みのるの「野球日記」
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@mino8989 です。

2004年01月31日(土) キャッチャー上本?

 センバツ出場校発表の翌日、スポーツ新聞を読んで驚いた。センバツ2連覇を狙う広陵の主将・上本が「キャッチャー転向」と書かれていたからだ。上本といえば、旧チームから不動の1番セカンドとして活躍し、2年生ながらただひとりAAAに選ばれた選手だ。今年の広陵は、西村ー白濱がいた昨年と比べ、「バッテリーが落ちる」と言われている。でも、だからといって、あの上本をキャッチャーにするとは…。

『ホームラン』の12+1月号を読んでいたら、秋季大会終了後の中井監督のコメントが出ていた。1年生で4番を打つ藤川についてだ(秋季大会では背番号1をつけていた)。

<本当は中国大会が終わったら藤川を捕手にコンバートしようと思っていた。ただ今日の投球とほかの投手のことを考えたら、藤川はしばらく投手兼外野でやってもらう>

 そしてもうひとつ。中国大会の『こぼれ話』の中で、「3度の打撃妨害を取られ涙」という記事もあった。要約すると、

<中国大会での正捕手・河野は県大会では一塁を守ることが多かったが、今大会は捕手に専念。準決勝までは無難にこなしたが、決勝で3度の打撃妨害をとられた。「本人は当たっていないといって泣いていました。これで成長してくれたらいい」(中井監督)>

 中井監督の中で、現チームの最大の課題は「バッテリー」。中国大会で起用した河野が、決勝戦で弱点を露呈し…、藤川は投手兼外野で使うことを決断。残った選択肢の中から選んだのが、セカンド上本。この一冬で、どれだけ捕手としての技術を身につけることができるか、非常に興味深い。旧チームの正捕手・白濱も、シニア時代はショート。高校入学後、捕手に転向した選手だ。白濱の例があるだけに、中井監督も自信があるのかもしれない。

 しかし…捕手というポジションはそんなに簡単(もちろん簡単ではないが)にできるものなのだろうか。捕手から内野手、外野手に転向するケースはよく耳にするが、その逆はあまり例がない。でも、最近はよくあること…のような気もする。
 
 昨夏、甲子園に出場した東海大甲府のエース佐野恵太が、秋から捕手に転向した。「強肩を買われた」ということだが、エースを捕手にするとは…。
 同じく夏の甲子園に出場していた横浜商大の宮本憲人捕手は、夏の県大会の3ヶ月前にサードから捕手に転向した。この宮本がいなければ、甲子園出場はなかったと言えるくらいの活躍を見せた。正しくいえば、エース給前の力を引き出した。給前は「宮本は投げやすいし、何でも言いやすい」。金沢監督も「宮本がキャッチャーをやってから、給前がよくなった」という。
 年明けの新年会で中学校の先生が金沢監督に「どうして宮本をキャッチャーにしたんですか?」と訊いていた。金沢監督の答えは「勘だよ」と一言。いや、もちろん、肩の強さや体の強さに魅かれる部分はあったと思うが、「勘」が働いたことも事実だと思う。人には教えることのできない「勘」がベテラン指導者にはあると思う。

 中学野球の場合、キャッチャーは内野手や外野手からコンバートされることが非常に多い。チーム状況もあるが、3年間キャッチャーをやる選手はなかなかいない。「足首の柔らかさ」「肩の強さ」が転向の条件のように思うが、中学野球では「判断力」「野球の理解度」「視野の広さ」など、技術よりも頭の部分で選んでいるように見える。

「キャッチャーをやることで野球も覚えるし、視野が広がる」とは佐相先生の言葉。今年中学3年の東林中のキャッチャーは、旧チームではサードを務めていた。高校では「キャッチャーはやらない」という。でも、彼にとって、野球を学ぶうえで、キャッチャーを経験したことは非常に大きかったはずだ。

