嗚呼!米国駐在員。
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2005年07月29日(金) オイル交換ひとつで差の出るトヨタの強さ

どうも通勤車の調子が悪いと思っていたら、MAINTNANCE REQUIREDのランプがついた。
ああ、オイル交換だ。

そういえば、昨年11月に新車を買って以来、一度もオイル交換をしていない。通勤専用車といっても、5000マイル(8000km)もオイル交換無しではさすがに車も悲鳴を上げたか。

出勤前にトヨタのディーラーに行った。サービスセンターに行くのは初めてだ。

平日の午前8時前だというのに、既にサービスセンター入り口には車が何台も並んでいた。アメリカの常識ではこうなると絶望的だ。どうせ、まるで空気のような扱いを受け何時間も待たされる。

ああ、こりゃダメだ、出直すかな、と思いきや、奥の方からサービスセンターの人間がさっと出てきて手際よく先導してくれた。言われるままに車を止めると、「今日はどうされましたか」と聞いてくる。

「オイル交換を」と言って、サービスカードを出すと手際よく書き込みをした。

サービスカウンターに行くと、カウンターが3つあった。YELLOW TEAM / BLUE TEAM / GREEN TEAM と名づけられ、それぞれのカウンターでマネジャーが顧客の対応をキビキビとしていた。 ははあ、チームごとに競わせているんだな。うまく考えたものだ。競争好きなアメリカ人だから夢中で顧客獲得してるんだろう。当然、収入のインセンティブが効いているのだろう。

「あ、そういえば、メンテナンスが必要、っていう変なランプがつくんだけど」と言うと、「既にチェックしてますから御心配なく」と答えた。抜かりない。

そうこうしている間に車は奥のメンテナンス工場への運ばれて、既にオイルの抜き取りが開始されていた。実に手際がいいのに感心した。アメリカに来て数え切れぬほどオイル交換をしているけど、こんな扱いは今まで受けて事がない。

日本では当たり前のサービスが、米国では非常に新鮮である。

トヨタが北米で売れている。目に見える勢いでビッグ3のシェアを食っているのは、こうしたアフターサービスの充実度も評価されているからであろう。一度こんなサービスを受ければ、アメリカ人だって悪い気がしない。客を客とも思わないような米系メーカーに戻ろうなどとは思わないだろう。

また、トヨタのセールスマンも何人かと話したことがあるが、車のことをよく知っていた。日本からすると当たり前じゃないか、と思うだろうけど、アメリカでは当たり前ではない。移民してきて手っ取り早くありつける商売がタクシーの運転手か車の販売員と言われている。そこらの中古車屋に行けばよく分かる。何にも車のことも知らないセールスマンばかりで、ただやみくもに売ろうとして強引に押し付けてくるだけ。そして次の日にはいなくなっている。トヨタはセールスマンも一定の知識があるようで安心だ。

トヨタの北米販売台数は200万台を超え、日本市場での販売台数と肩を並べるまでになっている。それでもトヨタの北米市場におけるシェアは、10%を超えた段階であり、ビッグスリーの衰えを考慮すれば、まだまだ成長する余地がある。

どこまで強い会社になるのか。


2005年07月27日(水) 米人スタッフが盛り上がっていた理由

朝から米人達が盛り上がっている。

珍しい。一体なんだろうか。

輪の中に入って、何かあったのか?と聞いてみる。


差し出されたのがマクドナルドの1日限定セールのチラシ。ハンバーガーが50数セント、チーズバーガーが60数セント。昼には何をいくつ買うかでお互いに盛り上がっている白人のオヤジとオバサン達。

相変わらず幸せな人たちである。


と、バカにしながらもランチタイムには我慢できずにマクドナルドへ向かってしまった自分も情けないものだ。

駐車場は車が入りきらずにごった返し一般道まで大渋滞。店内はぶくぶくに太ったオッサンおばさんで大混雑。注文したままポケーとカウンターの前に突っ立ったままの怪物たちの合間をぬって店員の前に行く。

