sakuraの日記
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2003年10月30日(木) 自己嫌悪

自分のあさましさと醜さに嫌気がさした。

貪欲なわたし。。。

我慢の出来ないわたし。。。

ずるいわたし。。。

あぁ〜、いやなとこばっか。

決断力もなければ、勇気もない。

思い切りも悪い。

あぁ〜、なんて、歯切れが悪いんだろ。

一番嫌いなものが自分の中にある。

なりたい自分に、なかなかなれない。

親の愛情という名の元に、縛り付けるのはもうやめて。

依存心の強いわたしは、そうやって作られたんだ。

こんな年になっても、依存心が強いのなんて、なんの自慢にも

なりゃしない。

もっと、自分を好きになりたい。けど、なれない。

わたしを無能扱いするのは、やめて。

欠点が多くたって、私にだって、いいところはあるはず。

どんなに愛してくれてても、どんなにいいものを与えてくれてても、

本当に育てて欲しかったのは、自尊心。

私には自尊心が欠如している。

親の愛の名の元に、何も出来ない私に不足しているものを、与え続けて、

やっぱり、自分では何も出来ない事を思い知らせてきたから。

私はどんな小さな事でも、自分には出来ないと思い込んで育って来た。

今でも、あまり、自信が持てない。

幼少期の経験は、生涯に渡って、尾を引くものなんだと、思い知らされている。

この年になって、あぁ、私にもほんとは出来たんだって、気が付く。

でも、過去のその時に、私には出来るんだって、そう思いたかった。

親の愛って、怖い。

子どもをいかようにもしてしまう。

良くも悪くも、そこに生まれてしまったのだから、仕方がない。

親として、するべき事もして、愛情もしっかりと与えてくれてるとは思う。

その事には、感謝してる。

でも、子育てって、難しいものなんだろうな。

私はまだ、親になってないから、具体的には分かってないかも知れないけど、

でも、子どもは育てられ方を選べない。

今さら言っても仕方がない。

頭ではわかっていても、なかなか前を向けない。

あるいは、前を向いていても、結局、また、同じ目にあっている。

心から、子の成長を喜ぶ部分と、足を引っ張る部分が親にはあるのかもしれない。

親が子に注ぐ、無償の愛って、どんなだろう?

保護すべき部分と、放任する部分の微妙なバランスがなかなか取れないもの

なのかもしれないな。

でも、子が感じている、そういうデリケートな部分に気が付かないって、

ある意味、気楽でいいよね〜

そんな気に私もなりたいわ。

今は親が年取った分、こっちが、また違う悩みがあるよね。

心の中までは見えないもんね。

どうやって、脱皮するかな。。。わたし

ほんとに、決断力ないのは、こういう時困る(-.-)


2003年10月16日(木) さんま

庭に出て、七輪でさんまを焼いて食べる。

最近、これにはまっている。やっぱ、炭火は味が違うわ。

最初は、さんまが火事になって、ほとんど、焼死体状態だったけど、

二回目からは、学習して、ほんとに、ジューシーに美味しく焼けるようになって、

我ながら、うっとりとするような美味しさだ(*^^*)

で、今日も、注文していたさんまが届いた。

しかし、今日はいつもと事情が違う。

昨日から、縁の下に居着いているクロネコがいる。

さんまなんか焼いたら、寄ってきて横取りされるんじゃないかと、

心配して、ちょっと、場所を変えて焼く事にした。

そしたら、シャイなノラネコのくろちゃんが、物陰から、

じっとこちらを見つめている。

警戒心の強いくろちゃんは、1.5m以上は決して、私に近づかないから、

ほんとに、熱い視線を私に送ってくる。

きっと、すご〜〜く、美味しいにおいを嗅ぎ取って、

来てるんだろうな(~o~) 可哀相だけど、こんなうまいものを、

くろちゃんにあげるわけにはいかない(~_~;)

私の食べ物でございます。

そして、くろちゃんのアツ〜〜イ視線を浴びながら、

さんまを焼き上げ、家の中で美味しく頂きました。

網にくっついた、かけらくらいは庭に残してきたけどね。

それにしても、第3のクロネコは、ほんとに、縁の下に居座るつもりかもしれない。

今日の日中、ず〜〜っと、うちの庭にいたみたい(^_^;)

なんか、いやぁ〜〜〜な予感が・・・・・(-.-)


2003年10月15日(水) 第3の黒猫

植木の水遣りをしていて、視線を感じて、ふと後ろを振り返ると、

そこに、黒猫が・・・ 私を見ていた。

いつものくろちゃんが餌を待っていたのかな?

