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2013年01月26日(土)
『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』蜷川バージョン

『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』蜷川バージョン@シアターコクーン

さて蜷川版です、ケラ版の感想はこちら

テキストの分量は違いました。トビーアスの長台詞や、ヤンと対話する異形の存在が具象で登場する場面はケラ版にはなかったものです。同じ上演台本で(戯曲は出版のため早めに提出した、上演用の最終稿ではないものと思われる)、ケラさんが「上演時間の都合でやむなくカットした」箇所を蜷川さんはカットしなかったのでしょう。にも関わらず、実質的な上演時間はほぼ同じ(ケラ版は休憩各10分、蜷川版は各15分)で、体感時間は蜷川版の方が短かった。簡素化し機動力を活かした装置、時間の経過や場所の移動を字幕で提示することにより情報処理のスピードを上げ、観客にフィジカルな鑑賞を促したからだと思います。

フィジカルな鑑賞、と言うのは、字幕を読んだりコロスのラップによる群唱に耳を傾ける行為。実際はラップが聴き取れなかったり(これはラップを使わなかったケラ版でもそうだった。群唱の難しさですね)ト書きの字幕を読み切る前に次の場面が始まってしまったりすることもあり、私の後ろで立ち見していたおじいちゃんとおばあちゃんの三人組は「(字幕の)字が小さい、見えない」と漏らしていたのですが、休憩時間の会話(聞こえちゃった)からするとストーリー展開についていけてないと言うこともなく、「おもしろかったね〜!」と帰っていった。元気…4時間超ですよ?隣の立ち見の若者は靴脱いでぐったりしていたと言うのに。そう言えば立ち見客に結構年配のひと多かったなあ。そしてコクーンの立ち見エリアって、休憩時間ピクニックっぽくなりますよね。フロアに直接座ってチラシ読んだりしてて(笑)。

閑話休題。これらは観客の注意と興味を引き、ぼんやりしている暇を与えない=退屈させないことが狙いのフックで、極端な話、字幕は開演前に提示されていた序文だけを心に留めておけば充分だったと思います。ラップによる群唱は成功していたとは言い難く(ラップのためのテキストではない=韻を踏んでいないのでリズムに乗せるとセンテンスがガタガタになる)、ケラ版のコロスとは違うことしたるでと言う後攻の強迫観念と言うか意地にも感じられました。サービス精神の表れだと思えばご愛嬌。有頂天がカヴァーした「心の旅」を劇伴に起用、曲が流れる間字幕にタイトルと「歌唱:KERA(ケラさんがいたバンド=有頂天、だと知らないひとのためへの親切心!)」と提示したところは、ケラさんを意識した蜷川さん流のナンセンス演出と解釈しました。

スピードと言えば、パブロとレティーシャの恋はロミオとジュリエットを彷彿する破滅的なスピード感がありました。ふたりでウィルヴィルを出ようと客席エリアで激しく抱き合うところは、蜷川さんらしいドラマティックなシーンになっていた。個人的にはどちらのヴァージョンもパブロに感情移入することが多かったのだけど、公園くんと満島くんどちらのパブロにも違う魅力を感じて惹き付けられた。公園くんのパブロには何ごとにも没頭出来ない迷いからどこにも居場所を持てない寂しさを感じたが、満島くんのパブロには何にでも激しく没頭してしまうが故の、どこかに所属し誰かと繋がっていたいと言う愚かさが悲しかった。

ケラ版で感じた“おとぎ話”感は薄れ、ウィルヴィルの滅亡を観測すると言う鳥瞰から、ウィルヴィルの地に引きずり降ろされたうさぎの視点へ。他人事ではない、自らの老いと死を意識する。年老いたドン・ガラスが渋谷の雑踏へと消えて行く、劇場には寒気が吹き込んで来る。ケラ版を観たときには連想しなかった松尾さんの『生きちゃってどうすんだ』を思い出した。劇中繰り返し流れるのは、ギャビン・ブライアーズ『タイタニック号の沈没』からの主旋律。鳥たちはレミングさながら船=ウィルヴィルから脱出を試み、それは結果死を招く。弦の調べは死者(二度と会えないひとと言う意味でもいい)へのレクイエムにも、生き残った者へのアンセムのようにも響く。祈りは届かない、それがどうした。老人のタフさとしたたかさを感じる幕切れ。蜷川歌舞伎と揶揄されることも多い仕掛けの数々―本水を使った雨、開放されたステージ後方から登場人物が劇場の外へ出て行く―は、何度も見ている演出にも関わらず心に迫りました。

これ迄三作コクーンの演出対決を観てきましたが、作家の劇世界がそのまま反映されているであろうヴィジュアル含む舞台のありようはケラさん、野田さん(『パンドラの鐘』)のものが好きなのに、劇中の登場人物にどうしようもなく惹き付けられ、ドラマに没入出来るのは蜷川さんの方でした。一作目の『零れる果実』(作:鈴江俊郎、演出は蜷川さんと佐藤信)のように、作家本人が演出しないものでまたの対決を観てみたいと言う欲求も沸きます。思えばこの演出対決、蜷川チームは勝村さん皆勤なんですよね。

