みのるの「野球日記」
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@mino8989 です。

2004年07月31日(土) 第29回関東中学校軟式野球大会 組み合わせ

 神奈川県では関東大会に向けた予選真っ只中。上位2校に入れば、8月7日から10日まで(7日は開会式のみ)行なわれる関東大会出場が決まります。

 現在、決定している出場校は、
<東京> 優勝:羽村市立第三中 準優勝:江戸川区立小松川第三中
<埼玉> 優勝:春日部市立東中 準優勝:さいたま市立内谷中
<山梨> 長坂町立長坂中、南アルプス市立若草中

 羽村三中は秋春夏と東京都3連覇。春日部東中は秋夏と埼玉を制覇。3月に行なわれたKボール選抜で日本一にも輝いた中学です。さすがにここまで勝ち上がってくると、どこも強豪ばかり。

 関東大会の組み合わせは既に決まっており、以下の通り。
 球場は大宮公園野球場、上尾市民球場、さいたま市営浦和球場が使用されます。

◆1回戦(8月8日)
<大宮>
〆覿迷茖餌緝州s山梨第2代表
⊃斉狎鄲茖餌緝州s千葉第2代表
E豕第1代表vs栃木第2代表

<浦和>
ぐ饐訛茖餌緝州s群馬第2代表
シ嫁和茖餌緝州s神奈川第2代表

<上尾>
ζ別畋茖餌緝州s埼玉第2代表
Ю虱嫗茖餌緝州s東京第2代表
┿獲第1代表vs茨城第2代表

◆準々決勝(8月9日)
<上尾>
,両ー圍s△両ー
の勝者vsい両ー

<大宮>
イ両ー圍sΔ両ー
Г両ー圍s┐両ー



2004年07月30日(金) 果たした約束 〜修徳高校・小田川雅彦先生〜

◆7月30日 東東京決勝 神宮球場
修徳高校 100001010|3
二松学舎 101000000|2

「うわ、嬉しいなぁ。みんな来てくれたの? 嬉しいなぁ、嬉しいなぁ。ありがとう、ありがとう」
 試合後、ロッカールームから出てきた小田川雅彦先生を待ち受けていたのは、東京都の中学野球部の先生方の祝福だった。「小田川先生、おめでとう!」。小田川先生は次々に求められる握手に、満面の笑みで応えた。
 その中のひとり、小松川三中・西尾弘幸先生(この夏、東京都2位で関東大会に出場!)は「もう最高に嬉しい」と自分が優勝したかのような喜びよう。西尾先生は春夏に開催される下町杯の実行委員長を務め、都大会では小田川先生率いる修徳学園中と何度も鎬を削ってきた。

 小田川先生は3年前の秋に修徳高校の監督に就任。高校に移ってからも、下町杯の飲み会には必ずといっていいほど参加し、西尾先生ら旧知の間柄である多くの先生と杯を交わした。
 毎年8月下旬に行なわれているフレンドリー大会(埼玉県東部の中学を中心に、栃木、千葉、東京などから中学が集まる交流試合)にも、中学野球部を指導していた頃と同じように足を運ぶ。中学の先生方とお酒を飲みながら、毎年のように熱い熱い野球談義に花を咲かせている。

 小田川先生は決勝戦の試合後、こう話していた。
「選手を送って下さった中学校の先生に恩返しができました」
 小田川先生は16年間、修徳学園中を指導。その間に知り合った中学校の指導者は数え切れないほど。小田川先生の人柄・指導力に魅かれ、「小田川先生が高校に行くなら、うちの選手を修徳高校に」と、力のある中学生を何人も送り出してくれた。

 大会で5割近い打率を残した4番長島一成は栃木の益子中出身。中学時代は栃木県大会優勝、関東大会ではベスト8に入った。もちろん、それだけの選手であれば、地元栃木からの誘いも多数あった。それでも、修徳学園中を率いていた頃、何度も栃木のチームと練習試合を行い、栃木の先生方と築いた信頼関係は強かった。地元の私学に決まりかけていた進学先を、「小田川先生のもとで」と修徳高校へ進むことを決めた。
 そのほか、5番ショートの佐藤寛巳も栃木の芳賀中出身。また、本来であれば主軸を打つ予定だった昨秋のレギュラー松本も栃木の物部中出身だ。松本は春の大会直前に交通事故に遭い、夏の大会に間に合わなかった。

