みのるの「野球日記」
==すいません、ちょっと宣伝です==

●『中学の部活から学ぶ わが子をグングン伸ばす方法』(大空ポケット新書)

新刊が発売になりました。
しらかし台中(宮城)の猿橋善宏先生の
指導法などが掲載されています。
詳しくは、大空出版HPをご覧ください。
http://www.ozorabunko.jp/book/gungun/

●『グラブノート』(日刊スポーツ出版社)
BBA梅原伸宏さんのグラブ本。構成を担当しました。
親指かけ・小指かけの結び方、グリスの入れ方など、
グラブをよりよくするための方法が書かれています。

*ツイッター始めました
@mino8989 です。

2004年02月28日(土) 板倉先生

 本日は東林中vs吹上中(栃木)の練習試合を観戦に東林中へ。吹上中を指導する板倉茂樹先生は中学野球の名将として知られている。この日、東林中へ伺ったのも板倉先生とお会いするのが目的のひとつだった。
 板倉先生は03年の4月から現在の吹上中を率いているが、その前は間々田中(栃木)の監督をされていた。97年には現在日大で活躍する畠山太(横浜ー日大)を擁し、全中ベスト8に進出。間々田中の前は栃木東中の監督を務め、87年に横浜スタジアムの全日本大会でベスト4、91年には全中ベスト4に輝いている。91年のエースはのちに佐野日大で3度の甲子園出場を果たし、現在は日産自動車で活躍する小さな大投手・中村将明だった。
 
 間々田中の監督を退かれてからは、4年間教育委員会で働いていた。つまり、吹上中が久しぶりの現場復帰となる。「現場に戻りたくて戻りたくてしょうがなかった」という板倉先生は、教育委員会に務めている間、地元の少年野球の監督をされていたそう(かなりの野球好きですね)。
「吹上中に来たころはひどかった。みんな腰パンで、まずはそこから直した」と苦笑いを浮かべるが、この日の試合前のアップ、試合中の返事の声、プレーぶりなどを見ていると、さすがによく鍛えられているなと印象を持った。

 練習試合を見るときの楽しみは、ベンチからの指示である。監督の指示のほかに、選手が飛ばす声。これを聞けば、だいたいこのチームがどういう課題をもって野球に取り組んでいるかが分かる。当たり前だが、ひとつひとつのチームで掛ける声が違い、勉強になる。中学生に限らずであるが、このひとつの声で、ガラリとプレーが変わるから、そこがまた面白い。

 吹上中はどんな声を掛けていたかというと、一番多かったのが「基本姿勢」だ。板倉先生からも、ベンチにいる選手からも盛んに出ていた言葉だった。バッティングの際の基本となる姿勢について、口酸っぱく指示を飛ばしていた。
 次いで目立っていたのが「シンクロ」。これは、バッティングのときのシンクロではなく、守備のときのシンクロ。板倉先生曰く、「打者の振り出しに合わせて、守備陣がタイミングを合わせることが大事」。具体的にいえば、自分の守りたい位置から数歩後ろに下がり、ピッチャーの投球に合わせて、2歩前に歩み出てくる。3歩目を踏んだところで、打者が振り出していればベスト。「静から動より、動から動の動きの方が、絶対に速く反応できるんです」。もちろんこれは、バッティングでのタイミングの取り方、走者のリードにもいえる。
 
 試合の方は、初戦4−4の引き分け、第2試合は4−1で吹上中の勝利。初戦は6回表に吹上中が、東林中の二番手投手から3点をあげ同点に。東林中のエースがそのまま完投していれば、東林中の勝利が濃厚という内容だった。 
 しかし…、中学生の一冬の成長はすごい。東林中のエースのスピードがグンと上がっていて、びっくりびっくり。1、3、4番も湘南カップで見たときよりも、打席での雰囲気がましていた。特に4番は第1試合でセンターオーバーの二塁打を含む、4打数3安打の大当たり。これからの成長が楽しみだ。
 楽しみといえば、吹上中の1番バッターもかなりのセンスの持ち主だった。右投左打の1年生で、東林中のエースのストレート、カーブに唯一対応できていたのが彼。小学校のときは栃木の100メートル大会で優勝し、国立競技場に出たこともあるそうで、足もあり。まだ1年だけに、走攻守ともにどこまで伸びるか、こちらも楽しみだ。しかも、中学1年なのに、熱心な『野球小僧』読者だそう。これは伸びること間違いなし!(笑)

 板倉先生は、武術にも強い興味を持っており、独自の練習を行っているそう。色々と興味深い話をして下さり、ぜひとも学校に足を運びたいと思ったのでした。
 横浜から栃木まで、意外に近いんですね。電車で2時間半ほどでした。栃木といえば、小学校のときの修学旅行で日光に行って以来、足を踏み入れたことがないのです。。