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その他。

・深谷美歩さん(多分三姉妹の末妹役)どうして降板しちゃったのかな…稽古始まる前?ってくらい早い段階で降板がアナウンスされたようですが。ネクストシアターにももう名前がないし(これは卒業ってことかも知れないけど)、次はどこで観られるんだろう。残念
・役へのそれぞれのアプローチの違いも面白く観たんだけど、三女の役に関してはどちらのヴァージョンともすごく筋が通った似通い方だった。どんなアプローチをしても辿り着くところは同じと言う強烈な人物像だったってことかな

・新川さんが身体能力を活かさない(蜷川さん曰く「筋肉バカ」ではない)役(ローケ)を演じていて、それがまたすごくよかったのが嬉しかったな
・長くニナカンを観てきている者としては、大石さん(アリスト)とのやりとりにジーンときてしまった
・と言えば大石さん、確かに痩せてたわー(パンフに演出家からの指示でダイエット中とあり)もともと細いひとなのに。憔悴が表れててよかったな…元は善人なのに状況的に悪人にならざるを得なくてしんどい、みたいな
・だからあの夫婦が(その後どうなったかは判らなくても)あの家を出て行けたことはとても嬉しかった。純粋に幸せを願えるふたりだった

・染谷くん初舞台とは思えない、声もよく通るし堂々としたもの。眉の色変えると別人みたい!あの眉存在感あるもんね

・『金閣寺』のときにも思ったけど、森田くん小さい声でもすごくよく通りますね。劇場のサイズを把握して声を届ける印象。抑えてきたトビーアスの感情を爆発させるモノローグとの緩急も素晴らしかった

・そうだーさとしさん左利きだった。ギッチョダー。勝村さんもギッチョダー
・さとしさん(ダンダブール)と三宅さん(パキオテ)のやりとりは心和むひととき。それもあってパキオテが死んだとこでは泣いちゃったわよーうえーん
・パキオテの「なんだね」「そうかい」が自分内で今流行っている
・あとドンドンダーラの「おなかがすいたよう」も流行っている



2013年01月19日(土)
モーリス・ベジャール没後5年 記念シリーズ2『ベジャール・ガラ』

東京バレエ団 モーリス・ベジャール没後5年 記念シリーズ2『ベジャール・ガラ』@東京文化会館

『ドン・ジョバンニ』『中国の不思議な役人』『火の鳥』(プログラム順)。

『中国の不思議な役人』は大昔首藤さんの役人で観た憶えがあるんだけど、自分の日記検索しても見付からない。日記書き始める2001年より前だったのか、それとも単に書いてないのか…こうやって忘れるからやっぱり書いとくに越したことはないですなあ(自分は)。席がかなり上手前方で、目の前に机があり、机上のダンスを必死で見上げていたことが記憶に残っています。

なので、今回は全景を観られたー!と言う爽快感がまずありました。アンサンブルのダンス(スーツって衣裳がまた格好いい!)をフォーメーション込みでしっかり観ることが出来、ストーリーにもより感情移入出来た。この日の配役は首領:後藤晴雄、娘:小笠原亮、中国の役人:小林十市。

小笠原さんの女装は倒錯的な美醜が打ち出され、男性ダンサー演じる娘が女性ダンサー演じる若い男を誘惑する、と言う図式の妖しさがより明確に感じられました。濃いメイクを施し、ボンデージなランジェリーを身に着けているにも関わらず、筋肉質で骨太な脚、上腕から男性性を意識せざるを得ない。ドラァグ的な魅力があり、昨年観た森山未來のヘドウィグをなんとなく思い出した…メイクのせいか、顔立ちも似て見えた。

そこへ現れる十市さん演じる役人。彼もしなやかな筋肉を持つ、均整のとれた男性的な身体を持つひとですが、ゆったりとした人民服の衣裳だと着痩せして華奢に見える。肌を見せるのは顔周り(最初は人民帽を被っているし)と前腕のみ。照明によって白い肌が暗い舞台に浮かび上がり、腕だけでセクシュアルな美を感じさせる。『ボレロ』もだけど、ベジャールの作品は振付だけでなく照明含めた演出も見どころが多い。肉体を酷使する踊りに、やがて肌には汗が滲む。娘からのキスとともに白粉と口紅を残された役人の顔は、その汗とともに光を帯びる。何度殺されても生き返り娘を追い求める、生/性の魅力と欲望に取り憑かれた役人は、踊りに取り憑かれたダンサーの姿にも見えてくる。

カーテンコールに立つ十市さんの顔には汗なのか涙なのか判らないものが(後日ご本人のブログであれは汗なんです(笑)とのこと。汗がすごくて目が痛くて…ですって)。ひときわ大きな拍手が起こりました。飯田芸術監督から花束が贈られたとき、やっと我に返った様子を見せた。幕が降りてもフィナーレかと思われる程拍手がやまず(二番目のプログラムでこれって珍しい)、幕前に十市さんが出て来るカーテンコールもありました。春に渡仏する十市さん。今回は単に出掛けていくと言う訳ではなく、家族と暮らすための移住。ご本人のブログのコメントからも、いろんな意味での「最後」のようにも思えます。何度「最後」があってもいいし、再びの復活があれば勿論嬉しい。十市さんの踊る姿を観る機会に恵まれた幸運に感謝します。「彼(ベジャール)のダンサーだったんだ!」。この言葉、ずっと憶えていると思います。

