嗚呼!米国駐在員。
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2004年09月30日(木) 元上司というもの

東京本社勤務時代の自分の上司だった現ロス支社長が、出張でこちらにきており食事をした。

昔は同じセクションの上司で、あれこれとよく言い合いをした。といっても、今から思えばだが、その大半は自分の視野の狭い(自分勝手なともいう)見解の一方的主張だったが。

今こうして異国の地で改めて話をすると、この元上司は自分の事をよく理解してくれていたんだなあ、と感謝せざるをえない。当時は「うるさいなあ」と思ったことも、今言われると素直に身に入ってくるのも不思議だ。久しぶりにホッとするような時だった。

こうして考えると、元上司だった人は今から振り返ればみんないい人だったと言える。それが、上司だった時代はこうした感情がほとんどなかったのはなんでだろう。自分に余裕がなかったのか、やはり利害関係があったし生の意見をぶつけあう局面が避けられなかったからだろうか。

そう思うと、相手が変わったのでなくて、当時は今と違う自分だけであっただけのような気がする。

今の嫌いな上司も、将来昔の話をしながら笑って酒を酌み交わすときが来るのだろうか。


2004年09月29日(水) ボチボチ / 秘書の文句

朝から直行で取引先の説明会に出席。
といっても発言の必要もなく、ただ座ってりゃいいので実におき楽なものなのだが。

顔見知りの日系企業の出席者数人と雑談。
世間一般的にはどの会社も非常に好業績なのだけど、一様に「ボトボチ」とか「まあまあ」と言った言葉で今の会社の状況を表現する。ああ、日本人らしいなあ、と思った。何が「まあまあ」なのか? 比較の対象が去年なのか目標なのか他業種なのか、それも明確ではないしこちらも聞かない。半ば合言葉のようなものなのか。聞くほうもそういった表現を聞いて安心するようなところもあるのだろう。

かくいう自分も「さっぱりですわ」と答える。これは、自分の描いた理想に対する実態を言ったのだが、そんなことは自分では言わないし相手も突っ込まない。雑談だから何となく会話は流れるのである。


会社に戻ると女性秘書が文句を言いに来た。
こちらの指示した契約番号が違うのではないか、といった他愛もない事だ。
確かにその番号は後ほど変更されたのだが、彼女の手にした用紙にはこちらが指示した新しい番号の付箋がしっかりと張ってある。
どうやらそれに気がつかずに、古い番号のまま作業を進めてしまったようだ。

「新しい番号が張ってあるじゃないか。よく見たのか。」と若気の至りで言ったのだが、彼女はヒートアップしてくってかかる。

そこで、「ああ、この番号は確かに変更されたんだな。あなたの言う通りだね。番号は変わったのだけど、その旨ちゃんと説明してから用紙を渡すべきだったよ。失礼失礼。」と折れたら、彼女は満面の笑みを返し、すぐに作業に取り掛かった。

国が変われど女性の扱いはどこでも難しいもんだな。はは。

それと、くってかかってこられた事に、ああ俺もようやく認められてきたな、とも思った。
これまでは間違いがあっても何しても、「奴は来たばかりで言葉も風習も分からないから」といった対応をされていたようで、直接非難することはなくなんとなくよそよそしい対応を受けていたのだが、ストレートに不満をぶつけられた事に心地よさ(?)を感じたのである。

不思議なものだな。


2004年09月28日(火) コピー機の紙詰まり-英語でどう言う?

コピー機の紙詰まり。どのオフィスでもよくある事だ。

ただ、これを英語で言おうとすると、なかなか出てこない。

職場で一番若い女性に聞いてみたら、彼女は `They eat a paper.` と表現した。 コピー機が紙を食べる? でも意味はなんとなく分かるな。

英文をこうして読めば分かるのだけど、なかなか出てこない表現で面白いな、と思った。 

話す前に難しく考えすぎなのかもしれないな。


2004年09月27日(月) 駐在員は自分を見失いやすい

駐在員というのは実に自分を見失いやすい状況にあると思う。

日本から派遣されての小さな島での狭い社会。勘違いしてしまえば、とことん勘違いしてしまう。うちのボスのように。所詮は日本に戻れば米つきバッタのように、上役にペコリペコリの奴なのだが、遠く離れた異国でトップとしてちっぽけな権力を手にした途端、俺はすごいんだ、と思い込んでしまう。所詮はサラリーマンの中間管理職なのだが、自分の上がいないとなるとこうして勘違いしてしていばりちらす。
現地の責任者は、こうした「お山の大将」が多いが、自分で気がつくはずもない。

逆もまたしかり。
俺は駄目だ、と自身をなくして思いつめると、とことん落ち込んで精神的な病になってしまうこともある。そして駐在期間を残して帰国となる。

どちらもバランス感覚が欠如してしまうのが原因だ。日本にいれば、愚痴のひとつやふたつ言える仲間や場所がある。世代や世界の違う人の話にうなずいて刺激を受けることもある。

でも、駐在員のように周りに会社の同期も昔馴染みや気の合う学生時代の友人などもいないとなると、客観的に自分を見つめる機会を逸してしまいがちになる。日本にいたときは意識せずにやってきたこういった事が、こうして駐在するとかけがえのない貴重な瞬間だったのだと思う。

駐在して1年間は言葉も全く分からずとにかく必死だった。
が、ほんの少しだけ余裕が出来てふと自分のことを考えると、あれこれと不安も出てきた。

ここから先、どういった意識をもって駐在員生活を過ごすかで自分の将来が決まる気がする。
自分を見失わないために、会社人間にならずに視野を変えて新しいものに挑戦していきたい。


