みのるの「野球日記」
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2004年03月26日(金) 第10回中学野球交歓会金沢大会

 本日27日から29日まで石川県金沢市で第10回中学野球交歓会金沢大会が行なわれます。出場チームは以下の通り。

【出場チーム】
 東栄(北海道)
 小山(岩手)
 河北(山形)
 若柳(宮城)
 吹上(栃木)、
 明大中野八王子・明大明治・明星(東京)
 東林(神奈川)
 東海大翔洋(静岡)
 刈谷東・城山(愛知)
 高田・松倉(岐阜)
 港(三重)
 甲西(滋賀)
 高野(京都)、
 松陽(兵庫)
 十日町・糸魚川・糸魚川東・雄志(新潟)
 魚津東部・魚津西部(富山)
 辰口・内灘・森本・布水・野々市・額
 北辰・緑丘・星稜・宝立・芦城(石川)

 第10回の記念大会ということもあり、27日には1000人収容の大ホールを借りての生徒シンポジウムも行なわれます。

 というわけで、29日まで金沢に行ってきます。
 パ・リーグ開幕戦、センバツ、神奈川春季ブロック大会の結果も非常に気になるところです…。心優しい友人・知人の方々、経過速報等待っております。ぜひ、よろしくお願いします!



2004年03月22日(月) 全日本からセンバツへ(2)

 前年に行なわれた00年の全日本は、平野貴志(桐蔭学園ー法政大)率いる桐蔭学園中が2度目の全国制覇、準優勝が岡山クラブという成績であった。出場チームのメンバーを見ると、控え選手として増穂中クラブ(山梨)・水野隼人(甲府工業エース)、門真クレイジーボーイズ(大阪)・岩見優輝(熊本工業エース)らの名前が目に留まる。
 
 甲府工業のレフトを守る初鹿優も増穂中の出身。00年の全日本では2年生ながらメンバー入りを果たしていた。水野と初鹿らが最上級生となった増穂中は、2年秋から3年夏の山梨県大会をすべて制覇。県内3冠を達成している。山梨代表として臨んだ夏の関東大会は、松戸六中(千葉)に敗退し、全中の夢は絶たれた。なお、当時の増穂中には昨夏東海大甲府で甲子園に出場した清水満もいた。3人も、しかもレギュラーとして甲子園に出場する選手が集まっていれば、県内三冠も頷ける。

 初戦で東北高校(宮城)と対戦することが決まり、俄然注目を集めている熊本工業の岩見優輝。前評判では「九州ナンバー1左腕」と言われているが、見たことがないので何とも言えない…。中学時代に所属していた門真クレイジーボーイズは関西の強豪軟式クラブ。大阪は部活動よりもクラブチームが盛んのようで、遊学館で活躍した小嶋も大阪の軟式クラブで野球をやっていた。
 門真クレイジーボーイズで岩見とバッテリーを組んでいたのが馬渡清貴。彼は明徳義塾の控え捕手として登録されている。しかし、さすが大阪…。軟式クラブの選手も四国や九州に散らばるんですね…。


 さて、今から2年前。02年に行なわれた第19回全日本少年軟式野球大会は優勝:上本部中野球クラブ(沖縄)、準優勝:いわき松風クラブ(福島)、ベスト4:五一中クラブ(青森)、星稜中クラブ(石川)という上位の成績であった。
 上本部中のエースは当時中学2年生の與那嶺祐也。すでに130キロを超えるストレートを投げており、2年生で優勝投手に輝いた。與那嶺は昨年の全日本もエースとして出場。が、初戦で桐蔭学園中に0−1で惜敗した。それでも敗れはしたが、「超中学級」の力を披露。高校は地元の高校に進学予定のよう。甲子園のマウンドに上がる姿を今から楽しみにしたい。

 第19回大会で注目を集めた選手は、この與那嶺のほかにふたりいた。ひとりは星稜中の鈴木将光。その後、遊学館に進み、1年からレギュラーを獲得した。
 もうひとりは三原中クラブ(兵庫)の片山博視。今回のセンバツで192センチの大型左腕として脚光を浴びている報徳学園の新2年生・片山である。片山は三原中クラブの3番エースで全日本に臨み、ベスト8進出。準々決勝で鈴木のいる星稜中に0−0からの特別延長で敗退した。
 片山の全日本の成績を振り返ると、
  初戦 ○2−1 横須賀スターズクラブ(神奈川) 
  準々 ●0−0 星稜中クラブ(石川)
   (特延1−3)
 特別延長戦での投球成績を除くと、14イニングを投げ、わずかに1被安打という驚くべきピッチングであった(横須賀スターズ戦はノーヒット1ラン)。センバツでどんな全国デビューを果たすのか、注目したい。
 また、第19回大会では作新学院の控え投手・寺田哲也も田原中クラブ(栃木)の3番ライトとして活躍していた。

