嗚呼!米国駐在員。
<目次>戻る進む


2005年12月30日(金) 来年は米景気の上向きを !

昨日は遅くまでネットで遊んでいたので本日は10時半起床。
それから車の洗車場で久しぶりに雪と塩を落としてもらって、ジムへ。運動を終えたら雨・・。夜はダウンタウンで食事とウィンドーショッピング。またもや衝動的にバーバリーのスーツとHugo Bossのシャツを買いそうになるがじっと我慢。それにしてもアメリカのショッピング熱はクリスマスを終わってもまだまだ熱い。これは景気とか収入とか関係なく1つの文化なんだろう。大量消費、大量消費、何も考えずローンで買っちゃえ、買っちゃえ。


明日はいよいよ大晦日だけどアメリカでは何となく気分が出ない。カナダに注文した数の子昆布とサーモンも届いたことだし、明日の夜は日本で中継を終えた紅白歌合戦の録画でも見るかな(いくら何でも15ドルで売り出すのは・・・)。

夜、メールをチェックしていたら、東京の友人から連絡が入っていた。何度かメールしたのだが返事がなく、師走で忙しいのかな(忘れられたのかな?ともいう。)と思っていたのだが、体調を壊して入院していたとか。やはり日本も景気がいいから仕事も増えて、その上どの部署も忘年会も例年をはるかにこえる回数だったようだから、サラリーマンにとって体力的にはしんどい事だろう。Japanese サラリーマンの過酷な生活の話を耳にする度に、体調が悪くなりそうにもない自分に対してこれでいいのだろうか、と思ってみたりもする。
あと、米系取引先のバカマネジャーからのメール。
いわゆる年末の挨拶と事務所移転の案内だけど、関係者全員をあて先にして送るなっての。数百人のメールアドレスが丸分かり、これは無神経すぎる。まあ、1人も知っている名前がないが(チェックするなって)。


それにしても今年を振り返る日本の経済ニュースは景気がいい話ばかりだな。逆に、こちらでは昨日のGM株がついに18.33ドルと20年ぶりの新安値。住宅バブルも一服しそうだし、先行き明るい材料も少ないしなんだか心配だ。来年は米景気の上向きを願いたい。


2005年12月29日(木) 12月29日 今年最後の出社


今年最後の出社。

オフィスビルは静まり返っていた。仕事のメールは中国から1通だけ。この時期に色々と書類の整理などをしようと思っていたのだが、あまりに時間をもてあますと逆に能率が上がらない。定時を待たずにみんなで仕事を切り上げる。帰り際に HAPPY NEW YEAR ! と声をかけるのも、日本人には何だか違和感。その後散髪へ。日系の店なのに米人のオヤジが2人もいて驚いた。わざわざ言葉も通じにくいヘアサロンに来るだけあって、やはりその辺のアメリカ人と違って多少は上品な感じである。それにしても、ベラベラベラベラ髪を切られながらよく喋っていた。美容師があまり英語で受け答えしないので、店内にはその白人オヤジの声が響き渡っていたのも異様。日本に来るアメリカ人ってのもそうなんだけど、これだけ日本人に囲まれて堂々と英語で喋りまくるその神経がうらやましい。


家に帰る前に何となくターゲットへ行ったのだが、Customer Service(いわゆる返品コーナー)には、クリスマスプレゼントを抱えた人で賑わっていた。
そう、この国のお方々はクリスマスに親類や友人とクリスマスプレゼントなぞを交換して、その場では大げさに喜んで見せて包みを受け取るのだが、数日後には血も涙も無く店に返却して現金化してしまうのである。カート一杯に積まれたプレゼントを全て返却して、うれしそうに現金の束を手にして幸せそうな夫婦。だったら最初からプレゼント交換なんてやめちまえとも思うのだが。


なんだか天気が冴えない日々が続く。
車も塩まみれで早く洗車に行きたいのだけど、なかなかきっかけがないなあ。


2005年12月28日(水) 「野村ノート」 野村克也著

「野村ノート」 野村克也著読了。

いい年こいた嫁の見苦しい整形はやめさせられないのに、自分のチームの髭、長髪、茶髪は許さない野村克也。

さぞ、うるさいウンチクばかり語られているのだろう、と思ったのだが、その内容は色々と勉強になった。


コーチとして指導者として大事な事は哲学を持つこと。全ての指導の原点には人間形成がある。アメリカにいると、一芸に秀でてればそれでいい、といった風潮をよく感じるし、確かにプロスポーツ選手はそれが世間に許される風潮がある。しかし、野村氏は人間として社会人としての対応が出来ない選手は大成しない、と断言し、人間教育の大切さを力説する。

万年Bクラスの代名詞であったヤクルトを、毎年優勝の狙えるチームに育て上げた裏には、解説者時代にこれまで培ったノウハウと監督論がしっかりとまとめられていたからだ。これだけ揺るがない理論をもった指導者がいれば、どんな組織でも心強いことだろう。ただ、あれだけ熱心に育てた古田がこれまで年賀状の1枚もよこさない、と、ボヤくあたりはさすがのノムラ節である。確かに、分かりづらい指導者ではあったのかもしれない。楽天の選手はオフの間にあらかじめこの本を読んでおけば、来シーズンからのノムラ監督の指導の意味がよく分かってキャンプの効果はかなり上がるだろう。


