嗚呼!米国駐在員。
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2004年07月31日(土) ゴルフ大会の幹事

年に数回はゴルフ大会の幹事をしなければならない。
まあ、誰かがどこかでやらなくてはならないからしょうがないのだけど、これが結構やっかいなのである。

特に組み合わせは気を使う部分だ。
まず組ごとのレベルを均等にせねばならない。
これはゴルフ場にも迷惑をかけないため、スムーズに進行させるためだ。日本人の大会は遅くなりがちなので、申し込みを受け付けないゴルフ場もあると聞く。こういった迷惑だけは避けなければならない。各人のハンデを睨んで、組ごとの実力が偏らないようにする。これは基本。

お偉いをどこに置くかもやっかいである。
たいていは一番後ろの組にしておくのが無難なのだが、中には部下の車に乗せてきてもらい、その場合は最終組のスタートまで待たせないといけないので気が抜けない。最初の組にしてくれ、と言ったオヤジは、プレー後のパーティが待ちきれなくてうるさい場合もあった。

そして当然、あれとこれは一緒の組はマズイ、とか、こいつと同じ組にして欲しい、とかいうわがままな事を言う輩も当然出てくる訳だが、これを全て聞いているときりがないのでその辺は適当に。

そしてアメリカならではの苦労、というのがゴルフ場とのやり取りである。
こちらは粗相があっては大変、と何度も何度も確認を繰り返す。相手はNo Problem!をいつものように繰り返すのだが、全くもってこれが怪しい。

ゴルフ場そのものの予約がされていない、というケースはないだろうけど、10ホールからスタートせよ、と突然言われるケースもあるし、カートに名前が入っていない場合だってある。
一番心配なのがパーティ会場。去年は会場が押さえられていなくて、急遽レストランを仕切って対応させた事があった。当然文句を言うのだけど、現場はそんな話は聞いていない、の一点張り。予約の責任者であるマネジャーは、土日は休んで連絡がつかない。こうなると泣き寝入りである。

もちろん、それなりのメンバーコースであれば抜かりはないのだろうけど、限られた予算の中でパブリックを使わざるを得ず、そうなると対応もあやふやで予期せぬ事態も十分考えねばならない。

そろそろ幹事の時期が近づいてきた。
普通に進行して当たり前のことこそ、いっそう気を使わねばならないのである。


2004年07月30日(金) 肩こりのもんだい

エレベーターに乗っている際、身体を捻ってストレッチしながらボリボリボリと関節を鳴らしたりすると、必ずといっていいほど周りのアメリカ人が驚いて見つめる。そして、なんやそれ?といった表情で笑いながら話しかけてくる。関節が自分の意思でポリポリ鳴らせるというのは、彼らにとって信じられないようだ。

アメリカ人は肩こりにはならないのだろうか。
あれだけ毎日長時間運転しているから、多少は肩や腰に張りが出てくるのは間違いないと思うのだけど、日本のオフィスでよく見かけるように、伸びをしたり首をマッサージしたりという光景はほとんど見ない。

街中に出ても、マッサージ屋といったものは全く見ない。
あったとしても、アロマっていうんやろか、美容系のマッサージ。いわゆる指圧というかツボを押えるようなマッサージはない。身体を触られるのはあまり好きではないと聞いたこともある。

もっとも、奴らの身体は骨も関節も肉で完全に覆われているから、見たところ肩こりには無縁の身体に思えるのだが、これは言いすぎか。


ああ、足裏マッサージに行きたい!
それから、うまい美容師さんに10分くらいじっくりと髪の毛を洗いながら頭皮マッサージをして欲しい!

これだけでストレスから解放されるのになあ〜。日本にいるときはどうでもよかったのに、こちらではカネを積んでも手に入らないものが欲しくなる。不思議だな。


2004年07月29日(木) 我慢我慢

仕事が思うようにうまくいかずに、モチベーションも最低である。

こうなると、ついつい色んな出来事や周りの人間に対して不満と批判の矛先を向けてしまうが、一方ではそんな非生産的な事をしてもしょうがない、という気持ちがぶつかり、さらに自分に対しての苛立ちを増加させる。
開き直った態度もついつい取ってしまうのだが、これも後で後悔する事になる。

日本にいるならば、友達と飲みに行ってパアッと憂さ晴らしも出来るのだろうけど、ここは黙って我慢するしかないのか。

それにしても、仕事がうまくいかないのは許せるとして、モチベーションが最低というのは、やはり組織に対して甘えているという事だろうか。

まあ、こんな日もあるか。。


2004年07月28日(水) 米系企業へ新規開拓訪問

出張先のホテルから約1時間のドライブでCanton(OH)の取引先へ。
いや、これまで何も取引のない会社だから、取引先ではなく飛び込み先と言うべきか。

当然場所も分からないから、地図を片手に初めていく道を迷いながらドライブ。途中で迷ったけど、道端で止まって地図を見ていたらパトカーが止まって、くわえタバコのいかついポリスが丁寧に道を教えてくれた。

何とか目的の会社にたどりつき受付に行く。
そこで、事前に必死に調べ上げた相手の名前を告げる。アメリカの会社はアポイント制が主流だから、事前のアポがない場合は、受付で全く相手にしてくれない。今回は、何とか電話でアポを取っていたから安心。

出てきた相手は、勤続35年という初老の上品な紳士。英語もゆっくりで分かりやすい。ラッキーだった。 的確に用件を伝え、こちらも、色んな情報を取ることが出来た。
1年前にアメリカに来た日本人が、たどたどしい英語で一生懸命話していれば、それなりに相手も耳を傾けてくれる事は経験上分かっている。自分としてはもっとスマートに事を運びたいのだが、そういう訳にはいかないのが実態だな。早くもう一段上のレベルでやりとりをしたい、とも思うのだが、日本でも難しい新規の取引が、保守的大国のアメリカでそう簡単にいくわけはないか。

帰り際、事務所内の女性のデスクの上に「南施」と日本語で書かれた札が置いてあった。
立ち止まって 「何、これ?」と聞くと、「私の名前はナンシーなの。これって日本語でナンシーでしょ。」と言う。
「確かにナンシーと読めるけど、意味は違うかな」 「なんていう意味?」 「南に施す、与えるかな?ちょっと通じないかな?」と伝えてしばらく盛り上がる。

帰りも1時間半ばかり運転してクリーブランドの空港へ。
同じTシャツを着た若者が30人くらい同じ飛行機に乗り合わせて、わいわいと盛り上がっていたが、こちとら離陸直後からすっかり熟睡してしまった。

疲れたけど、こんななにげない1日でも多少は充実感を感じる。


2004年07月27日(火) 出張中のひとこま

今日はオハイオ州へ出張。
訪問先で、お世話になった取引先の日本人駐在員が来月に帰国の内示が出たことを知らされた。自分もこちらに赴任してから1年ちょっと。それでも1人、また1人と帰国していく。こうして知らないうちに自分も古株の仲間入りをしていくのだろうか。送別会がわりに夜はステーキ。腹が一杯である。

あまり振り返ってもしょうがないけど、今日頭に来たこと。
1)オヘア空港で発券の際、自動発券装置の紙が詰まってチケットが出てこなかった。係員を呼んだら、カウンターへ行け、とたらいまわし。カウンターで用件を述べると、もう搭乗40分前を切っているから、発券は出来ない、と抜かす。クソババア、適当に言いやがって。慌てて違うカウンターに並ぶと、あっさりチケットを発券してくれた。先のババアの所にいって、チケットを見せ付けて、うそつき!とよっぽど言ってやろうと思ったけど、時間もないしアホくさいのでやめた。