====== 

 センバツに出場する軟式出身選手を見てみると、鵡川のエース宮田隼、秋田商のエース佐藤剛士らの名が上がる。
 宮田は中央長沼中(北海道)で2年時からエースを務め、全道準優勝。3年時も全道大会に出場した。全道大会の投手記録を見ると、宮田の名前が目立つ。「1試合最多奪三振」では7イニングで13個、延長9イニングで14個とふたつの三振記録を持つ。しかも、14個の三振は毎回奪三振のおまけつき。当時、中学・高校野球関係者では「宮田隼」の名を知らぬ人はいない、というほどの存在だった。

 秋田商の佐藤は上新城中(秋田)のエースとして夏の県大会準優勝。そのほか、一関一の木村正太、土浦湖北の須田幸太、社の大前佑輔ら好投手と評判高いエースも軟式野球部の出身。全国に名を轟かす大活躍を期待したい。

 というわけで、明日から第76回センバツが開幕です。



2004年03月21日(日) 神奈川大学連盟招待試合(1)青学vs神大

 神奈川大学野球連盟招待試合を観戦するため横浜スタジアムへ。昨秋の東都リーグ優勝校と神奈川リーグの1位、2位校が対戦するもので、今年は青学大対神奈川大、青学大対横浜商大が行なわれた。

 まずは第1試合から。

青学 000 001 000 1
神大 000 001 000 1

 神大の先発は木下貴之(2年)。
 木下って誰だ…? 前列に座っていた横浜国大の部員に「木下って誰? 何年?」と訊いても「分からないです」と返事。自宅から持ってきていた神奈川リーグの名簿で出身校を確認すると、「鎌倉学園」とある。え? うそ? これが鎌学の木下…と思ってしまった。
 木下は鎌学で2年時からエースとして活躍し、秋春連続で横浜高校から勝利を挙げた。「好投手」の注目を集めて望んだ最後の夏は初戦で慶応義塾に敗戦。わずか1試合で県大会から姿を消した。
 慶応との試合は保土ヶ谷球場で観戦していたのでよく覚えている(02年7月18日の日記参照)。ストレートもカーブも高めに浮き、終始苦しいピッチングを見せていた。投球フォームもどこかゴツゴツしたところがあり、あまりいい印象は残っていなかった。

 それがこの日2年ぶりに見た木下は違った。ストレートは内外角にビシビシ決まり、タテのカーブもカウント球として有効に使えていた。特にストレートは右打者の外角、左打者の内角、つまり一塁側のボールがコントロール抜群だった。フォームも全体を目一杯使っており、どこか先輩の荻野忠寛にダブるところもあり。近くに座っていたプロのスカウトからも「鎌学の木下か。いいピッチャーになったなぁ」という声も漏れていた。
 投球内容は6回4安打2四死球3三振(すべて見逃し)。5回頃からストレート、カーブともに高めに浮き出し、6回には連続長打、四球、死球と崩れたが、そこまでは十分合格点のデキだった。何よりもこの試合の青学はベストの布陣(下記メンバー参照)。相当な自信になったはずだ。

 神大投手陣は昨秋の最優秀選手・荻野忠寛(4年・桜美林)が大黒柱。第1戦を任されることは間違いない。問題は二番手投手だ。中田光一監督も「荻野に次ぐ投手が早く出てきて欲しい」と話す。候補に挙がっているのが、神宮大会で好投を見せた右サイドの岩崎誠一郎(2年・広陵)、高岡和人(4年・相模田名)、そして今日終盤3イニング投げた佐藤慎治(2年・高陽東)ら。木下が今日のようなピッチングを見せれば、第2戦の先発に食い込んでくる可能性は十分ありそうだ。
 
 「荻野に次ぐ投手」のほか、今季の神大の課題は「正捕手の確立」といわれている。下級生の頃から、マスクを被っていた田口慎一郎(打では4番)が卒業し、誰を正捕手に据えるか…。この日は増渕宏樹(3年・作新学院)を8番で起用していた(どうやら、現時点での正捕手のよう)。イニング間のセカンド送球は、ワンバンしたり、左右にズレたりと、田口に比べるとにさすがに見劣りしていたが、182センチ80キロと捕手らしい体格は魅力十分。田口の穴を埋められる活躍ができるか、リーグ戦でのプレーに注目だ。