2004年09月26日(日) 高津投手を発見。

金曜日は就業後、先輩とホワイトソックスとロイヤルズの試合を見に行った。消化試合でガラガラ。

窓口で外野席の最前列のチケットを買ったのだけど、途中からレフトのポール際の内野席前列に移動して観戦。本来は移動なんて出来ないのだろうけど、球場係員も座席に座って野球見ているくらいで、No Check。ラッキーだな。何故この席に移動したか。それはブルペンが近いから。シカゴが同点もしくは小差のリードのまま終盤に入れば、間違いなく高津がここで肩を作る。

レギュラーが誰かも分からないような両チームだ。高津以外の選手に興味なしである。

それにしてもこの3塁線際の前列はボールもよく来るし臨場感もあるし最高だった。
そうそう、レフトのLEEが客席に投げたボールを偶然キャッチしてしまった。その瞬間、どこからともなく子供が10人くらい集まって瞬く間に囲まれる。特に興味も無いので、一番小さな子供にあげた。子供は喜んでボールを持って走っていったが、親に言われてかこちらに戻ってきて恥ずかしそうに「Thank you!」と言った。ああ、いいことしたな〜。

試合はシカゴが逆転負け。点差もついて高津はブルペンにも現れなかったけど、イニングの合間に外野でキャッチボールに出てきた。
さすがに守護神。地元でも声援を浴びていたけど見向きもせず。うーん残念。

試合終了後にベンチに戻る高津に声をかけたら、チラッと見て手を挙げてくれた。いい奴やなあ。周りに日本人も全くいなかったし、よかったよかった。

ここまでは至って普通である。
試合後は既に10時半近く。先輩と飯でも食おうか、と選んだのは、シカゴ在住者なら誰でも知っている某焼肉屋。
イチロー、松井はもちろん、野茂、佐々木、長谷川、田口・・・。歴代日本人メジャーリーガーがシカゴに来た際に必ず立ち寄るとされる店である。

「高津、来てるかもしれませんねえ。」と先輩に言った一言が、現実になるとは思わなかった。

既に弊店間近で客もマバラだったのだけど、奥から2番目の個室には試合をおえた短パン姿の高津投手が既に陣取っていた。有名人オーラが。

こちらも一つ隣の奥の個室に陣取る。姿は完全に見えないけど、声は聞こえてくる。日本記録を作ったメジャーリーガーがすぐそこに、というのには興奮した。高津投手はマネジャらしきも含めて4人で来ていて、色んな話が聞こえて楽しそうだった。話の内容?絶対に言えません。 あまり酒を飲んでいる感じではなかったから、やっぱり毎日の体調管理はしっかりしているのだろう。当然か。

店の人に聞いたら、かなりの常連だそう。
試合のチケットにサインしてくれるか聞いたら、今は食事中だけど店から出るときには対応してくれると思うからそのときに声かけます、と頼もしい返事。いつも気軽にサインしてくれるんだろうなあ。日本じゃそうもいかないのだろうけど、ああラッキー。

しばらく待っていたけど既に12時30分を回っており、こちらは待ちきれずに帰ることにした。「本当にいいんですか?」と店の人にも言われたけど、まあオッサン2人に待ち伏せされてサインせがまれてもキツイやろ、と勝手に相手の身になって店を後にしてしまった。

年甲斐も無く、近くにいるだけでこんな30と40越えのオッサンをドキドキさせる。
メジャーリーガーはやっぱり偉大なのである。


2004年09月25日(土) ゴルフでイライラの日本人

昨日は午前様で今日は昼までゴロ寝。
天気もいいので午後4時半から予約してぶらりとゴルフ。もう午後6時半には薄暗くなり、ギリギリでハーフを回り終える。

6ホールあたりから、せっかくだから9ホール回りきろうと思ってあせるのだが、前の組のアメリカ人がおしゃべりしながらのんびりプレー。日本人の自分はこんなときにイライラする。

アメリカ人は、前の組がゆっくりプレーしていても文句は言わないし、後ろの組などお構い無しでマイペースでプレーする。見たところ日本人だけがスロープレーの前の組に文句を言ったりする(もちろん直接は言わない)けど、この違いはなんだろうか。

日本でゴルフを始めたとき、どの先輩からもとにかく進行を遅らせるな、クラブを持って走れ、と教わった。日本のゴルフ場は客を詰め込む。ショートホールで5組が待っていた事もあった。しかもゴルフは金もかかるし、丸一日つぶれる。そこそこのイベントである。

そんな環境でのゴルフだ。早く後ろの組に回さないと悪い、という意識が強いから、逆に待たされるとイライラするのではないだろうか。

せっかく高い金払ってイライラしてストレスためるなんて、とも思うけど、高い金払っているからイライラするのかもしれない。

対するアメリカのゴルフ環境は言うまでも無い。日本とはあまりにも違いすぎて、どうしようもないのである。


2004年09月24日(金) やらなければならない事。

やらなければいけない事。

−3月に買った車のCAR TITLEが未だに届かないから、これを調べること。通常は2,3ヶ月で届くはず。
これがないと車の所有者が誰かということを証明できず、車も売れない。
ちなみに、前に買った車のTITLEも届かなかったが、STATEの管理局に問い合わせをしたら「記録では送ったはず」の一点張り。再発行してくれと言ったら、85ドル取られた。今回も全く同じ気がする。こんな大事な書類は書留で遅れよな。
気が重い…。

−銀行の預金から突然6ドルが引かれた。説明にはDIRECT DEPOSIT(預金)をした際の手数料とあるが、預金してカネを取られるとは全く意味不明。しかも今までにも預金したのに今回が始めてだ。長々とした説明文も何だかよく分からなく、一度銀行に向かわねばと思う。毎月引かれるのもかなわんしなあ。

−自動車保険の保証金額を上げるように保険会社に頼んだのに、無しのつぶて。
対応した担当が放ったらかしたな。また電話して1から説明か。

その他は細かいしキリがないので割愛。
仕事以外にもあれやこれやとやる事があって、気が休まる時がない。

アメリカは自由な反面、自分で調べて何でもしないと何も進まない。ある意味で誰も信用するな、とは間違っていない。

自分のような面倒臭がりには、何とも厳しい国である。でも、よく自分の頭で考えて行動する習慣はついたと思うのも事実。


2004年09月23日(木) イチローにケチをつける

昨晩は6打数4安打の活躍で、メジャーの年間最多記録257安打まであと「10」となったイチロー。さぞかし日本では一大ニュースとして大きく取り上げられているに違いない。