2)クリーブランドの空港で。
レンタカーを借りる際に、よく見たらガソリンが満タンではなかった。針は4分の3のところでとまっている。係員を呼んで違う車にさせようとしたが、駄目だという。じゃあ、どうする、といったら、ガソリンは満タンではなくて、今の針が指したまま、つまり4分の3で返してもよい、という。そんなの、返した時の係員は知らんだろうが、と文句を言うと、じゃあ、これをその時に見せろ、と言って、Gas 3/4 OK!! と紙に書いて渡す。オイオイ、オヤジ、こんなんじゃ意味通じねえよ、と思ったけど、もうここまで話するのに30分くらい経っていたので、時間もなくあきらめてきた。

こんなことが日常茶飯事なんだけど、どうもアジア人として馬鹿にされている気がしてしょうがない。単なる被害妄想だろうか。

今日面白かったこと。
飛行機で隣の席に黒人のおばちゃんとその5歳くらいの子供が座った。飲み物サービスが来たときに、おばちゃんは熟睡中。子供は「coke,please!」とこっそり言う。スチュワーデスがペプシを渡して、子供が飲もうとした瞬間に、おばちゃんが目覚めた。子供のペプシを慌てて取り上げて、スチュワーデスに「ちょっと!こんなの飲ませちゃだめじゃない。フルーツジュースに変えて!」と叫んだ。スチュワーデスは、だってアンタの子が頼んだんだから、ってぶつぶついいながら、結局代えてくれた。そのときの女の子の表情が、もうちょっとで飲めたのに、というとても残念なかわいい表情をしたのが実に印象的。周りの大人がペプシばっかり飲んでいるもんな。そりゃ、子供だって飲みたくなるわな。


2004年07月26日(月) 亀田三兄弟 / ゴルフ

日曜日。最高気温が80F(摂氏26度)に届かない日々が続く。夏としては物足りないけれど、ひんやりして実に過ごしやすい。

昼前から友人夫妻とゴルフ。
相変わらずドライバーが安定しない。いつもナイキなのだが、去年買って今ひとつで使っていなかったタイトリスト983を試すと、これがいい。まあ、スイングが安定していないから、次はまた違う結果になるのだろうけど。アイアンは、構えた時にソールを若干浮かせると、うまくヒットする。こんなことに何故早く気がつかなかったのだろうか。それがゴルフ。スコアは96で可もなく不可もなく。

夜はレンタルビデオ。
大好きな「ZONE」の4本取りを一気に見る。印象に残ったのが、「亀田三兄弟」。日本では話題になっているのだろうか。

ボクシングに人生をかけた三兄弟とそのオヤジ。大阪でしかみないようなおかしな髪型に人を完全になめきった態度。なかなか最高である。今の所、1ラウンドKOが続いて敵はいない。トレーニングもしっかりされている。ただ、これだけ自身満々だと、一度負けたときのダメージが深い気もするのだろうが、そんな事は微塵も考えていない、ある種の清清しさを感じた。

まあ、辰吉と比べるのはあまりにも時期尚早だけど、プロとしてこれくらいの話題作りはいいのではないだろうか。いずれにせよ、注目は集めるボクサーだ。

この三兄弟。色々言う人が出てくると思うけど、親父のことを尊敬している、とカメラの前でもリングの前でも堂々と言っており、これからも親父についていく、と言っていた。これは素晴らしい。これだけ親のことを尊敬し、はっきり人に伝えられる若者が、今の世の中どれだけいるのだろうか。


2004年07月25日(日) 健康を気にしたら不健康である

「快癒力」 (篠原佳年著 サンマーク出版)読了。

たった一度の人生を、楽しく健やかに、充実したものにするための最高の健康法は、「病気」を気にしない、「健康」を気にしないこと。難病治療の名人と呼ばれた著者がたどりついた「イメージがあれば、健康になれる」という真実は、あえて言ってみればごく当然のことかもしれない。ただ、「病気を治すのは薬と医者ではなく自分次第」という基本原則を分かりやすく納得のいくように記されており、自分の生き方はこれでいいのか、と振り返る気にさせられる著書である。

実は6年ほど前に体調を崩して入院した時期があったのだが、お見舞いに来てくれた大学の友人が進めてくれた本。当時はなるほどな、とは思ったものの、当時、病の渦中に入っていた自分には自分を変えるような余裕はなかったような気がする。

健康に不安もない現在、あらためて読み直すと、実にうなずくような内容ばかりである。
病気になることは、悪いことではない。何が自分にとって大事なことなのか、という事をきづかせてくれるまたとない機会であり、これまでの生き方は問題だ、と教えてくれる。一生懸命生きる事がいつも正しいとは限らない。それが、自分以外には正しくないかも知れないからだ。病気になって本当の自分を見つめなおし、欠点に気がついて生き方を修正すれば健康を保つことが出来る。

思い起こせば、入院した時期は、初めて転勤してしばらくたってからのこと。色々あって精神と身体のバランスが崩れていたのは明らかであった。まさに「病は気から」である。でも、おかげで等身大の自分が分かるいいきっかけにはなった。

30を超えてからは、健康ネタを友人と語る機会も増えてきた。
健康を考える時点で不健康、と今でも思うのだけど、結局は、夢中に何かを追い求めるモノがあれば、病気になんかなっているヒマなんてないと思う。

年を重ねるごとに世間と自分が分かってきて、常に目標を持つことは難しくなってくるのだけど、なんとなく毎日を過ごす事だけはやめたいと心がけているのだが。


2004年07月24日(土) 携帯電話を買う

出張明けの金曜。せっかくの金曜だというのに朝から猛烈に忙しい。もう午後11時になろうかというのに帰れない。気分転換にこの文章を書いてみる。


会社の先輩が新たに携帯を作りたい、というので付き合った。
アメリカで買う携帯。これがややこしい。まずは、電話だけ売って後の通信は勝手にやってくれ、という意味不明な店がまだまだあるので、しっかりACTIATIONしてもらう、つまり電話が使えるようにしてもらえる店に行かねばならない。

本体価格はほとんどの機種で値引きをしているが、この値引きはリベートと言っていわゆる払い戻しである。つまり、一旦は全額払って、あとで郵便で必要書類を送れば、後日に値引き額がチェックで送られてくるという仕組み。

まずはプランを選ばねばならないが、このリベートを得るには、月に40ドル以上のプランに一旦入らねばならない。「リベート受けたら安いのに買えれば」と店員は言うが、その通りである。

また、よく分からないのが、デポジット。
自分の場合は、いきなり500ドルくらい取られた。1年後に金利つきで戻ってくるのだけど、ああ、信用されてないんだなあ、と嫌な気分であった。ところが先輩の場合は、デポジット要りません、だって。理由を聞いたら、クレジットヒストリーが素晴らしいから、と。
赴任したばっかでヒストリーもなにもないのにな。俺だって同じ条件だろうが。まあ、別に取られないに越したことないけど。

そしてリベートを受ける為には、色々ややこしい。
ちなみに今回は175ドルの機種に対して130ドルくらいのリベートだから大きい。必要な書類は、レシートはもちろん、製造番号(オリジナルのバーコード要)、初回の請求書のコピー、などなど。

