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あるこのつれづれ野球日記
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2005年10月25日(火)
大家GMが、疎外感を癒してくれるのか?


 今更ですが、新聞っていい読み物だと思います。毎日、あれだけの量、あれだけ幅広いジャンルを扱う書物が他にあるでしょうか?というわけで、野球を中心にしながらも、新聞を読む習慣をつけようと思う今日この頃です。

 そんな新聞から見つけた記事で、大リーガーの大家選手が滋賀県高島市にクラブチームを作ることを知った。記事を読むと、彼が作りたい、作ろうとしているチームが、かなり理想的で、思わず感嘆の声をあげた。「都会ではないが、だからこそ(町と)一緒に成長していきたい」「40歳でも、16歳でもいい」「迷惑はかけれないが、選手がやんちゃをしても、農作業中のおじさんから叱ってもらえる親子みたいな関係になれば」。想像するだけで、今からワクワクする。

 野球を観ているときの疎外感。それがいつも私につきまとって、離れてくれない。最近知った疎外感を消す、というより紛らわす方法が、“取材”。気は遣うけど、疎外感は感じない。感じている暇がない。でも、5年近く悩んだあげく、この結論じゃあまりにむなしい。でも最近、練習試合に行くのが怖い。“オラがチーム”なんて幻想だ。そう思ってた。そんなときに出会った記事なので、希望の光がさしてきた。高校野球も、プロも救ってくれないなら、クラブチームしかないでしょ?

 かなり期待している私だけど、記事を見るとやはり“地元”“地域”と言う言葉が目立つ。やはりよそ者はダメか…とガッカリした。でも、HPを見ると、“地域の人々だけではなく、より多くの方に愛されるチームを創りたい“とも書いてあったので、ホッとした。



2005年10月24日(月)
ヒット


 職場に最近入ってきた期待の新人クンがいる。出来る子にありがちな偉そうな感じや、図々しさや、仕事を小馬鹿にしたような態度もないし、さわやか系で好感が持てる。(軽度な逆セクハラ進行中)。

 ある日、職場の先輩と彼について話していた。「あの子、久しぶりのヒットですね〜」と私が言うと、先輩は「ヒットどころやない。ホームランやわ」と返してきた。

 別の日にも違うメンバーと彼の話をした。「あの子、ヒットやね〜」というメンバーに対して、私は「ホームラン級っすよ」と口を挟んだ。すると、みんな「は?」みたいな顔をしてこっちを見た。「だから、ホームラン」、私はもう一度言い返した。「ホームランて」とみんなは首をかしげるので、「○○先輩が、ホームランて言ってたんですよ〜」といいわけをした。

 すると、メンバーの一人「それは○○さんが、あるこさんでもわかるように話しただけでしょ」とひと言。あっさり斬り捨てられた。何?私“でも”って…。
 



2005年10月22日(土)
やっぱし、雨女やんけ〜


 大分は今日も雨だった。当日早朝見た気象情報では、降水確率午前10%午後0%やったのに…。

 前夜、大阪梅田をバスで出発し、早朝に小倉に着いた。そのあと、電車を乗り継いで大分は別府まで。切符を買うとき、「特急券はいらないの?」「ホントに乗車券だけ?」と駅員さんに何度も確認された。

 今日のお目当ては。別府青山高校。この夏、ノーシードながら県内の強豪をいくつも破って甲子園に出場した学校だ。福岡県内の高校を招いての練習試合は、アナウンスつき。グラウンドもきれいで、とても雰囲気がよかった。校舎のある場所から階段を下りてグラウンドに入るのですが、入らずに階段の上からグラウンドを見下ろすと視界良好。階段の手すりにふと目をやると、若い女の子らしいかわいい丸字で、「甲しえんへゆくぞ」と書いてあった。

 ところがあいにくの悪天候。曇り6:雨3:晴れ1の比率でコロコロ天気がかわっていった。練習試合とあって、写真が撮りやすい状態ではあったけど、天気がそれを許してくれなかった。「よっしゃ、晴れ間!」と思ってデジカメを構えると、すぐ雲が…。今日は縁がなかったってことで、また来るとするか…。

