嗚呼!米国駐在員。
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2004年06月30日(水) 今日はタイガーウッズと丸山を見た。

今日は会社をさぼって、木曜日からはじまるPGA (WESTERN OPEN)のプロ練習ラウンドを見に行った。 自宅から40分、駐車場付きで全部で20ドルは格安である。

ただ、練習ラウンドだけに、難点は、誰がいつどこに現れるかの全く予想がつかないこと。とりあえず午前9時過ぎに出向いてプロ選手の動向を観察。最初に練習してからコースを回る選手、いきなりパット練習をする選手、突然コースに出る選手、さまざまだ。客の大半のお目当ては、やっぱりタイガーウッズ。ただ、彼がいつどこに現れるのか、はたまた自由参加の練習ラウンドだけに、そもそも現れるのかどうかさえ分からぬまま、ひたすら場所を変えながら観察した。

大物がこないなあ、とコースにでてみると、既にCHARLES HOWELL 3世が目の前でラウンド中だった。しばらく見てから練習場に戻ると、ウッズを抜いて昨年の賞金王のビジェイ・シンが練習していた。スイングが軽い、軽い。1時間ほどの練習のあと、くっついてそのままラウンドに行ったのだが、ティーショットの際にたまたま横に座ったオッサンがシャッター音を鳴らしたので、ビジェイが怒ってえらい睨み付けた。その距離わずか2メートル。すんごい迫力。俺じゃないで、横のおっさんやで、と言いたかった。ちなみに、今日はカメラの持ち込みは可能だが、スイング直前のシャッター音はマナー違反だよなあ。

このままついてもよかったが、やっぱり丸山かウッズを見たいと思って、練習場でひたすら待つ。午後3時前に、日本人らしいキャディが現れたと思ったら、宮瀬登場。普通は客の花道をサインに応じながら練習場に入ってくるのだが、すんなりはいってきた。おいおい、誰かサインくらいお願いしろよな。
その後、練習を見ながら40分くらいたつと、花道前で降りずにぶっとばしてきたカートがあった。金髪2人組。丸山とキャディ登場だ。ずらりと練習しているプロを横目にえらそうな態度でのしのし歩く金髪丸ちゃんはカッコいい。これぐらいふてぶてしくなきゃ、こんな世界で残れないよな。くわえタバコでのアプローチ練習も、丸ちゃんほどの実力派なら許せてしまう。

それにしても日本の誇り、丸山なのに、練習を後ろで見ているギャラリーゼロ。実にラッキーである。もう、大物もきそうもないし、丸ちゃんについてラウンド回ろう、と思ったのだが、なんだか、クラブのメーカー担当(もちろん日本人)やら取材陣らしきだとかがひっきり無しに出入りしていて、なかなか練習場を離れようとしない。
あっという間に1時間たってしまい、既に時間は5時前。もう客もめっきり少なくなってきた。

そのとき、練習場にスーッと横ずけされたBUICKが。
出てきたのはタイガーウッズ!自分でバッグを担いで出てきた姿はオーラめらめら。タニマチのようなオヤジが話しかけるそばで、ドライバーのスーパーショットをガツンガツン。その弾道たるや言葉もない。いやあ、ほんの2,3メートル真後ろでこんなショットが見れたのは夢みたいだ。ウッズは10発も打たないまま、コースへ向かっていく。もちろんぴったりついていく。

去年はこの大会の最終日を見たのだが、もうすごい人ごみで全くウッズなんて見えなかったけど、今日は客もまばらでもうドライバーからアプローチ、パターまで余裕で最前列かぶりつき観戦。色々キャディとの喋り声も聞こえてきた。何言ってるんだかわかんなかったけど。

ウッズに9ホール、べったり。感想は言葉に出来ません。全てが格好いい。よくみると、凄い筋肉がシャツ越しに感じられる。

写真もたくさんとったので、余裕が出来たらここにも載せるつもり(ややこしいんだよな、デジカメ画像載せようとすると)。如何に間近でウッズを見ていたかが分かると思う。彼は、練習で9ホール終わってから、集まったファンに丁寧にサインを続けていた。いやいや、ほんまに素晴らしい。

既に夜の7時ごろ。満ち足りた気分でゴルフ場を去ろうと思ったら、ラウンドを終えたビジェイ・シンが、再び練習していた。練習の虫、と本でよんだ事があったのだが、世界一のプレーヤーはやっぱり努力しているんだなあ、と印象深かった。

今日は(久しぶりに)実に満足の1日。
色んな人のスイングを見て、プロはゴルフを簡単にやるなあ、と思って、家に帰ってから早速練習場で真似をしてみたが、球はあっちにいったりこっちに行ったり。やっぱり見ているだけでうまくなるわけないなあ。(当たり前だっての。)


2004年06月29日(火) 銀行口座を作るということ

せっかく昨日洗車したのに朝から雨がポツリポツリ。
まったく憂鬱な月曜だというのに、同じビルのアメリカ人は朝からハイテンションでついていけない。10年近く続けた、黙々と黙って通勤するというJAPANESE サラリーマンの習慣は、なかなか拭い去ることが出来ないな。

先日、銀行(BANK ONE)の新規口座開設をした。
自宅に「あなただけに特別!今口座開設すれば$50差し上げます」という、信じられないような手紙が舞い込んできた。こんな広告には普段は見向きもしないのだが、たまたま新規口座を作る必要があったので、これ幸い、とそのレターを片手に銀行に向かった。
銀行といっても、近所のスーパーの片隅の出張所。何の事はない、おおきく手書きの広告が出してあり「新規口座で$50進呈!」と書いてあった。なんや、誰でもいいんやないか。まんまとハマッタ日本人。

窓口に座り、新規口座を作りたい、というと、待ってましたとばかり機関銃のように相手は説明を始めた。
これがさっぱり分からない。何度聞いてもさっぱり分からない。もちろん自分の英語力の問題も多分にあるのは否定できないが、どうやらそのシステムそのものが日本とかなり異なっているのがその理由のようだ。

口座にはすぐに出し入れ可能のCHECKING ACCOUNTと金利のつくSAVING ACCOUNTがある。そこまではさすがの自分でも理解出来るのだが、さらにCHECKINGが4種類、SAVINGが3種類に分かれる。庶民が入ることの出来る最高ランクの口座(この言い方もおかしいが)は、PREMIER CHECKING/SAVINGといって、もちろん金利は高い。しかし口座管理料金も必要だし、最低預金額の指定もある。でも、1番目と2番目、2番目と3番目の違いがよく分からない。おそらく金利の違いがメインなんだろうけど、そのほかにOVER DRAFT TRANSFERだのSAFE DEPOSIT BOXだの、全く聞いた事のない項目が続く。

街でも日本人が常駐している銀行は口コミで広がりあっという間に人気が高まるのだが、確かにこんな説明を英語でまくしたてられても、ひょっとしておかしな口座に入って管理料取られるんちゃうか、という不安をあおるだけ。もっと日本語でしっかり説明を聞きたいという気持ちはある。

でも、そこまであれこれ考えるような資金がこちらにあるわけでもなく、口座手数料の取られない普通の口座を作った。手数料は払わないぞ、と念を押した。なんたって、180ドルの預金じゃどうにもならんな。日本でもCITI BANKが同じようなシステムをとっていたけど、果たしてこんなややこしいのが庶民の金庫にはなっていたのか、と思う。
もっとも、銀行からすりゃ、ちまちまとした一般市民の預金などは体制に影響なし、正直言えば管理が面倒なので一定額以下の預金はないほうがマシ、といったところなのだろうけど。

そうそう、CITI BANKといえば世界で安心、と思っていたのだが、何と日本で作った口座はアメリカのCITI BANKとは何の関連もなく、自由に送金も出来ない。一体どういうことや? 日本に残してきた口座は一体どうなるのか。住所変更しようとしたら、米国歳入丁規定の用紙を書け、とかで、読む気も起こらない英文の用紙を送ってきた。

もっとも、これも自己責任ということ。
預金といえば長年何も考えずに銀行に預けっぱなしであった自分のような人間は、とても米国の銀行のようなシステムについていけていない。少しでも損をしたくないと思うのなら、たかだか普通預金でももっと勉強せよ、という事である。銀行がつぶれて預金が戻らねば、そんな所に預けた自分がバカなのである。

アメリカという国も自由な反面、こうして生活を始めると、自分で考えて自分で何でもしなければならない事ばかりである。日本はあまりにも便利な反面、自分の頭で考えて判断するという過程は必要ない事が多い。どちらがいいも悪いもないのだが、この違いは大きい。