「今年のセンバツ発表のあと、栃木から来た選手の前で謝ったんです。選手の中には(センバツに出た)作新学院に行くのがほぼ決まっていたのに、わざわざ修徳に来てくれた子もいる。入部前、選手には『絶対、甲子園に行くから』と約束しました。だから、その約束が果たせなくて悪かったと。そのまま作新に進めば、甲子園に出られたんですからね」
 その約束がこの夏実現した。


 3番ファーストの磯部泰(1年)はじめ、スタメンには修徳学園中出身の選手が5人、名を連ねていた。小田川先生が高校の監督に就任する前は、修徳学園中の主力選手が付属高校に上がらずにほかの高校に入学していたが、3年前から状況が変わってきた。小田川先生が高校に移ったことで、付属高校へ進むケースが増えた。
 磯部は修徳学園中の2年から主軸を打ち、02年全中3位、03年全中準優勝と中学野球の大舞台を経験してきた。磯部と小田川先生の出会いは小学6年の頃までさかのぼる。「中学ではポニーリーグに入ろう」と考えていた磯部だが、少年野球のグラウンドを訪れた小田川先生と話をしていくうちに「修徳中で野球をやりたい」と心変わり。実家から自転車で10分の修徳学園中に入学することにした。
 2年生の正捕手・長野祐斗も少年野球をやっていたときに、小田川先生から誘われた。「修徳中は厳しいから絶対やりたくない! と言っていたのに、小学校6年のときに小田川先生と話をしてから、『おれ、修徳中でやる』とコロっと変わったんですよ」とは長野のお父さんの言葉だ。

 小田川先生とは取材で何度もお話を伺っているが、社会科の先生らしく(?)話が非常にうまい! ときには目に涙を浮かべたり、ときには何だか難しい格言を持ち出してきたり、話の引き出しが多い。監督というよりは先生という言葉がピタリと似合う。上辺ではなく、琴線に触れるような話ぶり。熱い熱い先生だ。
 そんな人柄に子供が魅かれ、中学校の先生が魅かれ、そして保護者が魅かれ、修徳高校野球部の甲子園出場が実現した。

 決勝戦のあと、胴上げを終えた小田川先生にスタンドからこんな声が掛けられた。高卒1年目か2年目の若者だろうか。目に感激の涙を浮かべていた。
「マサヒコ、ありがとう! 約束実現してくれてありがとう! 次はもっとでっかいこと言っちゃっていいからな! マサヒコ、ありがとう〜!」



2004年07月29日(木) 第21回全日本少年軟式野球大会 組み合わせ決まる

 本日、第21回全日本少年軟式野球大会(8月23日〜26日 横浜スタジアム)の組み合わせが決まりました。

◆1回戦 8月23日
‥貶ライオンズ(中国・広島)vs横須賀スターズクラブ(開催地・神奈川)
伊良波中学校野球クラブ(沖縄)vs福井クラブ(北信越・福井)
F高オールスターズ(近畿・和歌山)vs埼玉TOPS(関東・埼玉)
で鯤中学校クラブ(四国・香川)vs柴波クラブ(東北・岩手)

◆1回戦 8月24日
ャ禿津譽ラブ(九州・大分)vs生麦中クラブ(開催地・横浜)
ιШクラブ(近畿・滋賀)vs福島のだまクラブ(東北・福島)
Ф路クラブ(北海道)vs城南中クラブ(九州・佐賀)
┘院璽廛轡縫◆粉愿譟ε豕)vs岡崎南中(東海・愛知)