 青学では、注目新人・小林賢司(1年・酒田南)が6回から1イニングだけ登板。高校時代は腰痛で苦しみながら、MAX142キロを計測。ベンチ前でキャッチボールをする姿から、すでに「好投手」の雰囲気が漂っていた。特長はスカウト陣も絶賛する柔らかなヒジのしなり。いかにもキレがありそうなボールを放っていた。
 ところが…、実戦ではストレートは高めに浮き、変化球は抜け、2安打、2四球、1三振、1失点のピッチングだった。が、やはり投手としての素材はいい。今季の青学は山岸、清水、豊島、上津原ら投手陣が充実しているので、公式戦ですぐに登板とはいかなそうだが、今後の成長が楽しみな投手であることは間違いない。

<青学>
(遊) 小窪(1年・PL学園)
(右) 大崎(2年・常総学院)
(中) 中尾(4年・PL学園)
(一) 山内(4年・長崎日大)
(左) 横川(2年・常総学院)
(捕) 加藤(4年・PL学園)
(三) 円谷(2年・横浜)
(指) 高橋(3年・秋田商)
打指 杉浦(3年・横浜)
(二) 夏井(3年・秋田商)
 二  藤野(3年・習志野)

P 豊島4回(4年・桐生)ー上津原1回(2年・東海大相模)ー
  小林1回(1年・酒田南)ー森1回(2年・二松学舎大付)ー山口2回(3年・宮津)

<神大>
(右) 小島(3年・藤沢西)
(三) 多田(4年・日大明誠)
(左) 北村(3年・横浜)
(一) 清水(3年・立花学園)
打一 斎藤(4年・桐光学園)
(中) 藤田(4年・桐光学園)
(二) 後藤(3年・興誠)
 二  江篭平(3年・鹿児島実)
(指) 清田(2年・七尾)
(捕) 増渕(3年・作新学院)
(遊) 浦瀬(4年・西条農)
 遊  大森(3年・日大藤沢)

P 木下6回(2年・鎌倉学園)−佐藤慎3回(2年・高陽東)

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<神大新入部員>
〜投手〜
天満彰宏(西条農)180/63 右右
山岸正輝(桜美林)185/77 右右
遠矢聡 (百合丘)179/69 左左
小山和浩(厚木北)173/70 右右
阿部新  (横浜商)180/64 左左

〜捕手〜
福田友彦(橘)178/75 右右
井上裕康(西武台千葉)181/82 右右

〜内野手〜
吉原和也(光明相模原)172/80 左左
加藤崇史(明徳義塾)180/82 右右
藤田真央(木更津総合)185/82 右右
榎本敬太(浦和学院)170/68 右右
関澤正浩(横浜)171/68 右左

〜外野手〜
山田和弥(桐光学園)179/77 右右
森吉将吾(崇徳)173/65 左左
安久泰弘(福井)174/74 左左
光部謙人(桜丘)166/70 右右



2004年03月20日(土) 全日本からセンバツへ(1)

 部活動に加え、地域の選抜チームやクラブチームも出場可能な全日本少年軟式野球大会。毎年8月に横浜スタジアムで開催され、過去にはイチローも出場した大会として知られている。

 01年の全日本は優勝:二見中クラブ(三重)、準優勝:明徳義塾中クラブ(高知)、ベスト4:東風平中クラブ(沖縄)、神吉クラブ(兵庫)という上位の成績。すべてクラブという名が付いてはいるが、学校の部活動と考えてよい。登録上、「○○クラブ」となるだけで、部員はすべて野球部の生徒である。
 優勝を飾った二見中のエースは江川智晃。現在、宇治山田商(三重)のエースを務め、プロからも注目される逸材に育った。今回センバツに出られないのが、非常に残念…。ちなみに二見中では「1番ピッチャー」という打順だった。

 ちょっと話は逸れるが、02年全中準優勝の玉城中(三重)は二見中と同じ地区にある中学校。ともに全国レベルの力を持ち、互いに競い合っている。昨夏、甲子園に出た宇治山田商には全中準優勝時の玉城中のメンバーもレギュラーとして活躍していた。この地区は非常に野球が盛んで、少年野球を見ても昨年、玉城スポーツ少年団が少年野球の日本一を決めるマクドナルド・トーナメント(毎年茨城で開催)に出場している。力のある選手が他地区に流出せず、江川のように地元に残れば、宇治山田商が甲子園の常連として躍進していく可能性もありそうだ。

