嗚呼!米国駐在員。
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2004年05月31日(月) 珍プレー好プレー / アメリカの自動車保険料

せっかくの日曜日だというのに朝から激しい雨。
といっても特に予定もないので、のんびり家で過ごす事にする。

日本人向けのスーパーでは、日本の番組がビデオレンタルされているのだが、古くて借り手がつかないものは1本1ドルで売りに出されている。それにしても、元手もかからないし二束三文の安ビデオを使っている、それでいてドラマなんかは人気があるから、結構もろい商売だよな。

昨日はその販売コーナーで、フジテレビで昨年末放送された「2003年プロ野球珍プレー好プレー大賞」を買ってしまった。(なんだかんだ言って結局利用している・・)去年は4月にアメリカに来てしまったから、ほとんど日本のプロ野球は見ていない。おなじみ島田伸助と坂東英二の司会。キリコも出ていたが、未だ根強い人気があるのだろうか。

内容そのものはいつもと変わりなし。これまでは結構楽しみにしていた番組だったけど、もう何の面白みも感じなかったのは、日本の野球を全く見ていなかったからだろうか。とりあえず阪神特集が多く、優勝が大ニュースであった事はよく分かった。それにしても、ゲストの阪神の選手は地味だし暗いな。テンションが低すぎるで。
違和感があったのは、画面上にコメントの字幕がいちいち出てくること。日本で見てたときはそうでもなかったけど、今見ると、とてもうっとうしい。

最後にヤンキース松井の特集があって、如何に松井が日本で注目を浴びているかが良く分かる。ニューヨークに住んでいなければヤンキースの中継なんかほとんどやらないから、こちらにいても松井を画面で見ることはほとんどない。それでも、たまにテレビで出る事があるのだけど、このアメリカの何気ないテレビでこうして画面に出てくる時の方が、彼の偉大さを感じることが出来る気がする。


そういえば、自動車保険の更新の時期が来て、保険会社より請求書が来ていた。
去年の新規年間保険料が1000ドルちょっと。当然ながら日本での履歴、保険階級は全くこちらでは通用しないので全くの新規である。1年間無事故無違反で、今年はいくら下がるんだろう、と請求書を見てビックリ1300ドル。えっ!去年よりも高くなってるじゃないか。
こういう事もあろうかと、代理店に日本人をかましておいてよかった。問い合わせのメールを送ると、日曜日だというのに早速返事がきた。

「日本では無事故なら保険料は毎年下がっていくのに、こちらでは個人の成績とは関係なく保険会社の全体的な損害率があがると保険料が一律値上げになります。日本人の感覚からすると理解に苦しみますがどこの保険会社でもそれが実情です。」

なんという事や。
納得行く訳がないが、あきらめるしかないのかなあ。まあ、しっかり質問に対する回答が戻ってきただけ有難いと思わなければ。(すっかりこんなレベルで満足するようになってきたな)

そういえば、アメリカの保険会社は大小さまざま悪徳の所が多いらしい。保険金を支払わねばならない場合は、相手の保険会社の連絡に全く無視を決め込む所も多いとか。事故の加害者がこんな保険会社に入っていたら、運が悪いと思うしかないというが、一体何のための保険なんだか。
そうそう、他の支店の駐在1年目の先輩がスピード違反したのだけど、ブラックリストに載ってしまい、保険の継続を拒否されたらしい。色々あたって最後には会社で付き合いのある日系の保険会社に無理言っていれてもらったのだけど、その金額は1年5000ドルを越したという。といっても、自動車社会のこの国で保険に入らない訳には行かないしなあ。


2004年05月30日(日) 中国でなくした携帯電話 / 機内預け荷物のクレーム

中国でなくした携帯電話が届いた。
最終日の最後のホテルを出る時には手にしていた筈なのだけど、上海空港でセキュリティを通るときにどこを探しても見つからなかった。無理言ってそのままゲートを戻って(今から思えば空港職員もよく簡単に認めたな、と思うが)、クソまずいラーメンを食べたレストランを探したが見つからない。
やむなくテレホンカードを50元で買って、泊まっていたホテルに電話をかけるが当然言葉が全く通じない。英語話せる人間に代わって下さい、という言葉さえ通じないイライラ感はなんともいえなかった。そして、ホテルから空港までの車を手配してくれた訪問先の担当に用件を話して、「車に電話が落ちているかもしれないから見ておいて欲しい」と頼んでおいたのだ。といっても、ほとんど諦めていたのだが、宅急便で届いた時にはうれしかった。
携帯そのものが戻った事よりも、商売関係もないアメリカからきた1人の日本人の為に、わざわざ車を探してくれて、安くないお金を払って国際宅急便で届けてくれた、その中国人の方の親切の方が身にしみた。
同時に、自分のおっちょこちょい振りには我ながらあきれてしまう。無事に全日程を終え、最後の最後に気が抜けてしまったのだろうか。情けない限りだな。


今日は土曜日で、約20日振りの休日。
身体が疲れきっているのかジムに行く気力もなく、昼ごろまでごろ寝。
その後、近所のショッピングセンターへ。飛行機で預けたスーツケースが壊れていたので、UNITEDにクレームをしていたのだが、その修理をしてもらいに指定されたカバン屋に向かう。費用は一旦自分で立て替えて、レシートをUNITEDに送ればチェックが送られてくるというが、修理費用が40ドルを超える場合は電話で確認を取ってくれ、という。これまたいつ返金されるかも全く頼りにならないのだけど、従うしかどうしようもない。対応したカバン屋のおばさんも、「UNITEDがうちに支払いすると勘違いする人が多いけど、代金はお客さんの方で払って下さいよ」と念を押される。

実はこのカバン、最初にUNITEDの職員にクレームした時、黒人のおばちゃんが奥の部屋に入って、似たような大きさのカバンを持って来て、これでいいか、と聞く。冗談じゃない、色だって全然違う(黒に対して水色のカバンをもってくた)し、だいたいこちらのカバンはサムソナイトなのに、おばちゃんが持って来たのはなんだか無名のいかにも安っぽいケースじゃないか。こんなのいらん、と文句を言うと、またおばちゃんは奥に行って違うカバンを持って来た。やれやれ、全く意思が伝わってなかったのか。今度ははっきりと、いらないから修理してくれって伝えた。

それにしても、こんなにややこしい事になるとは思わなかったな。噂では、その場でメーカーと型番と記入すれば同じカバンの新品が自宅に送られてくるって聞いていたんだけど、ケチなUNITEDがそこまでやってくれる訳ないか。でも、これが出張先だったりしたら、見知らぬ場所まで修理しに行くわけにもいかないし、一体どうなるのだろうか。日系の航空会社の場合はこういう場合、ちょっとはましな対応してくれそうな気もするんだけど違うのだろうか。大体が、アメリカの航空会社は荷物の扱いがめちゃくちゃなんだよな。何でもかんでも思いっきり放り投げてるから。


2004年05月29日(土) サボッてゴルフ / 中国のマッサージ

今日はメモリアルデー3連休の前の金曜日。
会社のスタッフも半分近くが休暇を取っているし取引先も休みが多く、電話もメールもほとんど来ない。外は珍しく快晴。しかもボスも休暇。という訳で、4月に赴任してきた先輩と、昼からゴルフでも行こうか、と冗談で話していたが、本当に行ってしまった。う〜ん、贅沢。

一回家に戻って準備して、近所のコースに出向く。平日の午後2時というのにゴルフ場は一杯。自分たちみたいなのが多いのだな、これぞ米国のライフスタイル!と勝手に思い込む。一緒に回った米人2人も、いかにも会社サボッて来ましたって感じでちょくちょく携帯で連絡を取り合ってたが、急用が出来たようで途中で帰ってしまった。

カートには乗らずにのんびり歩いて、気分もリフレッシュした。
欲を言えば、ゴルフの後マッサージでも受けたいと思うのだが(←オヤジそのまま)、アメリカじゃそんなもんないしなあ。

それにしても、中国のマッサージというかサウナは最高だった。
ホテルの大浴場に行くと、若坊主が着替えを手伝ってくれてそのまま風呂へ。風呂の横にはズラリと兄ちゃんが待機しており獲物を狙うようにジーっと見られる。そして誘われるままに垢すり台へ。素っ裸で受ける垢すりとマッサージは実に気持ちがいい。仕事も丁寧で一生懸命。シャワーを浴びて、髪も洗ってもらって、身体を拭いてもらって着替えさせてもらう。そのまま場所を移して、足裏マッサージ45分。これが実に最高。身体中の血行がよみがえり、身体はポカポカ。疲れもふっとぶ。これで1500円くらいだもんな。

最初は着替えまでしてもらうのは抵抗があって自分でやってたが、せっかくなのにそれもどうかと思って、2回目からなすがままにした。案外慣れるものである。結局、10日間の中国出張で5回もこれをやってしまった。欲をいえば、相手が女性だったら尚更いいのだろうが、これじゃ趣旨が違ってしまうか。


2004年05月28日(金) 米人の自己主張

時差ぼけなのかなんなのか、とにかく眠い。
日常生活が普通に始まると、つい数日前まで中国の喧騒の中にいた事が遠い昔のように感じてしまう。

あるプロジェクトでアメリカ人と仕事をしているのだが、ある部分の扱いになると「俺が担当だから俺が仕切る」と譲らない。実に良いことだ、と思う。仕事をやる上でこれくらいの意気込みがないと何も進まない。