2004年02月27日(金) 原点はカベ当て

 本日は神奈川大・荻野忠寛投手(4年・桜美林)の取材で神奈川大の野球部グラウンドへ。神奈川大は昨秋の神奈川リーグを8季ぶりに制し、神宮大会に出場。決勝で東亜大にサヨナラ負けし、神奈川連盟代表として初の全国制覇は叶わなかったが、「神大野球部」を大きくアピールした。

 荻野は秋季リーグ戦でMVPを獲得。神宮大会でも3試合すべてに登板した。驚くようなスピードはないが、手元で微妙に揺れるストレートを武器に、これまで大学通算23勝を挙げている。
 その荻野の投球論はかなり面白かった。正直、ここまで頭脳派投手だとは思っていなかったので尚更だ。
 荻野は「タイミングと角度をもっとも重視している」と話していた。「自分は150キロを投げられる投手ではないので、色んなところで工夫しない勝つことができない」。ストレートは「縫い目のヤマの向きを考えて投げている」そうだ。

 工夫は小学校の頃からすでに始まっていた。「自分の原点は小さい頃からのカベ当てにある」とキッパリ。小学校低学年で野球を始めてから、ほぼ毎日カベ当てをしていた。高学年の頃には、カベ当てからサッカーゴールのポスト当てに。そして、軟式のクラブチームに所属していた中学時代は「バスケットゴールのポールに当てていた」と話す。クラブの練習がない平日は、朝学校に行く前にポール当てを行い、学校から帰ってきてもひたすらポール当て。
 どのくらいの距離でやっていたの? と訊くと、「バッテリーの距離」と返事。それはすごい! 特にバスケのポールは円柱なので、ちょっとでも当たるところがズレると、真っ直ぐ返ってこない。「今でも覚えてますけど、7球連続でポールに当てたことがあるんですよ!」と荻野。

 小さい頃、誰もがカベ当ては経験していると思うが(もちろんワタシも)、それがポスト当てになり、最後はポール当てに発展していった子供は数えるほどだろう…。荻野は誰かに言われるでもなく、ひとり黙々とこなしていたそうだ。こういった工夫・努力(←本人は努力と思ってないはず)の積み重ねが、いまの荻野を作っているのは間違いなさそうだ。

 今春の神奈川リーグは4月3日に開幕。荻野だけでなく、池田裕行(小山西ー関東学院大)、渡辺翔太(横浜隼人ー横浜商大)、渡邉裕文(岐阜北ー横浜国大)、岡村貴史(宇都宮南ー神奈川工大)と各校の4年生エースが注目を集める。ぜひぜひ、球場に足を運びましょう〜!



2004年02月26日(木) 2004年初観戦試合(桐蔭学園中vs足立九中)

 先週末、中学野球の練習試合を見に、桐蔭学園中のグラウンドに行ってきました。中学野球部が使用するグラウンドは「第3グラウンド」と呼ばれる場所で、サッカー部と共有されています。高校野球部には、人工芝の立派なグラウンドがありますが、中学はサッカー用のグラウンドを練習にも試合にも使っているのです。
 このグラウンドを訪れるのは、中学3年の5月以来、実に11年ぶりのことです。当時の野球部の先生と、桐蔭学園中の大川和正先生が親しい間柄にあり、桐蔭学園中とは毎年のように練習試合をしていました。桐蔭学園の施設、設備のすごさは、中学生のワタシにとってはかなりの衝撃でした。

 この日の対戦カードは桐蔭学園中と足立九中。ともに、今年最初の練習試合だったようです。桐蔭学園中は言わずと知れた中学野球界の名門で、全日本少年軟式野球大会を2度制覇。今年の4月から法政大に進学する平野貴志や、03年度の慶応大の主将を務めた田中雄太らを輩出しています。
 対する足立九中も、03年春の都大会優勝、夏の都大会ベスト4の強豪。夏の準決勝で全中準優勝になった修徳学園中に0−2で負けましたが、全国に行ける力を持つとも言われるほどのチームでした。公立中学ながら、毎年のようにレベルの高いチームを作ってきます。チームを率いる永田勇先生は、指導力に大変定評のある先生です。

 練習試合ということもあり、試合形式は変則でした。5イニング×3試合で、結果から先に書くと、仲良く1勝1敗1分(ゞ涌 2−2 足立 桐蔭 4−0 足立 6涌 1−2 足立)。