 第一試合が終わったあと。撤収。電車に乗って小倉に向かっていると、天気が回復してきた。(途中、宇佐駅で駅の看板の写真を撮り逃す。津の次に撮っておきたいところだったのに)それだったらと柳ヶ浦駅で途中下車し、柳ヶ浦高校へ向かった。ところが、私が駅から一歩出た途端、雨雨雨雨…。引き返してもすることが何もないので、強行突破。ぬれねずみ状態になりながらも、ようやくグラウンドを見ることができた。この雨だから人いないだろうとすっかり気を抜いて、「へえ〜、思ったより狭いなあ」「幼稚園の遊具が背景になっているグラウンドなんて珍しいなあ」などと一人コメントをしていると、ネット裏でグラウンドを見つめている関係者らしき男性を発見。どうしていいかわからず、即逃げた。校内に入っていなくてよかった〜(外の道路から見てました)。

 再び電車に乗ると、また晴れてきた。もういい。諦めよう。小倉駅についたあと、バスの時間まで5時間強、ネットカフェで時間をつぶした。女の子の日やから温泉にも行けなかったし、行きも帰りもバスの中で前席の女が何も言わずにやたらとシートを倒してきたので、膝のお皿で懸命に戦ってテリトリーを守っていた(おかげでまだ膝が痛い)、今日の私はいったい何だったんだろう?全く何も見れなかったよりかはいいけど。




2005年10月21日(金)
だから、ファウルボールは怖いんだ。


 ファウルボールが飛んでくると、そのボールが目当ての観客がどわっと集まってくる。ダイレクトキャッチは歓声の対象だ。私も、人生で一度でいいからファウルボールを捕ってみたいと思ったことはある。でも、今はとても無理。なんたって、怖い。

 数年前、伊勢神宮のカウントダウンへ行った。伊勢うどんを食べ、準備は完了。私は、仮設された高台から投げられる餅をキャッチするため張り切っていた。新年の始まりを告げると同時に一斉に餅が撒かれた。私は、落ちてくる餅に焦点を合わせようとした。ところが、目の前に飛び込んでくるのは、肘肘肘…。どっかのおばちゃんの肘鉄がモロ目に入って、座り込んだ。すると、どっかのおっさんに腰のあたりをボンボン蹴られた。慌てて退散するしかなかった。家帰っておとなしく佐藤の切り餅でも食べてようと思った。

 この経験以来、ファウルボールをめぐる観客たちを見ると、あの痛さを思い出す。



2005年10月19日(水)
もう一つの平日の使い方

 
 今回2連休です。人に聞かれる前に言いますが、「仕事少なすぎ〜」。2日目の今日は、野球部の練習見学に(勝手に)行ってきました。このところ、プライベートでも職場でも“雨女疑惑”がふりかかっていただけに、今日は晴れてよかった!

 大阪に出て、南海電車に乗り換えた。南海電車にはかなり久しぶりに乗ったけど、電車もホームもどこか懐かしさを残っている。再びJRに乗り換え、ローカル駅に降り立ち、今日行く学校に向けて歩き出した。住宅街だったが、家の一階で店を営んでいるところがいくつかあった。自動車整備所、木工所、八百屋…。軒先で家主が作業で汗を流していた。

 10分ほどで学校に到着。グラウンドからは、バットの音がカキーンカキーンと聞こえた。事務所で挨拶をしたあと、グラウンドへ。対応してくれた先生が、私がグラウンドに来る旨を部員に伝えていたのか、外野にいた部員が小走りでやってきて、「どうぞ、あっちで見てください」とバックネット裏を指さした。あごに生えかけのヒゲがあったからか大人びて見えたが、その表情は満面に近い笑顔。今までこんな顔で応対されたことはなかった。何かいい事でもあったのかな(笑)?「ありがとうございます」と言ってネット裏に進もうとしたけど、どこを通っていいかわからない。笑顔の彼に案内してもらうことになった。彼に後ろをついて歩いた。一塁側ベンチ前では2,3人の選手がティーをしていた。彼は、「ここかネット裏にも椅子があるので、座って見てください」と言った。「ここ」と言ってさらりと指さしたのは、そのベンチの中。気絶しそうになった…。

 当然そんな場所にデンと座るわけにもいかないので、ネット裏へ向かった。木製で、緑のペンキが塗られて手作りのひな壇式スタンド。丁寧に足置きまである。そんなスタンドに一人の部員が座っていた。ストップウォッチ片手に、「ラストでーす!」とグラウンドにいる他の部員たちに向けて大きな声を出す。足の先がギプスで固定されていたので、故障中の部員だとわかった。タイミングを逃しスタンドの前でウロウロする私に気づいたのか、「よかったら、ここどうぞ」と自分の隣を指さした。私は言われるがままに腰掛けた。さすがに他に誰も座っていないのに、真横に行くのは何なので、2人分あけて座った。グラウンドでの練習をぼんやり眺めていた。ストップウォッチを手にした部員は、合間には大きなダンベルを両手のトレーニングをしていた。ハッハッという息づかいが聞こえてきた。