違い、といえば、口座を作った時の銀行員。デブのオッサンだったけど、コーラ飲みながら接客するのはやめてくれよな。


2004年06月28日(月) 桂三枝公演 / 高津投手快進撃

今日は桂三枝の落語を見に行った。
毎年のようにシカゴで公演をするのだが、今年はロス、デトロイトを回ってきたという。創作落語を3本。落語を見に行ったのは初めての事だったけども、とても楽しかった。弟子の方の落語も2本あったのだが、当然なんだけど間の取り方から迫力から話の作り方から三枝師匠の方が完璧。
中でも面白かったのは、日本の携帯ブームをネタにした一本。田舎に住むまるで機械音痴のおじいちゃんに携帯を持たせて、メールの使い方を教える内容なのだが、大スクリーンを使って携帯の画面内容を表示しながらの落語手法も実に見事。多忙な中にも関わらず、毎年これだけのネタを作って披露し続けるエネルギーには恐れ入ってしまう。本当に落語を愛しているんだということが伝わってきた。

公演後も出口の所でお客を見送っていた。サインも丁寧に1人ずつしっかりと対応。日本ではまずそこまでの対応は出来ないと思うのだが、海外に来る日本の芸能人は比較的こうした対応をしっかりやってくれる気がする。これも海外生活のメリットの1つかもしれない。師匠は間近で見るとかなり老けていた。
尚、売り上げは全て商工会に寄付されるという。アメリカは遠くて時差ぼけが大変、とぼやいていたが、来年もぜひ来て欲しいと思う。


高津投手の快進撃が止まらない。
昨日の試合もカブス戦をしっかり抑えて3セーブ目。これで23試合連続無失点で防御率も0.95。スコアボードには「ミスターゼロ」とカタカナで映されるほどで観客も総立ちで大興奮。
100キロ台のシンカーで並み居る強打者を打ち取る姿は最高である。今日の地元紙も高津絶賛の記事が踊り、彼が日本で如何に活躍したかが得意げに書いてあった。オイオイ、もっと早く気がつけよ、バカにするなよ日本野球を。

さすがに今日は日本でも高津の活躍で持ちきりだろう、とネットでスポーツニュースを見ると、どこもかしこもメッツ対ヤンキースのニューヨークW松井の記事ばかり。確かに松井は日本人の関心も高く記事にはなると思うけど、もっともっと高津の活躍は取り上げられてもいいんじゃないか。恵まれたニューヨークやロスと違ってしかも単身生活。所属チームのホワイトソックスのセルラーフィールドは、シカゴでは治安の良くない、はっきり言えば黒人地域であり、まず野球以外で寄り付く人は少ない。
これまでの恵まれた環境をなげうって、35で夢を追って厳しい環境に身を投じたこの男を応援したい。4月の敗戦処理、勝ち試合ではブルペンでも投げなかった高津の後姿をこの目で見たからか、ヤクルト時代はにっくき高津だったんだけど、すっかり思い入れが深くなってしまったな。


2004年06月26日(土) ゴルフ三昧

金曜日は天気もよく、先輩駐在員の「ゴルフでもいくか」の一言でこちらも迷わず快諾する。駄目もとでボスに、「もう仕事終わっていいですか」と言ったら、「ゴルフはかまわんが、定時が終わってからにしろ。」と言われた。当たり前だな、ははは。
Vacation Season前の金曜で、ろくに仕事もせずに、定時5分前(4時55分pm)にそそくさと帰宅準備を始めると、「俺も行く」とボス。なんじゃ、行きたいんじゃないか。といっても、もちろん誰も準備をしていないので、それぞれが一旦家に帰ってからゴルフ場で集合する事にした。

6時にゴルフ場に着いて確認すると、6時半スタートが取れた。さすがにハーフまでしか出来ないので、スキンズゲームをした。9ホール中4つ取ったのでまずまず満足。他の2人は格下の自分に取られて不満顔であったが。
終わった時には午後9時前である。ちなみに料金はたったの12ドル。ボスはシニア料金適用されたとかでたった6ドル。ゴルフ場は27ホールある、州のアマ大会も行われる立派なコース。贅沢な1日であった。
その後、日本食レストランで飯食って、韓国居酒屋行って、久しぶりに12時頃帰宅。そんなに飲んでいないのに酩酊して、日記更新する気力なし。

土曜日の今日は、朝から久しぶりのジム。天気がよくなってきたので、すっかり人が減った。
帰り際に、インド系か南米系らしき男性が通路で大の字になって倒れていた。全く身体が動かなくなってしまったようだ。スタッフが何人も駆け寄るのだが、動かしもせずに様子を見ている。なにやら喋っていたので意識はあるのだろう。男性の顔は真っ青になっていた。肌は黒いのに真っ青になるんだなあ、と不思議な気がした。しばらくしたらいなくなっていたので何事もなかったのだろう。

午後からは、これまた近所のコースで9ホール。組んだ米人のおばちゃん2人組はあまり経験がなかった。下手なのは一向に構わないんだけど、パットの時にいちいちこちらに「打っていいか」「次は私の番か?」と確認を取るのは参ったな。

一旦帰宅してから、午後5時過ぎにまたふらりと違うコースに行く。もう前も後ろも誰もいないので、2球ずつ打ったり、バンカーで何度も練習したり。でもさすがにこれだけやると疲れる。本当にこれだけゴルフが気軽で安いと、練習場に行く気もしないなあ。だからうまくならないんだって。

夜は借りてきた「情熱大陸」が4本とりだめしてあるビデオ鑑賞。
この番組は。ZONEと番組構成がよくにているが、なかなか面白いドキュメンタリーだった。朝青龍の特集の中で、彼がHUMMERに乗っていた。ここアメリカではよく見る車なんだけど、狭い日本でも
走っているんだな。もっとも、力士といえば大型ベンツが多かったけど、よっぽどHUMMERのが趣味がいいし若者らしい。
そのほかはイェローキャブの野田社長、江連ティーチングプロも印象に残った。なんだかんだと言われるけども、日本も外から見ると元気な国だと思う。


2004年06月25日(金) 松井稼が受けたブーイング / 歯医者

今日はやけに寒い1日。上着がないと厳しいくらいだ。
朝一番で歯医者へ行く。待合室においてある週刊朝日を見るのは楽しみなのだけど、いつもすぐに呼ばれてしまう。せめて10分くらいは読みたい、と思うのだけど、そういう時に限ってうまくいかないものだ。 週刊誌っていうのも、あればあったで読みたくなるんだけど、わざわざ日本人向け本屋まで行って500円以上出して買いたいかっていうとそうでもない。駐在員へのお土産には、機内で読んでしまった週刊誌なんて渡すと喜ばれると思う。 

そういえば、一足先に横に座っていたアメリカ人の女性患者が呼ばれたのだが、ドクターが出迎えてくるなり「久しぶり! 元気かい!!調子はどう!?」と大声で言って握手をしていた。へえ〜、たかだか歯医者の治療に来た人にここまでするんかね。ありゃ、まるで何十年振りかに会った親友同士を思わせるような光景だ。

アメリカ人は歯が命。
こちらの歯医者は見た目にもこだわってくれるのでうれしい。この1年で、かなり自分の歯もキレイになった気がする。その分料金も高いのだが、色んな選択肢を与えられて自分で選んだのだから納得済みである。欲をいえば、もっといじってもらってキレイにして欲しい歯もあるのだが、ひとまず悪い所は治ったのでこれでおしまい、と言われてしまった。


昨日はメッツの試合をテレビ観戦。
同点の9回裏1死1,3塁というサヨナラの絶好のチャンスで打席は松井稼。見ているこちらがはらはらしたシーン。
でもノースリーから最後はワンバウンドのボールを振らされて三振。バットにあてて転がせば点が入ったような展開だったのに、手も足も出なく何も出来なかった松井に対して、地元だというのに観客からの容赦ないブーイングがすごかった。日本ではこんなシーン、こんな光景(ブーイング)もちゃんと放映しているのだろうか。次の打席に入る前にも、大きなブーイングでだった。
このブーイング、日本では聞いたことないが、メジャーの球場で直接聞いてみると下手なヤジよりもかなり威圧感がある。当然、松井の耳にも届いているはずである。こちらのファンは味方でも容赦がない。

松井は、打席で終始落ち着きなくガムを噛んでいたが、日本で見たときのような打ちそうな雰囲気がなかったような気がした。厳しい現実にぶつかっているのか。相次ぐ日本人選手の活躍の中で、入団前から騒がれていた選手だけに、それだけ回りの期待も大きいのだろう。
先ほど速報を見ると、今日のレッズ戦で松井は出場機会がなく、日本の西武時代から続いていた連続試合出場は「1213」で途切れたようだ。西武で1143試合、メッツで70試合続いた出場が止まった。ここ5試合は22打数2安打じゃあ、しょうがないか。
新たな気持ちで頑張って欲しいものだ。


2004年06月24日(木) 噂の多田野投手と高津投手

会社から帰ってのんびり家でメジャー中継(ホワイトソックス対インディアンス)を見ていると、インディアンスのピッチャーがどうも日本人顔。誰だ、こいつは。背中の文字を読むと、TADANOとある。打たれてはいたが、小気味いいテンポと人を食ったようなスローボール。なかなかのピッチングであった。

この男が噂の多田野投手。
もと立教大で、ダイエー和田と同じ年代で活躍した投手。ドラフトの目玉の一人、といわれるくらい高く評価をされていたのを覚えている。
ところが、知ってる人は知っていると思うのだが、過去に出演したホモビデオがドラフト前になって週刊誌ですっぱ抜かれてしまい、日本球界はドラフト指名を土壇場で見送ったのである。本人は、ホモを否定。カネの為の出演、と言っていたようだけども、エリート野球選手がいくらカネのためとはいえホモビデオに出るかねえ?