『ドン・ジョバンニ』はいちばん回数観ている作品。今回のヴァリエーション6は上野水香さん。これも全景を見られるといろいろな発見があるし、ラインダンスはやっぱり退きで見られるのがいい。日曜日は最後の掃除夫を十市さんが演じるサプライズがあったとか。そ、それ、普通に格好よくてオチにならないのでは(笑)土曜日の掃除夫はどなただったのかな。

『火の鳥』は火の鳥:木村和夫、フェニックス:柄本弾。木村さんがこの役を踊るのは最後とのことでした。パルチザンのリーダー火の鳥が闘いの果て倒れ、フェニックスの力で蘇る…木村さんがときおり手をついたりふらついていたのは演技だったのか、それとも。若手柄本さんとの対比は残酷なドキュメンタリーのようにも映りましたが、傷付き続けても立ち上がる不屈の魂をも感じ、心を動かされました。最後に蘇った赤い鳥、図だけ見るとちょっと笑えてしまうようなフォーメーションではあるんですよね。一歩間違えば組体操ぽくなってしまうものを感動のフィナーレへと持っていく、ベジャールの高い要求に応えるダンサーたちの“気”のようなものが感じられる作品です。

ロシアかぶれ中なので(しつこい)ストラヴィンスキーを今迄と違った思いで聴きましたわニヤニヤ。それはともかく、今回ショパン、バルトーク、ストラヴィンスキーと言う音楽をより意識して聴くことが出来ました。それは単に自分の心構えもありますが、全てのプログラムを観るのが二度目以上で、ステージ上で起こることをひたすら見るのに精一杯、と言う作業から、よりベジャールの振付、演出と音との関係を考えつつ観る余裕が出来たからかも知れません。ちょっと嬉しい。



2013年01月15日(火)
『鈴木勝秀(suzukatz.)-130115/セルロイドレストラン』

『鈴木勝秀(suzukatz.)-130115/セルロイドレストラン』@SARAVAH Tokyo

これ↑はどこからどこ迄がタイトルなの…まあ自分のはんこ捺すの好きな方ですから全部込みですかね……。

配役はヤマダマナブ=伊藤ヨタロウ、ヤマダキョーコ=千葉雅子、カワシマキヨシ=中村まこと、スガノシューイチ=永島克。テキストはこちらからダウンロード出来ます

1996年に上演された舞台の出演者は6人(古田新太、渡辺真起子、佐藤誓、大石継太、藤本浩二、田中哲司)。この辺りどうするのかなーと思いつつ、テキストを読まずに観に行くことにしました。自分の記憶力の検証もしたく。スズカツさん史上随一男女がいちゃいちゃする作品だったと記憶しております…いやあ、愛に溢れた舞台だったよね……。で、出演者が発表された時点で自分はマナブ=まことさん、キョーコ=千葉さんと思い込んでいたのでちょー喜んだのだった。キャーラブいまことさんと千葉さんよ!どうしましょうこっちが照れちゃう!なんてなー。その後マナブはヨタロウさんだと判明しちょっとしょんぼりしたのだった。いやヨタロウさんが嫌な訳ではありません、昔の仕事をやろうぜ〜と誘うわるいともだち(笑)キヨシがヨタロウさんにピッタリ!と思ってた訳でもありません。そんなこんなでえーどうなるの?と大雪の翌日つるつる滑る坂を下ってサラヴァへ。

今回のリーディングは、出演者4人用に編集されていました。マナブとキョーコの経営するレストランに集い、常連客たちが呑みつつとりとめのない話をするシーンがまるっとなくなり、キヨシとシューイチのやりとりにまとめられていました。このシーン、舞台版ではセッション的に作っていった部分なのかも知れませんね。

スズカツさんご本人がコメントされている通り、意識的に“編集された演劇”として構成されているのは舞台版と同じ。ほぼ一場ではありますが、時間がジャンプし、突然会話の流れを分断する台詞が飛び出すので気が抜けません。何度か同じ台詞が時間を置いて語られますが、一度目と二度目ではその言葉のニュアンスが違って伝わる。登場人物の心情が明らかになるにつれ、意味を計りかねていた言葉にぱっと光が差し、見えてくるものがある。今回その“ジャンプ”のきっかけを照明が出しており、登場人物の過去が文字通りフラッシュバックしたかのような表現になっていました。フロア全体が白くなるくらいの強い光。

そしてリーディングの場合、基本的に出演者がその場を離れると言うことがあまりないので、場面転換後台詞を発していない人物が果たして実際そこにいるのか、と言う判断が必要になる。今回それがいい具合に機能していました。台詞を発して初めて「あ、このひとこの場に最初からいたんだ」と気付く人物が、黙っている間何をしていたかを終演後テキストで確認する面白さもありました。興味深かったのは千葉さんのみ「視線を合わせない」と言うルールから自由だった(ように見えた)こと。キョーコ=ミューズの立ち位置としても興味深かったです。

ラストシーンの印象がかなり違いました。銃声と言う効果音は、シューイチが店に入って来る、上着の内側に手を入れる(舞台版はここで暗転し、音楽が大きく流れる)と言う視覚から知る動作を一歩前に進めていた。上着の内側にあるのは銃なのだろう、と予想はしても、その後のシューイチの行動を見せずに舞台は終わるので、ひょっとしたら…と言うちいさな望みを持つことが出来る。銃声はその望みを無にする分、絶望感がより強く残る。音響オペはスズカツさん自ら務めておりました。今回席の右斜め後ろにあったスピーカーがすごく近く、他のスピーカーからの音を全く拾えなかったのですごい不思議なバランスで、音が妙にうねうねして聴こえたのが面白かった。