野球好きは必ず読むべし。









ところで、せっかく25ドルもして買ったこの当たり本なのに、どこにも見当たらない。
先日の出張で飛行機に置き忘れたかも・・・・。


2005年12月27日(火) 3連休明け / 中古車購入

3連休明けの出社。
さすがにこの時期は休暇に入っている企業は多いようで、通勤の道はガラガラ。電話も社内の他支店からばかり。メールも少なく閑散。ランチの日本食屋もガラスキであった。うちの会社は29日まで出勤さけど、あと2日どうするんだろう。怠け者の米人スタッフはこんな暇な時には絶対ぜったい有給を取らずに、社内は社交場と化す。確信犯でお菓子を大量に持ち込んでラジオをかけてペチャクチャペチャクチャ。まるでパーティのようだ。何か文句を言ったら、「じゃあ私達、何すればいいの?」 
日本人、なめられっぱなし。




車を買い換えようと物色中だ。
大手中古車センターのホームページを見ていると、突然画面上に新たに小さなページが開いた。



Steve : Hi, this is Steve. May I help you?

You →  (Please enter)



なんじゃこりゃ。メッセンジャーか?
試しに希望車種を打って送信してみた。すると、今こんなタイプがある、と写真が送られてきた。予算は、と聞かれて答えると、これはちょっと予算オーバーだけど、という注釈付でまた新たな車の写真と詳細が来た。 


これは便利だ。


店舗に行くと、無知なセールスマンに「何で買わない?」と理屈もへったくれもなく囲い込みされるのが面倒臭いのだが、そんな心配はない。ましてや、文章だから聞きたいことも相手の回答も誤解する心配がない。しばらくチャットを続けていると、「あなたとコンタクトが取りたい。連絡先を教えてください。」ときた。

色々教えてくれた相手には気の毒だったが、そこでウィンドウを閉じた。



それにしてもアメリカの中古車はとにかく高くて嫌になってしまう。しかも国土が広いから、マイル数はかなりいったクタビれた車ばかりだ。
しかし、アメリカではどの車にもVIN Number(Vehicle Identification No.)がついていて、CARFAX というサイトから、これまでの所有者の数から事故の有無、オイル交換の日時や頻度などの、ありとあらゆる車の履歴を調べる事が出来る(有料)。中古車を買う前には必ずココでチェックするといい。


・・・実は昨日、今日と、この中古車購入についてある出来事があったのだが、その話はまた後日。(あ〜疲れた・・)



2005年12月24日(土) 街はクリスマス

いよいよ街はクリスマス。といっても、ほとんどの店は一斉に閉店で、スポーツジムもレストランも休みとなる。街は一気に車どおりがなくなる。ちょうど日本の元旦のようだ。


アメリカ人ってのは、この日にプレゼントを大量にかかえて、親類の家に集まったりしてクソまずい料理をつつきながらプレゼント交換をして盛り上がる。
それにしても、アメリカ人ってのも大変だ。家族はもちろん、親戚縁者、そして友人にまで全員に1つ1つプレゼントを買わなくちゃならない。会社のアメリカ人がぼやいていた。全部で15個もプレゼント買わなきゃいけない、と。それにしても、いいオヤジが未だに友達とプレゼント交換、っていうのも、よく考えたら気持ち悪い話だ。本人達が好きで喜んでやっているならば、それはそれでいいんだけど、なんだかんだで義務感でやっている人も多いんだろうな。心の中では面倒くさいやって。もちろん、そんなのがバレたら夫婦だったら即離婚だから、旦那はおくびにも出さないんだろうが。日本人でよかった。



今日は、ThanksGivingのセールで買ったスーツ2着を返品しにBrooks Brothersへ。

何となく雰囲気に呑まれて買ってしまったのだが、どうもしっくりこなく、値札はそのままにしておいた。カウンターで、返品する、と言ったら、あっさり全額戻ってきた。これがアメリカのいいところだ。従業員も、自分の懐が痛むわけではないから、ろくに品物もチェックせずにあっさり返金に応じる。注意しないといけないのが、返品の商品がまた何事もなかったように陳列されて売りに出される場合がある事だが。戻った金で、Calvan Clainのスーツを購入予定。


2005年12月23日(金) 「2005年 流行語」を見て 

クリスマス直前の23日金曜日。ほとんどの企業が休暇のようで通勤はガラガラ。そういえば昨日は日本も天皇誕生日でメールも無し。このまま会社にいてもしょうがないので、午後2時で事務所は閉めることにして早々と帰宅。今日は気温が40F近くまで上がって実に過ごしやすい。



いよいよ年末。
日本ではどんなものが流行ったのだろうか。「2005年ネット流行語」というのを検索してみた。



IT Media News

1位 ツンデレ

2位 インスパイア

3位 ニート

4位 生協の白石さん

5位 のまネコ



ゲッ、全く分からない。

かろうじてニート - NEET(Not in Employment, Education,Training)は知っていたが、その他4つはなんじゃこりゃ、という感じだ。ツンデレ?ゲレンデか? インスパイアは、昔ホンダでそんな車があったような。でも関係ないだろうな。 白石さん??素人? う〜ん・・・。



新語・流行語を見た。

1位 想定内(外)

2位 のまネコ

3位 フォーーー!!

4位 クール・ビズ

5位 i POD




ここにも“のまネコ”がランクイン。気になって意味を調べてみた。


2005年のヒット曲「恋のマイアヒ」のキャラクター「のまネコ」。これがweb上の大掲示板「2ちゃんねる」で親しまれる猫のアスキーアート「モナー」に"インスパイア"されて出来たものだったことからその後大騒動に。
・・・ますます訳が分からない。


「フォーーー!!」ってのもなんだかなあ。
調べるとレイザーラモンの持ちネタ、とあった。誰じゃそれ?外タレか?