でも、多田野選手は応援したい気になってしまう。
結局日本で何もかもを捨ててアメリカに渡り、インディアンズに入団。もともと実力はある、晴れてマイナーからメジャーへと昇格したのだった。どん底からのスタートで怖いもの無しだったろう。 

チームメートにはもちろん、インタビューや記者会見でも堂々と「一度の過ち」を発表したけども、過去は過去として受け入れられうまくやっているようだ。
もちろん、多田野投手も球場で散々野次られることは承知しているが、"I don't understand English, so it doesn't really matter," (英語なんてわかんないから、どうってことないよ)と言ってのける。 彼はメジャーで成功しそうな気がする。頑張って欲しい。


ところで、高津投手の好投が止まらない。
同点の9回に登板した高津は、2イニングを安定したピッチングで抑えて4勝目をマーク。これで22試合連続無失点。
もはや、「Shingo Takatsu」はホワイトソックスの顔。「SHINGO TIME!」のプラカードを観客が持ち、2ストライクで観客は総立ちで三振を要求。実に30人ぶりに出してしまった走者を背負って、最後のバッターをシンカーで空振り三振に取ると、派手なガッツポーズが飛び出した。

いやいや、それにしてもうれしい。
4月は調子が出ず敗戦処理もあった。観戦したときはブルペンでも寂しそうな表情だったのだが、少し慣れればこんなものだ。8点台だった防御率も、今や1・00。ヤンキースの守護神リベラ(0・96)に次ぐ堂々の2位である。過去の実績でもなく名前でもなく、誰もが認める実力で勝ち取ったクローザーのポジション。すっかり顔立ちも変わって、チームメートの信用を得ているのが画面からも伝わった。このままいけばオールスター出場も夢ではない。

日本ではこんな充実感は得られなかっただろう。
過去を捨てることは思ったよりも難しいけど、捨てたものだけが得られる充実感。うらやましい、と指をくわえるだけでいいのか、と思ってしまう.


2004年06月23日(水) モノを貸すいうこと

社内の米人スタッフRに貸していた、DVD "Lost In Translation"が本日ようやく戻ってきた。
貸したのは、かれこれ4ヶ月くらい前であろうか。待っている友達がいるから戻してくれ、と頼んでから10日後、ようやく持ってきた。

このDVD、別にこちらが無理に貸したものではない。
当時、米人スタッフ何人かと昼飯に行った時、日本を舞台にした映画、Lost In Translationが話題になった。映画館で見たあるスタッフEが、「とても面白かった、特に通訳が日本語を適当に英訳するところなんか…」などと言って、日ごろ日系企業で日本人と接している彼らからすれば、うなずける内容が多かったようで、その場は盛り上がった。スタッフRがとても興味を示していたので、その場でDVDを貸してあげよう、ということになったのである。

その後、貸したRからは毎日顔をあわせているのだが、うんともすんとも言ってこない。
どうでもいいDVDだったならまだしも、自分としてはもう一度見直そうか、という映画だったし、別の知り合いが貸して欲しい、と言っきたので、もう映画の感想を聞くよりも、とっとと返して欲しい気持ちが強かったのは事実である。

こんな事は、アメリカに限った事ではなく日本でもよくあったのだけども、貸したこちらが返してもらうのに気を使わねばならないのは、実に不合理極まらない。このR、実は映画には全く興味がなかったのだけど、貸してやるといわれたから借りただけの事にすぎなかったのだろう。彼からしてみれば、逆に迷惑だったのだろうか。

昔、取引先の社長から聞いた言葉がある。
「カネでもモノでも、貸したものは返ってこないと考えるべきや。そやなければ、最初から貸したらあかん。ワシも、これまでに貸した金の半分近くが戻ってきいひんけど、最初から返ってこないと思っとったから、なんとも思わへんで。」(やっぱり関西弁。ははは。)

たかだかDVD1枚の話なのだけど、色々考えてしまう自分はやはり社長の器ではないな。


2004年06月22日(火) 忘れられない旅行、ナイアガラの滝へ

土日は両親を連れてナイアガラの滝へ。
朝の便でNYのバッファローまで飛んでそこからレンタカーで1時間弱のドライブ。
そして、ここを訪れた誰もが目にするシェラトンにチェックイン。滝が見える部屋と見えない部屋で60ドルくらい差があったけども、せっかくなので滝側の部屋を取った。ホテルの予約は色々調べたけども、インターネットよりも何よりもJTBが一番安かった。やはり仕入れ力の差か。こちらとしても、安心感があるので迷わずJTBで予約をした。料金も税込みだし、ガイドマップもつけてくれて丁寧な対応。日本では当たり前の対応がとても心地よかった。

定番の「霧の乙女号」とやらで滝付近まで行った後は、これ以上滝を見ててもしょうがないので、もう夕食まですることがない。部屋に戻っても時差ボケピークの両親は寝てしまうだけ、と行って歩き回るのもつかれる。どうしようかと思って、ホテル横のカジノに行ったが、夕方というのに人でうじゃうじゃ。結局みんな行動パターンは同じようなものなのか。

ナイアガラの滝そのものの迫力は、さすがに世界有数の滝というだけあって一度は見ておいてもいいかもしれないと思った。
ただ、完全に観光地化されており、日本や台湾、ヨーロッパのツアー客も多い。何度も行ってもしょうがないような気がした。リピーターは、ちょっと離れた所でホテルを取るようだが、それで十分かもしれないな。

カジノでは当然のように負けたが、適度な時間つぶしが出来た。夜は迷わず日本食屋へ。両親というより、自分の希望でというのが、情けないというか何というか。上寿司が実に結構。中でもサーモンは、トロ身が食感もよくて最高であった。接客してくれた留学生らしき女の子の対応も良い。
店では日本の農協らしきツアーが来ており、店の一角で30人ばかりのオジサンオバサンが定食らしきものを食べさせられていた。ビール、酒は自腹らしく、世話役らしい人間が、いちいち大声で、「ビールいる人〜?」とか叫んで手を上げさせている。帽子をかぶったまま我がもの顔で酒をあおる集団。そして酒代の精算だろうか、テーブルの上にカネを出し合って、カナダドルだとどうの日本円だとどうので大声でやりあうのも見苦しい。最後は世話役の、「皆さーん、バスが出ますよ〜!!」の一言で、一向はそそくさと店を後にした。
静かになった所で店を出ると、何のことはない、交代で似たような団体が大型バスでやってきた。店も大変だろうけど、やっぱり日本からのツアー団体客はいいお客なんだろうか。

翌日午前は、川沿いのナイアガラパークウェイを北上。天気も良く見晴らしもよい。途中で、植物園やゴルフコース、ワイン園などに立ち寄る。レンタカーならではの寄り道。ところが、滝付近に戻ると、アメリカ側に向かう車の大渋滞で車が全く動かない。予定していた大橋巨泉のOKギフト立ち寄りを取りやめて、入国手続きの列に車を進めるが、国境のレインボーブリッジについても車が全く進まない。結局、わずか数百メートルの橋を渡って米国への入国までに1時間30分もかかってしまった。

昼飯も時間なくバーガーキングであっさり済ませて、バッファロー空港まで。
レンタカー返却前にガソリンを入れたのに、ポンコツのフォード、トーラスのガソリン表示が満タンを表示しない。レンタカー係員は満タンじゃないのでカネを払えという。文句を言ったが、案の定、私は知らん、カウンターで相談しろ、のたらい回し。支払いの際に、もう一度言ったら、分かった分かった、といいながら、ちゃっかり渡された明細の中にガソリン代が含まれていた。ふざけるな、Heartsレンタカー。