 ぼんやりと見ていると、すっかり日も暮れ、夜空に一番星が輝いていた。気づけばグラウンド内は夜間照明灯で照らされている。ネット裏やベンチ前でティーをする部員と外野を走る部員の二手に分かれた。この日、監督は会議で練習にでていなかった(先生らしき男性はいたけど)。そのためは、空気柔らかく、部員たちの談笑が耳に入ってきた。「あいつとつきあってんのか?」とか。

 そして、グラウンドの後方ランニング組の誰かが、「パ〜パ〜パ〜パラパラッパ〜」と応援曲(ヒットが出たときの曲)と歌い出した。彼の周りにいた部員たちはまばらながらも、「お〜」と小さく盛り上がっていた。ランニング中は、かけ声かごくごく小さい話し声しか聞こえないものだと思っていたから、そういう盛り上がりかたにびっくりした。すると、ホームベースの側でティーに励んでいた先輩と思われる部員が手を止め、外野に目を向けて、「おい、○○(歌ってた子の名前、○○て。ちゃんと走れや!」と、声を荒げた。思わず笑ってしまった。「ちゃんと走りぃや〜」と心の中で、声援を送った。



2005年10月18日(火)
人づて音楽


 ヘ・イ・ジ・ツ、フーーーー!
 というわけで、ともきちと平日休みを謳歌してきました。

 ともきちの地元の行きつけの焼鳥屋さんで、壊れる。2次会はカラオケ。最初はとりあえずって感じで最近の曲を歌うけど、落ち着けば、結局1995年に戻る。「いいねえ、世紀末の歌は心に響くわ」などと言いながら。もう何年も聞いてなくても、メロディーが流れてくると歌えるから不思議だ。

 もうすっかりカラオケに行かなくなった。でも、1995年の歌が今でも歌えるということはその時期によくカラオケに行っていたということだ。ひどいときは1日2回行っていたっけ?講義(当時は大学生)と講義の間に友だしと、バイト終わり先輩たちと、東山観戦の帰りにともきちと。場数を踏めば、父の音痴をまんま受け継いでる私でもどうにか格好だけはついた。それだけ何度も行っているのに、ドリカムの「LOVELOVELOVE」は一度も歌えなかった。それだけ大人気曲だった。(昨日の日記の続きではないけど、一人でカラオケ行ったことないな。行きたいとも思わんが)

 カラオケのいいところは、人が歌う曲を聞くことによって、より多くの歌を知ることができる点。友達が歌っていていい曲だなと思い、レンタルして、自分のMDにダビングしたり、自分もその曲を歌えるようになったりする。原曲を一度も聞いていないのに、歌うこともできる曲もできたくらいだ。こういう音楽を仮に“人づて音楽”と名付けて見る。野球から知った曲も多い。最近のヒットは、「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲。もともと歌い始めの♪さらば〜地球よ〜から多少は、読んでた漫画のパロディーで知っていた。けど、2姉妹の末っ子の私は宇宙戦艦ヤマトに興味を持つ事はなかった。初めて宇宙戦艦ヤマトのテーマを聞いたのが、2003年夏。東山の応援で使われていたのだ。最初何の曲か分からなかったが、前奏が終わるとすぐ分かった。私は、その前奏の虜になってしまった。う、宇宙戦艦ヤマトのテーマにこんな素晴らしい前奏があったとは!即携帯の着メロを落とした。メロディーを言葉でうまく説明できないけど、なんか「始まるぞー!」って感じで明るくて元気がいいし、ちょっと格式の高いクラッシックみたい(大げさか)。



2005年10月17日(月)
一人


 過去2回、東京にお笑い番組の収録を見に行った。収録内容はとてもよかったのだが、2回とも外でイヤ〜な思いをしている。それは、スタジオに入るため、整列して待機中のこと。

 1回目は姉と一緒に行ったのだが、姉が持っていた買い物袋(来る前にお台場で買い物をしていた)を見た若い女の子二人組がボソッと、「旅がてらかよ〜」。君ら、私がナイフを所持してなくてよかったね。元々人に干渉する(ああやこうや言う)人間は大嫌いだ。さらにその対象が姉となると猶腹が立つ。ああ見えても(ぽっちゃり体型)、気ぃちっちゃいねん。すごく細かいこと気にすんねん。ひどい喧嘩したら「死ね〜」(ごめん)って怒鳴ることもある(よい子は決してマネをしてはいけません)けど、他人が不用意に姉を傷つけるのは許せなない。