 上本もこれから大学、プロでやるにしても、キャッチャーで生きていくとは思えない。もしかしたら、キャッチャー上本はセンバツの一時期だけかもしれない。でも、その一時期にセカンドとは全く違う視野を経験することで、上本の野球人生がよりよい方向へ進んでいくものになれば、「いいコンバート」といえる。いずれにせよ、キャッチャー上本を試合で見るのが楽しみだ。



2004年01月28日(水)

 本日、3ヶ月ぶりに近所の歯医者に行ってきました。前回の診察が終わったとき「次は1ヵ月後に来てください。レントゲンを撮ります」と言われていたんですが、面倒臭くて今日までずっとサボっていました。行かなきゃ、行かなきゃとは思っていたんだけど…、まぁ先生は怒っていなかったので良かったです。

 レントゲンは右奥下の歯茎の状況を見るためでした。以前日記にも書きましたが、ほぼちょうど1年前に歯茎の治療で大学病院に手術&入院しました。歯茎に膿が溜まってしまったので、それを取り除く手術でした。手術後、膿を抉り取った部分はぽっかりと空洞になり、ガーゼを詰め込みました。2ヶ月経つ頃にはガーゼを完全に外し、歯茎も回復してきました。

 といっても、まだ完全ではありません。1年経った今でも、まだ少し空洞があります。今日はその空洞がどの程度のものなのか、レントゲンで確認しました。術後のレントゲンと今日のを比べると、術後の方は、歯の根っこの周りに黒い影が「らっきょう」のような形で広がっていたんですが、いまはその影の範囲が大分小さくなっていました。先生曰く「まずまず順調」とのことで、ホッと一安心です。

 が…、助手の先生からは「歯茎がすごく腫れてるから、ちゃんと歯磨きをしないと歯槽膿漏になるよ」と厳しい忠告。いや、ちゃんと歯磨きしてるつもりなんですが…。でも、手術直後に「歯磨きをいま以上にしっかりやらねば!」と決意した想いは、日が経つごとに薄れていました。今度こそ、ちゃんと磨かねば。。

 1年前の手術は生まれて初めての全身麻酔でやりました。いつの間にか眠ってしまい、いつの間にか手術が終わり、気づいたらベッドの上という感じでした。先週、甲府工業に取材に行ったとき、ある選手と全身麻酔の話で20秒ほど盛り上がりました(笑)。彼はヒジを手術したんですが・・・ヒジの手術も全身麻酔なんですね。ヒジなんで、局部麻酔で済みそうな気もしますが、そんなことはないようです。

 手術をして以降、硬い食べ物が食べられなくなりました。入れ歯の人みたいで、情けない…。食べられないことはないんですが、食べるのが怖いんです。そのため、この1年大好きな焼肉屋にも行ってません。これはイタイ…。お気に入りの『ねぎし』でも、名物「牛タン」を頼めず、柔らかい「シチュー」を頼むことが多くなりました。歯は大事にしなくてはいけませんね。ほんとに。

 そういえば、年明けの新年会で横浜隼人の榊原部長とお会いしました。今年阪神に入団した小宮山慎二について、「1週間入院して、親不知4本も抜いたんだよ」と話していました。「お見舞いに行ったら、顔がパンパンに腫れててさぁ」「え? 1週間もですか。どこに入院してたんですか?」と訊くと、何と私が1年前に歯茎を手術した病院と同じところでした! なぜか妙に親近感が沸いたのはいうまでもありません。確かあの病院は、入院病棟が7階(6階だったかな)にしかなかったはず。同じ部屋だった可能性もある。いや、でも、個室もあったなぁ。プロ選手だから、個室だったかもしれない。なんて、ムダなことを色々と考えてしまいました。

 親不知といえば、大学時代に1日に2本抜いたことがあります。ペンチでグリグリとやられ、かなりスタミナを使いました。1週間入院したといえども、4本はキツイだろう、小宮山くん! 榊原部長曰く、親不知を抜くことにかけては「名医」という先生が、その病院にはいるらしいです。そもそも、親不知を抜いたのは、小宮山本人がスポーツ選手にとって、歯がいかに大事かを認識しているため。シーズンに入ると、治療する時間もなかなかないだろうし。周りのアドバイスもあったとは思うが、素晴らしい意識です。