1人5個まで、という張り紙が見えた。制限一杯の5個頼むのもどうかなあ、しかもハンバーガーだけ注文するのもなあ、と、誰も気にしていない事を気にするのはやはり日本人。

ちょっと迷って、

「ハンバーガー2個とチーズバーガー2個」と注文。

嗚呼、小市民。

店員の後ろにおかれた机には山のようにつまれたハンバーガーとチーズバーガー。その数200〜300は下らない。店員は山の上から冷え切ったバーガーを手に取り、面倒くさそうに袋に入れて何も言わずにその場に置く。

ポテトも注文しようとしたが、たっぷりと作り置きされたポテトにおしゃべりしながら黒人がドボドボ塩を振っているのが見えて、それ以上注文する気にならずに店をさる。

店内にはハンバーガーとチーズバーガーをそれぞれの手に持って、一口ずつむさぼっては高笑いしている40代白人オヤジ4人組みが見えた。


これぞアメリカである。


2005年07月25日(月) 中国人との正しい宴席

先週に中国に出張した際、訪問先中国企業が宴席の場を設けてくれた。

基本的に中国人は飲み食いの場が大好きなので、声をかけられたらほぼ全員が喜んで円卓を囲んでとてもにぎやかだ。

日本と同じでまずは乾杯をする。
中国ではさんざん酒を飲まされる、乾杯、乾杯の嵐だ、という話で有名だが、意外なことにつぶされるまで飲まされることはほとんどない。習慣として、目があったら乾杯、話が合えば乾杯、というようなものはあるのだけど、意味もなく乾杯乾杯は、なくなってきたのではないかと感じる。もちろん、日本人男子として、売られた乾杯は全てたつ。

田舎の企業、古い人たちは確かに自分らも飲んで人にもやたらと飲ませたがる傾向があるけど、上海や北京など都市部の企業は40歳前後が企業の幹部となっており、自虐的に飲んだり飲まされたりというのはなくなってきたようだ。日本の体育会の飲み、もしくは日本企業の新入社員歓迎会の方がよっぽどえげつない。もちろん、中国でも仲のよい同士はこの限りではない。

次から次へとターンテーブルに乗せられてやってくる料理なのだが、中国人は遠慮なく突っついて食べまくる。骨も食べかけもそのあたりに撒き散らして、最初は、なんて汚い食べ方だ、と驚くのだけど、これが中国流。最初の数皿くらいはお偉いに先に取らせるとして、その後は縁量なく目の前の料理に手をつけても構わない。

そして、料理が残っているから、といって無理に全部たいらげようとしてはいけない。中国では「食べられないほど料理をだした」という事が、正式な客のおもてなしであるから、皿の料理をたいらげると次から次へと新しい料理が注文されることになる。遠慮せずに料理は残すことが鉄則。全く失礼ではない。

話題は、政治を避けて芸能ネタ。
山口百恵とかは未だに人気のある日本人。アメリカに住んでいるというと、中国人の英雄、ヒューストンロケッツのヤオミンの話題はほぼ100%飛び出すので、如何に彼が素晴らしいプレーヤーでアメリカでも有名かを語ってあげる。

ひととおり料理が一服すると、食事をしましょう、と言われる。
えっ、もう腹いっぱい食べたで、と思うところだけど、ここでチャーハンなどの飯か麺類を軽く食すのが一般的。通常は最後の締めは小椀なので、そんなに大量の食事をするわけではない。適当に麺類でお付き合いする。

最後に、杯に残った酒を乾杯して終了。
そんなに飲まされる訳ではないけど、中国酒(白酒)は強烈なので、小さな杯の積み重ねとはいえ宴席も終わる頃にはそこそこ酔っ払う。酔っ払い同士で、時には盛り上がるのだけど、「酒の席だから」という言い訳は中国では一切通用しないので、下手に仕事のことをべらべら喋らないほうがいい。どんなに酔っても中国人の面子の高さは変わらないので、やはり無礼講はいけない。

食事は中国人にとって大事なコミュニケーション。
日本人同士で日本語で日本食、というのが出張者にとって気楽なのだろうけど、できるだけ宴席の場に積極的に参加しましょう。


