嗚呼!米国駐在員。
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2005年06月29日(水) タイガー・ウッズのサインをゲット

毎年恒例、Western Openの練習ラウンドを観戦。

ウッズ、ビジェイ、といった有名選手数名と、その他大勢のPGAツアー選手。練習だけ見ていたら、どの選手も芸術的、パーフェクトである。さすがプロといっては失礼か。100ヤード、150ヤードのグリーンに集まっているボールはほとんど1ピン以内に密集。誰もがかる〜くスイングしているように見えて、ボールはビシッとまっすぐに。ゴルフって簡単なんだ、と勘違いさせてくれる。

ビジェイは相変わらず練習熱心、タイガーは一振りもせずに練習ラウンドへ。それにしてもこの2人、どうしてあんなに球が飛んでいくのだろうか。あまりの迫力と美しさにみとれるほどだ。

プロスポーツがある種目で一番競技人口が多いのがゴルフ。その頂点に立つ人間の恐るべきオーラと存在感は一度目にする価値がある。


収穫はゴルフ界、いや、世界のセレブ、タイガーのサインをゲットしたこと。しかも指紋付き。取り巻きが厳しくて中々サインはもらえないのだが、これはお宝モノだろう。

それにしても、目の前にカメラ近づけてフラッシュたくようなバカなアメリカ人も多かったのだが、慣れているのかタイガーは全く相手にしていなかった。年間95億円も稼ぐ人は、そんなことに目くじらたてない。

ギャラリーは少ないし、日本では味わえない贅沢の一つであった。





2005年06月27日(月) 米人スタッフ、お前は何か勘違いしていないか?


ある顧客とワークしている案件がある。そこで発生した質問事項に対する回答を取り付けるよう社内の米人スタッフに御願いしていたのだが、その進捗状況を聞いてみた。


米人、「ああ、あの件か。とっくに働きかけているから心配するな。」

「で、結局どうなん?」

「メール転送するから、それ見てもらえれば分かるから。」


なんじゃ、客からメールで回答が来ているならさっさと報告せんかい、と思いながら転送されたメールを開く。



と、それはうちの社内の米人から顧客に対して送付されたメールであった。



     …の件の回答を連絡下さい。 以上



おいおい、こちらが聞きたいのは客の回答であって、お前が質問したメール内容じゃないぞ。そんなの全く意味がないじゃないか。

この米人、自分は言われた事を忠実に実行しましたよ、と証明するつもりでこちらに転送してきたのだけど、どうしてこうなっちゃうのかねえ。


これが学校出たての新人ならまだしも、相手は入社後30年近い大ベテラン。
こんなベテランに対して、「自分は客の回答が欲しいのであって、あなたが聞いたかどうかは問題ではない。我々の質問に対する先方の回答を取ってください。」などと、どうして改めて伝えなくてはならないのか。


そして、こうした指摘をしたにも関わらず、

米人「自分は質問したけど、相手は返事をよこさない。自分ははやることをやった。回答してこない相手が悪い。」

と平気でのたまう。というか、なんでそんな事を自信満々に言ってくるのか、さっぱり分からない。全く分からん。これでSales Managerとはよく言ったもんだ。確かに権利の主張は超一流だが。



そして、いつものように午後5時ピッタリ、

「グッナァ〜イ!」

と何もなかったように笑顔で事務所を後にしていく。

その瞬間、職場の出来事の全てがリセットされるのだろう。

本当に幸せなヤツだ。



2005年06月26日(日) 暑い暑い。土日ゴルフ地獄。

暑い、暑い。
連日95F(36℃)越えの超真夏日。暑いのみならず、湿気が多い。

にも関わらず、この土日は2日ともゴルフに出てしまった。それも18ホール歩きで。

手引きのカートは自分のペースで回れるからいいのだけど、ひたすら照りつける太陽の下でフルバックの7000ヤード以上を歩くともうふらふら。土曜は出だしでたたいて49、インに入って何とか集中しなおして45の94で上がった。ホールアウト後は汗でぐっしょり、疲労困憊。この暑さにさすがにアメリカ人もドタキャンする人が多かったのか、土曜というのに結構空いていた。