◆準々決勝 8月25日
,両ー圍s△両ー
の勝者vsい両ー
イ両ー圍sΔ両ー
Г両ー圍s┐両ー

◆準決勝、決勝 8月26日


試合開始時間など、詳細は「全日本軟式野球連盟」HPをご覧ください。
(まだ組み合わせは更新されていませんが…いずれアップされると思います)
http://www.jsbb.or.jp/tk/tk01.html



2004年07月16日(金) MAX138キロのドラフト候補 〜国学院大・梅津智弘〜

 国学院大のエース梅津(ウメツ)智弘投手の取材で、たまプラーザにある合宿所へ。国学院大といえば…、ワタシが入試で落ちたところ。しかも、1点差で落ちた…。当時にしては珍しく、国学院大は入試の得点をハガキで通知してくれた。法学部は1点差で、経済学部は遠く及ばず20点差くらいで落ちた。まぁ、ほかの大学に受かったので良かったんだけど。もし1点差で浪人していたら…と思うと、ゾッとする。

 梅津は191センチの大型サイドスロー。山形の上山(かみのやま)明新館高校出身。高2夏に県準優勝、高3春に県ベスト4を経験。国学院大進学後は1年春からデビューし、2年秋には完全試合も達成。ここまで東都二部で通算21勝を挙げている。この秋のドラフト候補のひとりである。

「大型サイドスロー」と書いてしまうと、速球派タイプで少々制球力の悪い投手を思い浮かべるかもしれないが(たとえば立命館大からヤクルトに入った平本など)、梅津の武器は多彩な変化球を組み合わせたコンビネーションと、抜群の制球力にある。ストレートのMAXは何と(!)138キロ。「第二はスピード表示が出ないんで良かったですよ〜」と冗談っぽく笑っていた梅津。スピードを求めるために、大学入学後、オーバースローへの挑戦も試みたそう。だが、「しっくりいかない」と、いまの形に落ち着いた。

 梅津と話をしてみると、しっかりとした投球理論を持ち、つねに自分で考え、上を目指して工夫している貪欲さが感じられた。取材の応対も非常に誠実。同行したカメラマンが「挨拶もしっかりできるし、すごい好青年ですね」と感心するほど。梅津は「高校の監督にも、いまの竹田監督にも、野球だけやっているような人間にはなるな。礼儀や挨拶もしっかりとできるようにと教えられてきました」と話していた。

 梅津は「小学生で野球を始めたときからプロを目標にしてきました。速い球が投げられなくても、プロに行けるところを見せたい」という。
 大学野球最後のシーズンとなる秋季リーグ戦は、約2ヵ月後の9月に開幕。一部の那須野(日大)と山岸(青学)もいいけれど、二部のエース梅津を見に、秋はぜひ神宮第二球場へ!
  



2004年07月15日(木) 清野打法(藤嶺藤沢vs関東六浦)

◆7月15日 神奈川大会2回戦 横浜スタジアム第2試合
藤嶺藤沢 2121402 | 12
関東六浦 0010000 | 1

 藤嶺藤沢が2対0とリードして迎えた2回表の攻撃。2死三塁のチャンスに1番藤枝(左打ち)が打席に入った。藤枝はカウント2−2から低めのスライダーをバットを止めるようにしてチョコンと当てて、三遊間に高いバウンドを転がした。三塁手が捕ったとき、すでに藤枝は一塁ベースに到達しようか、という打球だった。
(ん? いまの何? 止めたバットに当たったのか? それとも意識してやったのか?)
 ベンチを見ると、「ナイスバッティング!」と声でもあげているのだろうか。藤枝に対して、拍手を送っていた。

 今度は4回表、5−0とリードを広げた藤嶺藤沢の攻撃。先頭の9番笠石(右打ち)が同じような打ち方を見せた。カウント2−1から外のカーブをチョコンと当てる。ショートゴロに終わったが、明らかに通常とは違う打ち方。ボールがバットに当たると同時に、すでに一塁に体を向ける「走り打ち」、言葉を変えれば「当て逃げ」だった。