といっても、こちらの郵便っていい加減だから、ちゃんと届くのかどうかも分からない。そして、すっかり忘れた頃にこのリベートは帰ってくるのだ。うまくいけば。

最後に、ちゃんと動くかどうか確認したら、案の定、電話はウンともスンとも言わない。店員は、「数時間待ってみたら動くと思う」といってさっさと話を終えようとする。「そんなはずはない。ちゃんと調べてくれ。」「いや、大丈夫はずだって。」こんな問答を10分位していたら、電話が通じた。一安心。

ちなみに携帯。ハイテクの国のイメージの割には、古い古い。
日本と比べれば数年間遅れていて、実に格好悪いモデルばかりだ。携帯でメールなんて、とても無理に思えるものばかりである。メールも写真もやっている人を見たことがない。


2004年07月23日(金) 待つ。待つ。ひたすら待つ。

昨日の待ち人。
フライトを調べると、氏の出発予定と聞いていたワシントンからの最終便が夜の11時であった。
まあ行っても無駄やろ、と思ったけど、とりあえずホテルから空港へ向かい待つこと数十分。中年の日本人発見!名前を名乗って確認すると、

「ああ、どうも。来られたんですが。一人でタクシーでホテルに行くつもりだったのに。」だって。

「午後4時過ぎのフライト着予定だったのが、何があったか知らないけど、遅れるなら携帯かホテルに電話くらいくれてもいいでしょうが。日本じゃ、行方が分からんって大騒ぎになってますよ!!」と言いたかったが、そこは商社マン。ぐっとこらえて「お疲れ様でした」と淡々と言うのであった。

どうやら、乗り継ぎに手間取ったらしい。でも、遅れるならば電話くらいすると思うけど。普通。
午後4時から11時。こちとら飯も食えず何をすることも出来ず辛い時間だった。


ところが今日はもっと辛かった。
商談を終えて帰りのフライトは午後2時半発予定。天候不順で1時間遅れてようやく飛行機の中へ。ところが1時間座ったまま動かず。流れたアナウンスはフライトキャンセル。
空港に戻り長蛇の列。1時間並んでようやく最終便の席を確保。と思ったら、発券装置が壊れて違う列に並んでくれ、とオバサンがぬかす。また別の列に1時間並ぶ。ようやくチケットを確保したらフライトが2時間遅れる。もう何が何だか分からないが、要は通常は3時半に戻ってくるはずが結局午後11時になったということ。

なんとも厳しい2日間だったな。


2004年07月22日(木) 待ち人現れず

来ない、来ない!!

早朝の飛行機でコネチカット州へ出張。
午前中に1件客によって商談をすませて、午後には空港で日本の取引先の人をピックアップする予定だったのが、そのお方、どうも予定の飛行機に乗ってなかったようで現れなかった。何かの事情で乗り遅れたのだろうと思い、2時間後の次の便、そしてさらに4時間後のその次の便も待ってみたが、全く現れない。日本にも連絡を取ったが分からない。宿泊ホテルにも確認したが、チェックインしてないし、メッセージも入っていない。フライトも調べたが、予定通り全て運行されていた。

一体どうしてしまったのだろうか。
相手は米国在住経験者なので、ある意味では心配はしていないのだが、万一アメリカ国内で乗り継ぎミスがあったとしたら、こちらの携帯かホテルに電話の一本くらいあってもいいはずだ。
ところが全く何も連絡がないのがよく分からない。

明日は、顧客と大事な打ち合わせ。
客も全米からこの日のために集まってきている。技術的打ち合わせなので、自分は無力。スペシャリストのその方がいなければうどうにもならない。どうするべか。

それよりも、何か予期せぬ事態が起こってないか。
とにかく何の連絡もないのが不可解。心配である。


2004年07月21日(水) ランチのもんだい

たいてい、事務所にいる時の昼飯は日本人駐在員同士で取ることが多い。
赴任当初は米人スタッフとも行ったが、食事の好みが合わないことと、あまりにも食事の時間が長いことに閉口してしまい、今ではあまり行かなくなってしまった。休憩くらい日本語使わせてよ、という気持ちもあるし。

昨日から、日本人は自分1人だけ。
たいてい1人の時はマクドナルドかサブウェイであっさり済ます。昨日はマクドナルドに行ったので、今日はさすがにファーストフードは遠慮したく、車に乗ってイタリアンレストランへ行った。パスタもいけるが、ここのサラダ盛り合わせ(ASSORTED SALADA, US$5.95)が最高にうまい。
最近は毎回このメニューだけを頼んでいるのだが、いつ食べても飽きない。もちろん、ボリューム満点なので、これだけで十分である。

その店はオープンカフェにもなっており、そこではこじゃれたイタリア系女性なんかが、パスタと冷えたビールでランチしているのだが、何を思ったか、今日は自分も外で食ってみよう、と思ってしまったのである。

サラダを前に席に座る。
ところが、アジア系の男が1人でオープンカフェでサラダをつつく姿を想像するに、どうみても格好悪いんじゃないか、といらん事を考えてしまった。ひとたびこんな事を考えると、もういてもたっても居心地が悪くなって、そそくさとサラダを片付けて退散してきてしまった。

一体何をやっているんだか。
やっぱり行き着く先は、何の気も使う必要もないファーストフードになってしまうのかな?

思えば吉野家っていうのも、サラリーマンにとっては最高だったな。


2004年07月20日(火) 「ワイルドスワン」

昨日スピード違反で捕まった話を、会社の米人にしていたら、
「それって、やっぱりCOURT(法廷、裁判所)に行かなくちゃならないと思う。それから、罰金だけじゃなくて、違反の点数も取られるし、来年の保険料もアップするはずだ。」と言う。
こちとら訳が分からないので、とりあえず、反則キップの控えを明日持参してみてもらう事にした。罰金だけで済むとは甘い考えだった。憂鬱だな。



ユン・チアンの「ワイルドスワン」上巻を読了。
確か最初に発行されて話題になった当時、大学時代に読んだ記憶があるけども、10年ぶりに読むと内容はさっぱり忘れていた。

三代にわたる中国女性の人生とその激動の時代を描いた自伝的ノンフィクション。
多くの人が苦しんだ中国の革命。「大地の子」でも感じたのだが、とにかくそのやり方が陰湿極まりない。徹底的な権力闘争のいきつく先は、人間の精神を破壊するしかないということだろうか。

それにしても毛沢東、ってのも、中国では英雄視されていると思っていたが、実際はとんでもない奴であった事がよくわかる。人間のやる事じゃないな。まさに自分の権力を守る為にはやりたい放題。今度中国に行った時に、毛沢東についてどう思うか聞いてみようと思う。

この本の筆者であるユンチアンは間違いなく上流階級。おじいちゃんは医者だし、共産党員の高級幹部の娘。この時代にしてはかなり恵まれた環境だと感じる。そもそも、この時代に中国全体で起こっていた事を把握していたのは、ほんの限られた人数しかなかったはずである。その意味では「大地の子」よりも少し安心して読めるかもしれない。悲壮感の度合いが違うから。

それにしても、自分がこの時代の中国にいたとしたら、どのように生きたんだろうか。
残念ながら、ある程度は周りにも流されてしまい、とても自分に正直に生きる事は出来なかったのかもしれない。今だってそんな生き方が出来ているか怪しいもんだから。


2004年07月19日(月) 初めてポリスに捕まった日

天気の良い日曜日。昼から近所でゴルフ。地元の知り合い、日系のおじさん、そして会社の先輩。
ここまではいつもの休日。

問題は帰り道である。先輩の車の後ろについて車を走らせていたら、後ろにパトカーがビカビカビカっバリバリバリバリっと、(分かるだろうか?)車体中を光らせて後ろにぴったり。

ありゃりゃ、先輩の車かその前を走っている車、捕まったんじゃないか?と思ったら、なんとこちらを指差して車を停めろ、と言う。
オイオイ、俺かいな?