一通り打ち合わせて、「じゃあお前の方から今日問い合わせをして、解答をもらって進めるように」と指示をして帰ってくる言葉は「任せとけ!お前は心配しなくていい」。いやあ実に頼りになる。

そして午後4時45分の定時ぴったりに、その米人は「グッナ〜イ」と言いながら帰ろうとする。まさか。念のため聞く。「例の件は問い合わせのメールしたのか?」「今日はオイル交換するんでもう帰らなくっちゃいけない。今度またやる。Have a Nice Weekend!」「えっ、ナイスウィークエンドって、まだ木曜日じゃないか。」「明日は休暇を取って遊びに行くんだ。天気はどないやろか。月曜日も休日だから4連休。ちょっとしたホリデーってやつかな。」

もちろん日本は通常通り休日ではないので、その分お互い仕事がストップする。
こちらが連休だからこそ、その前に状況を相手に一通り投げておこうという発想はあまりないらしい。
案の定、夜7時(日本時間午前9時)に日本から電話が入る。「どうなってるんや?何もメールきてへんで!?」 結局、来週火曜日(日本時間来週水曜日)まで待つわけにはいかずに、自分でやってしまう。

しかし、これがばれると、「俺がやるっていったじゃないか。人の仕事を奪った。」と言われて下手すりゃ訴訟だから、すっとぼけることも必要になってきて実にやりづらい。この男はいい奴なんだけどな。かといって残業を強制も出来ないし、こういった場合の扱いは非常に困る。たいした事がない内容であれば、こちらも関与しないのだけど、内容に重要度が増すと迷惑をかける相手も増える訳で。

結局、日本人が働きすぎという事か。
ある意味で、この米人がうらやましくなるのである。


2004年05月27日(木) 久しぶりの出社 / 米国テロ攻撃

久しぶりの出社。
昨晩は午後10時には記憶が飛んだ。時差が残っているのか、今朝は5時半に目覚めた。こんな事は生まれて初めてかもしれないな。

12日ぶりの運転をいて出社。机の上は書類の山。メールも玉石混合でとにかく数が多い。タイトルだけで訳の分からないものは容赦なく削除していく。
休暇後の出社ならば多少リフレッシュしてやる気も出るのだが、出張後の出社というのはそうもいかないようだ。中国の出張報告を上司にあれやこれやとやっていると、ついつい無駄話も入ったりして何やかんやで自然と午後8時を回ってしまった。


今日、ニューヨーク本社から次のようなメールが全米国駐在員に送られた。

Subject: 総領事館からのお知らせ(5月26日:米国政府発表のテロ情報)

> *******************************************************************
>   <<< 在ニューヨーク総領事館からのお知らせ >>>
>
> 在留邦人の皆様へ
> 2004年5月26日
>
>  5月26日、アシュクロフト司法長官及びミューラーFBI長官は、記者会
> 見で次のとおり発表しました。
>
>  複数の情報源を基に調査した結果、アル・カイーダは、この数ヶ月の間に米
> 国を狙ったテロ攻撃を計画しており、その準備は約90%完了していることが
> 判明した。米国を狙ったテロを計画している要注意人物として、アル・カイー
> ダのメンバー7名の顔写真を公開する(7名のメンバーの顔写真、経歴はFB
> Iのホームページ(http://www.fbi.gov)で確認できます)。
>
>  また、テロ攻撃の具体的な場所、方法、日時等は未確認なるも、ジョージア
> 州で行われる予定のG8サミット(6月8日〜10日)、ボストンで行われる
> 予定の民主党大会(7月26日〜29日)およびニューヨークで行われる予定
> の共和党大会(8月31日〜9月2日)などの機会が挙げられる。上記7名の
> 要注意人物に関する情報提供を呼びかけたい。


で...??
何たる漠然とした文章か。一体何をどうしたいのか。
米国テロ攻撃が90%完了しているといいながら、在留邦人に対する何らかの指示も対策もない。我々駐在員は一体どうしたらいいのか。当然会社からは撤退せよとも何の話も来ない。テロなんて日常生活で気をつけようもないだろうが。要注意人物の情報提供って、この広いアメリカでそんな事やってる暇な奴いないよ。

それにしても、我々は常にテロ組織から狙われるとてもとても危険な国に住んでいるんだな、と改めて認識する一方、その対策のなさ、あまりの無防備さにこれでいいんだろうか、とも思う。
万一テロが起こったら、総領事館は在留邦人に警戒を呼びかけたはずだ、などと言うんだろうか。テロ攻撃が90%完了されたとき、いわゆる第三国であるならばすぐに退避勧告が出るかもしれないが、米国に対してそこまで行うほど、日本という国も肝っ玉据わっていないという事か。

米国に住んでいる我々は、いつも通り出勤していつも通り生活するしかない.


2004年05月26日(水) ばたばたと米国帰国

中国最後の宿泊先ホテルを出てからちょうど約24時間後、米国の自宅に到着。
上海からの便は超満席。サンフランシスコの乗り継ぎではフライト出発が遅れて、予想以上に時間がかかってしまった。 いや〜、長かった。疲れた。

中国最後の3日間は上海から車で3時間の郊外にいたので、ネットは接続できず。わずか10日間程度とはいえ、中国を去るときはなごりおしかった。アメリカの空港に着いたとき、短パンサンダルの白人デブちゃん達が、ごろごろと地面にだらしなく座ってコーラ飲んで何か食っているのを見て、なんともやるせない気持ちになってしまった。

今回、のこのことアメリカからやってきた1人の日本人に対し、丁重に対応してくれた中国の方達に感謝したい。滞在最後の数日間は色々ハプニングがあったのだが、本日はさすがにこれ以上アップする気力なし。そういえば、持って行った携帯もどこを探しても見当たらないのだが、もう考える気力なし・・・。やばいなあ。


2004年05月23日(日) 怒涛の中国出張 その4 ・ 拉致事件

面談2件を終え、ホテルに一旦戻ってきてテレビ(もちろんNHK衛星)をつけると、拉致被害者の方の記者会見が始まっていた。
久しぶりに顔を見たけど、顔つきというか外見や話し方が(いい意味で)変わったな、と感じる。画面では、皆さん暗い面持ちであり、一体どうしたのかとよく会見を聞くと、曽我さんのご家族3人だけは帰国されないという。蓮池さんと池村さんの家族5人は帰国、両家の家族からするとうれしくってしょうがないんだろうけど、やっぱり曽我さんの心中を慮ると複雑だろうな。曽我さんが毅然に振舞う姿を見ると、なんとも言葉がない。

今回、小泉総理が北朝鮮を訪問した事には敬意を感じるけども、北朝鮮には納得がいかない。普通は逆だろうが。何で人をさらった国にお願いしに行かないといけないのか、と文句はあるけども、あんな狂った国に普通の理屈は通じないからなあ。でも、わざわざ首相がでていって食料25万トン+@まで支援した割には、成果が少ないような。なんだか、北朝鮮の思うツボの気がして、やっぱり納得がいかない結果である。あの、北朝鮮のブタが、今回の結果を思わぬ報酬を得た、と思わなければいいのだが。なんだか味をしめそうで怖い。全くとんでもない奴である。

衛星第一ではメジャー中継。日本語の解説は違和感があるなあ。
それにしても解説者が、視聴者は全て松井のいるヤンキースファンと決め付けた放送はどんなものか。中継はヤンキースなのに、他の日本人選手の状況の速報を逐一報道する。日本にいたときにはこんな中継に見慣れていたはずなんだけど、改めて見るとせわしなくて落ち着かない。


今日で1週間以上がたったけど、やっぱり中国は熱い。
どの企業も英語が話せる人材は少ないので、英語が分かるだけでひっぱりだこという。日本と同じで読み書きは出来るけども、会話はさっぱりという中国人がかなり多いことに気がつく。アメリカでメールなんか送ると、実に見事な文章を送ってくるんだけど、会ってみると全く話せないというのは、なんだかとても違和感がある。映画でも何でも全て完全に吹き替えなので、英会話というものに触れる機会がほとんどないようだ。
 
また、色々聞くと、地方の企業がインターネットを通じて世界と取引をはじめて売上を拡大していくのが、中国の1つの成功ビジネスモデルでありドリームという。確かに立派な会社のホームページを作っている会社は多いけど、実際に会って会社を訪問してみると、ホームページとの落差に「えっ!?」というパターンも多いのだけど。ただ、若者はみんなギラギラしている。まあ、かなり大げさに話をする人が多いような国民性は否定できないのだけど、仕事は仕事と割り切って淡々としているアメリカ人に普段接していると、中国人の方がとても好感が持てる。

そうそう、貿易関係をやっている中国人の多く(とくに若い世代)は、英語のミドルネームがあるんだけど、会う前に、リチャード、とか、ロバート、とか、アンジェラとか聞いていて、実際に会うとそのイメージとの違いに驚いてしまい、ついつい笑ってしまいたくなる。でも、中国人の名前の発音は難しいから、英語の名前は覚えやすくていい。ちなみに、アメリカ人も中国人も、日本人の名前が一番覚えずらいし発音しずらくて評判悪いんだとか。