日曜の今日は朝起きても疲れが取れず。なんとなく気だるい。
よっぽどプレーをやめようかと思ったけど、会社の先輩と約束していたので、うだる暑さの中、昨日と違うゴルフ場へ向かう。受付の前で、やっぱり今日はカートに乗ろう、と一旦は決めたのだが、すでに手引きカートにゴルフバッグをセットして歩いてきた先輩を見て断念。慌てて車までカートを取りに戻る。

さすがに今日は集中力が持続せずに、ヘッドアップを繰り返して辛いラウンド。テークバッグのオーバースイングによるスライスという悪い癖が直らずにごまかしごまかしのラウンド。その後、突然14ホール前で雲行きが怪しくなり、サイレンを鳴らしてカートに乗ったゴルフ場の係員が来て、「サンダーストームが来るからもうプレイせずにすぐに引き上げてくれ」という。言われてみれば、まだ日が差しており雨は降りそうもなかったけど、遠くでゴロゴロと雷の音が続く。体力的にも限界が近づいていたので、さして残念とも思わずに、とぼとぼ残りのホールをスルーしてクラブハウスへ。

通常、雨で中止になった場合はレインチェックといって、いわゆる次回の無料券をもらえるところが多い。
当然、我々もクラブハウスでかけあったのだけど、すでに半分以上回っているから駄目だと言われた。ケチだなあ。まあいいや、20ドルしか払っていないし。


日本からすればこの贅沢なゴルフ環境も、適度に期間をおいて緊張感を持ちながらプレーしないと、ストレスのたまる運動にしかならない。

ゴルフというのは不思議なもので、今日はスコアは関係なし、なんて思っていても、当然スコアが悪ければ気分は悪いし、内容はボロボロでも結果的にスコアが良ければ、体調が悪かろうと気分は良くなるものだ。



2005年06月22日(水) 米人ウェイトレスの接客ぶり

日本からの出張者と総勢4人でいわゆる高級ステーキハウスに行ったのだが、間の悪い米人オバサンウェイトレスにはまいった。

まず、なかなかオーダーを取りに来ない。。
とりあえず最初に頼んだビールのグラスが全員とも空になっても、メニューを持たされたままいつになってもやってこない。こんな時、テーブルごとに担当が決まっていると不便だ。暇そうにウロウロしている店のウェイターに頼んだが、「このテーブルは私の担当ではないから」と平気で言いやがる。


散々待たせてオーダーを取りにやってきた。
英語がうまくない出張者(といっても、海外駐在暦15年だそうだが)オヤジがうまく焼き加減をオーダー出来ないと、この人何言ってるの!?と笑いやがる。

失礼だ、オバサン。


ようやく肉を食べながら色々話をしていると、オバサンは暇になったのか、例の調子で、

「ステーキはうまいか?」とか「何か足りないものは?」とうるさく聞いてくる。

話している2人の間にわざわざ入って何度も聞いてくる。難しい顔して大事な話をしているのにノー天気に割り込んでくる。言葉が分からなくても、もうちょっと場の雰囲気よんでくれよ。


食事が終わり皿を下げながら、小さい声で「Coffee」とささやく。

は?