以下おぼえがきと言うか自分用メモ。話がどんどん逸れますので読んでくださる方がいたら、まあ、お気軽に。

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・あのいちゃいちゃはやはり古田力であった(笑)いやリーディングでスキンシップは出来ませんから了解してますから
・しかし言葉で交わされる誓いであったり、祈りであったり、呪いであったりはやはり強く恐ろしく、痛切なものだったなー
・あとスズカツさんの構成もので際立つ「翻訳調」も言葉そのものをより強固なものにしている感じがしました

・ジュリアン・レノンのことを考えちゃうよ
・と言えば舞台上演当時開催されたトークイヴェントで、やっぱりジョンとヨーコの話になったんだけど、その際トーク出演者の横川理彦さんがヨーコ、マドンナ、ビョークってどう?みたいな話を観客に振って挙手を求めたんですよ。そしたらマドンナとビョークは比較的好き嫌いはっきり分かれたんだけど、ヨーコに関してはよく知らない、興味ないってひとが多くてスズカツさんがショック受けてたのを思い出した(笑)
・まあ世代もあるでしょう……

・個人的にはカートとコートニーのことを思い出すわー
・サイバラと鴨ちゃんのことも思い出しちゃったよ……

・ついでに言うと『ザ・タウン』のダグとジェムのことも思い出しちゃったわー(泣)
・過去を清算出来るかって話。なかったことには出来ないって話。相手の傷は絶対に癒えることはなく、罪も消えないって話
・「代償を払わなければならない。道は長い。でも、また会おう、ここか、あちら側で」

・ヨタロウさんが女性に優しい(役な)のが気味悪い、とサさんが言った(笑)私が言ったんじゃないから!
・しかしDV歴あるって役だからね…ははは……(ヨタロウさんがDVだと言う意味では決してないですよ!)
・マナブの年齢設定は35歳なんだけど、そっからすると不思議な感じはしつつ、しかし若い頃無茶やったひとは見掛けおじいちゃんになってたりもするわね…と思ったり
・そうそうこの辺り、古田さんだとまた何かきっかけあったら戻っちゃうんじゃない?って不安定な危うさがあったな。で、戻ったら戻ったでデキそうな感じ。ヨタロウさんの場合、もう戻らないだろうな、仮に戻っても身体がついていかないだろうなと言う感じ
・ヨタロウさんがおじいちゃんだと言いたい訳ではない…あのー体力と気力に対して時間は絶対的なものですよと言いたい……

・DVとか、スピリチュアルとか、ホモソーシャルとか、今はあてはめられる言葉があるもんですね。良い悪いは別として
・名前があると便利だけどそこで零れ落ちるものもあるなあと思ったり
・と言えば「女の電話番号がぎっしり書き込まれてる手帳」って今はレトロな響きを持ちますね。キヨシ意外とマメ(笑)
・そして終演後ポケベルの話などをする

・極端な話キョーコとキヨシでマナブをとりあう図式なとこがいろいろせつない
・千葉さんとまことさんのやりとりの緊迫感と言ったら!
・でもキヨシ、マナブは戻って来ないってちゃんと判ってるよね…それがまたせつない

・書くひととして、千葉さんはこのテキストをどう思ったのかなー
・雅子素敵だよ雅子
・靴はルブタンかしら?とMIOさんが。雅子素敵だよ雅子
・それにしても千葉さんの語る「そこから進んで楽観的になり、人生に耐えていける」台詞はきた。危うく落涙するところだった
・これはあく迄見た目の話ですが、千葉さんの唇ヨーコに似てた

・まことさんが悪くてたいへん(役が)
・まことさんが小物でたいへん(役が)
・それにしても声がよくてたいへん
・前回の『HYMNS』同様上下黒装で格好よくてたいへん
・指が乾燥して台本の頁をめくりづらかったのか、椅子の後ろに紙おしぼりを忍ばせていたのになごんだ
・でもそのおしぼりも乾燥しちゃったのか最後は指嘗めて頁めくってた。おっさん!(笑)素敵です

・ロシアかぶれ中なのでロシアンマフィアとか言われたら
・最近話題になったこれも思い出してなあ
・ニヤニヤしてブルブルした…拷問だった…地獄だった……
・最近はEテレのロシア語講座とか迄見てますよ。言葉はともかくロシアの文化紹介が楽しいの
・そしてロシアと言えばプーチンが秋田に贈ったシベリアねこ。秋田知事がめろめろです。はやく見たい!

