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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2004年07月31日(土)
京都大会で対戦したことのない学校ってあるのかなあ?調べてみた。


 夏の京都大会で対戦したことない学校ってあるのかな?
 そんな疑問が湧いてきて、資料に基づいて創部以来の対戦成績を調べてみることにしました。※→夏の大会以外の公式戦での対戦あり。

 結果、夏の大会で対戦がないのは、鴨沂、嵯峨野、洛水、京都すばる、久御山、八幡、亀岡、南丹、農芸、京都両洋、京都国際、京都明徳、同志社国際、京都翔英、府立工業、久美浜、日星の17校。うち、夏以外の公式戦でも対戦がないのは、農芸、京都両洋、京都明徳、久美浜、日星の5校。創部が比較的新しい学校が大半でした。

 一番多く対戦しているのは、やはりダントツ平安。勝率の低さもダントツ…(泣)。そして、対戦していて唯一夏の大会で勝ったことないのは北嵯峨。春や秋には勝ったことがある、はずなんですが。

山 城 5勝2敗  
鴨 沂 対戦なし(※)
洛 北 2勝3敗
北 稜 1勝0敗
朱 雀 3勝0敗
洛 東 3勝0敗
鳥 羽 2勝5敗
嵯峨野 対戦なし(※)
北嵯峨 0勝2敗
桂 1勝2敗
洛 西 1勝0敗
桃 山 4勝1敗 
東 稜 1勝0敗
洛 水 対戦なし(※)
京都すばる 対戦なし(※)
向 陽 2勝0敗
乙 訓 2勝0敗
西乙訓 2勝0敗
城 南 2勝2敗
東宇治 1勝1敗
西宇治 3勝0敗
菟 道 1勝0敗
城 陽 2勝2敗
西城陽 1勝0敗
八 幡 対戦なし(※)
南八幡 1勝0敗
久御山 対戦なし(※)
田 辺 2勝0敗
木 津 1勝1敗
南 陽 1勝0敗(南陽創部初の大会)
北桑田 1勝0敗
亀 岡 対戦なし(※)
南 丹 対戦なし(※)
園 部 5勝0敗
農 芸 対戦なし
須 知 3勝0敗
洛陽工 1勝0敗 
伏見工 1勝1敗
西 京 1勝5敗
堀 川 3勝2敗
日吉ヶ丘 1勝0敗
紫 野 1勝0敗
塔 南 3勝0敗
京都教育大付 1勝2敗 
洛 星 4勝0敗
立命館 4勝1敗
京都両洋 対戦なし
平 安 1勝14敗
同志社 2勝3敗
大 谷 4勝1敗
京都学園 3勝6敗
京都外大西 2勝4敗 
花 園 4勝1敗1分
京都成章 1勝1敗 
京都国際 対戦なし(※)
京都明徳 対戦なし
立命館宇治 3勝1敗
同志社国際 対戦なし(※)
南京都 2勝0敗
京都翔英 対戦なし(※)
綾 部 2勝0敗
福知山 5勝1敗
工 業  対戦なし(※)
東舞鶴 2勝0敗
西舞鶴 1勝2敗
大 江 3勝0敗
宮 津 4勝0敗
海 洋 1勝0敗
加悦谷 1勝0敗
峰 山 4勝1敗
網 野 5勝0敗
久美浜 対戦なし
舞鶴高専 2勝0敗
京都共栄  対戦なし(※)
福知山成美 3勝2敗
聖ヨゼフ学園日星 対戦なし

参考資料 『東山高等学校硬式野球部百年史』




2004年07月30日(金)
定番

 
 『お笑いTYPHOON』が今日発売。出勤前を利用して早速購入。中でも一番好きなのは、芸人と母校や思い出の地を巡るコーナーで、今回の特集はペナルティー。サッカー選手だった2人が過ごした専修大学を訪問。数枚の写真とインタビューで構成されていた。寮での写真が多かったのだのだが、やっぱりあったトイレ内での小便(をするのマネの)シーン。芸人のイメージからしたら一番わかりやすいポーズ。私はこの雑誌のごく最近の読者だが、このたぐいの写真を見るのはすでに3回目。過去をほじくると、あと2,3枚は出てきそうだ。

 こういう定番は、高校野球番組においてもある。熱闘甲子園(番組名変わってたらすみません)などのハイライトシーンで映る。その日負けたチームの入浴シーンですわ。私が見ていた間は毎年1回はあったなあ。一体何を意図しているのだろう。試合中の選手と素顔の選手のギャップみたいなのを視聴者に見せたいのかな?年頃だった私はちょっと戸惑った。

 宿舎も今は個室時代だと聞く。だから、みんなでお風呂なんてもう化石だと思っていたけど、前に雑誌でダイエーの寺原投手が高校時代を振り返ってこんなことを話していた。『あれは、めちゃ(頭に)きましたよ。銭湯やったんです。気付いたら写真撮ってて。わりと他の部員のみんなはノッとったんですけど、僕は嫌やった(後略)』





2004年07月29日(木)
私の夢は何だったのでしょうか?(父の寄稿) 


あるこ さんへ

お元気ですか?最近「顔黒」を拝見しませんが?高校野球はどうしましたか?

先日私は,京都府立山城総合運動公園 太陽が丘の体育館にハンドボ−ルの観戦に行ってきました.ハンドボ−ルは私の青春の夢(部・クラブ)を実現することでした.

私の通った高校は,昭和31年以来48年ぶり2度目の優勝を勝ち取り,第55回全国高等学校総合体育大会に京都代表として出場することになりました.私は昭和32年に入学しました.したがって一度も優勝の経験がありません.先輩は観戦してルンルン気分です.困ったものです.学生時代の私の夢は何だったのでしょうか.学校に行くことは大変好きでした.勉強はしませんが大変楽しい時だったと思います.

私は,昭和32年に入学したので47年ぶりのハンドボ−ルの観戦です.私の所属した時は11人制でサッカ−と同じ広さでゲ−ムをしました.今は体育館で7人制です.女子もあります.審判が2名いました.選手の退場もあり大変不思議でした.このようにして観戦するとあっとの間に若さが過ぎたように思います.ただ残った夢は思い出と友達だけだろうか?

ところで第47回近畿高等学校ハンドボ−ル選手権にも出場することになったのです.こちらの会場は宇治市で近くなので観戦に行きました.

さて初日は,不戦勝で昼前に大阪の[此花]と戦い勝ちました.夕方6時からは[育英]と戦い勝ちました.24日は,「大阪大浪商」に勝ち決勝を「上宮」としました.「上宮」は,母校よりお兄さんでした.空中サ−ブにロングシュートと作戦に乗っ取ったゲ−ムでありました.また防戦では前に出て強く当たります.したがってちょっとしたスキにボ−ルをカットされることが多く余分な点数が多久さん入ります.この最初の当たりは注意しないと決勝点になります.大阪はどのチ−ムも当たりが強かったと思います.

私の時の試合は,「ヨイショ」,「ムッ」,「ドケッ」と気合を賭けて体当たりします.大変痛いです.ここで負けると容易に点数が入ります.痛さと点数の入りにがっくりします.しかし,試合が終わるとすっきりします.勝ち負けはその次です.楽しい試合の思い出ばかりが残っています.

最後になりましたが学校での私の夢は何だったのでしょうか?
卒業の頃,父と母が応援にきてくれたことを思い出します.家に帰ってから二人とは何も話しませんでした.




2004年07月28日(水)
南無阿弥高校


 塩ラーメンが嫌いとか、芋を甘くするなんて意味がわからんから大学芋が嫌いとか、なんでこんにゃくを糸状にせなあかんねんと糸こんにゃくが嫌いだったりする。わけわからん我が相方のこだわり。昨日も発覚。

 電話で、高校野球の話題になった。
 「西高と成章やなあ。」と私。「成章ちゃう?」と相方。確かに成章は前評判はそれほどなかったけど、接戦を制して力をつけてきているという印象。「なんで?」と聞くと、「だって、外大やで?外国やで。そんなん出てきたら、日本らしくないやん」。はあ?真剣に相手して損した。

 「なんたら商大とか産大とか工大とかはあるけど、外大なんて史上初やん。楽しいやん。それに、外国語を学ぶ大学であって選手が外国人っていうわけちゃうで?ほとんどが京都か大阪の子やんか」と私がいうと、「いや」。「ほな、ただの京都西やったらええのんか?」「うん」。

 ということは、こいつ…。「ほな、自分。校名がカタカナとかあかんのちゃうん?」「うん」。やっぱしな。「セントルイスとか聖なんたらとか」「あかん、高校野球は日本の行事や」「なんのこだわりやねん。ええやん別に高校生やねんから」「いや」「ほな、最近はカタカナ名の選手、ハーフの子とかいて、スコアボードにも載ってるやん。ダルビッシュくんとかアンくんとか。それも不満?」「それは別に…」。どんどんわからんようになってきた。

 「試合のときにアーメンとかするの、想像できんなあ。それやったら南無阿弥高校とかの方がいいわ」。はあ?「サードの○○くんは木魚とやっていますとか、選手は全員僧如の資格とらなあかんとか」。当然、全員丸坊主やろなあ。そんなチームがホンマにあったら、頭の中“ポク、ポク、ポク…”だらけになって試合観戦に集中できんやろな。



2004年07月27日(火)
夏の終わりとコンビニエンスストア


 今日は、昼から仕事。こないだまで、「準決勝、見に行けるかも」なんてほくそ笑んでいた私を愚かな女だと笑ってやってください。ちなみに、西京極から現場までの電車の乗り継ぎや駅からの距離も調べていました…。

 それはともかく仕事です。
 繁盛している店で、店内は人で溢れていた。そんな中、地元の子ども達がレジ前にいた。店のおばちゃんになにやら話している。そんなに興味なかったのだけど、子ども独特の甲高い声が否が応でも耳に入る。

 「でも、近江高校負けたしなあ」
 「近江高校を応援しているの?」
 「うん。試合見てきた」
 「そっか、残念やねえ」

 支払いが終わって、店を出ていった子ども達は、野球帽をかぶっていたけど、下は私服だった。少年野球でもやっていて、今日はお休みだったのかもな。それにしても、まさかこんな場所で試合結果を知ることになるとは。世の中わからないものだ。

 そして、まもなく、野球部バックを肩に掛けた坊主頭の高校生が店に入ってきた。「OHMI」と書いてある。なんという偶然。頭も真っ黒に焼けた顔も小さいけど、体はしっかりしていた。携帯をいじりながら店内をウロウロしていた。なんか不思議な感じがした。つい何時間か前に夏の大会が終わった選手が、帰りにコンビニに立ち寄っている。彼が3年生なのか、下級生なのかは定かではないけど。

 私の中で、球場で泣いたりうなだれたりしている選手と家に帰って一日寝たら気分を変えて夏休みを謳歌する選手の間がすっぽり抜けていることに気付いた。試合に負けたって、電車の改札口もくぐりゃ、コンビニにも寄るわな。彼はしばらく本を立ち読みしていたが、結局何も買わずに店を出ていった。
 