中国8日目。(5月22日土曜日)
台湾系の会社を訪問。一緒に昼食を。土曜日というのに、出社してくれたのは20代中旬くらいの女性。しっかりしており、びしっとスーツを着て上海のキャリアウーマンといった感じだ。昼飯の時に話を聞くと、2年前まで教師をやっていたという。公務員でやりたいようにやれなかったから、民間企業に移ったとか。
午後からはホテルで別の会社と面談。ここの担当も、3年前まで英語の先生だったとか。 若者がやりがいと金を求めて、臆せずにチャレンジしていくというのは、中国のひとつの構図か。

夜は上海現地法人社長と食事。さすがに中華はあきあきしてきたので、日本食をリクエスト。
工場運営の話を聞く。中国では毎年毎年1500万人の人が職を求める事になり、労働力は有り余ってしょうがないとか。月給8000円程度でいくらでも人材が集まる、賃上げを口にしようとしようものなら、いくらでも代わりはいるのですぐに辞めさせられるという。その結果、いわゆるホワイトカラーが実績給で経済上昇とともに給料が上がっていくのに対し、工場作業者の給料はほとんど変わらない。格差が広がっていく一方である。 ただ、やっぱり工場管理は雑なので、安い安いで飛びついて痛い目にあう例が未だにしょっちゅう起こるとか。


2004年05月22日(土) 怒涛の中国出張 その3

上海のホテルでは、日本のテレビを見ることが出来る。前回見たのは1年以上前だろうか。
NHK衛星ニュースでメジャーに行った田口の映像を初めて見た。アメリカでは残念ながら一度も見たことがない。夜からは西武とダイエーの中継をちらっと見る。西武のユニフォームが変わったんだな。知らなかった。あと、ダイエーの和田ってピッチャー、切れのある投球で素晴らしい。将来のメジャー候補だろう。でも、やっぱり日本のプロ野球はいいな。メジャーがどうのこうのといってそれはそれで素晴らしいけど、慣れ親しんだものには替えられない。
それにしても、中国といってもアジアという事でとてもとても気が楽である。アメリカの生活、知らず知らずなんだけど、やっぱり毎日の生活に気が張っていたんだな、と感じる。

ということで、記録のためにちょっとだけ足跡を。

中国5日目。
夕方まで大連のエージェントとミーティング。その後夕方に、ある人から紹介を受けた社長に連絡を取って会う。当然中国人だけども日本語がぺらぺらなので助かる。そして日本食屋で御馳走になる。大連は、その歴史的背景もさることながら、日本人の観光客、出張者、企業がかなり多い。あちこちに日本人を対象にした店が目につく。
この日本食屋で食べた天然のうにが最高。これまでにこんなうには食べたことも見たこともない。天然のカワハギのお造りも実に結構。初対面なのにすっかり御馳走になってしまったな。謝謝!


中国6日目。
朝の便で上海に向かう。そのまま、取引先にピックアップしてもらい打ち合わせ。それにしても、今回の出張、会う人会う人がみんな初対面なので、空港でピックアップしてもらうのも一苦労である。気の利いたところは、名前を書いた札を持っていてくれるのだけど、そうでない場合は相手が話し掛けてくれるのを待つしかない。もう、それこそうじゃうじゃいる中国人の中から、誰が会うべき先かを推測するのは不可能である。
ミーティングの後は会食。中国での会食はどこにいっても変わらない。円卓テーブルの個室で食事を囲む。1部屋に1人か2人の女性が給仕する。変わっているのは、顔も合わせていない相手の会社の何人かが何事もないように同席して食事をともにすることか。
そして当然、真昼間から、乾杯、乾杯である。このときの店は、部屋についている若い女性がビール瓶を手に客を1人ずつ回って、乾杯でビールを互いに飲み干す。女性は見たところ10代半ば過ぎくらいだけど、結構グイグイ飲むんだなあ。まるで会社の新入社員歓迎みたいだよな。一通りこれが終わると、別の女性がやってきて同じことを繰り返した。3人目が来たところでさすがに社長が終了を宣言。こっちはこれからホテルに向かうだけだけど、みんなあんなに飲んで仕事するんかいな、と思ってしまう。
米人とホテルで合流した後、夜は夜でまた別の人間と会食。しょぼくれたレストランで食って飲んで3人で180元。いくらなんでも間違えだろうと思って後で請求書を見ると、やっぱり計算ミスだったな。対応した若い兄ちゃんも店からしぼられるんだろうか。あはは。


中国7日目。
朝から3時間かけて取引先へ向かう。クソ田舎だけども、先方のマネジャーが実に立派な英語を話す。
昼食でまたまた円卓を囲んで乾杯乾杯。これもそろそろ飽きてきたな。それでも、アメリカのハンバーガーやらポテトやら食っているよりずっといい。
夕方から3時間かけてまたホテルへ。夜は、米人がいい所がある、というのでタクシーで向かう。新世界というエリアで、バーやらスターバックスやライブハウスやらが固まっている。観光客だか知らないけど欧米人が多い。おいおい、中国まできて何でこんな所来なくちゃいけないんだよ。奴らにとっちゃ、アメリカを思わせる環境でほっとするんだろうけど、こちとら中国のがいいんだって。と、言う訳にもいかないから黙ってついていく。
と、バケツをひっくり返したような大雨が。慌てて軒先に隠れるがびっしょり.。とにかく人が多くてたまたま空車が見つかってもすぐにとられてしまう。おおよそ40分後に見つけたタクシーに強引に乗り込む。運転手はこっちの言っている事もホテルの場所も分からず、中国語で降りてくれ、というようなことをまくしたてるが、土砂降りの中、こちらも降りるわけにはいかない。運転手にどなりながら、何とかホテルを見つけさせ一安心。チップで10元ほど渡すが、笑顔で受け取らない。あたりまえのようにチップを取るアメリカにいると、こういう対応をされると、日本人にとっては非常に好ましく思う。

明日は土曜日だと言うのに、面談3件。ほんまにご苦労なこった。それにしても上海ってのも、意外に動きずらいな.


2004年05月21日(金) 怒涛の中国出張 その2

中国2日目。
朝6時過ぎに電話のベルでたたき起こされる。遅れてやってきた米人がようやく北京到着、ただしホテルもチェックインできないので部屋にいっていいか、という。もちろん快諾、といっても同じ会社といってもお互い初対面なので挨拶を交わして狭い部屋に2人。また、コイツがえらいデカイ奴で、小さな部屋は実に暑苦しかった。

朝飯でのんびりホテルの出入りを見ていると、出張だろうか、下品そうな日本人オヤジたちのグループが目立つ。お偉いのデブチビハゲメガネを取り巻き親父が囲んでいるパターンが多い。実にエラソうで不愉快だな。こんなおっさんは久しぶりに見たからであろうか。また、おばさんの団体旅行も多いようだ。北京にはイトーヨーカドーも吉野家もあって、街はオリンピック前で活気があるように感じた。

せっかくの北京でもっとゆっくりしたかったのだが、午後にはビールで有名な青島へ移動。
取引先に迎えにきてもらい、更に車で飛ばして2時間以上走る。そこそこの田舎にきた感じで、人の顔が変わってきて額の狭いサル顔が目立つようになる。男は松坂大輔、女は卓球の福原愛みたいなのが多いな。ははは。

無駄にロビーだけでかいが薄くらいホテルに到着する。街で一番のホテルということだった。HOT SPRING HOTEL(温泉酒店)という名前だが、温泉は全くでないという。部屋のカギをもらった後、取引先の通訳がカウンターで何やらもめている。何をやっているのか問いただすと、午後6時以降は電力がなくなるので明かりがない、と突然言ってきたと言う。おいおい、そんなところでどうやって泊まるんだよ。仮にもホテルだろうが、しかもチェックインする前に言えよな。
という訳で、慌ててホテルを替えてもらう。ある程度のトラブルは予想していたが、こんなのは予想しようがないよな。

別のホテルでとりあえず部屋に入る。荷物を運んでもらったベルボーイの若造が、突っ立ったままなかなか帰ろうとしない。そのうち、人差し指、中指と親指とをこすりだした。ははあ、チップだな。しかし、おもろい要求の仕方だ。中国はいらないと聞いていたけど、しょうがないから手元の小銭を渡す。日本円で200円くらいだったから、こっちならまあまあの額のはずだ。喜んで帰ると思いきや、コイツは更に指を激しくこすりだした。なんていう奴だ。ここで勘違いされてもこまるので、きっぱり断るが、一切視線をそらさずに指をこすりつづける。一言も発せず真っ黒に焼けた顔の青年、その迫力たるや、密室の中で恐ろしいくらいのものだった。
ただ、こちらもそれ以上は渡すつもりもないどころか、馬鹿にされた気がして腹がたってきた。少々やりすぎと思ったけど、渡した札をひったくって、片言の中国語で「要らないのか?帰れ!」と大声でどなりつけた。それでもこの男、じーっとこちらの目を見つづける。今度は不気味になってきて、ひったくった札を差し出すと、無言で受け取り去っていった。なんてこった。こんなやり方で過去にチップをせしめてきたんだろうな。