 以降、注意深く見ていると、追い込まれるとどのバッターを「走り打ち」に徹していた。とにかく三遊間にゴロを転がして、内野安打を狙う。とくに8番を打つ左打ちの清野(せいの)は「走り打ち」で2本の内野安打を稼いだ。清野はクローズドに構える。すでに構えた時点で、三遊間に体をむけ、外角にボールが来たらこっちのもの。普段の5割くらいの力で軽くバットを振り、測ったように三遊間に転がしていた。

 試合後の藤嶺藤沢・山田監督。
「あの打ち方、ウチでは『清野打法』と呼んでいます。春に鎌学と日藤に敗れ、県大会にすら出場できなかった。そのときに普通に打つだけでは勝てない、と改めて分かったんです。転がせば、何かが起きる。それで考えたのが、あの打ち方。7ヶ所でバッティング練習をやるときは、3ヶ所は『清野打法』のみ。ひたすら、徹底してやらせています」
 『清野打法』という名前は、もちろん8番の清野からとった。清野は50メートル6秒3の俊足。昨秋は補欠だったが、春以降、この打ち方を習得しレギュラーを掴んだ。彼の打席は送りバントかセーフティーバントか走り打ちのみ。それでも、練習試合・公式戦を合わせた打率は4割を超えるという。

「じつは、この打ち方は法政二高で監督をされていた田丸さんや、武相の木本さんもやられていたんです。木本さんが藤嶺藤沢で甲子園に出場されたときも、使っていた打ち方。田丸さんは『受け止めて潰す』という表現をしておりました」
 木本さんは藤嶺藤沢の監督に就いて1年目で甲子園出場を果たした。あとにも先にも、藤嶺藤沢が甲子園の土を踏んだのはこの1回のみ。そのときに使っていた打法である。
 
 藤嶺藤沢の打法を見ながら、そして山田監督の話を訊きながら、フト思ったのが(ソフトボールに似ている)ということ。先日の朝日新聞にも載っていたが、女子ソフトには日本のお家芸ともいえる『スラップ』という打ち方があるらしい。
http://www.ne.jp/asahi/softball/get-win/bat44.htm
 ↑の説明ほど、極端な「走り打ち」ではないが、藤嶺藤沢の打ち方はそれに近いものがあった。策士・山田監督のことだから、ソフトボールから技術を学んだのかもしれないと思い、その辺りのことを聞いてみると、やはりそうだった。
「ケーブルテレビなんか観ていると、女子ソフトボールのリーグ戦をやっているんですよ。そこで、打ち方を学びました。パワーでは劣る日本が、技でアメリカやヨーロッパに勝とうということで考えられた打ち方ですよね」

 藤嶺藤沢はもはや伝統ともいえるバント攻撃をこの日も見せた。投手がマウンドから下りてくる位置とは逆方向に転がす練習を徹底して行っている。
 3回戦で戦う優勝候補・桐光学園について、話を向けると、山田監督は「自信あり」といった表情を見せた。
「第1試合観てましたけど、あのままの布陣でくるのなら、ウチに勝てるチャンスがある。去年の夏は1対3で負けましたが、今年はそれ以上戦える手ごたえがあります」
 桐光の内野陣は決して万全とはいえない。特に三塁の村山は今日の第1試合でも、スローイングに不安なところを見せた。バントや『清野打法』で狙われたとき、桐光にとっては不安材料であるかもしれない。

「名実ともに桐光学園が上なのは分かっています。ウチの選手の中には桐光に入りたかったけど、ダメだった選手もいる。そういった彼らの意地をぶつけていきたい。チャレンジャー精神で戦っていきたいと思います」
 
 昨夏の再戦、藤嶺藤沢対桐光学園は18日、相模原球場で行われる。藤嶺藤沢の技がどこまで通用するか、注目の一戦となる。




2004年07月11日(日) 『古豪復活』(慶応義塾vs湘南)