 その江川率いる二見中クラブに決勝で負けた明徳義塾中。こちらのメンバーは前回の日記で取り上げた鶴川将吾ら。もし、全日本も制していれば、全日本と全中の中学野球2大タイトル制覇であった。これは甲子園の春夏連覇よりも難しい。そもそも、地区によっては両大会の出場を認めていない地区があり、関東地区などはそれに該当するからだ。
 あとは日程の問題もある。01年は全日本が8月13日から16日、全中が8月21日から24日と日程的に出場が可能だった。だが、今年は全日本が8月23日から26日、全中が8月20日から23日。となると、必然的に同時出場は不可能となる(全中でわざと早々と負けてしまえば、可能とはいえるが…。連盟がそれを許すとは思えない)。
 しかし改めて考えると、13日から16日まで横浜で4試合をこなし、場所を岡山・倉敷に移して21日から24日まで4試合を行なうとは中学生にとって尋常なことではない。しかも、全中、全日本とも最終日は準決勝・決勝をダブルヘッダーでやる。甲子園ではないが、成長期の中学生の大会なのだから、もっと日程を緩くできないのだろうか…。

 さて、ベスト4で明徳義塾中に0−3で敗退した神吉中クラブ。エースは礒野剛徳、今大会報徳学園の背番号1を着けて出場する。全日本では鶴川に投げ負けたが、甲子園でのリベンジなるか。互いに勝ち進めば準々決勝で対戦となる。また神吉中クラブの2番センターで出場していた田代浩之も報徳の控え外野手としてメンバー入りを果たしている。

 ベスト4以下のチームでは、準々決勝で神吉中クラブに0−1で敗れた城北中クラブ(佐賀)の4番センター飯田尚樹が佐賀商の4番ファーストとして出場する。昨秋の公式戦、3割6分4厘、2本塁打を放った4番。横浜スタジアムでは礒野の前に完封負けを食らったが、甲子園ではどうか。ともにひとつ勝てば、2回戦で対戦となる(礒野ではなく片山が投げる可能性の方が高いけど…)。

 中国地区代表の岡山クラブは準々決勝で明徳義塾中に0−6で完敗。鶴川に2安打に封じ込まれた。先発投手として鶴川に投げ負けたのが花房圭。彼は岡山城東の5番打者としてセンバツに臨む。また花房とともに、主軸を打っていた大崎健士郎も岡山城東の3番打者として出場する。なお、岡山クラブは倉敷市、玉野市らの選抜チームで全日本の常連。岡山城東には毎年のように主力選手が進んでいる。
 ちなみに、この岡山クラブに中国大会の決勝で0−1と惜敗したのが松永ヤンキース(広島)。1番セカンドを打っていたのが天才打者と謳われる上本博紀、広陵高の主将である。松永ヤンキースは選抜チームではなくクラブチーム。シニアやボーイズなど硬式のクラブチームの軟式版と思えば分かりやすい。主に練習は土日だけである(上本は学校では卓球部に入っていた)。松永ヤンキースも全日本の常連として知られ、準優勝の経験を持っている。

 
 なお、前年に行なわれた00年の全日本は、平野貴志(桐蔭学園ー法政大)率いる桐蔭学園中が2度目の全国制覇、準優勝が岡山クラブという成績であった。出場チームのメンバーを見ると、控え選手として増穂中クラブ(山梨)・水野隼人(甲府工業エース)、門真クレイジーボーイズ(大阪)・岩見優輝(熊本工業エース)らの名前が目に留まる。
 が、長くなりそうなので、続きは次回…。



2004年03月19日(金) 全中からセンバツへ

 中学軟式野球には全国中学校軟式野球大会(全中)と全日本少年軟式野球大会(全日本)というふたつの全国大会が存在する。全中は学校の部活動の日本一を決める大会。全日本は部活動に加え、地域の選抜チームやクラブチームも出場可能な大会だ。23日から開幕する第76回センバツには中学時代、これら全国大会を経験した選手が出場する。

 まずは全中。
 01年(岡山開催)は優勝:明徳義塾中(高知)、準優勝:松戸六中(千葉)、ベスト4:江津中(島根)、御所中(奈良)という大会成績だった。
 明徳義塾中は00年にも優勝を飾っており、全中史上初の2連覇を成し遂げた。原動力となったのがエース鶴川将吾。すでに130キロを超えていたといわれる速球を武器に2連覇を飾った。センバツでは明徳義塾高のエースとして出場する。当時の優勝メンバーは鶴川のほか、馬越康友、松原史典、伊賀聖記が今回のセンバツではメンバー登録されている。松原は森岡(現中日)卒業後、ショートのレギュラーを獲得し、昨秋公式戦では4割3分5厘の高打率をマークした。ちなみに主将を務めていた渡辺大和は、現在桐蔭学園高のエース。2番セカンドの田中淳太郎も桐蔭学園高の主力として活躍している。
 なお、明徳義塾中は03年の全中も制覇。主力2名が東海大相模へ進む。1年時からの活躍の可能性もある好素材の選手である。