 歯といえば、鳥谷が「1日に3回歯磨きをする」と新聞に出ていましたね。すげぇ〜な、さすがゴールデンルーキーと思ったけど、よくよく考えれば、幼稚園の頃には「朝、昼、晩の三回磨くように」と誰しもが教わったはず。だから、わざわざニュースにすることでもないのでは?!

 阪神でもうひとり、矢野も歯に関してはかなり気を使っているようですね。「ホームランを打てるようになったのは歯をきれいにしたから」というコメントまでありました。昨年の開幕前から歯の治療を徹底的に行い、虫歯をキレイさっぱりなくしたとか。もちろん、噛み合わせの良さも追求し。

 私は銀歯が多いんですが、歯の治療をして一番マズイなと思うことは、食べ物を食べるときに一方の歯しか使わなくなることです。自分の場合は、右奥歯を手術したので、ほとんど左奥で物を食べるクセが付いてしまいました。確実に体全体のバランスは悪くなっているでしょう。
 
 さて…今晩から歯磨きを疎かにしないように、頑張ります…。

PS 親不知に苦しんでいるSさん、早く治療した方がいいですよ。手術&入院費はかなり高いです!



2004年01月26日(月) 方言

 先日、取材で甲府工業へ。甲府に行くのは一昨年の夏以来のこと。一昨年、中学野球の関東大会が甲府開催だったんです。そのときは、横浜から新宿に出て、そこから延々中央線で西へ進みました。今回はちょっとリッチになり、行きは「はまかいじ」、帰りは「あずさ」。小さい頃から新幹線や特急に乗るのは大好きだったので、取材で普段乗らない電車に乗れることはひそかな楽しみなのです。

 甲府工業の原監督への取材中、何度か「えらい」という言葉が出てきました。当然、「偉い」「すごい」など誉める意味として使ってると思い、話を聴いていると…どうやら違う。マイナス的な話の中で使っているんです。たとえば、「ピンチで登板するのはえらいよね」とか…。まぁ、この場合は「偉い」でも当てはまらなくはないんですが、それでも東京や横浜で使う「えらい」とはニュアンスが違う。とりあえず、取材の場では「えらい=悪いこと」というイメージで話を聞いていました。
 帰宅してからネットで調べると、「えらい」は甲州弁で、「つらい」「きつい」という意味があると書いてありました。それを知って納得! 原監督は語尾にもクセがあったんですが、それはあまり気にならず。「えらい」だけがどうしても耳についてしまって、「すいません、どういう意味ですか?」と聞きたくてしょうがないほどでした…。
 ちなみに原監督は甲府の竜王町の出身。やっぱり甲州弁で育ってきたんでしょうか。。

 方言といえば、鮮烈に覚えているのが、石川県珠洲市の先生の言葉。試合中、何度となく「だら!」という怒鳴り声を上げていました。これも、最初聞いたときは「?」と思ったんですが、どう考えても「アホ!」とか「ばかやろう!」という意味だと察しました。大きなミスをしたときは必ずといっていいほど「だら!」と言っていましたので…。ネットで調べてみると、珠洲の方言で「ばかもの」という意味だと書いてありました。
 
 地方に行くときは、普段乗れない電車に乗れるとともに、こういった「方言」にも出会えるのがちょっと楽しみでもあります。でも、取材中意味が分からないものだと、困ってしまうんですが…微妙なところです。