クール・ビズは知っている。
7月に帰国して取引先に行った時、「日本はクールビズですから」と応接室の張り紙を指差して、誰もが申し訳なさそうにノーネクタイの言い訳をしていたから。ネクタイしてもしなくても、通勤途中に汗びっしょりでクシャクシャでヨレヨレのYシャツ着ているんだから、どっちにしたってクールからはほど遠いと思ったが。

i PODはなんで今更?という感じだ。あれは2004年じゃなかったっけ?



インターネットは確かに便利で日本の情報も瞬時に入ってくるのだけど、こうした流行語というのは海外にいると全く実感出来ない。もしかしたらネット上で見たことがある単語があったかもしれないが、何も引っかかることもなく素通りしていたのだろう。

まあ、日本にいたところで、来年になればこれらの“流行語”はすっかり過去のモノになってしまうんだろうけど。




2005年12月21日(水) ネブラスカに出張

米人とネブラスカに出張。
それにしても寒い。空港に向かう時の気温は華氏1度、体感温度は−25℃。12月でここまで寒くなると、この先1月2月にはどうなってしまうのだろうか。

いつものように慌しい空港のセキュリティゲートを抜ける。
冬は荷物が多いから大変だ。
トレーのPCをバッグに詰めて、携帯電話と財布とパスケースとガムをポケットに入れ、靴を履いてベルトを締める。そしてジャケットを着て最後のコートを手にすると、前にあるトレイの中にマネークリップでまとめられた米ドル紙幣とクレジットカードが1つ。カウボーイブーツを履くのに手間取っていた前にいた長髪のオッサンに、「忘れているよ」と伝えると、「いや、俺のじゃないんだよ」。

可哀そうに、誰か忘れていったんだろう。とりあえず目の前の黒人係員に手渡した。
無事に持ち主の元に戻る確立はどの程度だろうか。


空港から2時間走った街は、10年以上その風景は変わっていないのだろう。そしてこの先10年たっても、目だった変化はないのだろう。街で1件だけのファーストフード、SUBWAYで夕食。何組かの家族が夕食に来ている。


広大な土地にポツンと建った唯一のモーテル、SUPER 8は、客がほとんどいないようだ。
午後7時過ぎだというのに駐車場には車が端っこの方に数台泊まっているだけ。従業員のものだろう。チェックインカウンターに行くと、お姉さんが電話をしながらカードキーを2つよこす。足元では犬が何か食っていた。インターネットはあったが生意気にワイヤレスなので、案の定接続出来ず。おまけに携帯も電波が入らずに蚊帳の外状態であった。

翌朝、寂れた朝食を食べに行く。
当然、誰もいない。冷蔵庫を開けてミルクを取り出すとガチガチに凍っていた。窓の向こうでは屋内プールの横で、おそろいの制服を着た従業員のオバサンが4人でタバコを吸って談笑中。当然、こちらの姿を見てもお喋りは止めない。

チェックアウトして取引先訪問。
こんな環境に放り込まれた日本人駐在員に、日本食のお土産を持っていくこと。そして、愚痴をたっぷり聞く事で仕事のほとんどは終わったようなものだ。

空港に戻り、帰りのフライトを待つ。
突然名前が呼ばれてノコノコとカウンターまで行くと、座席をファーストクラスにアップグレードしてくれた。連れがいる、と同行の米人の分もお願いしたら、何も言わずにファーストにしてくれた。たまにはこんなラッキーもある。


今年もそろそろ終了なのだが、なんだかせわしない。
外が寒いと本当に体力を使うようで、いつもより疲労の蓄積が抜けないな。


2005年12月18日(日) 仰木監督

仕事中にネットを見ていて驚いた。


オリックスの前監督、仰木彬氏死亡。


「イチローの名付け親」として世間では有名だが、自分にとっては選手の個性を大事にしてその才能を開花させる日本一の名監督として心に残っている。弱小球団を率いて3度の日本一。「仰木マジック」はあまりに印象的だった。個性も認められないような時代に育ちながら、柔軟な感性で指導者や選手を育ててきた。



忘れもしない仰木近鉄。
昭和63年10月19日の川崎球場ダブルヘッダー。
CMをカットして突然の中継を続けたテレビ朝日の前に、当時学生だった自分は釘付けになった。阿波野、梨田、ブライアント、大石。これで勝てば優勝という試合での最終戦、引き分けのまま時間切れで、勝ちが無くなった最終回裏の守りにつく選手達を見送る監督の顔は忘れられない。

オリックスの監督に就任した1995年は、「がんばろう神戸」で巨人を破って見事日本一。阪神大震災の神戸を勇気付けた。

セリーグ一辺倒だった当時の観客をパリーグに呼び込んだのは、仰木マジックがきっかけと言ってもいいだろう。



イチロー、野茂をはじめとして、田口、長谷川、吉井、木田。こうしたメジャーリーガーが仰木氏の指導を受け、そこから巣立っていった。

土井監督の下で二軍でくすぶり個性をつぶされそうになった鈴木一郎を、「イチロー」と登録名をつけ一軍に引っ張りあげた。非難を浴びていた振り子打法もそのままにさせ、イチローはその年に最多安打記録で首位打者を獲得。「監督がいなければ今の僕はいない」というイチローの言葉は真実だろう。史上最多の8球団が競合した野茂をみずから引き当て、トルネードを直さずに大きく育てた。野茂もイチローもこの監督に出会えていなければ今があっただろうか。