 第1試合には新チームならではというか、中学生ならではのシーンがありました。最終回の5回裏、1点を追う桐蔭中が内野ゴロで同点に追いつき、なおも二死満塁という場面。桐蔭中の打者が、捕手の右斜め前方3メートルくらいのところにフライを打ち上げました。飛んだ場所はファウルラインからわずかに内側ですが、バックスピンのかかった打球なので、見送ればファウルゾーンに転がっていく打球でした。しかし、「捕れる!」と思った足立九中の投手は、ボールめがけてダイブ!
 が、届かず、しかもボールはグラブに当たりファウルゾーンに転がっていきました。グラブが当たった地点はフェアゾーン。もちろん、この打球はフェアです。しかも、最終回に満塁でこのプレー。桐蔭中のサヨナラかぁ〜と思いながら見ていたら、何を思ったか、途中まで走っていた打者走者がホームベースに戻ってきたのです。ファウルゾーンに転がる打球を見て、「ファウル」と判断したんでしょう。
 これに驚いたのが足立九中の選手たち。「え?」と一瞬戸惑ったものの、慌てず騒がず、一塁へ送球してアウト。2−2の引き分けで終了しました。

 試合後の足立九中・永田勇先生のミーティング。「いまの何で飛びついたの? 捕れると思ったの?」とピッチャーに訊いていました。一方の桐蔭学園中の大川先生は、「何で走るのやめたの?」。
 
 桐蔭学園中は、昨年の全日本大会の1回戦でもこんなことがありました。上本部中との試合は0−0のまま特別延長戦に入り、後攻の桐蔭学園中は二死満塁から四球を選び、サヨナラ勝ちを収め……と思いきや、打者がバッターボックスで喜ぶあまり、一塁へ走ることを忘れていたのです。これは、「走ることを放棄した」と思われ、アウトとなる可能性があります。が、選手はそんなことに気付かず……、ここでベンチから飛び出してきたのが大川先生です。「走れ!!」と大きな声で叫び、気付いた打者が一塁へ。若干、上本部中も抗議をしていたようですが、事なきをえました。
 
 足立九中との試合が練習試合でなく、公式戦であれば、「走れ!!」と大川先生は叫んだことでしょう(笑)。

 高校生以上の試合になれば、「当たり前」と思われている野球の基本的なルールが、中学生では通用しないときがあります。アウトカウントを勘違いしてるケースは、よく見かけます(高校野球でもありますが)。まだまだ試合経験を積んでいないこの時期は、特に多いのではないでしょうか。
 
 修徳学園中は、前任の小田川先生(現在修徳高監督)のときから、部員にルールブックを暗記させるそうです。もちろん、現在の小野寺先生もやっています。「勝つ」ためには、こういった勉強も必要なんだなぁと、この日の最終回のプレーを見て実感したのでした。

 ちなみに、練習試合をしていた「第3グラウンド」の隣には桐蔭学園高の硬式野球場があります。試合の合間に、チラチラと覗いたのはいうまでもありません。朝から夕方まで延々練習していました。最後はナイター練習に。しかし、いいグラウンドですね。ヘタな球場より、全然いいです。

 話が逸れますが、桐蔭学園高の野球部は、強豪校には珍しく野球部の公式HPを持っており、オープン戦の日程も詳しく書かれています。隠したがる学校が多い中、大変ありがたいことです! 
 公式HPによれば、3月は花咲徳栄、習志野、花巻東、PL学園、前橋工、日大山形とのオープン戦が組まれています。顔ぶれを見るだけ、何かニヤけてきますね(笑)。PL学園が神奈川に来るなんて、これは見ないわけにはいきません!



2004年02月21日(土) ランナー三塁エンドラン(3)

 軟式野球独特の戦法で、硬式野球では使われないと言われている三塁エンドラン。しかし、現在桐蔭学園中の野球部を率いる大川和正先生は、現役時代を振り返りこう話す。
「夏の大会前、木本さんが三塁エンドランの練習を取り入れたんです。木本さんも佐相先生(東林中)と一緒で、川崎市水道局の試合を見て、三塁エンドランは面白いと思ったそうですよ」
 大川先生は桐蔭学園高で77年から79年まで、木本さんの野球を学んだ。木本さんとは、1971年に桐蔭学園高で全国制覇を果たし、85年には藤嶺藤沢高を初の甲子園に導いた神奈川の名将・木本芳雄さんである。藤嶺藤沢を指導したあとは、母校武相高の監督に就き、昨秋惜しまれつつ現場から退いた。

 昨秋退任された時の神奈川新聞の記事を読むと、木本さんについて、<エースの力量と相手打者のスイングを考え、外野シフトを考える戦術でも先駆者である。しかし、勝負を決するスクイズは好まなかった。大胆さと繊細さが同居した>と書かれている。三塁エンドランを採用することに躊躇がなかったように思える。中学野球の先生にも言えることだが、スクイズが嫌いな指導者は、三塁エンドランを好む。