 甲府工業の取材で、驚いたことがひとつ。選手や監督、部長らが、自分の高校を「工業」というんです。山梨の中学校の先生も「工業」と言っていました。で、その件で部長さんがこんなことを話してました。「山梨で『工業』っていえば、甲府工業のことなんですよ。ほかにも工業高校はあるけど、工業っていったら甲府工業。それくらいの伝統があるんですよ」と。ちょっとすごいことだと思いませんか? 私は神奈川で「工業」と言われたら、すぐに「鶴見工業」を思い出しますが…。
 ちなみに、山梨学院大附属のことは「学院」。東海大甲府のことは「東海大」と呼んでいました。東海大はいいとして、「学院」というのもなかなかスゴイ。○○学院ってほかにもありますし。。
 でも、こういった呼び名は地元の方が呼ぶからこそ、いいんだと思います。部外者といったら変ですが・・・、県外の人が気安く「工業」と呼ぶのは何か違うような気が勝手にしています。たとえば、群馬の前橋高校は地元では「マエタカ」と呼ばれているようですが、やっぱりそれは地元にいるからこそ呼べること。全然関係ない人が「マエタカ」と呼ぶと怒られそうな気がしませんか?

 話が野球から逸れますが、「アイロンをあてる」の「あてる」って関西の言葉ですか? 関東では「アイロンをかける」? 我が家は両親が神戸と西宮の出身なので、「アイロンをあてる」という環境に(?)普通に育ってきたんですが、ついこの間「それは関西の言葉じゃないの?」と指摘されました。で、これもネットで調べてみると、どうやら大阪弁らしいんですが、本当ですかね…?

 最後に山梨県勢のセンバツでの成績を調べたので紹介します。何気に強い山梨県勢! 甲府工業が17年前にセンバツ出場してから、01年の市川まで、何と初戦敗退したのはわずかに1校。優秀な成績を残しています。水野隼人、三森祥平の二本柱と、中学時代シニア世界選手権日本代表で4番を務めた村田郷率いる甲府工業に注目!

<2001 市川>
2回戦 ○ 5−2 神戸国際大付
3回戦 ○10−1 高知
準々決 ● 1−9 仙台育英
<1999 市川>
1回戦 ○ 2−1 鳴門工
2回戦 ○ 8−3 駒大岩見沢
準々決 ● 2−4 沖縄尚学
<1998 日本航空>
1回戦 ○ 4−3 仙台育英
2回戦 ● 4−8 徳島商
<1997 日大明誠>
1回戦 ○ 4−1 豊浦
2回戦 ● 0−5 報徳学園
<1994 山梨学院大付>
1回戦 ○ 7−1 掛川西
2回戦 ● 1−9 桑名西
<1991 市川>
1回戦 ○ 3−1 浪速
2回戦 ○ 3−2 宇都宮学園
準々決 ○ 3−1 桐生第一
準決勝 ● 1−4 広陵
<1991 東海大甲府>
1回戦 ● 1−2 坂出商
<1990 東海大甲府>
1回戦 ○ 7−1 日田林工
2回戦 ○ 5−3 享栄
準々決 ○ 4−3 鹿児島実
準決勝 ● 4−5 近大付
<1988 東海大甲府>
2回戦 ○ 4−3 東洋大姫路
3回戦 ○ 5−2 函館大有斗
準々決 ● 1−5 桐蔭学園
<1987 東海大甲府>
1回戦 ○ 4−3 大成
2回戦 ○ 1−0 滝川二
準々決 ○ 4−0 熊本工
準決勝 ● 5−8 PL学園
<1987 甲府工業>
1回戦 ○ 6−1 松山北
2回戦 ○ 2−1 明野
準々決 ● 0−9 池田



2004年01月20日(火) 神奈川県指導者講習会(1)

 1月17日、相模原市の東林中で神奈川県指導者講習会が行われた。中学校の野球部の先生を対象にした講習会で、毎年この時期に開催されている。講師は日本ハムで16年間プレーし、現役引退後は6年間、日本ハムの守備走塁コーチを務めた嶋田信敏さん。嶋田さんは横浜市の中学出身で、高校は日大藤沢。そんな縁もあり、今回の開催に至った。

 雪の降りしきる中行われた今回の講習。さすが元プロ野球選手…、指導の引き出しの多さにはびっくり。いくつか印象に残ったことを紹介します。

.ャッチボールで大切にしていることは?