・そういえば舞台版って物販Tシャツあったんだよね。今でも持ってる。部屋着で相当着たんだけど肌触りいいままでプリントもかすれたりしてないしいいものでしたわ

・キヨシの苗字、カワシマだったなあ。ちょっとドキリ。この日は川島さんの手術日。当日朝迄ツイートしていた。意識は戻っただろうか、これから加療、リハビリの日々だ。ひたすら吉報を待っている



2013年01月14日(月)
『フランケンウィニー』(2D字幕)

『フランケンウィニー』(2D字幕)@新宿バルト9 シアター4

いい話や…と思わせといてええっとあれ?いい…話?とぼんやりさせられて、いやこれはティム・バートンならではのいい話か。と脳内が忙しくなります。忙しくなるけどしみじみと優しい気持ちになります。以下ネタバレあります。

内向的な男の子ヴィクターは屋根裏にこもって映画を撮るのが大好き、ともだちは飼い犬のスパーキーだけ。その大好きなスパーキーが車に轢かれて死んでしまう。スパーキーの死を受け入れられないヴィクターは、学校の授業で生き物に電気を通せば筋肉が反応して動くことを知り……。

ヴィクターには監督本人の幼少期が反映されているのかな、と言った気配。あのときいぬが、両親がこうだったらよかったのに、と言う願いを昇華したものでもあるように感じました。実際起こったことかは判らないけれど、いぬは一度死んだら生き返らないし、両親は一度きりの命だからこそそれを慈しみ、ともに過ごした時間をだいじに胸に留めておこうと助言したかも知れない。でもそうじゃなくてもいいでしょう?そう考えないひともいるんだ。と言うのがこの物語。

生き返ったスパーキーはつぎはぎだらけで、飲んだ水がつぎはぎからぴゅーっと出て来ちゃうし、ハエにもたかられる。しっぽや耳がとれてしまったら、ヴィクターは「なおせるから」と言う。つぎはぎだらけでも、いずれ腐ってしまっても、姿形は問題じゃない。スパーキーはスパーキーだもの。こういうことがあってもいいんじゃない?と言うある種の願い―祈りと言ってもいいかも知れない―に、自分の居場所を見付けることが出来るひともいる。化けてでも出てきてほしい、諦められない。ある種の執念すら感じます。二度目の蘇生を提案するのがヴィクターの父親だと言うところも象徴的。こういう大人がいてもいいじゃない、と言うこども目線が徹底しています。

興味深かったのは、蘇生実験のためにヴィクターの同級生たちが物色した動物は、皆既に死んだものばかりだったこと。「生き返るんだから、今生きてるものを殺してもいいよね」と言う考えに到るこどもがいなかったこと。この辺りはギリギリ目配りが利いてるなあと思いました。

スパーキーがどこ迄もいぬのままだったってのがまたよかった。飼い主大好き、ごはん大好き、女の子のいぬ大好き。おもちゃにはしゃぎ、人ごみにおびえ、飼い主をまっすぐ信じていて、飼い主のために命を投げ出そうとする。この描写がもー丁寧、細やかに描かれていて、ひたすらかわいい。二度も死んじゃうんで観てる方はたまったもんじゃありませんが(まさか二度もとは予想してなかったもんでレミゼばりに泣かされた…ちょっと!ヒドい!!そういうことは先に言って!!!(無理))、スパーキーはヴィクターに命を救ってほしいとか、死にたくないと決して言うことがありません。ペットの命は飼い主の手の中にしかなく、だからこそ飼い主はペットに全力で愛情を注ぐ。で、ヴィクターの愛し方はこうだった、と。

日本人としてはトシアキがイケメンだったのが嬉しかったです(笑)。一瞬の日本語「ドコイッチャッタノ…」もウケたー(この部分吹替版ではどうなってたんだろう)。英語の発音はご愛嬌。悪意と言うよりこどもの無邪気な視点から描かれた造形に思えました。まあそういうところがこどもの残酷さでもあるのだが。それ言ったら緑魔子っぽいフシギちゃんとか日野日出志のマンガみたいなエドガーとか、デフォルメっぷりがすごかったもんね…ちょ、あんたヒドいってなくらいの。これはストーリーに通じることでもあって、無邪気と残酷さをおとなの今でも持っていて、おとなになったからってこんなこと考えたらいけないよねと言う枷がない。

実際にはない、絶対にない。願いは叶わず、祈りが届くこともない。大人になるにつれ、いやと言う程思い知らされる現実に直面したとき、この物語が心のよりどころになるひとがいるかも知れません。そんなひとたちに届くといいなと思う映画でした。

あ、あとガメラ!この特撮好きが!フォルムはハリウッド版のゴジラっぽくなっていたが(笑)そしてガメラが出て来たからには、ナソルが生き返らせたあのちっちゃいの、羽化してモスラになるかと思ったよね…ここニヤニヤしたわー。そして菊地さんも言ってたが確かにねこ好きに厳しい。なんでねこばっかあんな目に!まあこういう話でのねこの役回りって大概そうよね…いいよいいんだ……。



2013年01月08日(火)
SPARKS『TWO HANDS, ONE MOUTH TOUR IN JAPAN』

SPARKS『TWO HANDS, ONE MOUTH TOUR IN JAPAN』@Shibuya CLUB QUATTRO

ボウイ帰還の報を聞いたあとクアトロへ。いやあ、いい日だ。めちゃ楽しかった!

