みのるの「野球日記」
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2004年05月30日(日) 隠し球?(生麦中vs座間西中)

■5月29日 春季神奈川県大会準決勝
生麦中 000101000|2
座間西 000110000|2
(特別延長 生麦5−1座間西)
 
 新チーム結成時から前評判の高かった両チームの戦いは予想に違わぬ好試合だった。座間西中は敗れはしたが、「え?」というトリックプレーを披露。なかなか興味深いチームだった。

 5回表、一死から生麦中の平岡がレフトオーバーの3ベースで出塁。1−1の同点から突き放すチャンス…と誰もが思った瞬間、何と三塁手が絶妙な隠し球を見せ、平岡はタッチアウト。スタンドも生麦中ベンチも唖然とし、一気にチャンスは潰れた。
 生麦中の新庄先生は「あれは完全にこっちのミス。ベンチでひとりだけ気づいた選手がいて、声をあげたんだけど届かなかった」
 
 アウトになった平岡はマウンド上にいたピッチャーを指差し、「マウンドにいるじゃん」みたいなアピールを三塁塁審にしていた。スタンドからも、「ピッチャーがマウンドにいるからボークじゃないの?」と声がチラホラ。じつは、ワタシもそう思った。
「隠し球のとき、ピッチャーはマウンドから離れていなければいけない」
 と聞いたことがあるような…。

 試合後、「あれはボークじゃないよ」と東林中の佐相先生に教えてもらった。隠し球の際、本部席でも「ボークじゃないの?」と話題に上がったそうだ。でも、ルールブックには「マウンドにいてはいけない」とは一言も書いてないそう。帰宅後、ルールブックで確認してみると、こう書いてあった。

「投手がボールを持たないで、投手板に立つか、それをまたぐか、あるいは投手板を離れていて、投球するまねをした場合」

 上記の場合はボークになる。つまり、マウンドにいても、投球の仕草を見せなければ何ら問題はない。でも…、つい8行ほど前に書いたように「隠し球の際はマウンドから離れていなさい」って聞いたことあるんですけど…。昔はこういう規定だったんですかね?

 しかし、中学野球で隠し球とは驚きました…。

 隠し球により、試合の流れは微妙に座間西に向き始めた。5回裏、代わったばかりの生麦のエース小菅から、内野安打、投手エラーで無死1、2塁のチャンス。きっちりバントで送り、2、3塁にすると、セーフティーエンドランで1点。座間西中の「得点パターン」で確実に1点をあげた。

 が、ここで終わらないのが今年の生麦。6回表、3番福原があわやスタンドインかと思わせる、レフトオーバーの2ベースで出塁。4番小菅はカウント2−2から外角スライダー、内角ストレートの難しい球を巧みにカットし、最後は甘く入った外角ストレートを右中間に運んだ。これがタイムリー2ベースとなり再び同点。4番らしい見事なバッティングだった。

 試合は生麦・小菅、座間西は7回から代わった2番手の小野沢が好投を見せ、ついに特別延長戦(*無死満塁、打者1番から攻撃を始める)へ突入。座間西のチームスタイルからして、何か面白いトリックプレーをしてくるんじゃないか、と期待をしながら見ていたら、本当にやってきた!

 特別延長1回表。生麦は1番平岡が打席に。座間西のセカンド、ショートはピッチャープレートとほぼ平行の位置に守る極端な前進守備を敷く。必然的にセカンドベースはガラ空き。セカンドランナーのリードも通常より大きくなっていた。

 初球。外角ストレートがボール。そして、2球目。投げると同時に座間西のセンターが忍び足でセカンドベースに歩み寄る。ピッチャーは外角へウエストし、キャッチャーがセカンドへ送球。虚をつかれた、セカンドランナーは戻りが遅れ、完全にアウト…のタイミングだったが、送球がセカンドベース手前でワンバン。ベースに入ったセンターが手前に大きく弾き、トリックプレーは失敗に終わった。

 新庄先生は、「あのサインプレーはあると分かっていた。ミーティングでも確認したんだけど…完全にアウトのタイミングだった。送球がそれて助かった」と安堵の表情。
 カウント0−1から、ウエストするということは、当然、0−2になることを覚悟している。トリックプレーが失敗すれば、無死満塁でカウント0−2と投手不利な状況。それでもトリックプレーを敢行したのは相当な自信があったはずだ。もし…確実にセカンドで殺せていれば、その後の状況は変わっていただろう。