「練習で何回も繰り返して、練習試合でも試しました。でも、うまくいかなかったんです。結局、夏の予選では一度も使いませんでしたね」
 大川先生の話しによれば、三塁エンドランは公式戦では使えなかった。やはり、軟式よりもはるかに切れる変化球、スピードのあるストレート、そして弾まない硬式ボール。リスクの高い戦法だったのかもしれない。

 だが、どうしても1点が欲しいとき、スクイズしか手持ちのカードがなければ、それもまた苦しい。高校野球の場でも、できることなら三塁エンドランを使いたい。木本さん以外にも、そう考える監督がいる。
 昨秋の神奈川県大会で準優勝を果たした、藤嶺藤沢高の山田晃生監督は、秋の大会に秘策を持って乗り込んできていた。


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*以前、三塁エンドランについて書いたところ、何人かの指導者の方から情報を頂きました。ありがとうございます。読者の方の情報をまだまだお待ちしておりますので、どうぞよろしくお願いします。



2004年02月19日(木) Kボール 選抜チームの活躍

 2001年に始まったKボールの全国大会の優勝チームを見てみると、圧倒的に選抜チームの強さが目立つ。

◆2001 
 春 東林クラブ(神奈川)
 夏 全流山(千葉)
◆2002
 春 八千代選抜(千葉)
 夏 オール柏(千葉)
◆2003
 春 成田選抜(千葉)
 夏 サンジュニア(東京)

 春夏合わせて6度の全国大会で、中学野球部として優勝したのは2001年春の東林クラブのみ、あとは選抜チームが4度、クラブチームが1度。特に千葉県の活躍は圧倒的で、4度の日本一を果たしている。千葉県勢は準優勝の回数も3度あり(01春:松戸六クラブ、01夏・02春:千葉マリーンズ)、飛びぬけた強さが分かる。

 なぜ千葉が強いのか…これは春の選抜大会が成田市で開催されていることからも分かるように、県全体でKボールに力を入れているからだ。それも、中学野球部としてでなく、選抜チームの強化に力を入れている。特に98年に全流山が全日本少年軟式野球大会を制して以来、選抜チーム結成の流れがどんどん高まっている。

 全国的に普及し始めた選抜チームのメリットはどこにあるのか。一番の魅力は、野球部が弱い学校に所属している選手でも、個人の力が認められれば、選抜チームに選ばれ高いレベルの試合を経験できることだ。
 たとえば、夏のKボールの全国大会は8月中旬に行われるため、中体連の予選はほとんど全ての学校が終了している。実力のない学校の場合は7月上旬に終わっているところもある。普通なら、そこで部活動引退となるが、選抜チームに選ばれていれば、まだ野球を続けられる可能性があり、勝ち抜けば全国レベルを体感することもできる。高いレベルを経験すれば、また違った野球の世界を見られる。これは次の高校野球をやるためには非常に大きな経験といえる。
 
 メリットもあればその逆の部分もある。それは、学校の野球部との兼ね合いだ。千葉は中体連の予選とKボールの予選が重ならないように、連盟同士が協力しあっていると聞くが、全国的にはそうでない県がほとんどだ。極論をいえば、野球部と選抜チームと、両方勝ちあがれば、いつかは試合が重なるときがある。そのときに、主力選手の取り合いになる、なんてことも有り得ないことではない。
 
 02年の全中は岡山の宇野中が優勝したが、その時のエースは現在岡山城東の二番手投手として活躍している中谷傑だった。中谷は全日本少年軟式野球大会に出場した岡山クラブのメンバーにも選ばれていた。予選では宇野中で投げたり、岡山クラブで投げたりと、ふたつのチームで活躍していた。が、最後の最後、全国大会では全中(奈良)決勝まで残り、全日本との日程調整がつかず、登板を果たせなかった。
  
 選抜チームが「進学」に対するメリットを与えることもある。選抜チームで全国大会に出れば、内申書にプラス○点と加算されるのだ。これは自己推薦の大事なアピールポイントにもなる。また、全国の大舞台に出れば、高校野球関係者の目も光る。そこで、プレーが認められピックアップされるケースもある。

 先日取材に伺った刈谷東中・木野先生の言葉で印象に残ったものがある。「子供に違う世界を見せてあげたい」という言葉だ。「違う景色」とも表現していた。
 中学生にとって、今まで味わったことがない世界を見ることは、今後にとって大きな影響がある。その世界に追いつきたいと思えば、今まで以上の努力をする。部活動では叶わなかった全国の景色を、選抜チームで見ることができれば、野球に対する新たな感覚が生まれてくる、といえる。
  



