Howdy from Australia
目次


2005年07月29日(金) make the most of it

「ね、お茶でもしに行かない?」という研究員Jの言葉が発端となり、結局、金曜なのだからパブでビールでも一杯どうよということで話がまとまった。出かける前に産婦人科医Sが、

「身分証明、忘れないようにね!」

と、真顔で私に向かって言う。身長で判断されるわけじゃないんだから、必要ないんだってば!と力説したら、「ディズニーランドの乗り物じゃないんだから、身長制限はないけどさ。」と、笑っていた。

よく考えてみると、こうやって職場の同僚と一杯飲みに行くのは今回が初めて。研究員T(男性31歳)が前の職場で男性にデートに誘われて、断った話を持ち出したら、産婦人科医S(男性34歳)が「一度試してから判断すればよかったのに!何で断ったの?」と真剣に言うので、大笑いしてしまった。

そもそもなぜその男性から好意を寄せられたかというと、高い所に置いてあるものを取ってもらったことがあり、「ありがとう。助かったよ。背が高いっていいね。」というような言葉をかけたのがきっかけだったとか。

それにしても男性は御免だねと言うT(男性31歳)に、S(男性34歳)が「男性もいいかもよ〜。」と言いながら、そっとTの手をなで、「きれいな手をしているわね」と色っぽく言うので、これまた一同大爆笑。

そんなこんなでビール片手にたわいもない話で盛り上がっていたら、産婦人科医Sの携帯が鳴り一時中断。

「ごめん。病院に戻ることになった。」

急に帝王切開が入ったらしい。それから、細胞の培養液を変えなくちゃとJが去り、演劇を見に行くからとVが去り、お開きとなった。

私もそれから待ち合わせをしているレストランに急ぎ足で向かう。実は今月からシドニー在住日本人女性の集まりに参加することにしたのだった。永住権保持者で30歳以上の女性限定の会で、趣旨は美味しい食事をしながら、楽しくお酒を飲むこと。

その会の趣旨通り、ベトナム料理も美味しく、一人一本ずつ持ち寄ったワインやシャンパン計7本がものの見事に無くなり、初対面とは思えないほどの盛り上がりようだった。私がまだ白ワインをちびちび飲んでいる頃、他の皆はすでに赤ワイン2杯目だったりして、びっくり!

飲んだあとは甘いものが欲しくなるということで、その後はカフェに移動して大きなケーキを皆で分ける。皆さん個性的でパワフルでお洒落で華やかでお酒が強くて、私も女として磨きをかけなくては!と、いい刺激になった。帰りは同じ方面のDさん(←有名な美人ブロガー♪ことあるごとに、日記のネタにしないで〜!と誰もが懇願していた…)とタクシーを相乗りして帰宅。

職場で同世代の日本人女性と知り合う機会がなかなかないので、この会を通じて少しでも交友の輪が広がればと思っている。出口の見えない遠距離恋愛に涙、涙の毎日を送るよりも、色々な人に出会って、色々なことに挑戦して、今出来ることを頑張って、楽しまなくては!


2005年07月24日(日) never too late to start

最初は料理教室に行こうと思っていた。何か新しいことに挑戦しようとコミュニティカレッジの講座案内に目を通していたら、何を血迷ったか結局申し込んだのは初心者テニス教室。

実は日本にいた頃、初級者向けのクラスに申し込んで、結局、最初の一回で挫折、その後二度と行かなかった…という苦い思い出がある。この時は、いきなり二つのグループに分かれて対面で打ち合いをさせられ、ボールが思うように打てず、ちっとも楽しめなかった。というか、初級者向けのクラスなのに、全くの初心者は私だけだったので、自分の番が来るたびに恥ずかしいという思いしかなかった。

それがまた何で性懲りもなくテニス教室かというと、恥ずかしさよりもテニスがやりたいという思いの方が勝っていたというか、年齢を重ねてちょっと度胸が出てきたというか、最低でも週に四回はジムに行って体を動かしているので、体力に自信が出てきたというか、ま、ほとんど勢いに近い。

ラケットも握りやすいやや細身のグリップのものを買い、期待と緊張の入り混じった複雑な気持ちで迎えた初日。

クラスに現れたのはたったの5人。

しかも、小学校の時に少しやったことがあると言った若い女の子以外全員本当に初心者!ラケットの握り方から教わるほど。

コーチがこれまた絵に描いたような爽やかな好青年。その場で参加者全員の名前を覚え、ボール出しをする時にも必ず名前を呼びかけるほど、親切で丁寧な指導に感動!指示も明確だし、クラスも単調にならないように、色々と工夫されている。