2005年07月24日(日) 灼熱日曜日

適当に身体を動かしながら旅行後の疲れを取ろうと思った日曜日なのに、気温はなんと104F(40℃)を記録。それでいて風が強いものだから、街中にヒーターがかかっている感じ。

普段は家族連れで一杯の日曜のゴルフの練習場も、客はたったの2人しかいなかった(行くなって)。2人とも日本人。半分くらい打って意識朦朧。
なんだか日本の灼熱をアメリカに持って来てしまったようだ。
明日からも暑くなりそうだ。一体どうしてしまったのだろう。


午後からは大人しくクーラーの効いた自宅にこもって、中国で買った闇DVDの鑑賞。豪華出演陣がうたい文句の「IZO」 - 三池崇史監督

ひどい。つまらない。意味不明。B級映画はいいけども、訳が分からない。冒頭の15分で見切って早送りする気もせずに鑑賞中止。その後、「ごくせん」なる日本のお気楽ドラマ。第3話で睡魔に襲われて挫折。


人民元切り上げに対し、「十分動向に注意しながら中国との契約をすすめろ」とメールで流してくるうちの会社。何考えているんだか。何をどう注意しろってんだ。こんな会社に明日は久しぶりの出社。





2005年07月23日(土) 激動の2週間

8日に米国を出発してから、

大阪、上海、名古屋、上海、大連、上海、大阪、そして昨晩に米国に帰国。

この2週間で飛行機での移動は8回。
仕事仲間や昔の友人、家族、取引先。毎日色々な人と会って毎晩うまいものを食って酒びたり。実に幸せな日々。


日本や中国の喧騒の中で過ごしていると、自分が生活しているアメリカの落ち着ききった広く広大な風景が、とんでもない別世界であるかのような錯覚に陥ってしまう。

しかし、戻ってみるとやはりそこはいつもの日常であった。


なんだかんだと言われても、日本という国から感じるエネルギーは、世界からもてはやされている中国なんかに負けていないと思ったし、日本ももっと自信をもっていいと感じた。


早く時差ぼけと遊びボケを取らなくては。




2005年07月07日(木) 北京 - 平均毎日千台車増加

北京市交通管理局のデータによれば、今年に入ってから北京市では一日平均千台の車が増えているそうだ。
北京市自動車保有量は241万台に達し、中でも個人所有の自動車保有量は165万台を超した。ドライバー総数は373万人。
北京の道路交通事故現状及びデータ統計では、北京経済建設の加速発展と人民生活レベルの上昇が進む中、北京の自動車とドライバー総数も急速に成長する時期に入っている。データでは、新中国が成立した当時は数千台しか無かった自動車も1997年には北京市全体で総数100万台を突破。この間48年。その後2003年には200万台を突破。たった間僅か6年。



中国、特に上海や北京などの都会でないクソ田舎に行った人ならば分かると思うけど、あそこには交通ルールが全くない。(都会でもルールはないが)

もともと、街そのものが自転車で走るようにデザインされている。そこに、自動車が得意げに自転車群をけちらして走るものだから、まさに無法地帯である。クソ田舎は信号なんてないし、あったとしても、住民のほとんどはそれが何を意味するのか分かっていない、単なる飾りか派手な電柱としか思っていない、と聞いた。

こんな田舎まで自動車が増えたら一体どうなるのか。しかも見栄張りの中国人、カネを持っている人間はとんでもなく持っているので1人で何台も買おうとするから、中国の自動車保有量は今後も増加の一方だろう。しかも上海などは駐車場スペースがないのに、どうするんだろうか。日本車をはじめとする輸入車は関税がかかるから、我々から見ても車の値段はおそろしく高い。昔はベンツ、今はレクサスがブランド車らしい。1千万近くするこうした高級車も結構目にする。