印象深い野球人を日本の球界は失ったものだ。

晩年は体調不良にも関わらず、清原に熱心にオリックス入りをくどいていたようだ。清原は男気あるから、仰木氏の意思を継いでのオリックス入りは間違いないだろうな。



2005年12月15日(木) アメリカへの移民は過去最多

あれよあれよと円が115円台まで下落してきた。
120円だった時、手持ちドル資金を全て円転換して小遣いを稼ごうと思ったのだけど、ぼんやりしている間にタイミングを逃してしまった。



新聞に、過去5年間のアメリカへの移民は過去最多の790万人、という記事があった。
そのうち、メキシコからの移民が最大で約285万人。こうした移民によって、この国での低賃金労働が絶え間なく供給される。

しかし、こうした移民の多さが一部のアメリカ人庶民からすれば、「世界中からアメリカに人が集まってくる」 ⇒ 「やっぱりアメリカ、最高なんだ。俺達の国が何でもかんでも世界一ってことだぜ!」という意識を少なからず産み出しているのは間違いないのではなかろうか。


取引先などでよくアメリカ人に聞かれる。

「どうだ?アメリカの生活は?好きか?満足しているか?」

「いいえ、全然好きじゃないですよ。戦争おっぱじめる国なんて最悪でしょ。」 


・・・などと言う訳もなく、「アメリカ生活、サイコーです。」などと取りあえず答える。相手は、当然だろ、という顔で満足げだ。

当たり前だ。わざわざヨソの国から来て自分の国の悪口言う奴と誰が商売やりたがる? まあ社交辞令で言うだけなのだけど、意外とそんな言葉を真に受けて、“やっぱみんながアメリカに来たいんだ、俺達やっぱ世界の中心にいるんだ!” と思い込む人が多いのだ。

あと、“アメリカのロックバンドやハリウッドスターが日本に出稼ぎに行って、日本人大騒ぎ” 的な映像がたまにテレビで流れるのだけど、そんな場面を見た単純アメリカ人は、「やっぱり俺達の国は世界中で人気があるんだ、みんな俺達を注目してるもんね。」とこれまた勘違い。


もう海外など何の興味ない、というかわざわざ行く必要ないだろ、アメリカで全て事が足りるもんね、と考える米人も多い気がする。特に中西部の保守的な人間。こんな人に異文化を理解しろと言っても無理な話か。だって、世界中の人がアメリカが大好きで集まってきていると信じきっているんだから、なんで奴らが捨てた国の文化などを理解する必要があるんだ、っていう考えも潜在的には持っているはずだ。



一方で我が日本では今後10年間で労働人口が370万人も減る。
人口増加が経済を強くしているアメリカとは好対照だ。経済も長期的に見れば弱くなっていくかもしれない。

そして、他民族国家のアメリカには、これからも移民希望者が殺到する。 そして、アメリカ人はますます俺達は世界の中心、という意識を強くする。



2005年12月14日(水) 「半島を出よ(上・下)」 村上龍 

「半島を出よ(上・下)」 村上龍 著 読了。

7月に帰国した際、日本を出る際に慌ただしく上下巻を買った。レジの前に平積みされていたのだが、村上龍とタイトルを見て何も考えずに分厚い2冊をレジに持って行った。評判もストーリーも全く知らなかった。先日思い出して本棚から取り出し一気に読了。久々にいい本に出合えた。






実に丹念に丁寧に描かれた小説だ。気持ちが良いほど当たり前の事を力強く主張しているが、これだけ当たり前の事にスポットが当てられた小説は意外とめぐり合えない。

小説だから、北朝鮮が福岡を占領するなんていう現実味のない話にも素直に楽しめる。ただ、現実味がないとはいっても、あまりに綿密に取材された上に成り立っているストーリーなので、ひょっとして明日にでも実際にありえる話かも、という気にさせてしまう。

そういえばしばらくアメリカに住んでいて忘れていたのだが、日本という国の持つ無気力さ、無責任さ、事なかれ主義というものを嫌というほど思い出させてくれた。それにしても小説の中の日本の政治家もバカにされたものだけど、果たして実際に同じ事件が起きたらどう対処するのだろうか。後、日本とは逆に北朝鮮という、決断する事に全く迷いも疑問もない国との対比が際立っていて興味深かった。

昔はなんだかアクの強さだけが目立っていたような村上龍なのだが、小説を読む度に、彼はとても真面目な勉強家だと思うようになった。単なる才能だけではこんな小説は書けないだろう。巻末の参考文献の羅列を見て、その途方も無く奥行きある取材ぶりに目がくらんだ。


一流の人は何をやっても一流なんだろう。

村上龍は、きっと一流の建築家にも科学者にも医者にも営業マンにもなれるのだろう。



「何かを選ぶというのは同時に別の何かを捨てることだが、それがわかっていない人間が大勢いる」

「リアルな現実というのは面倒臭く厄介なものだ」

印象に残る文が多かった。



2005年12月12日(月) 出張帰りのトラブル その3 / TUMI

現在TUMI のビジネスバッグを買おうかどうか迷いに迷っている。

赴任前の印象だと、どうせ日本に戻ったらオフィスのある丸の内近辺ではそこら中の茶髪のリーマンが持ち歩いてるんだろうなあ、なんだかいかにもだなあ、なんて思って躊躇もするわけなのだが、なんといっても頑丈で多機能、デザインはシンプル。しかもアメリカならお手ごろ価格(日本で買うと馬鹿高い)。今使っているサムソナイトはもらい物でとっくに限界。過酷な出張に耐える丈夫なバッグが欲しいのだ。既にキャリーバッグは購入済みで、1週間程度の海外出張には本当に重宝しているので実績は申し分なし。まあこんだけ迷ったら結局は買うんだろうなあ。