空路シカゴまで戻って、やっぱり日本食レストランへ。その後、お土産を買いに大型スーパーへ。
今朝方、両親を空港まで送って、そのまま出社。空港では、預けたスーツケースが抜き打ち検査をされて、せっかく丁寧に詰めた荷物を黒人のオヤジが引っ掻き回す。柵越しで、スーツケースの中の荷物一個一個を手にとられて放り投げられるのはなんとも嫌な気分であった。このオヤジ、コーヒーを飲みながら、隣の黒人のおばちゃんとペチャクチャしゃべって、まるでゴミ箱から食べ物を探すように、人様の荷物を探る。実に不愉快。
そういえば、あっさりスーツケースの鍵を開けられてしまったのだが、その気になれば荷物の鍵なんて気休め程度にすぎないようだな。横にいた学生らしき数人は、「チップをつかませたから検査を逃れた」と言ってたけど、そんなものなのかもしれない。
特に問題となるものもなかったのだが、丁寧に時間をかけて梱包した土産だのシャツだのをぐちゃぐちゃに詰められてしまった。田舎の両親は唖然としていたけども、まあこれもいい土産話になればいいか。

大したトラブルもなく、今年のイベントの一つが終了。
両親も、初めてのアメリカで見るもの聞くものが驚きの連続だったようだ。 そういえば、親子でこれだけ一緒に長い時間を過ごしたのは、過去に記憶がない。親とは昔は色々あったけども、やっぱり親は親である。長生きして欲しいと切に感じる。


2004年06月19日(土) メジャー観戦 〜 駐車場での出来事

予定通り、朝からガレージセール、買い物、そしてメジャーリーグ観戦、ダウンタウン見学、夕食のステーキ、と精力的に活動して両親を御接待。

なかでもメジャー観戦はよかった。
平日の昼間だというのに、相変わらずカブス人気はすごい。ソーサも今日から復帰で球場は盛り上がる。カブスは負けて席もそれほどよくもなかったけど、両親とも喜んでおり、25ドルの席を100ドルで買ったかいがあった。

そうそう、リグリーフィールドの周りは住宅地でオフィシャルの駐車場がないので、適当に私営のパーキングスペースを見つけて金を払って車を停めねばならない。確か前回は20ドルくらいだったのに、今日はどこも高くて35ドルから40ドルを譲らない。
一旦ある駐車場に入ったけど、値段が40ドルなので引き返そうとすると、アフリカ系黒人のおっさんが追いかけてきて、30ドルでいい、と言い、隣の駐車場に連れてかれた。場所はよかったけど、対応のオッサンが怪しげだったので気になっていたが、案の定、試合終了後に車の場所まで戻ると、見知らぬ中華系のオヤジが出てきてごちゃごちゃ言ってきた。

「ここはアパートの駐車場だ。勝手に止めるな。警察を呼ぶ」
「駐車料金として金は払った。そんなもんは知らん。」というと、
「どこの誰にいくら払ったんだ?俺は聞いていない。何故勝手に停める」

少しだけ抵抗したけど、雨も降ってきたので、とっとと話をさえぎって強引に車を発進させた。最初のアフリカ系も怪しければ、この中華系も怪しいな。こちとらどうでもいいのだけど。くだらない対応をしなけりゃならないことそのものが面倒くさい。やっぱり多少金払っても、大通りの駐車場に停めねば、と思った。

明日は朝からナイアガラ。


2004年06月18日(金) 両親のアテンド

朝から会社に少しだけ顔を出して、そのまま空港に向かい両親をピックアップ。
岐阜の田舎から16時間ほどかけて遠路はるばるやってきたので、多少心配したのだが、元気でぴんぴんしており安心。前回会ったのは1年半ぶりくらい前か。

予定していたゴルフはさすがにくたびれて駄目だったので、シカゴ美術館を見学。まあ芸術関係に造形が深い家庭ではないのでさらっとやり過ごす。ところが、広くて広くて駆け足でみても約2時間もかかってしまった。

夕方からは近所のスーパーへ。庶民派としては、下手な観光地に行くよりもこちらの方がよっぽど面白いらしい。特に、食品関係のボリュームと値段の安さには驚くものばかりだったようである。やっぱりアメリカは豊かだという認識を一層深めたと言っていた。

その後、アウトレットに行って買い物の後は、韓国料理で焼肉を。
今日は初日でもあって元気に動いた両親だったが、明日以降疲れがでやしないかと心配。

明日はメジャーリーグ、あさってからはナイアガラの滝へ。


2004年06月17日(木) スチュワーデスは初フライト

朝のフライトでネブラスカ(OMAHA)出張。日帰りで戻って夜10時。
こう飛行機ばかり乗っていると、たいして動いていなくても疲労が蓄積するのが実感できる。試合の度に長距離移動ばかりのメジャーリーガーの体力には、今更ながら驚くばかりである。もっとも、何億も稼ぐ彼らと1サラリーマンと比較することすら見当違いなんだけど。はは。

飛行機は少し小さめの片側2席ずつ。隣のおじいちゃんが、こちらの読んでいる日本の本を指して、「君は学生さんか?難しい文字だな」と言ってきた。「学生じゃなくてもう働いてますよ、この本は日本語です。僕も日本人なんですよ」と返事をするが、「JAPAN」という単語が通じていなかったようだ。こちらの発音がお粗末なのか、それとも単に日本を知らないだけなのか。
その後も話をするのだけど、どうもこちらの言っている事が伝わらないようだ。あまりに反応がなくて、「何だって??」という表情が続くと、こちらもますます自信がなくなってくる。

そうこうしているとスチュワーデスが来て、飲み物の注文を聞く。おじいちゃんは答える。「えっ?何じゃって?」 3度繰り返してやっと通じた。単に耳が悪かっただけのようだ。
飛行機を降りるときに、「君は若くて格好いい男だな」と言ってくれた。 実にいい人である。

そうそう、この飛行機でスチュワーデスの女性が初フライトだったようで、飛行前に機長から機内アナウンスで紹介を受けて乗客は拍手。
彼女は前で手を振ってそれに答える。仕事振りも丁寧。ドリンクの注文も、顔を近づけてしっかり聞き取ろうとするので、こちらはドキマギしてしまった。

着陸直後に彼女がマイクを手に取って、「今回は私の初フライトで、お見苦しい所もあったかもしれませんが、皆さんどうも有難うございました」と挨拶。なかなか堂々としていたな。
今の気持ちを忘れずに。周りの先輩に染まって、客を客とも思わないデブのおばさんスチュワーデスにならないよう、祈るばかりである.


2004年06月16日(水) 近鉄の思い出

何のことはない出張明けの1日だった。
朝から晩まであれやこれやと。気がつきゃ午後9時30分、今日もまた1人で会社の鍵の開け閉めをする事になる。身体中が筋肉痛なのは、日曜のゴルフのせいか、寝苦しかった夜のせいか?


仕事の合間に、久しぶりにネットを検索すると、近鉄のリストラ選手がどうのという記事がある。ガセネタでもなさそうだ。詳しく調べていないからよく分からないけども、球団がなくなっちゃうんかいな? という事はパリーグは5球団? 何だか腑に落ちないし、財政難だか何だか分からないけど、とにかく近鉄がなくなるのは残念である。

忘れもしない1989年のロッテとのダブルヘッダー。
当時自分は浪人生だったか、高校生だったか忘れたけども、ニュースステーションが放送を切り替えて中継した試合を食い入るように見つめたのをよく覚えている。2塁上での有藤の抗議、阿波野の連投、男になった吹石、ぴりぴりしていた吉井投手、仰木監督の表情、存在感あった中西コーチ、そして、時間切れ引き分けで優勝を逃した回の裏の守備につく近鉄ナイン。自分をプロ野球のとりこにさせるきっかけとなったチームだろう。

その後も、大阪に住んでいた事で、よく藤井寺や大阪ドームには顔を出した。会社が年間シートを買ったのだけど、あまり人気がなくちょくちょくネット裏で観戦した。藤井寺では客が少なく、酔っ払いのヤジが球場に響き渡っていたな。

オリックスと合併と決まってしまったのならば、ファンはどうすることも出来ずたまらないだろう。選手もまさか、だろうな。もう球団に対する不信感だらけで、試合どころじゃないだろう。
というより、まだ試合って続けてるんだろうか。
是非とも優勝して、親会社を見返してやって欲しい。