そして気がついたら隣の皿を下げている。4人目の皿を下げるときに「Coffee」とまたささやく。4人目はそれに気がつき「Yes」と答える。そして、やっぱりコーヒー1つだけ持ってきた。駄目なヤツだ。


高い金払ってるんだから、もう少ししっかり仕事してくれよ。チップだって安くない。それにしても店の高級な雰囲気とはあまりにマッチしない接客だった。

アメリカでこういう目に会うと、我々が日本人だからだろうか、といつも思ってしまうのだが、あながち外れてはないのだろう。



2005年06月21日(火) MUSIC BATONって

全くやる気無しの1日。
こんな日はダラダラ残っても意味がない。とっとと5時で仕事を終えてゴルフ場に向かいハーフラウンド。在米30年という会計事務所に勤めるフィリピン人の男性と2人でラウンド。アメリカの中でアジア人に対して感じる安心感は、先方も同じようであった。


小生の拙文を読んで頂いている方から、MUSIC BATONなるものを頂いた。よく注意すると巷で流行っているようであちこちのブログで見かける。大して面白い回答が出来なくて恐縮ですが・・。


■コンピュータに入ってる音楽の容量? Total volume of music files on my computer - 無し。パソコンに音楽は全く入れていません。というか、普通入れるものなんですか?

■今聞いている音楽は?Song playing right now - という訳で音楽は聴いていません。

■最後に買ったCDは?The last CD I bought - 布袋寅泰「MUSIC SAMURAI」日本からお取り寄せしました。

■よく聞く、もしくは思い入れのある5曲Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me -

1.DAVID BOWIE「LET'S DANCE」−中学1年に初めて買ったLPだったような。
2.TOMOYASU HOTEI 「GLORIOUS DAYS」- 浪人時代を思い出す。布袋の下手な英語がなんともいえずいい。
3.COMPLEX 「1990」-大学1年。当時、布袋も吉川も最高にカッコよかった。
4.BAKUFU SLUMP 「RUNNER」-高校時代、サンプラザに憧れて頭を剃ろうと思ったほど。
5. BILLY JOEL 「UPTOWN GIRL」

■次にまわす人5人Five people to whom I'm passing the baton - う〜ん、困った。という事で勝手ながらパスさせてください。



2005年06月20日(月) 日本人の魂

日本を離れて海外で生活していると、いろいろな出来事に直面する。

日本にいる時には感じなかった日本という国の良いことも悪いこともなんとなく見えてくるし、なんだかんだと言われながらもやっぱり良い国なんだなと実感する。

日本人という事に関していえば、日本人は自己主張しない国民なんだと思う。特に海外に出るとそう感じる。
これは、気が弱いとか自己表現が下手という事もあるのだろうけど、やっぱり日本人の遺伝子、メンタリティーなんだろう。また、周りの人の反対を振り切ってまで自己主張を貫くことへの拒否反応というのも強いのだろう。

だからヤンキースの松井秀喜のような日本人の塊のような男が、周囲の引きとめを押し切って、思い切ってメジャーに挑戦したこと、そしてアメリカで自分の生き方を変えずに大活躍している姿は、日本人として素直に感動する。現在、チームは不調、個人成績は絶不調、おまけに怪我をして愚痴の一つもいいたいはずだろうけど、何も言い訳せずに淡々と仕事をする。

松井は黙っていても仕事で全てを主張できる人間だ。

言わねば分からぬアメリカ人からは、なかなか理解してもらえないかもしれない。でも、日本人から見てのかっこよさは、松井のような人間のことを言うのだろう。全米オープンのコース設定に文句ばかり言って結果を出せない丸山茂樹とは、正反対である。

米国で生活していると、アメリカ人が自己主張するのに合わせて、負けじとなんでもかんでも自己主張する日本人に遭遇する事がある。でも、口先だけで自分を主張する事が一番ではない。主張してくる人間に同じ土俵で主張し返してもしょうがない。ましてや、子供の頃から自己主張が染み付いたアメリカ人に日本人がやりあうのは大変だ。じっと我慢して自分の態度を貫き通す。そんな美学もいいのではないかと思う。




(写真)週間MVPの松井。捻挫した右足首に負担がかからぬようスイングしてホームラン。ESPNの玄人解説者が大絶賛していた。その放送を見ていて誇りを感じた。


2005年06月18日(土) 年間95億稼いだスポーツ選手

米「FORBES」誌は、恒例の著名人ランキングを発表した。

スポーツ界収入部門ではタイガー・ウッズが、US$87Mil(約94億8300万円)で1位だった。((記事)