そうそう。で、前回の続き。(もうええって)

ゲートを出てからは我慢に我慢を重ねていたトイレへ直行した。足が硬直していてなかなか前に進まない。ポケットの携帯を取り出して電源を入れる、と、何かが足りない、と、妙な違和感を感じてポケットを慌ててポケットに手を突っ込んだ。



パスケースがない・・。



名刺だけならまだしも、ここには大事な大事なIDも入っている。これをなくすと致命的だ。
慌てて先ほどのゲートへ引き返した。足の痛みもなんのその、周りで寝転んでいる人を縫うようにして走った走った。ゲートに着くと、とっくに乗客は機内をおりてしまった後で、ちょうど乗務員とパイロットが出てくる所に鉢合わせた。

「中に入っていいか」と聞くと、先ほどの上品なパイロットオヤジが、「えっ、また戻りたいの?よほどこの飛行機が気に入ったみたいだね。」と気の利いた切り返しをしてきたが、こちらはすっかり余裕なし。

既に清掃が始まった機内に入り、自分の座席に行く。毛布を引っ剥がすと、そこには大学の入学式に祖父からもらったDUNHILのパスケースがポロリと出てきた。あ〜よかった。


さあ帰りだ。

と思ったら、こんなときに限って車は会社に置いてあったんだった。会社に行かなきゃいけない。

極寒の外に出てタクシー乗り場に行くと、待ち人100人以上。40分ばかり凍える中を待たされた。運ちゃんの黒人に道を説明するのも面倒くさかったが、幸い英語の聞き分けのいい運ちゃんだったので助かった。会社の駐車場までタクシーに入っていってもらおうと思ったが、そこまではさすがに除雪されていない。大雪が積もっている中、「こんな所入るんでっか?大将?」とアフロな運ちゃんが頼りなさそうに言うものだから、そこで降りて雪に埋もれながら歩いていった。


自分の車の運転席に座ったとき、初めて安堵してホッとした。

明け方に家に戻ると、ちょうどガレージ前の除雪作業が進められていたところだった。しっかりしたコミュニティだ。それにしても、作業員の人もご苦労さんである。



もっと色々な事が起きたきもするけど、振り返ってみれば大事にもならず、思い出に残るような出張の帰り道でした。


2005年12月11日(日) 出張帰りのトラブル その2

前回からの続き)


離陸後わずか40分で目的地に着陸した。
機内には安堵の雰囲気。一斉にアメリカ人どもがそれぞれの家族に電話を入れて無事を報告する。息も絶え絶えだった後ろの白人は、ワイフに電話をして迎えに来てもらうように頼んでいた。「後20分位で空港を出れるから、今から家を出ればちょうどいいくらいだと思うよ。」


滑走路を除いて空港内は雪に覆われていた。1時間で100機以上の離発着があるこの空港で、行き場を失った迷い子のような飛行機があちこちに見られる。中には人が乗っているのだろうか。それははじめて見る異様な光景だった。

自分を乗せた機体は、着陸後にそのままノロノロ動き出した。が、ターミナルに向かう事もなくそのまま速度を落とした。嫌な予感がした。 


と、そのまま止まってしまった。


「え〜、機長です。現在、ゲートが全て一杯のようでどこに行けばいいのか指示を待っています。理由は、I don't Know. 多分、すぐに指示が来ると思いますので、もうしばらく我慢してください。」

もう客は誰も反応しない。人間は待つことに疲れてしまうと、全てをありのままに受け入れるしかなくなってしまうようだ。それでも待つしかないのだが、もう何も考えたくない、怒りさえも感じたくない、と、みんなが思っているのだろう。


そのうち眠ってしまった。
エコノミー席での窮屈な姿勢のままで何度も目が覚めた。そんな体勢で寝ることがあまりに疲れて起きることにした。時計を見ると、既に着陸後1時間が経過していた。眠る前から1メートルも動いていない。


しばらくして機長からのアナウンスが入った。

「ようやくゲートの指示がありました。今から向かいます。長らくお待たせ致しました。」

後ろの白人の電話の着信音が何度も鳴る。説明をする旦那。「俺だってよく分からないんだよ。でも、今ゲートに向かっているからもうすぐだ。」 雪の中、ワイフが空港に到着したのだろう。


そして、ようやく飛行機はゲートへ到着した。
その瞬間、一斉に全員の乗客が立ち上がって自分の荷物を片手に前方に殺到した。我慢も限界だったのだろう。窓側の座席に座っていた自分は、前方の乗客が動いてから立ち上がることにした。既に午前3時を過ぎている。本当に長い旅だった。



と、ところが、いつになっても通路にぎっしり埋まった乗客が動かない。

アナウンスが入った。

「エ〜、何故だか分かりませんが、ゲートが開きません。只今修理中です。」



「F・U・C・K !!!」   


我慢の限界を超えた乗客たちから、行き場のない罵倒の声が上がった。疲労と寝不足でハイテンションになっているのか、今にも乱闘が起きるかという雰囲気だ。

例の後ろの白人の携帯はなりっぱなし。旦那が説明。「本当だって。ゲートが開かないんだって。俺だって何だか分からないんだよ。そう、もう着いているんだよ、でもゲートが開かないんだ。」 可哀そうに、深夜の大雪の中で待ちくたびれたワイフがお怒りなのだろう。