アメリカではどうか。
毎日目をさらのようにして新聞を見ているのだが、残念ながらその取り上げられ方はたいしたものではない。

今日のUSA TODAYには、珍しくイチローの写真が小さく片隅に出ており興味深く記事を読んでみたが、それは記録を持つシスラーの記事が中心となったものであった。もちろん、シスラーが取り上げられた背景はイチローが記録に迫っているからであるが、どうみてもあまりイチローを称えるような記事とは思えないのである。

「シスラーはパワーヒッターで100打点を4回記録した。257安打の内訳は399塁打で2塁打以上は86本。一方のSUZUKIは、243安打の内訳は300塁打、何と215本が単打で2塁打以上は36本。」

「マリナーズのライトは、あまり長打を打たずに数字を重ねただけ。」

「シスラーが現行の162試合だったら(当時は154試合)、270安打の計算になる。」

そして、セントルイスにはイチローが記録を破らないように願う団体がある、とも書いてある。

とにかくイチローにケチをつけてばっかりだ。

メジャーリーグはやっぱりパワーヒッターの評価が圧倒的に高い。だからこそホームランだけを狙う選手が多いし、ホームランバッターはいつでも人気が高い。ホームランは“分かりやすい”から、アメリカ人は好きなんだと思う。

アメリカでよく聞く話に、「イチローは確かにいい選手で尊敬に値する、ただ、自分の息子に野球をやらせる時にあんなバッティングはさせたくない。」というのがある。コツコツあてる選手というイメージが強く、確かにアメリカ人の志向とは違っているかもしれない。

日本で阪神のバースが王の本塁打記録を抜こうとした際、「外人だから」という理由で勝負さえ避けた事件が起こったけど、ただ、そういったような話は表には出てきていないし全く感じられない。もしかしたら心の底では、日本人のくせに、と思っている選手もいるかもしれないけど、少なくとも日本であったように勝負をさせてくれない、といったことは起こらないだろう。どの投手も「俺が抑えてやる」と真っ向勝負を挑んでくるから、その意味ではイチローもファンも幸せだろう。 

でも、メジャーなんだから細かい難癖つけずにもっとイチローの記録で盛り上がってくれよ、と思うのが本音だ。

シングルヒットの積み重ねで何が悪い。こうなったら、思いっきりシスラーの記録を抜いてくれ。

頑張れ!!イチロー!!


2004年09月22日(水) 留学後にアメリカで就職すること

昨日書いた彼(留学後にそのままアメリカで働いたシステムエンジニア)を夕食に誘った。
大学を出てから普通にそのまま就職した自分から見たら、彼の生き方そのものには非常に関心があった。

聞けば自分とほぼ同世代。見た目は若かったのだけど、彼のほうが気持ちが若いということか。

自分はやりたい事だけをやりたい。アメリカは実力社会、実力さえあれば評価される、今の会社で学ぶものがなくなったら、さっと見切りをつけて転職をする、ときっぱり。逆にそうしなければ自分の価値は上げられない、と。

4つ上のお兄さんが日本でサラリーマンをやっているそうだが、「兄は仕事が合わなくて数年前に転職を考えたが、悩んだ末に踏み切れなかった。今もそんな過去をひきずっているようのだが、そんな兄のようには絶対なりたくない」、と言う。

彼は言った。「兄は勝負出来なかった。」

「でも、君は独身で1人暮らし、お兄さんは結婚して子供もいる。お兄さんは守るべき家族の為に自分を犠牲にしたのかもしれない。2人の状況はまるで違うと思うよ。」

「まあ、それはそうかもしれませんね。」

それでも、彼の生き方はうらやましく思った。 しっかり自立しているな、と感じた。

「会社は全く休んでいません。休みたくないんです。休んでいる間、自分の仕事が奪われるかもしれないと思うと悔しくて。」

組織で仕事をする日本企業で10年働いてきた自分にとっては、とても新鮮であり刺激となる話が出来た。
今の自分もまだまだ変われると思う反面、肩の力を抜いて譲るべきは譲る生き方も悪くはないかな、と最近思ってきたのも事実だ。


2004年09月21日(火) 留学後にアメリカで就職すること

「アメリカの大学に入学して、卒業後に日本に戻らずにアメリカで過ごす」

今の若者が憧れる将来像の一つかもしれないが(自分は考えもしなかったけど)、その現実は当然ながら厳しいものだ。

今日はある日系のシステム会社から、1人のエンジニアが我が支店に派遣されてきた。会社のシステムのチェックと、最近蔓延しているウィルスとスパイウェアの駆除が目的だ。

ランチをしながら彼と話をした。
とてもナイスガイだ。

語学留学をきっかけにアメリカに来てから10年経過したという。学校を出てから最初に入った会社がネットバブルの崩壊とテロ後の不景気で倒産。その後、数ヶ月の休職期間を経て現在の会社に2年前に入ったという。

もう日本には戻れない、これからもアメリカで生活したい、という彼に意地悪な質問をしてみた。

「じゃあ何で日系企業に入ったの。」

「実はすごく悩みました。ただ、雇ってくれそうだったのは日系のみでしたので、職にありついて生活する事が最優先の状況で、変なプライドを気にしている状況ではありませんでしたから。」と言っていた。

よほど突出した能力があれば別だが、留学後にそのまま米系企業で就職なんていうのは簡単な話ではない。アメリカの会社だって、たかだか数年間こちらで過ごしただけの日本人に職を与えるほどお気楽ではない。