とりあえず車を停めて降りようとすると、
サングラスをかけたいかにも映画に出てくるようなガタイのいい警官は「動くな!!手はハンドルに乗せろ!!」と言う。

おおげさやなあ。分かった分かった。そして言われるまま、免許書と自動車保険のカードを見せると、
「18マイルオーバーの速度違反だ。シートベルトもしてないな。」
「違う違う。シートベルトはたった今外したばっかや。」
「じゃあ、スピード違反は取り締まることにする。シートに座ったまま動くな!」

もうなすがままである。
パトカーの中で書類を書いた警官がまたやってきて、「免許書は預かる。コート(法廷)かpolice stationに行って罰金を納めたら返すことになっている。詳しくはこの書類を読んでおくように。」と淡々と述べて帰ろうとする。

一旦免許書取られたら、つまりは身分証明書を失うことになる。これでは飛行機にも乗れないし、後々やっかいである。

「待ってくれ!カネならすぐ払うから免許書を返して欲しい。」
「ここじゃ受け取れない。最寄の警察署に行って話しをしてみてくれ」
「だって、アンタが俺の免許書もってるじゃないか。警察署に行っても届いてないって言われるだろうが。最寄の警察署なんか分からないから、パトカーで案内して欲しい。」

こちらも必死だったし、警官も訳の分からんアジア人がおかしな英語でまくしたてたのを気の毒に思ったのだろう。
「よっしゃ。俺について来い。」 なかなかいい警官であった。

5分ほど走って警察へ。罰金は75ドル。30キロオーバーでこの罰金は日本と比べてどうだろうか。
ぴったり無かったので80ドル出すと、「おつりはない」と言う。「おつりは要らん」と言うと、「違う違う、丁度の金額しか受け取らないという事だ。カードも受け付けない。」
融通きかんなあ。先輩に電話して5ドル借りて支払い。無事に免許書は戻ってきた。

捕まった場所は、スクールゾーン。それまで50マイル制限だったのが、急に30マイル制限になって、そこに入った瞬間に捕まった。まあ、制限速度が変わった瞬間に掴まえるというのは、こちらの警官がよく使う手であるし、今回は自分でも認識していたので、無駄な抵抗は一切しなかった。罰金だけで済むならばしょうがないのだが、日本のように点数も取られたりするんだろうか。気になる所だ。

今回初めて警察に捕まったのだが(スピードオーバーは日本も含めて初めて)、冷静だった点は、捕まってすぐに窓を全開にした事。自分の車は、運転席と助手席に州で違法のTINT(日本で言うスモークか)が貼ってある。おかげでこれは見つからなかった。
また、ラッキーだったのは、いつもゴルフの帰りは必ずビールを飲んで帰るのだが、今日は暑くて疲れたので、今日に限ってアイスティーにしておいた事。これで酒気帯びなんか食らったらたまらない所だった。不幸中の幸いか。

まあ、毎日色々あって楽しいですわ.


2004年07月18日(日) 布袋寅泰、アメリカでヒット

予定のない土曜日。9時半まで寝て、全英オープンを。全く日本人が出てこない。期待の丸山も駄目だ。ウッズが少し調子を上げてきたので最終日が楽しみだ。それにしても、全英オープンは、いつも寒そうだし風も強い。グリーンもフェアウェイも芝の色が薄くて、どうも地味で辛い大会、我慢のゴルフをする場所だというイメージがある。

昼過ぎに読書をしようと思ったら、知らぬ間にぐっすり熟睡。気がついたら午後3時。やっぱり疲れがたまっていたんだろうか。


インターネットで布袋寅泰の記事を読んだ。
アルバム、「ELECTRIC SAMURAI」がここアメリカで大ヒット。全米最大のインターネット音楽配信のチャートで第6位だという。布袋ファンの自分は当然このアルバムは発売直後に日本から送ってもらって手に入れているわけであるが、この結果には正直驚いた。

このアルバムは布袋の世界進出という前評判の割には、アメリカでの発売がなく、韓国、イギリス、ロシアでの発売にとどまった。にも関わらずアメリカでのヒット。映画「キルビル」のテーマ曲が入っているとはいえ、CD発売前にこれだけ話題になるアーティストは初めてだという。

デビュー以来、布袋のアルバムやビデオはもちろん全部持っているしコンサートにも何度も行ったのだが、このアルバムが受けるとは意外だった。これまで聞いてきたアルバムの中ではそれほど良くなかったように思えたからだ。なんでだろうか。このアルバムは、布袋の独特の歌がなくてギター一本で勝負している。布袋の歌も悪くないんだけどなあ。
でもだから、逆に良かったのか? キルビルのテーマ曲は和を感じさせる所がアメリカ人に受けたのかも知れない。日本では、「仁義無き戦い」のテーマ曲でもあった。よく、こちらのテレビやCMにも挿入歌で使われるのを聞く。好きなアーティストが世界で認められたというのはうれしいものだ。

布袋関連のネットを見ていると、布袋と高岡早紀の不倫のような記事もあって、高岡の元旦那の保阪とかいう俳優が布袋を、許せない、と怒った記事も読んだ。ああ、くだらんくだらん。
それにしても誰なんだ、保阪って。元旦那がこんな事でわざわざ会見開くなって。

しかし布袋がモテるのは、分かる気もする。
才能やカネがあるっていうのは当然の事で、それ以外には、妥協をしない男であるし、まさにサムライのような男だからだ。でもコンサートに女性は少なかったんだけど、「おい、また男ばっかじゃねえか」と叫ぶ布袋は本当にうれしそうだったな。同姓に人気があるってことは、異性にモテないって事はないと思うんだけど、違うだろうか。


2004年07月17日(土) マドンナのコンサートに行ってみた

どうも仕事がうまくいかずに面白くない。何だか疲れもたまっている気がする。天気はいいのだが、毎朝なかなか起きれないな。


昨日はマドンナのコンサートに行った。
午後8時開演だったが渋滞で8時半着。あせったのだが何の事はない、午後9時前に始まった。

感想−やはり大物である。ダンスもうまいし、歌もちゃんと歌っていた。ブリトニースピアーズは口パクだったので、外タレはみんなそうなのかとも思ったけど、安心した。特にマドンナのファンでもないし、知っている曲も誰でも知っている全盛期のものだけだったのだが、「魅せる」コンサートで2時間全く飽きることがなかった。

それにしてもマドンナ。あれで40才代とは驚きである。大観衆を前に、堂々とした大物オーラが素晴らしい。客も同世代が多かったが、大変な盛り上がりようだった。思ったのは、客と会話をしながらの一体感を持ったコンサート運びがうまいな、ということ。それを大観衆相手にこなせるのは、世界でも限られたアーティストだけが可能なのだろう。もっとも、こちとら、何喋ってるのかさっぱり分からなかったけど。

才能はもちろん疑う余地がないのだけど、やっぱりあのスタイルと歌唱力、ダンスも含めて相当努力しているんじゃないかなあ、と思った。

まあ、アメリカに来て文句ばっか言ってるのだけども、メジャーリーグやこうしたコンサート、PGAツアーにも気軽に行けるという点は、やっぱりアメリカならではの体験なのかもしれない。


