。

前日の日記から読んでくださった方にはお分かりだろうが、
昨日から私はファミレスで発表の準備をしていた。

お…終わった…!!!

とりあえず終わった!
あとはもう知らない!!



ということで、私はK.Jと一旦別れてめちゃ近所の我が家に戻った。
シャワーをあびてさっぱり、朝食を食べておなかが満たされると…

ね、眠気が。


・・・いかんいかん!9時から一限に出なきゃ!!

・・・でもちょっとだけ・・・眠い・・・

ZZZ・・・

・・・ハッ!!!!!!

ヤバ!

チャリダ〜〜〜〜ッシュッ!!!


なんとか間に合いました。危なかった。

でも授業は出てて聞いてないようなものでした。
正確には聞けませんでした。眠くて。


このままでは二限の発表もままならないのではというくらい
眠くて眠くて。

でも、そこは先生、
うまいこと私をあててくださりやがりました…(涙)

眠気がふっとびました。


しかもあんまりちゃんとできてなかったのでほとんど
黒板の前で訳してました…
冷や汗ものでした。

実際添削はなはだしかったですが、
これもまた一興(涙)


で、二限ですが、眠気もふっとんでいたためか、それほど
大変なことにはなりませんでした。
時間も程よく足りなくなって質問を免れた(ふ〜)。

でもそのあとは緊張が解けたためか、
眠くて眠くてしょうがなかったですけどね。



2003年12月15日(月) ピンチ。

学校でおこなわれた、
国連関係、とくにカンボジアについて尽力された
明石さんの講演を聞いたあと、私は図書館に向かった。

明日は蘭先生の発表である。
テーマは「外国人入国問題」。


…ヤバイ。


まず、資料が多すぎて、どこを使えばよいか困る。
これでかなりの時間を浪費してしまった。

とりあえず図書館でグループ閲覧室を借りて、K.JとNっちと三人で
勉強してた、というか準備してたんだけど…


いよいよ終わらん。

ということで、
Nっちが帰ってしまった今、
不安のたちこめる中で
K.Jと私はしばし見つめ合った。


N.J「…ファミレス行こうか…」

大臣「…そうだね…」


というやりとりのあと、二人はチャリをこぎこぎ、
近くのファミレスに入店。


夕食を食べたあと、ドリンクバーでねばりながら、
とにかく資料を作成し、自分の発表する原稿にとりかかる。
まず日本語。
これにすら時間がかかった。

さらにそれを中国語に訳する。

真夜中近くになると、どちらも壊れ気味になるのが面白い。
でも先にK.Jが壊れた。

彼は何を思ったか、Tちぇんに電話をかけたのである。
ごぞんじであろうが、彼はK.Jの好朋友で、チャイ科のホープと呼ばれる男である。


そうきましたか、びっくり。

ていうか本人も「めったにかけないけど」って言ってた。

かなり壊れてたんだね。くす。


恐れ多いです。(23:30ごろ)

K.J 「T−ちぇ〜ん、いますぐ来て手伝ってよ

的なことを言っていたような(笑)
もちろん冗談ではありますが(彼の家は遠いので)。

そうこうしていると、今度は「ハイ」って私にケータイが回ってきた。
ええ〜〜!??

私に何か言えと!?

う〜ん、しょうがないなぁ…(何が)

大臣 「もしもしTちぇん?」

Tちぇん 「あのー、二人とも徹夜しないほうがいいですよ、早く寝たほうが…」

大臣心の中 (そりゃあできてたらぐっすり寝ますよ)
大臣   「できてないから徹夜なんだよ〜(泣)」

Tちぇん 「え?でも前K.Jの見せてもらったけど、もうできてたじゃないですか」

大臣 「は?…K.J〜、Tちぇんがこんなこと言ってるよ〜?」

K.J 「なに言ってんだTちぇん!(怒)」

大臣 「もういいよ、とにかく来て!手伝って!翻訳一下!(もう半分本気)」

Tちぇん 「いや、実際行ったとしてもお役に立てるほどではないので…

大臣 「なぬ〜〜!!??(怒)(きしゃまはその実力でそういう口をききなさるか!)」


 「もう今すぐ南武線に乗って京王線に乗り換えて来い!!!!」



…みたいなね。やりとりがちょっとあって。
おもしろいねぇ。

その後は二人頑張ってもちろん自力でもくもくとやりましたよ。







2003年12月13日(土) うれしいこと。

今日は幹部交代式でした。
いよいよ主務の仕事も終わりです。
後輩のためにマニュアルを作成しながら「これが最後の仕事か〜」
なんて、しみじみしてました。

思えば最初、主務に任命されて、「なんで私なんだろう」
って思ってたなぁ・・・。
そういう責任の伴う仕事ってまともにやったことなかった。
責任を果たせなかったらと思うと怖くて。

でも、今となっては先輩方に感謝してます。
多分、自分で立候補なんてするはずもなかったと思う。
先輩方が選んでくださったから、この役職に就けたし、
頑張れたんだと思う。
それに、今まで知らなかった大切なことを学べたと思う。
私に欠けていたものだったから、
この一年はとても有益なものになった。

というか、私は少林寺拳法部に入ったことで
かなりのものを学んでいると思う。ほんとうにやってよかったって思う。

でも結構自分のダメさ加減に悩む一年でもあった…。
やっぱり私が会計だったらやばかった・・・

それにしても、幹部交代式の後輩のお祝いっぷりには脱帽した。
手作り映像、最高!まさか監督があそこまで演ってくださるとは・・・!!
びっくり。
しかも花束・色紙・マスコット人形・・・至れり尽くせりです。



そういえば、納会のときの
「これで本日の練習を終わります」
っていう言葉にじんとしてしまった。

これでうちらの代の練習は終わったんだ・・・って思った。

なんだかいままででいちばん切ない気持ちで終わった部活だった。



その日はそのまま二次会に行って、さらにカラオケオールでした…
何やってんだ自分。
しかもこのカラオケに同じ代があともう一人しかいない状態。
うちの代らしさが最後まで感じられた(^-^;)

でもオールはできるだけしないほうがいいね。
私は今回が二回目だったけど、
次の日損した気分になるもんな・・・。

まあ、ボックスで寝ればいいんだけど
貧乏性だから、ボックスにいるからには歌おうって
いう気持ちになっちゃうんだよ…(汗)





 < PAST  INDEX  FUTURE>


うしゃぎ大臣 [MAIL]

My追加