嗚呼!米国駐在員。
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2005年11月30日(水) 出張の1日

朝7時半のフライトでコネチカット州へ。

いつもの朝の空港の光景。IDを出して本人確認の後、セキュリティへ。わずかな時間で手際よくラップトップをカバンから取り出し、上着と靴を脱いで、財布や携帯などポケットのモノも全部取り出す。これに慣れていない人がいるゲートは長蛇の列。旅行慣れした人が多そうなセキュリティゲートに並ぶのもポイントだ。今日は何故か靴が引っかかって、検査員のおばさんに細かく調べられた。そんな汚い革靴に、ナイフなんてしのばせてないって。


飛行機は3人席が1人で使えて快適。航空会社の経営難によりどこのエアも便数をギリギリまで減らしているので、隣が空いているのは本当に珍しい。ほとんど眠っていたので2時間のフライトがあっという間だった。

空港からはいつものHeartsのレンタカー。Hyundaiが当たりませんように、と願って自分のナンバーに行ってみると、そこあったのはChevy。考えてみればどっちもどっちだ。取引先に行く途中のハイウェイは実に快適。昼食は途中のマクドナルドを見つけて入る。好きではないけど、あたりもはずれもなく考えなくてもいいから、いつも地方に行くと結局はこうなってしまう。もう何百個食べた事だろうか。いかにも人のよさそうなアメリカ人オヤジが、何杯もコーラをRefillする。



昼からの商談を終えて、空港近くまで戻ってホテルにチェックイン。
ネットのケーブルが部屋にない。フロントに電話をすれば、「取りに来い」。1階のフロントまで行ってケーブルをもらい、部屋で試すが繋がらない。電話をすれば、「そんなはずはない。」
最後にはマネジャーらしきに部屋に来てもらった。「やっぱダメみたいですね」。結局部屋を代えてもらった。こんなやりとりも日常となっているから、面倒くさい、とも思わないし、腹も立たない。


なんでもないアメリカでの出張の1日が、それはそれで楽しいものだ。


2005年11月28日(月) 城島(登録名ジョージ?)のメジャー挑戦

キャッチャーは日本人がメジャー挑戦する上で最も難易度の高いポジション。

投手とのコミュニケーションは必須であり、ほんまにやっていけるんかいな、という見方をしている人は少なくないだろう。実際にアメリカで仕事をしてみると、拙い英語を聞いてくれようとする親切なアメリカ人がいる反面、うまく喋れないと全くバカにして相手にしないような人も多いのが実態だ。野手は打つだけでいいし、投手はサインどおりに投げればいい。しかし、キャッチャーは自分の出すサインの意味を投手に理解させなければならない。城島はダイエー時代、データ収集のために捨て試合で勝敗を度外視したリードをして長いペナントレースに生かしたのだが、そんな「手段」も投手の理解無しには難しいだろう。圧倒的に「経験」が必要なポジションであり、即戦力で時間のない城島がどこまで言葉の壁をクリア出来るか。


しかしその一方で、「力」さえ証明出来れば、年齢や性別、国籍に関わらずに素直にそれを認める懐の深さをこの国は持ち合わせている事を忘れてはならない。


幸い城島の場合は打者としてメジャーでそこそこ活躍出来る実力があると思う。97年以降は打率3割以上が6回、30本塁打以上が3回。マリナーズの捕手、トレアルバの2割3分4厘、3本塁打よりは活躍が計算出来るだろう。
確かに、英語が喋れないよりかは喋れたほうがいいに決まっている。

しかし、城島の場合は流暢に会話が出来ない事は決定的なハンデにはならないのではないか。持ち味の力強い打撃でチームメイトに実力を証明すれば、投手とのコミュニケーションという「手段」などはすぐにクリア出来そうだ。


また、この国では謙虚さの美徳などまるでない。メジャーとの契約にあたって「正捕手確約、開幕スタメンが条件」と堂々とレギュラーポジションを要求した際に、日本では“自分を分かっているのか”と一部で叩かれたようだけど、アメリカでやっていくにはそれぐらいの自信家でちょうどいいくらいだと思う。こちらでは、狭い島国で作ってきた過去の実績など誰も気にしない。過去のプライドを捨てて大活躍して欲しい。


ちなみに、城島健司の登録名は「GEORGE McKENZIE」になるとの噂がある。(ジョージ・マッケンジー = 城島健司)
これまでの日本人選手は登録名も本名と一緒。そろそろ、英語名(ジョージ)で呼ばれる日本人メジャーが出てもいいのでは。 