2004年07月16日(金) 店から適当な対応をされる事

5月に修理をお願いしていたカバン屋から、ようやく修理が出来たと連絡が入った。
修理といっても単なるジッパーのつけかえ。飛行機で荷物を預けてこわされたもので、航空会社が金を出してくれるというので修理を頼んだ。

当初2週間で完了と聞いていたが、1ヶ月たってもうんともすんとも言ってこない。
電話で聞いても、もう少し待て、の繰り返し。でも全く調べずに間髪入れずに答えやがる。あいつら何の責任も感じなていない、入れ替わり立ち代りのアルバイト君なので、適当に答えておけや、程度のもんだろう。

たまらず直接店に行って直談判した。

なんと、カバンは修理もされずにそのまま残されていた。
対応に出た奴に文句を言うと、俺は何もしらん、の一点張り。そりゃそうだろう。でも、少しは申し訳ないって思えって。Sorryの一言が君達は何でいえないのか。 それだけでこちらの気持ちも変わるのに。

「間違いなく外注に出すから」と言われて、こちらもその場は引き下がった。

その間、しつこく電話を続けた。でなきゃ、カバンが戻ってきても、何の連絡もないかもしれない。もう信用できん。

そして今日、ようやく電話が入った。
「あなたのカバンは修理されて戻ってきましたよ。いつでも取りに来てくださいね。」

「Thank you. で、料金は?」

「 I don't know.」

「チェックしてくれ」

「私はマネジャーじゃないから知らない」

アホか、おまえは。「調べて電話かけ直す」の一言が何故言えないんかねえ。

「じゃあ、調べてかけ直してよ」

「OK ! バーイ」

当たり前だけど、その後電話はなかった。


2004年07月15日(木) 英語で40ってどう書く?

4月に赴任してきた先輩から先日チェックを預かった。
チェックでは支払い金額を数字だけでなく、英語でも書かねばならないのだが、40をFORTYと書いてあった。
あれ? ボスからもらったチェックを見ると、やはり FOURTYと書いてある。

「スペルが間違ってますよ。゛U"が抜けてますよ。正しくは、FOURTY。 まったく(笑)。」
「悪い悪い。でも指摘されなきゃ、気がつかなかったな。」

ところが、この先輩氏、今日つかつかと寄ってきて、
「このまえの40のスペルだけど、やっぱあれって俺ので間違いないんじゃないかなあ?」

「えっ!?」 
慌てて辞書を見ると、確かにFORTYだ。FOURTYなど何もない。

隣ののアメリカ人にすぐに確認する。
「ここに 40って書いてみて」   → FOURTY

別のアメリカ人おばちゃんにも書いてもらう。 → FOURTY

「君達、ほんまにアメリカ人なんかいな?」

彼らも産まれてこの方、ずーっと知らなかったらしい。 指摘しても「正しいのはFOURTY」と言っていた。厳密には、このスペルはBRITISH ENGLISHなのだろうか。であれば、どちらも間違いではないのだが。

先輩氏のように、やっぱりちゃんと米人教師について英語を習っている人は強い。


2004年07月14日(水) 帰宅のストレス / ホームラン競争

昨日は午後8時ごろに会社を出る。
まだ日が高いので外は明るい。車の窓を全開にして、音楽をガンガンかけて、いつもと違う道で帰宅する。実に気分のいいひと時である。アメリカにきて、色々大変なことはあってそれなりにストレスも感じるのだけど、ふと、帰宅の時は日本と違ってストレスを感じるどころかいい気分転換になって最高だな、と感じた。

日本の帰宅は憂鬱だった。東京の地下鉄東西線。毎日もみくちゃ。残業で遅くなれば、電車内は酒臭く酔っ払いのオヤジばかり。まあ、自分もそういう時はあったのだけど。午後10時過ぎたらもう地獄だったな。 それから高校生くらいのクソガキども。ジュースは飲むはお菓子は食べるはで、あげくの果てに地べたに座り込む訳の分からん奴もいたな。こんな光景とは縁が無いことは、有難い限り。


帰ってオールスターのホームラン競争をテレビ観戦。
ホームラン競争だけを見に観客が超満員。外野では、いい年したおっさんから子供まで、みんなグローブ片手に盛り上がる。選手も、みんな真剣勝負である。ホームランしか狙わずにホームランを打つ。プロとはいえ、その才能には息をのむ。

特にサミーソーサ。もうガチガチに力が入っているように見えるのだけど、ボールがピンポン玉のようにスタンドへ。ボンズ(変換したら、"盆図” と出た。ははは。)といい、名前で客を呼べる選手は華もあるし、やっぱり見ていていい気分にさせられる。

このホームラン競争、ヤンキースからは予定のジアンビ(これは変換したら"事案日"だって。もうええって。)が辞退して、松井が代役候補だったようだ。しかし本人は時期尚早ということで辞退。日本中からは残念というの声が聞こえてきそうだけど、ファンとしてはホッとしたような気もする。これだけ歴史と由緒あるメジャーのホームラン競争。松井の実力は誰もが認めるけども、メジャーではホームランバッターではない。あまり打てなければ、気の毒な気もするし、大体、振り回すだけのジアンビの代役というのも気にいらない。

といっても、現在の17本塁打は、ホームラン競争のメンバーに入っても8人中5番目の成績。やっぱり見てみたかった気もするような。どっちやねん。

まあ、松井選手には、オールスター当選も文句なし、ホームラン競争も最初から選ばれるようになってから、堂々と出て欲しい。どうせ、そんな時はすぐにやってくるのだから。


2004年07月13日(火) ガソリン代節約! 燃費のいい走り方

1ヶ月ほど前に愛車のアメ車ピックアップトラックでは、燃費が表示出来ることに気がついた。
通常の表示だと、1ガロンあたりのマイル数が表示されるが、モードを変えると、リッターあたり何キロ走るかが表示される。日本人としてはやはりリッターあたりの数字の方がピンとくるのだけど、やっぱりアメリカにいる以上はガロンとマイルに慣れなあかん、と、おかしな義務感を感じて通常の表示にしているのだが。

愛車のピックアップトラックは、5.8LのV8。360馬力という化け物なので、当然ガソリンを食ってしょうがない。ちなみにこれをアメリカ人は、Drink a Gas A Lot !!と言う。 最初はガロン12マイル、つまりリッター約5キロという燃費であった。

ここから、燃費向上計画を密かに作って、如何に高燃費で走れるか、を研究した。何せ、走っている最中にその瞬間の燃費が出てくるので、ダイレクトに走り方の結果が出てくるのが有難い。

その結果、次のことが分かった。

1)やっぱり踏み込む(特に信号が青になったとき)と、燃費が落ちる。回転数を急に上げてはいけない。とにかくアクセルはゆっくり徐々に踏むべし。
こちらの新聞では、足の裏とアクセルの間に生卵があると想定し、卵を割らない意識で踏め、と書いてあった記事があったが、まさにその通り。

2)50−60マイル(80キロ〜100キロ)を1800回転程度で安定的に走ると、異様に燃費がよくなる。クルーズコントロールを使うのは効果大。
特にハイウェイではハイオクの方が燃費がグッと良くなる。