しばらくすると、隣の部屋に入った米人から電話が入る。ベルボーイが帰らないが一体どうなってるんだ、って。笑いをこらえきれずに部屋に入ると、こっちにきたのと同じ若造が、大柄の米人の前で激しく指をこすっていた。でも、こちらの姿を見るやいなや黙って部屋を出て行った。米人の部屋に荷物を運んだのは別のベルボーイ、なんでおまえがこっちの部屋までくるんだって。いやいや、ここまでくれば大したもんだな。それにしてもこの米人、突然見知らぬベルボーイが部屋に入ってきて変な動きを始めて、えらい戸惑ったようだ。
いやあ、笑った笑った。思い出すだけでいまでも笑えてくるな。このベルボーイもたいしたものだが、単に世間しらずというだけかもしれないな。

中国3日目。
田舎でパソコンどころか電話の通じも悪い。
朝から某中国企業と面談。その後工場見学をして会食。
それにしても、話には聞いていたが、廉価で豊富な労働力を使った中国の工場には驚いた。遊びたい盛りの18歳前後の男女が一心不乱に作業に取り組む。実にまじめで熱心だ。電車でタバコ吸ったり化粧するような日本のクソガキ達に爪の垢でも飲ませたいくらいである。
この会社には本当にお世話になって感謝。一生懸命さと親切さがみにしみた。

そうそう、こちらが日本人と分かると、三浦友和と山口百恵はどうしている?彼らの映画は日本でも大人気か?とあちこちで聞かれるが、一体いつの時代の話やねん。
また、アメリカから来たというと、NBAバスケットボール選手の Yao Min(漢字不明?)は中国出身だぜ、と得意げに言う。アメリカで活躍する彼の存在は、中国人の誇りとなっているようだ。


中国4日目。
朝5時ホテル発で空港へ。取引先もわざわざ2時間走って空港まで見送りにきてくれる。別れ際に涙さえ浮かべてもらい、こちらも感動である。
米人と別れて1人で8時のフライトで大連へ行く、はずだが、これが遅れる。といっても理由も何もさっぱり分からない。英語で質問しても中国語でまくしたてられさっぱり分からない。それでも2時間後にようやく出発。
出迎えにきてくれた取引先と挨拶も早々昼飯に連れて行ってもらう。
ランチはは「ジョーズ」を食べる、というのだが、鮫の肉かと聞いても何やら話が通じない。それどころか、日本でも有名なはずだ、と言う。 店の前に行くとようやく分かった。「餃子」である。これをジョーズと言っているように聞こえる。専門店だからか、肉の種類から調理方法から皮の種類から野菜の種類までチョイスが多すぎて頼んでいる方も訳がわからなくなってくるのだが、味の方は実に結構。

昼から国営企業訪問。怪しげな制服をきた人間がズラリ。こいつらが笑顔ひとつ見せずに淡々と中国語を話す。のこのこ1人で出かけた自分はまるで詰問を受けているようで、面談終了後はどっと疲れる。

夜は火鍋をごちそうになる。とにかく辛くて途中からは味もなにもわからなくなる。あまりうまくはなかったな。

中国にきて会話は基本的に英語を使う。ただ、中国人もパーフェクトではないので、こちらも非常に気分が楽である。少なくとも、アメリカ人と話すよりも語学的には互角もしくはそれ以上になるので、それだけでも気持ちが違う。ただ、アメリカとは別の意味でこちらの意図が通じているかどうかが不安になる。
数年前に日本から中国に行った時は、いいかげんだなあ、と思ったものだけど、今回アメリカから来てみると、いいかげんだなあ、と感じることは全くないといっていい。ウェイターから何から、結構みんなまじめで一生懸命という印象を強く受ける。非常に心地がいい。いかにアメリカがいい加減というか、日本人には受け入れがたい行動、例えばガムをかみながら接客するとかいう行動が多いかなのだろう。
今日は6日目で上海。とても5日目以上をアップする気力がないので、これにて今日は終了。それにしても、スケジュールがタイトすぎるなあ。観光どころじゃないよ。まあ仕事だから観光するなっていわれりゃそれまでなんだけど、せっかくアメリカから13時間もかけてきたんだから、ちょっとは息抜きがしたい。


2004年05月16日(日) 怒涛の中国出張 1

いよいよ中国出張の始まりである。
だが、いきなりハプニングがやってきた。今回の出張は、ヒューストン支店のアメリカ人も同行、国際線で合流することになっているのだが、早朝に彼より連絡が入る。ヒューストンからの国内線がキャンセルされたので、予定していた北京行き国際線には一緒に乗れない、という。何とか彼は夕方に出るシカゴ、ロス経由の北京便を見つけたが、もちろん到着はかなり遅れることになる。

とりあえず自分1人で北京へ向かう。順調に行けば2日目からはうまく合流できることになるが、果たして奴はホテルまで無事にたどりつけるだろうか。
といっても、北京での日程は全て奴に任せっぱなしにしていたから、どうするかなあ。そうそう、中国国内線のチケットやホテルのクーポンも北京のホテルで奴の所に届いているはずだけども、それを国籍も名前も違う自分によこせといっても、すんなり渡してくれるんだろうか。到着初日の取引先面談も、元はといえば彼の取引先にこちらが首を突っ込むだけの予定をしていたので、何も事情を知らない自分だけがノコノコ現れるのもなんだよなあ。と、思うことはいろいろあるのだが、まあ何とかなるだろう。(←実は何も心配していなかったりする)

それより、自分の浮つきというかおっちょこちょい振りが気になるなあ。
必須である中国語の辞書もオフィスに忘れてきたし、フライト中に読む予定で昨日買った「大地の子」も、なんと2巻のかわりに3巻を買ってしまった。2巻がなくて3巻が2冊もあってもしょうがないっつうの。

機内は8割程度の込みか。空席も目立つ。予約の時に全く空席がありません、といわれて料金が日に日に恐ろしく上がっていったけど、あれは一体なんだったのか、とも言いたくなるよなあ。エコノミーの往復だけで2300ドルはどうみても高い気がするけど。
中国への入国書類で検疫を書かねばならないが、「この2週間以内にSARS患者と思われる人に接触しましたか」などという質問があった。そんなの「ハイ」をつける奴がいるかっていうの。大体この検疫書類、成田空港でも中身も見ずに渡して素通りだけど、果たしてわざわざ提出する意味があるんだろうか。と、ここまでは機内で書き上げる。

長いフライトを経てようやく到着。
早速出迎えにきているはずの運転手だかガイドだかを探さねばならない。ところが、何回往復しても自分の名前を掲げた人は見当たらない。持ってきた携帯をつけると見事に通じる。そこで旅行会社に電話するが英語が全く通じない。結局30分くらい汗だくで動き回った所、ようやく自分と米人の名前を持った女の子が見つかり一安心。

ホテルまでの40分はガイド役の女の子と話す。
通訳を目指す学生で、土日は旅行会社でガイドのバイト。北京は建設ラッシュで、今年劇的に街の風景が変わりつつあるといっていたが、その通りあちこちでビルが建てられている。去年のSARSの時は2ヶ月学校も休みになって、外にも行けず大変だったようだ。なんと1日5回マスクを取り替えなければ感染の可能性がある、といわれて、みんなマスクを一杯持ち歩いてたそうな。ところが、「もうすっかりなくなったので安心」と言う。おいおい、9人が感染したってアメリカでつい先日報道されてたぞ、って言うと、そんな話は一切ない、と言い張る。こちらでは何の報道もされていないのだろうか。

ホテルにチェックインして、携帯を充電しようと思って気がついた。プラグの差込口が違う。早速1階の売店で探すが、なんだかよく分からない変圧器ばかりである。店の女の子が3人集まって、ああでもないこうでもない、と、商品の袋を空けまくって確認するが、どうやら適切なものがない。というより、売っているのは、中国のコンセントを海外に持っていく際に必要な変圧器ばかりじゃないか。
埒が空かないので、フロントへ行くと、変圧器なら部屋に届けさせる、という。当然だが、まてど暮らせどやってこなかった。なんだか分からないけど、突っ込んで見たら電気が通ったので、とりあえず充電を完了させる。大丈夫かなあ。←大丈夫訳ないだろうって。

夕方には関係先のMr.Kanにとりあえず連絡してもらいホテルまで来てもらう。といってももちろん初対面。
そのまま2階レストランで中華料理を、だが睡眠不足だったからだろうか、あまりうまくなかったな。色々な話が聞けて参考にはなったが、何かわざわざ出てきてもらって申し訳なかった。別に商売のつながりもそれほどある訳ではないのに。でも中国人のもてなしというか、そういう風土はとてもうれしいものである。請求書を取り合って、最後は彼の面子をつぶさないようにして御馳走になった。
さっさと9時前には解散。ようやく寝れる。


2004年05月14日(金) 今日の出来事

今日は11時30分から歯医者。会社へ行くとまた戻ってくるのも面倒臭いので、昼からの出勤にして、朝はジムに行く。最近気温が暖かくなったのはいいのだが、急に動くようになってか疲れ気味。どうも運動をしていても乗り気ではない。軽く身体を動かした後に、銀行に行き出張の軍資金を引き出してから、一回帰宅。
その後、歯医者へ行く。
気になっていた場所が実にきれいに治療されて満足。帰りに、前回治療した歯で保険で下りなかった金額の請求を受ける。約700ドル。何度経験しても、何のどの部分が保険が適用されてどこが適用を受けないのか、いつその回答が来るのか、素人には全く分からない仕組みに思える。それにしても、結構な金額である。
そのまま、本屋に行き、明日の飛行機の中で読む本を物色。石原慎太郎のエッセーを手に取ったけど、なんとなく夢中で読む本じゃないなあ、と思って、山崎豊子の大地の子を3巻。約28ドル。いつも思うが一冊1000円は高い。
と、会計をしている際に、免許書の入った名刺入れがない事に気がついた。
しょうがないので、会社に向かっていた道を逆戻りで一旦帰宅。あったあった、ジムにはいていったジーパンのポケットに入れっぱなしだった。何を浮ついているんだろうか。

出社したら既に午後2時。
明日の出張の準備もしなけりゃなあ。空港まで迎えに来るように頼んでいた中国の取引先から何の確認もないので、中国の朝になるのを待って電話。なんだかんだであっという間に午後9時前。

明日からイザ中国!