2005年11月27日(日) テレビで久しぶりに日本を見た

思わぬ所で久しぶりに日本を思い出した。
ミッシェル・ウィーが出場した日本の男子ゴルフツアー、カシオワールドオープンがこちらでも中継されたのである。

画像は日本のテレビ中継に使用されたものがそのまま放映されていたので、全て日本語の表示。実況は日系アメリカ人、解説は日本人だったのだが、どちらもお粗末な英語でとても聞きづらくてお粗末。これじゃあ、アメリカ人なんて誰もまともにこの中継を見ていられなかったのではないか。

ただ、結果的には1億円のギャラで出場してもらった16歳の経済的効果はそれなりにあったのだろう。ESPNでは高知の簡単な紹介もあったし、ウィーの夕食光景でうまそうな鰹も放映された。高知空港は入国審査が出来ないのに、2000万円かけて自家用ジェットでの入国を許可したVIP待遇を行ったとも報道されたが、日本でもこのツアーはそれなりに大きな扱いをされたのではないだろうか。


それにしても、久しぶりに日本でのゴルフ中継を見て感じたのは、セッティングの甘さ。フェアウェイを外しても簡単にリカバリー出来るラフ、というより、草が枯れきってしまっていたのだが。ラフからウェッジで簡単にグリーンオンしてしまうコースもどうかと思うが、グリーンもピン位置もやはりPGAとは差があるように思えた。世界でも有数のゴルフ大国日本なんだから、もう少しセッティングを厳しくして世界で戦える選手をどんどん生み出して欲しいと思う。まあ日本のゴルフはスポンサーの為のもの。セッティングが厳しくてバーディの出ない大会は面白くない、という理由でどんどん我がままスポンサーのいいなりで大会が運営された結果がこうなったのだろう。

選手でいうと、「お先」パットをみんなよくやる。
そういえば日本ではそうだったなあ、なんて思い出したのだけど、タップイン出来ないようなパットは必ずマークするPGAの選手を見慣れていると、「オイオイ、そのまま打っちゃうんかいな。」とこちらが慌ててしまう場面が何度もあった。これは、相手を待たせちゃいけない、なんていう謙虚な国民性が出ているんだろうか。後、どうでもいいけど、みんな「ダサイ」。なんじゃあのファッションセンスは。横田真一なんてガマガエルやで(これは顔か)。58歳のジャンボがまだマシで、後はひどい。プロなんだから、もうちょっと見た目にも気を使えないものかね。また、2ボールパターもはやっているようだった。

まぁ、狭い日本と土地がくさるほどあるアメリカでゴルフを比較する事がナンセンスであろうが、色んな意味で日本を思い出した。


そうそう、ウィーが予選落ちでどうでもよくなったこの大会だが、そういえば一体誰が優勝したんだろうか。テレビの中継も決勝ラウンドからはなくなってしまったからなあ。




2005年11月26日(土) ショッピングモールの駐車場は大混乱

本日も朝からショッピングに繰り出した。
昼が近づくにつれて、数万台かはあると思われる駐車場が満車になるほどの混雑振り。それは、日本の混雑とはちょっと異なる。本当に「大混乱」である。



日本なら駐車場に「満車」という表示が出て、その後に到着した車はお行儀よく列を作って順番を待つのが普通だ。ところが、ダウンタウン郊外のこのモールは、そもそも無料駐車場がビルの周りを360度にぐるりと囲む形になっているため、あちこちに設けられた出入り口から無秩序に車が流れ込んでくる。そこには誘導する係員などはいないから、運転者はその無限に広がる途方もなく広大な駐車場の中で、開きスペースを求めてウロウロと車を動かせなければならない。

そこには早い者勝ち、という世界がない。運とタイミングだけだ。駐車場を出そうな車を見つけるしか、自分の居場所を確保する方法がないのである。よって、昨日や今日のショッピングシーズンに満車の駐車場に入ってしまった車が効率的に駐車スペースを見つける為には、買い物を終えてモールから出てくる客をマークしてそろりそろりと尾行する事になる。そして、その車というのは当然何台もある訳で、そこではすさまじい駐車スペース争奪戦が繰り広げられるのである。普段は週末でも1台で数台分のスペースが使えるほどだから、こんな事態が起きるのは年にこの時期だけ。特別に誘導員を雇えばいいのに、とも思うのだけど、駐車場があまりに広大で出入り口も多いからどうにも整理のしようがないのだろう。