※平安が負けた。京都大会で東山に勝った相手が決勝に進出できなかったのは、実に10年ぶり。テレビで見ていた母は、「かわいそうになあ。1番の子、かわいいなあ」。服部ファン、また1人発見。

(年度、負けたチーム、そのチームの成績の順)

92 京都西→優勝
93 京都西→優勝
94 堀川→3回戦?
95 京都成章→優勝
96 北嵯峨→優勝
97 平安→優勝
98 鳥羽→準優勝
99 福知山商業→優勝
00 大谷→準優勝
01 平安→優勝
02 京都大会優勝のため、記録なし(佐久長聖→3回戦)
03 京都外大西→準優勝
04 平安→準決勝



2004年07月26日(月)
秋季大会、ヒュルリララ


 確実な情報ではないのだけど、秋季大会の緒戦の対戦相手は平安だと聞いた。誰や、クジ引いたのは!おまけに、今度の秋季大会は例年より早く、8月最後の週末から始まる。バカ。そんなこと知らずに、旅行の予定入れちまったじゃねえか。見れるのは、第3戦で、おそらくゾーン代表決定戦である試合から。下手したら、公式戦、春までお預けかもな。イヤですわ。

 秋季大会の1次戦、昔は総当たり戦だった。そりゃ、事情があって変更になったんだろうけど、やっぱ総当たり戦の方がいいなあ。夏が一発勝負なら、春は日々の積み重ねでもいいと思う。近畿大会も総当たり戦にして、上位何校かを出すっていう風にしたら、夏とは違う大会の特徴が出せて楽しいと思う。今の選考方法は多くの人が指摘するように、やっぱり問題があると思う。近畿大会の総当たり戦を大学のように各地でやる。そうすると、レベルの高い野球を多くの人が見れる。

 2年前。夏の京都大会を見に舞鶴球場へ行った。すると、「舞鶴に高校野球がやってくる!」というチラシがあるのに気付いた。京都の公式戦(夏、およぶ春秋の2次戦)は、市内の西京極球場と宇治の太陽が丘球場は固定で、あとの一つを北部の舞鶴球場、福知山球場、宮津球場、あやべ球場のうち一つの計3球場で行われる。市内にいる私は、ちょっとのお金で毎年球場へ行って大会を見れるが、北部の人はそうではない。地元で試合が見れるのが、3年ないし4年に1回だ。だから、ああいうチラシが配られたんだろう。そんなことを思い出すと、近畿大会総当たり制も悪くないなあと思う。時間と金はごっつかかるだろうけど。



2004年07月25日(日)
負けました


 4−7ですか。
 善戦だと思います、私は。春に比べたら格段よくなったチームだけど、それでも、「5回(コールド)かな?7回(コールド)かな?」って思ってた。

 試合は緒戦の峰山戦同様、ネット裏最上段の通路で立ち見。人がごった返していた。前の親子連れのオジさんがスポーツ新聞を見ていた。競馬面だったみたいで、『ヒューマ、エンジン全開!』という大きな見出し。そして、3回に飛び出した4番冨田くんのセンターへの大きな当たりで2点先制♪

 面白い展開になった。横のともきちは、「服部くん、出るかな?服部くん、出して」とそわそわしていた(もちろん、「別に(今投げてる)ピッチャーに不満はないねんけどさ」という前置き付き)。いつ見たのか、彼女のちょっとしたオキニみたいだ。「どうやろなあ、あと5点くらい取ったら出てくるんちゃう?」と戯言を言ってみた。

 10年前の保護者に久しぶりに会った。当時はともきち中心だったので、ともきちとのトークが弾んでいた。そして、何の成り行きか息子であるOBと話をすることになってしまった。髪型の体格もすっかり変わり、髭も蓄えていたけど、目元は全然変わっていなかった。そういや、そんな彼からともきちは、「全然変わってないですすね」って言われてた。そんな彼が話してくれたこと。彼が野球部に在籍していたときのコーチは、今4番を打っている冨田選手のお父さんだった。「グラウンド来ていたときは、こんなに小っちゃくて。ゴムのボールで遊んでた子が、大きくなって、あんなすごい打球を飛ばせるようになったんやなあと思うと、なんか感動ですわ…」。そう言って、彼は手のひらを腰辺りで左右に振った。私もそのコーチの存在は知っていたけど、何を聞き違えたのか「トビタ」さんと覚えていた。そんな状態だから、幼い日の冨田くんを見た記憶もない。それでも、なんか感慨。(あとでともきちは、「歳を感じて、ブルーになった」って言ってた)

 そんな話でボーっとしていると、あっさり同点に追いつかれてしまった。なぁにまだ序盤さと強がってみても、次々入る点数。結局6点。しばらく忘れていた「コールド」の文字が脳裏によぎった。でも、そこで気持ちがキレてしまってグダグダな試合にならないところが、成長の証、かな?

 4−6。もしや?と思える試合展開だったが、7回にピンチが訪れた。そんな緊迫した状況にもかかわらず、前のおっちゃんが食べたらカレーのいい匂いが鼻についた。「ああ、カレーのいい匂いがしてる」、思わず声に出してしまった。去年試合中のやきそばに匂いに気分が悪くなったっけ?えらい違いだ。風景はどんなときでも、お構いなくそこにある。そんなのもいいかな。そう思ったけど、ダメ押しに近い1点を追加されてしまった。昔なら、「私が、カレーの匂いなんて、試合から気を逸らしたからや。ばか、ばかっ。」と自責の念に駆られるのだけど、今年は何故かそうは思わなかった。

 8回にもチャンスがあったが、よもやというか待ってましたというか、ピッチャー交代。会場がどよめいた。ともきち、キャッ。薄い顔とお尻がかわいくて好きらしい。私は、太股やな。縁あって、2年前の夏に見ているのだけど、そのときから体格の割に太股がしっかりしているのが印象的だった。こんな子が京都にいるなんて、甲子園がまた遠くなるとげんなりしたが、まさか最後の夏にこんな形で対戦するとは思わなかった。8回2死からの登板で、4連続奪三振。違いを見せつけられた。

 私は、今までで一番サバサバした気持ちでいた。球場で目のあった保護者の方に挨拶をしたのだけど、そのときもなんか勝ったときのように笑っていた。負けて嬉しいわけじゃないけど、いい夏やったなあという喜びの方が大きかった。通りすがりに、「悔しいねっ」と苦い顔をしていたお父さんもいれば、「ホンマ、よくやったよ、子供らは。まさかここまで出来るとは」と感慨深げだったお父さんもいた。でも、あるお母さんと話をしたとき、「残念でね」と目に涙が溢れているのを見て、「いい試合でしたね」という言葉を途中で止めた。抱く気持ちは違う。=団結していないわけではない。そんな事を思った。

 球場で長老と待ち合わせて、ともきちと3人で遅い昼ご飯を食べた。「夏が終わったなあ」。長老がつぶやいた。普段、こんな感傷的なことを言う人ではないのに。「今から秋なんですよ。サンマがおいしい季節です」。そう返すと、長老は小さく笑った。



2004年07月24日(土)
熱い夏。福井の夏。


 京都から飛び出して、福井へ行った。実は、京都以外の夏の地方大会へ行くのは初めてだ。どうしてそういう心境になったのか、自分でもわからない。東山がベスト8進出を決めてホッとしたんだろな。

 京都駅に出て、サンダーバードに乗るより、米原まで行って、しらさぎに乗る方が安くつくことを知った(フリーターだろ。18きっぷで行け)ので、今日はそのルートを使った。駅を出ると、高校野球速報の掲示板があった。熱かった。大会ポスターや昨日の試合の写真やトーナメント表、何故か星稜・山下監督の記事も張ってあった。よくよく見ると、写真をファンにプレゼントしてくれるみたい。

 球場へは、バスで行く、駅からは少し歩く。駅のすぐ側にソースカツ丼の店がある。お昼前。前に福井の球場に行ったときに食べ物やがしょぼかったことを思い出したので、食べようかと思ったけど、お腹がOKサインを出していないので、停留場へ急ぐことにした。

 バスに揺られて20分。球場へ到着。チケット売り場へ行くと、また熱いものを見つけてしまった。出場全29校のキャプテンによる決意表明が半紙に筆で、書き初めのように書かれている。ベニヤ板に張って、並べられていた。観客は歩く速度をゆるめ、じっと見入っていた。かなり自由に書かせているようで、字の大きさを変えていたり、ナナメに書いていたりした。筆跡も色々。たくましい太字から、丸字、ボールペンで書いたような細い字もあった。言葉も「学あるなあ」と思うものから、笑えるものまで、多種多彩。一番受けたのは、「男祭り」。見ているだけで楽しかった。(全部メモってきました(バカ?)。再下段の※印の箇所をご覧ください)

 第3試合は福井農林vs足羽。思わぬコールドゲームとなった。福井農林のピッチャーがちょっと制球難だったような気がする。2回で降板。そのときの彼の背中を見て、「あ、そうか。私はこの子の後ろ姿が好きだったんだ」と気付いた。ダメだ、思考回路が病んでいる。試合展開からすると、ずいぶんのんびりというか不謹慎。福井農林というチームを気付いたら、気にしていた自分。そのきっかけがどこにあるかにやっと気付いたとき、夏が終わってしまった。

 試合中、前の試合を終えた選手がわらわらとやってきて、私の周りにドカドカ座りだした。若い男性独特の男臭さの中の観戦となった。ふと目に付いた。携帯電話と後ろポケットからのぞいたルイヴィトンの財布。ちょっと萎えてしまった。

 第4試合は、若狭vs鯖江。初回の若狭の攻撃は爽快だったなあ。先頭バッターの打球がカキーンという文字そのまんまの打球音を残して外野に転がっていった。前の試合も含めて、今夏の大会を見て思うのは、初回の攻撃ってごっつ大事やねんなっていうこと。前の試合では、表攻撃だった福井農林はランナーを出したけど、得点できなかった。逆に足羽は四球のランナーをきちんと帰して得点をあげた。ただこの試合は表攻撃の鯖江が初回に1点を上げている。若狭がそれをしのぐ鮮やかさを見せた。7−1という試合結果だけど、点数ほど力に差がないように思えた。同じような強い打球でも、若狭にはファインプレーが出て、鯖江は不運にも抜けてしまった、みたいな感じで最後までズルズル。

 側にスカウトらしき人がいることに気付いたのは、試合の終盤。球団のロゴマークの入った手帳に、後ろポケットからはイメージキャラクターのストラップがのぞいてきた。ツレの若い男性の体格がすごくガッシリしていて、よく見ると本人もなかなかの貫禄。カバンにはストップウォッチが入っていて。時々操作していた。数字を見ると、2・なんたらとあったので、バットスイングの速さでも計っていたのかな?まもなく、その男性は連れの若いのと一緒に球場を出ていってしまった。

 試合終了は7時前。まだまだ明るかった。帰り、チケット売り場前の選手の書き初めの言葉をメモっていると、通りかかった若い兄ちゃんが、「これ、自分で書いたんじゃないっすよ」とツレに年上らしき男性に言っていたのが笑えた。

 恥を忍んでメモったあとは、バスに乗るため停留場へ。ところが広い構内で迷子になってしまった。行きしなバスから降りた場所とは違うところにたどり着いてしまった。どうしようと思っていると、目の前に交番があった。ドアを開けて、最寄りのバス停の場所を教えてもらったのだが、「次の信号を右に曲がるの。側にファミマがあるから、そこを右」。年輩のはげ上がって、横柄に腰掛けているおじさんがファミマって言っていたのがなんか笑えて。ヘラヘラしながら礼を言ってしまった。


 帰りのバスでは、後ろの女の子2人がこんな会話を。
 「何してたん」
 「野球の応援の帰り」
 「海は?」
 「行ってから、野球。ヤバイ、痛い、ヒリヒリする」
 「勝った?」
 「負けた」
 その後、チームのことを何か言っていたみたいだけど、バスに揺れが激しくよく聞き取れなかった。

 駅に着いたらソースカツ丼を!という思いもむなしく、電車発車が迫っていた。バイバイ、小川屋。また来るね。きっと来るから。


※参加29校主将による夏の書き初め(?)