ちなみにウッズ、収入、知名度などを総合したcelebrity ランキング<クリック>(いわゆるスターランキング)でもOprahに続いて2位。スポーツ界ではもちろん1位。

そんなに稼いでどうするのか、といらん心配をするのは庶民の悪い癖なのだけど、お金というのはあればあるほどもっと欲しくなるものらしい。ウッズは実はカネに対する貪欲さで、あそこまでハングリーに活躍を続けているのではないか、と密かに思っているのだが違うだろうか。

全米を代表するセレブには失礼だが、ウッズは米国のゴルフ場ではケチな事で有名。チップを払わないらしい。未だにバーガーキングの割引券を使っているという噂もある。

そんなことはどうでもいい事なんだけど、95億も稼いでいるからどうでもいい事にならないのである。






2005年06月16日(木) アメリカ人旦那は大変だ

仕事を終えて家の近所のゴルフ青空練習場へ。
午後9時近くまでは十分外は明るいので、退社後といってもまるで昼間のようだ。青空の下で気分がよい。

午後7時半ごろから、夕食を終えたらしきアメリカ人家族が続々と詰め掛けてくる。

国民性の違いだろうか、日本人だと教えたがる人が多いのだろうけど、アメリカ人は打球がどこに飛ぼうが、とにかく誉めて誉めて誉めまくる。

「Oh! Unbelieable!」
「なんてこった!見たか今の打球を!」
「Great!!」

おせじにも、まともに当たっていないボールに対して、賞賛の嵐。相手が子供であるならばそれもいいだろう。

問題は、サンダル履きのまま見よう見まねでボールを打つ太っちょマダムに対しても、旦那はお褒めの言葉をかけることだ。

「Great! My Sweetheart!!」

1球1球、へなちょこボールにコメントしているから大したものだ。

でもアメリカ人旦那、さすがに下手くそな嫁に飽きてきたのか、そこそこうまい隣の打席の男性のスイングを盗み見している。明らかに太っちょ嫁の打球なんか見ちゃいないのに、パチンと打った瞬間、

「Good! My Sweetheart!!」


アメリカ人旦那は大変である。



2005年06月15日(水) 黙れ おばちゃん

顧客と日本飯屋でランチ。

店のおばちゃんがテーブルの横に立ち、馴れ馴れしく我々の会話に加わろうとする。それどころか、会話の主導権を握ろうとする。

アメリカに長く住んですっかり勘違いしてしまったのかね。

こちらも日本人ばかりだから、適当におばちゃんに話を合わせたりする。するとおばちゃんは調子に乗って喋りまくる。

我々はアンタと話に来たんじゃないのに。勘違いも甚だしい。

こんな店はもう御免なんだけど、アメリカの地方都市では限られた日本飯屋の1つ。選択肢がないというのはつらいものだ。無愛想も失格だけど、喋りまくられるのも宜しくない。サービス業は奥が深いのである。




2005年06月13日(月) 駐在員とボーナス

中国出張中、いつの間にか賞与額が妥結していた。

日本の好景気に支えられて、近年では悪くない回答が会社側から出たようだ。所属する米国現法の業績はそれほど良くもなかったけど、組合員である駐在員が良い給料を手にするには、結局本社(日本)次第という事か。

ところで年2回の賞与(ボーナス)だけど、駐在員は半年分の年金だとか税金が一気に引かれるので大した金額が残らない。最初はその天引き額の多さに驚いた。その分毎月の給料では天引きがないわけだが、まとまった金額を手にするいわゆるボーナスの喜びがない。