 01年の全中では、「マカベッシュ」こと東北高の真壁賢守も村田一中(宮城)のエースとして出場していた(初戦敗退)。マスクを被っていた森和樹も同じ東北高に進学。センバツでは背番号2の正捕手として投手陣をリードする。個人的には真壁ー森の村田一中バッテリーを見てみたいのだが…。

 「真壁は上手投げで球が速かった。黒ぶちメガネは中学のときからしてましたよ」と中学時代の真壁を証言するのが、土浦湖北の3番サード島田成紀。島田は藤代中(茨城)の投手兼内野手として、全中に出場(ベスト8敗退)。真壁と対戦こそなかったが、球場で見た真壁のピッチングは記憶に残っているという。
 藤代中で島田とともに投手を務めていたのが昨春、藤代高のエースとしてセンバツに出場した美馬学。高校の進学先が別れたとはいえ、ふたりは大の仲良しで、昨秋の関東大会前は美馬から激励の言葉を受けたという。島田も「関東大会の前に修学旅行があったんですけど、マナブにもお土産買ってきたんですよ」。「センバツよりも、夏の茨城大会でマナブを打って甲子園に出たい!」と関東大会決勝後に決意表明もしていた。
 なお、藤代中は昨夏常総学院で全国制覇を果たした飯島秀明投手の母校でもある。島田と飯島は家が近所で、「飯島さんと同じ時間の電車で学校に行くんですよ」とのこと。飯島についても、美馬についても、「甲子園に出られて羨ましい」と話す島田。今度は自分の番! エース須田幸太を盛り立てる守備、打撃を見せて欲しい。

 3月10日発売の『野球小僧』でご紹介した木野昌孝先生(現刈谷東中)率いる豊橋中部中(愛知)も01年の全中に出場。2年生でレギュラーを務めていた久米千春が、愛工大名電の控え内野手として登録されている。公式戦での出場はないが…是非とも甲子園でのプレーを見てみたい。

 翌02年(奈良開催)の全中は優勝:宇野中(岡山)、準優勝:玉城中(三重)、ベスト4:修徳学園中(東京)、河北中(山形)。
 この大会に出場した選手は、現在高校1年生(登録上は新2年生)ということもあり、センバツに出る選手はわずか2名。ひとりは宇野中のエースとして全国制覇を果たした中谷傑。岡山城東高の控え投手として登録されている。次期エースと言っても間違いのない素材で今後が楽しみな投手である。
 もうひとりは斑鳩高の6番レフト玉井貴光。玉井は安堵中(奈良)の捕手として全中に出場していた。この年は開催地が奈良だったため、安堵中は「開催地代表」。近畿大会を勝ち抜かなくとも、夏の奈良県大会を優勝することで全中切符を掴むことができた。

 次回はもうひとつの全国大会である全日本少年軟式野球大会を経験した選手の紹介。



2004年03月18日(木) 20日から静岡県中学選抜野球大会

 20日から26日まで、第34回静岡県中学選抜野球大会が開催される。
 組み合わせは↓
http://www.shizushin.com/spkikaku/cyugakuyakyu040217.html
(静岡新聞HP)

 岳洋中野球部のHP(http://homepage3.nifty.com/gakuyoybb/)に、抽選日翌日の静岡新聞の記事が掲載されている。
http://homepage3.nifty.com/gakuyoybb/page130.html

 これを見て、びっくり。中学野球、しかも選抜大会の記事で(優勝しても全国切符を得るわけではない)これだけ大きな扱いとは…。神奈川新聞では、浜スタの全日本少年を除いて、こんな大きく中学野球を扱ってくれることはない…。まぁ、選抜大会が静岡新聞社主催という絡みもあるんだけど。

 『野球小僧』編集部には静岡出身のKさんがいる。Kさん曰く「地元のテレビでも大会のニュースを放送してますよ!」とのこと。まぁ、これも静岡放送が主催に入っている関係があるが。でも、新聞、テレビが主催となり、中学野球を盛り上げているなんて、いいことじゃないですか。静岡の中学野球に対する熱が伝わってきます。
 毎年8月に行われる『静岡交歓会』はサッカーの町・清水で行なわれるが、野球熱も負けてはいない! 刈谷東中の木野先生は「交歓会に行くと、静岡はサッカーではなく野球の町ということが分かる」と仰っていたが、ほんとにその通り。
 編集部のKさんは、小学校高学年のとき、地元の中学校が全日本少年に出場したとのこと。その学校を応援するため、地元の人たちはマイクロバスを借りて横浜まで駆けつけたという。こういう話を聞くだけで、中学野球に対する熱を感じます。

 なお、全中の優勝回数が最も多い都道府県は静岡(高知と並び)なのです。第1回全中を制したのも静岡の中学。ちなみに神奈川は1回です…。

<静岡>
■昭和54年 三ケ日中
■平成 6年 東海大一中(現東海大翔洋中)
■平成 8年 吉田中

<高知>
■平成12年 明徳義塾中
■平成13年 明徳義塾中
■平成15年 明徳義塾中

 明徳中、すごすぎ…。ありえん!