2004年05月13日(木) 出張の段取り

中国出張を直前に控えて、段取りが大詰めである。

この場に及んでスケジュールの最終確認をしていると、やっぱりこの時間に変更してくれとか、もっと延長してくれとかいう要請が舞い込んでくる。150ドル払って1回帰り便を延期したのだけど、更にもう2日伸ばしてくれないか、と言われたが、さすがに断る。当初は同行するアメリカ人と、昼間に観光の時間を入れたりしていたのだが、何のことはない、その空き時間も全て埋まってしまった。中国人は、土日も早朝深夜も全く厭わずに時間を取ってくれるけど、アメリカにはこんなパワーないだろうなあ。うちの米人だって、どんなに重要な客でも土日は家族サービスだとか言って嫌がるし。

今回は色々訳があり、全て自分で段取りをした。
中国の国内線がマイナーな都市の移動でこちらで予約できず、中国内の旅行会社に依頼をしたのだが、料金の支払い時になって、前金はヤバイんじゃないか、とか、カード番号を知らせると悪用されるかも、とか色々言われるのも困るんだよなあ。結局送金したのだけど、時間がなくてチケットは北京に着いたら渡すという。まあ大手の会社だし大丈夫とは思うのだけど、心配させないためだろうか、先方の担当者が、これが私です、と顔写真をメールしてきたのは笑ったな。

こちらの夜8時が、中国の翌朝9時。
こんな時間から打ち合わせやらを電話しはじめるので、いつも帰りが遅くなってしまうのだが、しょうがないな。あまりにスケジュールに余裕がないため、どこかでハプニングも起きるだろうけど、それも出張。久しぶりにアジアの活気に触れる事になり、何か楽しみである。


2004年05月12日(水) 米国流 取引先でのSurprise!

出張先の米国系某大手自動社メーカーの受付での出来事。

大きな待合室で待っていると、いかにも上品な初老の紳士が6人、ビシッと高そうなスーツを決めて受付に現れた。どこかの会社の役員クラスだろうか。リチャード.ギア風のいかした紳士ばかりである。1人は手に大きな花束を抱えている。

受付の人に椅子を用意させてから、おもむろに1人の女性を呼び出してもらっていた。
その女性が受付に現れると、6人がずらっと勢ぞろい。Happy Anneversary!と言いながら、花束を渡す。実にキマッていてかっこいい。

そして、そのまま受付の前におかれた椅子に女性を座らせて、彼女を目の前になんとこの6人が歌いだした。これが、滅茶苦茶にうまい。何の歌だかは知らないけど、それぞれがパートに分かれて見事にハモっていた。というか、ハモっているというレベルではない。プロも驚きというレベルである。
歌は数曲続いたが、椅子に座った女性はもう涙を流さんばかりの大感激である。社内からも続々と見物人が集まって、ちょっとした人だかりになった。

歌が終わると、これからも長い付き合いを、とだけ言い残し、6人はさっさと帰ってしまった。

この女性が担当である以上、この6人が所属する会社との取引がなくなる事はないだろう。


2004年05月11日(火) 出張先での晩飯の問題

今日はすっかり慣れたデトロイトに出張。
晴れわたる快晴の中、すっかり慣れたハイウェイを走らせ客先へ。オープンにしたカマロやコルベットを何台も見かけるが、どう見たって格好いい。ほれぼれする。青空とたくさんの緑ににブルーやレッドが良く映える。年中オープンで走れる西海岸と違って、こちらは季節が限定されるから、冬の間手入れも大変だったろう。だからなおさら、車も喜んでいるように感じるのか。

客先に入る前に、いつも立ち寄る日本レストランで遅めの昼食。たぬきうどんとイクラ丼のセットで9ドル弱。今日はイクラが少ない気がしたけど、いつきてもうまい。隣のテーブルでは、6,7人の日本人サラリーマンが、一言も発せずNHK放送を見ながら黙々と飯を食っている。う〜ん、不気味である。でも、日本では見慣れた光景かな。
自分のテーブルからテレビの画面は見えないけど、ぼそぼそと菅直人の辞任会見が聞こえてきた。やっぱ辞めちゃったんだな、まああそこまできちゃうと辞めざるをえなかったろうが。チラッと土井たか子も未納だったとか言ってたけど、こうなりゃ私もあなたもといもづる式に出てきて、結局残った議員の方が少なくなったりして。でも、いづれにしても、辞職した国会議員が国民年金払ったとしても焼け石に水。根本的な解決にはならないのが寂しいところだな。

商談の方は、価格を下げろ下げろの一点張りで参った。
こちらも状況は説明するが、そこは海千山千の社長と購買である。こちらも何とかサポートしたいのは山々であるが、時代がそうはさせてくれないのが辛いところ。といっても、アメリカ人との交渉なので、時には冗談を交えての交渉。結局は結論でずに宿題となってしまった。でも、そんな内容よりも、よくアメリカ人に囲まれて2時間も話ししたなあ、とそっちの方にやや満足した。1年前に初めて来たときには、言っていることも分からなければ、いいたい事も言えずに情けない思いばかりだったから。でも、やはりもっと英語力を磨かねば、という思いはまだまだ強い。
次に訪問したときはゴルフをしようと誘われて、客先を後にしてホテルへ。

出張時の晩飯はいつも悩む。
誰か連れがいるときはそうでもないのだが、1人の時はキツイ。特にアメリカのレストランは家族団らんの場と化しているので1人でぽつんは、実に居心地が悪い。こんなときはウェイトレスがいちいち、うまいか?とか、機嫌はどうか?とか聞いてくるのも、正直うっとうしくなる。しかも、どこにいってもメニューは肉やサンドイッチ、ハンバーガーに山盛りのポテトばかりで、これまたすっかり飽きてしまっている。という訳で、煩わしさが少ないファーストフードを選んでしまう事が多くなった。
今日はホテルの道沿いを走ると、マクドナルド、バーガーキング、サブウェイ、ウェンディーズ、と、4天王が揃っている。どれを選んでもいつもの昼飯と変わらない。どこに入っても頼んでいないメニューはないかもしれない。脳みそがどれも拒否するがしょうがない。究極の選択の中、少しは健康によさそうなサブウェイに入り、ステーキチーズを注文(どこが健康にいいんだか・・)。ホテルに持ち帰る。
ああ、日本のラーメン屋、定食屋、カレーのココ1番、そして吉野家。気兼ねなく1人でふらりと入って、会話をすることなくうまい飯を食う事は、なんて贅沢なことだったのだろうか。ホテルに戻ると、ピザの宅配が隣の部屋へデリバリーしていた。ああ、こんなのもありなんか。でもピザじゃなあ。1人の出張が多いと、夕食の問題は結構大きな問題なのである。


2004年05月10日(月) Mother's Day / SARS報道

久しぶりに予定のない日曜日で実に幸せである。
午前中はジムでヨガと筋トレ。まだまだ不安定とはいえ、気温がぐっと上がったからかいつもの半分程度しか人がいない。こちらのジムは夏に入れば入会金が安く冬は高いというが、まさにそれもうなずけるような極端な人の動きである。

昼からは洗車をしていると、雲行きが突然怪しくなり雨が降ってくる。全くついていない。のんびりとテレビでスポーツ中継を見るが、ゴルフはウッズがもう一歩だし、カブスも勝ったには勝ったが危なっかしい。日本人メジャーリーガーのいるチームの中継はこの地域では放送していなかった。

夜はインド料理を食べにいくと、インド人の団体で一杯である。やむなくそこはあきらめて、もう一軒のインド料理屋に行くが、これまた一杯。いつもは余裕で座れるのにおかしいなあ、と思ってよく考えると、今日はMother's Dayであった。インド人もこんな日は外食したいのだろうか。(そりゃそうだろうが)
しかたがないのでピザ屋へ向かうがこれまた一杯。てんてこ舞いのウェイトレスで、当然サービスもよくない。隣のテーブルのピザを持ってくるし、こちらは気がつくわけもなくそれをかじる。そのピザの中には髪の毛が入っている。指摘しても当然ろくに謝りもしない。これでチップくれとは言わんだろう、といつもの半分くらいおいてさっさと退席する。やれやれ。

