Howdy from Australia
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2004年09月29日(水) 食卓

今日は研究室仲間の友達に夕食にお呼ばれされていた。台湾出身の彼女は昨年ずっと付き合っていた眼科医の彼と結婚。ご両親は台湾にお住まいなのだが、隣の建物には弟さんと妹さんも豪州留学中。妻でもあり、姉でもあり、研究生でもあり、超多忙な毎日を送っている。

そういえば、私の引越し先が彼女の家の近くに決まった時も、卒業後日本に帰らないと決めた時も、ものすごく喜んでくれた彼女。喜怒哀楽がはっきりしていて、思った事を包み隠さず、ずばっと言うので最初は正直戸惑ったけれど、時間をかけて仲良くなると、性格に裏表がないことがよく分かった。最近では、毎月恒例のように夕食会をするようになり、親密度がいっきに増したように思う。

そして今日仕事帰りに友達の家を訪ねると、テーブルの上に所狭しとご馳走が並んでいてびっくり。6つ並んだお茶碗にはすでにご飯がよそってあって、お箸がそろえて置いてある。疲れて帰ってきて、夕食が用意されてあるって、何てありがたいんだろう。絵に描いたような家庭の食卓に幸せを感じる。

白菜の炒めもの、具沢山のスープ、鶏の煮物、ピーマンと鶏のタイ風炒め、いんげんとにんにくの炒め物、トマトと卵料理、スペアリブ、ひき肉をはさんだ豆腐料理。

三人の女性(友達、妹さん、シェアメイトの女の子)が2時間かけて作ったという料理はどれも美味しく、わいわいがやがやと大勢で食事をするのはとても楽しかった。前日に焼いたクッキーとパウンドケーキを持参したら、結構好評であっという間になくなった。タルトとかチーズケーキが個人的には好きなのだけど、冷蔵庫に入れる必要のないお菓子といったらこれぐらいしか浮かばなかった。

「5人分作るのも6人分作るのも同じ手間だから、来週の水曜日も仕事帰りに是非うちにおいでよ!どうせ、Mもいないし、一人で夕食を取っているんでしょ。」

と誘われ、来週もお邪魔することに♪Mがいないのもたまにはいい口実になるかも。

「来週もクッキーとケーキ、忘れないでね!」

と、妹さん。それを聞いて、「私の友達なのよ」とたしなめる友達。二人のやりとりが笑いを誘う。何だか大家族の一員になったみたい。


2004年09月28日(火)

同じ部に配属になった契約社員の中には私のような新規採用だけでなく、3年目の人もいる。3年目の彼女は中国系で、研修が終盤になった頃、新規採用の社員に「3年目とはいっても仕事の内容が違うから、分からないことがあっても私には質問しないでね。でも、それは不親切ってわけではないから。」と、有無を言わさぬ迫力で早口にまくしたてた。

これには、他の同僚も皆呆然としていたが、彼女はわざと自分の周りに壁を作っているように見えた。ちょっと話しかけづらい雰囲気の人だなぁ〜、ま、一生付き合うわけじゃないからいいけどね〜ぐらいに思っていたら、先日、ある事実が発覚。

その時、私は会社の会議に出席するため机の上を簡単に整理していた。内心は、会議どころじゃないよ仕事がたまっているのに〜と不満に思いながら。そうしたら、例の彼女が私の背後で一言耳打ちしたのだった。

「わたしがyumikoさんだったら、絶対に会議なんか参加しないわ」

それは、とても流暢な日本語だった。

「え?」

一瞬耳を疑った。慌てて振り返ると、彼女はにっこり微笑んで会議室の方へ足早に去った。翌朝、そのことが頭から離れず、いつもなら英語で挨拶する所を、彼女に「元気?」と日本語で聞いてみた。彼女の日本語力をちょっと試してやろうなんて意地悪な心がなかったわけではない。そうしたら、返ってきた言葉に絶句。

「元気ですよ〜、お陰様で。」

そう言うと、彼女は仕事に専念してるんだからと言わんばかりにくるりと私に背を向けたのだった。

ええええ!

一体いつ、どこで、どうして、日本語を習ったんだろう。かなりの上級話者に違いない。だって、抑揚とか発音とか自然なのだ。それでいて、返答の仕方がやけに堅苦しいあたりが、「日本語学習者」を思わせる。

タクシーの運転手さんとか通りすがりの人によく見られる、「コンニチワ」「オハヨ」「アリガト」「モシモシ」みたいな日本語しか知らないのに、「おれは日本語話せるんだぞ」みたいに嬉しそうに自慢げに話かけてくるタイプとはかなり違う。