2004年02月17日(火) Kボール 世界大会優勝

 原史彦捕手(日大三島)の取材に行く前日、彼の出身中学を調べると「伊豆長岡中」と分かった。伊豆の中学ってことは、もしかしたらKボールの大会に出ていたかな……。以前、関係者から譲り受けたKボールの資料に、「伊豆少年野球団、世界大会優勝」という記事があったのを薄っすら覚えていた。チーム名からして、伊豆の中学を中心にした、選抜チームであることが分かる。
 原にその話を訊くと、「中学3年のとき、Kボールの世界大会で優勝しました」と。やっぱり、そうだった。原はサードのレギュラーとして出場。日大三島の現エース山田貴博(天城中)も選抜メンバーに入っていたという。

 この世界大会の正式名称は『AA K−Ball野球世界大会2001』という。AAは15歳以下の意味。ちなみに参加は台湾、韓国、メキシコ、日本(東林クラブ、全流山、伊豆少年野球団)の6チーム。東林クラブ(神奈川)はその年の『第1回 K−Ball全国中学生選抜大会』(毎年3月下旬開催)で優勝。全流山(千葉)も『第1回 K−Ball全国中学生野球選手権大会』(毎年8月下旬開催)で優勝を飾っている。伊豆少年野球団は選抜大会で4位だったが、開催地枠での出場(世界大会は伊豆で開催)だった。

 世界大会は、佐相先生によればメキシコがかなり強かったらしい。でも、大会は台風の影響で2日間順延し、メキシコは飛行機の関係等で大会最終日まで残れなかったという。決勝は伊豆少年野球団と台湾の組み合わせで、伊豆が優勝。原曰く「向こうのピッチャーは球がめちゃくちゃ速かった。130キロは余裕で出ていました」とのこと。すごい化け物がいそう…。その後、メキシコのエースはアメリカで1A契約を結んだとか結ばなかったとか…。

 Kボールは、世界大会のほか、夏の選手権大会も伊豆で開催している。というのも、「日本Kボール少年野球連盟」の会長がシダックスの志太勤氏。その関係で、伊豆にある「志太スタジアム」をメイン球場に行われている。大会前日にはシダックスの選手による野球教室や、社会人同士のOP戦を開催することもあるようだ。ちなみに春の選抜大会は千葉県の成田市で開催されている。

 KボールのKには「健全、健康、国際性」の意味が込められているそう。大きさ、重さとも硬球とほぼ同じで、バウンドの弾み方も硬球に似ている。でも、軟式と同じく中空構造なので硬式ほどの危険性はない。

 中学野球部では、Kボールの試合に出場するしないに関係なく、Kボールを持っている学校が多い。冬トレのときに、Kボールを使わせたり、ノックで硬式と同じような低く這うようなゴロを体験させるために使用している。中学3年生が夏の大会を終え、高校からは硬式野球に移る、という準備段階に使っているところもある。

 このKボールの長所は「世界と戦える」点にある。軟式野球はやはり日本止まり。Kボールもほぼ日本でしか普及していないが、硬式に慣れ親しんでいる海外の選手に、Kボールを渡すと特に違和感なくこなすという(実際に使っている国もあるらしい)。これが硬式→軟式であれば、ボールの重さ、反発力など戸惑う面があると思う。硬式→Kボールだと、それほどの戸惑いはないようだ。

 伊豆少年野球団が優勝した夏の世界大会のほかに、東南アジア大会に参加することもあり、日本を飛び出して試合を行うことができる。軟式野球部では味わえない「世界」を体感することができる。

 だが、中学の軟式野球部としてはやはり最終目標は8月の全中。全中を目標にすれば、日程的にKボールは難しい。また、横浜スタジアムで行われる全軟連主催の全日本少年もある。こちらも地区によっては3月から予選を行っている。成田でのKボール選抜大会と重なる地区もあり、両方出場というわけにはいかない。Kボールの大会に出場した場合は、全軟連主催の大会には出られないという規定もあるそうだ。つまり、Kボールの全国大会とはいっても、全ての学校が予選に参加しているわけでなく、「真の日本一」とは言いづらい面がある。

 ただ、選抜チームや地域のクラブチームは、Kボールに力を入れているチームが多く、特に東北地区や千葉県は非常に熱心に活動をしている。

 というわけで、続きは次回(の予定)。



2004年02月13日(金) 結果は心の中にある

 先日、取材で刈谷東中(愛知)へ行ってきました。甲府への特急に続き、豊橋まで新幹線! 帰りは名古屋から「のぞみ」でした。じつは「のぞみ」に乗ったのは、生まれて初めて。かなりワクワクして乗ったんですが、ほとんど寝ていまして…。しかも夜だったので、外の景色も見られないし…、今度はもっとじっくり乗ってみたいと思います。特急、新幹線と来たので、今度は飛行機で取材に行きたいと密かな野望(?)を持っています(笑)。