 と、参加している指導者や生徒に問いかける嶋田さん。私も心の中で、「ヒジを上げろ」「相手の胸に投げろ」などと考えていたが、嶋田さんの答えは意外なものだった。嶋田さんの考える大切なことは「グローブの芯で捕る」こと。グローブの芯で捕ると、次の動作(スローイング)も必ずうまくいくという。これは嶋田さん自身が、ヤンキースに留学したときに、向こうのコーチから言われたことだ、と話していた。

▲◆璽狹蠅欧鯆召垢砲蓮

 キャッチボールの最中、嶋田さんの口から何度も出てきたのが「そんなんじゃ、ロボットになっちゃうよ」という言葉。ヒジを上げろだとか、ボールを前で離せだとか、そんなことばかり気にしていると、ロボットのような動きになってしまうと。
 「テイクバックを小さく、なおかつ素早い腕の振りにする効果的な練習方法を教えましょう」と言って、紹介したのがいかにも原始的なやり方。それは、自分の目の前に「蚊」が止まっていると考えて、その蚊を殺すにはどうするか、という方法。ボールをリリースする位置に嶋田さんが手を置き、「ほら、ここに蚊が止まってる。これを殺すにはどうしたらいい?」とモデルになった生徒に問いかける。生徒は典型的なアーム投げだったが、目の前の蚊を殺そうとすると、自然に後ろが小さくなり、手が耳の近くを通るようになった。
 「これはプロ野球の選手にも使えるんです」と話す嶋田さん。蚊を逃がすまいと思えば、自然に無駄のない動きになり、リリースだけに集中できるという論理。
 
スピードを上げるにはどうするか?

 もうひとつ「原始的な方法なんだけど…」といって紹介されたのが、投手のスピードをアップさせる練習方法。
 「キャッチャーの後ろでスピードガンを持って、『こんなスピードじゃ、プロにいけないよ!』っていえば、1キロや2キロ簡単に上がります。ピッチャーもムキになって、どんどん腕を振るようになるから。社会人で145キロとか投げていたピッチャーが、プロに入って140キロにも満たなくなる場合があるでしょう。あれはフォームのことばかりを気にして、ロボットになっちゃうからですよ」
 
ぅ丱奪謄ングの基本は?
 
 こちらは東林中の生徒に質問。佐相先生の教えが完璧に行き渡っていることを証明するかのように、「ヘッドの角度」「右ひざの送り」「右ヒジの使い方」など、技術的なことを回答。でも、嶋田さんの答えは至極明快でありながら、意外なものでした…



2004年01月16日(金) ランナー三塁エンドラン(2)

 佐相先生は大沢中に赴任した頃(1980年代後半)、知り合いからこんな話を聞いたという。
「川崎市水道局の軟式野球部が三塁エンドランをやっていたよ」
 川崎市水道局は神奈川では強豪チームのひとつ。その話を聞き、は「三塁エンドラン」への取り組みを始めた。もともと、スクイズが好きではなかった佐相先生は「打つことで点が入るエンドランの方が、子どもたちも面白いだろう」と考え、取り入れることを決めた。
 結果、大沢中で全国ベスト4に入り、東林中でも全国レベルの強豪チームを作るまでになった。ランナーが三塁に行くと、すでに佐相先生の作戦を熟知している相手チームの先生は、バッテリーに一球一球サインを送る。このベンチ同士の駆け引きが非常に面白い。