その後、15分ほどしてゲートは開いた。
もう解放される、そう思ってからのこの15分は1時間にも感じられた。初老の上品そうな機長が出てきて出て行く客に一言一言声をかけていた。プロである。彼らもこの天候の被害者なのだろう。初めからキャンセルになっていれば、今頃ホテルで熟睡しているのに、大雪の中で緊張を強いられる飛行をした挙句、客から罵声を浴びせられてやっていられない事だろう。

ターミナルに入るとそこは難民キャンプのようだった。
キャンセルを喰らったアメリカ人どもがあたりかまわず地べたに寝転がっている。待合室のイスの下で寝ている人もいた。

彼らを横目に思った。ようやくこれで家に帰れる。本当にホッとした。



でも、そこでホッとした自分はまだまだ、まだまだ甘かったのである。

(続)


2005年12月10日(土) 出張帰り道でのトラブル

木曜日までデトロイト出張だったのだが、その帰路は悲惨であった。


午前、午後と1件ずつの顧客訪問を終えて、空港に着いたのは午後5時。午後6時半のフライトには十分な時間である。朝から気の張ったミーティングが続いた疲労が出たのだろう。搭乗までの待ち時間でうつらうつらとしてしまったのだが、周りのアメリカ人が「オーマイガッ」と一斉に騒ぎ出した物音で目が覚めた。

何があった?

繰り返し放送されたアナウンスに耳を凝らした。

「シカゴ大雪による天候不良のため、UA841便はキャンセルになりました。」

おいおい、それだけかよ。

今日のホテルの手配、レンタカーは?とやるべき事が思い浮かんだが、まずは帰り便を押えなければならない。最初のアナウンスの時点で、既にカウンターにはチケット片手に乗客が長蛇の列をなしていたが、諦めて列の後ろに並ぶことにした。まあ天候によるキャンセルなので誰も責めは出来ない。まずはホテルを確保。並んでいるアメリカ人は比較的我慢強くというか諦めて淡々としていたのに対し、中国人とヨーロッパ人は大騒ぎをしていた。特に、上品な顔立ちのヨーロッパ人(スーツに白靴下はいただけなかったが)は乗り継ぎでイギリスに行くようで、俺の国際線はどうなるんじゃ!と落ち着き無くカウンターに詰め寄っていた。


40分並んでようやく自分の番が来た。
何人かの会話を聴いていると、既に明日も全便予約で埋まったというような事を言っていた。そして、絶望的な思いでカウンターの向こうのオバチャンと向き合った。と、そこへカウンターに電話が入り、「Are you sure?」と電話の相手に確認した後、係りのオバチャンはこちらに満面の笑顔で教えてくれた。

「アンタ、ラッキーだわ。たった今入った情報によると、こちらにもうすぐ到着するフライトがあるけど、Stand-Byしてうまく席が見つかれば、それに乗れるわよ。」

もちろん、こちらが30万マイルを裕に越えるExectiveステータスであることが分かっての発言だ。キャンセル待ちをすればほぼ間違いなく席は手当てしてくれる。横のカウンターでは先ほどのヨーロッパ人が同じ説明を受けてガッツポーズを繰り返している。こちらも迷わずにStand-Byチケットを発券してもらい、再びゲートへと急いだ。外を見ると既に機体は到着している。よしよし、俺はついている。

難なく自分の名前が呼び出されて、正式なチケットが手に入った。あ〜よかった。


ほどなく搭乗アナウンスがあり、機内へと向かう。
誰もがトラブルを回避出来た喜びにハイテンションであり、やや異様な雰囲気さえした。機内では、席に着いた乗客を前に客室乗務員が偉そうに大声でのたまう。

「皆さん、よかったですね。我々は無事に目的地へと向かうことが出来ますよ。他の便同様、この便もキャンセルの見込みが強かったのですけど、ホント皆さんラッキーですよね。」

「イェーイ!」

単純なアメリカ人どもは奇声を上げて拍手喝さい。
その気持ちはよく分かったが、こちとらこの1時間半のバタバタに睡魔が押し寄せてきて目を閉じた。


1時間弱のフライトはあっという間だ。
睡眠から覚めると既に目的地・・・のはずだが・・・




飛行機全く動いてないじゃないか。




時計を見るともう2時間経過。乗務員のアナウンスが入る。

「目的地の天候不順のために離陸の許可が下りません。いつ飛び立てるかだって?I don't know.」

てめえ、I don't knowじゃないだろが。


気がつくと、デトロイトにも雪が降ってきていた。みるみるうちに積もってきて、窓も雪で覆われて全く外が見えなくなってしまった。機内のコメディ映画を見て無邪気に笑っていた周りの客も、絶望的な雰囲気をかもし出してきてきた。既に3時間経過。周りの客が騒ぎ出した。

「外に出してくれ。いつまで閉じ込めておくんだ!!」

「気持ちは分かりますが、安全上の理由で外に出ることは許可されていません。それに、既にターミナルも閉鎖されています。」

搭乗時のハイテンションもどこへやら。淡々とした回答で乗務員が答えた。


午後8時前のフライトだったのに、既に日付が変わろうとしていた。
もともと、短距離のフライトだからドリンクもそんなに用意されていない。既に貴重なコップ一杯のドリンクサービスは数時間前に終わってしまった。いつもは持たないのだけど、何故かこのときに限ってホテルで出してくれたチップスとペットボトルをカバンにぶち込んでおいたのだが、本当に助かった。周りの乗客の雰囲気も絶望的なものから異様なものに変わってきた。後ろの白人は、呼吸が苦しそうでハアハア言っている。