最初はネットに引っかかったり、ボールの重さを感じたりして上手く打てなかったけれど、途中から「ばしっ」と気持ちよく当るようになった。まだまだ不安定ではあるけれど、ネットすれすれで力強い球が打てたりすると、この上ない爽快感。何しろ5人しかいないので自分の番がすぐに来るのが素晴らしい。

あと、不思議にオーストラリアだと、失敗しても上手く出来なくても気にしない気にしないと自分でも驚くほど大らかに構えることができる。様々な文化背景の人が多いからかもしれない。誰かと比較すること自体不毛というか、周囲の目ばかり気にしていた日本での生活と比べると、精神的にかなり楽。

また、ジムのインストラクターもそうだけれどテニスのコーチも褒め上手というか、参加者をその気にさせるのがかなり上手い。

今から来週のクラスが楽しみで楽しみで。最初は休まず出席することを目標にしていたけど、試合出場&初勝利に変更。ちょっと無謀すぎるかも?


2005年07月18日(月) positions vacant

仕事中に元上司に「ちょっといいかな?」と声をかけられた。前に「質問があるんだけどさ」と話しかけられた時は、メモ用紙にアルファベットで書かれた日本人女性の名前を見せられ、「この名前、どういう意味?」と聞かれたのだった。使われる漢字によって意味が変わるから分からないと曖昧に答えたのだが、彼女の気をひこうとでもいう魂胆かと、仕事中に全く…と呆れてしまったことがある。

それで、今度は何?と思いながら元上司の部屋に行くと、「前に臨床検査や診断の方も興味があると言っていたから…」と、違う病院の求人広告を見せられた。もしも興味があれば、雇用主とも知り合いであるし、推薦状も書いてくれると言う。

給料は今よりずっとよく、魅力は何と言っても終身雇用。今の研究職は1年契約なので、居残ることができるかどうかは全て予算次第。そこへ行くと診療部門は安定していて、勤続10年以上の社員は年間の有給が6週間もあるらしい。

私のことを頭の片隅にでも置いて考えてくれていたということは非常に有難いけれど、よく考えるまでもなく、今の時点で転職などあり得ない。失敗続きの実験を途中で放り投げて後悔しないわけがないし、就職活動でお世話になった方々に申し訳なさ過ぎる。しかも、Mが日本にいる現在、来年の今頃自分がどこの国で何をしているかさっぱり見当もつかないのだ。

いい加減に安定した生活を送りたいと心から願いつつ、安定とはいつも無縁の人生を送っているような気がする。


2005年07月15日(金) someone like me

産婦人科医のSが、「この間、yumiko みたいな患者さんが来たんだけどさ。」と、話し始めたので、どんな妊婦さんかと思いきや、出産前と出産後の心得として、A4用紙2ページに渡ってびっしりと質問する項目をまとめてきて、出産の時は何が必要か?とか、母乳と粉ミルクだったらどちらがいいか?などと聞いてきたらしい。

「まだ生まれてもないのに!色々心配しすぎ!」と、その場にいた皆は質問攻めにあったSに同情していたが、その妊婦さんの気持ち痛いほど分かるかも。生まれる前だから色々情報を集めておきたいと思うのでは。

多分、大抵の日本人にとっては極めて普通なことだと思うのだけれど、実験方法や結果を記録するときに、色ペンで重要な箇所に印をつけたり、修正ペンを使って間違えた所を訂正していたりしていると、「うわー。几帳面!」「授業中一番前の席に座っていた方でしょう?」などと、Sに冷やかされる。そのせいで、皆が抱く私の印象が半ば決まってしまったと言っても過言ではない。

Sは頭の回転が速く、何か言い返そうと思った時には、話題はすでに次のことに移っていたりする。こればっかりは言葉の能力ではなく、センスなんだろうと思う。日本人Y曰く、上手い切り返しが出来るようになって一人前なんだそう。う〜ん、納得。


2005年07月10日(日) long distance relationship

Mと私が北半球と南半球に別れて生活するようになってから4ヶ月が過ぎた。Mが3月にシドニーから日本に向けて発ったときは、こんなに長い間離れ離れでいることになるなんて、全く予想もしていなかった。現時点では再会の目途も立っていない。

離れてはいるけれど、話し合う機会をたくさん持ち、お互いにとって最善の道を模索している。気が付けばいつもそばにいたので、離れて初めて分かることってあるよね〜なんて言いながら。

このままオーストラリア生活を続けるのか、それとも日本に帰るのか。

頭の中で一日何度となく繰り返される質問。

来年の3月で10年目を迎えるオーストラリア生活。

答えは簡単に出ない。


2005年07月06日(水) unexpected

運動をしている時は自分の世界に没頭しているので、あまり周囲が見えていない。この間は、ダンベル運動のクラス終了後に同じ研究所のMに声をかけられて、かなり驚いた。同じフィットネスクラブを利用していることも知らなかったけど、まさか、真後ろにいたとは!