“TWO HANDS, ONE MOUTH”のツアータイトル通り、ロン兄のエレピとラッセル弟の声のみ、ふたりきりの普段着ライヴ。昨年秋にイギリスで行った同タイトルツアーからの流れですが、思えば一年前、Out One Discのパーティ(岸野社長のお誕生日)にR&R Brothers名義で出演した(つっても誰もそう呼んでなかった。すぱーくす言うてた・笑)ときのスタイルですよね。もともと日本びいきでちょくちょく来日している彼ら、今回も早くから日本に入り、お参りしたり金爆の書き割りと写真撮ったりカラオケしたりコンビニでおにぎりコスプレしたりスカイツリー行ったりと日本のお年始?を楽しんでいたようです(微笑)。

さてステージは照明以外なにもなく、ロン兄のエレピのみが置いてあるシンプルもシンプル。インストアライヴちっくですらあります。しかもあなた、ロン兄がポロシャツ(黒)!!!急遽出演だったR&R Brothersのときですらちゃんとネクタイして“あの”ロン兄だったのに!いやもう感動すらした…イギリスではどうだったんだろう、日本だとくつろげるな〜てな感じでこうなったんだとしたらそれは嬉しい。ラッセルはポロシャツこそ着てませんでしたが、そのまま家に帰れそうなジャケットとパンツ。しかしこのひと私服のセンスもいいので普段着でも衣裳のようだわ。それにしてもポロシャツ…ポロシャツ……かなり衝撃だった…髪型(オールバック)とかメガネ(ロイド眼鏡ってんですかね)はあのロン兄のままだったたけに。インストアどころかお部屋に呼ばれた気分に……。

しかし始まってみればオン・ステージ!ラッセルは美声を響かせ踊る踊る、ロン兄は表情をぴくりとも変えずにガンガン弾く。シンセと声だけなのに音の層が厚い!ラッセルはほんとにすごいな〜、ファルセットも地声も美しく、今なおこの美声をキープしていると言う…歌詞含めリフがとても多いのですが、音源よりも繰り返しを増やしてグルーヴを積み上げていくのが格好いい。だんだん呪文みたいに聴こえてきて、やがて記号化されていくような。魔女!魔女がおるで(魔法使いじゃいかんのか)!て言うか美魔女か。80sどころか70sからのエレクトロポップ、キラキラディスコ、ハイエナジーサウンドでブイブイ言わせます。ダンス・ダンス・ダ〜ンス!かつての男子も女子も笑顔笑顔で踊ります。

終盤はロン兄と言えばあのダンス、のかけっこダンスも見られて大盛り上がり。ラッセルに促されておずっと出て来たふりして、カウント数えてニヤリとした途端スイッチ入ったーと弾けんばかりにダンス・ダンス・ダ〜ンス!もう女性だけでなく男性もキャー言うとりましがな、愛されてる…ちょうキュート。

自然に笑顔、自然に手拍子、自然にダンス。スパークスを聴くとああ音楽って本当に楽しい!といつでも思い出せる。もうこのお年始ライヴ、恒例にすればよい。てかしてー、またすぐ来るよって言ってたからお年始でなくても春でも夏でも秋でもいいよ!そしてまたバンドセットでフェスに出たり…勿論単独もあったりすると嬉しいな!



2013年01月06日(日)
『音のいない世界で』『KYO-MEIツアー〜リヴスコール〜』

『音のいない世界で』@新国立劇場 小劇場

年末に観たかったかも…終演後「今年も終わりねえ、よいおとしを〜」とまったりしそうになった。そして未だソ連脳なので、ああいう寒いとこで貧乏でってひとを見るといろいろとブルブルする……寒くて飢えるとねこ食べたり人間のこども食べたりするんだよ(それ違う話だから)!あらゆる予感があちこちに撒かれていて、説明が多いとこと説明が少ないとこの差が激しい。判らない、知らないことは恐ろしい。予感は決してよいものではなく、表面に出て来ない不安は山程ある。そこで生きるひとたちはどう身近なひとに接するか。

創作の過程を観たくなった…これは演者はすんごく楽しいだろうなー。ちょこちょこ入ってくるモチーフにひっかかるところが多くてううーむと思ったり。世界観はすごく好き。衣裳も、美術も、四人が演じる複数の人物にも好感が持てる。

お松の歌が聴けて満足!彼女の歌声が響くと、しん、と場が清廉になる。あと近藤さんの羊がかわいかった。私が行った回にはちいさいこどもを見掛けなかったのですが、こどもたちが観たらどう感じるのかなーと思いました。来週もう一回観ます。

ちなみにこの公演の宣美は四種あったのですが、折り込みでは二種しかゲット出来なかったのね。劇場ロビーに全種置いてありました。どうぞ持ってってください〜とスタッフさんに言われたので遠慮せず頂きコンプリート出来ましたー。

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THE BACK HORN『KYO-MEIツアー〜リヴスコール〜』@日本武道館

歌が届く。声が届く、言葉が思いが届く。すごくよかった!

また音響がよかったんですよ。音量や音圧だけで押しまくるのではなく、バランスがいい。スタッフの腕もあると思います。それぞれの楽器の音がクリアに聴こえ、そのなかから歌声がクッキリと浮かび上がる。ミディアム〜スローナンバーでの山田くんの声、際立ってました。

二階席、南(ステージ正面)ブロック後方から見る光景は壮観。「美しい名前」で、ステージ上のひとつのピンスポットが、客席に向かってゆっくりと光を伸ばす演出はホントにド真っ正面で、その美しさに言葉を失う。白く細い、しかし力強い光が半円の形でまわる。真ん中から片方は真っ暗、片方は光に溢れてる。山田くん以外誰も声を発さず、音もバンドが奏でるものしか存在しないかのようでした。少なくとも自分の周囲は静まり返り立ち尽くし、音にひたすら聴き入っていて、ここに何千人ものひとがいるとは思えない静けさでした。