 キャッチャーからの送球をセンターが弾く間に三塁ランナーはホームイン。二塁ランナーも三塁へ進み、1点とり、なおも無死一、三塁と生麦のチャンスは拡大していった。その後、生麦は意表をつく3バントスクイズと、満塁から走者一掃の3ベースで計4点を加点し、勝負を決めた。

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 続けて行われた池上中との決勝戦を快勝した生麦中は横浜市大会、県大会と続けて制覇。すでに出場権を得ている第21回全日本少年軟式野球大会に向けて、最高の弾みをつけた。
 なお、横浜市代表が春の県大会を制したのは2000年の桐蔭学園中以来。当時の桐蔭は桐蔭学園高でも活躍した平野(現法大)や栗原らを擁し、全日本でも優勝を飾った。ちなみに、桐蔭学園中の前は94年の平戸中。このときの平戸中のエースは現阪神タイガースの浅井(桐蔭学園高ー法大)。と考えると、生麦中の野球部員の中からも近い将来の甲子園球児が生まれるのかも。

 全国大会に向けて、「もちろん全国制覇を狙う!」と新庄先生、そしてエース小菅は力強く言い切った。初出場初優勝なるか…、全日本は約3ヶ月後の8月23日開幕です。

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 敗れた池上中は、全日本少年軟式野球大会の代表決定戦へ回る。6月19日に神奈川県クラブチームのチャンピオンと戦い、勝者が全日本の出場権を得る。池上中は3年前も代表決定戦まで進んだが、横須賀スターズに敗退。全国出場を逃している。
 なお、中学野球部vs中学クラブチームで行われる代表決定戦は、ここのところ中学野球部の3連敗中。さて、今年はどうなるか…。クラブチームのチャンピオンは6月12日に決まる予定。



2004年05月28日(金) 全日本少年軟式野球大会 四国予選

 全日本少年軟式野球大会(8月23日〜26日)の四国予選の決勝が23日、徳島県の小松島市営球場で行われ、坂出市立白峰中(香川2位)が松山市立久谷中(愛媛1位)を3―0で下し、初優勝を飾った。白峰中は全国大会初出場。なお、四国大会での香川県勢の優勝は14年ぶりのこと。

<四国大会での戦いぶり>
準々決 ○ 2−1 小松島中(徳島)
準決勝 ○ 3−1 今治西中(愛媛)
決勝  ○ 3−0 久谷中(愛媛)

 香川……、記録を調べてみたら香川県勢が全日本に出場したのは過去に2度だけ。全中でも過去25回の歴史で出場は4度。決して多い数字とはいえない。四国というと、軟式王国・高知のほかに徳島や愛媛が全国に出てくるイメージが強い。去年の全中は高知代表の明徳義塾中が優勝。全日本では愛媛代表の城南中が準優勝を果たした。そんな激戦地区を勝ちあがってきた香川の白峰中。どれほどの実力を持っているのか、非常に楽しみだ。

 なお、この四国大会には明徳義塾中も高知1位で出場していたはず。決勝にも残っていないということは当然負けたのだろうが…、明徳が負けたの?! 詳細知っている方、ぜひ教えてください。

 これで全日本は沖縄、横浜、四国の3地区が決定。もし、ほかに「もう決まっているよ!」という地区がありましたら情報お待ちしております。近畿あたりは決まっているような気もするんですが…。

 今週末は神奈川県大会。土曜日に準決勝・決勝が行われます。優勝すれば中学の県代表として、クラブチームの県優勝チームと全日本をかけての代表決定戦。勝てば、全日本出場が決まります。



2004年05月09日(日) 生麦中、鶴見決戦制す!