 刈谷東中野球部を指導する木野昌孝先生は、この日記で何度か登場していますが、毎年12月に行われる「愛知トレーニング交歓会」の実行委員長を務めています。3月の金沢交歓会、8月の静岡交歓会にも毎年のように参加している、非常に「熱い」先生です。

 木野先生と初めてお会いしたのは、昨年のちょうど今頃でした。お会いした場所は東林中(神奈川)・佐相先生のご自宅。佐相先生の奥さんの手料理を、佐相先生、宝立中(石川)・山岸先生、木野先生、そしてワタシの4人でご馳走になりました。
 そのとき、初めて木野先生に言われた言葉が「キミは佐相先生の息子さんか?」でした。いやいや、年齢的に見て絶対有り得ないでしょう! と思ったのですが(笑)。第一声があまりにもインパクトがあり、いまでも覚えています。
 ご飯を食べながら、そしてお酒を飲みながら、木野先生の話に耳を傾けていました。この先生、すごい! そう思いました。今まで情熱のある先生方とはたくさん会っていましたが、木野先生はまた違う「熱」を持った先生でした。

 昨年の8月に行われた静岡交歓会で、木野先生のお話をじっくりと聴く機会がありました。木野先生が宝立中の部員を前に1時間ほど講演をしたのですが、テーマは「王様はいらない」「結果は心の中にある」ということでした

・「王様はいらない」
中学野球を勝ち抜くためには、お山の大将(=王様)はいらない。王様は得てして、ガマンできないことが多く、夏の連戦、しかも終盤にミスを起こす。

・「結果は心の中にある」
自分が負けたと思えば負け。あきらめた時点で勝負は決まっている

 今回の取材でも、このふたつの話がでてきました。特に「結果は心の中にある」は、交歓会の席で何度もお話されることで、木野先生が非常に大事にされていることです。
 試合までにどれだけの練習を積み重ねてきたか、どれだけ自分を追い込むことができたか、自分でやり残したことがあると思えば、心の中に不安が生まれる。その時点で、勝負に遅れをとっている、とも言えます。

 木野先生は02年の3月まで豊橋中部中を率い、02年4月から現在の刈谷東中を指揮しています。豊橋中部中では01年の全中に出場し、ベスト8まで進んでおり、そのときのメンバーのひとり久米千春選手が、愛工大名電でセンバツに出場します。ちなみに、全中の準々決勝で負けた相手が明徳義塾中でした。今年のセンバツにも出場する鶴川将吾にノーヒットノーランで負けました…。

 刈谷東中に赴任し1年目に指導した西村総一朗選手も、今年のセンバツで東邦のメンバーに選ばれています。週刊ベースボールから発売された『センバツ完全ガイド』を見ると、西村選手の好きな言葉は「結果は心の中にある」と書かれています。これを見た瞬間、なぜかとても嬉しくなりました。中学時代に、木野先生に教わった言葉が、いま好きな言葉として心に残っている。しかも、指導を受けたのはわずか1年。野球部在籍はわずか4ヶ月です。木野先生の指導力、改めてすごいなと思いました。
 
 先日、日大三島の原史彦選手の取材にも伺いました。彼の好きな言葉は「苦しい時こそ意地を張れ」でした。これは、伊豆長岡中(静岡)野球部の松井清隆先生から教えてもらった言葉だそうです。「苦しい時こそ、下を向かずに、上を向いてガンバレ」という意味で、原選手は今でもこの言葉を思い、練習をしているそうです。「中学時代がボクの野球の原点です」とも話していました。言うまでもなく、中学時代は大事な時期なんだと改めて思いました。

 ちなみに…東邦のほかの選手の「好きな言葉を見る」と、なかなかイイです! 気に入ったものを紹介します。

・奥村将士 「努力は必ず報われる」
・新山史也 「二死からの夢がある」
・水谷謙介 「極」
・高山正登 「笑えば何でもできる」
・木下達生 「匠」
・堀尾旭弘 「逆境は順境」

「二死からの夢がある」、いいですね〜これ。東邦は東海大会の準決勝で、延長10回裏、二死満塁から逆転サヨナラ満塁HRで勝っているんです。それで、思い付いた(?)言葉だと思われます。

 もうひとつ。「逆境は順境」と書いた堀尾選手の好きな食べ物は「吉野家の牛丼」だそうです。悲しんでいるでしょうね…。ほかにも「牛丼」が二人います。練習後、よく吉野家に通っていたのでしょうか。。

 ちなみに、ワタシの好きな言葉は、「目標がその日その日を支配する」です。横浜高校の渡辺監督がよく使っている言葉です。松坂も好きな言葉に、この言葉を書いています。「目標設定」がいかに大事かを、よく考える今日この頃です。



2004年02月08日(日) 神奈川県指導者講習会(2)

1月20日「神奈川県指導者講習会(1)」の続き・・・


ぅ丱奪謄ングの基本は?
 