今日は運良く早い時間に到着したのであっさり駐車出来たのだが、モールを出た時にはまさに大混乱。何台の車かがさっそくこちらに目をつけるが、既に駐車場の中にはウロウロ車が何台も連なっていた。自分の荷物を車に入れて見ると、既に数十メートル先には指示器を出した車がこちらが出て行くのを待っていた。後ろには5台くらい車が詰まっていたがお構いなし。「私は絶対に動かないもんね。絶対ににあの場所に駐車するからね!」という運転席のおばちゃんのオーラがすごかった。



こんな駐車場での争いを見るのもこの時期の楽しみかもしれない。なんだかんだといいながら、昨日に引き続き本日はコートをお買い上げ。

この4連休で色々読もうとしていた本があったんだけどなあ。気がつけば明日が最終日だ。






2005年11月25日(金) ショッピングシーズン到来!

Thanks Giving明け。
覚悟を決めて凍てつく朝に出発し、車で40分ほどのアウトレットモールへ。午前8時では遅かったか、既に高速の出口まで買い物客の車が連なっていた。

アメリカに来てからこのシーズンにショッピングをした事がなかったので、初めてこの‘大イベント’がどんなものか「ちょっと見物」するつもりだったのが・・・



気がついてみると以下お買い上げ。


CALVIN CLEIN     皮ジャケット 1着
PERRY ELLIS     シャツ 2着
Brooks Brothers    スーツ    2セット
           シャツ    3着
GIORGIO ARMANI ネクタイ   4本
Johnston & Murphy 革靴     2足
           ベルト    1本



どんどん買いものする周りのアメリカ人に引っ張られるように、これでも相当迷って迷って購入。
1日でこれだけ衣類を買い物したのは初めての事で、結構気持ちよかった。バーゲン好きなOLの気持ちが少し分かったような気もした。

有難いのは、これだけ両手一杯に買い物しても、モール横の駐車場に乗っけて車でスイと帰宅出来た事。
電車が必要な日本だったらこんなに買い物は絶対しないだろう。


それにしても安くて驚いた。これで儲かるんだろうか!?と思ってしまう。

アメリカにいてよかった、と思った1日。



2005年11月24日(木) Thanks Giving / ありがとう

今年もThanksGivingがやってきた。

今日から4連休。この日は同時に、明日からのホリデー・ギフトシーズンの幕開けを意味する。そして同時に、仕事上では年末までの「だらだら期間」の開始も意味する。

この連休、アメリカ人は家族で集まってターキー食って、なんていうことをしているようだけど、アメリカに住む異国人にとっては旅行でもしない限り過ごし方に困ってしまう。ほとんどの店は閉店、外は‘バナナで釘が打てる’状態(マイナス数十度)、テレビもつまらない。日本で正月を迎えるガイジンは、ちょうど同じような気分を味わっているのだろうか。




先日、会社帰りに髪を切りに行った。
ちょうど店内に入ると、中高生くらいの日本人の女の子が支払いをしているところだった。

親から渡されたのであろう、ビニール袋に入った米ドルを取り出して支払いを済ませた彼女は、携帯電話を取り出した。

聞かずとも会話する内容は分かる。


「あ、お母さん、今終わった所。お願いします。」


誰かに迎えにきてもらわねば、彼女は家に帰るどころか店から一歩も動けない。

そのうち携帯がなった。お母さんが到着したのだろう。


女の子は店を出る前に店内に向かって、

「どうも有難うございましたぁ。」

と、言って出て行った。


いい光景だった。


親に反抗したい盛りの世代。日本にいれば、親の力など必要とせずに美容院くらいいける。しかしココでは、どこへ行くにも親の力が必要だ。そして、誰でもどこでも気軽に「Thank you」という文化が身についているから、自然に店を出る前に感謝の言葉が出てきたのだろう。




2005年11月23日(水) 通勤途中の危険

深夜に降った雪がうっすらと積もる中での今朝の通勤。
車は4連休前でいつもの半分程度か。2車線の右側を走っていたら、左車線のやや前方を走っていた車が突然前方に割り込んできた。



あ、ヤバイ、ぶつかった。



と思うと同時に反射的にハンドルを右に切ってクラクションを思いっきり鳴らしていた(器用だな)。
ぶつかる寸前で相手の車は自分の車の左バンパーをすりぬけて入ってきた。ハンドルを切っていなければ100%ぶつかってやっかいな事になっていただろう。相手も絶対にヒヤッとしたはずだ。気がつくとそのままクラクションを鳴らしっぱなし。アメリカでは意外にクラクションは鳴らされないから、結構響いて目立った。



危ねえなあ。ったく、どんなボケや!