 横浜市春季中学野球大会の準決勝・決勝が9日、横浜スタジアムで行なわれ、横浜市立生麦中が初優勝を飾った。この優勝により、生麦中は第21回全日本少年軟式野球大会の出場権を獲得。創部初の全国切符を掴んだ。

上の宮中 0000000 | 0
生麦中   004001/ | 5

 閉会式終了後、上の宮中の梅田先生が生麦中の新庄先生のもとに歩み寄った。
「悔しいです。県大会で絶対もう一度やりましょうよ!」
 上の宮中と生麦中は、ともに鶴見区にある中学。今年3月の鶴見区大会決勝でも両チームは対戦しており、そのときも生麦中が勝ち優勝を飾った。梅田先生にとっては、リベンジをかけた今日の決勝だったが、3回裏に出た外野手のタイムリーエラーが最後まで響き、敗戦を喫した。

 それでも今大会の戦いぶりは見事だった。準々決勝では優勝候補の桐蔭学園中を6−1で、準決勝でも好投手・堀内を擁した橘中を1−0で下し、春の県大会出場を決めた(横浜ブロックは上位2校が出場できる)。
 特に光っていたのが、選手ひとりひとりの攻撃的な姿勢だ。ファーストストライクを迷うことなく振りぬき、鋭い打球を放つ打者が目立った。桐蔭学園中戦ではカウント0−2や0−3からでも、躊躇なく振った。(あれだけ振られると、投手はイヤだろうなぁ)と思いながら見ていた。「好球必打」という言葉がピタリとくるチームであった。

 優勝した生麦中は昨夏の県大会ベスト8で敗れた悔しさを見事に晴らした。チームは「関東大会制覇」を目標に掲げていたが、この優勝で一気にジャンプアップ。開催地代表としての全国大会出場を決めた。
 新庄先生は、昨夏全日本で3位となった横浜クラブでもコーチを務めており、2年連続の全日本出場となる。実際にグラウンドレベルで試合をやった経験が、必ずや生きるはずだ。
 優勝後、新庄先生のもとには、横浜クラブで監督を務めていた榎屋先生(鶴ヶ峰中)から祝福の電話が入った。「ありがとうございます。横浜から全国を狙います」と決意を示していた。
 
 新庄先生にとって優勝と同じくらい嬉しかったことが、横浜の決勝で「鶴見決戦」を実現できたこと。
「鶴見を相模原のような強豪地区にしたい」
 中学野球は不思議なもので、ひとつの地域に強いチームが出てくると、他のチームがそれを超えるために練習し、地域のレベルがグンと上がる。「相模原」はその代表例である。東林中が全国大会に出たことで、東林に追い付け追い越せで内出中や上溝中ら、全国レベルのチームが作られてきた。
 昨夏全国3位に入った内出中の武内先生は、「東林中が全国の空気を入れてくれた」と表現する。「全国」「全国」といくら口では言っても、実現するには相当な努力が必要となる。それを現実に成し遂げたチームが身近にいると、全国の基準ができる。練習試合、市大会などで、戦うこともでき、全国レベルを実感することができる。

 鶴見区は少年野球の強豪が多く、野球が盛んな地域である。
 昔でいえば、甲子園で活躍した永川英植(横浜高校)が潮田中の出身。ジャンボ宮城(横浜商)が鶴見中の卒業生である。現在ではドラフト候補にも上がっている横浜隼人の藤原貴寛が潮田中。1年夏に甲子園を経験した関洋平(現日大三2年)が上の宮中の出身である。関は梅田先生の教え子で、中学3年時には春の県大会ベスト4、夏の県大会ベスト8の成績を残している。

 生麦中、上の宮中が出場する県大会は5月22日に開幕する。
 新庄先生の次なる目標は「打倒相模原!」だ。昨夏の県準々決勝では、内出中に0−1で惜敗と悔しい思いを味わっているだけにその気持ちは強い。
 今春の相模原代表(県北代表)は相模原地区を引張ってきた強豪・東林中。ともに勝ち上がれば、決勝で戦うことになる。

 
 なお…、新庄先生と梅田先生はともに横浜市立南高校の卒業生。新庄先生が6つ上になる。後輩にはまだまだ負けられない、といったとこでしょうか?! ちなみに今春の県大会で準優勝した横浜商(Y校)の寺田監督も南高校OB。この春は、南高(地元では「ナンコウ」と呼ばれてます)OBが大活躍となりました。
 



2004年05月04日(火) 団旗の行方…(横浜vs横浜商)

◆5月4日 春季神奈川大会決勝
横浜商 000002000 | 2
横浜高 50320054/ |19
(横浜高は6年ぶり9度目の優勝)