 2回目は一人で行ったとき。横の列にいたこれまた若い女2人がこっちを見て、「一人じゃ〜ん」。いい意味ではないのは口調や雰囲気でわかる。なんでそんなこと言う必要があるかな。姉がお台場で買い物してきたことも、私が一人で見に来ていることも、それがあなたにとって何かの災難になりましたか?ったく。大阪ではそんなことが全くなかったので、「東京ってところは…」とちょっと思ってしまった…(こんな子のいるところがたまたま東京だったってだけだけど)

 私は一人で行動することが多い。友達が少ないとか、人をつきあわせることもできない気の弱さとか、趣味はちょっと特殊とかそういう原因もある。でも、きっかけはともきちから勧められて読んだ唯川恵さんのエッセイだった。一人行動ができないと、やりたいことができなくなる。そういった趣旨のこと。もういい年した社会人。生活のペースが合わなくて当たり前。だから、友達の都合を待っていたら、したいこともできず、行きたいところにも行けずに年をとって死んでしまう。それはちょっと勘弁!と思った私は、一人で動くようになった。すでに一人デビューをすませたものは、野球観戦、旅行、お笑い、映画、喫茶店、ラーメン屋、牛丼屋、立ち食いそば屋、居酒屋。さすがにプリクラをしたことはないけど。もう一人が気にならなくなった。寂しいときはあるけどね。“一人初め”はたぶん野球だったと思う。最初は、おどおどしていたけど、もう今では、周りも前述したような目でみたり、そんなこと囁いたりしないし。…いや、もう感覚が麻痺してるだけかな?



2005年10月16日(日)
汗かき恥かきの時間


 初稿ゲラの見直しをしていた誤字脱字は校正の方に任せるとして、ルビや表現を変えた方がいいところなどは自分でないとわからない。

 前に、昔の自分が書いた文章を見直すなんて照れるよ〜なんて書いたけど、照れるどころの話ではない、恥ずかしい、まるで罰ゲーム。こんな文でよう本を出そうと思ったな。「ギエー」「イヤー」「オエー」。部屋で奇声を発しつつ、どうにか3分に1終了。あまりに辛さに残りは後日ってことで。

 記号やカタカナであちこちにある修正箇所。単純な字の間違いはありがたいとして、傍線の横に“方言ですか?”は衝撃!あと、何のこっちゃかわからん文もあるようで、黒鉛筆でやる気のなさそうな傍線が引いてあるだけのところもいくつか。お手上げって感じなんかな?今思い出しても恥ずかしい。

 やはりPCで書くのと、本に書くのとでは感覚が違うのだろう。OLの中に一人女子高生が入っていって、ギャル語(死語だよね)で話してひんしゅくをかっているようなもの。PCではなんてことなくても、本にしたらなんと恥ずかしいことか!PCで何十回、何百回書こうと、それは本で通用するわけではない。なんかうまく言えないけど、もっと本になることを意識して書いておくべきだったと大いに後悔。

 でも。とても本に出来ないようなくだらないこと書くのって、最高に楽しいんだよね。



2005年10月15日(土)
声を大にして言いたい!


 野球に関係ないことなんて、何ひとつないんです。その人が野球の人で或限り。

 今日、私はこれを言いたいですね。前々から思ってはいましたが、今日は訳あって言わずにはいられないのです。野球の人というのは、もちろん野球選手だけではありません。指導者や関係者、野球に絡む仕事をしている人、そして図々しいけど私のようなファンだったその一人。

 すべては野球につながる。練習中、試合中はもちろん、自分の出ていない試合を見ているとき、勉強しているとき、仕事をしているとき、食べているとき、寝ているとき、恋をしているときだって。野球の人がしている生活。それでだけでもう野球と関係がある。屁理屈をこけば、関係ないという関係がある。“静寂を聞く”、“ゼロという数字がある”と同じで。

 こんな思考回路を持ったのも、やはりこれ(野球日記のこと)をやってきたからだろうなあ。さすがに無理矢理やろっていう展開ばっかを繰り返して今に至っている。そのうち、“野球のことが書かれていないことが書かれた野球日記がある”などと言いかねないので、あしからず。



2005年10月14日(金)
ある意味バカップル


 先日、高校野球三重大会にうつつを抜かした私は、相方を怒らせてしまったようで、しばらく連絡がなかった。さすがに愛想つかしたかと思ったが、先週末に何事もなかったのごとく電話がかかってきた。これから始まる日本シリーズのことを熱く語り始めた(話の大半がチケットをどうするかってことだったけど)。