もっと、彼女と日本語で話をしてみたい!と思いつつも、彼女の周りにはりめぐらされた壁に怖気づいてしまう私であった。


2004年09月25日(土) 変化

日本に一時帰国するMを空港へ見送りに行くと、どこの受付カウンターも長蛇の列でごった返していた。何事かと思わずMと顔を見合わせる。どこまでも続く列の最後尾に並ぶと、係の人と思しき人がお客一人一人に飴と出国カードを渡しながら、事情を説明していた。コンピュータの故障でチェックインの手続きが手間取っているらしく、予定より大幅に遅れての搭乗になるらしい。

結局長時間待たされた挙句に、搭乗券を手にして戻ってきたMは足早に出国ゲートに向かうはめになり、落ち着いてコーヒーを飲む時間すらなかった。しんみりとする暇もないほど慌ただしい別れ際だったが、それも私たちらしいような…。

時計を見るともうお昼になっていたので、美容院にその場で電話をする。ここ1年ほど同じ日本人の美容師さんにお願いしているのだが、幸運にも当日予約で大丈夫だった。おまかせで切ってくれるのが嬉しい。春・夏使用ということで、またしてもまたしても短くなった。毛先がはねたような軽い感じにしてくれたが、明日の朝自分で整えたら同じヘアスタイルにはならないんだろうなぁ〜。

帰ってきてソファにごろりと横になっていたら、ウーロンゴン時代の友人から電話があった。あと30分ほどで私の家の近くにあるラーメン屋さんに来るから、一緒にどうかという。もちろん即OKの返事。

留学当初からの知り合いで、当時彼と彼女だった二人(香港人と台湾人のカップル)は一昨年結婚し、今は1歳になる男の子がいる。先々週1歳のお誕生日会に招かれた時に、そのラーメン屋さんの話で盛り上がり、来る時は一言連絡してよ、近いんだから!と言ったのを律儀に覚えてくれていたらしい。

ここのラーメン屋さんは結構人気で、いつ行っても混雑している。毎回違うメニューに挑戦しようと思いつつも、例の如く元祖東京ラーメンを頼んでしまう私であった。

食事をした後、家まで送ってくれたのだが、「息子がもうじき眠くなるだろうから、お宅には寄らないでこのまま帰るわ。申し訳ないけど、また今度ゆっくりお邪魔するわね。」と言った彼女に、月日の流れを感じた。

初めて会った時、彼女はまだ18歳だったのだ。それが今では、おむつや哺乳瓶などベビー用品一式を洒落っ気の無い大きな黒いカバンに肩からさげ、息子が一日でも早く一人で歩けるようになることを何よりも望んでいるお母さんなのである。育児ってすごい!


2004年09月24日(金) 車内読書

最寄りの図書館には日本語書籍がずらりと並んだコーナーがある。就職活動中に面接対策の本を探していてたまたま見つけたのだが、その時は本当に驚いた。それまで日本人とすれ違うことすら珍しい!というような地域に住んでいたので、引っ越してよかったと心底思った。新刊はさすがにないけれど、図鑑、料理の本から文学作品まで幅広く揃っている。

漫画も置いてあって、その場に座り込んで読みふけっている学校帰りの子供の姿を目にすることも。そういえば、書道教室の帰りに母親が車で迎えに来るまで、よく本屋で立ち読みしていたよなぁ〜などと自分の子供時代を思い出す。まだ、ビニール包装もされていなくて、立ち読み天国だった頃の遠い昔のことだけど。

英語圏に住んでいるのだから、英語の勉強のためにも英語で書かれた本を読むべきなんだろうけど…。前に英語で書かれた推理小説に挑戦したときに、展開が遅いのか、それともただ単に自分の読むスピードが遅いのか、ちっとも楽しめなかったという苦い経験も手伝って、手に取るのは日本語で書かれたものばかり。

昔から読んでみたかったけれど機会のなかった本を手当たり次第に借りてきて通勤電車の中で読んでいる。たまに熱中しすぎて乗り過ごしてしまったかと冷や汗をかくことも。罪と罰、カラマゾフの兄弟五巻もすでに読み終え、今度はアンナ・カレーニナを借りてきた。あぁ、何て地味な幸せ!


2004年09月13日(月) 研修終了

やっと研修が終り、午後から本格的に実際のデータを使って仕事をすることになった。ほんの小さな間違いが誰かの人生を大きく左右するかもしれない…。そんな肩に力が入りすぎている新入りの私たちをからかっているのか、励ましているのか、「間違えても大丈夫。全て上の人がチェックするんだから。何かあったときは、間違いを指摘できなかった上部の責任になるからね。ははは。」と、先輩スタッフが笑い飛ばす。さすが、オーストラリア。

節約のために昼食はお弁当持参なのだが、何の変哲も無いただのおにぎりでも「何それ?すごい。中に何が入っているの?」と注目を浴びるので、恥ずかしいものがある。同じ新規採用社員の中にとても気さくで快活なタイ人女性がいるのだが、タイ料理は匂いがきついから、お弁当には持ってこられないのよ〜と嘆いていた。彼女はオーストラリア人と国際結婚をしていて、16歳になる娘さんが一人いるのだけれど、お嬢さんと二人でタイに帰省すると、現地の人に召使だと思われたり、売春婦だと決め付けられたりすることがあるのだと言う。だから、タイ語をわざと使わずに英語でやりとりをして相手の反応を見るのだとか。何とも無礼で腹立たしい話をさらりと言っていたのが印象的だった。