家に戻ってネットを見ると、中国でSARSの新たな感染者が見つかり9人となったようだ。今週末から中国だしなあ、しかも北京入りだし。そんな場所に何の防御もなく飛び込むのは、なんとなく嫌な感じである。発表が9人って事は、実際はその数倍は感染者がいそうだしなあ。
1年前にはやった時には、みんなマスクをしていたのをテレビで見たけど、今回もマスクしてるんだろうか。そういえば、うちのスタッフが言ってたけど、当時のSARS報道まっさかりの頃、アメリカの空港でマスクをしたアジア人が待合席に座っていたら、みんな周りから避けていったと言っていた。その本人は単なる風邪かなんかだったんだろうが、アメリカでマスクしている人なんていないし、周りは感染者そのものと勘違いしたんだろうな。
同じ飛行機に患者がいれば感染の可能性は高くなるわけで、はっきり言って単なる運しかない。何も考えないでいるのが一番だ。(といっても心配性でも何でもないのだが)


2004年05月09日(日) 土曜の今日はゴルフをしてみた

土曜の今日は(今日も、か)ゴルフ。といっても業界のコンペであるから、それなりに同伴競技者にも気を使わなければならない。
朝の天気予報はまたもや雨で昼からサンダーストームが来るとという。自分の組は10時12分スタート。ゴルフ場は家から15分もしないので、9時15分ごろに外に出ると、すでにポツリポツリと雨。しかも肌寒い。最悪である。雨がどれだけ降ってもいいように、靴下の代えはもちろん重装備でゴルフ場に向かう。

ゴルフ場について同伴者に一通り挨拶をしカートに乗り込むと、雨は完全に上がって気温も上がってきた。着込んだ服を脱いで、今年初めてのポロシャツになっていざティーショット。見事にフェアウェイど真ん中である。でも、隣のコースだった・・・。

相変わらず大荒れのゴルフだが、今日は風も少なく結局雨も降らなかったので何の言い訳も出来ないなあ。それにしても、ハーフでパーを4つ取って50を切れないとは、一体どんなゴルフをしているのか情けなくなる。もっとも、全く練習してないから、方向も距離も安定するわけがないんだけど。

そうそう、このゴルフ場はコース沿いに家がずらりと並んでいてプレッシャーなのだが、あるホールで2回も同じ家にぶちこんでしまった。1度は家の屋根だか壁だかにすさまじい音を立ててぶつかったな。ありゃ、絶対へこんでるぞ。まあ、そんな場所の家に住むくらいだから、住人はボールがぶつかるのは覚悟の上なんだろうけど、怒鳴りこまれなくてともかくよかった。聞いた話だと、こうしたゴルフ場横の家はかなり人気も高く家賃もそこそこだという。
スコアは相変わらず寒い限りだったが結局は雨も降らず。表彰でも15位のとび賞とドラコンを1つ取れたので、まあよしとしようか。

でもさすがに不甲斐なく帰ってから打ちっぱなしへ。特に50ヤード以内の寄せがボロボロなので、それだけ練習しようと思ったのだが、さっきまでのお粗末さはどこへやら。狙った所にピタリピタリといく。なんじゃ、簡単だな、やりゃ出来るじゃないか、と結局課題であった寄せの練習は飽きてしまって、途中からいつものようにドライバーを振り回してストレス解消。←だからうまくならないんだって。

横では2人の孫を連れたおじいちゃん、おばあちゃんが、孫のスイングを誉めまくる。
「Brian! Wonderful!!」「Unbeliebable!!」 どんなにへなちょこのあたりでも誉めまくる。絶対にけなしたりあれこれ指導したりしない。6歳くらいのお兄ちゃんは得意になって伸び伸びとスイング、結構いい当たりを連発する。
でもこうして誉める事って結構大事なんだよな。日本人も練習場で子供に打たせているのを良く見るけど、お父ちゃんがもうあれやこれやとうるさいうるさい。ガキに語るんだよな、うんちくを。あれじゃ、子供だってツマンナイだろうが。まあ、子供の為を思ってやってるつもりなんだろうけど、数年後に大きな違いがでそうな気がするんだよな.


2004年05月08日(土) 日本の国民年金問題 世界の報道は?

福田康夫官房長官が国民年金不払いで辞任を表明。
ネットの情報だけだけど、えらいあっさり辞任、よく言えば引き際がいいな、と感じた。同じく年金未納が発覚した管代表がグダグダと言い訳しているにに比べれば、はるかに早い決断だ。何か他に理由でもあったのだろうか。福田官房長官の、あの人を食ったような独特なもの言いもかれこれ1年間見ていないけど、相変わらず報道陣の質問に冷静な顔をしてキレたりしていたのだろうか。

官房長官はChief Cabinet Secretary。まさに国家のスポークスマンであるが、辞任の理由が国民年金未払いというのもずいぶんとセコイ話だよなあ。世界のBBCニュースで顔写真つきで報道されてしまうのを見ると、あまりに器が小さいというか情けないというか。「制度が分かりづらい」って、政治家であるアンタ達がそんな事言ってどうするんだって。

それにしても、国民年金未納問題は江角マキコで火がついたな。
New York Timesでは "A Tough Sell"というタイトルで、日本の国民年金について特集されており興味深い。

20才以上の自営業と学生は約1800万人いるが、その中の40%が年金を払っていないという。アンケートでは、20代の81%、30代の74%が国民年金そのものを信用していない。システムそのものがもはや信用できなくなっているのは、当然のことではなかろうか。国からは納得いく明確な説明もないんだから。

記事によれば、現在の日本の出生率は世界でも最低に入る。15才以下の人口は昨年20万人も減って、人口の13.9%しか占めないが、この数字は過去最低という。一方で、アメリカを見ると15歳以下の人口は21%もある。
国民年金制度が始まった1950年代は、15歳以下の占める割合は35%で65歳以上は4.9%。1970年以来、年金受給者を支える労働者は、8.5%から3.5%にまで落ち込んでいるという。
ある調査では、この低出生率が続けば2044年には、老人と労働者の比率が同程度までになるようだ。女性の晩婚化も指摘されている。2000年では20代後半の女性のうち54%が未婚だったが、1980年代に比べてこの比率は倍増している。一見、独身のキャリアウーマンが多いように見えるアメリカでも、20代後半の未婚比率は31%である。
こういった日本が抱えた事情に柔軟な対応が出来なかったことも、国民年金制度が破綻しつつある原因であろう。

じゃあ、どうすればいいのか。
1つの意見として日本はもっと移民を受け入れよ、そしてもっと市場開放せよ、と述べられているが、早かれ遅かれ抜本的な制度を導入しなけりゃどうしようもないでしょう。でも、日本の世の中を動かす世代は、自分らが恩恵を受けさえすりゃこのままで良い、って思ってる人が多くおそらく何もしないだろうから、若い世代が本気で取り組まないと世の中は変わらない。

この国民年金、我々サラリーマンは自動的に強制的に取られているのだけども、こうなりゃ学生も自営業者も、任意ではなく強制的に18歳以上の全国民から取るしかないかとも思う。そうじゃなきゃ、律儀にまともに払ってる(というか、自動的に取られている)のがバカバカしくなる。国民年金に関しては、正直モノにならざるをえない全国のサラリーマンが、将来損をする事だけは止めて欲しいのである。


2004年05月07日(金) スタッフを問いただす

週末の度にクソ寒い中をゴルフばかりやっていた影響からか、ちょっと風邪気味である。
昨日は退社後に新駐在員を家具屋と電気屋に案内し、そうそうと帰宅。午後8時過ぎにはそのまま寝てしまった。自分の場合、風邪を引くときは明らかに疲労と睡眠不足が原因。今回の風邪は心当たりがありすぎるくらいだけども、昨晩ぐっすり寝たおかげで少しは持ち直してきた。

今日は出社してから会社の受付女性を問いただす。
彼女、昨日は定時前に勝手に帰宅してしまった。支店長がいないと、現地社員の中には完全に気が抜けるのがいるが、まさに彼女はその中の1人。ボスが不在の時、普段はお喋りに講じるのだが、さすがに勝手に4時ごろに帰っちゃまずい。帰った後に、彼女となかのあまり良くない経理の女の子が文句を言っきたので分かった。もしかして何か事情があって誰かに言付けて帰ったのであれば、それはやむなしゆえ、とりあえず全員に確認をしたが、やっぱり誰も彼女が帰った理由を何も聞いていない。

そこで彼女に「昨日は早く帰ったね、どうしたの?」と聞くと、えっ!?という表情をしたけど、手馴れた様子で「昨日は早く出勤したからその分早く帰ったの」と言う。ナショナルスタッフとの個別の契約内容までこちらは分からないが、もしそんな契約がしてあるなら、それを非難して逆に訴えられてもかなわないから、ひとまず彼女の説明には納得する。
「そうだったの。でも、誰かに一言くらい言ってから帰ってよ。就業中に突然消えたら誰でも驚くし、心配するでしょ。これからは気をつけてよ。」「分かったわ。これからは一言言うわ。ごめんなさいね」

ちなみに、彼女が早く出勤したのは全くの嘘。ここしばらく朝1番にオフィスの鍵を開けるのは、いつも自分である。ただ、ここでそんな指摘をしてもしょうがないので、あっさりと注意を促した。彼女にしてみれば、駐在1年の若造日本人が、わざわざこんな事を言ってくるとは思いもよらなかったろう。そして、嘘をついてしまった事が完全に見抜かれたと気づいていると思う。こんなやりとりをしてから、自分が彼女に頼んだ仕事全てが、これまでには考えられないほど迅速に処理された。