そして、何と先日、キックボクシングのクラスでウーロンゴン時代の友人Tを発見。彼女とは大学の寮に住んでいた時に一緒のユニットだったのだが(5人で居間・台所を共有する形式)、98年のことだから、随分昔になる。

彼女は恐ろしく気分屋で、電話魔。教育が専門だったにもかかわらず掃除当番は結構平気で無視。試験期間中必死になって勉強している時に、彼女のご両親が寮にやってきて楽しげに昼食会などを開いていたこともある。あれは忘れもしない生理学の試験の直前だった。

あまりにもうるさい時は涙をこらえ、勉強道具を抱えてMのいる別の寮まで走って行って、部屋の隅で勉強させてもらったこともあったっけ。

そういえば今更ながら思い出したけれど、私の部屋が居間に一番近くてテレビの音が気になると日本人Yに愚痴をこぼしたら、親切にも一番奥にあった彼女の部屋と交換してくれたのだった。あの時はありがとう!

テレビの音を小さくしてくれと頼んだら、「私たちは楽しむ権利がある」と言われて傷ついたこともあったなぁ…。

地元学生の3倍以上の授業料を払っていたこともあり、一科目でも落第したら卒業が遅れるばかりか、その科目の取り直しに何十万円も余計にかかり、大変なことになってしまう。日本ですでに大学を出ていたこともあって、少しでもいい成績で卒業しなければという思いも強くあった。

あの頃は勉強一筋だったというか、覚えることも山のようにあったし、実験のレポートなどの提出物も人一倍時間がかかったし、とにかく余裕がなかった。

Tだと分かった瞬間に、ウーロンゴン留学時代の思い出が鮮明に浮かび、楽しいことばかりではないので、このまま声もかけずに知らない振りをしてしまおうか?とも一瞬考えた。

ま、でも、やっぱり年齢を重ねたこともあって、それは出来なかった。クラスが終わった後に彼女に話しかけ、手短に近況を伝えて、今度お茶でもしましょうね!と別れた。

あの時のただの勉強の虫だった自分とは違うのだ。


2005年07月01日(金) chalk and cheese

今の職場でも人それぞれ味みたいなものが出てきておもしろくなってきた。

ベトナム出身の研究員Tは風景画などの絵を描くのが趣味。それぞれに思い入れがあるので購入希望者が現れてもなかなか手放せないのだと言っていたが、次に展示会をするときは是非声をかけてね!と言ってある。密かに楽しみにしている。

韓国出身の研究員Jは穏やかな口調なので、話をしているとほのぼのとした気分にさせられる。研究のことで尋ねても熱心に教えてくれるので有難い。そういえば、彼女からはいつもお菓子や甘いものをもらってばかりかも…。肌が透き通るようにきれいなのでいつもうっとりしてしまう。

博士課程在籍中の学生Kは20代前半ですでに不動産を所有。しっかりしていて、何かと頼りにされる存在。英語の表現でも分からないときに聞くと、丁寧に教えてくれる。この間教わったのは、チョークとチーズいう表現。お昼休みに新聞を読んでいたらこの言い回しにぶつかったのだが、全然別のもの、似ても似つかないものという意味らしい。

産婦人科医で博士課程のSは頭の回転が速く、典型的ないじめっこ肌。例えば「質問があるんだけど…」と話しかけると、こっちが切り出す前に絶対に「だめ!」と言ってくるし、待ち合わせをしていた訳でもないのに、実験室で私の顔を見るなり、時計を指差して「何時だと思っているの?」と脅かしたり。

その割に、自分が何かを頼む時は「お時間を取らせて申し訳ないのですが」とか、「そうしていただけると本当に助かります」なんて言葉がすらすらと出てくる。研修医時代から合わせると1000人以上の赤ちゃんを取り上げてきたと言うから、へぇ〜と感心していたら、「初回以外は全部一緒、ほら、分かるでしょ?」とあっさり言われ、いや、分かんないよ!経験ないしと首を横に大きく振っておいた。

双子の時もあったし、帝王切開もよく担当になって〜なんて話を聞いていると、医者なんだねぇと思うけれど、「日本は無痛分娩が一般的じゃないんだよね、麻酔無しなんだって?文化的な違いかなぁ」という話から突然「そうそう、日本にはラブホテルがあるんだよね!」と振るのはやめてほしい。


yumiko |mail

My追加