そんな当たり前といえば当たり前の状況が理解出来ずに、行けば何とかなるや程度で何となくアメリカに渡る若者は後を絶たない。そして、「英語が使いたいんです」何ていうアホな志望動機をひっさげて面接する輩も珍しくないのが、本当に驚きである。こんな奴らは、所詮、親のスネをかじっているのだろう。身分不相応な高級車、見ているこちらが恥ずかしい。
アメリカにはこんな日本人の若者が一杯いる。

留学するな、とは言わないけど、単に留学しただけで甘い汁が吸えるほど、世の中そんなに甘くはない。

今日話をした彼は、そんな状況を客観的にしっかりと認識しながらも、それでも自分はアメリカで生活していきたいんです、と目を輝かして言っていた。
自分もここまで目を輝かして生活感を語るには、相当ネジ巻かないと難しいな、と感じた。というより、こんなのは努力して思うことではないから、ちょっぴりうらやましかった。


2004年09月20日(月) 日本で必要なアメリカ産のものは?

日本の20日は休日だった事を忘れていた。
日本からメールが一通も来ていなかったので、今日はのんびりした1日。

午後、会社まで航空物流会社の担当が訪ねてきて話をした。

日本からアメリカに運ぶものは鉱工業産業を中心に依然として高水準で推移しており、それこそスペースの確保が大変らしい。海運会社がこぞって値上げをしているが、それでも次から次へと日本からアメリカへモノは入ってきている。

ところが、アメリカから日本へ運ぶものは極端に少ないようだ。輸送費用をかなり下げて荷物を集めようとするも、ほとんど集まらないようだ。

確かに、日本にいるとアメリカの何が必要か、と言われて、とっさに思い浮かぶものはない。
アメ車だとか洋楽だとかそういったものではなく、日常生活をするに当たって必要なもの、という意味で。

ちなみに、どんなものがアメリカから日本へ飛行機で運ばれいるかを聞いたところ、
1.化学/薬品関連
2.牛豚馬などの家畜(生きたまま)
だそうだ。

1の世界は全く不案内だけど、アメリカの方が先進国なのだろうか。まだまだ日本より開発力には長けているという事か?

2は興味深いのだが、聞くと種馬用らしい。これまた一定需要があるらしい。日本で交配させるようだが、何でアメリカから家畜を輸入する必要があるのか不思議だ。例えば牛の場合、アメリカから日本へ運んでこられた牛から子供が出来て牛肉として販売されるとき、それは国産牛として販売されるのだろうか。

もちろん船で運ぶとなると、食料肥料を中心として日本のアメリカ依存は高い。そのうちに輸入先が中国にシフトしていくかもしれないが。

人と話をすると色々興味深い話がでてくるものだ。
そこから、何かビジネスのタネを見つけるようにしているのだが。


2004年09月19日(日) 打ちやすい所で・・。

「打ちやすい所で打っていいですよ」

池ポチャやワンペナでボールをドロップする際にこう言われたとき、暗に「どこで打っても一緒なんだから早く打ちなさい」と言われているのと変わらない。

屈辱・・・。


2004年09月18日(土) ストライキ、新規参入、大賛成!

朝から車で1時間近く走った会社のメンバーコースでゴルフ。
全7400ヤード、RATING 76.5の信じられないタフなコース。4人とも玉砕でスコアを数える勇気なし。ボールも7個紛失。
反省も含めてラウンド後に併設の練習場で2時間打ち込み。芝から打てるしボールも準備してあるしで最高の環境である。


ところで、日本のプロ野球ストについては一言述べておかねばならない。
一番の問題は経営者側が一体何をどうしたいのかさっぱり分からない、という以前に、経営者側が自己保身と利益確保に必死であり、将来何をどうしたいのかのビジョンさえ持ち合わせていないことではなかろうか。ここまで野球界が混乱を極め世間の注目を浴びているのに、報道を見る限りは経営者のオッサンは未だに親会社の顔色ばかりを伺っており、率先して積極的提案を出す気配さえ見受けられない。

これではあまりに選手がかわいそうである。

以前ドジャースのオーナーと監督が「自分達の仕事は、選手達が活躍できる環境を作ること」とはっきり言っていたが、今の日本の選手は、逆に経営者の為に野球に集中できなくなっている。これはあまりに悲劇だ。

スト、どんどんやればいいと思う。新規参入、いいんじゃないか。
ここまで地に落ちたプロ野球を救うには、とにかく風穴を開けないといけないから。

ただし自己保身を決め込んだクソオヤジの一団を動かすには相当なパワーが要るだろう。でも、何かしなけりゃ、何も変わらない。

ビジョンも夢もないクソオーナーがでかい顔をしているプロ野球界なんて、もう時代遅れなのである。


2004年09月17日(金) やっと金曜日。

金曜日。仕事を終えて誘われる。そして今日も懲りずに日本飯屋へ向かう。
先日行ったばかりだが、ここはとにかく何を頼んでもうまい。1年半全く知らなかったのが不思議なくらいだ。客はやっぱり正直だな。どこの店よりも混んでいる。

明日は取引先と朝からゴルフ、飲み過ぎないようにしよう、と上司で言ってたのに、何のことはない。明日一緒に回るメンバーも別のテーブルで一杯やっていた。本当に狭い世界だ。

今日は久しぶりに真面目なネタを書こうと思っていたがその気力無し。
酔っ払ってネットサーフィンしてたら、イラクの首切り画像とか変な動画を拾ってしまってとても気分悪い。
とっとと寝ます。


2004年09月16日(木) 日系美容院

昨日は髪を切りに行った。
こちらに来てから、アメリカ系、韓国系、いろんな美容院を試したが、やっぱり我慢出来ずに日系の店で日本人に切ってもらう事にしている。

日本の雑誌など久しぶりに眺めながら髪を切ってもらっていると、隣に金髪の女性が座った。客は日本人しかいないと思っていたので、驚いた。

美容師さんがあまり英語が得意でないようだったが、ゆっくり丁寧に単語を並べて自分の希望のスタイルを説明していた。やっぱり、アメリカ人でも日本の美容師さんの方が心地いいと感じるのだろうか。特に中西部のアメリカ人は非常に保守的だから、この女性はかなり積極的で好奇心旺盛なのだろう。でなきゃ、わざわざ言葉もうまく通じない日本人経営の美容院には行かないと思う。
でも、この女性にはとても好感をもってしまった。