スタッフにも色んな人種がいるからこそ、不公平感が出ないようにしなければいけない。今回文句をいってきた経理の子は本当にまじめなアジア系の子なんだけど、こちらとしてもそんな指摘を受けながら黙って見過ごす訳にはいかない。示しがつかない。もっとも、自分はボスではないしそんな権限もないからやりすぎには注意しなければと思うけども。
日本にいる時は、仕事以外についてあれこれ指摘したりされたりという事はほとんどなかったけど、こちらでは、暗黙の了解とかそんなものが一切ないので、そんな局面もでてくる。これが、異国で働くことの煩わしさでもあり楽しさでもある。


2004年05月06日(木) ラーメンについて / GWの影響で暇

いやあ、実に暇である。
ゴールデンウィークまっさかりの日本からは、当然ながら何のメールも来ない。おまけに中国も今週は休みであり、これまた何の連絡もない。会社にいても、何のあてもなくインターネットをつけたり消したり。外は見事な快晴であり、とても眠い。おまけにボスは出張中。これだけ暇だと逆に疲れるくらいで、いっそ日本と同じく休暇にして欲しいものだ。
日本の本社は、GW連休明けのいや〜な会社出勤と海外からの山のようにたまったメール、想像しただけでたまらないな。(ざまあミロである。ははは。)でも、こちとら1週間も取引先を待たして回答を待っている。早速連休明け早々、嫌な奴になって日本の担当の尻をたたかなくては。
それでも、祝日の少ないアメリカから見れば日本のGW連休はやっぱりうらやましいもの。日本の景気も上向いているらしいし、やっぱりどこも大混雑だったのだろうか。でも、連休中どこいった?という会話は、まるで外出しないことが悪いように感じて嫌だったな。

昼からろくに仕事もせずにネットを見ていると、日本のラーメンについての記事を見つけた。
記事は「プラダのハンドバッグとグッチのサングラスをかけたお客が、店外のテレビを見ながら時には何時間も列を作って並んでいる…」で始まる。懐かしの日本のラーメンだ。これによれば全国20万件のラーメン屋があり、年間約64億ドル(約6900億円)もの売上げになるという。
最後に「ラーメンはシンプルだからこそおいしい」という言葉で締められているが、読んでいるだけで、食べたくてしょうがなくなった。やっぱりラーメンは日本が誇る最高の料理である。奥深いスープの味にからむ絶妙な麺。飲んだ後の一杯のラーメン。ああ、食べたい食べたい。

アメリカ人はどうだろうか。
中華にいってもこういった麺類が好きだという話は聞いた事がない。こちらの人は、おしゃべりしながらゆっくり食事するので、そもそもアツアツのラーメンをすするなどという事が苦手なのかもしれない。もっとも、このスープの微妙な味加減が彼らに分かってもらえるかどうかは疑問なのだが。

よく自称ラーメン好きが、どこそこのラーメンが一番、店に入るのに1時間並んだ、やっぱりトンコツでなくちゃ、とか、うんちくを語る事が多い。確かに、そんなラーメンに外れはないだろうし、どれもうまいだろう。自分もラーメンは大好きだ。だから、トンコツを食おうがミソを食べようが、そんなこだわりはいらない。ラーメンはラーメンであり、どれもうまいのである。

ただし、アメリカ中西部のいんちき日本食屋で食べる、見よう見真似で作られたラーメンは、申し訳ないがとてもおいしいと言えたものではないな。いくらなんでも砂糖味の甘いスープはヤバイだろが。


2004年05月05日(水) 「風雲たけし城」が大人気

懐かしの人気番組、「風雲たけし城」がアメリカで大人気である。
Spike TV(毎週木曜 夜10時)というチャンネルで放送されているのだが、タイトルは Most Extreme Elimination Challenge (通称 MXC)。昨年の放送以来、この番組が大人気で視聴率もうなぎ上りだという。ご存知、風雲たけし城は日本では1986年から1991年に放送されたものだが、毎回125人の出場者が時には痛い目にあって8〜12回のゲームを経て優勝を争う。そのゲーム内容のユニークさが、アメリカでは従来考えられなかったものばかりのようで、放送のたびに視聴率も上がっているようだ。

YahooではOFFICIAL FAN CLUBまであり、メンバーは5700人を越えている。そして、UNOFFICIAL SITEまで存在しているから、かなり熱心な視聴者が多いようだ。

うちのスタッフなどからも、この番組はおもろい、という話を聞く。日本でも大人気だろ?と聞かれたので、もう10年以上も前の番組、と言うと一様に驚く。番組中の言葉は全て英語に訳されているのだが、やっぱりゲームを見て楽しめるということだろう。

実際にこの番組を何度か見たけど、ゲームそのものよりもやっぱり若いたけしに目が言ってしまう。
まさに「殿」であるたけしを、たけし軍団のこれまた懐かしい面々が取り囲むシーン。当時はこのたけしの掛け合いが面白かったのだが、こちらの番組では残念ながらこのシーンがほとんどがカットされている。もっとも、英語によってもともとのギャグが完璧にすり返られており、一切日本語も聞こえないから全く面白くもないのだけど。そうそう、軍団の中に大森うたえもんとか義太夫とか出てたけど、彼らは今も元気なのだろうか。そのまんま東やタカ、ダンカンなども、軍団の序列(座り位置)では当時からいいポジションを占めていた事が分かる。
ゲームそのものは、当時とは違って今見たら全く面白くない。出場者のファッションもダサダサだし、全く新鮮味もない。やっぱり昔の番組ということなのだろうか。メインであるたけしは喋りしかないので、かなりカットされる。画面への露出度から言えば、レポーター役の稲川純二とか隊長の谷隼人の方が圧倒的に多い。

発信元のSPIKE TVでは、オーランドのユニバーサルスタジオに、大規模なセットの「オリジナルたけし城」を作り大学生を集め、似たような番組を作るという。

日本のテレビ番組がこうしてアメリカで評価を受けるのは非常にうれしい。
「料理の鉄人( IRON CHEF)」は完全にアメリカでは定着した人気番組なのだけど、これに続く番組がどんどん出てきて欲しいと思う。


2004年05月04日(火) 勘弁してくれ、いい加減大国 アメリカ

実にお粗末ないい加減な対応を2件も受けた。

今日は朝から取引先を連れて、ある材料の検査に物流倉庫まで出向く。
ところが…。ないのだ、肝心の材料が。金曜日に商品を載せたトラックは東海岸を出ているはずなのだが、月曜になってもこちらにモノが到着していない。1000マイルほど離れているとはいえ、3日もありゃ届くだろうが。あれほど念を押しておいたのに、依頼した物流会社は一体何をやっているのか。
わざわざ現場まで出向いてきた取引先の冷たい冷たい視線を前に、慌てて携帯で連絡を取る。物流会社のオヤジが調べた所、運転手は100マイルほど先を走って向かっている、到着に後3時間くらいかかる、と言う。もちろんだが、スマンの一言もない。
一体何やってるんだ!と怒鳴りたくなるのを抑えてまずは取引先に丁重に謝罪。このまま現場で待ち続けるのもなんなので、一旦解散して昼にまた集まる事にした。

ところが…。予定を更に2時間越えてもトラックは来ない来ない。痺れを切らして依頼主の物流会社に確認させる。返事がない。早くしろ、と再度電話でプッシュ。こんな事を繰り返すのだが、一向に状況がつかめない。そしてようやく携帯に着信音。
「気分はどうだい。トラックの件、bad newsみたいだな!何だか俺もよくわかんないけども、今日の搬入は無理そうだ。運転手は明日届けるって。今朝の話?ありゃなんだったんだろうな。じゃあ、バーイ。」

あいつらのいい加減な仕事振りは分かっていたハズだけど、さすがに今回はあれほど念押ししたから大丈夫だろうと油断してしまったこちらが悪いのか。人の顔に泥を塗りやがって、全く。
何かトラブルがあるのはしょうがない。それは責められない。ただ、その際のフォローがあまりにもひどい。今回だって、こちらから何度も電話しなけりゃ、絶対に回答すらよこさなかったろう。今朝、到着に後3時間、と回答を受けたのも、適当なでまかせをかましたのか、と疑いたくもなってしまう。


もう一件。
6月に行われるシカゴカブスのチケットを、ある大手ブローカー経由で取ったのは3月20日のこと。
料金は4枚で400ドル。発注した翌日には手際よく料金はカードから引き落としされている。しかしチケットはまだ来ない。2週間前に電話した時には、2,3日中に発送する、と言われたがまだ来ない。しびれを切らして電話をする。いつものような、たらい回しのボイスメッセージの後に、ようやく電話がつながる。「そのチケットなら2,3日中に発送します。」
いい加減にしろ、この野郎。話にならないのでもっと上のマネジャーにガツンと文句を言う。彼はしっかりと調べてくれた。結論はまだ発送どころかチケットの発券さえされていない、と。
それならそれで最初から言ってくれよ、こっちは金払ってるんだから。メールを何十通送っても無しのつぶてじゃ、だまされたと思っても仕方がない。どちらにしても、2,3日中に発送・・というのは、何の根拠もない嘘っぱちだった。その場しのぎの回答だけして、あとは知らん、こんな対応が多すぎる。