それにしてもファンも選手もあまりに酷すぎる。日本も景気が良くなって儲けている企業は多いのだから、どこかまとめて金出してあげてよとも思うのだけど。それか外資に解放するとか。まあ、プロ野球機構はお堅い頭の集まりだから、そこまでしないだろうけど。

でもこれでますます選手の海外流出は加速、日本のプロ野球の空洞化が始まるに違いない。
時代の流れといえばそれまでだけど、1プロ野球ファンとしては残念でしょうがないのである。


2004年06月15日(火) 出張3日間

<6月12日土曜日>
天気は良いが珍しく蒸し暑い。朝からオイルチェンジに行った後にジム、買い物、洗車と精力的に動く。

そうそう、修理に出していたカバン屋から電話が入った。状況を聞くと、修理にあと2、3週間かかるらしい、という。たかだかジッパーの修理に1ヶ月以上もかかるのかねえ。結局この2週間は何もせずに放っておかれた事ようだ。電話の姉ちゃんに文句を言おうと思ったが、「私は何も知らない」といういつも通りの答えしか返ってこないのは目に見えているからやめておいた。まあ、電話があっただけマシか。

昼からはタクシーを呼んで空港まで。週末なのにヒューストンへ出張なんだなあ、これが。
来週月曜日に会議という名目なのだけど、年に1度くらい若手だけで集まって日曜日にゴルフでもというのも本来の裏目的(オイオイ)。
何せ、タイやら中国やらの駐在員の若手は社内でよく集まって飯食ったり遊んだりしているのに、アメリカは国土が広すぎるのもあってなかなかそんなきっかけがない。オフィシャルな公式行事となると、ぞろぞろとうるさい上司付きなので、我々はあれやこれやとワガママなオッサン相手に動かねばならない。そんなものはこちとら全く面白くないのである。

空港でニューヨーク、ロスの駐在員と再会。
ホテルチェックイン後、ロスの先輩駐在員と共に、カラオケパブ兼日本食レストランに直行。好きな先輩なのでとてもうれしい。サッポロビールに餃子とラーメンが実に結構。1時過ぎまであれやこれやと。今日は奢ってやるよ、と言われたけど、悪いですから、と半額だしてしまった。素直にご馳走になっておきゃ、よかったな。

<13日 日曜日>
朝6時半出発でゴルフ場へ。今回は、楽しめりゃいいやという程度なのでクラブはレンタル。さすがにヒューストンは朝から蒸し暑い。練習で数十球打ったっだけで汗だく。グローブもぐっしょり。先が思いやられたけど、風が適度に吹いて、ゴルフにはよくなかったけど思ったよりも過ごしやすかった。それでも気温36度近くあってもうフラフラ。
18ホール中17ホールが池のメンバーコース。非常に頭を使うコースだったが、チップイン2度、どうしてもバンカーから脱出できずにギブアップありの出入りの激しいゴルフ。終わって見ればいつもどおり100ちょっと。クラブがどうとか、コースがどうとか自分にはあまりあまり関係ないことを実感。それにしても、炎天下のゴルフは体力を消耗。

12時にはゴルフを終了し、昼は日本食レストランへ。ここはかなりレベルが高かった。冷えたキリンビールにエビフライ、串カツが実にうまい。締めに頼んだ味噌ラーメンは最高であった。
でもさすがに暑さのバテと酔いで一旦ホテルで仮眠。夜は現地スタッフも呼んで地元のシーフードレストランへ。
CrowFish(いわゆるザリガニ)が目玉だが、真っ赤なザリガニはあまり食欲をそそるものではなかったな。結局は尻尾の部分の肉が少し食べられるだけ。生臭さを消すための塩コショウがきつくて辛かった。ザリガニなんて小学生の時に釣っては殺して魚のえさにしていたので、まさか数十年後に自分が食べるとは思っても見なかった。2件目は、ゲームセンターとバーがくっついたような場所へ。スポーツバーのようでもあり何だかコンセプトが分からなかったが、客も大人から子供まで、黒人アジア系さまざま。みんなNBAファイナル(レイカーズとデトロイト)に釘付けで一喜一憂。
適当にゲームなどを米人と楽しんだけど、みんなくたびれてしまって10時にはあっさりホテルへ。

<14日月曜日>
朝から支店に集まって打ち合わせ。
それなりにみんな大人なので、やる事はきっちりやる。よっぽど頭の固いオッサンなんか入らないほうが話も早い。

それにしてもヒューストンは、南国ムードもあって非常に雰囲気がよかった。沖縄と緯度が同じらしいので、冬でもそんなに寒くならない。夕方には毎日のようにスコールが来て、その後はぐっと過ごしやすくなるようだ。冬が厳しいシカゴなんかより、出来ればこんなところに住みたいと思わず思ったが、他人の芝生は青いだけなのか。

帰りの飛行機の中から、シカゴダウンタウンを北から眺める。相変わらず雰囲気がある光景。空には、着陸待ちの飛行機が何十台も連なっている。いつ見ても圧巻で不思議な光景だ。よく見ればそれぞれの飛行機があまり動かずに空中でとどまっているように見えるが、実際はどうなのだろうか。
空から見ると、プール付きの家もかなり多い事が分かった。といってもこの地域では、年中で使えるのはわずか3ヶ月もないだろう。夜8時過ぎているというのに、プールに入っている人が多い。仕事帰りに自宅プールで夕涼みといったところか。贅沢だなあ


2004年06月12日(土) お粗末な店が多すぎるんじゃ!

せっかく夏が到来したかと思いきや、昨日からぐずついた天気が続く。今日も雨。

金曜日だというのに、客先の中国出張の段取りやら、日本からの出張者のアポ取得、来週の月曜日にヒューストンで行われる会議の資料つくりも加わってばたばたの1日であった。

そういえば、中国出張で壊れたカバンを持ち込んだ店から、やっぱりというか案の定、2週間経ってもうんともすんとも言ってこない。4日前に電話も入れたけど、もう少し待て、の一言だけ。たまらず会社帰りに店に行って調べてもらうと、どこを探しても台帳に自分の名前も電話番号も何も載っていない。
預けたカバンと引き換えにもらった小さな番号札に書いてある番号をたどると、何と空欄で名前も住所も預けたカバンも何もない。おいおい、そりゃないだろうが。

対応してくれたお姉さんが、「ここはいろんな人が働いているけど、このときの担当は多分面倒臭がって何も書かなかったんでしょうね」と言ってたけど、そりゃあんまりだろうが。電話で応対した奴も、ろくに調べもせずに適当な返事をしやがって。 ただ、そのお姉さんが、しっかり名前と電話番号を書き留めて、明日の午後に電話するから、と言ってくれたので、それを信じるしかない。果たして連絡はあるだろうか。

一体、預けたカバンはどこにいってしまったのだろうか。
もうこんな事は日常茶飯事ですっかり慣れてしまったけども、アメリカという国も偉そうな割りに、なんとも生活するのに手間がかかってしょうがない。UNITED空港の推奨店、立派なモールに入っている店でこのザマだ。

といいながらも、その店で、TUMIの旧モデルのバッグが100ドル引きで500ドルだったので思わず買ってしまった。やれやれ。


2004年06月11日(金) 中国の建設ブーム

08年に北京五輪を控える中国で、ホテルの建設ラッシュが始まっている。大手ホテルチェーンの世界戦略の中でも、中国への関心は飛び抜けて強いようだ。

中国への旅行者は年々急増しているようだ。外国企業からの出張が増えたことや、アジアにも格安航空会社が登場し始めたことなどが要因とみられ、今後数年間はこの傾向が続く見通しという。五輪開催地となる北京や上海のほか、アモイ、成都などの地方都市でも、数え切れないほどのホテル建設工事が進められている。

5月に中国出張に行ったときも、あらゆる場所にクレーンが乱立していて、その活況振りには驚いた。人海戦術を使っており、うじゃうじゃと作業員が現場にいる。
聞いた話では、人はありあまるほどいるから、彼らの給料は上がることはない。よって、人件費が上がることはなく、将来的にもしばらくは中国の競争力は保たれるようだ。賃上げを要求する作業員は「それならヨソへ言ってください。他を雇いますから。」と言われるという。これが中国の現実とはいえ、我々の感覚では、何とも労働者に対して厳しい環境だと感じる。