 「チケットのこともあるし、休みも(電話をかけるために)会社に行かなあかんねん。だから(会うのは)変動的になるけど…」。受話器の向こうからすまなさそうな声。

 むろん、私の気持ちは晴れ晴れしていた(!)。「かまへんかまへん〜。私も野球あるし。東海大会とか練習試合とか。(試合が)なかったらどっかグラウンドにでも行ってる。ええようにやっとくさかい。」

 「野球が終わったら、会いましょう」。そう言って電話を切った。

 世界広しといえど、野球に集中するために会わない男女(ペットと女)がどこにいる?! 勉強や仕事ならわかるけど。



2005年10月13日(木)
♪誰もおまえを止められない〜


 他府県の試合を見に行くようになって思ったのは、桧山のヒッティングマーチが結構使われているということ(他はたまに和田や八木があるくらいかな?)。てっきり関西ローカルかと思っていたけど。きちんと歌詞つき。桧山のところに、各々の選手名を入れる。せっかくメガフォンを持っているし、是非振り付けも!などと思う私(笑)。

 ところが、耳をすましてみると、♪誰もおまえを止められぬが、♪誰もおまえを止められないになっている。確かここは、“ぬ”だ。“ぬ”のはず。たぶん、“ぬ”やろ…。聞けば聞くほど自信がなくなってきた。帰宅後、部屋のはってある歌詞カードを見て、「やっぱり、“ぬ”やんな」と確認するも、また球場へ行けば、“止められない”。帰宅して、再び歌詞カードを見…。

 これは、ファンの間でももめるところで、昔レフトスタンドの看板に桧山の歌詞が落書きされていたのだのだが、その上に別の誰かが書いたあとがあった。元の歌詞は“止められない”になっていた、別に誰かが“ない”の上に大きな×印をつけ、その横に“ぬ”と書き直していた。“止められないと違うんじゃ、止められるやボケ”という乱暴な走り書きと共に。相当怒っている…。甲子園にいても、最近まで、“止められない”の声が聞こえていた。

 もちろん、高校野球の応援は阪神のソレとは違う。歌詞が違っていてって、とやなく言われる筋合いはない。



2005年10月12日(水)
お嫌いですか?


 阪神がセ・リーグ優勝を決めた次の日だったと思う。仕事先の店舗で、関係者3人が野球の話をしていた。優勝のおかげで新聞の発注量が並みではなく、陳列するのに1時間ほどかかったとか。野球で仕事が大変になる。その中の一人がぼやいた。「だから、オレ野球嫌いやわ」。すると別の人が「オレもプロはあんまりや。でも、高校野球は好きや」。残りの一人も、「○○さんもですか!僕もなんですよ〜。地元の高校が出たら燃えますよね〜」。「そうそう、でも、地元の学校が負けたら全然見いひんようになるなあ」、野球嫌いの人を取り残して二人は盛り上がり始めた。ところが、野球嫌いの人はこう言って空気を切り裂いた。「高校野球なんて特に嫌いや。大嫌い。だいたい雰囲気がやあ…」とあれこれ語り始めた。高校野球好きの2人は、「そうかあ?高校野球おもろいやん」と独り言のように言うだけ。私はいたたまれなくなった。

 久しぶりに目の前で露骨な高校野球批判をされた。人それぞれが持っている価値観の尊重、それが大人にプライベートにはあるように思うだから、好きなもの同士が集まればいいので、嫌いな人の声を聞く必要が久しくなかった。あらためて、嫌いな人もいるんだと痛感。

 最後に、「高校野球が嫌い」を聞いたのは、高校生のときだった。放課後どこかの部屋で友人数人と先生(とにかく担任ではない誰か。担任は高校野球が好きだった)と話をしていたときのこと。私は、自分が高校野球が好きなことを話したのだが、その時の先生がポツリとひと言。「僕は、嫌いやわ…」。若い私にしては冷静に、「なんで嫌いなんですか?どこをどう直せば好きになりますか?」。まるで終焉を迎えつつあるカップルにようだ。先生は、「ベンチの中に大人がいるのが気にイラン。サインとか出すやろ。大人の指示に従うだけで何が高校野球や」と熱く語ってくれた。これにはひとつふたつ反論したかったが、ま、それが目的ではない。当時の私にして冷静だった。ベンチに大人がいない野球を観てみたいと思ったのもあるけど。