この国の企業はサービスも何でも一流を自負しているようなだけに、こんな適当な対応をされる事があまりにも多い事がなおさら怒りを増加させる。でも自分は異国に身をおいている身。正直言えば文句もあまり言いたくないのだが、相手を信頼しきっているこちらが悪いのだろうか。


2004年05月03日(月) 国際展示会での出来事

今日はせっかくの日曜だというのに東京からの出張者を連れて、朝からマコーミックセンターの展示会に向かう。フードショーという事で、会場は世界中からの客で混雑。
入場者登録のために長蛇の列にならんで数十分すると係員に呼び止められる。あなたたちは海外から?と聞かれたので、どう返答しようか困ったけども、海外客の登録は優遇されているのだろうと思い、日本から来た、と答えると、列を出てあちらへ行け、と指をさされる。しめしめ、と指示された方向に向かうと、海外登録者専用の受付があった。と、よく見れば何の事はない、先ほどよりも長蛇の列でうんざり。
40分位並んでようやく登録の窓口へ。ボランティアだろうか、高齢のおばあちゃんがこれまたゆっくりとパソコンにデータを打ち込む。それにしても、展示会を見るだけで1人150ドルはあまりに暴利だな。会場の場所があまり治安の宜しくない場所だから、誰もかれもが入ってこれないようにしているからだろうか、それにしても高すぎる。

会場はフードショーだけあって、試食と試飲ばかり。
適当に(おいおい)出張者の仕事に付き合った後は、食って飲んで腹が一杯。ビールも飲み放題で、一杯やっていると、ジャーナリストのバッジをつけた黒人がおかしな日本語で話しかけている。しばらく談笑していると、あれやこれやと聞いてきた。

-日本の高度成長時期に匹敵する勢いを中国が見せていることをどう思うか。
-ブッシュ政権についての日本人の考え方は。
-東京に緑(公園)はないのか。
-イラク戦争には軍隊を派遣しているのか。
-3人の人質は無事に日本に帰ったのか、殺されたのか。国民はどんな意見か。

まあ日本じゃ初対面の人がする質問ではないけど、アメリカでは当たり前かもしれない。政治も含めてしっかりと自分の意見を持っておかねばと痛切に感じる。最後の質問についてはこちらも長く話ししたが、アメリカではこの3人は国が派遣したと一部報道されていたらしくて、実態を話すと非常に驚いていたな。

適当に会場を冷やかすと、出展者も本当に色々話しかけてくる。
彼らも仕事で来ているし、せっかく各地から出張してきているから何か成果を出したいのだろうか。とにかく黙っていても、こちらに分かるように話しかけてくる。これは、日本人にとっては実にいい生の英会話の勉強になるなあ、と感じた。

2時には会場を後にして、ダウンタウンから郊外に戻って、せっかくだからまたゴルフ。
3時過ぎという事でカートつきで1人35ドルは安い。アウトはよかったがインに入ってめっきり冷え込む。こうなるといつもの事だがゴルフどころではないが、何とかホールアウトした時には午後7時30分。

この数日間、すっかり疲れた。日本は連休か。こっちは全く関係ないな。


2004年05月02日(日) 焼肉を食べる金髪女性

昨日は夕方に突然電話を受けて、退社後に昨年知り合った地元の知り合いのうちに遊びに行く。
家はインド人街を少し入ったごみごみした場所。まさかこんな所に日本人が住んでいるとは思いもしなかった。彼は在米40年近くにもなり、自営業をしているようだが今ひとつ何をやっているのかわからない。家は4階建てで、2階で奥さんと生活。その他の階は人に貸しているという。家は広いのだが、リビングに仏壇があったのには驚いた。日本とは決別したのだろうか。

その後近所の韓国焼肉へ。
炭火であぶる骨付きカルビが実に結構。前菜の小皿も20皿近くてそれだけで十分なほど。これが突き出しで出てくるんだから、やっぱり韓国料理はいい。サンチュなんかも確か日本では注文しないと出てこなかったと思ったけど、こちらは食べ放題。
隣のテーブルには、女子大生ばかり10人くらいいて圧巻。おそらくゼミか何かの打ち上げで韓国系の子が連れてきたのだろう。ただ、金髪のアメリカ人が唐辛子で真っ赤になったユッケジャン(?)を目の前にして悪戦苦闘していたのが面白かった。どう見ても、おいしくない、とんでもないものたのんじゃったわ、という顔をしており明らかに箸も進んでいないのだが、誘ってくれた友達に悪いとおもってか一生懸命に具をつまんでいた。でも、こっそりと自分の舌をナプキンで拭っていたのも見てしまった。やっぱり、アメリカ人にはチリソースの辛さは受け入れられても、唐辛子はきついんだろうか。金髪女性が炭火をかこんで焼肉というのも、何故か実に不似合いなんだよなあ。

雨の中をダウンタウンの案内を受けながらジョンハンコックビルへ。96階のバーで一杯飲んだけど、残念ながら窓は一面雲で覆われており全く何も見えず。
その後、ジャズバーに場を移して2時間程度。帰りは久しぶりに12時超えて疲れた。
アメリカに完全に居ついている彼からすると、自分のような立場の日本からの駐在員に何の魅力もないように思えるのだが、声をかけて誘ってくれた事はうれしいものである。積極的な姿勢は実に尊敬に値する。

土曜日の今日は、日本からの出張者交えてゴルフ。
真っ黒な空に雨がぱらぱら降るのだが、シカゴ特有の寒風が吹かないため10度前後でもそれほど寒くはなかった。それにしても週末にゴルフする度に天気が悪く、やってられない。
日本からの13時間一睡もしなかった、という徹夜明けのハイテンションの出張者に影響されてアウトは55の大たたきだったが、インに入って43と持ち直しかろうじて100を切った体たらく。
クラブハウスで一杯やりながら本社の状況や会社の方向性などをあれやこれやと聞くのだが、もうさっぱり訳が分からなくなっている。それでも自分の大勢に影響ない事を考えると、日本にいた時は実に不必要な情報ばかり入っていたんだなと感じる。


2004年05月01日(土) くじで大金を当てた後 / 高給が魅力かイラク派遣

今朝は帰国する同僚の見送りに空港へ。
幸い日本は連休中の為、帰国してもしばらくは出社しなくていいから楽である。アメリカへの海外赴任、辛い事も楽しい事もあったのだろうが、本人にとっては忘れられない体験になるであろう。6年間お疲れでした。

日本もすっかり連休ムードに入っているのか、今日はほとんど仕事の連絡がない。中国も5月1日から9日まで休暇に入るようで、来週は本格的に暇になりそうだ。
そんな中で金曜日というのに2件ほど新規の客先から電話が入る(金曜は開店休業の取引先が多い)。どちらも聞いた事のない会社なので、どこで自分の名前を知ったのか問い合わせると、紹介を受けて電話してきたという。紹介を受けた人の名前を聞いてもさっぱり心当たりがない。でも、相手も検討違いの話をしている訳ではないから、どっかで配った名刺が巡り巡って効を奏したのかもしれないな。
最初に連絡があった人にいくつか問い合わせ内容の質問をするのだが、どうも要領を得ない。よくよく聞くと、先日まで学校の先生をやっていたという。どうりで物腰が丁寧。営業としては、彼が慣れない今のうちに懇切丁寧に接する事は必須。

新聞で興味深い記事2件。
今年1月にロッテリー(くじ)で970万ドル(約10億円)当てたインディアナ州のジェイムス氏が、交通事故で激突死した。インディアナ州では、同じく5万7000ドルを当てた男性も1月に交通事故死したという。

複雑だな。偶然とは思えない。死んでしまえば大金なんて何の意味もない。こんな記事を読むと、人生で運の量は決まっている、大きな幸運の後には必ず不幸が来る、と信じざるを得ない。まさに、くじなんてのは運しかないんだから、そんな事で運を使っちゃもったいない。日本にいた時には毎年宝くじを買っており、当然一度も(3000円すら)当たった事もないのだけど、これで良かったのかもしれない。


もう一件。拉致の危険は承知の上で、米国内では望めそうもない高額の給与に誘われて、「戦火」のイラクへ向かう希望者は今後も増大しそうだという。ボルティモアの人材派遣会社アエロティックによれば、年収10万ドル(約1070万円)の技術者であれば、イラクで働けば35万ドルという高給が得られるという。トラック運転手にしても、日当1000ドル(10万7000円)の提示に魅力を感じてイラク入りを検討する人が多いようだ。

といっても、この4月だけで米軍の死者数は134人。ニュースでの死者、行方不明者報道は怖い事にもう日常化しており、ある意味で大したニュースと感じなくなってきている。 
高給目当てにイラクに行くといっても、生死をかけた派遣には間違いないし、残された家族はたまらないだろう。それでも、目先の金目当てにイラクに飛び込む人が後をたたないアメリカという国は、やっぱり大きな病と魅力を抱えているのだろう。一発当ててやろうという気持ちか、はたまたもっと複雑なものを抱えての決断か。ちょっと自分には想像も出来ないのだが.


Kyosuke