カット料金は30ドル。
これに加えてアメリカはチップを払う。チップはもともとサービスに対して払うものと理解している。散髪ということはそれ自体がサービスというか技術料なのだから、通常料金に加えて何故チップが要るかは未だに納得がいかないけども、取りあえず気持ちだけ払う事にしている。

今回は少し不満な出来だったので10%だけの3ドルにしよう、と思って会計の時に財布を出すと、対応してくれたレジの女の子が財布に入ったスポーツクラブの会員証を見て、

「あっ、そこ入っているんですか?私もなんですよ〜。」と言われた。

手にした3ドルに、慌ててもう3ドル加えてしまったのは言うまでもない。情けな。


2004年09月15日(水) タバコが生み出す職場の「不公平」

帰り際の米人スタッフMに手招きされた。

「なあ、どう思う。あいつら。タバコの休憩が多すぎると思わないか。特にEはひどいぜ。」

米人スタッフの中で唯一タバコを吸わないMが、もう我慢出来ないといった表情でささやいた。Eとはオフィスマネジャー、60歳の女性のことである。

「俺な、今日Eがどれだけタバコ休憩取るか時間はかってたんだ。何と1回に30分だぜ。これを毎日午前に2回、午後に2回やるから何と1日2時間だ。つまり、1週間で考えると、月曜から木曜まで出勤して金曜はまるまる休みと一緒の事になるんだぜ。」

他のスタッフがタバコを吸いに外に出ている間、Mはオフィスに残ってデスクで仕事をしている訳で、あまりにも不公平だという訴えである。
自分もタバコは吸わないのだが、Mのような考えを持った事は一度もない。MもMで他人のタバコ休憩の時間をはかるとはヒマな奴だな、と思ってしまった。

でもこの話を聞いたとき、アメリカ人、というかうちの会社のスタッフの仕事に対する考え方を垣間見た気がした。
つまり彼にとっての仕事とは、9時から5時まで会社で過ごす事、であって、何かを成し遂げる、とか、何かを生み出す、自己実現、といった概念は全く無いのである。入社して15年近くもたつのに、意識は時間給のアルバイトと一緒ということか。俺はあいつらより事務所で座る時間が長いのは不公平だ、ってなもんだろう。

とはいっても、Mからすれば深刻な問題のようであり、こんな事がきっかけで職場の雰囲気が悪くなっても嫌なので、とりあえず明日にでも上司には報告しようと思う。

ちなみに名指しされたEはEで、明らかに確信犯でサボっている。これは断言できる。彼女は勤続30年近く。もうお局も生き字引も越えて完全に開き直っているから、確かに問題といえばこちらも問題なのは事実である。

みんないい人なんだけどな。


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2004年09月14日(火) 日本食レストランで酩酊

今日は朝に日本から電話が入ったりで、何となく雑用を少しずつこなしたり、中途半端な報告会のような会議に出席したりして、あっという間に5時を迎えた。

今日は一体何をしたのだろうか。不完全燃焼の1日。

さあ、これから晩10時までネジ巻いて一仕事やるかな、と思っていたら、先輩から飯でも食いに行こうか、とのお誘いが。

まあ、こんな日は何やってもあかんから、あっさりと仕事を投げうって日本食飯屋へ。

突き出しの中トロ4切れ16ドルが絶品。
ビールから焼酎ロックに切り替えて何杯か飲んだ所で、携帯電話が鳴る。ああ、東京本社からや。たまには飲んだ勢いでからんでやろう、と電話に出ると、何と中国企業のお偉いさん。

よりによってこんな時にかけてこなくても・・・。普段はこちらからアプローチしてもなかなか会話できないので、無下にするわけにもいかない。慌てて店の外に飛び出して必死に聞き取るも、酔いが完全にまわったこちとら携帯の向こうの相手の発言がうまく理解できない。
必死の思いで最後に要点だけをつかみ、相手にこれで間違いないかを確認したのが精一杯。

席に戻ってまた飲み直し。初めての店だったけど、店員の対応も食事のレベルも最高。ゴルフの丸山がよく訪れるようで店に写真が張ってあった。

誘ってくれた先輩からも、何か話でもあるのかと思ったけど特に何もなかったようだ。4月に赴任してきた先輩もそれなりに不満と不安を持っていると思うのだけど、年下の自分にはそんな事は言わない。

それが頼もしくもあり、少々物足りなくもあり。

いずれにしても、具体的な目的がなくても、こう誘われて食事に行くというのはうれしいものである。



2004年09月13日(月) 初めての法廷へ

法廷(Court)へ来いという手紙が来たのは1ヶ月ほど前。
時間と場所が指定してあり、titleは、「The State of Illinois -VS- 自分の名前」。そこにはスピード違反をした時のチケット番号が書いてある。

確かにスピード違反で捕まったのは事実だけど、その場で違反金の75ドルも払ったのに何故裁判所に行かねばならんのか?スピード違反っていっても、1度しか捕まっていないし、たかだか30キロ弱ではないか?と疑問も多いのだが、手紙には指定の時間に来なければ逮捕状も発行できる、とか、違反金が積み増しされる、とか恐ろしい事が書いてあるので、とりあえず昼の1時に指定の場所へ向かった。

「COURT」と書かれた扉を開けると、そこはテレビドラマの法廷の世界。
両端には弁護士がズラリ、警官もズラリ。中央には裁判官のオヤジがどっしり。集められた大衆は100人はいただろう。正直、「オイオイ、こんな所で何するんや」とビビッてしまった。