ウィンカー無しで割り込みされるのはよくあることだけど、もう少しで事故になったと思うと、今日という今日は頭にきてそのボケづらを拝みたくなった。

前に割り込んだ車は、何故か突然スピードを緩めてトロトロ走り。なんじゃこいつは。

こちらも左車線に出て追い抜きがてら、ボケ面を横目で見る。そこには安物の革ジャンを来た通勤途中の白人男性が、"見ないで下さい、スイマセン、スイマセン・・” オーラを出しながら、絶対にこちらに視線を合わさないようにして運転していた。完全に顔が硬直しているのが分かる。

その車を抜いて再度右車線に戻る。かなりスピードを落として走っていたのに、後ろにいるその車との車間距離はどんどん離れていく。あんなに先を争うようにハンドル切ってきたのに、もしかしてビビってる!?

まあ状況と危険度からして、こちらの車が死角に入って気がつかなかったのだろう。でなければ、あんなにすれすれに入ってこなかっただろう。そう考えて気持ちを切り替えた。




こういう場面に遭遇するたびに、もし事故になっていたら日本人の自分では被害者にはならないという可能性もあるかもしれない、という不安を感じる。

英語で完璧に言いたいことを説明出来るか、ポリスが差別するんじゃないか、という不安。


それは日本にいては感じられないモノである。




2005年11月22日(火) この国が誇れる産業とは? - GMリストラ

アメリカの象徴といってもいいだろう、自動車最大手のGeneral Motors(GM)。

昨日発表されたのは、2008年までに9工場を含む北米12拠点を閉鎖するなどの大規模リストラ策。工場労働者はなんと約3万人がリストラされる。






まずこの一報を聞いた時、「過去」にこだわる日本では考えられないようなスピードで世界を代表する大企業が随分と思い切った決断をしたものだ、という印象を持った。リストラを発表したChairman、ワゴナー氏の、“won't run and hide(逃げも隠れもしません)”は、いかにもトップの毅然たる発言そのもの。

日本でトヨタが経営不振に陥ったとしても、一気にこんなに大胆なリストラは可能だろうか。いつでも「過去」にこだわってなかなか抜本的な改革が進められない日本と異なり、このスピード感はさすがアメリカ流経営だ、と妙なところで感心した。


ただ、GMの状況は非常に深刻、まさに「倒れかけの巨像」だと思う。
今年9月までの合計赤字額は既にUS$3.8Bil (4500億円)。退職者まで面倒を見ている医療費負担も重く、いつ倒産してもおかしくない状況。

かろうじて国を挙げて世界一の自動車メーカーの看板を必死に守ろうとしているが、もう防戦一方である。株価は一時、ブラックマンデー(1987年)直後の水準となる20.6ドルまで下落。なんと18年ぶりの安値となり、ジャンクボンド扱いをされているという記事が出た。

自動車販売だって新車1台US$3000以上も値引きしてたたき売っているのに、10月の販売は2割減。マーケットシェアも下落の一途。消費者は故障が多く魅力のない車に完全にそっぽを向いている。リストラは人員だけでなくて新モデルの開発も一部無期限延期となった。もはや、将来がないメーカーなのである。


全世界で年間900万台を生産するトヨタが世界一の座につくのは、もう時間の問題である。もっとも、トヨタの本心はこんな落ちぶれメーカーなど相手にしていないのだろうが。




それにしても、アメリカを代表する企業がここまで落ちてしまうと、もうこの国の製造業は何があるんだ?という感じだ。

自動車のみならず、家電、鉄鋼、機械、軒並み世界で生き残れる状況ではない。結局は、医療、卸売・小売、金融・保険を含めたサービス業しかこの国には残らないのか。

「権利」ばかりを主張してすぐにストや訴訟をする組合従業員のモラル。大きく足を引っ張っているのは事実だろう。

それが文化だ、といってしまえばそれまでだけど、会社がつぶれそうでも自分達の権利だけを要求してストを行う。今回のGMのリストラ発表に対しても、早速 “UNFAIR”との声明を発表した -「俺達の責任じゃない」。そんなことばかり言いながら結局は全員共倒れになって、一体何が楽しいのか。