アッパーナンバーでは勿論すんごく盛り上がるし、大バコならではの歓声やシンガロングの大きさは圧巻でしたが、こんなに広い場所でこれだけ静かに音に聴き入れたことがいちばん印象に残った。それだけの力がバンドの演奏に、歌声にあった。そうそう、どの曲もイントロが鳴ると「わー!」てな歓声があがるのに、「美しい名前」のときだけは「おお」と思わず漏れたような低い声が会場のあちこちから聴こえて来た。やっぱり特別な曲だな。

MCがぐだぐだなところもよかったです(笑)皆さんやっぱり緊張していたようで「まだ心臓ばくばくしてる」「俺腋がつった。なんでこんなとこ…わけわかんねえ」等と言ってた(笑)。黒帯岡峰くんが武道館にちなんで東京オリンピックの柔道にまつわるエピソードを話して、それがまたいい話で皆「へえ〜」となりましたがこの話すごく長かったわ〜。すっかりくつろいで聴いてしまったよ。しかし演奏に戻った途端、あっと言う間に場はタイトな空気に引き戻されました。

それにしても静寂が印象に残るライヴだった。盛り上がってないんじゃない、静けさをも聴くと言うような、耳が離せない力のある内容だった。アンコール後、ステージ後方のスクリーンに、ツアー各地のライヴショットが映し出された。台湾、韓国でのライヴもある。これだけの本数ライヴをやってきて、オーディエンスに迎えられて、この日がやってきた。そして、東北での追加公演が続く。

そう、スクリーンがあったのです。映し出されるのはメンバーが描いたリヴスコールのイメージアート、水面等の美しい映像。そして終盤、唄う山田くんの表情と、それに続いて客席全体を中空から撮影した風景。ストイックでシンプル、ここぞと言う場面でこれだと言うものを使ってこその効果。約五年振り(もうそんなか!ついこないだな気がするわ)二度目の武道館、前回は炎バーン!とかやったりストリングス入れたりして、武道館ならではのダイナミックな見せ方を意識していたように感じましたが、今回は普段からの演奏をしっかり聴かせる構成でした。

ステージをぐるりと見下ろすスタンド席、腕を高く突き上げるアリーナ席の観客たち。これだけのひとがバックホーンを観に来たんだな。「ブンブン、埋められるかねえ…」「いや埋まる埋まるよ」等と話す。5月3日、武道館にはブンブンのメンバーが立っている。急がなくていい、5月3日でなくてもいいんだ。でも、予定は空けておく。



2013年01月03日(木)
『ホビット 思いがけない冒険』(HFR3D)

『ホビット 思いがけない冒険』@TOHOシネマズ六本木 スクリーン5

ぴーとさんご推奨のHFR3D(ハイ・フレーム・レート3D)で観てきました。HFR3Dとは、通常24コマ/秒のところ、倍の48コマ/秒で撮影、映写される3D映像。ひえー、本編上映前の予告で観た他の3D映像とはあからさまに違いましたよ。残像がない。目の処理速度に映像が追いついてるってことですね。綺麗過ぎて画面がフラットに見える、照明が平たく当たってる感じで陰影のメリハリが少ない印象はありましたが、3Dにも関わらずディテールがシャープに見えるところや、広大な緑の草原の美しさ(これはそもそももとの草原が美しいのか)は素晴らしかったー。

おそろしいことにわたくし『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を観ておりません。見終わったあと友人に「えっ、一緒に観なかったっけ?だから誘ったんだよ!」と言われた。それ多分『ハリー・ポッター』シリーズと混同してる。その友人は友人で今回三部作と言うことを知らず、エンドロールが出た途端に「えっ!続くの?」と声に出して驚いていた。そして案の定ふたりともガンダルフとダンブルドアを混同していた。

そんなこんなで知識は彼女から教えてもらったものとぴーとさんのテキストが主です。細かい設定を沢山とりこぼしておろうが大層楽しく観られた。てか中つ国に住みたい。つうかビルボん家に住みたい。居心地良さそうだし、ごはん沢山蓄えてあるし(そこか)、出不精にこんな魅力的な住居があろうか。そんなのんびりさんのおうちを散らかしたドワーフたちに最初は敵意さえ抱きましたが、翌朝それなりにおうちを片付けて旅立ってたとこであ、いい族かも…と思い直した。そしてドワーフはイケメン揃いだった。キーリ(男前兄弟の弟の方。弓矢使う子)絶対人気出る。でも髭なくなったら区別つかないかも知れない。トーリンは風格イケメン!勿論もとの顔の造作もイケメン!

そんなドワーフたちとホビット、魔法使いの凸凹チームはアパッチ野球軍のごとく?皆さん得意分野はありそうですが、それが存分に発揮されるのはこれからなのかしら。完全無欠な集団じゃないからハラハラドキドキ、多分これから諍いとかあるんだろうなあ。全員無事で祖国を取り返せるといいよね!皆無事がいちばん…自己犠牲とかそういうのは心のなかに常に持ってるので充分よー、そう思ったことがだいじなのよー、実際に執行するのはイヤー!いや執行することになってもそれでひと(妖精?族?)が死ぬのはイヤー!そういうのつらいからイヤー(レミゼを観たばかりだからか敏感になっている)!おうちが故郷が心地よいからこそ郷愁を抱き、だからこそその郷愁を抱くことが出来ないドワーフたちの故郷をとりかえしたい…と共感し決心したビルボの冒険が無事終わることを祈るよ!