と、突然警官が名前を1人1人呼ぶ。それもすごい勢いで。呼ばれた人は「Here!」と叫んで列に並ばねばならない。何が何だか分からないまま、とりあえず15人ほどがたてに一列に並んだ。更にその中から、裁判官が個別に名前を呼んで呼ばれた人間は前へ出なければならない。1人1人罪状が読み上げられて、それを認めるかどうかを問われる。傍聴席(待機席か?)からは詳しくは何を言っているかさっぱり分からないが、どうも「認めない」と言った場合はあれこれ聞かれて別の担当にまわされるようだ。

中には事故の被害者と加害者らしき人間が並べられる場面も出た。英語が理解出来ない、と言ったメキシコ人には、「誰か通訳をしてくれませんか」と裁判官が助けを求め、待機席に座る1人が通訳を手伝った。ちなみに通訳した男性、名前を聞かれて一気に順番が前倒しになっていた。

ちなみに待てどくらせど自分の名前が呼ばれない。
100人ほどいた人も、もう10人もいない。呼ばれたのに気がつかなかったかなあ?どうなるんやろか?と不安になったときに、たどたどしく(日本人の名前だから)自分の名前が呼ばれた。更に列に並んで15分くらい。ようやく裁判官の前に歩み寄る。

「スピード違反ですね。 Guilty? or NOT Guilty? (罪を認めるか?それとも認めないか?)」
「ハイ、認めます。」
「違反は何度目?」
「今回が初めての違反です。」
「罰金は75ドル。以上。」
「ちょっと待った。もう金は払ったんですけど。」
「これ以上は別の担当と話して」

指をさされた担当の前に行くと、
「帰ってよろしい」
「えっ?帰っていいの?」
「OK」

こうして私の初裁判は終わった。1時間半待ってわずか30秒。
これを行くことに何の意味があったのだろうか。交通違反をしたらみんな行かねばならないのか。本当によく分からんので明日会社のスタッフに聞いてみよう。

おそらく、自分が罰金を払ったのは取り上げられた免許書を取り返すためだけ、という位置づけがされており、罪を認めるかどうかは別問題という整理がされたような感じである。そういえば、捕まったときに色々書類をもらったのだけど、自分はもう罰金を払ったから不要と思って全く目を通していなかった。

たかだかスピード違反で、といってしまえばそれまでだけど、罪の大小に関わらず第三者が公平に罪を裁く姿勢はアメリカならではなのかもしれない。

でも、もう法廷も面倒くさいので、スピードにはくれぐれも注意することを誓った。その意味では効果があったのだろう。


2004年09月12日(日) アイアンは見つからなかった

土曜日は、朝から3週間ぶりのジム。その後日本スーパーを冷やかした後、ゴルフショップで注文していた7番アイアンを受け取る。

前にも書いたが、このアイアンはなくしてしまったもの。ゴルフ場に置き忘れたのは自分のミス。諦めきれずに、そして一抹の期待を持って、何度もゴルフ場に通って無くしたクラブが届いていないかどうかを問い合わせたのだが、結局見つからなかった。

ゴルフ場の係員が、「無くしたのはどのブランド?ああ、Titleistね。じゃあ間違いなく届けられないと思うよ。」と言ったのを聞いて、完全に諦めて再発注したのだ。

アメリカ人ともよくゴルフを組まされるのだが、時代遅れの無名ブランドのクラブを使っている人が多い。日本人ほどクラブのブランドにこだわらないのであろうか。とはいえ、やっぱりいいクラブを見つけたら、そっとバッグにしのばしてしまう輩が多いと聞いたのには驚いた。

アメリカ人は親切の鏡と思ってたんだけどなあ、と都合のいい時だけ期待しても駄目だったな。

自分のクラブはライ角やシャフトまで自分に合わせた特注品。そんなの一本だけ持ってたって役に立たないとは思うのだけど。

意外と日本の方が、無事に届けられた気がする。日本人はクラブに関しては新しいもの好きだし、細かくこだわる人が多い。ウェッジならともかく、7番だけ違う種類のクラブを使おうなんて人は少ないだろう。

幸い、無くしたクラブはスペックの記録が残っていたので、全く同じものを発注した。届くまで約2週間で価格は140ドル。ちょっと高い気もするけども、7番アイアン抜きでのゴルフというのもストレスがたまったから、こればかりはしょうがない。

でも、もうあと一ヶ月もないなあ。ゴルフシーズン。



2004年09月11日(土) ようやくオリンピック番組を見る

ようやく金曜日。
海外出張の疲労とイライラのピークだったので、明日からの久しぶりの休暇が本当にうれしい。

昨晩は日本で放送されたオリンピックの特番ビデオを見た。
日本からの出張者が気を利かせて持ってきてくれたもので、これは大ヒット。下手な和菓子とかもらうよりもはるかに有難い。

番組のホストはさんまだった。
久しぶりに見たさんまを見て、「年取ったなあ」。なんだか欽ちゃんに似てきたな。日本選手の活躍はほとんど見ていないので、本当は選手の試合に絞って映像を見せて欲しかったのだけど、大活躍の日本選手をゲストに迎えてのトークも面白かった。

どうだろう、番組内でこうやって選手を「いじる」っていうのも、日本独特じゃないかな。アメリカではまず考えられない。でも、こうした番組も本当に日本っぽくて明るくていいと思った。

柔道、レスリング、水泳。
日本ならば見飽きた試合のオンパレードかもしれないけど、こちとらどれも初めて見るシーンで、結論が分かっていてもどきどきして感動した。睡眠時間を削って生中継に釘付けになった日本人が多かったのも、十分うなずける。

