みのるの「野球日記」
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2005年05月25日(水) ご冥福をお祈りいたします

 桐蔭学園中学校野球部の織田英男コーチが23日、急性心不全で亡くなられました。

 今朝、「がんばれ!!TOIN野球部」の掲示板で訃報を知りました。
http://8047.teacup.com/cheer/bbs
 言葉がありません。

 今年で32歳…若すぎます。

 5月14日。横浜スタジアムで行われた横浜市大会の決勝戦。試合終了後、織田先生に「おめでとうございます」と駆け寄ると、「ホッとしました。でもまだこれから。今年のチームは全国優勝できる力も持っています」とすでに8月に行われる全国大会へ気持ちを向けていました。

 織田先生の声はとてつもなくデカイ声でした。ベンチにいる選手を鼓舞する声、バッターボックスの選手に送る激励の声…、今春の横浜市大会でも織田先生の声はグラウンド中に響き渡っていました。

 桐蔭学園中野球部には毎年100人以上の部員がいます。
 織田先生はメンバー外の選手、とくに下級生に礼儀や練習に取り組む姿勢、野球への熱い心を指導していました。織田先生に指導を受けた下級生は「織田組」と呼ばれ、織田先生に負けず劣らずの声のデカさでした。
 下級生同士の練習試合では、織田先生が監督としてチームを率い、「お前ら勝ちたくねぇ〜のかよ! こんな試合してていいのかよ!」とベンチで叱咤激励を送る姿が何度も見られました。そんなシーンをいま思い出します。

 織田先生と初めてお会いしたのは、3年ほど前に東林中グラウンドで行われた練習試合でした。以来、グラウンドや球場でお会いするたびに、いろいろなお話をさせて頂きました。今年は、何度も何度も「全国を狙えます。全国を獲りにいかないといけない」と語っていたことがすごく印象に残っています。

 その全国大会出場を決めてから、9日後のこと…。未だに信じられません…。
 
 謹んでご冥福をお祈りいたします。



2005年05月07日(土) 西武・涌井秀章

 先日、自宅から約2時間かけて…、西武第二球場に行ってきました。小さい頃から、西武の大ファンなので、西武の取材となると、心躍るものがあります。西武線に乗るだけで嬉しくなってしまったり(笑)。

 横浜高校からドラフト1位で入団した涌井秀章の取材。高校時代と比べると、お尻がでかくなりましたね。話ぶりも、高校時代より落ち着いたように思います。そしてなぜか、高校時代にはなかった訛りがチラホラと入っていたような。誰の影響だ?!

 練習をちょこっと見ましたが、楽しそうにやっていました。涌井も「横浜高校のときより、全然ラクですよ」と。試合のない日は、全体練習は3時間ほどで終了。そのあとは、寮に引きこもりゲームをしているとか…。オイオイ…。自主練しなさい。

 取材のもようは、6月10日発売の『中学野球小僧』に掲載されます。お楽しみに。中学時代にどんなことをやってきたのか、プロ入り後の想いなどなどを話してもらいました。

 さて、第二球場で練習を見ていた中で、印象に残ったのがキャッチャー練習。全体練習終了後、ルーキーの星秀和と、3年目の上本達之が居残りで、キャッチャーフライの練習をしていました。キャッチャーフライ用のマシン(バッティングマシンをただ真上に向けただけかも?!)にボールを入れ、高々と上がるボールを何本もキャッチ。コーチからは「顔の前で捕れ!」「ヒザを柔らかく!」と指示が何度も飛んでいました。
 特に星は、顔の前でなかなか捕れず、捕球はできるものの形が不安定。コーチに何度もダメ出しをされていた。
 ルーキーはこういう形から、細かく指導されていくのか…。プロって、あまり指導をしない印象があったのですが…。キャッチャーフライの捕り方を、プロに入ってまで指導しているとは。

 途中、なぜか外野手の松坂健太が乱入。ひとりだけ外野手用のグラブで、キャッチャーフライの練習に挑戦していました。ミスをすると、年下の星が笑ったりと、いい雰囲気。涌井も全体練習中に、先輩にヒザカックンを入れていたりした…。

 気になった選手がふたり。
 ひとりはルーキーの藤原虹気。195センチの右腕だ。高校時代、交通事故に遭ったため、まともな練習ができずにプロ入りしたとか。この日はダッシュを繰り返したあと、ブルペンへ。キャッチャーを立たせた状態で30球程度投げていました。おそらく5割ぐらいの力だと思いますが、やはり角度はすごい。投げ方も素直で変なクセがないので、体ができれば楽しみ。いまは「カモシカ」のような足です…。

 もうひとりは2年目の左腕・松川誉弘。いじられキャラなのか、先輩から突っ込みを受ける場面が目立っていた。室内練習場では、なぜか2軍にいる野田浩輔と組み、立ち投げ。野田から、「テイクバックでヒジが背中に入りすぎ」「ヒジが下がっている」とアドバイスを受けていた。フォームで悩んでいる様子。会話を聞くかぎり、スリークォーターに腕を下げようとしているらしい。



2005年05月03日(火) 決勝で日吉対決実現!