そうです原作も未読です。結末知らないから今後が楽しみですよー。と言う訳でこれからも観ようと思います(その前に『ロード・オブ・ザ・リング』を観るとよいのではないか)。

そうそう茶色い魔法使いのおっちゃん、髪の毛なんでガビガビなの…と言う理由が判った時点ですんごい「…好き!」となりましたわ。私もうさぎのそりに乗りたいです。しかしあれからどうなったんだろうこのひとたち…後でまた出てくるかなと思っていたのですが。次作には出るよね!きっと!で、白い魔法使いと仲直り?するといいよ!



2013年01月01日(火)
『会田誠展:天才でごめんなさい』

今年も宜しくお願い致します。

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『会田誠展:天才でごめんなさい』@森美術館

昨年の激混みにも懲りず、再び元日に六本木ヒルズ。しかし今年はゆったりしてました。六本木に限らず、例年より都内にひとが少なかったような…休みが長かったので、旅行に出掛けているひとが多かったのかな。

いんやそれにしてもすごかった。年明け早々観るもんじゃない?いやいや年明け早々観てよかったよ、喝入れられたわ。そもそも森美で会田誠展、と言う思い切りに感動しておりましたが、いや当然でしょ、と言う思いもあり、しかしチケットが展望台入場券とセットになっていて観光客がふらりと寄れてしまうことに懸念もあり。沢山ひとが集まるということは、必ずしもそれ目当てじゃないひとがいると言うことです。ボソッと言うと以前某フェスで峯田くんが書類送検されたようなね。いや待てこの例えちょっと違う、峯田くんの全裸目当ての客がいた訳ではなかろう(笑)。

美術館での初個展。意外と言えば意外ですが、そういう意味ではどこか納得。今回の資金はクラウドファンディング形式で集められました(・会田誠が語る「アート」の未来:CINRA.NET)。作家の衝動を守り、確実に存在する(そしてそれは決して少なくはない)彼の描く世界を求めているひとに、作品を届けるための環境づくり。スタッフの尽力には頭が下がります。とは言え会田さんご本人はクレヴァーな方で、ゾーニングに関しての目も行き届いています。ステートメントはこちら(・コソコソ見るから、エロ本は面白い〜1分でわかる会田誠:初の大規模個展を控えた、美術家の挑戦(1):森美術館公式ブログ)に詳しく。

かくして内容は質量共に大充実。美術館の規模ならでは、圧巻。新作『モニュメント・フォー・ナッシングIV』、制作中の『電柱、カラス、その他』が特に印象に残った。どちらも大型作品で、前者はtwitterに書き込まれた原発に関する不特定多数のツイート画面をコラージュしたもの。ひとしきり文面に見入った後その場を離れ、振り返って気付く。それはtwitterスキンの水色を、福島原発の外壁柄に重ねた一枚絵だった。後者は電線に留まるカラスたちの六曲一隻屏風絵。まず退きで観て画面の静謐さを堪能し、続いて寄りで観る。カラスは人間の指や、セーラー服の端切れを銜えている。このカラスたちがいるのは…?着想は二十年前とのことですが、今観ると自ずと連想する土地は限られてくる。作品の前で絶句、まさに体感。2012年に個展が開かれたからこそ観られた作品。

震災と言えば『2011年3月13日あたりの幻視』にはグッときた。ASIMOだけじゃなくAIBOもいるねん。「みんなといっしょ」「戦争画RETURNS」シリーズをいっぺんに観られてしまうのも嬉しい…ウケる。『寅次郎2歳4ヶ月』がなかったのは残念。2歳4ヶ月のこどものモンスターっぷりがあまりにもあまりな手法で表現されていて、初見時すんごい感動したのをよく憶えています。この感覚判ってくれ。それを言ったら実はわたくし「犬」シリーズ大好きです、特に近作『野分』が好きです、いぬの表情がすんごく好きです。「食用人造少女・美味ちゃん」も好きです。わ、わかって……。

と言う訳で“18禁部屋”はラブホか!てなビニールカーテンで仕切られておりました。「犬」「美味ちゃん」シリーズは勿論こちら。『ミュータント花子』全頁展示には参ったわー(笑)。いやでもなんだろな、会田さんの描くこの手の作品群に自分が嫌悪感を持たないのは、女性蔑視的、女性を力で支配しようとする姿勢を感じないからなんですよね。あったとしてもパロディに転化され、蔑視する側を笑っている。作品から感じるのは、こういう身体、こういう器官を持つ女性をこう見たい、こう描きたいと言う欲求そのものだけ。

以前の展示では製作中だった『滝の絵』もやっと完成形で観られて満足。場所柄や時節柄もあるかも知れませんが外国人の鑑賞者が多く、「戦争画RETURNS」シリーズ辺りはイヤホンガイドに聴き入りつつ真剣に見入るひと、議論し乍ら観ているひとが結構いました。反面、靴を脱いでくつろぎ乍ら鑑賞出来る『日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ』はすごいウケてた。「ハッハッハー」とか笑って座布団に胡座かいてる金髪碧眼のひととかいた。根っこの思想とパロディとのボーダーをどこにひくか、それも鑑賞者に還ってきます。

美術史に詳しいひとだと、画角や技法の引用を理解し、そこから沸き立つような衝撃もあるのだと思います。豊富な知識と強欲な探究心、それを描き出す腕の鍛錬。これらひっくるめて、美術の天才。