◆神奈川大会1回戦 保土ヶ谷球場

湘南 0000000|0
慶応 011115/|9

 試合後、ベンチ裏の控え通路に姿を見せた慶応義塾の上田誠監督は安堵の表情を見せていた。
「いやぁ〜、硬かった。公式戦で勝ってなかったから、勝つ味を忘れていた。校歌の歌い方も分からなくて、オドオドしてて…(*校歌を歌い終えたあと、グラウンドへの挨拶が揃わず)。スクイズもエンドランもことごとく失敗したけど、まぁ、最初だからこんなもんかな」
 慶応は昨夏の初戦で日大高に、まさかのコールド負け。昨秋、今春はクジ運に恵まれず、初戦で桐蔭学園と激突し、連敗。秋、春のブロック大会を除けば、公式戦では1年以上勝っていなかった。

 今大会も直前の練習試合で絶不調。黒星が続き、「これだけ悪い状態で夏に臨むのは珍しい」(上田監督)というほど、深刻な状態だった。特に厳しい状態だったのが、2年生エースの中林。夏の開幕1週間前に行われた修徳高校(東京)との練習試合で先発するも、集中打を浴び大量失点。本来のピッチングとは程遠いデキだった。
 原因は6月に左肩を痛めたことにあった。「投げ込みができずに、自分のフォームを忘れてしまった」(上田監督)。修徳との練習試合を見て、真っ先に感じたのは、一番良かった昨秋と比べ、腕の出る位置が上がったこと(本来はスリークォーター)。無理に上から投げよう投げようとして、非常にギクシャクしたフォームになっていた。

 上田監督も「腕の位置」については違和感を覚えていて、修徳との試合後、早速修正。「サイドスローで投げる気持ちでシャドウピッチングをしてみな」と中林に指示を出した。その言葉に応じ、シャドウピッチングをする中林だが…、これが面白いもので、「サイドで投げてるつもりなんですけど」と言いながら、腕の位置はスリークォーターよりちょっと上。頭で考えていることと、体の反応がズレているのか…。
 それでも、何回かシャドウをこなしていくうちに、本来の中林に近い腕の振り、腕の位置が蘇ってきた。「それ! 今のいいよ!」と上田監督が声をかけると、「さっきより腕が振れてる感じがします」と表情が晴れる中林。「まだあと1週間あるから、シャドウやっておくこと」と上田監督からの指示が出され、その日の練習は終了した。

 それから、8日後の湘南戦。中林は7回無失点のピッチングを見せた。4安打、9三振、1四球の投球内容。中林は「変化球は入らないし、ストレートも全然走ってない…。よく耐えられたと思います。いい状態の3割か5割くらいしか、力を出せませんでした」と冴えない表情。だが、自身のフォームについて訊くと、「3日くらい前に、やっとコツを掴んで、何とか大会に間に合いました」と笑顔を浮かべた。
 この日の中林はストレートとチェンジアップを中心に攻めた。桐蔭学園戦では緩いカーブも多く投げていたように思うが、今日はかなり少なめ。「相手が右狙いをしていたのが分かったので、遅い球よりもストレート。とくに内角のストレートが効くんじゃないかと思いました」。その言葉どおり、右打者の内角にストレートをコントロールよく投げ、湘南打線を封じた。
 そして、最も切れていたのが右打者の外へのチェンジアップ。「あんなに切れていたのは1年ぶりくらいかな」と監督が話すほど、抜群のキレ。スタンドで見ていて、スクリューボールかシンカーか見間違うほど、落差のあるチェンジアップだった。
 
 ただ、昨秋、桐蔭学園を2失点に抑えたときと比べると、やはりまだまだ。もっと滑らかなフォームで、腕もムチのようにしなっていた。それは「3割か5割くらい」と話す本人が一番分かっていること。白星という結果が中林をどう変えるか。
 春、桐蔭学園に敗れたあと、「ストレートの球速をアップさせて、もう一度桐蔭と戦いたい。今度こそ勝ちます」とリベンジを誓っていた。その桐蔭学園とは、互いにあと2つ勝てば三たびの対戦が濃厚である。
 リベンジに燃える中林のグローブには『古豪復活』と縫い付けられている。昭和37年以来遠ざかる夏の甲子園へ。エース中林の完全復活が欠かせない。