 選抜大会は優勝すると、全日本少年の支部予選が免除され、県大会から出場できる権利を得られる。前評判では昨秋の県大会を制した東海大翔洋中の評価が高いもよう。昨年の全中を経験した左腕エースの大村豊、1番セカンドで出場していた村松大地(現主将)と旧チームからの主力が残る。大村は全中で初めて見て、本当にいいピッチャーだと思った。7〜8割がストレートで、剛球というよりはキレで勝負するタイプ。「カーブはまだ投げさせる段階ではない」と弓桁先生は話していたが、これで変化球もマスターし始めたらどんな投手になるのか…そんな楽しみを抱いた。

 そんなわけで、中学野球も本格的に大会が開幕。8月20日から行なわれる茨城での全中、8月23日からの横浜での全日本を目指した戦いが始まります(ちなみに、来年の全中は静岡開催です)。



2004年03月14日(日) 修徳学園中の雰囲気作り

 本日、東林中グラウンドで行なわれた東林中、桐蔭学園中、修徳学園中の変則ダブルを観戦。この日記で何度も書いている通り、3校とも中学野球を代表する強豪。来月から始まる春季大会に向けて、現在の力量を計る重要な試合です。

 結果を記すと、
―て繊。魁檻亜‥賣
⊇て繊。押檻押ゞ涌
E賣咫。魁檻院ゞ涌

 この日、佐相先生(東林中)、大川先生(桐蔭中)ともに感心されていたのが修徳学園中の雰囲気作りです。グラウンドにいる選手、ベンチにいる控え選手が一体となって、「勝つ」雰囲気を作り上げていました。いいプレーをした野手には、ベンチの全選手が前に出てきて、声とジェスチャーで褒め称える。そして一球一球、ベンチからの声が止まることはなく、延々味方を鼓舞する声が続いていました。
 中学野球に限らず、学生野球でよく見かけるのは接戦で最終回に突入したときなど、急にベンチが盛り上がりだすこと。でも、それは勝ちたければ当たり前…。修徳学園中はプレーボールがかかったときから、すでに最終回のような雰囲気を作りだしているのです。いや、厳密にいえば、プレーボールの前から、試合会場に来る前から、ずっと準備をし続けているのでしょう。

 第1試合のシートノックでは、声が出ていない選手に対して、小野寺先生が激怒し、ノックを途中で切り上げるシーンがありました。試合を迎えるための心構え、準備の必要性を生徒に教えたかったのだと思います。
 全中でも修徳学園中のベンチの声は一番と言っていいくらい目だっていました。確かに投打ともに中学トップレベルの力を持ったチームでした。が、それに加えて、声による「雰囲気作り」のうまさがあったからこそ、2年続けて全国ベスト4以上に入れたのです。

 この日の第1試合、一塁塁審のジャッジがあまりうまくありませんでした。東林中の攻撃の際、どう見ても一塁がセーフと思われるシーンが2度ありました。が、判定はアウト。誤審といってしまえばそれまでですが、一緒に見ていた大川先生とは「修徳の雰囲気が審判まで味方に付けたんじゃないかな」と話していました。そう言いたくなるような、ベンチの力を修徳中は持っているのです。

 第2試合、試合開始早々、大川先生はベンチの選手に向かってこんな言葉を叫んでいました。
「ベンチ全然声がない。雰囲気を作れないやつは退場! ベンチ交代だ! 交代!」
 この日、桐蔭中は1軍に加えて、試合経験のない1年生を20名ほど連れてきていました。彼ら1年がベンチでの雰囲気作りを任されていたのですが、修徳中に比べると、さすがに見劣りする点がありました。
 たとえば、「さぁ〜行こうぜ〜」という声出し。それを言葉にした瞬間、大川先生は「試合に意味のない声はいらない」と指摘をしていました。いざ、「声を出せ」と言われても、中学生にとっては何を言えばいいのか、ヒントを提示しなければ分からないのが現状といえます。
 
 修徳中の「雰囲気作り」。一度、見てみる価値はありです!