 春季神奈川県大会の準決勝を見に、保土ヶ谷球場へ。春なのに内野は超満員。第1試合の途中から外野開放となりました。

■第1試合
東海相模 0000003000|3
日大高校 102100000×|4

 日大のエース滝沢知輝が7安打完投。初めて見た投手だが、さすがにチームをベスト4まで押し上げてきただけのことはある。
 まず打者に向かっていく気持ちがいい。今日、151球投げたが(公式記録ではない)、スライダー、カーブの変化球系はわずかに12球。三者凡退に抑えた9回はすべてストレートで2三振を奪った。
 といっても、ストレートが驚くほど速いわけではない。本人は「MAX143キロ」(日大藤沢戦で出したもよう)と言っていたが、今日、ネット裏にいた横浜偵察隊のスピードガンを見ると、136が最高。それでも、強打を誇る相模打線を抑え込んだ。

 滝沢の投球を見て、「お!」と思ったのが左肩が、投げる直前まで開かないこと。右打者の感覚としては、左肩が自分の体の方に迫ってくる感覚だと思う。それでいて、適度に荒れる。そして、右打者の内角、左打者の外角はほぼ100%ナチュラルシュート。これ、相当打ちにくい。
 左肩の開きを抑えることには、本人かなり意識している様子。
「去年までは開きが早かったので、開きを我慢することを意識しています。踏み出した左足が着くまで、グッと我慢。この春になってから、その感覚を覚えることができました」
 聞けば、昨秋からストレートのスピードが10キロも上がったそうだ。冬場のランニング、3年生という自覚で、「スピードが上がったと思う」と話していたが…。思わず、「それだけで上がるの?!」と突っ込みを入れてしまった。
 身長も昨秋から伸びて、体重も6キロアップしたという。体の成長と、テクニックの上達がうまい具合にマッチしたのだろうか。
 
 また、滝沢のプレートを踏む位置も気になった。右投手では珍しく、一塁側のプレートを踏んでいたのだ。基本的に、右打者のアウトコースに角度をつけるため、右投手は三塁側を踏む投手が多い。何か意図があるのかと思い、聞いてみると、
「春の2回戦が終わってから、一塁側に変えました。三塁側で投げていると、どうも投げづらくて。ナチュラルシュートしすぎて、右打者にデッドボールを当てることも多かったんです」
一塁側から投げれば、右打者の内角への空間が広がる。好調の原因は、プレートの踏み位置を変えたことにもあったようだ。

 ストレートが多かったことについては、「自分のストレートがどこまで通用するか試してみたかった」と頼もしいコメント。
 この試合、日大は相模の主軸に対して、外野手が極端に深い守備位置を敷かなかった。7回表の岩崎巨之のライトオーバー二塁打は深い位置なら余裕で捕れたが…。それでも最後まで定位置を貫き通した。
 その点について伊藤謙吾監督は、「滝沢のストレートに相模打線が合っていなかったので、いつも通りの守備位置で大丈夫だと思った」と。確かに、伊藤監督の言うとおり、滝沢の強気の投球に相模打線は押され気味だった。

 滝沢をリードした荒川雄太。
「今日のリードのテーマは、ガンガン行くこと! 滝沢の一番いいボールはストレート。そのストレートが打たれたら、どの選手も納得できる」
 荒川はプロ注目のキャッチャー。質問に対して、しっかりと自分の言葉で解説ができる。初めて話したが、非常に頭のよさそうな印象を受けた。

 5回表2アウト一、二塁で打者は負傷の角一晃に代わった鈴木宏治。ストレートを4球続けて、カウント2−1。最後の勝負球に外のスライダーを持っていき、見事空振り三振にしとめた。
 荒川は「あの場面だけはひらめき。スライダーでいける、とひらめきがあったんです。ひらめきが」と、何度も「ひらめき」という言葉を繰り返した。キャッチャーの勘といえるのだろうか。