 今日、テレビで「吹奏楽の旅2005」を見た。日々の鍛錬とか感動とか涙がやはりここにもある。いいもんだ。が、画面を見ていてふと思った。コンクールの指揮って先生がするんですね。高校野球以上に大人がいるじゃないか。先生、もちろんお嫌いですよね(笑)。



2005年10月11日(火)
スコアリング療法


 「辻内が19奪三振やって」「延長15回で再試合になったよ」「ノーヒットノーラン見れたわ〜」

 友人知人からそんな声を聞くと、いてもたってもいられなくなる。「ああ、見たかった」というより、「スコアつけたかったなあ」という思いの方が強い。世界でただ一つの試合。今自分が見ている試合だって2つとない尊いものだ。頭ではわかっているけど、やっぱりつけてみたい。ノーヒットノーラン、完全試合、延長15回再試合…。ありがたいことに、大逆転の試合は何度かつけたことはあるけど。

 そんな私は逆に野球観戦の機会を狭めてきた気がする。まず試合開始に間に合わなかったら行かないし、屋根無し球場で天気の悪い日は行かなくなった。スコアボードのないグラウンドでの試合も疎遠になりつつある。それはいいか悪いかは(たぶん悪い傾向だなあ)わからないけど、スコアをつけることは私にとってある療法に役立っている。

 それは早とちり。 
 社会人としての私がダメなのは、このせいかもしれない。他には思いこみ、勘違い。下手なくせに上の人の顔色をうかがったり、空気を読もうとしておこす行為。とにかく怒られなくないのだ。スコアをつけてても、早とちりが多く、審判の判定を待たずに、「こうだろう」と思い記入したものが違い、紙がグチャグチャになる羽目に。下書きとはいえ、より完璧な下書きを望んでいる(だって、他の人の見ていたらたいていきれいやもん)私、これではいかん。そこで、状況確認(イニング、アウトの数、ランナーの人数と位置)を意識してすることと、審判の判定が出るまでペンを進めないことを決めた。これが今多少の効果を生み始めている。



2005年10月10日(月)
ワビサビの時間


 たとえば、書道においてはすすりで墨を擦っているとき、茶道で言えばお茶をたてているときなど何かの準備をしているときの行為は静かで、それぞれに意味があって、それで心を落ち着かせる。ワビザビだなあと思う。

 野球でいうと、グラブのケアをしているときがソレだと思う。練習や試合しか見ない私は残念ながらその光景を目にすることはあまりない。たった1回見たそれは、某大学野球部のグラウンドに行ったときのこと。グラウンドをぐるっと散策していると、ベンチに腰掛けて、キャッチャーミットを磨いている選手が一人。自分のメニューが終わったのだろうか。穏やかな顔つきで、丁寧に時間をかけてやっていた。試合や練習以外で、こんなにいい表情をする選手っているんだ!私はじっと彼を見ていた。

 あとで人から聞いた話。『その選手は甲子園の経験者で、力はまああるけど、優しすぎる性格。人を押しのけてまでレギュラーになるなんているタイプじゃないですね』



2005年10月09日(日)
和歌山デビュー

 
 近畿で唯一公式戦を見た事のなかった和歌山県。ついに初観戦できました。試合開始は、ちょっと遅め(学童野球の開会式のため)の11時。電車&バスの接続もバッチリ。側にはスーパーもあり、もう神が降りてきたって感じでした。地元から電車で2時間強。実は、福知山より近いんです…。

 会場である紀三井寺球場に着いたのは、10時ちょっと過ぎ。すでにたくさんの観客でにぎわっていた。屋根のある場所は、空席あとわずかって感じだったので、おじさま方をかき分けてどうにか席を確保。はよ来てよかった。スコアボードの調子がよくないようで、最初はあれこれ苦戦したけど、どうにかスコアリングも楽しむことができた。

 試合は、智弁和歌山と県和歌山商業が勝って、近畿大会出場を決めた。第一試合を戦った智弁和歌山は、伊都高校相手に17点を取る完勝。試合が進むにつれ、どんどん攻撃力を強めた強打線。恐ろしや〜。10ー3で迎えた9回には7点を取った。伊都高校にはミスも出た。緊張の糸が切れたのかな?第二試合は、地元の県和歌山商業が出ていたにもかかわらず、対戦相手の近大新宮への応援が多かったような気がする。何気に人気校?頭上から聞こえるラジオ中継によると、ここは(メンバー)全員1年生らしい。三重にある近大高専もそうだけど、野球に力を入れ始めたようだ(ユニフォームはもちろんブルー)。でも、ランナーを置いてのミスが時々あり、それも若さなんだろうか?と思った。(でも、7回の連続Fcはちょっとかわいそうだった気が)