 昨夜から強風が吹き荒れていた関東地方。朝になっても、試合開始の正午になっても風は収まっていなかった。保土ヶ谷球場上空、そしてスタンドにも凄まじい風が吹く。センターポールに立つ連盟旗、朝日新聞社の旗も引きちぎれんばかりに揺れていた。風はネット裏からレフト方向へ、おそらく風速は13mくらいか。
 風が試合を左右するかも…と思っていたが、風なんぞおかまいなし。序盤から横浜の打棒が爆発し、3回で勝敗の興味はなくなった。あまりの強風で観戦する側としても、集中力が続かない…。

 5回裏の攻撃が終わったころだろうか。近くに座っていた男性が、「あ、横浜の団旗が破れてる」と独り言のように呟いた。その声につられて、三塁側応援席の最上段に目をやると、確かに団旗が破れていた。いい具合に色あせた黄色の団旗が、真ん中から裂けていた。間違いなく強風の影響。ただ、真っぷたつに裂けていたのではなく、横に真っ直ぐ切れ目が入ったような裂け方。
 この日、自分が座っていた一塁側から、三塁側の団旗を遠めに見る。「破れた団旗を見るなんて初めてだなぁ」と思いながら、眺めていた。団旗が裂けるほどの強い風だった。
 
 そして団旗をしばらく眺めていると、信じられないことが起こった。横に真っ直ぐ入っていた切れ目が、強風に煽られ、さらにさらに広がっていき、一瞬の間に団旗が真っ二つに。団旗の上半分は辛うじて残ったが、下半分は強風に飛ばされ、上空へと舞った。その瞬間、「あっ!」と小さな悲鳴のような声が観客から発せられ、飛ばされた団旗はレフト場外の林へと消えていった。
 
 横浜応援席では応援団の動きが慌しくなり、残った団旗を即座にしまいこんだ。観客の中にはレフト場外を眺め、団旗の行方を気にする人も。団旗が裂けて、しかも強風で飛ばされてしまうなんて前代未聞。その後、団旗はどうなったのだろうか。林の中を掻き分け掻き分け、拾いに行ったのだろうか。それともまだ保土ヶ谷に残ったまま? 繋ぎ合わせて、再び使うのか? はたまた、新しい団旗を調達するのか。結構色あせていたので、愛甲のときも、松坂のときも使われていた団旗かもしれない。
 その後の団旗の行方…ご存知の方がいましたら、教えてください!

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 試合前のシートノック。両校とも、いつも以上にフライに対する処理を入念に行なっていた。特にレフトは風に乗ってかなり伸びていくため、レフトフライを重点的に。
 ただ試合ではレフトへ伸びる打球は一本もなく、代わりに多かったのが内野フライ。セカンド定位置のフライがセンターまで飛んでいったり。あるいは一塁側前のキャッチャーフライが、風に乗って、一塁ライン前で落ちたりと。横浜もY校もフライの処理には相当苦労していた。「風ヒット」が両チームで5本くらいあったのか。とにかく、打ちあがれば何かが起こる、そんな感じだった。

 指導者からよく聞かれるのは、「転がせ」という言葉。「転がせば、何かが起きる」。たとえばショートゴロであれば、<ゴロを捕る→ファーストへ投げる→ファーストが捕球>とアウトにするには3つの動作が必要となる。だがフライの場合は<フライを捕る>だけでアウトが成立。そして、ゴロには足を生かすことで内野安打もある。

 でも、強風のこの日は全く逆。フライを上げれば何とかなる、何かが起きる。内野ゴロだと、「あぁ、もったいないな。打ち上げれば面白いのに」なんて思いながらみていた。指導者の中でも、選手に対して「今日は風が強いから、フライを上げろ!」と指示を送る人はいないのだろうか…。まぁ、バッティングが崩れてしまうけど…。そういう指導者がいたら、面白いだろうなぁ、と思った。

 わざとフライを打つといえば、『ドカベン』で通天閣高校の坂田三吉がいました(笑)。通天閣なみの高いフライを内野に打ち上げて、フライが上がっている間にベース一周、ホームイン! 明訓高校にはしっかりと捕られてしまったけど。。


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