「逆縁の鬼」(福井商業)
「恕」(春江工業)
「全強破倒」(羽水)
「威風堂堂」(敦賀気比)
「完全燃焼」(丸岡)
「全員野球」(美方)
「克己復礼」(丹南)
「疾風勁草」(藤島)
「心・技・体」(敦賀工業)
「たかが野球されど野球」(福井高専)
「めっちゃ勝ちたい」(大野東)
「心」(武生工業)
「綺麗な花は山に咲く」(若狭)
「巣立ち」(鯖江)
「古豪復活」(武生)
「絶甲」(足羽)
「氣を開放しろ!!」(高志)
「心」(福井農林)
「一撃」(丹生)
「魂・根・痕」(武生商業)
「夢への挑戦」(大野)
「メイクドラマ」(科学技術)
「組織力」(敦賀)
「男祭り」(三国)
「Iではなくて、WE」(福井)
「常(声昇)勝」(金津)
「革命」(勝山)
「東魂」(武生東)
「勝ちたいんや」(北陸)



2004年07月23日(金)
今日は、仕事


 東山が4回戦を戦う日。私は仕事をしていました。前日、ともきちと電話をしていたのですが、「マジで行かへんの?」「ギネス(大袈裟な…)が途切れる」とか言われました。92年から数えて私は夏の公式戦を見なかったのは今日で4度目。1度目は92年の緒戦。補習に行ってたんです。2度目は97年の3回戦。相方との修羅場…。3度目は98年の緒戦。仕事してたんです。この年は休みを取っていたのですが、当日雨が降ってしまいまして(泣)。

 当日の私は、意外と冷静でした。ところが、1店目がすごく早く終わって、休憩時間がたんまりと出来てしまい、暇つぶしに携帯速報を見てしまったが最後。他のメンバーがゲーセンへ行っている中、一人車の中に残り、もだえてました。先制されたもどかしさに、更新の遅さ(それでもイニング単位だから早い)にやきもき。太陽が丘での平安ー鳥羽戦が同時進行だったのですが、こっちは次々更新していくのに、西京極の東山の試合は何度アクセスしても一向にかわらん。1−1の同点で、2店目の入店時間。カウントが落ち着いたとき、店員さんにお手洗いを借りて、そそくさとアクセス。6−1(試合終了)になっていました。よかった。次は見れる。

 そういや、太陽が丘で観戦中の市長からメールが来ました。「太陽が丘は狂っています」。その後、別の知人からメールが来て、平安ー鳥羽戦の試合の壮絶さを知りました。しかし、市長、おもろい表現するわ。そういう意味で、某保護者から聞いた試合展開の話も好きでした。野球にそれほど詳しくない方だったのですが、「東山の打ったボールは相手の外野がいるとことに飛んで、相手のボールは(東山の外野が)いないところに飛んでたんですよ」。結局負けたということなんだけど。



2004年07月22日(木)
あるこ父、太陽が丘へ行く


 父は、高校時代ハンドボールをやっていた。その母校が今度48年ぶりに全国大会に出場することになった。48年前、父は中学3年生だった。高校のときは、トロフィーを返してばっかりだったと聞いたことがある。そのチームの試合が太陽が丘であるから、朝早くに家を出ていった。元々はのんびり構えていたようだが、私が「太陽が丘、高校野球やってるで。はよ行かな、駐車場止めれへんかもな」と口を挟んだから、方針を変えたみたいだ。

 家に帰った父は、日に焼けた赤い顔で缶ビールを飲みながら話すこと、話すこと。

 元々父の母校は、弱いわけではなかった。でも、全国へ進むにはあと一歩足りない。それが、強豪校の監督が転任で母校に来て、この結果となった。方針が変わったためか、エース的存在だった選手が辞めてしまうという痛手もあったようだが、そのことで返って残りの4人(ハンドボールって、5人でするんですかね?)がまとまってきたという。

 OBなので、試合後、選手と話すなんていうこともやったようだ。歩いていると、選手が道をよけたという。「この頃の子は大人しいなあ」と父は言うが、あきらかに父の貫禄の腹が人を怖がらせているんだと思う。

 40ン年ろくに見てこなかったにもかかわらず、補欠の選手を捕まえて、「自分、補欠か?」と聞くデリカシーのなさ。選手は、「前の試合には少し出してもらいました」と答えた。「なんで出してもらったか、わかるか?」と父は聞くと、「さあ」と首をかしげる選手。「なんで試合に出したもらったか。どこかいいところがあるからやろ?それを伸ばしていかんと」。選手がどういう反応をしたかはわからない。我が親ながらいいこと言うなあと思ったけど、はて選手はどう捉えたか。

 笑ったのは、新聞記事に出てた選手の写真を撮りたいから、女子マネジャーに彼を呼んできてと頼むと、マネジャーが「●●(選手名)ちゃ〜ん!」。ま、彼女にとってはごく自然な呼び方なんだろうけど、スポーツ選手として見ている私たちにとって、ちゃん付けはギャップがありすぎて…。

 父は、翌日の試合を見に行った。父は自分がやっていたにもかかわらず、ハンドボールの話をすることはなかった。でも、今回の吉報で最近「疲れた、疲れた」と言ってダラダラしていた父が、イキイキしてきた。この元気は、いくら娘の私でもあげれるものではない。


 そうそう、普段私が更新作業をしているPCデスクの前に、寄付金を振り込んだ領収書が置いてあった。姉の母校のバレーボールのときはしなかったけど、さすがにOBともなると、やる気が違う。3口、5ケタの金額を振り込んでいた。そういや、数年前、あるOBの保護者が当時を振り返って話してくれた。「ほら、うちのときは○○高校に負けたでしょ?でね、娘がその高校にいて、甲子園の寄付金の案内が来たの。誰か払うかって」。そう言って笑っていた。大人げないけど、かわいいなと思った。



2004年07月21日(水)
山科ダービーinあやべ


 山科にグラウンドのあるチームと山科に学校のあるチームがあやべで試合。つきましては、山科の野球ファンである私もあやべまで移動。

 相方くんに有給をとってもらって足にする。平日であることを思い出したのは、行きしなの(国道)1号線大渋滞。そっか、通勤ラッシュなんや。縦貫道まで出るとあとはスムーズだったけど、結局プレーボールには間に合わなかった。券を買って中に入ると、地元の店が梅ジャムとかを売っていた。アピール、アピール。奥には自販機の前で物を売っている売店。もちろん、自販機は使えない。どんだけぼったくられるのかと思ったら、「はい。150円ね」。あやべはいい町だ。(ちなみに西京極では、200円)屋根がない球場だけど、ネット裏上段はわずかに日陰になっていて、壁にもたれることが出来る。ダレ〜と足を伸ばして観戦(態度わる)。

 バチが当たったでもないだろうけど、試合は苦戦。先制され、中盤に追加点。0−2とリードされていた。打球、気持ち良く左中間を抜けてたもんなあ。対戦相手ながら、洛東はいいチームだったと思う。バッティングも球に逆らわない素直さというか、こつこつつなげていくんだという印象を受けたし。エースの子がまた良かった。コントロールがよくて、変化球もうまい。丁寧に低めをつくことができる。東山打線の苦手なタイプだ。相方なんかは、「H山は、なんでこいつを取らんかったんや」って言ってたくらい。終盤、味方に痛恨のエラーは頻発するのだけど、それでも気持ちを切らせないで投げていたように思う。
 
 9回に逆転。冷汗にゲームにピリオド。帰り、車の中で2人で得点経過をおさらいしてみたけど、ちんぷんかんぷん。把握するのに時間がかかった。というか、私は未だにわかっていない。ただわかっているのは、タイムリーがゼロということだ。

 舞鶴経由で帰った。4,5回試みた「東舞鶴高校に寄ってみようよ」キャンペーンがついに実を結んだ。残念ながら、野球部はいなかった。グラウンドにはちょっと入りづらくて周りを見て歩いた。こういうときの相方は、近く待機している。私が車に戻ってくると、「楽しかった?」と聞く。よっぽど奇怪な行動に思われているようだ。次に、相方の休憩がてらに五老ヶ岳公園へ。展望台には登らなかったけど、側にあるベンチに腰掛けてみる景色はきれいだった。案内看板には近畿百景の1位に選ばれたと書かれていた。入り組んだ舞鶴湾に、人々に暮らしが伺える民家に屋根や港。人と自然の混ざった光景が私は好き。もう少し天気が良かったらとは思ったけど。

 車を再び走らせた。町に出ると、弁当屋の前でわらわらと野球部員がたまっていた。動体視力を使って選手のシャツを見ると、「西舞鶴」の文字。間もなく正門前を通過。私が黙っていたのが気持ち悪かったのか、「西舞鶴高校は興味ナシか?」と相方。そんなわけないやんけ。車は次の交差点で右折。入り口を探していると、小路を右に曲がったら、溝とグラウンドに間に木(みたいなもの)が渡してあってグラウンドに入れるようになっていた。私はグラウンドの手前で足を止め、中をのぞいた。ネット裏にはベンチとテントがあるようだけど、木で囲まれていて、ここからでとよくわからなかった。奥、野球でいうとライトのポジションにあたる場所にブルペンがあり、ピッチャーの練習用であろう等身大のバッター人形がおいてあった。そのポツリ感がなんか印象に残った。練習中だったらそれほど気にならなかったはず。グラウンドの周り半分強くらいは2,3段の階段で囲まれているが、そこにまだ選手が数人いた。着替えながら談笑してるようだ。彼らの夏は果たしてどっちだろう。ふと思った。グラウンドを後にして、車に戻り大会日程表を見ると、明日試合があることを知った。



2004年07月20日(火)
そんなんアリか。


 「新しいグローブを買おうと思ってね…」
 秋の終わり頃、あるお母さんがそうつぶやいた。それまで、息子である選手のポジションの話をしていた。私が初めてその選手を見たとき、彼はキャッチャーだった。だから、最初からキャッチャーかと思ったら違っていた。中学のときは、セカンドやショート。高校に入ってキャッチャーを始めたが、この秋に入ってからは内野手として試合に出ることが多かった。そして、この日はセンターにいた。だから、お母さんは悩んでいた。どのグローブを買えばいいのだろう?内野?外野?それともキャッチャーミット?