3)急ブレーキも燃費が悪くなる。ブレーキもアクセルと一緒でそろりそろりと。その為には車間距離をしっかり取ることが大事。

4)アクセルを踏んでは外し、しばらく惰性で走らせる。これをすると、やっぱり燃費は上がる。

こうして走ると、12マイルだった燃費も平均ガロン16マイル(リッター約7キロ)くらいまで上がった。明らかにガソリン代の支払いが減った。しかも、上記を実行すれば、このうえなく安全運転である。たいたい自分がのろいので、前が遅くてもイライラしない。

ガソリンが高騰しているこの時代、安全運転を推奨するには、この燃費表示を全車種のスピードメーターの横に取り付ければいいのではないか。そうすれば、急ブレーキ、急発進は数字がガクッと落ちる、つまりガソリンを食っているのがすぐ分かるので、誰もがゆっくり運転するようになるのではないか、と思う。日本車ではこんな表示がついているとは聞いたことがないのだけど、最近の車はついているのだろうか。

ただ、後ろを走る車は、ただでさえデカくて邪魔なピックアップがノロノロ走っているので相当うっとうしい事だろう。だいたい、そもそも日本にはないパワーに惹かれて買ったトラックなのに、こんな走り方ばかりでは車も可哀想である。

という訳で、あまり気にしないようにしているのだが、やっぱり目の前に数字がピコピコ出てくると、それはそれで気になってしまってなかなかアクセルが思い切って踏めなくなってしまった。

良かったのか? 悪かったのか?


2004年07月12日(月) アメリカのパーティーでのツカミ

珍しくやや蒸し暑い日曜日。
久しぶりにヨガに行ったり買い物にいったりとのんびり過ごす。日本では選挙だったようだが、全く知らなかった。日本に住んでいないからか、結果もあまり興味がないのが正直なところ。ところで、在留邦人の投票の制度っていうのは、どうなっているんだろうか。確か、アメリカでも投票できたと思ったけど、何の連絡もないな。

夏と言えばバーベキュー。土日の度に、あちこちで肉を焼く光景を目にする。
バーベキューパーティーというのも多いのだけど、正直言って休みの日まで英語もあまり使いたくないので、一度も行った事がない。こうしたパーティに行くのがおっくうな日本人は多いようで、アメリカで発行されている日本人対象の無料雑誌には、食べ物や飲み物はこれを持って行け、などという特集がされていたので読んでみた。

その中で、パーティでつけるネームタグ(名札)の話があった。例えば、「Hello, My Name is KYOSUKE.」などというバッジをつけるのだけど、少しジョークを入れるとうけるかも、とある。
例えば、

Hello, My name is GIVEN BY MY MOTHER. (私の名前は母親がつけてくれました)

Hello, My name is NOT YOUR NAME.(私の名前はあなたとは違う名前です) など。

こんなネームカードをつけて受けを狙って会話のきっかけを、とある。

なるほど、確かにアメリカで受けそうだ。陽気なオヤジが、Its Funny!といって握手を求めてくるのは間違いない。でも、こんなのつけた日本人になるのも嫌だなあ。確かにせっかくアメリカにいるから郷に従ってジョークも言えるようになりたいんだけど、一方でこんな感覚を身に着けて帰国した駐在員は、日本ではどんな扱いを受けるんだろうか、やっぱり浮いてしまうんじゃないか、とも考えてしまうのである。


2004年07月11日(日) イチローはどこに? / ゴルフコンペの顔合わせの一言

9日金曜は、とっとと仕事を定時で終わってまたもやゴルフへ。本当に仕事してないなあ。これでいいんだろうか。まあ、冬が長い土地の唯一の贅沢という事で。今回はあまりいかないコースへ行ったのだけど、何周年記念だとかでたったの7ドルだった。おまけにグッズ付き。相変わらずお得である。そういえば6月は午後9時前まで明るかったのだが、8時半ごろで暗くなり始めてきたな。そろそろ、日も短くなってきたということか。

ゴルフを終えて、会社の先輩と韓国料理屋へ。
もちろん調理場も店員も韓国人。本場のキムチ鍋とチジミが実に結構。ビールに続けてジンロを3本飲んで酔っ払う。サラリーマンにとって上司の悪口は尽きないものである。それにしてもこの韓国料理屋。店内はそこそこ広いのだけど、後から後から韓国人の若者が入ってきて大変な賑わい。夜10時に閉まる店ばかりの中で、深夜まで営業しているうえ、サービスも良いので、最近はよくこの店に通うことが増えてきた。アジア人をバカにしまくったアメリカ人の無愛想な接客を受けるよりもはるかにマシである。やっぱり同じアジアという事で、この店は安心感があるなあ。
という事ですっかり酩酊して深夜帰宅。

そして本日は元気に朝6時出発で業界の日本人ゴルフコンペ。
酔いの残る頭で朝のハイウェイをのんびり飛ばしてゴルフ場へ。今日のペアははじめて組む人ばかり。こういった場合、挨拶代わりに、「最近調子はどうですか」みたいな質問をよくされるし、実際に自分もするのだけど、この答え方が難しい。たいがいは日本人らしく、「いやいや、最悪ですよ」「もうボロボロ。迷惑かけないようにします」なんてコメントをするんだけど、一度、「調子は悪くないですよ」と言ったときは相手に怪訝な顔をされたな。

なんとな〜く、ゴルフをすると、やっぱりうまくいかない。結局100を切れずに商品にも絡まずに終了。

そうそう、今日はシカゴのホワイトソックスとマリナーズの試合。コンペのメンバーでも、パーティを待たずにそそくさと試合に向かう人も多かった。みんなイチロー見たさに早くからチケットを抑えていたようだ。知り合いの日本人も、この3連戦のどれかに行く人が本当に多い。メジャーの中でも、日本人ピッチャーはいつ出るか分からないから、日本人がレギュラーのメッツ、ヤンキース、マリナーズの3試合は、日本人駐在員の中では人気のカードである。

家でホワイトソックスとマリナーズのテレビ中継を見ていると、何とイチローが出ていなかった。ははは、ざまみろ!と言いたいのは冗談にしても、早くからイチロー前のライトスタンドのチケットを争った日本人はガックリだろうな。イチローは今日は休養日だったのだろうか。まあ、最後にシカゴの高津が出てきてきっちり抑えてセーブを上げたので、まだ救われたな。高津が出たときには、熱烈ソックスファンのまわりのアメリカ人を差し置いて、日本人が大喜びする姿が画面に何度も登場した。気持ちはよく分かるよな。まあ、どっちが勝っても負けても、日本人が活躍すりゃ、それでいいんだよな。

明日もゴルフに誘われていたがさすがに断った。久しぶりに予定無しの1日。さて、何するかな。


2004年07月09日(金) メールアドレス /  一時金

この拙文を読んで頂いた方からメールを頂く事がある。どうも有難う、といいたい。メールで連絡を取れるようにしている以上、全てのメールには必ず返事をします。しかし、どうしてもそのメールが何故かうまく送れずに返信されてしまうケースもある。別の日にトライしても駄目。こんな場合は、こちらから連絡を取ることが出来ずに非常に申し訳なく思ってしまう。返事が来なかった方、決して無視している訳ではないので、御理解下さい。
ちなみにメールアドレスは、rum88k@yahoo.co.jpになります。返事がなかった方、再度送ってもらえれば感謝します。


そういえば、いつのまにかボーナスが出ていた。6月末だったようだ。
日本にいるときは、支給日にはそれなりにそわそわするし、組合の団交報告も逐一入ってくるので、ああこの日がボーナスだなあ、なんて朝から思うのだが、こちとら何の前触れもなく、いきなり1枚の紙切れが届くだけ。それも、支店長宛に来るので、支店長が出張してれば、何も気がつかぬままである。