長時間のフライトは、覚悟も出来ているいるからこれほど苦にはならない。
しかし、全く動かない飛行機に何時間も閉じ込められるのは想像できないほど苦痛であった。おまけにいつ出発するかも分からない。全く比較にはならないけど、ハイジャックされたらこんな感じなのかなあ、と思った。外は相変わらずの大雪。

午前1時。
飛行機が動き出した。滑走路に向かった。救われた、と思った矢先、飛行機はまた戻ってきてしまった。強風で飛ばせないらしい。確かに外は猛吹雪だ。誰も責めれない。村上龍の「半島を出よ」を持って来たので、幸いなことにいい時間つぶしにはなったが、精神的に疲れてしまってとっくに本にも集中出来なくなっていた。高イビキで寝ているアメリカ人がうらやましかった。
外を見ると、猛吹雪の中でクレーン車がやってきて凍結防止の液体を機体に噴射しているのが見えた。クレーンの上から宇宙服のように完全装備をした人が、大きなノズルを機体に向けている。彼もやっていられない事だろう。


そして午前2時半。
機体が離陸体制に入った。相変わらず全く回りが見えないほどだが、早く飛んでくれ、と祈る。今回は大丈夫だ。機体は離陸した。アナウンスによると、わずか30分以内で目的地に着くという。追い風なんだろうか。これで解放される、家に帰れる。本当にホッとした。



しかし、そこでホッとした自分はまだまだ甘かったのである。



(続)


2005年12月06日(火) 冷凍庫生活

とにかく昨日今日と、寒い。 とういうより、痛い。空気が肌を突っついてくる感覚である。

連日、日中の気温は10度(華氏)、これは−12℃。体感温度は−20℃近くまで下がった。通勤の時に飲んだペットボトルを車に置き忘れたのだが、昼飯の時に取りに行くとカチカチに凍っていた時にはさすがに言葉も出なかった。冷凍庫の世界での生活。

さすがによく他地域(特に西海岸、クッソー)の人から同情されるのだけど、意外と生活は心地よい。
寒い地域ならではの工夫がしてあるので、めったに凍りつく思いをすることはない。部屋はもちろんセントラルヒーティングだから全室快適。オフィスには屋内駐車場が併設されているから、そもそも外に出る必要は本当に少ない。冬に風呂に入る前に寒い思いをする日本の方がよっぽど過ごしづらい。



朝の通勤で、もうもうと白い排ガスをはき出しながら走る周りの車。
車から外に出れば、5分と立たずに凍傷になりそうな環境。そんな中、唯一自分の身を守ってくれる車の中で黙々と運転している人を見ると、何故か彼らとの間に妙な一体感を感じる。

それもなかなか悪くないアメリカの経験である。


2005年12月05日(月) 強烈な二日酔いに泣く

日曜日は知人の家で食事。久しぶりに同世代と話が出来て楽しかった。

帰りに運転の必要がなかった事もあって、ついつい調子に乗ってズブロッカとジンをロックでガンガンといってしまったのだが、今朝目覚めた時に激しく後悔した。気がついた時、かつて経験した事がないような頭痛と胃のむかつきが襲っていた。シャワーを長時間浴びたが、ますます状況は悪化する一方。


アメリカでは運転があるので、いつもは外で飲んだとしても数杯程度である。気が張っているので酔っ払うなんていう事はこれまでに一度もない。こんな生活を2年半続けていた結果、明らかにアルコールに弱くなっているはずなのに、困った事にその自覚さえもなくなってしまっていたようだ。さらに、酒量に対する自分の限界がどの程度なのかもすっかり忘れてしまったようだ。身体はとっくに限界がきていたのに脳にブレーキが利かないから、延々とアルコールが流し込まれた訳である。ただのアホだ。


なんとか這うように出社したが、午前中はほとんど仕事にならず。というか、全く仕事にならず。
ぺちゃくちゃと聞こえてくるアメリカ人のおしゃべりが本当にうっとうしくなる。
トイレで顔を見ると真っ青。もうこのままどうにかなってしまうのではないか、いや、どうにかして欲しい、と思った。入社当時の新入社員歓迎会で相当飲まされて辛い思いをした事があったのだが、まさか10年以上も経過した異国の地でいい年をした男がこんなにキツイ2日酔いになるとは、何とも情けない。午後にスープを飲んだら少し回復したが、全身を覆う倦怠感はそのままだ。


酔っ払って飲んでいた時に、周りに失礼がなかったか、と気になった。
散々周りにも飲ませてしまったような覚えがあるのだけど、今更後悔しても遅い。これまでに散々たちの悪い酔っ払いを見てきて、そのたびにとても嫌な気になったものだけど、自分がそうなるとは全く恥ずかしい限りで言葉もない。やれやれ。


しばらくアルコールは見たくもない。


2005年12月03日(土) 米系航空会社、そこまでカネ取るか?