「くろちゃん、もう餌、入れたよ〜 遅くなってごめんね〜」

そう言って、くろちゃんの方に向きなおして、しゃがみこんだ。

1.5mほどの距離があっただろうか。

その距離がくろちゃんに近づける限界の距離だった。

ちょっと、瞳の色が今日はきみどり色だなぁ〜なんて思ってみていると、

くろちゃんは、「ニャァ〜〜」と言いながら、どんどんこっちに歩いてくる。

「え?なんで?いつのまにそんなにおしゃべりに、フレンドリーな子に

なったの???(@_@)」

何を話し掛けても、兄弟とじゃれている時でも、決して声を聞いたことなど

無かったのに???

あれぇ〜〜 私の膝にスリスリ〜〜〜

「あっ、しっぽが曲がってる!! くろちゃんじゃないっ!!」

「しかも、メスだ。」

なにぃ〜〜、このコ第3のクロネコなのぉ〜〜(>_<)

どうも、どこかで飼われていたのか。

私に愛玩するように、膝の上に乗っかろうとする。

やばいよぉ〜〜(^_^;)

まぁ、とりあえず、餌だけはあげる事に。。。

しかし、どうも、このコはうちの縁の下に住まいを構えたらしい。

洗濯物を干しに下りても、庭の水遣りに下りても、必ず見える場所に

座っている。

また、どこかにふら〜っと出て行くかもしれない。

でも、ま、それまでは、餌くらい食べていったらいいよ。

くろちゃん兄弟と第3のクロネコ。

ややっこしいったら、ありゃしないっ(>_<)


2003年10月01日(水) 友情

男女間の友情は成り立つか?

こういう議論をかつて、男女よろずでした事があったかもしれないけど、

私には一人だけ、親友と思っている男友達がいる。

19歳の時に出会った彼とは、価値観も好みも似たところがあった。

入った学校は別々だったので、その後は会うと言っても年に一度くらいで、

後は、手紙と電話をたまにかけるくらい。

今みたいに、メールや携帯なんてなかったか、まだ、普及してなかった

から、そういう付き合いだった。

でも、どんなに間が開いても、変わらない付き合いが続いていたし、

電話で話せば、話しが尽きないくらい。

お互いに、恋人が出来た時も報告しあったし、心を許して、なんでも話せる友達

だった。

一年に一度は必ず会おうねって約束して、毎年、一度だけ会ってたっけ。

私がJWになってからは、一応、傍から見ればデートに見えるかもと

気を遣って、家へ来て貰ったりして。

でも、20歳代後半の時、お互いにフリーだった時、ふいに彼が、

「こういうなんでも話せる関係で、結婚出来るのもいいもんかもね〜と

母が言ってたよ。」と私にほのめかすような事を言った事があった。

私はとっさに、「ん〜、確かになんでも話せるって言うのはいいんだけど、

トキメキっていうのが、私には必要なんだよなぁ〜」と言ってしまった(~_~;)

よく考えると、ちょっと失礼な事言ってしまったかもしれないけど、

彼に対しては、安心感や信頼はあっても、トキメキってのがなかった。

あ〜、彼に会えるんだわっ!ドキドキとか、

今度、いつ彼に会えるのかしら?とか、

そういう気持ちが恋愛には必要だと思ってる。

そういうのは、感じなかったんだな。

ほんとに、彼はしっかりしていて、信頼できて、安心感のある人なんだけど、

ある種、保護者的なそんな感じの人、

トキメキ無しの結婚なんて考えられなかった。

でも、せっかく、いい友情を育んでるつもりでも、相手はそうじゃ無かったん

かなぁ〜?

やっぱり、男女間の友情って無理なんだろうか。。。

それからは、季節の便りはあっても、会う事はなかったし、

電話で話す事もほとんどなかった。

最近は、時々メールを交わすくらい。

その彼から、今日、急にメールが来て、結婚するって。

しかも、今月に。

もっと、早く言ってよねー

でも、なんとなく言いそびれてたって、それって、まだ、なんか

ある種のわだかまり持ってたのかなぁ?

そう思うのは、私の思い上がりかもしれないけど・・・

でも、独身仲間が減るのは寂しいけど、でも、今まで、家族の事では

苦労してきた彼にはほんとに幸せになってもらいたい。

彼が結婚しても、私達の友情を持ち続けるのは可能なんだろうか?

そういう心配が頭をよぎった。

彼とは一生の親友でいたいって、そう思うけど、

出来るかな? 奥さん、嫌がるかな。

もし、私が奥さんの立場だったら、どんなだろ?

男女間の友情を受け入れられるのかな。

あ〜なってもいないもんはやっぱりわからん(-.-)


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