2004年07月09日(金) 瀬谷シニア

 資料を整理していたら、99年の「ジャイアンツカップ」の名簿が見つかった。この大会はシニア、ボーイズなど中学硬式クラブの(事実上の)日本一決定戦で毎年夏に行われる。99年は泉正義(宇都宮学園ーヤクルト)がエースを務めていた瀬谷シニアが優勝を遂げた。

 その瀬谷シニアのメンバーを改めてみると、戦力の充実に驚く。シニアについては全然詳しくないが、現在も活躍しているという意味も含めて、過去にこれだけのメンバーが揃ったシニアチームはあったのだろうか。そう思うくらいの顔ぶれが揃っている。主要なメンバーは以下の通り(現在の進路が分かった選手に限る)。

泉 正義(瀬谷中ー宇都宮学園ーヤクルト)
中矢浩次(左近山中ー花咲徳栄ー東北福祉大)
岩崎達郎(原中ー横浜商大ー新日本石油)
渡部彰朗(瀬谷中ー花咲徳栄ー上武大)
坂下真太(東野中ー東海大相模ー新日本石油)
遠藤愛義(大和中ー東海大相模ー東海大)
山 智浩(いずみ野中ー横浜商業ー城西大)

 中学のシニアのチームメイトが大学あるいは社会人でこれだけ野球を続けている、しかも活躍していることはめったにないと思う。特に坂下は社会人入団2年目で新日本石油の1番を任されるまでに成長した。来年のドラフトの目玉と言っていいほど。シニアの同期、岩崎もレギュラーをほぼ掴んでいる。
 中矢、渡部の徳栄コンビも注目。渡部は先日行われた大学選手権で代走として神宮デビューを果たした。中矢は来季のレギュラーが近いとか。
 横浜商業から城西大に進んだ山は、シニア時代の名簿を見る限り、レギュラーではなかった選手。それがいまや、強豪・城西大の正捕手を務める選手となった。

 中学野球部で考えると、ひとつのチームにこれだけの選手が集まることは、残念ながらまず有り得ないだろうなぁ…。
 



2004年07月08日(木) 進路

 ネットで各都道府県の夏のメンバー表を調べている。全中、全日本で活躍した選手がどこに進み、活躍しているのか。「ここにいたのか!」と見付けたときは、ちょっとした感動。1年生で早くもベンチ入りを果たした選手も結構いた。さすが全国に出てくる選手となれば、それだけの力を持っているということか。
 そんなわけで、去年、軟式の全国大会に出場した選手で、この夏の活躍を期待したい選手のご紹介。
(すべて事前登録でベンチ入りを果たした選手。全部調べられていないので漏れもあります…特に北海道・東北地方…)

【全中】
◆越谷千間台中
 一條和真内野手(東京・修徳)  代走の切り札的存在
◆修徳学園中
 磯部 泰投手(東京・修徳)  先日の練習試合では4番一塁で出場
 佐藤直樹外野手(東京・修徳) 修徳学園中では主将を務める
 杉本健臣内野手(東京・修徳) 中学時代はショートで鉄壁の守備見せる
◆茅野北部中
 北澤一喜捕手(長野・佐久長聖)長野県勢、全中初勝利に貢献
◆紀之川中
 松隈利道投手(智弁和歌山)  全中初戦敗退も…ホント速かった! 
◆高雄中
 撫養尚希捕手(智弁和歌山)  打撃能力は全中出場の中でトップクラス
◆周陽中
 仲野大樹投手(山口・南陽工業)
 佐伯和哉捕手(山口・南陽工業)バッテリー揃って同じ高校へ
◆明徳義塾中
 田中大二郎(神奈川・東海大相模)相模進学後、春の大会で即デビュー