 印象に残ったことと言えば。
 第一試合。0−5となった5回表。伊都高校の守備位置が変わった。それまでファーストを守っていた選手がピッチャーになり、ファーストには新たに背番号13をつけた選手が入った。なかなか体格にいい子で、もうちょっと絞れるかな〜って感じだけど、太股がしっかりしていた。代わったばかり、ファーストの守備位置から声を出して、同じ1年生の投手をもり立てていた。「よし、いこいこ」「元気出して〜」「思い切ってー」「いいボールやっ」「ナイスピッチ!」…。すでにかなりの声を出したかのようなちょっと枯れたバスキーっぽい声が、球場内によく響いた。リードされているとあって、全体的にしゅんとした雰囲気になっていたので、彼の元気は特によく目立った。その裏、伊都高校にホームランと内野ゴロの間に2点が入った。おもしろくなりそうと思った。ところが、彼が下がったあとに迎えた8回に4点、9回には7点を失った。彼の存在=試合展開ではないけど。いいぞ、松本くん、ファンになったぞ!空振りもなんかかわいいし(笑)。

 来年も元気な姿を見せてくださいね。

 



2005年10月08日(土)
何が強風や


 やはり全国的に雨。試合を中止したところが多かったですね。中止なら仕方ない。私だけではなく、他の人も試合を見れないのだから。でも、こないだは理不尽だった。

 先々週かな?福井大会を見るために、朝から湖西線に乗り込んだ。ところが、「この電車は強風のため、堅田行きに変わっています。堅田から向こう、近江今津方面には堅田から連絡バスを手配する予定です」。あ〜あ、ついてない。でも、バスが出るだろうから、行くだけ行って見るか。小雨が降り始め、空も曇り、風はさらに強く。近江今津に着いたのは、9時すぎ。予定より30分強遅れた。でも、無事つぃたし、乗り替えればいいか。と意気揚々に改札口で行くと、「敦賀?次、11時42分やわ」と駅員さん。そっか、待ってくれなかったんだね。小浜方面へ行くバスや、タクシーなど他にルートも考えたけど、バスで行っても次の電車を待つのと変わらないし、5桁の金出してタクシーを使う勇気もなかった(試合開始時間に間に合うかも微妙だったし)。この天気やし、試合やってるんだろうか?球場に電話すると、「何言ってんの」とばかりに、「普通にやりますよ」。希望をなくした私は、“せめて第二試合だけは”と次の電車に乗った場合をシミレーションした。予定到着時間は、12時26分。第二試合開始予定時刻は、12時半。球場へは駅から本数の少ないバスに乗らなければいけない。無理だ。対戦カードを考えても、間に合わない。帰ろう。

 帰宅したら昼前。大好きな“横丁へよ〜こちょ”を見ることなくふて寝。あの一日はいったい何だったんだろう。



2005年10月07日(金)
ラメラメで4.5連休〜♪


 明日から4.5連休です。うちの会社は、取引先に出向いてする仕事なので、ニーズがなければ、仕事がなくなります。だから、決算の時期は忙しくなるのですが。8,9月が忙しかったので、久しぶりの連休になります。

 若い頃の私にとって、休みとは“遊びに行ったり、飲みに行ったりする時間”のことでした。ところが、ここ数ヶ月で、休みとは“休息をとること”という本来の意味に成り下がってしまったのです。休みの前日は、“明日はあれしよう、これしよう”と胸を躍らせるのですが、いざ当日になると、底なし沼に引き込まれるかのごとく、睡魔に襲われ、気付いたらその気のないのに、眠ってしまう始末。体が弱ったというか、やっと社会人らしくなったというか…。

 そんな私、本来は、休み=野球を見に行く日なのです。だから、休みの前日にたてるプランも100パーセント野球です。前に書いた通り、うちの会社は取引先のニーズでその日の仕事量が決まります。だから、思わぬ平日にポンと休みが転がり込んだりもします。“ラッキー、練習見に行こ〜”と思うのですが、たいていその時期はテスト一週間前だったり、雨だったり、台風だったり…。何かのイヤがらせか。あまりありがたくない感じです。あと、半日仕事の日もあります。昼から仕事のときは、公式戦の第一試合を見てから会社へ行こう、午前中で終わる仕事なら午後から練習を見にいこう。そして、あれこれプラン。ところが、現場が遠かったり、仕事が長引いたり、球場から会社が遠かったり。試合進行が早かったり…、何さコールドのバカッ。そして、やっぱり雨。おかげで、半日仕事で野球観戦に成功したのは、3年強働いていて1回だけです。できすぎたコントみたいな嫌がらせです(笑)。タイミングが悪すぎます。社会の動きってどこも一緒なんでしょうか?…すみません、愚痴ですね(汗)。