 そして、春。彼は外野を主に守るようになっていた。お母さんはどのグローブを買ったのだろう。聞いてみた。「内野手のグローブを頼んだんよ。最後の夏だから思い出に残るし、オーダーメイドにして。でも、グローブが届く前に外野にコンバートが決まってしまって…」。そうやったんですか。じゃあ、今使っているグローブは?「チームメートのを借りてるって。そんなアリかって感じ」。お母さんはあきれたように苦笑した。ちなみに使うことのない内野手グローブは、部屋に飾ってあるとのこと。



 



2004年07月19日(月)
切符を買わずに電車に乗る方法


 こないだ仕事で新幹線駅構内の店へ行った。駅の中なので、関係者以外立ち入り禁止の事務所から、取材用プレスにも似た許可用のカードを首からぶら下げて改札をくぐった。他の人が切符を買うところを自分たちはすっと通れるのがなんか優越感にも似ていい気分だった。「なんかかっこいい」と私が言うと、先輩は、「何言ってんねん。スーツ着たビジネスマンとかやったらいいけど、こんな作業着で、台車転がしてゾロゾロ入るののどこがええねん」。先輩はこの店の(棚卸し)常連。慣れたものだ。その慣れが吐かせたセリフもまたかっこいい。

 そういや、前に切符を買わずに電車に乗ったことがある。それは、数年前。友人2人で甲子園の阪神戦を見に行ったときのこと。その日は阪神が勝って、甲子園周辺は湧きに湧いていた。六甲おろしや応援歌を歌う団体、巨人の悪口で盛り上がる団体。犬も歩けば…ではないけど、そんなグループがウジャウジャしていた。当時の私はそんな団体に入って騒ぎたい派だったので、歩きながらその輪に加わっていた。しきっている人がまばゆく、自分もあの立場になりたいと、おもむろに応援歌を歌っていたら、ノッてくれる人がいた。団体にはならなかったけど、それはそれで快感だった。ところが、最初はノッてくれていた友人も段々飽きてきたようだ。それでも私は懲りない。おかまいなく、阪神電車でも、梅田駅構内でも吠えていた。

 バチが当たったのだ。JR大阪駅に着いて切符を買おうとカバンを開いたら…財布がない。どこをどう探しても、ない。うろたえた。恥を忍んで友人に、「お金、貸して」と言ったけど、友人の残り財産は自身の交通費を抜くと、400円。ダメだ。帰れない。なんとかならないかと駅員に相談した(その前に、「警察が金を貸してくれる」と友人が言ったので、行ってみたけど、ダメだった)。すると、家の人でも誰でもいいから、私の運賃を持って、最寄り駅で支払ってもらい、それを大阪駅が確認したら乗せてくれるという。そのために必要な書類を書かされた。手のひらよりちょっと大きい白い紙だった。必要になれば、車掌なり駅員なりに見せなさいと言われた。そういう乗り方の名前を教えてもらったのだけど、もう忘れてしまった。怒られるなと思いながら、家に電話した。母はめんどくさそうに「わかった」と言った。しばらくは駅で足止め。20分ほど経って、「今連絡があったので、入っていいです」と言われた。

 なんとも格好悪い経験だった。
 財布は後日、甲子園警察経由で曾根崎警察に届けられていた。この話のオチのために、中身が無事だったのか、そうでなかったのかを思い出そうとしているのだけど、どうも記憶がない。ささいなことでも、書き留めておかねばと思う今日この頃。



2004年07月18日(日)
西京極 / 『塩狩峠』


『西京極』

 西京極へ行ってきた。球場に着いたら第二試合の途中だった。天気が気まぐれで、晴れたり、雨が降ったり、雷がゴロゴロいってりしていた。私はネット裏紫シートの最上段で立ち見していた。雨足がきつくなってきたとき、若い男の子2人が私の側にきた。茶髪で、海パンのような半ズボンを腰ではいている。「高校野球なんてダサー」と思っていそうなイメージなのに、ピンチに立たされているマウンド上の選手に向かって、「ピッチャー、がんばれ」と声をかけたり、いいプレーが出ると、大袈裟でも嫌味でもない拍手をしていた。なんか意外だなと思った。いやいや、人は見かけで決めちゃいけない。

 第二試合の終盤。リードしていたチームが相手に1点入れられたものの、どうにかピンチをしのいだ。みんなそれなりに喜んでいたのだが、サードの選手の「やった!」という声が距離があるはずの私の耳もとにも届いた。張り切ってベンチに帰ろうとしていたけど、マウンド前で審判に呼び止められて、ストップ。体が前、足でブレーキをかけて、顔だけ後方にる審判の方を向いていたその姿は、コミカルでもあり、ラブリーもあった。彼はプレーの終わったボールを持っていたようで、審判にボールを渡していた。

 声がよく聞こえると言えば、第三試合。本を読んでいた私は、「ピッチャー、宮本っ」という声にはっとして顔を上げた。声の先は、一塁側ダグアウトを陣取る亀岡高校。選手が監督を囲んで円になっている。どうやら、スターティングメンバーの発表があったみたい。試合前の静かなときとはいえ、指導者の声がこんなに明確に聞こえるとは。今朝の京都新聞で、ここの監督は「熱い」と書いてあったのだけど、そうなんだろうなと思った。髪も選手と同じ丸坊主だし。試合は鳥羽相手に7回コールド負け。とはいえ、序盤はむしろ亀岡が押していたという印象。周りにいる観客は、1回表の4番バッターへのスクイズを批判していたけど、チームの状態を誰よりの知っているのは監督だ。

 試合終了後、亀岡ナインはしばらくベンチでうなだれていた。それでも、グラウンドに向かって礼をする選手もいた。こみあげるものがあるのか、きれいに礼が出来ていない。きちんとすることもすばらしいけど、きちんと出来ないことに正直なのもまたいいもんだと思う。


『塩狩峠』

 北海道に行くにあたり、三浦綾子さんの本を読んでいる。『氷点』は一度読んでいるので、次はこの本にした。熱心なキリスト教信者の青年が電車事故から身を投げて、人々を救ったという話。今日、球場で読んでいたのもこれ。私はときたま、高校野球を見ていると凹んでしまうのだけど、今日は、本を読むことによって、そんな感情から気をそらすことが出来たので、助かった。

 読み応えのある話だったが、私は本題の他に気になることたあって、夢中でページをめくった。三堀は救われるのだろうか。ということ。三堀は、主人公がつとめる鉄道会社の部下。同僚の給料袋をくすねた罪で会社を首になるところを主人公に助けられたのだが、その恩も忘れ、何かと主人公に絡む。三堀の奥さんやその父である上司が主人公のことを褒めていたのもおもしろくなかった。別に主人公と比べられていたわけでもないし、本人を批判されていたわけでもない。でも、人が褒められることが、自分が否定されているように思える。この心境が私にはよくわかる。何かわからないモヤモヤを自分で作ってしまうところも似ている。もっとも、私は他人の金を盗んだことはないけど。主人公に悪態をつく悪者。昔の私ならそういう読み方をしていたかもしれない。彼がどう救われていくかを読んだら、自分の救い方もわかる気がした。でも、結局、彼は主人公の死をきっかけに変わった。人が死なないとダメなのか。気持ちが滅入ってしまった。私は誰かが死ぬ前になんとかしたい。



2004年07月17日(土)
2回裏に一体何があったの?


 こないだ職場のシフト表を見ていたら、21日が休みになっていた。繁忙期で仕事も結構あるのに、何故か忽然と私の名前が書かれていなかったのだ。21日は、今日の試合に勝てば3回戦がある日。できすぎたコントみたい。ひょっとして、勝つかもな。そんなことを思った。

 10時半待ち合わせだったが、10時過ぎにともきちから、「ごめぇ〜ん、二度寝してしもて」という電話が入った。やっぱりな。予想通りの幕開けだ。ま、私もウダウダと山鉾巡行のテレビ中継を見ていたので、間に合いそうにはなかったけど。
 
 球場に着いたのは、11時45分。相方くんは12時15分。やる気ナシか、こいつらは。2回裏が終わって、7−0で東山がリードしていた。それも2回裏だけで、7点入ってる。一体何があったんや。ところが、そのあとはヒット1本しか打てず、相手には2点を入れられた。走塁などの細かい攻撃がうまく、さすがはシード校だと思った。結局勝ったけど、私たちが見ていた間に限っては、0−2。相方くん曰く、「勝った気がせん」。気分は、1安打完封負けらしい。

 すっかり暑さに弱くなったので、バックネット裏の上段で見ていた。横には放送席らしきブースがあり、その出っ張りのせいで、一塁側が見にくい。そして、不思議なことに一塁側の応援の音が三塁側から聞こえるような錯覚に襲われた。両方から音が聞こえているときは普通なんだけど、一塁側だけのときは何故か、そんな風に感じた。

 応援と言えば、うれしいのは、狙い撃ちの復活。相変わらず、唄は歌ってくれなかったけど。やっぱりなと思ったのは、富田くんの応援歌。巨人の星。ベタやなあ〜(♪ドンドンドン、ベタベッタ!ドンドンドン、ベタでぇ〜す)。まさか!と思ったのは、応援歌の復活。5回表に、「何の演歌かと思った」(byともきち)曲が流れた。聞き覚えがあった。92年のセンバツ大会御殿場西戦以来ご無沙汰の東山応援歌※だ。♪色純潔の東山ぁ〜。誰が仕掛けたのだろ。

 試合が終わって、球場を出ると、誰かに肩を叩かれた「こんにちはぁ」。見覚えのある人。2002年の父兄会長さんだった。「よかったねえ、勝って」。すると、周りには懐かしの2002年保護者さんたち。「久しぶりやねえ」「やっぱり来てたんやねえ」(でも、「自分、肥えたんちゃう?立派になって」と二の腕触って言われたのはどうなんだろう)。そして、後ろにいるともきちや相方くんにも握手。「見覚えのある美人がいると思ったら」と言われたともきちは、「あらまあ!」。謙遜せえや。そして、何故か、「せっかくやし、写真撮ろ、写真。入って入ってぇ〜」。普段は引いてしまう相方くんも、暑さでテンションが高くないともきちも、何かわからんうちに中に入っていた。あとで聞くと、「選択の余地がなかった」とのこと。パワフルさはあの夏と変わらない。もう一生ないかもしれない組み合わせで、トーナメント表の板の前でハイチーズ。「うちら、何のグループやねん」「みんな、何やっていう顔で見てはるわ」と言いながらも笑っていたし、はしゃいでいるようにも思えた。