最後に、野球。
長嶋の後を継いだ中畑の登場。これまた、あまりのゲッソリ振りに本当に驚いた。それだけで、何も語らずとも彼が背負ったプレッシャーの大きさが十分に分かった。考えようによっては、今回のオリンピックで、中畑という人間が一番プレッシャーを受けた人かもしれない。長嶋の代理だけでなく、なにしろ監督の経験もないのに、プロ野球のスターをまとめなければならず、結果を出して当然と言われてきたのだから。ゆっくり英気を養って、番組では見られなかったあの明るいキャラクターを早く取り戻して欲しい、と思った。

もっとも、こちらでは何も見ることが出来ないけど。


2004年09月10日(金) 「水が合わない」

中国から戻ってきてからどうも腹の調子が悪い。

何かおかしなモノ食ったかなあ、なんて中国での食事の内容を1つ1つ振り返るのだけど、どれも心当たりがあるようでない。どれも怪しいといえば怪しいし、問題なさそうといえば問題ない食事だった。昔インド出張から返ってきた時も同じような症状があったっけ。

これは、異国に行って「水が合わない」ってやつだろう。とはいえ、昔誰かが言っていたのだけど、中国やインドで腹が痛くなった=単純に中国やインドの水が細菌だらけって訳ではないらしい。(本当はそうかもしれないけど。特にインドは)。

東南アジア諸国から日本へ行った人は、日本の水が合わずによく腹をこわすという。水の衛生うんぬんというよりも、単に身体が慣れているかどうかだけの話なのだろう。

もっとも、自分の場合は上司との「水」が合わないので、体調にまで異変を来たしているのかもしれないな。そうなるといくら薬を飲んでも効果ないや。ははは。



2004年09月09日(木) 会議でのオヤジ人間模様

今日はある投資会議の席に同席した。
投資というよりも、新規拠点を設立すべきかどうかという社内会議である。

ペーペーの自分の立場では何も決定権もないのだけど、こうした場にオブザーバーといえ同席出来るのは駐在員ならではかもしれない。
会議で話される内容はくだらないのだけど、自己保身と自己主張の狭間にあるオヤジたちの人間模様が面白かった。

日本からの出張者は、日本の我が部署の利益だけを考えたい。
でも舞台はここ米国であり、我々海外拠点の力を借りねば話が進まない、つまり海外拠点の負担、メリットを考えなければならない事も分かっている。よって、米国側に気をつかいつつ、かといって米国側においしい所だけをもっていかれないようなコメントをする。

「個人的にはこう思う(米国の立場も分かる)のですけど、自分の上の意見はそうは言わないと思う」

これではアナタはわざわざ日本から何をしに来たの、と思ってしまう。


この件は、事前に経営陣より拠点進出を前提に取り組めという指示が出ていた。
こんな前提の中で総じて多い流れは、色んな問題点や懸念点をあれこれと羅列しながらも、最後はやっぱり拠点を出すべきだ、という意見であった。この会議でも、さすがに真っ向から経営陣に反対して進出反対を叫ぶものはいない。

「俺は事前に問題点は指摘しておいたけど、最後は経営判断に沿った前向きな意見を述べたぞ」という模範的サラリーマン回答である。
当然そこには具体的な話はなにもない。

問題は、誰が責任持ってこれを仕切るか。 舵取り役も責任者もいない中での会議は、結論が出るわけがない。
かといってお偉いが公の場に登場するときは、すでに結論が出ているときだ。

会社に入る前、会議というものは、誰が「自分が責任持ってやるからやらせてくれ」と発言するかという場であり、何らかの結論が下される場と思っていたのだけど、そんなものは見当違いであり事がこの10年でよく分かった。

かくいう自分だって、いまから10年経ってこんな会議で発言する立場になれば、同じような主張無しオヤジを生き生きと演じているかもしれない。

それとも、こんなコテコテで時代遅れな日本企業にはもういないかもしれない。


2004年09月08日(水) 中国でカネをすられたことについて。

久しぶりの出勤。
いつものように車で通勤。車から周りをのんびりと眺めてつい先日までいた中国と比較すると、やっぱりアメリカは豊かだなあ、と正直に感じる。車は1人1台。広い家と豊富な食料。

アメリカの豊かさを求めて移民を希望する中国人はまだまだ多い、と上海で話した取引先の女性は言っていた。

でも、豊かであることと幸せであることは、全く別問題である。


8月29日付けでも書いたが、背中をマッサージされている時に財布から金をすられた。

平和ボケの日本人と生きるために必死の中国人。彼女も見つかったらクビ覚悟。いや、クビどころか公安にしょっぴかれて処罰されるかもしれない。中国で犯罪者のレッテルが張られたら、一生ついて回る。それだけのリスクを持って財布から金を抜いた。
地方都市から稼ぐために都会に出てきて、生きるか死ぬかで日々命かけている人間に、疑うことを忘れかけたボケ人間がまともに対処できるわけがない。

抜かれた事が分かった時には頭に血が上って、金返せ、と詰め寄ったけど、ハイ、分かりました、なんて言う訳ないよな。

後から冷静に考えたら、これは日本の中高生が万引きするレベルとは訳が違う、自分や家族の一生をかけたその決断。こちらもそれなりの緊張感を持って異国に踏み入れねばならないのに、初心を忘れた罰である。

まあ、偉そうなこと言っているけど、要するに財布を出しっぱなしで視界から外した自分が、あまりにも無防備だったということなんだけど。つくずく情けない。


時差ぼけだろうか、今朝は朝4時過ぎに目が覚めて眠れなくなった。6時を過ぎてもなかなか明るくならなかった家の外。そして現在夜の7時。あたりはもうすっかり暗くなってきた。

夏は完全に終わったな。



2004年09月07日(火) 中国からアメリカへ。予期せぬ事態が。

上海のホテルを出てから約21時間。ようやくシカゴの我が家に戻った。とにかく疲労困憊。こちらの時間で午後8時(中国時間で午前9時)に寝て、そのまま13時間寝たおした。もう時差だか何だかよくわからない。バタンキューっていうよく分からない言葉があるのだけど、それがぴったり当てはまる感じだ。今日がLabor Dayの休日で助かった。