 嶋田さんの答えは至極明快でありながら、意外なものでした…。
「バットにボールを当てること」
 あまりにも基本的な答えで、体育館内から笑いもこぼれたんですが、でも確かにそうですよね。バットにボールが当たらなければ、「打つ」ことは始まりません。
「バットにボールを当てるだけならヒットは打てないから、次に大事になってくるのがタイミングとバランス」
 といって、嶋田さんは一流選手のタイミングの取り方を紹介して下さいました。
「小久保、松中、由伸、ローズ。彼らに共通しているのは…」
 自らバットを握り、一流選手のフォームの真似を始めました。
「小久保はこう、松中はこう…。タイミングを取るとき、手(グリップ)と足が一緒に動く。これが一流選手に共通していることです」
 どういうことかというと、構えたところから、一番最初に動くのが手と足になる。右バッターでいえば、グリップをキャッチャーよりに動かす動きと、左足を上げる(あるいは擦る)動きが同じになる。これを一定にすることで、タイミングとバランスが保てるというわけだ。

 小久保のバッティングフォームを思い出すと…、小久保は構えた時点ではグリップが低い位置にあるが、始動するときはグリップを若干上げる。その動かすタイミングと、左足を上げるタイミングが全く同じになっている。

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 コーチ時代、何度もローズ(近鉄ー巨人)のフリーバッティングを見てきた島田さん。「ローズはフリーバッティングのときは、先に手をはめてから、足を上げる」という表現でローズのバッティングを解説していました。「手をはめる」というのは、先にグリップをトップの位置に持ってきてから、足を上げるということ。これが、試合になると、手と足は一緒に動くそうですが、練習では「先に手をはめる」ことを意識していたようです。

Ε丱好拭爾妊謄ーバッティング

 実際にボールを使いティーバッティングを行いました。東林中の選手をモデルとしましたが、どうも上と下のタイミングが合わない選手がいて、島田さんは「バスターで打ってみろ」と声を掛けました。バスターをすると、必然的に手が先に動くことになり、ローズのフリーバッティング状態になります。つまり「手が先にはまる」。これを選手にやらせると、普通に打つよりもいいスイングに変わりました。
 このバスター練習のポイントは、まずインパクトの瞬間になるであろう位置でバットを止め、そこからトップの位置に戻す。すなわち、思い描く理想のスイング軌道を逆回しにし、トップの位置に持ってくること。そうすると、「必ず手が動き、足が上がる」そうです。
 ここで、「手と足が一緒に動く選手」の例として、立浪や片岡をあげました。思い出すと、確かに片岡も立浪も・・・、必ず手と足が同時に始動していますよね。
 
〜〜〜〜〜〜

 参加していた中学生から、島田さんに対し「バッティングのときに、先に腰を回した方がいいのか、手を先に出した方がいいのか」という質問がありました。その問いに対する島田さんの答えは「その年齢でそんなことは考えなくいい。来たボールを思い切り振ることを考えればいい」。
 (1)でも書いたように「ロボット」という言葉を講習会の際に、何度も話していました。細かなことを教えすぎて、思いきり投げる・打つという、最も大事なことを選手が忘れてしまい、ぎこちない動きになる。これは(1)ので紹介したように、プロ野球選手でもよく見られる光景だそうです。

 島田さんの指導は、かなり刺激的なものでした。非常に分かりやすい! 島田さんは日本ハムを退団したあと、「FULL−COUNT」という会社を立ち上げました。少年野球や中学野球などの指導を行う会社です。興味のある方は下記サイトにアクセスしてみて下さい。
http://www.full-count.jp/




2004年02月04日(水) 1割5分2厘

 センバツ出場校の記録をボーッと眺めていたら、ある数字に目が止まった。中国・四国地区代表・鳴門工業(徳島)のチーム打率である。打撃優位といわれる近年の高校野球では考えられない……1割5分2厘という数字が飛び込んできた。

 どんな勝ち上がりをしてきたのだろうか。昨秋の公式戦の結果を調べてみると、これは驚き。何と、1−0というスコアが3試合もあったのだ。中学軟式野球なら、珍しいことでもないが、高校野球で1−0とは……。