 21日は、神様がくれたお休みだったんだ。でも、こんなん言ってて、雨天順延とかだったら、笑えるけどね。



※応援歌
1.燎乱花(りょうらんはな)は散り果てて
  月の桂も緑なる
  色純潔の東山
  聞かずやここに一千の
2,正大の気に包まれし
  若き血潮の高鳴りを
  白光長く日を抜きて
  正気一際色冴えぬ



2004年07月16日(金)
社長出勤のモーニング


 ともきちと電話で明日の試合の打ち合わせをしていた。「待ち合わせをちょっと早くして喫茶店でモーニングっていうのもいいね」。

 そういえば、昔、彼女とよくモーニングを食べた。90年代半ばの夏の大会。いつからだったか覚えていないが、朝を食べていないともきちが、「おなか空いた」と言うので、喫茶店でモーニングを食べた。すると、2人ともモーニングを食べてから球場へ行くことにハマってしまった。次の試合も、その次の試合も同じようにモーニングを食べた。当時は、JR京都駅からバスで西京極へ行く方法を取っていたので、モーニングはポルタの喫茶店。あっちの店へ行き、こっちの店へ行き。それだけ行けたのは、当時のチームが強かったということでもあるのだけど。

 “試合開始時間には球場へ”という概念が壊れ始めたのもこのころからだった。すっと行けば間に合うのに、モーニングが捨てられず、ウダウダ。球場に着いたら、3回が終わったばかりだったりした。「自分ら社長出勤やな」と保護者の人に言われたのか、それとも「うちら、社長出勤みたいやなあ」と2人で笑っていたのかは覚えていないが、とにかく社長出勤という言葉を頭に残っている。

 今では朝にすら弱くなって、昼からの試合でも、ご飯やお茶をしたり、意味なくウダウダ遠回りしてしまう。試合開始を待っていたり、いつも来ていると思われるにはちょっと恥ずかしいし癪かも?ともきちの言葉を借りると、「プライドが許さなくってよ」となる。

 明日の試合は、ともきちと行く。多分、プレーボールには間に合わないだろう。



2004年07月15日(木)
調整〜またひとつの挫折と学習?〜/私の緒戦/M−1は、絶対絶対ビデオを録るべし

『調整〜またひとつの挫折と学習?〜』

 半日仕事(祇園祭の交通規制のため)で、天気がよかったので、福井県へ行ってきた。行きしな、京都大会開会式帰りらしき某高校の選手たちが、地下鉄の駅のホームで電車を待っていた。どうやら学校の帰ってからも練習するらしく、何の練習をしようかと話しあっていた。「オレ、ノックしたい」「背番号のあるヤツだけでいいの?」「バッティングしたいヤツもいるやろし、したいことした方がええんちゃうん?」。そんな中、「調整って、何したらいいの?」「軽くシートノックして、軽くバント練習して…」。要するに、軽く、ね。

 特急で1時間強。福井駅に到着。今日の目的地・福井農林高校へ行くべく、えちぜん電鉄に乗り換えた。途中、改札にいた若い女性の駅員が、私を待ちかまえて、「はいっ、ありがとうございました!」満面の笑顔で元気のいい声。こんな愛嬌のある駅員、初めてや。思わず、「ありがとう」と言ってしまった。

 えちぜん鉄道は、おそらく二度の事故で運休になってしまった京福電鉄の生まれ変わりだろう。イメージアップのために頑張っているのが、初めてきた私にも伝わってきた。明るい色の駅舎がさわやかさを演出していた。電車も東京で走っているモノレールのような新しさ。向かいの使い込まれたJR福井駅とのコントラストがあまりに見事だ(JRの古さは古さで味だけど)。「ありがとうございましたぁ」という低音でテンションの低そうなおじさん駅員は皆無で、こぎれいに化粧をした若い女性が中心。特に車掌の女性の格好にはびっくり。黄色のブラウスに、黒のベスト、黒のタイトスカートに、大きな黒の麦藁帽子(みたいなの)。すげえ、ここはどこや。ディズニーシー内にあるモノレールの中か?次はどこのアトラクションに連れて行ってくれるんだろう。

 福井農林高校は、越前新保駅のすぐ近くにある。ふらふら〜っと校舎に入ってみると、奥からドンドンドンという太鼓の音が聞こえてきた。もしや、応援練習?と思ったけど、違った。グラウンドに野球部はいなかった。う〜ん、残念。是非今のチームの練習を見てみたかったのだけど、縁がなかった。仕方ない。引き上げようと思ったとき、グラウンドに隣接している校舎の壁際に、使い込まれて白くなった黒板があった。色々書き込んであった。よく見てみると、野球部のスケジュールだとわかった。今日の場所は空欄になっていた。視線を左に移すと、全国高等学校野球選手権福井大会緒戦の濃いピンクのチョークの太文字。右に移すと調整と書かれていた。そっか、本番前は調整するんだ。だから、練習が早く終わっているもしくはオフの可能性があるんだ。はいはいはいはい。そういや、行きしなの地下鉄の駅で野球部員がそんなこと言ってた。あれは、私に対する前振りだったのだ。それにきづかなかったがために、こんなオチになってしまった…。身と財布の軽さをもって知る高校野球のサイクル。

 黒板の前には、新しそうな木目調のベンチがあり、その横に、部員たちの日記らしきものがきれいに積み上げてあった(中身?断じて見てません。ホンマですって!!)色つきの厚紙のバインダー。一番上の選手の名前は、春の大会では背番号「1」の子だ。ひょっとしたら背番号順に並んでいるのかもしれない。グラウンドや道具の並べ方、挨拶もそうだけど、高校野球はきちんとしているなあ。でも、まてよ?背番号順がきちんとした順番ってどうなんだろう?試合をするときはそれでいいけど、練習のときは全部員がいるわけで、背番号のある子たちは背番号順でいいけど、ない子たちはどういう順番になるの?…とりとめもないことをあれこれ考えてしまった。

 グラウンドは、決して広いとは言えない。多くの高校で見かけるマウンドの高さもここはよくわからなかった。練習で使うネットも心持ち少な目だった気がする。黒板を見なければ、活動場所は他にあるのだろうと思ったはずだ。でもって、まだ確信が持てないでいる。黒板の隅っこに、「あと3日」という走り書きがあった。今日、練習を見れなくてよかったかもしれない。


『私の緒戦』

 夜、ともきちから電話があった。17日の打ち合わせだ。場所と時間を決めながら、彼女が言っていたこと。「夏の西京極か。楽しみやなあ。何着ていこ。でも、日に焼けたくないし、結局長袖長ズボンやろな」。「真っ赤なペティキュアもバッチリやで。プロの人にしてもろたんや。やっぱ違うわ。1万2000円(!)もしただけあるわ。ネイルの他に角質除去もしてもらって、足の裏までいい女になったわ」。なんか意中の男と初めてデートに行くみたいやなあ。かく言う私も何着て行こうか今から考えている。去年買ったブラジャーの透明ストラップを出動させるものアリやし。アイシャドーとマスカラの練習もしている。今日、練習後の顔で出勤したら、職場の人に「あんた誰ですかっ」って言われてしまった。気合いが、過去数年とは明らかに違う方向へ向いている。「なんか、私の緒戦♪って感じやなあ。“みんな、私を見てっ”みたいな」。ウケてしまった。 


『M−1は、絶対絶対ビデオを録るべし』

 昨日、予約していたM−1グランプリ2003のDVDが届いた。さっそくチェック。見れなかった決勝戦進出者決定後の記者会見も収録されていた。アメリカザリガニは初回から3年連続出場ながら、まだ優勝に手が届いていない。そんな彼らを司会の島田紳助さんは、「高校野球で言う優勝出来ひん名門校や。倉吉北みたいな」。ハハハ。ごっついマニアックなんか、高校野球をよく知らないのか判断出来かねる。そういや、未だ優勝していない名門校ってどこだろ。

 私がDVDに一番期待している特典が、敗者復活戦出場コンビのネタだ。大半がカットされていながら、全コンビをしっかりフォロー。またこの大会に限っては、私の現場にいたから、余計に興味があるのかもしれない。別に「映ってるかも?」とか思わないけど。会場はテレビで移っている以上に小さかった。後ろから携帯で写メールをしようとしたら、スタッフにばっかじゃないの?みたいな目つきで「やめてください」と言われてしまった。そのくせ、芸人の控え室周辺は、警戒度ゼロ。裏でネタ合わせしているコンビや出番が終わって帰っていくコンビと何度かすれ違った。業界人ってアイドルに限らず顔が小さく見えるなあと思った記憶がある。

 さて、話がちょっとそれてしまったが、敗者復活戦のネタを堪能した。印象に残っているのは、シンパシー、レイカーズ、POISONGIRLBANDかな。あとの有名どころのネタは何度も見ているヤツだったので、新鮮さという意味では印象度は薄かった。シンパシーは、去年のM−1甲子園(?)の覇者。ネタを初めて見たけど、ツッコミの間(やや早め)が好き。レイカーズはネタというより、片割れがやるフットのノンちゃんのモノマネにハマッてしまった。POISONGIRLBANDは、話の飛躍の仕方と持ってくる名詞の選択がバリ私の好み。「とりあえずビールっていうのはやめようよ」「じゃあ、おまえ、とりあえず送りがなって声を張って言える?」とか。もっと見たいコンビ。売れてきたら、ボケの子の格好もあか抜けていい具合になるんやろな。ヘッドライトは、ABCお笑い新人グランプリと同じネタ。私個人は、新人賞のときのより、こっちの方が余計なモノがそげていてよかった。ダイノジは去年よりおもしろかった気がする。あと2年連続のトリをつとめたストリーク。結構好きなネタベース。もうちょっと売れても欲しいなあ。気になったのは、設定のダブリ。今年は卒業式ののやまびこ答辞(「楽しかった運動会」「運動会」みたいなヤツ)が目立った。そういや、去年は昔はやった遊びという設定が多かった。ま、漫才はお客さんが知っている世界を設定に持っていかないとウケづらいから仕方ないけど。その点で、コンビ名は忘れたけど、回転寿司の具でネタを進めたアイデアが斬新だった。

 ところが、ところが、肝心の本編がいけない。2002年はますだおかだのネタの一部がカットされていた(後日、増田さんが日記で熱く憤っていた)が、今年の犠牲者はスピードワゴン。ネタの中心は「さっちゃん」という童謡だったのだけど、著作権の関係で収録出来ず。ネタの大半が音声なしという何とも切ない内容になっていた。当人たちは同じDVDに収録されている本音インタビューで、「思い出したくない」って言ってるけど、それでも、ねえ…。そんなわけで、本編に関しては、DVDはあくまで保険。ノーカットのネタをいつでも楽しめるようにビデオは必ず録っておかないと。貴重な映像をなくさないためにも、すり切れない程度に堪能しよう。