2004年03月12日(金) 東海大相模対決(青学大ー東海大)

東海 100 000 002 3
青学 202 000 02× 6

 本日は相模原市淵野辺の青学大グラウンドにて、青学大対東海大のOP戦を観戦。13時開始のつもりで行くと、すでに試合は4回。どうやら直前に12時開始に変更になったもよう。夕方からの雨予報を考慮してだろうか…。かなり損した気分に。

 というわけで試合を見たのは4回表、東海大の攻撃から。青学のマウンドに上がっていたのはエース山岸穣(福井商4年)。ストレートとチェンジアップ中心の配球で、東海をきっちりと抑えていた。「一番の武器」と語るチェンジアップは時折高めに抜けるものの、東海打線は全くタイミングが合わず、バットが空を切る場面が目立った。
 山岸と組んでいた捕手はもちろん加藤領建(PL学園4年)。このふたりは1年秋からバッテリーを組んでいる。山岸によれば「年間、サインにクビを振るのは2回くらい」とのこと。信頼感は熱い。今季から主将についた加藤は6回からベンチに退いたが、ベンチの中から試合に出場している選手ひとりひとりに大きな声をかけていた(もちろん関西弁で)。 

 6回から山岸を引き継いだのが、右サイドの上津原詳(東海大相模2年)。高校時代は夏の神奈川大会準優勝。その時、二枚看板として投げていたのが現在東海大にいる渡邉裕之。「渡邉が投げたら、同期が対決だなぁ」なんて思っていたら、その渡邉が6回裏から東海大のマウンドへ。
 三保キャンプで投げたとき、コントロールの不安定さが目についたが、この試合もそれが垣間見えた。まぁ、荒れ球が持ち味と言ってしまえばそれまでが、6回7回ともに先頭打者に四球。無失点には抑えたが、接戦で登板させるのはちょっと怖いタイプか。

 上津原の方は安定したピッチングを見せた。ストレート、シンカー、スライダー、シュート(ナチュラル?)のコンビネーションが基本だが、勝負所ではストレートでグイグイ押してくる。意外に本人はストレートに自信があるのかもしれない。「うりゃ〜」という雄たけびを上げながら、ストレートを投げ込んでいた。
 東海大には上津原の先輩が多数いる。この日も瀬戸康彦、村山修次、菊地一也、楢原匠(ともに4年)が上津原と対決。犠牲バントだった菊地以外、後輩上津原の前に抑えられた。面白かったのが、6回表に上津原がマウンドに上がったとき。菊地が「上津原、球速くなったなぁ〜」と瀬戸と笑いながら話していた。

 同級生対決もあった。9回表、遠藤愛義(東海大相模2年)が代打で登場。遠藤は夏準優勝時の主将で一塁を守っていた。上津原との同期対決はレフトフライだった。

 東海大は9回表、代打で荒波翔(横浜1年)も登場した。それまでバットボーイをやっていたので姿は確認していたが、まさか出てくるとは…。相当、期待されているのだろう。その証拠に背番号は1。この日の東海大の選手でただひとり、赤いリストバンドをしていた(結構目立っていた)。
 この対決は上津原がストライクが入らず四球。その後、落合の二塁打で荒波は一塁からホームイン。ギリギリのタイミングだったが、荒波の好判断と俊足が生み出した1点だった。さすがです…。

 上津原は6回から9回まで投げ、1安打3四球。最終回に力みからか崩れたが、上々のピッチング。先発でもリリーフでもいけるタイプなので、リーグ戦でも重宝されそうだ。ただ、左打者の内角への制球力が不安定。外角に張られると苦しい気もした。なお、上津原は昨秋プロ入りした小宮山慎二(横浜隼人ー阪神)、尾形佳紀(ホンダー広島)と同じ、厚木市の睦合中出身。さて、数年後、先輩と同じくプロにいけるような選手に成長するでしょうか。

 青学の野手陣に目を向けると、1番ショートで小窪哲也(PL学園1年)が出場。4回からしか見ていないが、センター前に2安打放っていた。すでにレギュラー選手のような落ち着きがあり、リーグ戦でもこのまま使われそうだ。
 ほか新人では近大付属出身の永松孝太が、東海大の1番ライトで出場。俊足が持ち味の左バッター。青学では8回裏に代打で吉田勇一郎が登場。桐蔭学園のレギュラーとしてセンバツ出場を果たしている。

<東海スタメン>
(右)永松(近大付属1年)
(遊)瀬戸(東海大相模4年)
(左)落合(報徳学園4年)
(一)川端(東海大望洋4年)
(指)村山(東海大相相模4年)
(三)中村(PL学園3年)
(二)棚本(青森山田4年)
(中)?
(捕)菊地(東海大相模4年)