コスト削減に躍起となっている米系大手航空会社。

燃料費の高騰やチケット代の低下を受け、人件費の削減、安価なリース機への切り替え、生産性の改善といった業務面における大規模な合理化を行っているが、赤字はかさみ続けたため、無料サービスをどんどん減らしてきている。

AIR CANADAに乗れば、枕が欲しい場合に2ドルを請求される。枕といっても巨漢のアメリカ人につぶされた薄汚いセンベイ枕じゃあ何の足しにもならないからいつも使っていない。ましてや2ドル払う価値はない。

NORTHWESTは飲み物と一緒に配られていたおつまみの一部に1ドルを請求、AMERICANもプレッツェルの無料配布を中止した。これまたどうでもいいようなおつまみで、どうしても欲しければ持ち込めば済む話。


こう考えればどうでもいいようなサービスが多いのかもしれないが、無料だったものが有料になるというのは庶民からすればいい気がしない。こうして見ると、なんだかんだといっても日本の航空会社は天国だ。まあその分いい料金なのだが、それなりの高いサービスを受けられる訳だからそれはしょうがない。




また、一部の空港では、AMERICAN、UNITED、NORTHWEST、US AIRWAYSのスカイキャップ(空港ポーター)を使用すると、使用料金2ドルとチップが必要になるようだ。

そういえば前にこんなトラブルがあった。
空港のターミナル出入り口で荷物を預けようとしたら、係員の兄ちゃんがこちらが置いた荷物を前にしたまま腕を後ろに組んで動かなくなった。

何やってるの?と聞くと、「アンタはサービスを頼んでいるんだろ」とのたまった。つまり、荷物をチェックインして欲しいならカネ払いなよ、という意味だ。当然こちらも、後からチップを渡すつもりだったのだが、その兄ちゃんもガム噛みながら人をなめきったような態度で、しかもテメエの仕事もせずにそんな事を言ってきたのでこちらも頭に来た。 

「もうお前に頼まないよ」と言って、一旦置いた荷物を取ろうとした。こんなややこしい所でチェックインせずに、自分で荷物を空港カウンターまで運べばいいだけの話だ。ところが、兄ちゃんは「これは俺の仕事だ」と言って、荷物を奪い取り強引に回しやがった。

こんな奴にチップなど払いたくないので、荷物タグをもらいそのまま無視して立ち去った。兄ちゃんはギャーギャーと英語で大騒ぎして非難し始めたが、全く相手にしなかった。

もしかして、当時あのサービスそのものが有料であったならば、非はこちらにあるという事だろう。それにしても、荷物を預けて単に横っちょのコンベアに乗せるだけで有料にするというのもやりすぎではないか、と思う。

ちなみに、その際の荷物だが、目的地のJFE空港で待てど暮らせどターンテーブルから出てこなかった。そして、これ以上荷物が出てくる気配がなくなった。やばいなあ、あの兄ちゃんに嫌がらせされて荷物をどこかに放られたのかも、なんて不安になった時に、ポロリと1つ出てきたのは自分の荷物だった。

たまたまだったのだろうが、あの時は本当に冷や汗をかいたな。





2005年12月01日(木) 出張先でのディナー

(出張 続)

ホテルの裏にRuby Tuesdayが新規オープンしていたので、夕食に出かけた。

午後6時というのに結構な混雑振り。1人だったので待っている集団をすり抜けると、バーカウンターに案内されてどこでも好きな所に、と言われる。カウンターには、これまた1人でディナーを取っているアメリカ人オヤジ達がきっちり等間隔で座っていた。自分の席を確保するには、どこかのアメリカ人に挟まれるしかない。人のよさそうなオヤジは誰かな、と物色しかけたところで、端っこの人がチップをテーブルに置いたのが見えたので、すかさず立ち去るのを待ってその席に座った。


カウンターの中では、2人の若い金髪女性が一生懸命働いていた。
SAMUEL ADAMSのドラフトをTALLサイズでオーダーすると、「Absolutely!」と、愛想よく対応してくれた。メニューは相変わらずでろくなものがない。パスタ、ハンバーガー、チキン、ステーキ。ファミレスのようなこのレストランでは何を頼んでも同じだ。迷った末に、フレンチオニオンスープ(日本名 オニオングラタンスープか?)とサラダバーを注文。サラダバーはそこそこ充実しているし、何せ皿がでかいので1度盛り付ければボリュームもたっぷり。日本では小さな小皿で何回も盛り付けに行かねばならないが、そんな必要もない。


冷えたビールを飲んでサラダをつつきながら、ぼんやりと壁にあったテレビでESPN中継を眺めた。
カウンター内の女性はハイテンションでキビキビとテーブル席のウェイターからのドリンクオーダーをこなしている。冗談を交えながらテキパキとドリンクを作り、「さあ持ってけ」と声をかける。ウェイトレスとはお互いに「THANK YOU !」と声を掛け合ってのやりとり、見ていて気持ちのいいものだった。オープン直後だったからだろうか、このレストランの従業員の働きぶりは非常によかった。すごい勢いで料理を運んでいく。厨房は見えなかったが活気のある様子が感じられた。彼らの働きが教育によるものだったら、指導したマネジャーの腕は相当なものだろう。少なくともアメリカに来てこれだけ一心不乱にしかも楽しそうに働くウェイトレス、ウェイター達は見たことがない。

そのうち、スープを持って若いウェイターがカウンターにやってきた。カウンター内のお姉さんはドリンク作りにかかりっきりで中々手が離せない。と、ウェイターに向かって、「Hey! そこのYoung Guyに持っていって。」とこちらを指差した。ちょっと気分を良くした日本人1人あり。

勧められるままにビールをもう1杯注文。1リットル近くありそうなビールだから、2杯飲み終えた頃には少し酔う。会計は税込み16ドル。チップを入れて20ドル渡して店を出た。店は超満員で何十人も客が並んでいた。


そのまま歩いてホテルに帰った。
朝を迎えた日本からの電話で、ほろ酔いの気分も一気に冷めてしまった。が、こんなディナーもたまには悪くない。






Kyosuke