 92年大沢中が全日本でベスト4に入ったとき、私も中学3年生で横浜市の港南台第一中で野球をやっていた。大沢中が優勝した春の神奈川大会には、うちの中学も出場しており、決勝まで行けば佐相先生と対決するチャンスがあった。まぁ、初戦で負けてしまったが。といっても、その頃は佐相先生も大沢中も知らず…どこが強いかすらも分からなかった。
 そんな我が中学も、じつは三塁エンドランをやっていた。失敗はほとんどなかったように思う。私が中学1年のとき(1990年)、岡田充先生という方が新しく野球部の監督につき、その先生が三塁エンドランを得意の作戦としていた。そのため、中学野球にデビューしたときに、すでに三塁エンドランを当たり前のように教えられた。スクイズはほとんど使わなかったように記憶しているが、このサインを出されると、どのサインよりも緊張した。何せ、自分が空振りしたら、三塁ランナーはほぼ100%の確率でアウトになる。だから、どうしても当てなければならない。しかも、バットを振って当てなければいけないから、バッティングが苦手だった私にはドキドキのサインだった。

 さて…1990年に岡田先生がすでに三塁エンドランを使っていたとなると、92年の全日本で大沢中が披露するよりも前に、神奈川県内で取り入れていた先生がいたことになる。しかも、岡田先生は、「セーフティーエンドラン」だった。つまり、キャッチャーがウエストしたら、三塁ランナーはスタートしない、という作戦。単純なエンドランとは違った。
 岡田先生に当時の真相(?)を聞きたいのだが、当時は鬼のような先生だった。卒業してから一度も会ってないうえ、今は野球から離れているということで、非常に聞きづらいし会いづらい。神奈川県内では多くの先生方にお会いしお世話になっているのに、母校の先生とは付き合いがない、というのはちょっとおかしな話。。

 そもそも、エンドランという作戦自体、いつ頃生まれたものなのか。勝手な推測だが、三塁エンドランはエンドランが生まれた当時には普通にあった作戦で、それがリスクの高い作戦と分かり、三塁エンドランはどんどん消滅していったのではないだろうか。残ったのが、一塁や二塁にいるときのエンドラン…だと推測しているのだが。

 この三塁エンドラン。「高校野球では使うことはないから、中学で教えても上では通用しない」と使わない先生もいる。

 



2004年01月14日(水) ランナー三塁エンドラン(1)

 軟式野球には独特の作戦がいくつかある。その代表的なものが「ランナー三塁エンドラン」だ。ノーアウト、あるいは1アウトで三塁に走者がいるとき、エンドランを仕掛ける。もちろん空振りしたら、失敗の確率は高い。だが、硬式野球ほど、鋭い変化球がないので、そうそう空振りするケースはない。また、軟球は硬球と違いバウンドが大きく弾むため、内野に転がせば高い確率で成功する。中学野球でもこの作戦はもちろん使われている。地区大会でも全国大会でも、多くのチームが当たり前のように使う。

 では、中学野球において、「三塁エンドラン」を最初に取り入れたのはどの先生なのか(じつは、いま一番興味を持っていることなんです)。
 全国大会で最も早く使ったのは、当時大沢中の佐相眞澄先生(現東林中)だと言われている。1992年に行われた第9回全日本少年軟式野球大会(以下全日本)に開催地・神奈川代表として出場した大沢中は、のちに桐蔭学園で甲子園に出場した石野(現日石三菱)らの活躍でベスト4入りを果たした。大沢中の活躍を伝える当時の神奈川新聞を読むと、「ランナー三塁エンドラン」について驚きをもって書かれている。
 スクイズ警戒で前進守備をする内野手をあざ笑うかのように、打球は頭上を越えた。加えて、全日本の会場は横浜スタジアム。「軟球と人工芝」という弾むにはこれ以上ない環境も手伝って、エンドランがはまりにはまった。

 現在、横浜市中体連の野球専門部長を務める榎屋剛先生(鶴ヶ峰中)は大会役員ということもあり長い間、全日本を見続けている。昨年は横浜市の選抜チーム・横浜クラブの監督も務め、準決勝にまで進んだ。その榎屋先生も「全日本で最初に三塁エンドランをやったのは、大沢中のときの佐相先生だと思うよ」と話す。生で大会を見てきた先生だけに説得力がある。