 ともあれ、明日から休み。10月8日〜11日の4日間は、ちょうど北信越大会。夢であった1大会一貫観戦(完全観戦はたぶん甲子園以外では難しい)を実現するぞ!と意気込むも。明日、雨なんだよね…。せっかく、ネイルサロンで仕上げてもらった、ラメ入りマニキュアの指でスコアつけようと思ったのにさ。



2005年10月06日(木)
♪男の子も女の子も耳年増〜


 ある日、電車に揺られ移動していたときのこと。近くには、これから試合へ行くであろうユニフォームを着た中学生数人と指導者らしき若い男性がいた。遠出だったらしく、子供たちははしゃいでいた。指導者とも仲良く話している。何を言っているのだろう?耳を澄ませてみると。

 「せんせー、Gスポットってなに?」
 「シックスナインってなに?」
 
 さわやかな休日の朝に下ネタ爆裂かいっ。私は吹き出しそうになるのをこらえた。先生は、困った顔をしながらも、世の大人たちがよく使う大人の威厳で子供達を抑えこむことはなかった。なかなか出来ることではない。そんな彼の広い心を知ってか知らずか、子供たちはおもしろがって、話はさらに盛り上がった。ニヤニヤしてても、ちっともやらしく見えない真っ黒に日焼けした顔を、あどけない口、さわやかな白い歯…。

 「せんせー、Gスポットってなに?」
 「シックスナインってなに?」
 「やったことある?」
 「息子ってなに?」

 確信犯である(笑)。その日は行楽日和で、山へ行く格好をした年輩の人でいっぱいだった。ご婦人方は聞いてない振りをし、おじさま方はにやついていた。そんな子供達はかぶる帽子のひさしの裏には、“一球入魂”“目指せ優勝”などと書いてあった。笑っちゃうし、かわいいよね。大きくなって、アレやコレやを十分堪能した暁には、是非この日のことを思い出して欲しいものだ。

 余談だけど、私も家庭教師をしていたとき、当時中学生だった女の子に聞かれたことがある。「せんせー、ピストン運動ってなに?」
 

 お粗末。



2005年10月04日(火)
高校生ドラフト


 今年は、ドラフトの方式がちょっと変わったらしい。高校生と大学生&社会人に分け、別々に指名するのだという。前々から問題のあるドラフト、改善か改悪かわからないけど、とにかく前に進んだみたい。とはいえ、それはどういうことなのか全くわからないまま、気づいたら終わっていて、結果を知ったのは次の日の新聞だった。

 年取ってすっかり早起きになった父と、朝早く出勤しなければいけない私が朝5時半に新聞を見ながらあれこれ話をした。地元紙なので、京都滋賀にゆかりのある選手を中心に掲載されていた。父は熱くなっていた。「だいたい高校野球って学生野球やろ?その主役である学生をほったらかしにして、くだらん規定ばっかり作って、アホや」。父は元々高校野球(及びアマチュアスポーツ)にある封建的なものを嫌っている。でも、プロ野球のドラフトをしているときになんでそんな話なんだろ。

 記事を見ると、指名された高校生の一人に他府県からの編入学のため、1年間公式戦にでれなかった選手がいたのだ。他の高校からの転入編入生か1年間公式戦に出場できないという規定も、意味や必要性があってつくられたのだだろう。高校は義務教育ではないので、何歳でも最高6年間は高校野球をすることができる。それを防ぐためのものなのかな程度しか私には思いつかないのだけど、今回指名された選手は実質1年くらいしか高校野球ができなかった。それもなんだかなあと思った。どうであれ3年間(実質2年ちょい)は、誰にでも平等であって欲しいなあ。

 ま、それはともかく。今回は、京都滋賀ゆかりの選手が多く指名された。その中で、奈良・智弁学園の枡田選手は実際に見た事がある。今春、東山が智弁学園と練習試合をしたときだ。保護者から、「あの子、京都出身らしいいよ」と聞いていた。スコアブックに、「京都の子」と走り書きした。試合では3番か4番を打っていた。スコアブックは真っ赤に染まっていた。