・徳島大会2回戦 ○5−2 川島
・徳島大会3回戦 ○1−0 阿波
・徳島大会準々決 ○5−1 富岡西
・徳島大会準決勝 ○1−0 生光学園
・徳島大会決 勝 ○1−0 徳島商
・四国大会2回戦 ○4−3 高知商
・四国大会準決勝 ○7−6 八幡浜
・四国大会決 勝 ●3−10 済美 
 
 上記の記録を見れば分かるように、県大会で1−0の試合が3度。7勝のうち、1点差勝ちが5試合もある。普通、センバツに出てくるようなチームなら県大会の序盤で大勝もあるのだが、鳴門工にはない。チーム打率、1割5分2厘が示すように、公立高校相手にも5点が精一杯だった。

 でも、逆に考えれば1割台の打率でセンバツまでくるのはある意味すごいこと。相当守りがしっかりしているのだろう、と思えばじつはそうでもない。8試合で14失策、無失策試合も1試合だけと、普通のレベルである。

 となると、やはりピッチャーか。調べてみると、エース左腕の田中が8試合で64回3分の1を投げている。1−0の完封もすべて田中が投げぬいた試合だ。で、この田中が化け物かといえば、ダルビッシュや須田のように、雑誌で特集されるほどの投手でもない。記録を載せると、
 64 1/3回 36被安打 36奪三振 
 32四死球 18失点 10自責 防御率1.40

 新聞記事によれば、左腕独特の大きなカーブが武器とのこと。打たせてとるピッチングが持ち味のようだ。四死球も2イニングに1個の割合なので、ズバ抜けて制球力があるというわけでもなさそうだ。

 ほかの記録を見ていると、圧倒的に目立つのが犠打の数。8試合でチーム犠打が41個。1試合平均5個の割合である。これは多いでしょう、かなり。となると、犠打や足など小技を使いながら1点をもぎとるのかといえば、そうでもない。盗塁は何とゼロなのだ。チーム打率の低さにも驚いたが、盗塁ゼロにはもっと驚いた。比較的戦いやすい県立高校との試合の場合、必ずといっていいほど盗塁を稼げる試合があるもの。県大会の序盤でもそういう試合がなかったということか。

 ちなみに1番打者から犠打の数を並べると、<4・6・7・4・6・2・4・4・4>となる。クリーンアップで17もの犠打がある。すごい野球…。
 個別に打率を見ていくと、4番の濱田だけが打率3割以上を記録し、4割3分3厘の高打率。ほかの8人をみると、2割台が2人、1割台が4人、0割台が2人となっている。

 正直、記録だけを見ると、よく四国大会準優勝になったと思う。でも、不思議なことに、一番大事な四国大会の準決勝で、公式戦最多得点の7点を奪っている。

 『ホームラン』で鳴門工の記事を拾ってみると、興味深いことが載っていた。
<クリーンアップにもカウント1−2からセオリーに反してでも「待て」のサインを出す。高橋監督は「待つと案外勝手に崩れてくれる投手が多いんですよ」>
 
 ふ〜ん、と思い四死球の数を調べてみると、チーム全体で42四死球。相手投手の制球力の問題もあるので何ともいえないが、1試合平均にすると4四死球となる。1−2から「待て」のサインは、どうなんでしょう…と思うところもあるが、四死球を選ぶことを考えると、結果的にはうまくいっていたようだ。
 

 鳴門工って、じつは個人的にすごく不思議に思うチームのひとつなんです。飛びぬけた選手がいないのに、甲子園では勝つんですよね。2年前、丸山(現日大)がいたときにセンバツ準優勝になりましたが、あのときも正直「何で決勝まできたの?」と思ってしまいました。昨年も、平野擁する桐蔭学園に勝利するなどベスト8に。何ででしょう…。鳴門工といえば、メンタルトレーニングが有名ですが、その効果が見えない力として発揮されているのでしょうか。

 チーム打率1割5分2厘のチームが、センバツでどんな試合をするか、非常に興味深いところです。ちなみに過去3年のセンバツをみると、チーム打率1割台のチームは1校も出場していません。それ以前のデータがないのが残念なんですが、1割台のチームの出場は何年ぶりになるんでしょうか。あ、もちろん、今回の鳴門工の打率は出場32校中、もっとも低い数字です。

<過去3年チーム打率最下位校の成績>
01年 姫路工 打率.286 2回戦 ●5−8 日大三
02年 松江北 打率.284 1回戦 ●3−5 福井商
03年 柏 崎  打率.258 1回戦 ●1−2 斑鳩


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