2004年07月14日(水)
そろそろキャッチャーをやらねばならないようで。


 仕事場へは大体4人で行く。店の人とやりとりするリーダーが1番手、データ作成などリーダーを助ける役目の2番手、PC上のデータはいじらないけど慣れた人がする3番手、そして4番手は新人さん。私のポジションは今3番手。1番手は男性、2番手は女性であることが多い。

 ある日、リーダーさんが私を呼んで、PCのことを教えてくれた。ぼさーと聞いていたけど、「自分、明日すんねんで」と言われた。慢性的は人不足のため、ついに私が2番手をすることが、勝手に決まっていたのだ。この会社の行き当たりばったりは毎度のことだけど、改めてびっくり。

 2番手の仕事は、PCでの書類づくりやデータの間違いをチェックしたり、カウントする際に使う機械を作るのが主だ。簡単に言えば、リーダーのサポート。野球で言えば、キャッチャーにあたる。だから、会社では、ベテランリーダには経験の浅い2番手を、新人リーダにはベテランの2番手をあてがう。私がついたリーダは、苦手のBさん。最近は慣れて怒られることもなくなったのだけど、これでまた怒られる可能性がぐっと高くなった。久しぶりに仕事へ行くのが億劫だった。

 当日のメンバーは、私がもたつくことを予想してか、先輩方ばかりだった。先輩たちは、私が初めて2番手をやることを知っていたので、「大丈夫か?」「ホンマにできる?」と心配そうな目をして声をかけてきてくれた。ホントはイヤだけど、そうは言えず、「やれるだけやってみます」などとさわやかなコメントを残してしまった(汗)。でも、実際は、ピッチャーがマウンドでサインを出して、ただ構えているだけのキャッチャーの程度の仕事しかできなかった。気の短いBさんがよくイライラせずにもってくれたと思う。

 今日で、もう5回目くらい。ちょっとづつ覚え始めている。なんとか怒られずに済んでいるけど(こないだ「全然覚えてへんやん」と言われ、スイッチが入りかけたから、冷や汗が出た)、相変わらずCさんの下ばっかり。そういや夢で、支社のヘッドの人に、「あいつ(Bさん)の面倒を見てくれないか」と言われた。正夢やったらイヤやなあ。でも、この頃の流れ、ホンマにやばい。友達でも仕事仲間でも、第一印象の悪い人ほど、縁がある私。あんなノーコンワンマンピッチャーの球、受けられへんわ。



2004年07月13日(火)
鳥取茶?!


 こないだ易者に「鼻を治せば、人生は変わる」と言われ、なんだ(すぐ凹むのは)鼻のせいなのかと思うとしばらくは気楽で入れたのだけど、これも効き目が切れたようで、朝から気持ちがどんよりしていた。

 そんな精神状態でリーチインのペットボトルを数えていると、作業着を着た若い兄ちゃんに声をかけれらた。「すみません、取ってもらえませんか?」、声をかけられる最も多いケースが、商品を取るから場所をあけてくれと意味の「ちょっとすんません」。

 振り向くと、兄ちゃんは手にいくつもペットボトルを抱えていた。カゴを使えばいいのにというのにと思ったけど、余計なお世話だろう。「何を取りましょう?」と私が言うと、ウーロン茶を指さしながら、「そこのトットリ茶…。あ、ウーロン茶(汗)」。私は気づかぬ振りをして、ウーロン茶を1本、兄ちゃんが抱えているペットボトルの上にのせた。兄ちゃんは、「ありがとう」と言って、レジへ向かった。

 トットリ茶やって、トットリ茶やって〜、聞いてたぁ?梨の葉で作るん?誰かに言って歩きたい衝動と笑いをこらえながら、カウントを続けた。あまりに画期的な間違いや。なんか、うじうじしているのが、バカみたいに思えた。

 鳥取と言えば、今北海道のプランニングに飽きて(!)、中国地方旅行のプランを時刻表を見ながらあれこれ考えている。なかなかうまくいかないのだけど、ある日ふと、ピタリとハマるプランが出来ることがある。そのときの快感がたまらない。それでも、その通りいかないのが旅の性。



2004年07月12日(月)
解夏


 さだまさしの「解夏」を読んだ。ドラマ「愛しき君へ」の原作本。設定的には、主人公がカメラマンであるドラマの方に興味があったけど、連続ドラマは一度見逃すとテンションが下がってしまう。再放送かビデオ化を待つことにして、ベースである原作本を読んでおくのも悪くはないだろうと、本屋へ走った。

 分厚い本だし、連続ドラマになっているからどんなに長い話かと思えば、本当に短かった。100ページあったかなあ?ちょっと拍子抜けした。でも、内容はよかった。そして、これに骨や肉をつけて、長編にしたいと企画したであろうドラマ制作者の気持ちがわかる気がした。もっといろんなエピソードや過程が書かれていてもよかったのにと思ったが、そこらへんを想像して自分なりに物語をふくらませることができるので、ヨシとするか。

 目が見えなくなる病気に侵された主人公は、いろんな人から話を訊く。印象に残った言葉は、「失明した地点で、恐怖が終わる」「目が見えなくなると視界が真っ暗になるのではなく、乳白色の闇にいるようなもの」。

 舞台は、長崎。作者のふるさとでもあるため、景色の描写が細かく、またしっくりとくる表現だった。私はこの春に長崎へ行ってきたばかりだ。だから、そのとき目にした景色を思い出しながら読んでいった。長崎駅を降りると、上から迫ってくるように家が建っている。山なんだろうけど、輪郭が建物のそれにとってかわっているように見えた。ま、それはそれで風流だけど。

 実は、長崎は旅行中もっとも凹んだ時期にいた場所だった。疲れていたのもあるし、何やってもうまくいかなかったのもある。で、夕方にはチェックインしてホテルに入った。カーテンをあけると、建物の輪郭をした山が窓の枠が縁になっている絵のように映っていた。ああ、長崎ってこうなんだ。私の心は疲れていたので、実際の距離以上に遠くみえた。ダメなときは、景色が心にしみこまないんだなあ。長崎が悪いんじゃないよ、私が悪いんだ。そんなことを考えてぼんやりしていた。だから、あまりよく覚えていないと思っていたのに、この本を読んでなぜか、それが一番印象に残っているかのように思い出すことができた。不思議だ。思い出って、やっぱり月日が必要なんだなあ。

 さだまさしで思い出した。数年前、小学校時代の同級生とたまたま再会し、よく遊んでいた。そんな彼に、おもしろ半分で、さだまさしのベスト盤を借りた。でも、一度も聴かないまま、未だ返せずにいる。彼は仕事の都合で北海道に行ったとか、行かないとか。音信不通のままだ。
 



2004年07月11日(日)
相方’sボケセレクション〜H山編〜


 今日は、相方くんと久しぶりに梅田のキディーランド詣。まずは恒例の壁際にあるミッフィー人形でボケみようのコーナー(詳細は最下部)。1時間ほどちんたらして、ぬいぐるみ1匹とメモ帳とメールブロックシート(携帯の画面を人から見られないようにするもの)を購入。のちに他のファンシーグッズを見ていて、ブロックシートでぼったくられたことに気付いた。ミッフィーグッズ、なにげに高い。

 お次は、阪神百貨店にあるタイガースショップへ。一時のことを思えば、広さも品揃えも人出もすばらしい。そして、相方くんは延々にうろうろ。腰がだるくなった。蛍光の黄色のメガフォンが姿を消したことが気にくわないらしい。

 夜は、阪神百貨店屋上のビアガーデンへ。あわよくばモニターでオールスター観戦?という野望も無惨。ジャズの演奏が流れる中での飲み会となった。生演奏、これがまたうるさかった。うまいんだろうけど、向かいにいる人の話が聞き取れないってどうよ。

☆個人的にツボに入った『相方’sボケセレクション〜H山編〜』(画像と合わせてご覧ください)

1,「エネルゲンがなくなりましたぁ」
※試合の中盤になると、下級生が、空になった大きな水筒みたいなものを持って、保護者の元にやってくる。
2,「見てられへんわ」
※そんな試合もあるわな。そして、相方くんはそんな試合ばかり見ているわけで、



2004年07月10日(土)
乗用車が買える…


 HPに載せた文章でも応募可能という珍しい、ジャンル不問のコンテストがあったので、応募してみた。残念ながら、賞をもらうことは出来なかったが、後日、主催社から手紙が来た。「共同出版をしませんか?」という内容だった。

 私は知らなかったのだが、作家などが出している私たちに一番なじみのある出版方法を、企画出版という。作者の負担額はゼロ。初版から印税が入る。逆に、よく耳にする自費出版は、出版に関する費用は全部作者が負担。書店においてもらうのは難しく、印税は入ってこない。で、今回私に話がきた共同出版というのは、その2つの折衷案みたいなもの。作者と出版社が資金を出し合うもので、規模はいかほどかわからないけど、書店においてもらえ、営業もしてもらえる。印税は増版時に入る。邪推かもしれないが、これは私の文章がいいからというより(よかったら、賞獲ってる)、商売としての要素もありそうだ。でも、審査コメントには、私がもっとも表現したかったこと、もっとも感じて欲しかったことがモノの見事に書かれていて、そんな邪推をするのは自分が腐っている人間のようで、心境は複雑。

 でも、本を作る工程には興味があったし、あわよくば…という気持ちも正直あった。モノを書いている人にとって、自作の本の出版ってやっぱり夢の一つだし。ここにきて、何か形に残る結果を出しておきたいなあという思いもあった。もっとも、力がないのにそんなことしていいの?という気持ちと、どんな形にせよ世に出さないと始まらないという気持ちの綱引きが今も続いているんだけど。

 で、一体いくらくらいかかるのか、調べてもらった。安いものではないと知っていたけど、まさか6ケタとは。メール便で届いた見積書を見て、固まってしまった。通りかかったおとんが、紙をのぞき込んで、「うちの車、77万やぞ。中古やけど」と言ってトイレに消えた。

 ぼったくりやわと思って、ネットで他の出版社や印刷会社のサイトを見まくった。うわ、安いと思っても、それは印刷料にすぎず、校正代とか、帯代とかなんやかんやがかかって、結局は同じくらいになってしまう。相場はこんなものか。100万は無理やなあ。かといって、「どうしても出したい!お願い。お金は返すから」と親を説得する気力も正直ない。ローンを組んでという方法もあるけど、それも抵抗がある。企画出版してもらる力をつけるか、あきらめるかかなあ?