ブッシュだって石油と戦争だけでなく、もう少しテメエの国の産業を心配したらどうなのかね。ダンピングによる国内産業保護ばかりしていては、強い企業は出来ない。大国だからって偉そうにしている状況ではないだろうにねえ。

でも、なんだかんだといっても、ここは(経済的に)強いアメリカの復活を期待したい。いくら売れていない、とは言ったって、GMという会社は今でも1日平均1万2000台を販売(米国内)する自動車メーカー。それでいて、CORVETTEなんていうトヨタには逆立ちしても作れない車を作るんだから。









2005年11月21日(月) クリスマスパーティの場所を巡って

いよいよ11月も下旬に突入。
日本ではそろそろ忘年会の予定が埋まり始めている頃だろうか。あれだけ面倒くさくて嫌だった忘年会だが、勝手なもので今から思えば懐かしいものだ。仕事を忘れて鍋なぞを突きながらワイワイと。そして2次会、3次会。朦朧としながら出社して、そして次の日も同じ繰り返し。

そんな世界とは全く無縁なここアメリカ。
代わりといってはなんだけど、クリスマスパーティというものが社内で企画される。社内の全員が集まって食事をする年に1度の機会。何のことはない、ただ夕食を食べに行くだけだ。

場所や日程は日本と同じで全員の意見なんて聞いていてはまとまりもつかない。そうだ、誰かが強引に決めてしまわねばならない・・・そんな考えが間違いの始まりだった。

12月でもせわしなく出張や来客の予定が入っているのは日本人駐在員だけ。いつもの悪い癖なのかもしれないが、日本人だけで日程とおおよその場所を決めてしまって、現地スタッフに伝えて打診することにした。ところが出るわ、出るわ、文句の嵐。

提案した日程。いつものように彼らは就業後は何の予定のないようなので、なんと全員問題無し。これはクリア。

問題が場所である。家族も連れて会社の厚生費でタダ飯が食えるとあって、いつも見事な自己主張をされるアメリカ人たちは黙っちゃいない。出てくるレストランの名前は、普段は行かないような少々値のはる所ばかりである。


「あのレストランは前に行ったけど今ひとつだわ。Aなんてどお。」

「でもAは料理がスパイシーだからちょっとねえ。今年はFにしましょ。あそこおいしいわよ。」

「ダメダメ。絶対。Fの料理はうちの旦那が苦手なの。」



知るか!!



最後にはスタッフが集まって激論が始まった。もう仕事は当然そっちのけである。自分の意見を聞いてもらえなかったオバサンは、プイとすねてタバコを吸いに外に出てしまってなかなかオフィスに戻らなかった。そういえば、日本でも忘年会の場所なんて男は気にしないけど、女性へのおうかがいは必要だったな。


結局は中華だとか日本料理だとか、日本人駐在員が望んだアジア料理は一切ダメ出し。彼らが喜べばいいからそれは全く問題ない。


で、結局どうなったかといえば、何の変哲も無い肉の塊を食いにいくことになった・・・・って、毎年一緒かよ。どこで食っても一緒だと思うのだけど、彼らにとっては違うらしい。



決まった獲物は狙い撃ち。狩猟民族アメリカを思わせるシーンであった。 君達、仕事も狙い撃ちしてくれよ。



2005年11月18日(金) アメリカ人のだらだら書き

ようやく金曜日に「たどり着いた」。
今週になって雪は降るし、気温もマイナス10℃を下回るしで、一気に寒さが厳しくなったからだろうか、何となく疲れがたまった1週間であった。



アメリカ人で不思議なのは、ほとんどの人がだらだら書きを好むようだ。

彼らにどこかの場所を教えてもらう時、日本人の場合なら簡単に地図を書いて済ます事を、アメリカ人だと「北へ2マイル行った交差点で西へ曲がってそのまま3マイル行って・・・・」と、だらだら文章を書いて説明する事が多い。

出張に行く際にお世話になるMAP QUESTで目的地を調べる際にも、日本人は地図をプリントアウトしていくのに対し、アメリカ人同僚はいつも文章での指示だけを持参していく。位置関係などまるで気にしていないようだ。