2日ほど前からどうも胃か腹の調子が悪く、たまにキリキリと痛みがあった。これまでの人生でめったに無いことなので、かなり不安になる。何か変な食い物で当たったか、連日の中華で胃が疲れたか。痛みは飛行機の中でも止まらない。これはツラかった。そういえば万一のために胃薬を持って来てたんだった、と気づいたときには薬はスーツケースの中で荷物は預けた後。これじゃ意味ないって。

今回の出張での課題。足裏マッサージなのだが、8日の滞在で6回受けた。毎日受けようと思ったがそうもいかなかったな。これだけやるとさすがに飽きるかと思ったが、いつ受けても気持ちが良かった。人によって多少の差があるのだけど、基本的には誰にやってもらっても気持ちが良い。自分の中では、中国最大の文化(?)だと思う。このマッサージ、アメリカじゃあ見たことが無い。何とも残念だけど、アメリカ人にやってもらおうとはこれっぽっちも思わないなあ。


シカゴでのバッゲージクレームで荷物を待っていたとき。
自分のスーツケースが、テープでぐるぐる巻きになっている。よく見ると、ロックが無残にも破壊(壊されたではなく、破壊)されており、経由地のサンフランシスコのTransportation Security Administarationが検査をしたと貼り付けてある。明らかに、一度テープをはがしたらこのスーツケースは2度と使えない。

とっさに思ったこと。
1.スーツケースは赴任の時に買って以来わずか2度目の仕様。修理代金は誰が保証してくれるのか。
2.お土産で買った中国の月餅。米国に食品の持ち込みは禁止されているけど、取られたか?
3.中国のCDショップで明らかに違法コピーされたCDを買った。取られたか。

とりあえあずUNITED航空に文句を言うが、航空会社の過失ではなく政府機関
のやったことだから責任持てん、といわれた。もっともである。とりあえず家に帰って中を開けると、“荷物検査済み”の書類が出てきた。ぼやけた頭で見た内容を要約すると、

「乗客を守るために荷物の抜き打ち検査をすることがある。鍵がかかっていればそれを壊す権利があるが、保証は一切しない。」だって。

じゃあ、最初から荷物には鍵かけるな、って言えよな。カウンターでチェックしろよな。まったく。テロ対策だろうけどやる事が強引だよ。

ちなみに、スーツケースの中はぐちゃぐちゃ。月餅もCDも取られていなかったけど、月餅は包装がはがされて中まで見られていた。麻薬かなんか隠していたと思われたのだろうか。お土産だぜ。いい加減にしろよ。


またアメリカとの格闘が始まりそうである。


2004年09月04日(土) 中国7日目。さすがに疲れてきたな。

上海で3日間過ごしてからは、車で3時間の小さな街に向かう。
もう日本ではありえないような田舎なんだけど、とても落ち着くのは何故だろうか。

上海は、まあ都会だ。
日本人対象の店があちこちにある。ホテル近くの地味な居酒屋にふらりと入ったら、満員盛況だったのには驚いた。値段はどれも高い。生ビール3杯と料理2品と寿司4つで2500円程度。物価からすればかなり高いしボリュームも少ない。店の女の子が、それこそ何かにとりつかれたように大声を張り上げて一生懸命働く。そうとうボスが厳しいというのが分かる。休みは月に2回で給料は日本円で月1万3千円程度という。

中国では、働きが悪いとすぐにクビになると聞いた。
働きたい人はそれこそゴマンといるわけだから、特に豊富な経験や特殊技術を必要としない仕事は大変である。

生きる為にがむしゃらに働く中国人の目を見ていると、日本やアメリカという成熟社会というのも実につまらない社会だな、と思う。自分も含めてだがやたらと権利ばかりを主張する。権利も主張も何もない世界で生きる困難は想像も出来ないけども、こうした世界で生きる中国人の話を聞くことは色々考えさせられる。


今日で1週間のツアーが終わった。
これからアメリカか。はあ〜。

また、こうして中国にやってこれる日があるだろうか。


2004年09月01日(水) 中国に来て思うこと。

昨日から上海入り。
ホテルでインターネットをしようとしたら、2時間50元(750円)。いつもアメリカでは無料だから結構いい商売である。ホテルでパソコンつないでメールのやりとりするなんて、通常は仕事関係だけだから、客は使用料金を経費で落とせる。このあたりにつけこんだホテル側の思惑だろうか。


中国に来てからは毎日が面白い。
もちろん仕事で来ているのだけど、予期せぬ話が思わぬところから出てきたりする。こちらもはったりをきかせながら腹の探りあいをする。契約社会でがちがちの米国から来て見ると、それはそれはエキサイティングである。お互いに第二外国語である英語で会話することも、こちらからすれば精神的に楽になる。
昼から酒をあおりながらの商談。
アメリカではほとんど飲まないのですっかり酒も弱くなったけど、なめられてはいけないので相手に負けないようにこちらも必死に飲みながら頭をフル回転させて情報を取る。

30代のギラギラした同世代が、少しでも成果を出そうとがむしゃらにぶつかってくる。だからこそこちらとしては注意も必要なのだけど、そうしないと生き残れない中国の激しい競争社会を垣間見ることが出来る。会う人会う人が数年で転職を繰り返しており、そのスピードと貪欲さは学ぶところが多い。

自分が中国に駐在したらどうかと言うことも考えてみる。
そして、日本人が中国に駐在して中国人と同等にやっていくのは無理なのではないかとも思う。あまりにも奥深い中国人社会で、文化も何も違う日本人駐在員が会社の利益のためを考えてやっていける世界ではないであろう。

自分も、アメリカからこうしてきたという事で、いろんな経験が出来ていると思う。日本から来たのではなくてアメリカだからというのは大きい。

私見だけど、中国人は日本など見てない。同じ大国、アメリカがやっぱり気になるというように感じるのである。



Kyosuke