 そういや、スポーツの取材パスも有料らしいと聞いた。前に、ライター塾の実習で、「東京は遠いから、私は大阪で取材したい」と塾側にお願いしたのだが、とんでもなく図々しいことだったんだなあ。知らなかったとはいえ、すみませんでした…。



2004年07月09日(金)
背番号をもらえない重み(他3本)


 今朝、寝ぼけ眼の私の間の前に、新聞紙が飛んできた。犯人はおかんで、よく見ると、それは京都新聞についてくる夏の京都大会の選手名簿だった。さっそく、ペラペラめくって見てみた。3日の練習試合の地点で、メンバーはまだ決まっていないと聞いていたので、ここに載っているメンバーも変更の可能性が多いにあるはず。でも、大好きな冊子であることに間違いはなく、91年からコレクションをしている(ただし、95年は紛失)。

 背番号をもらえなかった選手は当然いる。その重みを考えるとき、私は勝手に自分設定で3年生にしてしまう。単純に3年生が最後のチャンスだからだ。でも、2年生だって、1年生だって、試合に出たい気持ちに間違いはないはずで。来年があるからっていう私が簡単に片づけてしまうことも、気持ちの切り替えにはこちらが思う以上に時間がかかるものかもしれない。そんなことをふと考えてしまった。


 話は変わって。
 夜、ともきちと飲みに行った。お会計は、2人合わせて3,600円。随分安くあがるようになったなあ。その後、山グラまで散歩。帰り、腹がピーピーになって、ともきちをおいて、コンビニへダッシュした。彼女はそんな私を「膀胱、ここにあらず」(彼女にはピーピーとは言っていなかったので)と言われた。おもろい。それ、もらい。17日の試合には一緒に行く予定。彼女が東山観戦をするのは、あの桂戦以来。夏の西京極の雰囲気を味わいたいのだという。今大会に限っては、観戦条件は私も彼女と一緒。だから、気合い入れていきます。そのために、夕方化粧品屋さんへ行って、口紅、グロス、アイショドウ、マスカラまで買いましたわ。ともきちには、「女みたい。気持ち悪い〜」と言われたけど。球場で会った知り合いに気付かれないくらいに化けてやる。どうせ汗で流れるんやろけど。

 話は変わって。
 「ファイト〜」「いっぱ〜つっ」で有名なあの飲料に初代をつとめたのは、巨人の選手だったみたい。そのときもキャッチフレーズは、「ファイトを飲もう」だったかな?2代目か3代目かが王さん。巨人の選手といえば、オロナミンCというイメージがあったのだけど、最初はここだったのね。なんか不思議な感じ。

 話は変わって。
 最近見たカフェオーレのCM。♪オ〜レ〜オレオレオレ〜カフェオレ〜カフェオレ〜。ベタやなあ。懐かしいなあ。今頃やるなんて。ご存じサッカーでおなじみの「We’re the Champ」の替え歌。私が高校3年のときは、Jリーグが始まった年で、高校野球の応援でもこの曲が使われたいたのだけど、当時の東山の応援団には面白い子がいて、相手校がこの応援をしていると、♪オ〜レ〜オレオレオレ〜カフェオレ〜カフェオレ〜と歌っていました。元気かな?



2004年07月08日(木)
迫り来る検索の脅威


 この日記のスペースを借りているサーバーには、アクセス解析という機能もついている。それで、1日のヒット数が大体わかるのだが、最近、こわいなあと思うのは、検索ページからのリンクの多さだ。これまでも3つないし5つくらいはあったのだが、ここ数日は尋常になく多い。2,30あるときもある。私は、よく野球とは関係ないことを書くせいもあるかもしれない。たとえば、検索の言葉が、「あるこ」とか「野球日記」とかだったら、目的地にたどり着けるからいいのだけど、他の言葉だと、申し訳ない気持ちになる。なんとかならないのかな?このシステム。

 で、もっと、うぎゃあと思ったのは、「東山」という言葉が徐々に増えてきていること(これで、また増えるか?)。日記を初めて3年過ぎたが、これまで一度もなかった現象。甲子園に出たときも、逆に事件のあったときも。なんで、なんで、今?不思議でしようない。ひっかかるなら、最初からひっかかっているはずなのに。ここは、応援サイトではないので、そういう目線で見られると、ちょっと恥ずかくなる。

 自分もそうなのだけど、インターネットの利用動機は、「情報」収集にある。私は、それに背いている形。だから、「誰か注目の選手は?」「グラウンドの最寄り駅はどこですか?」「今年のチームはどんな感じですか?」とか聞かれるのは重い。自分の見たモノ、聞いたことの確かさを実感できない。同じモノを見ているけど、あの人のそれと私のそれはホントに同じ?とを思ってしまうのだ。病気?そんなわけで、私は、ひとつの娯楽、暇つぶし的存在になればいいと思って書いてる。けど、現実には通用しないことなのかな?ネットとは違う手段を探さないといけないのかな?



2004年07月07日(水)
新聞部のインターハイって、一体何を競うんですか?


 今日も半日仕事(どこが繁忙期やねん…)。車内ではまた合併&1リーグ制話。5球団でやるなら、韓国の球団1個入れたらいいんねんという話と巨人A巨人Bを作りセ・パに振り分けるという話。両チームが優勝したら、日本シリーズは紅白戦だぁ〜。ワハハハハ〜。

 私個人は、韓国や台湾の球団を巻き込んでペナントレースをするというのはなかなか面白いと思う。JALは、「行きつけの店を台湾に」みたいな売り込みしてるし。今日から千葉で3連戦、次はソウルでその次名古屋ドームとか。見てる方は楽しい。それに、北海道行くより、ソウル行く方が安いみたいだし。韓国や台湾のプロ野球も盛り上がってくれたらいいかなあ。ペナントレースは無理でも、せめてアジアシリーズはやって欲しいかも?

 1リーグ制になったら、甲子園で阪神ーロッテ戦とか見れるんやなあ。モラルの高低を恐ろしく見せつけられそうだ。あと日ハム戦も面白そう。

 そうそう、帰り高校のグラウンドを通ったのだけど、野球部が練習している場所で体育祭らしきものが行われていた。黒土の部分を普段はどうしてるのか気になっていたので、興味津々で眺めてしまった。フェンスには、インターハイに出場部の名前が書いてあった。重量挙部やテニス部はわかる。でも、新聞部って?スクープ合戦でもするのかな?合併話に飽きたメンバーは、新聞部のインターハイについて思い思いの妄想に花を咲かせていた。私やったら、野球部にインタビュー♪やわ。

 帰宅後、美容院へ。気分が滅入ったときは、昨日みたいに占いへ行くか、美容院へ行くか。化粧品屋さんへ行くか、目医者さんへ行く。店員(もしくは医師、看護士)さんにかけられる声色や言葉が不思議と心地いい。手では触れない場所をもみほぐしてもらっているような気がする。私って変?



2004年07月06日(火)
易者と私


 仕事が早く終わったので、占いをしてもらった。京都駅の近くにある古い木造住宅の1階。薄暗くて怪しさ満点な部屋の奥には、ピーコ系の男性が座っていた。私の中で占いは、気分転換であり、娯楽である。自分のことを人に言い当ててもらったりするのは、その人が自分に興味があるようで結構気持ちがいい。もちろん、当たりはずれはあるが、娯楽なんだと思えばたいして腹は立たない。

 6,000円と割高だったけど、2時間たっぷり見てもだったので、文句は言えないか。彼がするたとえ話は、不思議と野球絡みが多かった。知り合いに、桑田の先輩がいて、桑田は野球で期待されていたので、親が熱心で、野球以外のことは何から何まで親がやっていたので、大きくなっても電車の切符の買い方がわからなかったのだとか。そういう話まで。

 また、今日は自分だけではなく、親と祖母のものも見てもらった。私という人間を占う上でそれは必要なことらしい。そういや、プロのスカウトが、目をつけた選手を色々調査するさい、親のことも調べると聞いたことがある。前に話した大学野球の関係者の男性も、「バッティングの能力はわからん、それこそ親の(身体能力や性格)ことまで調べんと」と言っていたっけ。

 2時間じっくりだったため、占いというよりカウンセリングに近かった(最後は、「当たっても当たらんでもどうでもいいし」って言ってたし…)。手相や四柱推命、人相はその手助けアイテムにすぎなかった。とにかく、占いではまず考えられない具体的な対策を提案(というか命令)された。何かというと、「鼻を治せ」。あんた、ホンマに易者か?と思ったけど、よくよく聞いてみると、確かに的を射た話だった。私は鼻炎持ちで、年から年中、鼻ズルズルで鼻づまり。誘拐とかされたときに、口をガムテープで覆われたら、命の保証はない。だから、ドラマでそういうシーンを見るたびに、私やったらどうしようと不安になる。人が聞いたら笑うかもしれないけど、マジな話。鼻炎を治せば、頭がすっきりするし、声も変わる。それによって、自信がつくというのだ。

 あと欠点として指摘されたのが、自分のことばかり考えていて他人に心を配ることがないということ。それは私自身の性格が悪いのではなく、鼻がグズグズしているので、それだけで精一杯になってしまうからだと彼は言った。確かに、人と対するときも、鼻息荒くないかなとか、ズルズル出てくる鼻水を気にして、集中していないような気がする。

 結論としては、今は病気だから治療中だと思いなさい。鼻を治す間での間に、中身を磨きなさい。広く浅くでいいから、いろんな本を読みなさい。就職や結婚やはそれから考えなさい。自分(私)は、納得すればちゃんとやる人だから。

 ま、いいアドバイスを頂戴してありがたいかったのだが、一つ気にいらなかったのが、私につきあっている人はいないとはなから決めてかかって話を進めたことだ。その上、男性と一度もおつきあいしたことのないと思われていたようで、「結婚している人とかから、男性のこと、聞いて勉強しなさい」だの、「男の生理についても、そういう本を読んでおきなさい」とか。社交辞令でもいいから、「今、つきあってる人はいるの?」くらい聞いてから話をすすめろや。失礼しちゃうわ。あと、鼻を治したらどう変わるかっている話をしていたとき、「男性が声をかけてくるよ。初めてだから、うかれてホイホイつていかないように、そのためにも中身を磨いておきなさい」。バカにすんな。こう見えても告白されたことくらいあるわい。どうやら、彼の中での私のイメージは、「鼻炎がしんどくて、何もやる気がおこらず、他人をうらやんでばかりで、喜ぶことが少なく、不足が多く、男性に縁がないから化粧も身だしなみも気にしないし、キスをしたこともなければ、セックスもしたことなく、むろん男女間にそういう行為があることすら知らない、ひねたモノの言い方をするかわいそうな女の子」といった具合のようだ。とんでもない妄想や。もう少し幸せやぞ。ま、当たってる部分もあるけどさ。ま、すっぴんめがねで仕事帰りのやぼったい雰囲気のまま扉を開けてしまった私も悪いんだけどさ。

 で、結局、結婚話になったんですなあ。易者って、なんで女の人を相手にするときは、結婚のこと中心になってしまうんだろう。私は、鬱状態がイヤだからっていう話をしただけで、結婚したいとか、男性にかまってもらいたいとか言った覚えはないぞ。彼はきっと鬱を抜けたら幸せになるよってことを言いたかったんだろうけど、結婚=幸せなんて誰が決めたんじゃい。ったく。 ああ、書いてて段々ムカついてきた。