中国当局による外資系企業への規制が最近になって一部緩和されたこともあり、特に米系大手チェーンなどの積極姿勢が目立つ。ハイアットは「中国は劇的な発展を遂げようとしている。われわれは今後20年間にわたり、その発展にかかわっていく方針だ」とテレビのニュースで語った。
世界各国にホリデイ・インを展開するインターコンチネンタル・グループは、中国国内に41カ所あるホテルを今後数年間で倍増させる計画という。また、香港を本拠にアジア一帯でホテルを展開するシャングリ・ラ・ホテルズ・アンド・リゾーツは、すでに総客室数8000室の4割を中国に置く。今後さらに8カ所に建設を予定しているという。
こうした動きに既存のホテルも危機感を募らせて、多くが先を競って増改築に乗り出している。

実際にいくつかのホテルを泊まって感じたが、こうしたハード面だけを競っており、ソフト面、従業員教育ではまだまだだと思った。一流といわれるホテルでも、英語が話せない人間が受付にいることは珍しくなかった。こうした事態は、求職者は掃いて捨てるほどいる、といった先ほどの経営者側の考え方も影響していると思う。

少しでも今より良い条件の求人が見つかればすぐに転職する若者が多い、と聞いたが、企業から見ればこれでは長期的視野にたった人材教育もままならないと思う。

2008年の五輪までに、旅行者受け入れの人数で世界一に上り詰めるとの予測もある。北京オリンピックは、中国国家の威信をかけても、何が何でも完璧な体制を整えるだろう。

ただ、問題は五輪の後だ。前回五輪の開催地となったシドニーは、ホテル市場が供給過剰となった後遺症に今も悩まされている。 中国のホテル・ブームには五輪以外の要因もあるのだろうけど、北京がシドニーと同じ道をたどる恐れは十分にある。

世界が注目する国家だけに、くしゃみをした場合に与える影響はなみなみならぬものがあるに違いない。


2004年06月10日(木) 上司を情けなく感じるとき

本社の社長が7月にアメリカにやってくる事になった。もちろん取り巻きの役員連中をずらりと従えてくる。
我々ペーペーには特に何の興味も関係もないのだが、こちらの支店長どもは落ち着かないようで、こちらも迷惑である。

海外現法人の支店長なんていうのは、完全にお山の大将である。
本社のお偉いの目も遠いし、事務所内ではボスとしてやりたい放題で、自分の力で部下を食わせてやっているとまで勘違いするオヤジが多い。アメリカ人スタッフも、給料決定権のあるボスにだけは従順である。ところが、社内で自分よりも上の人間に久しぶりに会うとなると、こういうケツの穴の小さなオヤジは途端にアタフタしてしまうようだ。

勝手に慌てるだけならいいけども、こんなオヤジどもはすっかりプライドだけが増殖されきっており、下の人間を使って色々段取りをさせようとする。下手に自分が動いてヘマするのが怖いのだ。

「ホテルの部屋はもう一ランク上げたほうがいいんじゃないか…」
「飛行機の時間が早すぎる。朝はゆっくりの方がいいだろうか、もう一本遅いのにした方がいいか…」
「日本食レストランの味は確かなんだろうな」

知らん、知らん。お前の上司だろ。俺に聞くな。俺に打診させるな。

適当に放っておくと、慌てて問いたただしにくる。「そりゃ、マズイだろ。」

マズイと思っているのは、オッサンだろ。こっちは秘書でも何でもないんだから巻き込むなって。「サラリーマンで生きていくには、こんな段取りも必要」とか、都合いいこというなって。こっちだって自分がやるべき事はしっかりやってるんだし、明確な指示をもらえば手伝うのはいとわないんだから、微妙な部分の打診をさせるなっての。オッサンもたまには自分で動けよな。

やりたい放題で普段は偉そうなくせに、たかだかこの程度の事でアタフタするボスを見るにつけて、人間として男として、つくずく情けなくなるのである。


2004年06月09日(水) 機内の飲み物サービスの光景

今日は朝4時30分に家を出て、ボスをのせて5時間のドライブでデトロイトへ。客先は午前11時のアポなんだけど、時差があるからこちらの時間で午前10時に着くようにしなければならない。赴任当初は、この時差がピンと来なくてよく間違えたもんだなあ。

「これくらいの距離ならば、飛行機乗るよりも車の方が効率的だなあ」と助手席でのたまう上司。
オッサンは横でのんびり寝てるからいいけども、クソつまらない田舎道を眠気と時間と闘いながら運転するこちらの身になれっての。

午前、そして午後の面談2件を終えたらもうぐったり。さすがにここから5時間以上のドライブで戻る気力もなく、明日以降別件予定のあるボスを残して飛行機で帰ってきた。そしてやっぱりUNITEDは遅れたのだった。まあ40分だからマシな方か。

飛行機の中では爆睡してしまったが、飲み物サービスにきた客室乗務員のオヤジに起こされた。
通常はワゴンにドリンクとコップを乗せて通路にくるのだけど、このオヤジ、1人1人注文を聞いて奥に入ってちんけなコップに飲み物を入れてわざわざ持って来る。えらく効率が悪い。いつもどおり横まで来て、缶ごとそのまま渡してもらったほうがいいのにな。 それも一気に3人分の注文を聞くもんだから、案の定横に座ってた兄ちゃんの注文したドリンクを忘れて引き返してきた。
横の兄ちゃん、もともとダイエットペプシを注文していたんだけど、戻ってきたオヤジに注文を繰り返したところ、オヤジは「もうなくなった」という。「じゃあペプシでいいや」という兄ちゃんの声を無視して言ったのは「水でもいいだろ?」。そりゃないだろ。でも兄ちゃんも「Sure!」と気前よく答えてたな。
まあどうでもいいけど。

家に戻ってパソコンを立ち上げる、が立ち上がらない。
どうもスパイウェアとかいうのがまだ悪さをしているようだ。立ち上げのページも何度変更しても[about:blank]のまま直らない。一体こりゃなんだ? 何だかスピードも衰えてきた気がするな。
インターネットを調べると対策法がのっているのだが、如何せんパソコンに詳しくないので専門用語を並べられても自分でやってみようという気が起こらないんだなあ。なんだかとてもややこしい問題らしい事は分かった。 使えなくなってからじゃ、手遅れだから、何とかせにゃいかんなあ。


2004年06月08日(火) 夢を追った高津投手

シカゴカブスとマリナーズの3連戦が終わった。
試合内容そのものよりも、やっぱり日本人選手の活躍具合が気になるのは当然か。
3連戦最終日の昨日は、イチローの大活躍、8回から登板した長谷川投手の勝利、そしてこの日の登板で17試合連続無失点を記録したシカゴ高津投手と、日本人選手が3人とも活躍した。

中でも、開幕当初はぱっとしなかった高津投手のここ最近の活躍は非常にうれしい。
10点代に近かった防御率は今や1.27。ざまあみろ、である。これまでは中継ぎの登板しかないのだが、押さえのコッチが防御率5.40の大不調。もうクローザー昇格は間違いないだろう。

当初はあまり良い記事を書かなかった地元紙(Chicago Tribune)も、手のひらを返したように高津を褒める。
中でもマリナーズの3連戦は、高津と同級生でプライベートでも仲の良い長谷川、そしてイチローもいるということで、高津のわくわくする胸のうちが記事にされていた。ヤクルト時代、メジャーに行ったイチローの活躍を毎日のように衛星中継で見ていた高津。一緒のグラウンドに立てるとは、夢にも思わなかったという。

また、面白いのは高津とイチローは日本ではリーグが異なり、対戦はわずか数回だった、しかし彼との不思議な対決があった、とある。
96年のオールスターでイチローがマウンドに上り、代打に出た高津と対決、結果はショートゴロ。そして、もともとのバッターはヤンキースの松井であったというのも、不思議なものだ。そういえば、こんなことあったよなあ。こちらの記者もよく調べたもんだ。イチローが登板した事で松井に代打を告げた野村監督は、なんてつまらないオッサンだ、と思った記憶がある。それにしても、ここから8年後、この3人がメジャーで活躍するとは当時誰が思っただろうか。

シカゴの日系ショッピングセンターにもよく顔を出し、日本食屋にも出入りして気軽にファンと話すという高津投手。メジャーでは今ひとつ知名度がなくて、春先にわざわざメジャーの球団関係者を集めてピッチングを披露しての自己PR。優勝を狙えるチームでありさえすれば、年俸や契約金はもちろん、クローザーには一切こだわらなかったという。大魔神佐々木を抜いた日本記録保持者が、プライドを押し隠してがむしゃらになっている。

奥さん子供を日本に残しての単身赴任だったとは知らなかったけども、持ち前の明るさできっとアメリカにはすぐに溶け込むはずである。チームも調子はいいし、がっちりと不動のクローザーとしてもっともっと大活躍して欲しい。