今日、取引先にある案件に関する質問をメールしたのだが、分かりやすいように、A)B)C)・・と分けて、内容別に箇条書きにまとめて送信した。それに対して、だらだらと順不同で、段落が変わることもなく一気に文章化して返答が来た。まあ、回答が来ただけマシなのだが、こちらが内容別に丁寧に分けて質問した気遣いは全く無視されたようだ。こうしたケースは非常に多い。プレゼンでも、グラフやチャートで数式化する日本人に対して、彼らは何故か文章だけで非常に分かりづらい。


最初は単なる個々人の性格だと思ったのだが、どうやら違うようだ。意外にアメリカ人はこういうタイプが多い。前から不思議に思っているのだけど、何故だか分からない。それとも、すぐに図表化や分別化をしたがる日本人が細かすぎるという事だろうか。


2005年11月16日(水) プロは金額で評価されるべき

松井秀喜のヤンキース残留が決まった。

入団時は3年2100万ドル。
この3年間の堂々たる実績を引き下げて、3年3150万ドルの当初提示条件から、最終的に4年5200万ドル(約61億8800万円)で再契約に合意した。これでイチロー(4年4400万ドル)をしのぎ日本人メジャーリーガー最高額となった。

当初の条件から度重なる球団と代理人との交渉の末、球団は年俸換算で約3億円の上積みを最終的に提示。それだけ松井は必要なプレーヤーであったということ。その裏では、我々には分からない金銭面以外の色々なやりとりもあった事だろう。日本では確か横浜の佐々木投手の6億5000万円が最高額だったが、松井の総額を年俸換算すると1300万ドル(15億4700万円)。

なんとも庶民には想像もつかない金額であるが、世界の人間に夢を与える事の出来る貴重な人間の価値はもっと高くてもいいのかもしれない。

しかしながら、日本で報道されたこのニュースを見て驚いた。


「結局は金」

「マイナスイメージ」


何を言っているのか。

球団が選手をどれだけ必要とするかの尺度は球団の提示金額が大きな基準となる事は間違いない訳で、プロとして金額で自分の評価をされることを望んだ結果が何故マイナスイメージなのだろうか。「松井君はどうしても必要だ、お願いだから残ってくれ。」と言葉だけでどんなに評価されたって、結果として何の価値もないと思うのだが違うだろうか。

カネに汚い、なんてすぐに短絡的な評価をしてしまう。
これじゃ、日本もアメリカと対等にやっていけない。








2005年11月14日(月) タイガー・ウッズの出場料

先週末に中国で行われた欧州ツアー、HSBCチャンピオンズを2位で終了したタイガー。最終日を終えた13日に、上海からそのまま自家用ジェットでダンロップフェニックスの会場、宮崎入りをした。

ちなみに中国でのツアーは、4日間ともアメリカでも生中継された。
時差の為にちょうど米時間の夜に中継が始まるから、4日間ともTV観戦する事が出来た。

気になったのはウッズのスイング中に写真を撮ろうとするギャラリーが多かったこと。キャディのスティーブが何度も怒鳴るのだが、「ギャラリーは英語が分かりませんから」という解説者にも妙に納得。何度も仕切りなおしを強いられたウッズで相当フラストレーションがたまったと思うが、「ギャラリーの多くの方はゴルフを見たことがないだろうから、しょうがない。」というコメントであった。世界のトップは言うことが違う。





そのウッズ、ダンロップフェニックスの出場料は、なんとUS$3Mil (3億4500万円)!!

出るだけで300万ドル、である。まさに出場ギャラは史上最高。その他に、宮里藍とのテレビマッチなどにも出るそうだから、荒稼ぎの日本ツアーである。ちなみに、優勝賞金は4000万。優勝してもはるかにウッズのギャラには追いつかない。

4年でUS$48Mil(56億円)を蹴った松井秀喜流に言えば、それだけ‘タイガーウッズ’というプレーヤーがこの大会に必要とされた訳であり、タイガーにその誠意が通じたということであろう。

これだけもらっても、それでも勝つのがタイガーだ。去年はこの大会で優勝して復活のきっかけをつかんだ。この2週間は連続2位で好調はキープされている。今年もやってくれる事だろう。そういえば今年は賞金王、獲得賞金だけでUS$10.6Mil、昨年に引き続き総額でUS$100Milを越える収入は間違いないだろう。