おまけに、日本で感じたボーナス支給日のソワソワ感が全くない。今日はパッと切り上げてうまいもの食いに行くか、というムードも当然ない。支給日の数日後に遅れて明細が日本から郵送されて、いつのまに入ってたの、という感じだ。しかも、現地アメリカ人スタッフは年俸制だから、ボーナスという言葉自体を社内で出してはいけない事になっている。


と、あれこれ文句をいいつつも、やはり有難いものである。
今年はいつ振り込みされるのだろうか。



2005年06月11日(土) 米国、中国、政治力のある国は大変だ

アメリカが中国政府に対して人民元の切り上げを迫っている。理由は中国の対アメリカ輸出が急増しているからである。特にアメリカの繊維産業の業績は中国品に食われて下降の一途。

要は大量に安い製品を送り込んでくる中国が気に食わないからだ。

アメリカは中国からの繊維製品輸入に対して特別税を課すると警告したが、
これに対して中国政府は繊維の輸出税を自主的に引き上げた。国際世論に応える意味もあったろうし、繊維製品の輸出値が安すぎると言われるのなら、安すぎる分を政府がとった方がいいやと考えたとも言われる。
こうした中国の措置は日本では出来ない措置だろう。

一方で米国はこうした中国側の措置にも関わらず、中国製繊維製品に対する緊急輸入制限(セーフガード)の動きを加速させた。これに怒った中国は、輸出関税80種類を全廃してしまった。

世界の両大国の争いは泥沼化。
ビジネスマンとして見るならば、お上(政府)の思惑に振り回される両国繊維産業に携わる企業はたまらないだろうと思う。自社の利益はお上次第。


確かに、ここまで世界市場に影響力を与えている中国が未だに固定レートがを適用するのはどうかと思うし、実際に中国だって人民元改革を表明しているから後は当局の判断を待てばいいと思うのだけど、それにしてもアメリカはアメリカで保護主義の度がすぎる気がする。

例えばGMの申告的な経営不振なんて、魅力的な車がないことと、医療費負担の度が過ぎることにつきるのに、未だに為替によって日本車が恩恵を受けているのが原因、なんて言っている。

こうしてすぐに政治力に頼ってばかりいるから、製品そのものの魅力を失い国際競争力を無くしているというだけのことだ。繊維も車も、自国産業不振の単なる責任転嫁に思えるのだが、違うだろうか。そして、こうした政府の対応に慣れきった米国民の勘違い。


政治力のある国というのは大変である。
そんなものを期待しようのない日本企業は、自己努力あるのみ。はなから、お上に期待しようがないから、ある意味で幸せな環境なのかもしれない。



2005年06月10日(金) 中国日報を読む

中国滞在中は、ホテルに届けられる中国日報(China Daily)を朝食時に読むことにしている。

記事は当然ながら中国寄り。
相手国をやや持ち上げながら最後はこっぴどくたたく。相手が欧米でも容赦ない。そして、南京大虐殺のヘビーな写真を朝から見せられる事になる。


国際記事のみならず、庶民の日常を書いた記事も多く、興味を引く。

国営企業をリストラされた45歳の男性。
北京で職探しをするが、採用されそうな仕事は月収3000元(US$363)程度であり、給料が半滅。どうするか迷っている様子。中国では、毎年毎年、若手労働力が豊富に確保できるので、たとえ景気が右肩上がりでもスキルのない40代はすぐにお払い箱。

スポーツは、ほとんどMBA。
中国の国民的英雄、ヤオミンを擁するヒューストン・ロケッツの記事は外せないようだ。「これからロケッツはどうなるか?」なんてよく聞かれるのだけど、アメリカに住んでいたって興味のないチームの事なんて知らない。それにしても、若手から年寄りまでロケッツの事を本当によく知っているのに驚くが、これだけ記事にされていれば、それもそのはずだろう。
ヤオミンが移籍すれば、もうロケッツの記事なんか少しも出やしないのではないか。メディアの力。