<青学スタメン>
(遊)小窪(PL学園1年)
(右)大崎(常総学院2年)
(中)中尾(PL学園4年)
(一)山内(長崎日大4年)
(左)横川(常総学院2年)
(捕)加藤(PL学園4年)
(三)円谷(横浜2年)
(指)?
(二)夏井(秋田商3年)

 



2004年03月05日(金) 東海大キャンプ

 東海大のキャンプは、2月末から3月8日まで静岡市の東海大学松前球場で行われている。新1年生もすでに参加しており、筑川取材のために訪れた日には荒波翔(横浜)や小林敦、小峰智貴(東海大相模)らの姿も見られた。

 この日は午後から紅白戦が行われた。先発は磯貝直人(東海大菅生)と中村雄貴(東海大二)。磯貝を見るのは、テレビで見た甲子園中継以来だったが、あんなにデカイ選手だったっけ…と驚き。以前、菅生の横井監督が金森(日本ハム)と磯貝を比べ、「素材は断然磯貝が上」と話していたことを思い出す。「素材は抜群」、それが磯貝を評するとき、よく使われる言葉だ。低めに決まったときのストレートは素晴らしい、だが高めに抜ける球も目立つ。紅白戦でもそんな投球内容だった。
 新1年生では智弁学園出身の加治前竜一がレフトへ本塁打を放ち、永松孝太(近大付)もスタメンで起用されていた。ピッチャー陣では小林敦が好投を見せており、リーグ戦でのベンチ入りも有り得るようだ。

「素材は抜群」といえば、ブルペンで筑川の隣で投げていた渡辺裕之(2年・東海大相模)もそのひとりだ。ずっとブルペンの横で見ていたが、低めに決まるストレートは抜群の伸びを見せていた。ただ、フォームがまだ固まっておらず、コーチや伊藤監督がしきりにアドバイスを送っていた。が、時折決まるストレートはやはりすごい。伊藤監督も「すげぇ〜球だな」と感嘆の声を漏らしていた。

 ブルペンで、「へぇ〜」と思ったことがひとつ。筑川の球を受けていたキャッチャーは内川洋平(3年)。マネージャーから頂いた名簿を見ると、大分工業出身と書いていた。「内川? 大分工業?」、どっかで聞いたことあるなと思い、筑川に確かめると、横浜ベイスターズの内川の弟だった。東海大でやっているとは、全然知らなかった…。「キャッチングはチームイチですよ」と筑川の内川評。その言葉どおり、ほぼ全球をミットの芯でとり、いい音を鳴らしていた。

 キャンプといえば…、今年もプロ野球キャンプには行けなかった。お金にも時間にも余裕がなかったし…。せめて、横須賀のシーレックスキャンプは見たかったのに、それすら行けず。改めて思えば、野球の「キャンプ」を見たのは、この東海大キャンプが初めてだったかも…。一日スタンドに座り、ボ〜ッと見てみたかったなぁ。



2004年03月04日(木) 筑川利希也、復活への手応え

 先日、筑川利希也投手の取材で東海大の三保キャンプへ。思えば、スポーツライターを目指し、最初に本格的な取材をしたのが筑川だった。それは筑川が高校3年の夏のこと。あれから約4年も経ったのかと思うと、不思議な感じがする。そして、「仕事」として筑川を取材できるようになったことも感慨深い。

 筑川は大学2年の夏に右ヒジを手術した。右手首の靭帯を右ヒジに移植。1ヶ月間、右ヒジは全くいうことが利かず、食事をとるのも顔を洗うのも左手で行った。手術をしたあとは、「不安と期待」が交互に訪れたという。ヒジの状態がいい日もあれば、悪い日もある。「もう投げられないんじゃないか」と思うときもあったと話す。

 取材に訪れた日、筑川はブルペンに入った。手術後、ブルペンで投げるようになったのはこのキャンプから。まだ捕手を座らせて行う段階だが、一球一球丁寧に、時折笑顔を交えながら投げていた。「今日は一番腕が振れてるな〜」とピッチング練習の際、独り言のように呟いていた。その通り、投げ込まれるボールは、伸びのあるものだった。
 30球を過ぎた頃、「カーブ投げるよ〜」とキャッチャーに指示。3球ほどカーブを続けたあと、隣で投げていた渡辺裕之に「カーブの投げ方忘れちゃったよ。どうやって投げるんだっけ?」と冗談交じりに話していた。術後、カーブを投げたのはこの日が始めてだそうだ。ゆっくりではあるが、順調に回復している。
 
 筑川はいう。
「何かをやり残して終わって、後悔したくない。やってダメだった方が、あきらめがつく。自分はそのレベルまでの選手だったんだって。これもやっておけば良かった、あれもやっておけば良かった、って言いたくないんです」
 


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