2004年07月05日(月)
1+1=2じゃない世の中。


 今日は、半日仕事。移動中の車内では、野球の話題。もちろん、今一番アツイ“球団合併&どうなる?1リーグ制”っていう話。それほど野球に熱い人たちではないので、「パ・リーグをなくせばええねん」だの、「8チームくらいにして、1リーグでいいんちゃうの?」「ほな、オールスターどないすんねん」などと言っていた。怒られんで。

 ただすごく頷けた言葉は、「球団合併したからって、ファンが2倍になるわけやないで。むしろ、減るで。1+1=2やないねんから」。

 前日、相方くんとこの話をしていたのだが、そのとき彼が言ってたのは、「合併どうのこうのは仕方ない。でも、それまでのゴタゴタが長すぎて、その間にファンは離れてしまうんや」だった。

 もうなくなった話だと思っていたが、ライブドアさんはまだがんばるようだ。今朝の新聞に記事が載っていた。私は甲子園で阪神戦を見ながらおいしい酒が飲めれば、別にリーグが1つでも2つでもかまわないけど、ライブドアさんにがんばってもらいたいような気がする。この不景気に球団を買うなんて粋じゃないの。

 そういや、昔、桃太郎電鉄で、大阪に着くと出来るお買い物に、球団があった(=阪神タイガースっていうイメージなんだけど)。他のものが利益が大体5%から20%出るのに、球団はマイナス5%だった。持ってれば持っているだけお金が減る。それでも、買ってみたいと思ってがんばったっけ?結局、ボンビーに取り憑かれ、あるとき突然、「こんなん自分の実際の人生ちゃうし、自分の銭やないから。ええわい」と好んで青いコマに止まり、お金が減っていくのをヘラヘラ笑って見ていたので、テレビゲームの中でも夢に終わってしまった。

 ライブドアの社長は何を思って、球団買収をしたいのかは読めないが、そんな「夢」がほんの一ミクロンでもあったらいいなあなどと思う今日この頃。あ、でも、買収したら本拠地は、東京になってしまうのかな?それはちょっとイヤだ。



2004年07月04日(日)
何人目の部員?&蛍が飛んだ


 今日は、愛知遠征。おそらく、これが夏の大会前最後の練習試合観戦となる。久しぶりの2戦2敗。

 1戦目は強豪の相手校に完敗って感じ。相方くんは、「さすが●●(相手校名)さん」と言った。東山は、未だにH山と呼ばれている。一体いつになったら、東山さんと呼んでもらえるんだろう。相方くんは、ここ数試合の好ゲームを知らないので、「ま、こんなもんやろ」と言いやがった。悔しい。でも、本人は「楽しかった」らしい。私は試合途中から気分(機嫌じゃないよ)が悪くなって、トイレでウンウン唸っていた。二試合目が始まる前におさまったけど、アレは一体何だったんだろ。スコア的には2戦目の方が良かったのだけど、内容は悪かったかな?序盤に自滅っぽい感じで大量点を取られてしまったので。ま、終わったことは仕方ない。

 今日は変則W。2戦目はホームグラウンドである強豪校の試合はなかった。でも、保護者はグラウンドに残り、5回が終わったときには、わざわざお茶を持ってきて、私たち観客にふるまってくださった。自チームの試合中に相手校のお母さんがというパターンは何度か遭遇しているが。また、試合開始の挨拶のときは、選手と一緒に立ち、同じように礼をする。あと、対戦相手校が帰るときは、門の前でお見送り。強豪校の選手が厳しく鍛えれれているのはわりとよくあるけど、保護者がここまですることに驚いてしまった。私のイメージは、保護者は選手の一番のサポーターで、温かくときには厳しく見守っているって感じだけど、ここは選手と一緒に戦っているように感じた。でも。すごいなあと思う反面、親御さんにそこまで負担をかけるのはどうだろうとも思い、心境は複雑になった。
 
 知多半島を一周してから帰った。半島の先っぽの小さなフェリーターミナルは、異様な駐車率だった。こんなに一杯の人が移動してるとは考えづらい。コンビニはさすがは愛知。サークルKだらけだった。海沿いの店には、大量の海パンがぶら下がっていた。いい潮の香りがしていたのだけど、半島の逆側はすごい工業地帯。愛知県某所の天一へ行ったのだけど、車から一歩出ると、んぐっ、すごい臭い。生魚のような、体臭のような、薬品のような…。「ここらは工業地帯やからなあ」とは相方くん。社会科で習った工業地帯を鼻で実感した。公害問題はまだ終わっていない気がする。そこで食べたラーメンは最高にまずく、あり得ない味だった。すごく待たされたし、店員はモタモタしているわりに、態度は偉そうやし、ラーメン屋なのに古いマンガがたんまりある。回転率を考えなはれ。そんな店が繁盛しているのが、なんか悔しい。もっとがんばってても売れない店もあるのに。空気の悪さは味覚の悪さに通じるんだろか?そんな失礼なことを考えてしまった。

 そのあとは、上野に出て信楽を経て大津、山科へ。上野信楽間はバイパスが出来ていてだいぶ走りやすくなった。以前は、暗くて狭い山道が延々と続いていた。でも、バイパスはまだ信楽の途中までしかできていない。「早く大津までつながったらいいのになあ」と相方くん。すでに工事も進んでいる。でも、そんな中、黄色い光が飛んだ。「あ、あれ、ホタルやんなあ?」「うん、ホタルや」。私たちはしばらく光の残像を眺めていた。「ホタルって飛ぶんやな」「当たり前や」。すっかり忘れていた。「ホタルのいるような場所を工事したらあかん」。おいおい、さっき「早く大津までつながったらいいのになあ」って言ってたんちゃうん?そんなつっこみもそのときは出てこなかった。



2004年07月03日(土)
ありがたきスポーツドリンクのこととか。


 今日は、東山の練習試合。地元のグラウンドなので、散歩がてらに出かけてみた。試合は、わりと大差で勝った。相手校はすでに背番号が入ったユニフォームを着ていた。もうすっかり夏で暑かった。審判担当の部員たちは、ノースリーブのアンダーシャツ姿。ラブリーな二の腕を見せていた。プレイが止まり間が空いたときに、その二の腕で力こぶを作っていた。

 そういや、今日、グラウンドに入ったときに、保護者の方からえらい丁寧な挨拶をされた。何かと思ったが、あとで話しをすると、「1年生の保護者の方、ですよね?」。2,3年前は、「ですか?」だったぞ。面白いから、今度「はい」と言ってみることにする。

 そういや、今日、試合中に近くのコンビニでスポーツドリンクを買って飲んだ。アクエリアスとかポカリスエットみたいなヤツ。野球観戦中の私にしては、珍しい。いつもなら、お茶かコーヒーだ。でも、今日は何故かスポーツ飲料を飲みたかった。

 こないだ仕事で一緒になった新人の子は、引っ越しのバイトも掛け持ちしているがこんなことを言っていた。「梱包だけとはいえ、結構肉体労働なんですよ。クーラーがもう取り外してある状態がほとんどだから、暑いし。家の人から飲み物をもらうんですが、スポーツ飲料が出てきたら、“ありがたいっ”って思いますね。ああいうときって、お茶より、スポーツドリンクですよ」。スポーツドリンクは、甘みがある分喉が渇いて返ってよくないんじゃないかと思っていたが、どうやらただの思いこみだったようだ。

 その話を聞いていたからか、今日のスポーツドリンクは飲んだあとの口に粘っこさを感じなかった。野球の試合でも、ベンチ裏でスポーツドリンクを飲んでいる子がいるが、それを見るたびに相方くんは言う。「あんな原液のまま飲んだらあかんで。濃い濃いやん。もっともっと薄めて水みたいせんと」。熱くなってる。なんで薄めなアカンのか、そのたんびに語ってくれているようだけど、あまり真剣に聞いていないので、未だにわからないままだ。すまぬ。



2004年07月02日(金)
雑務


 電話がかかってきた。見覚えのない番号だったから、ちょっと用心して出た。すると、「東山高校野球部の…」。新しい父兄会長さん(母の会もあるので、この場合の父兄は差別用語にならないと判断して書いています)だった。実は、先日、いつも試合の日程を教えてもらっていた保護者の方から、2年生の保護者さんを紹介してもらったのだ。これを引き継ぎというらしい。いつもまにか、私の日程を教えることが父兄会長さんの雑務の一つになってしまっているようだ。申し訳ないっす。

 練習試合の日程等は、保護者の方から教えてもらっている。最初の数年間は、教えてもらう人を自分で探していたが、3年ほど前の保護者の方が、2年生の保護者を紹介してくださった。最初は違ったのだけど、いつのまにか紹介してもらう方が、父兄会長さんになっていた。ありがたいことにそれで今に至ってる。

 初年は6月の練習試合の日、一昨年は夏の大会期間中、去年は夏の大会が終わった後の球場前だった。一通りの挨拶はするのだけど、新チームの練習試合が始まるまでブランクがあるので、電話をしても最初はわかってもらえないときが多い。そして、自分を何と言って紹介したらいいのかもわからず困ってしまう。

 その点で、今年はブランクなしだったのでよかった。でも、まだ現3年生がいるチーム。この地点で新しい方から試合のことを教えてもらうのは初めて。そんな出来事で、夏の終わりが近づいていることを実感してしまって、ちょっとモノ切なくなった。でも、これから1年ちょい、お世話になります。

☆『笑いの金メダル』、今日はお気にのコンビが、野球を取り込んだネタで、二つ目の金メダルを獲得。やったね♪

☆NTT系列の会社に勤めているツレが都市対抗の予選大会を観戦。「せっかく勝ってたのに、ホームラン打たれたから、負けてしもた。敗者復活戦があるからまた行かな。あーあ、しんど」だと。野球心のないヤツめ。見に行きたくても行けない人、ゴロゴロいるんやぞ。でもって、君の目当ては東京やろ。勝ったら応援で東京行けるもんなあ。ちくしょうめ。



2004年07月01日(木)
私のセンバツ時計って…(汗)


 夜、部屋でJR時刻表を見ながら、妄想北海道旅行をしていると、隣の部屋にいたおとんが言った。「広陵の西村、ボコボコに打たれて負けたわ。初出場やってんな」。後でわかったことだけど、どうやらナイターの阪神ー巨人戦を見ていたようだ。

 そのときの私。「マジで?もう夏の大会始まってんの?」。この夏一番の波乱やん。広陵て、春の優勝校やん。

 しばらく、おとんと私の間でかみ合わない会話が続いた。

 あれ?でも、おとん、初出場って言ってたな?おかしいの、初出場で優勝したのは今年の済美やん。あれ?広陵は去年やった。

 父が言いたかったことは、結局こうだった。「広陵(高校出身で巨人)の西村、ボコボコに打たれて負けたわ。初(先発)出場やってんな」。

 「ほんま、疲れるわ」
 台所で洗い物をしていたおかんが、肩をグルグル回してた。