大都市のホテルだと、日本のニュースを簡単にまとめた日本語の小冊子を届けてくれるのだけど、なんといっても中国日報の方が断然面白い。



2005年06月09日(木) 気の弱い中間管理職

日本に気の弱い中間管理職がいる。

お上の意見をスルーパス。
何でもかんでもスルーパス。

アンタの役割と機能は何なのか? 自分で意思決定の出来ない管理職は部下からすれば迷惑なだけだ。

自分で意思決定をするべきでない案件であれば、その旨しっかり説明する責任があるはずだろう。


「こう言われました、ああ言われました。だからやってもらえますか。」

自分の無能だという証拠が残らぬように、メールを使わず電話を使う。



サラリーマンの負け犬。



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2005年06月08日(水) 中国で床屋に挑戦

地方都市への移動日。午前中に時間が出来たので、床屋に行くことにした。中国の床屋はどんなものだろうか?

日本人向けの理髪店やホテル内にも比較的上品な美容室があったのだが、あえて地元の店に行くことにした。

小さな通りに行くと何軒か床屋を見つけた。前を行ったりきたりしてしばし躊躇した後、めぼしいところに思い切って入った。
中に入るとおそろいのシャツを着た20歳前後の若い男がずらりといたのだが、その中の1人が鏡の前の椅子に案内してくれる。他のヤツらは何も言わないどころかこちらの存在を全く無視。座ったままで店内の音楽に合わせて歌を合唱。異様な雰囲気だ。

鏡の前の椅子に座ると、兄ちゃんがいきなりシャンプーを頭の上にたらす。そして、油さしの中に入った水を少しずつかけて泡立てる。なんとも強引な幕開けだ。

その後シャンプー台に連れて行かれシャンプーを流す。最初からそこで洗ってくれないのは何故か。

その後、別の小汚い兄ちゃんがハサミを持ってきた。何かを一生懸命喋るのだが、全く全く分からない。みようみまねの中国語で「少しだけ」と頼んだ。もちろん、少しだけ切ってくれ、という意味のつもりで。予想外にカットは比較的丁寧に進む。アメリカの床屋とは比較にならないくらいだ。その都度何か聞いてくるのだが、全く分からないので、相手も不機嫌そうな顔を見せる。

気がつけば、髪は本当に短くなってしまった。トラ刈りだ。
「少しだけ」と言ったつもりが「短くしてくれ」と受け取られたのかもしれない。が、そんな事は覚悟の上だったのでたいしたショックはなし。

会計は30元(3ドル)。これはお徳だ。本来渡さなくてもいいのだが、チップとして10元をカットしてもらった兄ちゃんに渡すと満面の笑み。
言葉が分からないのはどうしようもないが、まあ熱心さが伝わったので比較的気分が良かった。


2005年06月07日(火) 異国での長いミーティング

昨日は朝から晩まで長い長い中国企業代表とのミーティング。
よくぞ1対1でここまで話しが続くもんだ、と自分でも関心してしまった。

ミーティング後、さすがに相手も苦笑して「欧米企業との面談はここまで長引くことはまずありません。日本人も中国人も、ある事に対してその背景やこれまでの流れなどを詳しく知りたがる点は似ているのでしょうね。」と言っていた。

確かに、多くのアメリカ人と話していても、出てきた結論や結果だけが全てで、そこに至るまでの過程などあまり気にしていないように思える。よくいえばポイントが明確、端的であるといえるし、悪く言えばあっさりしていてモノ足りない。

長いミーティングだったけど、お互いを理解するにはFace To Faceの話し合いに勝るものはない、と実感した1日であった。とくに相手のお国が違えば尚更のことである。



それにしても昼飯に連れて行ってもらった寿司屋は不味かった。
相手も日本人である自分に対して気を使ってくれたのだろうが、そのへんの中国料理屋で麺など食べているほうがよっぽどマシであった。