それにしても、ダンロップ、アメリカでも中継してくれないかなあ。
久しぶりに日本のオッサンギャラリーの「ナイスショッ!」の掛け声も聞きたいし。


2005年11月13日(日) 冬到来 / 駐在員と英語ペラペラ

予定の無い週末。
土曜日は気温が上がり風も無かったので久しぶりのゴルフ。午後1時を過ぎると天気予報通りに空は真っ暗、風が突然強くなったが、その前にタイミングよくハーフを終わって今シーズン最後のゴルフは終了。今週は気温も氷点下になりそうだし、火曜日は雪の予報。この時期に出来たのが奇跡であってさすがに今後はもう無理だろう。

皮肉なもので、最後のラウンドでドライバーの感じがつかめた。下半身主導を意識するあまり左の壁が流れてしまうという悪い癖が治らなかったのだが、長い紐の先にボールをつけてそれを振るような感覚(つまりゆっくり)で打つと、ボールがあちこちちらばらなくなった。せっかく掴んだ感覚も、長い冬を終えて来年の4月にはすっかり忘れているのだろう。

日曜日は強風で駐車場からスーパーへの数メートルを歩くのさえキツい。忘れていたこの地域の冬の厳しさを思い出してきた。


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アメリカに住んで2年半が経過。
久しぶりに日本の知人と話をすると、ほぼ必ず聞かれるのが、「英語ペラペラ?」。

「ハイ、ペラペラです。」などとはとても回答できないレベルなのだが、とはいえ、「いいや、全く。」 というのも逆に嫌味だし、私は何もしていません、と言っているようで好きではない。そもそも、ペラペラというのはどのレベルだろうか。この質問に対しては、時と状況と相手によって適当に返事しておく。


確かに、駐在前よりかははるかに喋れるようにはなった。いや、喋れるというよりも英語の抵抗感は全くなくなった。アメリカが生活と仕事の拠点だから当然だ。
けど、文法は滅茶苦茶だ(と思う)。

どうも人からは、駐在すれば会社のスタッフや取引先のアメリカ人から、英語を教えてくれるのだろう、間違いがあれば指摘してくれるのだろう、と、思われがちなのだが、実はそんな事は一度もない。

自分は仕事でアメリカに来ているわけであって英語を勉強しにきているわけではない。彼らから、仕事の間違いは指摘されることがあっても、英語までは面倒を見てくれるわけではないのである。


という事で、英語はちゃんと自分で勉強しなければならないなあ、と思っている。思っているだけじゃいけないのだけど。


2005年11月11日(金) ガソリン価格の低下

今日はVeterans Dayだとかで、学校や銀行、官公庁は休み。
取引先も休みのところが多く、ただでさえ動きの少ない金曜日がいっそう暇であった。ロスの駐在員も暇だと言って用事もないのに長電話。ちなみにVeterans Dayとは退役軍人の名誉をたたえる日だとか。

それにしても、午後4時半でもう外は真っ暗だ。サマータイムが終わって一気に冬が近づいてきた。



ガソリン価格が急速に低下してきた。
ハリケーン「カトリーナ」がメキシコ湾岸の石油施設を襲った時、全米の平均ガソリン価格がガロン3ドルを超えたのだが、現在の平均価格は約2.45ドルまで下がってきた。去年は2ドルそこそこ、それから比べればまだまだ高いはずなのに、安くなってきたなあ、と感じてしまう。

アメリカの消費者も敏感に反応しているようだ。
新聞によると、燃費の悪いSUVの人気が再燃しているわけではないが、一時盛り上がった消費者の省エネ意識が低下しているようであり、この数ヶ月販売が好調であった燃費のよい小型車の売上げが若干落ちてきたようだ。 

11月24日のThanks Givingからクリスマスにかけては、日本とは比較にならないほど大規模なショッピングセールが全米で繰り広げられる。昨年水準から比べればガソリン価格はまだまだ高いのに、こうして少しでも値段が下がってきたのをみて、ついつい財布の紐をゆるめてしまう我々のような単純な庶民も多いはずである。これもお上の思うツボなのか。