 佐相先生に聞いても、「全国大会で最初にやったのは自分」と自信ありげに話す。では、佐相先生はこの作戦をどこから取り入れてきたのだろうか。



2004年01月10日(土)

 先日、横浜市の中学校で話しをする機会があった。約40名の野球部員を前に、これまでの取材で得たこと感じたことなどを喋った。
 
 顧問の先生からは、3ヶ月ほど前から、「何か話してくださいよ」と頼まれていて、それを曖昧な返事で伸ばしてきた。理由は、人前で話すのが苦手なことと、、まだ人前でいっちょまえに話をするほどの力がない、ということ。でも、先生の熱意、というか押しに寄り切られ、年明けに話をすることが決定。そのため、年末年始は、何を喋ろうか、何を喋ったら中学生のためになるのだろうかと、苦悩の日々。まぁ、直前には「どうにかなるだろう」と完全に開き直りモードになったんですが。。

 今回話をして思ったのは、人前で話すのは自分の勉強にもなる、ということ。自分の考えなどを言葉に出すことで、足りないものが分かるし、改めて考えがまとまったりもする。こんな感じをどっかで味わったなぁと思っていたら…、就職試験の面接に似ている。面接って、終わるたびに、後悔の連続。あそこをもっとこう喋れば良かった、準備が足りなかった…そんな後悔が続く。面接で話している最中に、「あれ、おれなんでこんなこと喋ってんだ」と思うこともよくあった。自分の言いたいことと、実際に話していることが違う…。

 で、面接って、あの雰囲気がイヤ。まず、面接が上に進めば進むほど、面接官との距離が広がる。あの距離感が遠くにいけばいくほど、その間に流れるイヤ〜な空気が何ともいえん。1次面接のように、小さな机をひとつ挟んだくらいの距離なら、そんなにも緊張しないのだが…。そもそも、面接って、互いに正面を向いてやる。これが非常にツライ。お店のカウンターのように、隣に座っての面接なら、多くの人がリラックスしてできると思う…。まぁ、でも、社会に出てプレゼンや商談するときは、面と向ってやるので、それに慣れなくてはいけないんですけど。取材も一緒ですね。

 そんなことを考えながら……。
 中学生の前で話をした日の夜は、横浜で新年会があり、とある強豪私学の監督さんが、こんなことを話していました。
「選手を自分の正面ではなく、自分の隣に立たせて話をするようになってから、良い結果が生まれるようになった」
 選手も監督に面と向って何かを言われるよりは、隣で肩でも抱かれながら、アドバイスをしてくれた方が受け入れやすいのでしょう。すごく、よく分かる。合コンでも…、真正面に座った人よりも、隣に座った人を落とす可能性の方が圧倒的に高いと言いますね、はい。

 そんなわけで、無事に終わった初講演? 教室でやったんですが、さすがに40人もの目が自分を見ていると、ドキドキしてしまいます。いっつも、そんな状況で授業をやっている先生はすごいなと思いました。

 質問コーナーもあったんですが、そこで出た多くの質問が「相模原はなぜ強いのか?」「全国のレベルはどんなものなのか?」など…、他地区の野球についてでした。
 だからということではないんですが、なかなか目にする機会が少ない中学校野球の写真を公開することにしました。現役選手、あるいは先生方が見て、「これはすごいなぁ」、あるいは「なんだウチのピッチャーの方がいい投げ方をしてるぞ」と思って頂いたり、何かを感じてもらえれば嬉しいです。



2004年01月03日(土) 箱根駅伝

 昨年の1月2日は、国立競技場で大学ラグビー準決勝の取材。一昨年の1月2日も同じく国立へ。そのため、箱根駅伝・往路は花の2区の途中までしか見れませんでした。
 箱根駅伝は、小学校の低学年頃から、ず〜っとテレビで見続けてきて、いまでも正月一番の楽しみです。楽しみを味わうため、2日3日は予定を一切いれません。往路は1区から、復路も山下りから見るため、スタートする8時前には必ず起床。普段、休みの日は昼頃まで寝ているのに、箱根駅伝の日だけは特別。家族の誰よりも早く起きます。