寿司屋に入る直前に吉野家を発見、それとなく自分は吉野家が好きだ、と伝えたが、面子にこだわる中国人、そんな所にお客を連れて行けるか、と相手にされなかった。あ〜あ、残念。それにしても変色したウニや訳の分からぬ貝、カチカチのシャリはひどかった。それでも目の前に出されると食べてしまうんだな。体調は大丈夫だろうか..。





2005年06月06日(月) 中国人との距離感

中国出張中。
現地駐在員2人と火鍋をたらふく堪能。ビールと紹興酒も飲めなくなるほど飲んだけど料金は3人で120元(13ドル)。本当に安い。

ある中国人にこの話をして、本当に食事が安いなあ、なんてうっかり言ってしまったら、「あなた達にとっては安くても私たち中国人にとっては決して安くない。」とやや非難がましく言われてしまった。

こちらの発言が迂闊だったのかもしれないし、まあ確かにそれは事実なのだろうけど、こんなことを言われると、彼ら中国人とは色々話がしづらいなあ、と思った。

よく「どこの出身?」なんて聞かれるのだけど、「日本人」と答えづらいような雰囲気が確かにココにはある。

もっとも、大部分の中国人はやりたいように行動していいたい事を言うから、おそらくこちらが単に気にしすぎなだけなのだろうけど、やはりなんとなく彼らとの距離感を取るのが難しいような感じがするのである。











2005年06月02日(木) 小日本、と目の前で言われること

中国語がほんの少しだけ分かるようになると、中国にいてもいろいろな発見がある。


今日は上海から車で3時間ほどの片田舎に出張。

食堂でテーブルの前に来た若い店員達がこちらを見て、「こいつは韓国人か?いや、小日本(シャオリーベン)だな。」と話しているのが分かった。

小日本は日本を指す蔑称。

とりあえずこちらは客だから、彼らは表面的には丁寧な対応をしていたけど、本当に嫌な気分であった。ほとんど日本人と接触した事がないようなこうしたド田舎の若者が、メディアに流されて盲目的に日本人と見るや非難する。恐ろしい事だ。

今なんて言ったんだ?、と聞いてやろうとも思ったけど、そんな事をしても根本的解決にならない。逆効果だ。そのまま何も知らぬふりをしたのだが、正しい対応だったのだろうか。




2005年06月01日(水) 17時間のフライトはきつい

米国を離陸後、上海に到着したのは17時間後。

途中、Medical Emergency(急患)の為にカナダのエドモントで2時間半ストップ。ファーストクラスのお客が具合を悪くしたらしい。もっともエコノミーからはその様子はうかがい知る事は出来なかったが、スチュワーデスのオバサンの話し振りからはたいした事がないようだった(これまたあてにならぬが)。

離陸してすぐに熟睡。気がついたら飛行機が着陸体制だったので、最初は、14時間も眠ってしまったのか?ラッキー、と勘違いしたのだが、時計を見るとそうでもないようだ。次に、自分は違う飛行機に乗ってしまったのか、と思ってあせったのだが、そんな訳はないだろう。

とにかく17時間は応えた。機内は満席。心身共に疲労困憊。



上海の空港から1人でタクシーに乗ってホテルに向かいチェックイン。あいかわらず予約が入っていないだのなんだのでもめてフロントで20分やりあった。結局、最後は部屋を用意するんだから、最初から気持ちよくやってくれっての。
ホテルで東京からの出張者と合流予定だったが、これまた何故か別のホテルにチェックインしており会えず。

こちらは朦朧としながら、ホテル横のマッサージを受ける。その後、夜飯だか朝飯だか訳もわからぬまま、ローソンに入って、おでんを3個、オニギリを2個、サントリーのウーロン茶のペットボトルを1本購入、それで10元(1ドルちょっと)もしなかった。

ホテルに戻ってBSで野球中継を見ながらそのまま昏睡。
タイガースのユニフォームが昔のモデルだったけど、あれはソフトバンクとの交流戦だからだろうか。



Kyosuke