2005年11月09日(水) そこまでするかね

同僚とランチの後、店の前の駐車場に止めてあった車に一緒に乗り込んだ。

と、その瞬間、血相を変えてなにやら大声でわめきながら兄ちゃんが店から出てきた。 周りには誰もいない、そう、こちらの車に向かって一直線。

兄ちゃんは店の店員だ。


何事かと思って窓を開けると、


「チップが足りない!!後1ドルは必要だ!!全部で19ドルだ。」
と、レシートとこちらが払った紙幣を振り上げてわめく。


会計は税込み計16ドル50セント。食事代にチップを加えて確かに合計19ドル出したはずだ。ヤツの目の前で紙幣を数えたら確かに19ドルあった。

腹が立ったので無言で付き返すと、兄ちゃんはバツの悪そうに、「Sorry」と言って店へ戻っていった。



そう、この店はChinese Restaurant。店員はやっぱり中国人。

それにしても、チップなんて心づけじゃないのかね。例え18ドルだったとしても、会計より1.5ドル余分だろうが。お茶がなくなっても注ぎに来ない、チェックもやたらと待たせるようなお粗末な対応のこの店で、何があと1ドルチップよこせ、だ。 それも、駐車場まで追っかけてくるかねえ。


もう2度とこんな店行くか、と普通はそうなる。
しかし、飯は周りのレストランの残飯食に比べればまだまともなんだよなあ。選択肢がないというのはツライ。



2005年11月07日(月) ロンとヤス

取引先の人が自分のファーストネームを呼ぶ。

これは親しくなった証だろうか。- いや、とんでもない。

単なるアメリカの習慣であるから、勘違いしてはいけない。
会ったばかりの大企業のお偉いサンだってファーストネームでこちらを呼んでくれる訳だし、レストランの座席についたらウェイトレスが、「ハ〜イ、私の名前はキャッシー。あなた方のテーブルを今日担当させてもらうわよ。」と挨拶してくる。訳の分からない飛び込みセールスの電話だって、「やあ、俺の名前はボブ、あんたは?」なんてのを平気で言ってくる。

最初はいちいち、いやあ、アメリカってのは社交的だなあ、みんなフレンドリーだ、なんて思った一方、赴任当初はなかなかこちらから相手をファーストネームで呼ぶなんてのも躊躇した訳だが、今ではすっかりと慣れてしまった。言葉だけではなく、メールでもLAST NAMEが出てくる局面はほとんどない。たまに大事な案件で相手を敬うべく、ATTENTIONにMr. なんてつけてみるのだが、なんだかよそよそしいだけかもしれない。相手はこちらの気持ちを分かってくれているとは思えないようだ。

テレビのアナウンサーが「シンゴ」と言っているのを耳にして、「ああ、元ホワイトソックスの高津臣吾か」と思ったら、画面上にはカーボーイハットのプロゴルファー「片山晋吾」。ああ、そういえば2人とも同じ名前か、と改めて思ったこともある。
見知らぬアメリカ人から、こちらが日本人と分かって、「デェッキィはいい選手だなあ」なんて話かけられて最初は訳が分からなかったが、これはヤンキースの松井秀喜のことである。とはいえ、イチローの事を「スズキ」と言ったりする事もあるからよく分からないのだが。

とにかく、日常ではあまりにファーストネームが根付いているから、ラストネーム(名字)はもはやどうでもいい感覚がある。
取引先に、こちらのラストネームは何か覚えているか、と聞くと、分からない、という人は多いし、自分でもよくよく考えてみたら、毎日会話している同じ社内のアメリカ人のLAST NAMEも自分は分かっていない。

それが実態だ。


俺達はロンとヤスと呼ぶほど親密な仲だ - と、一昔前の総理が自慢していてさすがナチソネだなあ、なんて思ったのだが、今から思えば何てことない話だ。


2005年11月02日(水) 白いご飯

ピッツバーグ、インディアナ、ミシガン、オハイオを出張巡回中。

4日で国内線飛行機5本、車での走行は全部で少なくとも800マイルは走っただろうか。広大な田舎は風景もほとんど変わらない。ぼんやりしていると今どこにいるのか分からなくなってしまうのも冗談ではない。それにしてもこの国土の広さというのは体験してみないと分からないだろう。

それにしても何より飽き飽きしてきたのが、食事。

朝昼は毎日ファーストフード。ウェンディーズにマックの連続。それでも、訳の分からないレストランに入るよりかはマシだろう。
そして夜は肉のポテトの塊ばかり。さすがに胃も悲鳴を上げてきた。アメリカ人ってのは毎日こんな食事でよく飽きないものだ。日本からの出張者はとっくに音を上げている。


贅沢は言わない。

白いご飯に味噌汁で十分だ。かけそばでも良い。シンプルな食事にこれだけ飢える事が、これからの人生の中でどれだけあるだろうか。




Kyosuke