2004年09月06日(月) 緊張

今日は小さなグループに分かれて課題に取り組んだのだが、講義形式より眠くなくていいやと気軽に構えていたら、グループの中で一番下っ端の私がほぼ強制的に発表することになった。英語が母国語でなかろうが、ここらへん全く容赦ない。ある意味、特別扱いされてない証拠と喜ぶべきかも。これまでの経験では、まず台本を準備し、家で何度も練習をし、指導教授とリハーサルを繰り返し、やっと本番を迎えるというパターンが多かった。ひょえ〜、25分後に皆で集まって発表?同じグループの皆が口々に言う事を書きとめるのだって大変なのに、と慌てふためく。

で、25分はあっという間に過ぎ去った。皆の前に立って、一つ一つの項目を追いながら発表する。同じグループの人がユーモアあふれる人ばかりだったので、課題を解くにもひねりを加えたため、何度か笑いも取れた。後で、友達が「よかったよ、発表。yumikoのグループが一番おもしろかったよ!」と言ってくれたので、ちょっとほっとしたけれど、私の発想じゃないんだよ、あの冗談は!と念を押す。どこの国も政治家をからかうのがお好きなようで。

いやしかし、久々に緊張した!(って、こんなことで、永住できるのか?)


2004年09月04日(土) 二十二分

職場でさすがオーストラリア!と思うのが、午前と午後に10分ずつお茶の時間が設けられていて、昼食の時間もたっぷり1時間あること。会社の周りが大きな公園になっているので、昼食後は外に散歩へ行く人や、軽く運動をする人もいる。私も天気のいい日は、友達とおしゃべりをしながら周辺を散歩している。仕事柄ずっと椅子に座っているので、いい気晴らしにもなる。

朝は8時半開始なのだが、新規契約社員の中には「電車に乗り遅れて…」と遅刻する人もいる。けれど、いつも時間に無頓着なわけではなく、退社時間となると1分1秒まで正確で、4時31分にはうちの部署は誰一人として残っておらず、オフィスもいっきに閑散とする。契約社員だからと割り切っているのかもしれないけれど、終了のチャイムと同時に勢いよく駆け出す小学生みたいで可笑しい。私ももちろん我先にと家路へ急ぐ。

研修期間が終って一人前に仕事をこなせるようになると、「毎日22分余計に働いて4週間毎に1日お休みをもらおう!」という制度に参加できるらしい。朝22分早く来るか、夕方22分遅く残るか、それとも昼休みの22分間をあてるかは、本人の自由。私は考えた末、お昼休みをあてることにした。どう考えても1時間は長すぎる。散歩はできなくなるけれど、平日にお休みがあると、映画も安い値段で見られるし、銀行にも行ける。日本語情報誌に載っている某レストランのランチスペシャルも、就職したら絶対に行こう!と思っていたのに、ランチは平日のみだったりして、未だに念願叶わず。それを考えると、毎日22分昼休み返上なんて楽勝もの♪


2004年09月02日(木) 一週間

働き始めて一週間が経った。最近は目覚まし時計より早く目が覚めるようになり、6時起床にも体が慣れてきたようだ。仕事は覚えることが多く、一人立ちできるまでにはまだまだ時間がかかりそうだけれど、働きながらオーストラリアの教育制度を学ぶことができて、結構楽しい。

職場で一緒に昼食を取っていると、色々な世代の人がいるせいか、話題も育児、教育、政治、ゴシップと幅広い。「トニーはね、大学の同窓生に結構有名人が多いんだよ」と紹介され、そのトニーが旧友の名前を照れくさそうに挙げると、そこで輪になっていた皆が「ほぅ〜」と驚いたり、「あぁ、あの人!学生時代はどんな人だったの?」と、盛り上がる。思いっきり取り残されるも、え?誰それ?何してる人?と面と向かっては聞けないので、後でこっそり違う友達にその有名人がどれぐらい有名なのか聞いてみた。オーストラリア人なら誰でも知っている作家とか記者だって。芸能人ならともかく、そこらへんの話題はちょっときつい!でも、世間話ができるようになって一人前なのかも。日々自分の語学力を痛感させられるのも、この職場のいい所。

ちなみに今日は初給料日。まだ、研修の身で会社に一切貢献していないのに、しかも働き始めて一週間というのに、お給料がもらえるなんて!振込み明細をもらって、ただもうにんまり。両親にも電話で報告したら喜んでいた。自分で稼いだお金かぁ…。ここまで長かっただけに、しみじみ。


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