2004年06月07日(月) ゴルフ代を払わない男

日曜日の今日もまずまずの天気。
NYから出張できている取引先のN氏が、どーしてもゴルフを、というので、本当はゆっくりしたかったのだけども、お付き合い。事前に、日曜日だしプライベートでやりましょう、という話をしていたのだけど、ゴルフ場に着いてエントリーの際の会計時、この男、一切金を出そうともしない。財布も出そうとしない。

しょうがないので、こちらでとりあえず2人分払っておいたんだけど、まあ感覚が麻痺しているというか何というか。そりゃ確かに取引先で向こうは別の地域から来たゲストではあるのだけど、会計の際に横で何もせずに無言でじーっと見られるのも嫌なものである。もちろん会計後も、有難うございます、とか、すいませんねえ、とか何もコメントは無し。

ちょっと嫌な気分でスタート。
韓国系らしいゴルフやりまっせ!というバリバリの兄ちゃんが加わる。この兄ちゃんはとにかく無言でゴルフに専念。確かにうまいんだけども、さっさと前に行くわ、ちょっとのミスショットで叫ぶわで一緒にやってると息が詰まりそう。

ハーフを終わって小腹が減ったので、N氏との2人でホットドッグを食う事にした。1個3ドルになります、という店の姉ちゃんの声で、今度は自分の財布からきっちりと3ドルだけ抜き出して支払った。奴はそれを見てしぶしぶ財布を取りにバッグの所まで戻っていったけど、ほんまに何を考えているんだか。

インに入る直前に、この韓国人の兄ちゃんはスタスタと駐車場の方に歩いていってしまった。帰ったのか。しばらく待っていたのだが現れないので、別のアメリカ人オッサン2人と後半スタート。

そうそう、途中でN氏の打ったボールが右のラフに入ったんだけども、隣のコースでプレーしているおばちゃんがその付近にやってきて、ボールをひょいとつまみあげてポケットに入れてしまった。おいおい。慌てて近くまで行って探すがボールが見つからない。おばちゃん掴まえて文句のひとつでも言いかけたんだけど、N氏が、まあ揉め事起こしてもしょうがないですから諦めますよ、というんで、適当にドロップして打ってもらった。まったくしょうがねえオバサンだな、なんて話して歩いていると、何と元々N氏が打ったボールが落ちていた。
文句言わずによかった〜。
こんな事で訴訟沙汰になってもかなわんからなあ。

終わってみれば、昨日より20打も改善。それにしてもなんという不安定なスコアだろうか。

帰り際にそのN氏、「このゴルフ場で現金引き出せますかねえ」と言う。「おそらくそんなもんないでしょうが、何かあったのですか」というと、「今日の自分のゴルフ代を払いたいが現金がない」と言う。「ここじゃ現金は出せないし、銀行に寄ってたら帰りのフライトに間に合わないませんよ」と言うと、じゃあせめて、と10ドル札と5ドル札を数枚手渡そうとする(全然足りない)。 それにしても、何やいまさら、である。
まあいいですよ、今日は、と一切受け取り拒否をしておいた。

それにしても、こういう所で、人間って出るよなあ。
ゴルフ代っていっても40ドル程度の話である。現金がないならば、会計の時にカードで払えば済む話だし、大体横で人が金払っているのに、一言ぐらい何か言えっていうんだよな。あわよくば、っていうやましい心があったとしか思えない。このN氏、ナイスガイだし嫌いではないのだけど、やっぱり属している会社の古いタカリ体質が染み込んでいるんだよな。

残念ながらこんな男とは、仕事以外の付き合いは一切お断りである。


2004年06月06日(日) スパイウェアに泣く / 最高の天気と最低のスコア

すっきり快晴の土曜日。今年一番の天気ではないだろうか。

今日はゴルフコンペに参加のため、朝9時に家を出る。今日のゴルフ場はちょっと遠くて家から40分くらい。たかだか40分の運転でも遠いと感じるんでは、日本じゃ一体どうなるんだろうな。

1組目スタートで、出だしは2ホール連続パー。こりゃいけるで、と思った瞬間メタメタ。もう池があれば吸い込まれるし、相変わらず地面はたたくしで、ひどいひどい。気がつけば、アメリカ上陸以降最低のスコア。ボールも8個くらいなくした。なんだか、今年はやればやるほど下手になっていくなあ。もっとも、全く練習していないから当然の結果であるんだが。
一緒に回った若手は1月に赴任してきてゴルフが楽しくてしょうがない、と言っている。ほとんど毎日練習に通って週末にコースで実力試しするんだ、と楽しそう。今日も、一打一打実に真剣に取り組んでおり、ああ、去年も自分はこうだったなあ、と思うのだけど、あの頃の情熱と言うかやる気がどうもでないんだなあ。

表彰式では、挨拶のハゲ親父が世界経済を語る。誰もオッサンの固い話なんか聞きたくないっちゅうねん。ブービーやとび賞狙いも全部外れ。つまらんつまらん。


家に戻って、パソコンのリフレッシュとうかウィルス駆除。
どうも変なのが入ったしまったようで、調べるとスパイウェアというらしい。
通常インターネットにつなげると自分の指定したページが表れるのだけど、何度変更しても about:blank という訳の分からないページに代わってしまう。スパイウェアの対策ページをじっくり読んで、無料ソフトも試してみたのだが、やっぱりホームページは about:Blank に変わってしまう。まあ、希望のサイトはそこから見ることが出来るので、今のところ深刻な実害はないんだけども、いやに気味が悪いんだなあ。勝手にカジノのサイトとかがポーンと突然現れるし。
ノートンもしつこいほどやってるんだけど、このスパイウェアって奴はどうにもならない。困った困った。

それにしても、一体どこの誰がこんなくだらないものを考えるんだろうか。全く金にならない気もするんだけど、実は結構な収入につながっているのだろうか。


2004年06月05日(土) 負け犬(Losing dog) 〜 日本の若者女性の記事

昨日のUSA TODAYには、日本の若い女性についての特集がされていた。なんとなくぱらぱらとめくって見逃す所だったが、表紙の大きな写真が目をひいた(六本木のルイヴィトンの店内で、ブランドグッズで固めた25歳前後の女性がデジカメで記念撮影をしている)。こう改めて見ると、日本の女性は実に小奇麗だよなあ。




記事によれば、最近の日本の若者は複雑な生活や男女関係を避けるようになっており、女性は同性の友達や母親とショッピング、男性は職場の同僚とカラオケか1人こもってインターネットをするパターンが多いという。ただ、それを日本経済低迷の理由の1つにしているのは、ちょっと強引だよな。

若い女性は両親と同居して、掃除や洗濯、食事の準備も全部やってもらう、収入はほとんど使いたい放題。ブランドも難なく手に入れる事が出来るし、海外旅行なれしている。それでいて、世間なれして知識教養も豊富。 そんな女性に対して「今の女性は男を頼らない。男は弱くなった」「デートに誘うのも難しい」などとコメントしている24歳の広告代理店の男も情けないというかなんというか。

それでも、今の若者は生活を楽しんでいるようだ。
1973年の調査では、自分を幸せだと感じる世代は60代が最高であったのだが、現在は圧倒的に20代という結果が出ている。こんな記事をみると、日本もこの先大丈夫だろうか、という心配してしまうのは、自分もオッサン化してきたという事だろうか。でも人生楽しんでいれば、それに越したことない。

調査では、今の20代後半の女性のうち54%が独身。1985年では30.6%だったというから、晩婚化というか結婚年齢が上がっているのは事実だろう。原因は男にもあって、100万人近くの若者が引きこもりという。
ただ、多くの女性はやっぱり結婚したいという。問題は、理想の相手は完璧な男である事−金持ちでハンサム、家事を手伝ってくれるか家政婦を雇ってくれる男。
Junko Sakaiという作家は言う。「いい男は結婚しちゃってるのよ。残ったのはバカか無職か暴力的。それかブサイクなのよね。」 お前はアホか。そしてこの女は、自分のような30越えの独身女性を「Losing Dog(負け犬)」と呼んでいるが、「負け犬で何が悪いのよ。だって人生満足してるもん。」と開きなおっているんだよな。
こりゃ、今の日本じゃ若者よりも金持っている遊び上手のオッサンが一番もてるんじゃないかな。そのオッサンも、結婚を迫ってこない事をいいことに、こんな女性をいいようにもて遊んでいるんだろうな。

この記事をアメリカ人の同僚に見せたら、「ちょっと理解が出来ないな。日本の男は仕事ばっかりしてるからだよ。俺達は奥さんと過ごす事が最高の幸せだから、いつもお互いハッピーだぜ。」と言っていた。う〜ん、なるほど。この同僚、普段はノーテンキな事ばかりしやがって、と思うけども、この時は立派に見えてしまった。

まあ、この記事の話が日本の女性の全てに当てはまる訳はないのだけど、全米紙にこんな記事が出ると、結構信じきってしまうアメリカ人も多いのだろうな.