【全日本】
◆真岡クラブ
 西山紘平投手(栃木・真岡工業) 全日本でかなり惚れた投手のひとり
◆日高オールスターズ
 竹中孝昇投手(智弁和歌山)   ライバル松隈とともに智弁へ進学
◆城南中クラブ
 三浦隆寛投手(愛媛・宇和島東)
 山本健介捕手(愛媛・宇和島東)
 泉達也外野手(愛媛・宇和島東) 主力選手が揃って宇和島東へ
◆多久中央中クラブ
 松枝元気外野手(佐賀・龍谷)  優勝チームの1番センター
◆上本部中野球クラブ
 與那嶺祐也投手(沖縄・興南)  興南で夏デビュー果たすも初戦敗退
◆横浜クラブ
 大場絢友捕手(神奈川・鎌倉学園)横浜クラブでは攻守ともに大活躍
 勝連智弥捕手(神奈川・武相)  低迷続く武相の救世主となれるか



2004年07月06日(火) 第21回全日本少年軟式野球大会出場校

 8月23日から26日まで横浜スタジアムで開催される第21回全日本少年軟式野球大会の出場校(7月4日現在)は以下の通り。参加16チーム中、8チームが決まっている。抽選会は7月29日に行われる。
 
 7月4日に九州大会が行われていたと思うのですが…、雨天順延?! ご存知の方いらっしゃいましたら…、情報お待ちしております。

横浜   横浜市立生麦中
神奈川 横須賀スターズ
東海   岡崎市立岡崎南中(愛知)
北信越 福井クラブ(福井)
近畿   日高オールスターズ(和歌山)
近畿   彦根選抜(滋賀)
四国   坂出市立白峰中(香川)
沖縄   豊見城市立伊良波中  



2004年07月01日(木) 磨いた投球術 〜神奈川大・荻野忠寛〜

 明日2日から第33回日米大学野球選手権大会が開幕する。神奈川大のエース荻野忠寛(4年)も「開催地域代表」として、4日に行われる横須賀大会のメンバーに選出された。
 
 荻野のピッチングは見ていて飽きない。
「自分と同じ考えで投げるピッチャーには今まで出会ったことがないです」と話すように、独特の投球理論を持っている。

「一番こだわっているのは打者とのタイミングを外すこと。150キロ投げても、タイミングさえ合えば打たれてしまう。いかにタイミングをずらすか、それを考えて投げています」

「空振りされると、アッと思います。前に飛ばしてくれよって。一球でも少なく、試合を終わらせたい」

「(カウント2−0からほぼ必ず3球勝負)遊び球を使って、バッターに余裕を与えたくない。余裕がないうちに、ドンドン攻めていきたい」

「キレイなフォーシーム回転のストレートは投げていません。ボールの縫い目の向きに注意して、打者の手元で微妙に動くように投げています」

 先日行われた大学選手権では2回戦の日大戦で敗れたあと(0−1の惜敗)、こんなことを話していた。
「那須野くんみたいに体があって(192センチ、83キロ)、150キロも投げられるような投手が羨ましい。あれだけのボールが投げられれば、自分も投げてみたい。でも、自分にはそこまでの体もないし(173センチ、67キロ)、スピードもない(大学選手権のMAXは140キロ)。その中で勝っていくには、色々と考えてやらないとダメなんです」
 
 試合中、味方の攻撃の際、次のイニングに備えてベンチ前で行うキャッチボールにも荻野の色が見える。ほとんどのピッチャーが軽く肩慣らし程度のキャッチボールをするが、荻野は18.44メートル以上離れて行う。右足でケンケンするようにステップを踏み、右半身に乗せた体重を左半身に移して投げる。それも7割程度の力を込めて、行っている。

「あのキャッチボールは球筋と、体重移動の確認です。距離を離した方が、球筋がよくわかる。18.44メートルでは分からないズレが、距離を遠くすればよく見えるようになるんです」
 荻野の「考えてやらないとダメ」という思いが、このあたりにもよく出ている。

「一番こだわる」と言うバッターとのタイミングについてはこう話す。
「バッターに分からないように、フォームのスピードを変えています。クイックとか目に見えるものではなくて、本当に分からないように、タイミングをずらす。ストレートのスピードや変化球への対応は、今はマシンがあればできてしまう。でも、フォーム自体のスピードを変えてしまえば、対応は難しいんじゃないかな、と思うんです」
 130キロのストレートを投げるにしても、フォームのスピードが変われば、同じ球速でも、様々なバリエーションが生まれることになる。
 