といっても、ボーナスからは半年分の住民税やら年金やら生命保険やらが一気に引かれるので、手取りがガックリと落ちてしまう。月々の給料はドル建てでほとんどもらっているので、そこからは全く控除がなくていいんだけど、こうも多額をボーナスから引かれると、有り難味も薄れてしまう。しかも日本円だし。

だいたい、日本にいたときのボーナス支給日のわくわく感が、海外だと全くないのがつまらない。うちの支店では話にものぼらなかったな。もっとも、現地のスタッフはボーナスなんていうのはないから、ボーナスという言葉自体は会社内で使ってはいけない、と言われていたんだった。変わりに、一時金、と言え、と言われたのだけど、組合の団体交渉じゃないんだから、そんな単語でやりとりするのはしっくりこないって。

何だかんだいっても、今年もボーナスが出てほっと一安心である。


2004年07月08日(木) なんとなく物足りない

夜7時になった。いつものように日本に電話。
「おはようございま〜す。」といつものような元気な声が誰からもでない。どうしたのか、と聞くと「暑くて干からびてしまいそう。通勤だけで体力消耗。」らしい。ここしばらくそんな天気が続いているようだけど、特に今日はひどいようだ。おまけに日本は、スーツにネクタイだからなあ。スーツもシャツも満員電車と熱気で、会社に着いた時にはヨレヨレ。そりゃ、大変だよな。

あれこれ電話してたら結局夜の9時。でもまだ外は少し明るいから、調子が狂う。

どうも仕事がはかどるようなはかどらないような。
駐在してからは、今ひとつ手ごたえが掴みづらい。こちらの企業は基本的には電話しても個人につながるし、そのほとんどがボイスメール(留守電)。それも呼び出し音も鳴らずにいきなりボイスメッセージだから、最初から電話に出る気がないということか。

普段付き合いのある取引先でも、たとえボイスメッセージに伝言を残してメールもしたって、それを受けて先方から連絡があるケースは思ったより少ない。でも、もしかしたら当人が長期休暇を取って会社にいないかもしれない。要は相手の顔が全く見えない事が多い。

アメリカ人は合理的というが、要はきな臭い話は一切排除して、都合のいい時に都合のいい話しかしないような気がする。それが常にボイスメールにしておく理由だろう。そうしなきゃ、いつも5時ピッタリに帰れる訳ないだろうが、とも思うのだけど、これは単に自分が段取りが悪いだけのことかもしれない。

何か新しい事を、少しでも変化を、と常日頃考えて仕事に取り組むような人は、圧倒的にアジアの方が多い気がする。出来れば無難に可もなく不可もなく毎日を過ごして、毎日午後6時に家族団らんで夕食が取れれば、人生それでよし、と考えているアメリカ人が多いといったら怒られるか。新しいことを始めるには当然エネルギーがいる。そんなエネルギーは仕事に使う必要なし、と考えているようにも思える。

赴任当初は、なんて素晴らしい考えなんだ、理想の姿だ、と思ったりもしたんだけど、やっぱりベースがJAPANESEサラリーマンだからか。なんとなくもの足りない毎日である。


2004年07月07日(水) ショッキングなメール

すっきりとさわやかな1日。全く汗をかくことのない夏というのは最高である。
日本は梅雨だろうか、あの蒸し暑かった生活にはもう戻れないな。


今日はショッキングな連絡を受けた。
アメリカに駐在する前の本社勤務時代に付き合っていた取引先があったのだが、そこで働いていた仲のよかった若手が転職した。転職の理由は前向きではなくはっきりしていなかったので不思議に思ってたのだが、どうやら取引先の給料未払いが続いていたようだ。

その会社はいわゆるベンチャーのような会社で、T社長が30直前に起した会社。この社長は、とてもカリスマ性もあって話もうまくて大好きだった。何度も一緒に海外出張したし、ゴルフにも連れて行ってもらったり、旅行にいったりして、本当にお世話になった。

ただ、自分が駐在する頃(2003年4月)からなかなか連絡が取りづらくなってきており、アメリカに来てからというものは、電話してもメールしても全く連絡が取れなくなってしまったので、どうしたのだろうか、と心配していたのだけど、こんな状況になっていたとは知らなかった。

一体、何が起きたのだろう。退職した知り合いも、今やほとんどT社長と連絡が取れずに困っているという。ただ、彼曰く、T社長はそんないい加減な人ではないので、いつか未払いの給料も払って、しっかり説明もして謝ってくれるだろう、と信じているようだ。

自分としても、あれほど情熱的で責任感強かったT社長が逃げてしまう、とは、到底信じることが出来ない。全く信じられない。とてもショックである。

自分の価値観というものは何だったのだろう、とも思う。同時に、今T社長はどんな気持ちで何を考えているのだろうか、とも思う。

このアメリカから、自分は何もしてあげることは出来ない。別に日本にいたってどうすることも出来ない。そして、もうT社長の会社の信用もなくなっているのかもしれない。

ただ、今からでも遅くない、現実としっかり向き合って欲しい、と思う。T社長は、このまま責任を放棄したまま平常でいられるような人ではないと信じているから。


2004年07月06日(火) 出張終了 / 独立記念日

朝7時にホテル出発で、ニューアークの空港からシカゴへ戻る。
今日(7月5日月曜日)は休日なので、連日のゴルフへ行くメンバーもいたのだが、戻ってきてしまった。

これで5日間の出張が終わった。連夜の会食。気遣いの連続。でも、こうして海外駐在などしていなければ、本社の役員連中と話をしたりゴルフをしたりなんていうのは考えられないからなあ。いい経験ではあった、と終わった今は思うのであった。

昼過ぎに自宅に戻った。その後ジムにいってゴルフいって、という計画だったけども、ちょっと横になったら爆睡してしまった。気がついたら夜7時。5時間の昼寝(?)か、こんな事は珍しい。よっぽど心身ともに疲れてしまったのか。そういえば、金縛りというのか、寝ながら身体が動かずに苦しかったな。

7月4日はアメリカの独立記念日(Independence Day)。1776年7月4日にヨーロッパ列強による植民地支配からの脱却を目的として大陸会議を開き、独立宣言に署名がなされたことを記念した日。
アメリカの休日は、必ずしも全員が休むわけではないのだけど、独立記念日というのは、数少ない皆が休む祝日のひとつ。クリスマスや感謝祭(Thanksgiving Day)のように宗教色もなく、メモリアルデーのような戦争色もないため、全国民がお祝いをする貴重な祝日に位置づけられている。
独立記念日のイベントといえば、花火とBBQ。全米各地で花火大会が企画され、各家庭では親戚・友人が集まりBBQパーティーが行われる。ニューヨークでも花火の音があちこちから聞こえてきた。

この日にからめてバケーションを取ったりする人も多いし、工場なんかも1〜2週間シャットダウンするところもある。よって、先週から今週にかけての自分の仕事も確実にヒマになる。この時期にたまった資料の整理をしよう、と思うんだけど、結局なにも出来ずに終わってしまいそうなんだよなあ。


2004年07月05日(月) ホットドッグ早食い大会

ニューヨーク出張中。
最終日は恒例のゴルフ大会。何故か会議以上にニギリや何やかんやで異様に盛り上がる。日本から来た取締役連中も、もう熱気でメラメラである。
7組中、1組目スタート。お偉い方と一緒で異様に緊張。ところがお偉いさんは調子が悪くご機嫌ななめ。こんな時は何を言ってもしょうがないし、まあ自分のレベルで御機嫌取る必要もないので、黙々としたゴルフ。とても気づかれしたが自分の調子は悪くなかったのが幸いか。