2004年06月04日(金) 視力矯正手術

今日は雲ひとつないすっきりとした快晴。
だが、まだひんやりとしている。とにかく暑くならないのがもどかしい。

会社に行く前に歯医者へ行く。目と歯は遺伝するというけど、悪くないに越したことない。
歯医者のあるビルの1階には視力矯正手術で有名な会社が入っていた。タイガーウッズが手術した会社の系列店である。歯医者の代金を支払う際に受付女性に聞いてみると、なんとその女性も矯正手術を受けたといって絶賛していた。

「メガネとコンタクトのない世界がこんなに素晴らしいとは。早ければ早いほどいい。お金の問題じゃないわよ。」との事。

自分はコンタクトを使用しているのだが、その言葉を聴いた瞬間手術を決めた(単純)。
早速1階に行き、資料をもらう。ふむふむ、最高額の生涯保証付きで片目2200ドルか。安くはないけど、コンタクトとおさらば出来るならなあ。手術はわずか5分。前後10日から2週間はメガネですごさねばならないようだ。

会社に行って、米人にも聞いてみる。
彼も友達が何人か受けたが、全員が全員良かったと言っているらしい。同じくコンタクトをしている彼に、それじゃ何で受けないんだ?と聞くと、やっぱり安くはないから、との事。

目のことだけに心配ではあるのだけど、視力回復の魅力には勝てないな。アメリカではこの手術は一般的になってきたようだけど、日本ではどうなのだろうか。メガネ生活を2週間せねばならんので、寒くてゴルフが出来ない9月に入ったらやってみようと思う。
ひそかに(これでウッズのようにゴルフもうまくなるか)と期待しているのだけど、そんな訳はないだろうって。


2004年06月03日(木) 「大地の子」

「大地の子」全4巻読了。
読み進めると、昔どこかで読んだような記憶がうっすらとあるのだけど、本を買った記憶もないし、いつの頃読んだのかも全く覚えていない。ただ、今回は中国出張の最中に読みすすめたので、感じるものも多かった。

陸一心は中国残留孤児として中国で生き育ったが、その半生は我々には想像もつかないほど苛烈で悲惨であった。それを乗り越えながら、それでいて我々からは信じられないような人生を送る。

「大地の子」はその中国の戦後の状態、そして現状を実に良く描いている。
それにしても、いつも思うが山崎豊子の丹念な取材と文章の迫力には本当に恐れ入る。陸親子の再会のシーンなどは、何度読み返しても泣かされるし、中国の権力社会も見事に書き上げている。

そういえば、中国が難癖つけてモノを返品してくるのは今も変わらない部分があるような気がするし、先日出張に行った際、実際にある中国企業からは「日本企業はいいモノを欧米に出して、出来の悪いモノを中国に出すから信用できない」と言われて唖然とした。発言した相手は比較的若い世代なのだが、代々親の世代からそんなことを言われてきたのだろうか、心から信じきった表情でそんな事を言われて、慌てて否定したものだ。

一心が最後に「私は大地の子です」といったのも、ただ松本耕次という真の親との決別の意味だけではなく、40数年この広い大地で揉まれ、苦しみながらも生きてきたんだと言う強い思いの現われではなかったのではないかと思う。日本にもし戻れば、中国以上に安定した生活が得られる。中国では少しの行為が「反革命分子」などとされて、密告されることもあるが、日本ではそんなことも無い。

それでも一心が中国で生きることを選択した事に、彼の並々ならぬ決意を感じる。例え苦しんだとしても、それは中国で生きてきた証なんだということを一心は思っていたのかもしれない。また育ててくれた養父陸徳志のためにも、養母や妻、子供のためにも俺はこの国で生きていくんだ。そんな決意を胸に秘めていたと思う。

山崎豊子は取材から完結まで、実に8年を費やしたという。
この小説を書く原動力として、戦争に対する怒り、権力の告発、そして贖罪意識であると語っている。

中国人とは?日本人とは? 日本人は過去に対してどうすべきか。我々はどうすべきか。とても考えさせられる。


2004年06月02日(水) 招かれざる客について

3連休は最悪の天気だったが、連休明けの今日は見事な快晴。出勤の日に快晴なんて、と思うけども、それはそれで気分も悪くない。

連休明けで朝からバタバタ。
ようやく一段落した午後7時。たまった書類の整理にとりかかろうとしたら、いつもの通り、日本から電話が入る。それが終わると中国へ電話。何だかんだで結局午後10時になってしまい、これ以上やる気も起きずに仕事を残したまま帰宅。消化不良というか何というか。

いよいよ6月。
シカゴが1年中で最高の季節がやってきた。午後9時まで明るいし、雨は少ないうえに乾燥しており実に過ごしやすい。冬の間、あれだけ誰も出張者がなかったのが、この6月は一気に各方面から来客が押し寄せてくる。おまけに両親も来る。
アテンドも重要な駐在員の仕事。文句も言わずにこなさねばならない。それにしたって、多少でも自分の仕事に関係あるならいいのだけど、直接仕事に関係ないオッサンが来るのは迷惑極まりない。そういうオッサンに限って、翌日はゴルフを、とか言うんだよな。挙句のはてには、テメエのゴルフの腕が悪いのに、悪いスコアを、必ず「貸しクラブが悪い」とか文句を言ってく。

今日もレキシントンの支店の後輩から電話があった。何も関係ないオッサンが来て形だけの取引先訪問をするだけならまだしも、翌日は子供服の店に連れてけ、だの、ここの家具屋に連れてけ、だのあれこれと要求してきたらしい。まあ、日本でどんな仕事上の付き合いがあるかも分からないから、丁重に対応するしかないのだけども、俺たちは旅行業者じゃないんだから。一度も会ってもいないのにそういう事を平気で頼んでくる、その神経が分からん、と話していたけど、まさにその通りだよな。
自分が逆の立場なら、見知らぬ、しかも仕事も関係ない人に対して、そこまでズケズケとモノを頼む事は絶対にしないだろう。
行きたい所あるなら自分で探す、分からなければ聞いてみる、その上で「宜しければご一緒しましょうか」という言葉でも待て、っていうんだよな。

まだ若い人なら仕事に貪欲だし、出張の成果を出そうと必死だからこちらも勉強になるのだけど、得てして役職付きのオッサンが、何の意図もなくぶらりと観光気分でやってくるのが一番性質が悪い。アテンドするのが当然という態度で、もちろん飯を御馳走しても礼の一言もない。 自分の仕事も出来ずに、べったりアテンドしてるこちらからすれば、実にやるせない。

せっかくの6月なのに、こんな話が多くなりそうでちょっぴり気が重いのである。


2004年06月01日(火) 今日も雨の1日

せっかくのメモリアルデーで休日だというのに、朝から雨。
せっかく寒い冬が終わっても、こう連日雨が続くと嫌になってしまう。
午後からつかの間の晴れ間が出て、ゴルフの練習に行こうと思ったが、休日で休み。そうこうするうちにまた雨が降る。休日だからか近所のゴルフ場も全部クローズだったようだ。なんとなく3連休が過ぎてしまったな。

夕方からは、4月に赴任してきた先輩が家電を買うのでお付き合い。
新築の家にテレビを運んだのだけど、やっぱり他人の芝生はよく見えるんだなあ。人の家に入るといい所ばかり見える。しかも新築だしなあ。思わず引越ししたくなってしまう。夜は韓国レストランで韓国料理をご馳走になる。

飯の最中に中国から電話が入る。多少商売の話に進展があったようだけど、こちとらビールの後のジンロをクイっと飲んでいた最中で、英語が頭に入ってこない。一回店を出て冷静に聞く。まあ悪い話ではないのだけども、良い話でもない(どっちやねん?!)。
ちょっと聞き取りにくいから詳細はメール送ってくれ、と頼んでその場は回避。まあ、こっちの休日も向こうには関係ないし、逆に、休日も夜も関係なく熱心に電話してきてくれた事がうれしい。

とりあえあえず家に戻って中国の現法に電話を入れてフォローアップをたのんで、というより押し付けておき、後は明日会社で考えることにする。

今日は時間も一杯あるのに、えてしてこんな日は日記のアップもはかどらない。よっぽど書くのを辞めようかとも思ったけど、せっかく月始めだから少しだけ。ほんとにここまで書くのに一苦労。まあこんな日もあっても悪くないか。


Kyosuke