でも基本的に運転が下手だから、しょっちゅうそのへんでぶつけたり事故が起きて、道の真中で車停めながら運転手同士があーだこーだとののしりあっている光景は日常的だ。

車がどんどん増えて豊かになって、経済も成長するのはいいんだけど、その前にちょっとは交通ルールとか運転技術の教育をしっかりしないと。

おかしな教育は徹底しているのに。



というわけで、今日からまた中国へ・・・。



2005年07月06日(水) 日本語を話すガイジン

わが社の海外現地法人にも、わずか数人であるが日本語を話すガイジンというのがいる。

アジアなら大して珍しくもないが、ヨーロッパやアメリカの事務所のローカルスタッフだから少し違和感がある。ケント・ギルバード(古い!)のようだ。学生時代に日本に留学していたというパターンが多い。


ある案件で、他の支店にいるそんな現地スタッフに電話しなければならなかった。

頼まれていた事がうまくフォローできずに、要はその事情説明。悪く言えば、言い訳というか謝りの電話だった。


この現地スタッフと話をするのは初めてだ。話では日本語が話せると聞いていたけど、実際はどうだろうか。

「Hello, もしもし ?」

あいまいな出だしで様子を伺った。


「あ、もしもし、こちらマイクと申します。」

ややたどたどしいが丁寧な日本語が返ってきてほっとした。


自己紹介をして、簡単に仕事の状況を説明する。
内容としてはこちらのが圧倒的に不利なのだけど、語学で優位にたっているというのはそれだけでこうした自分のおかれた立場を誤解させる気がする。


なにやってんだ、と怒鳴られるような内容のことを話しても、「ええ、ええ、そうですか、分かります」と、相手からは片言のやさしい答えが戻ってくる。

何か質問をすれば、一生懸命日本語で回答してくれるのだが、質問している内容の回答がうまく返ってこずに会話がかみ合わない。


相手は同じ社内であるのでこちらからは出来るだけ丁寧に接したのだけど、これがセールスしてきた取引相手だったらどうだろうか。
クソ忙しい時にこんなヤツは相手にしてられん、と思うのではないか。


こちらが謝る内容の電話だったのに、最後は「どうも有難うございました」と言われてしまった。



まるで自分を見ているかのようで複雑な気持ちになった。

相手の話が意味不明の時でも、やたらと Yes, Yes, と繰り返す。
英語で文句を言おうにも日本流で相手に気をつかっているうちに何も言えなくなるパターン。そして意味もなく最後に「Thank You」。


海外で苦労している、頑張っているんだ、と思っているのは自分だけで、ビジネスの世界にそんな事情が入り込む余地はない。

そんな事情が考慮されたときは、そのときが認められた時なのだろう。



2005年07月05日(火) 駐在員を背後から狙い撃ちする本社

海外駐在員となると、本社のお偉いと話す機会が増える。そして、その際の違和感を誰もが感じると思う。


違和感というのは年齢とか考え方ではなく、温度差のことだ。


駐在員は、現地で生活してその第一線の現場でさまざまな経験をするのだが、本社というのはそんな現場からほど遠い日本にあり、特に役員なんてのはその中で大きな椅子にどっかりと腰を下ろして、遠く離れた異国の地での仕事を意のままにコントロールしようとする。

季節のいい時期に少しだけ出張に来て、ゴルフと観光の合間に現地視察。それで何でも分かったような気になってしまうお偉い方。

現場での意向を無視して立てられる日本流の事業計画を押し付け、現場から決定権をなくして、あくまでも日本主導でコントロールしようとする。

海外の第一線に立つ現場の判断で、これ以上進めるとヤバイですよ、と警告しても、一旦本社で立てられた計画を変更させるのはほぼ不可能。何とか目立ちたいお偉いがうんうん唸って考えた計画であるから、変更させるのはほぼ絶望的。

日本の本社で腰をおろしているような役員にとって、海外の案件なんて想定外のことは起こるに決まっている。ここは外国、相手は日本人ではない。こんな当たり前な事が分からない。そして、それを進言出来ない周りのオヤジ。

そうこうしているうちに、時間ばかりかかってしまい、何も対応出来なくなって金の垂れ流し。

しまいには、当然のように失敗する事業計画。そしてその責任は現地に丸投げ。何でもっと早く報告しなかったんだ、全然知らなかったぞ、なんて言いながら。


自分の会社がそんな会社でないことを祈りたい。



Kyosuke