 評判の肩は、イニング間の二塁送球を見ても、びっくりするほどの強肩ではない。しかも、あまり真剣に放らない…。しかし、実戦になると「さすが」という場面がしばしば。捕ってからが速い! 機動力が売りの相模の盗塁を二度封じた(二度ともエンドランの空振り)。しかも1回と2回に封じたので、試合の展開上大きなものだった。本人曰く、二塁送球は「1.8秒」とのこと。センバツの試合、さらに春の初戦のビデオを何度も見て、どこでエンドランがくるか徹底的に分析したとも言っていた。

 これで日大は40年ぶりの春季大会の決勝進出。
 滝沢は「日吉対決がしたい。慶應に勝ち上がってきてほしい」と、ともに東急東横線の日吉駅にある慶應の勝ちを願っていた。



■第2試合
慶應義塾 000002033|8
桐光学園 200100011|5

 試合前に漆畑に「今日はどんな感じで?」と聞くと、「最初に宮本で、あとは色んな投手で繋いでいって、最後は中林の予定」と。そんなにうまくいくのかい? と思ったが、これが見事見事、ほんとにうまくいった。しかも、最後は中林ではなく、公式戦初登板の漆畑。奇襲かと思いきや、下級生の頃は練習試合でよく投げていたそう。シニア時代も、何度も抑えで登板していたそうだ。
 9回1イニングだけの登板で、「いかにも野手」だったが、何と137キロを記録。「137キロ出てたよ!」というと、かなり嬉しそうにしていた。

 試合後の上田監督。
「今日は最初から6人の継投で行くと決めていました。順番も、最後に漆畑を出すのも予定通り。先発の宮本も、三番手の忠本も、福山もみんな良く投げてくれた。田代と崔は抑えられなかったけど、いい経験になったと思う」

<慶應の投手起用>
宮本(1年)    4回 4安打3失点
田代(2年)  1/3回 0安打0失点
忠本(3年)2・2/3回 2安打0失点
崔 (2年)  1/3回 2安打1失点
福山(2年)  2/3回 1安打
漆畑(3年)    1回 1安打1失点

 忠本。かなり自信を掴んだ様子。マウンド上でも、自信が漲っているせいか大きく見える。5回表には1アウト満塁で、6番政野をホームゲッツーに仕留めた。
「もう、これで大丈夫でしょう。夏もやってくれると思う」と赤松副部長も喜んでいた。
 忠本は「高校入ってから、いまが一番楽しい!」と笑顔。1年秋の頃は、「中林と二本柱」として期待をかけられていた投手だ。それだけに、上田監督は「やっと忠本がいいピッチングをしてくれた」とホッとした表情。夏は中林ひとりでは戦えないのは、誰もがわかっていること。それがこの春の大会で、1年生の宮本を含めて、投手陣の層がグッと厚くなったのは間違いない。

 今日の試合。印象に残ったのが、1点差で迎えた、8回裏慶應の守備。桐光が1アウト一、三塁と攻め、打者は1番松本。どうやって守るかなと思っていたら、最初は二遊間を塁間よりも前に持っていき、バックホームを狙える位置に守っていた。「バックホーム体勢か…」と見ていると、ベンチから赤松副部長の「下がれ」の指示が飛ぶ。そこで二遊間は3歩ほど下がり、完全なゲッツー態勢に。これが見事にはまった。
 5番手の福山が、松本をセカンドゴロに打ち取り、4−4(自らベース踏む)−3のダブルプレーが完成。前進守備であれば、ホームのアウトひとつで、なお攻撃が続いていたと思われる。
 上田監督は「最初、二遊間が前に守っていたのは、こちらの指示が届いていなかったため。ベンチは最初からゲッツー態勢の予定だった。あそこは同点でもOKの場面」。
 普通、8回裏で1点リードなら、1点を守るが…、「同点OK」と考えるのが慶應らしいところだ。

===

 というわけで、日吉対決が実現! 両校ともに最寄り駅は日吉駅。出口も同じ。歩いていけば、15分ぐらいで着く距離にある。監督同士は、日吉駅でよく飲んでいるとか。面白い試合になりそうです。
 ちなみに日大vs慶應は2年前の夏の緒戦で対決しており、このときは11−1で日大が圧勝した。日大の荒川はすでに4番捕手でスタメン出場を果たしていた。

 なお、この勝利で両校ともに関東大会出場が決定。



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