 今年は大学ラグビーの取材がなかったため、往路も復路もすべてテレビで見ることができました。本来ならラグビーの取材がなくなったら悲しむべきことなのかもしれませんが…、箱根だけはテレビで見たいんですよね。「テレビで」ってところが結構重要で…。大学生の頃、家族で権太坂近くに行き、初めて生観戦したんですが、あっという間にランナーが走り去ってしまって、「え? もう終わり?」って感じだったんです。レース展開も分からないし。その年以来、「箱根駅伝はテレビで見た方が面白い!」と決心しました。
 でも、今大会は知り合いが何人か箱根を生観戦したようで…、ちょっと羨ましいなと思ってしまいました。来年あたりは、「生で見たい!」と思うかもしれません…。

 今年の箱根駅伝を見て気付いたことは、アンダーアーマーを着てる選手がかなり多かったことです。去年もチラホラいたと思いますが、今年ほど多くはなかったはず。とくに往路の選手に目立ったような気がします。
 アンダーアーマーは箱根だけでなく、高校ラグビーでも目につきました。野球界で浸透し始めたのは2〜3年くらい前ですかね? 箱根にもラグビーにも…すごいですね。これだけ着ているということは、選手自身がそれなりの効果を感じているのでしょう。

 あと、箱根駅伝といえば「襷」です。その襷でいつも思うんですが、襷を中継所で次の選手に渡すとき、片手で渡す選手がいます。それを見るたびに、「両手でしっかりと襷の端っこをもって、丁寧に渡しなさい!」と思ってしまいます。片手でぐちゃぐちゃにした襷を、そのまま渡す選手がいると、受け取る選手が襷を落としてしまうんじゃないかとハラハラしてしまいます。って、20キロ以上走って、疲れている選手に、襷の渡し方まで要求するのは酷?

 400メートルリレーや800メートルリレーだと、バトン練習をしますが、箱根で「襷練習」ってするんでしょうか? しないですよね…。テレビを見てる限りでは、襷の掛け方の練習はしているように思うんですが。過去にニューイヤー駅伝を見ていたとき、駅伝経験が浅い外人
選手が、襷をうまく掛けられなくて、かなり走りづらそうにしていた記憶があります。
 
 毎年思います。9区や10区になると、「あぁ、これで今年の箱根駅伝も終わるんだ」と。正月の終わりを告げます。あんなに楽しみにしていたのに、ゴールが近づくと、どんどん寂しくなっていくのです。
 同じく「箱根駅伝好き」の某編集者さんは、「箱根駅伝が終わると、正月休みも終わり…という感じです。夏の甲子園の終わりに、夏休みの終わりを感じていた、高校生までと似たような気持ちですかね」とメールを下さいました。まさしく、その心境です。
 箱根や甲子園。余韻が残るのは、閉幕した翌日まで。翌々日になると、サーッと波が引くように、何も残らなくなるような気がします。

 そんなわけで、今年は3年ぶりに10区丸々テレビの前で見ました。ヒマなやつです。しかし…巨人戦では見ているだけで、聴いているだけで、腹立たしくなる日テレですが、箱根駅伝だけはちゃんと伝えてくれます。絶叫することもないし…。
 でも、そんな日テレにひとつだけ注文です。もうここ何年も中継車が「第三」までしかないんですが、中継車を増やすことはできないんでしょうか。連盟や警察車両との関係で、難しいんですかね。参加学校数も増えたことだし、中継車3台だと、チェックポイントと中継所でしか映らない選手が多いんですよね。バイク車をもう1台増やしても良いんですが…。予算がない?

 来年の箱根駅伝まで、約350日待たないといけません。長いです。
 というわけで、今年も箱根駅伝で1年がスタートしました。今年もよろしくお願いします!


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