結局商品も4つ、10位に入ったしニギリで勝ったりでトータル130ドルの臨時収入。疲れたけどまずまずの結果で満足であった。


ホテルに戻ってスポーツニュースを見ていると、ニューヨーク独立記念日の恒例行事、ホットドッグの早食い大会が繰り返し中継されていた。日本の小林クンとやらが、12分間で何と53個半を平らげ、自ら保持する50個半の世界記録を更新して4連覇を果たした。2位も日本人男性で38個。大食い自慢のアメリカ人も多数参加していたが、もう全く勝負にならない。

この小林クン。日本にいる時にも早食いだったか大食いの番組で見たことがあったけど、それにしても面白いようにホットドッグが口の中に吸い込まれていく。人事ながら身体への影響を心配してしまうけど、実際には胃袋の作りが違うとしか思えない。テレビのリポーターも、もう何もいえない、といった表情で言葉もなかった。それほど大柄でもないのにアメリカ人からすれば不思議でしょうがないのであろう。一体彼は普段からどんなトレーニングを積んでいるのだろうか。

12分でたいらげたホットドッグのカロリーはコカコーラ120本分と報道されていた。いやいや、たまげた記録である。なんにしても、日本人が世界でアピールしているのを見ると、とてもうれしく感じる.


2004年07月04日(日) 会議は踊る

無事に2日目が終了。
それにしても、責任ある立場にない自分のようなものが、そうそうたるメンバーの前で自分の意見を言うというのは意外に難しい。内容もタイミングも。昔はそんなことには全く臆さなかったのだが、やっぱり自分も多少年を取っていろいろサラリーマン社会を経験してきた結果なのだろうか。

現金なもので、会議が終われば終わったで、なかなかいい事いるオヤジもいるもんだな、とか思う局面もあったように感じた。まあ、会議ってのは、目的じゃなくて手段だから、これからが大事ではあるんだけど。それにしても今回のようにあまりにも会議そのものを大げさにするのも、会議自体が目的になってしまうという事にもなるような気がするんだよなあ。

日本から来たお偉い方も、考えてるふりしながら決まって腕組みをして目をつぶって睡眠をとる。しかし、会議慣れしているからか、うっかりコクリという失敗もしないし、何故か話の内容についていけるのは、やっぱり年の功か。

もちろん夕食は日本食である。
ニューヨークの日本食は実にうまい。特に魚関係は絶品である。これだけでも来たかいがあったな。はは。


2004年07月03日(土) 会議は眠くなるものである

昨日からニューヨークに入って総勢30名で会議。
今日は1日終日会議。これだけの人数だと、当然自分に全く関係ない話も多いわけでとにかく眠い眠い。といっても眠るわけにはいかないから、水を飲んだりアメをなめたりと必死の抵抗を試みるんだけど、お偉いさんの演説は実に眠気を誘ってしょうがない。

夜はマンハッタンを眺める川沿いで食事。
その後、アメリカ人スタッフとバーで一杯して、12時半に解散。

いやあ疲れた疲れた。明日も朝から終日会議だと思うと気が重いが、とにかくさっさと寝ることにする。これもサラリーマンの仕事か。

せっかく近くでヤンキースとメッツが試合やってるのに、さっさと会議なんかやめて試合を見に行こう、なんていう太っ腹な考えはないんだろうか。あるはずないか。でも、そこまでやってくれるならば、逆に仕事頑張っちゃおう、なんて思うんだけどな。退屈な会議よりはるかに効果あると思うのだが。


2004年07月02日(金) お偉いさんの来る会議は迷惑である

今日は夜からNY出張。
日本からは社長含めた取締役というお偉いがゾロゾロと集まって、週末にかけて取りあえず会議というものをやる。

このお偉い連中が、針小棒大の見え張りと醜い自己保身をかけた発表をする。どうせ内容なんてくだらない話ばかりなので、こちとら何の参考にもならないのだけど、社内では一定のポジションを得た人間の、上をみつつ、かつ横も睨みつつ、そして下は全く見ないその態度が、ある意味で実に滑稽なのである。

「駐在員の皆さんにはこの機会に、斬新、かつ自由な発想で気取らない御意見を」、なんて言われているけど、難しい顔したオッサン達がネクタイしめて腕組みしてズラリと並んだ中で、どうやって好き勝手な意見を言えってんだよ。とてもいいたい事がいえる雰囲気ではないというのが、わかんないかね。過去に、言われるままに本音トークをした駐在員は、「あいつはよく分かっていない。」と後で酷評された。なんちゅう会社や。

また、夜の会食も面倒である。
オッサンはいばりちらしたいから、オッサン同士では同席せずに若いものを近くにおきたがる。ただ、こちとらせっかく他の支店からも駐在員が集まるんだから、駐在員同士で話がしたい。そんな本社のオッサンのつまらない自慢話など聞きたくない。何で、オッサンの水割り作らなあかんのや、とも思う。

そして最終日の日曜日はゴルフ大会。
実はみんなこれだけが目的なのである。ただ、日本からビジネスクラスで高い金払ってアメリカに出張するのに、ゴルフやりにいきます、とは言えないから、よく分からない会議を名目にする。でも、その下準備から何から、大変なのは我々駐在員の特に自分のような下っ端である。いっそのこと、社員旅行にしてしまえばいいのに、と思う。

それにしても、こんな会社行事がある度に、つくずく自分はサラリーマンに少しも向いていないと感じてしまう。


2004年07月01日(木) 近鉄買収、日本プロ野球について

インターネットサービスのライブドアが近鉄に買収を提案した記事をネットで読んだ。
この会社、全く知らなかったが総資産687億で社長は31歳、東大中退のカリスマ創業者らしい。この報道を受けてライブドア株がストップ高だったようだ。それにしても、この会社のホームページは YAHOO!の画面そっくりだな。

この件に関して日本でどんな報道がされているか知らないけど、ライブドアの話題づくりが目的だったとすれば、ひとまず大成功といったところか。まあ、既に近鉄とオリックスの合弁で発表があった以上、ライブドアもその後でいくら買収を提案したところで最初から実現は難しいと分かっていたはずだと思う。 参入を断られたところで、自分達は球団経営を希望したが断られただけ、と堂々と言えるしなあ。
まあ、新興のIT企業にここまでされちゃう日本のプロ野球界ってのも、スキだらけ、相当弱体化してガタガタになっているな、という印象を受けた。選手もファンも、これじゃあ泣くに泣けないよな。

メジャーリーグを見に行くと、ファンのためのベースボールという姿勢がすごく伝わってきて、とても心地がいい。日本のプロ野球もせっかくレベルも高いしファンも多いんだから、と思うけど、一部の頭の錆びたクソ爺(NABETSUNEとかいったっけ)のエゴの為に、こんな形になってしまうのはとても残念である。

日本は不況を抜け出しつつあるという報道をよく見るが、これだってどこの会社も血反吐を吐くぐらいの企業努力の成果が、ようやく身を結びつつあるものだ。衰退の一途をたどるプロ野球。結局はプロ野球関係者には、何の夢も企業努力もビジョンもなかったということである。
こんな旧態依然としたプロ野球界のままでは、ファンが戻るはずがない。本当に分かっているのか。


Kyosuke