 去年、田口慎一郎(現かずさマジック)とバッテリーを組んでいたときは、驚くことにサインがふたつしかなかったそうだ。
「サインはストレートとカーブだけ。真っ直ぐの場合は、バッターのタイミングを見て、自分がカットボールやツーシームを投げる。それを田口さんが全部捕ってくれたので、サインはふたつでやっていました」

 このキャッチャーについても、荻野独特の考えがある。今組んでいる増渕宏樹(3年)との相性を訊くと、
「結局、投げるのはピッチャーである自分。投げたくないサインには首を振るし、打たれそうだと思えばタイミングをずらせばいい。だから、キャッチャーが変わっても、自分にはあんまり影響がないです」
 要は、球種のサインに頷いても、そこからどんなタイミングで投げるかを選択するのは荻野自身の問題。ストレートひとつとっても、打者の手元でどのように変化させるかは荻野が決めること。となると…、荻野のボールを受けるキャッチャーはもしかしたらツマラナイ?!

 高校時代(桜美林)、荻野とバッテリーを組んでいた大森悠太(明大3年)に訊いてみると、そんな考えは杞憂に終わった。
「荻野さんと組んですごく勉強になりました。ほんとに頭脳的なピッチングで、こんな配球があるのかって何度も思いましたね。尊敬できる先輩です」
 
 ちょっと話し変わって、先日、東芝の高見泰範監督の取材に行く機会があった。高見監督の現役時代(バルセロナ五輪で捕手。主将も務める)を振り返ってもらい、国際大会で感じたことを伺ってきた。その中で興味深かった話が、日本とラテンアメリカ系(キューバ、アメリカ)のピッチャーの違い。

「キューバのピッチャーはバッターのタイミングを見て、組み立てを考えます。配球を考えるのはピッチャー。日本の場合は球種でタイミングを外しますが、キューバやアメリカは同じ球種の中でタイミングをずらしてくる。だから、ピッチャーに際どいコースを突こうという考えがないんです」
 ファーストボールにしても、ちょっとフォームを変えたり、腕の振りを変えたり、スピードを変えたり、ありとあらゆる変化をつけ、バッターのタイミングをずらす。それがキューバやアメリカのピッチングスタイルだという。際どいコースに投げるよりも、タイミングをいかにずらすか。
「だから、キャッチャーは面白くないと思うんですよ」
 そう言いながら、高見監督は苦笑いを浮かべていた。そうか、やっぱりこういうタイプのピッチャーは、キャッチャーにとってツマラナイのか…?!
(*高見監督インタビューの詳細は7月10日発売の『野球小僧』で)

 高見監督の話を聞きながら、なるほどなぁと思いつつ、「荻野の目指しているのはこれなのかもしれない!」とひとりで勝手に興奮した。
 荻野も「ぼくは四隅のコースに狙って投げないんです。いかにもバッターが手を出しそうなところに投げて、凡打を誘う。四隅にいいボールがいくと、バッターは見逃してしまうので球数が増える。ラクしたいってわけじゃないですけど(笑)、少ない球数で終わらせたい」
 う〜ん、非常に考え方が似ている。
 
 はたして、荻野の投球術が米国相手にどこまで通用するか。
 高見監督の話から考えれば、荻野のようなタイプこそ、米国が「見慣れている」タイプとも言える。タイミングをずらすこと、あるいはストレートに微妙な変化を加えることは、米国では珍しくないからだ。
 
 ただ、荻野独特の一度浮き上がってから、ストンと落ちてくるタテのカーブは、米国も相当面食らうはずだ。高見監督も「ラテンアメリカに有効な球種はタテの緩いカーブ」と話していた。そんなことを考えれば考えるほど、荻野がどんなピッチングを見せるか、非常に楽しみになってくる。
 日本代表を率いる山路監督…、荻野をぜひ先発で使ってください!


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